旅行・地域

2020/06/18

クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪 7 最終回 続

13年振りに尋ねたニューヨークは最初にワールド トレード センター跡地のグランド ゼロDscf0560_2からだった。地下鉄から出るとちょうど帰宅の時間帯だった。ぞろぞろとそれこそいろんな人が家路を急ぐ光景に出くわした。かつて見た富の象徴の二つの高層ビルは跡形もなく、今は工事中の大きな幕に取り巻かれているだけだった。9.11直後、犠牲者のモニュメントを見たかったが入れないという。仕方なく写真を記念にパチリ。赤い夕陽が隣のビルの窓にさしかかる瞬間、その光に幾分頼りなさを感じたのは果たして気のせいだろうか。
人々の表情を追おうとその時思い浮かんだ。それからチャイナタウンにあるレストランで最初の夕食となった。野菜炒めものと海鮮お粥に青島ビール。身内がよく通う店だそうな。味は日本人にあっていた。客がいつもより少ない、不景気の影響とか。それから5日間いろいろな街の表情を切り取った。そして旅の収穫は、ウォール街そのものには行ってはいないけれども、観劇の強弱や(「ブルーノート」でのジャズ鑑賞とオフブロードウェイでのミュージカル「STOMP」の鑑賞、Dscf0754_2街歩きのコツ、地下鉄やバス利用(以前はバス乗車は危険で利用をむしろ止めたほど、複雑な市営地下鉄は東京のそれより複雑だが、これも以前より落書やノイズがほとんどない。一度コロンビア大学に行くときの車中でマリアッチ演奏の旅芸人3人組に出くわした。演奏が終わるや否や、若い女が帽子を反対にしてカンパを乞うていた。ある程度もらえば次の車両に移動するのだ。現金なものだ)、大学図書館見学と学部訪問、低料金(30ドル)のバスで行くフィラデルフィア1日観光旅行等々だった。Dscf0789Dscf0786Dscf0790Dscf0766

これもニューヨーク在住の身内のアドバイスがあって実現できた。それにヤンキースタジアムで松井選手やジーター選手も観た。しかも松井選手のヒットまで、それはいつでも引き出せる旅の良い思い出だ。失敗談はどの旅にもつきもの。筆者もご多分にもれなかった。アメリカ・スカンジナビア協会では最新号の雑誌入手に失敗、雑誌「ア パブリック スペース」発行元訪問は近くまで来たものの、別な用事で終わってしまった(それは創作料理がまずくなりそうな身内との夕食だった。旅の目的には身内との話し合いも入っていたのだ)。そしてフィラデルフィアでの午後の出来事。Dscf0821Dscf0816
ペンシルべニア大学行きまでは良かった。明治期にペンシルべニア大で講演した日本人リベラリスト馬場辰猪の墓を探すのに2時間以上もかかってしまい、結局見つからず、判明したのは帰りのタクシーの中だった!一巻の終わり、後の祭りだった(実は馬場辰猪に関してコピーを取っていたが、出発直前他の資料ともに忘れて行ってしまったのだ)。教訓はインターネットなどで下調べを充分にせよということだが(墓地なのか記念碑なのか、場所の特定、少なくともメモくらいは持参。初めてのところに行くのだから。うっかりである)、また、土曜日が悪かったのだ。スタッフは大概デイオフだ。フィラデルフィアはもう行かない!とかんかんの身内、それもそう、行くまでいろいろと手配した挙げ句、2時間以上近く待たされたのだから―。今はないトークン(それがフィラデルフィアの地下鉄ブルーラインで見つけて変に懐かしんだ)の代わりに磁気でできた地下鉄カードの通し方に戸惑い(いっそのこと日本のようにタッチにしてしまえば)、歩きに疲れては足首やふくらはぎを揉んだ。300枚弱のデジカメ写真も見物だろうか。そう、ブルックリン橋渡り歩きは身内に、コロンビア大学の図書館書庫の貴重書見学と資料あたりもO先生に感謝だ。全てはある先生が語っていた<互恵性reciprocity>だが、今回ばかりは相手に助けをいただいたことだけかも。give & take の精神は大事である。旅とはある距離を心の物差しで測る道具かもしれない。伸びたり縮んだりする。旅は心象風景にほんの少し彩りを与える。旅の目的が何だろうと。だから最近考えていた事柄の一部に―大きなファクターだが―あるヒントを与えた、無駄ではない、無駄もまた、健全なる精神を形成する、大袈裟に言えば文化を形成するとね。最後に筆者の英語のヒアリングも上達したみたい。ニューヨークスタイル イングリッシュに大分慣れたか。ところで、新型インフルエンザは滞米中は全く支障なしだ。そう書いてニューヨーク再訪記を終わろう。

【追記】鳩山由紀夫新首相が明日からニューヨークの国連本部での演説、オバマ大統領との会談、G20などの出席のためアメリカへ出発することを帰国して知った。大リーグの始球式もするらしい。
そして最後に小さなエピソードを披露しよう。フィラデルフィアのペンシルべニア大学の博物館の研究員(日本人のモニュメント探しに一役買ってくれたプログラマー)にお世話になったので、ニューヨークに帰るバスの中でお礼のメールを書いたのだ。その返事が帰国後すぐに来た。下記はその文面。

Mr.Chojin,

You're very welcome. I'm sorry I couldn’t find the garden and monument for you. Now that you found the grave site, you and your son will have to return to Philadelphia to see it. And when you return, be sure to visit our Museum again, as we always have new and exciting exhibits!

Enjoy your day.

Kind regards,
Jay

【追記2】2020年春のニューヨークはコロナ禍で大変だった。大分落ち着いてきてビジネスも徐々に戻りつつある。ミュージカルなどニューヨークらしいところは、まだまだ半開き状態だ。劇場関係者が言っていたことだが、今までは金持ちの年配者が客の大半だったが、これからは若者も観賞できるようにチケットをより安く提供出きるようにして新しく生まれ変わりたい。コロナ禍は人々の意識を変えつつあるようだ。(2020.6,17 記)

2020/06/17

クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪 7 最終回

下記は2009年9月21日付コラム。約11年前の記事だが、当時の様子が分かって興味深い。最後に新型インフルエンザの話にもほんの少し触れている。また、annus mirabilis のラテン語にも注目したい。ここに再掲することにした。

すでに帰りの飛行機の中にいる。出発して約7時間が経過、アラスカ上空あたり。早朝6時にブルックリンのアパートを出た時は23℃快晴、4時間前の客室乗務員のアナウンスによると、日本の成田国際空港は15℃(そう聞こえたが21℃位だと思う。この客室乗務員は日本時間も間違って訂正していた)晴。涼しいか。
何の気なしに差し出されるままに「ウォール ストリート ジャーナル」9月19日・20日号を手に取った。その新聞にジョン・スティール・ゴードン氏が(確かシカゴで出している雑誌に寄稿しているコラムニストだと思うが)、“Don't bet against New York ニューヨークに賭けないで”というタイトルでニューヨーク ウォール街の金融破綻の再生を過去の歴史から繙いている。興味をそそられる記事だ。このコラムニストの記事を要約してみよう。

ニューヨーク ウォール街の金融破綻が2008年に起きて40000人の人が失職、市も国も一つの産業の税収入に頼ってきた。再生の方法がたくさん語られてきたが、ニューヨークの歴史を眺めれば楽観的な理由がそこにはあることに気付く。その理由は初期の時期に説明できる。金融危機は崩壊したが、市は過去に何度も再創造してきたと書く。ニューイングランドのピューリタン、ペンシルべニアのクェーカー、メリーランドのカトリック教徒が自由を求めてアメリカにやってきた。そして近代資本主義を発明した金持ちのオランダ人が金儲けにマンハッタンへやってきた。彼らは貿易に忙しく、17年もの間教会の建物を造らなかった。オランダ人が入植してから20年後の人口は一千人、すでに通りでは18カ国語が話され国際的だったという。その後イギリス人がハドソン川経由で北米の内部へアクセスする水路をもって世界的な中心に港を据えた。オランダ人の知事が北からの攻撃を守るため壁を構築するが、1664年イギリス人が南から海軍の力で帆走、オランダ人の商人が調停して町は拡大し続けた。ハドソン川沿いの土地は小麦を育てるのに適し、イギリス人は小麦生産を独占化、主貿易として13のコロニーが育ち、特にボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、カールストンのような最も重要な都市が出現した。だが、南北戦争でニューヨークも大打撃を受け、イギリス支配の時に大きな火事と逃げてきた愛国者の人口で町の大半が崩壊、その後イギリスが撤退、町は驚くほどの速さで回復した。1800年にはフィラデルフィアの人口を抜き、アメリカ一の人口となった。1817年、ニューヨークにとってannus mirabilis(驚異の年。元々は1667年に発表されたジョン・ドライデンの長編詩。1665年~1666年の出来事を記念したもの。ロンドンの大火やペストの大流行(ロンドンの大疫病)など災厄があった年。ウィキペディアより。2020年6月18日付毎日新聞朝刊の「余録」参照✳)、驚異の年のような3つの出来事があった。第一は世界で最初のヨーロッパとの定期航路が形成されたことでニューヨークは直ちに海洋乗船輸送の中継点になった。それは1970年代に飛行機旅行の近代長距離輸送が始まるまで残っただろうか。第二はニューヨーク証券取引所が正式に組織されたことだ。当時フィラデルフィアが最も重要な金融センターだったが、債務不履行を起こし銀行が倒産した1830年代にニューヨークが引き継いだのだ。1840年代「ウォール ストリート」はアメリカの金融世界の代名詞になった。1850年代モーリスの電報の発明のおかげで世界中の取引者と取引可能になり、アメリカで唯一の重要な金融市場になった。当時のフリップ・ホーン市長が「4月の太陽が来ないうちに富が雪のように解けてしまった」と言った19世紀は、ほぼ20年ごとにパニックが起こり崩壊、しかし、ニューヨーク市はその度に大きく伸びて蘇った。1817年には最も特筆すべき出来事があった。ニューヨークとアパラチヤ山脈の西部の伸び盛りの地域とつながるエリー運河が計画され1825年に開通した。生産物がミシシッピー川を経由し、ニューオーリンズの港に搬送されて東部地区やヨーロッパの市場へ到達、現在はニューヨーク経由で流れている。詩人のオリバー・ウェンデル・ホームズ(最高裁の父)に、商業と金融のクリームをぺろりとなめる舌と書かれたニューヨーク市。1800年にアメリカの輸出の9%がニューヨーク経由だったのに対し、1860年には62%達した。1820年にはフィラデルフィアの人口の10%が1860年にはその2倍になった。かつて遭遇したことがないほどニューヨークは大きなブームに沸き、1年に2ブロックの割合でマンハッタン島は北の方に鳴り響いた。マンハッタンが横幅約2マイルあるなら、それは毎年毎年新しい通りを約10マイルずつ拡張していることを意味していた。ジョン・ジャコブ・アスターが臨終のときにマンハッタン全てを購入しなかったことが大変残念だったと言ったことも確かに頷けるのだ。
南北戦争はニューヨークを麻痺させたはずだ。というのは市が南部の綿貿易をほとんど仲介したからで、最も重要なことは1861年にファーナンド・ウッド市長が南部同盟11州の先導に従い、ユニオンから脱退する提案を実施したからだ。しかし、南北戦争でニューヨーク市は大当たりした。国の負債は6500万ドルから270億ドルまで膨れ上がり、戦争が引き起こした産業は急激に拡大、戦争終了時にはロンドンにつぐ世界第二位の金融センターなった。20世紀に変わってニューヨークは金融や港湾両方ともロンドンと同等になり、また、製造業の主要なセンターにもなった。毎年100万人の移民が市に溢れ、安い労働力を供給、衣服製造や軽産業が発達した。かつてのイギリスのように世界の工場になったのだ。1929年の大恐慌、ニューヨーク ダウはその価値の90%を失い、失職。パークアベニューの共同アパートは維持支払いする人たちに提供された。セントラルパークやイーストリバー沿いには失業者向けの住宅(Hooverville)が急に建てられた。わずか15年後の第二次大戦後にニューヨークは世界の中心になった。最も金持ちが集まる大都市は、あまり統治されていなかった。福祉のコストが嵩み、偽の簿記担当者と組んだ事実を隠していながら増税につぐ増税しても経営費を賄うために今尚借金をしなければならなかった。
ニューヨークに本社を持つ以外に選択肢の全くない事業は、コストの安い郊外か他の都市に移って行った。より安い輸送は生産する仕事を可能にし、より安い労働コストの場所へ出て行くのだ。ウォーターフロントの堕落振りに呆れて船主たちが他の港に逃げた。ニューヨークは大都市としての機能を失った。
しかしながら、新しいチャンスが出版、広告、ファッション、通信の分野で旧いものに取って代わって到来した。市は移民たちにとってひとつの磁石のまま残った。戦後の郊外化における人口の減少もない北東地区の唯一の大都市だ。事実人口は以前より増加している。1970年始め阿漕な人たちが現れて税収は減少、ウォール街の銀行は更なる借り入れを拒否、市は崩壊した。通りは汚く地下鉄は移り気で落書きに悩まされる始末、ニューヨーク証券取引所の座席はタクシーの免許権の2倍以下の価格で購入された。しかし、市はまたもやどん底から這い上がった。幾人かの有能な市長と金融管理委員会によるしっかりした監視によって財政立て直しができた。落書きやポイ捨てのような犯罪を駆逐することは街の概観を非常に良くしたのだ。驚くべきほどの通りの犯罪の減少で国の最も安全な都市に変わった。同じく重要なことは、「メーデー」(1975年5月1日に仲介人の固定コミッションを廃止したこと)だ。1970年代のインフレの終焉、1982年に始まる世界経済の超拡大が歴史上最も大きく長引いたブームだった。25年以上ダウ平均株価は780から14000まで膨れ上がった。それから一年後リーマン・ブラザーズの破綻がやって来たのだ。大きなブームは去り、ニューヨークの最も重要な産業がまたもや崩壊した。
これが大体のあらましだ。
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最後に著者は書く。ニューヨークが何年もかけてしてきたことをまたやるならば、時間だけが教えてくれるはず。以前より大きく、より良くそしてより金持ちになって回復せよと。しかしながら、私はそれに賭けたくないのだ。大人の中にある子供のように広大な巨大都市の中心深くでは、商売に浮かれ、もちつもたれながら金融街で働こうということがほとんどみられない。ここでは富の創造は今尚切なる願いなのだ。

この記事は短いがいろんなことを示唆している。ニューヨークの歴史が概略できてためになることも然り、筆者が短時間で読めるくらい、文章も平易、しかも繁栄と崩壊のポイントをおさえている。ここには歴史は繰り返されるという単純な命題がある、ダイナミズムが、強欲がある。しかしだ、ニューヨーク魂があるからこそここまで来たのだと思うのだ。それはマンハッタンの強固な建築物である摩天楼の高さと歴史を刻んだ色合い、建築の内部にはしばしばラテン語と装飾が施され、当時の繁栄振りが解るのだ(最もマンハッタン島は一枚岩でできていて地震がない)。筆者は何度も何度も見上げたものだ。そして最も驚いたことは、地下鉄の中で本を読んでいる人たちが以前よりずっと多くなったことだ。第一、スマートになった。このジョン・スティール・ゴードン氏の記事はニューヨークのの整備過去を知れば、未来は怪我をしないよう歩けるはずだと言っているのだろう。過去の教訓を読み取ろうということだ。

✳今朝(2020年6月18日)の毎日新聞「余録」前半にこう書かれている。
「ロンドンが近代世界を代表する大都市となった大きな節目とされるのが、1666年のロンドン大火という。4日間にわたり燃え続けた火災は、主に木造だった市内の家屋の9割近くを灰にしたという。この大火前年のロンドンはペストの大流行により、8万人近い死者を出している。まさに踏んだり蹴ったり、とんでもない災厄の連続だった。だが、惨禍からの復興で木造の建築が禁止され、広い道路や下水道の整備が行われる。再生したのは火災に強く、衛生的な近代年ロンドンだった。市民は疫病と大火という歴史的な大災害から新たな時代の文明の拠点を作り出したのである」

筆者がちょうど昨日このロンドンの大火やペスト流行について知人に話していたばかりで、このように翌日の新聞のコラムに載るとは驚きだ。

2020/05/04

クロカル超人が行く 251 コロナ禍のなかの江ノ島行き

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【①イタリア料理『イルシャンティ ビーチェ』 ②『イルシャンティ ビーチェ』外観 ③江島神社奥津宮近くの小公園の猫 ④江島神社奥津宮近くの展望台からの眺め、片瀬江ノ島海岸 ⑤江ノ島展望台近くからの眺め、相模湾 ⑥江島神社辺津宮 ⑦江島神社門前通り ⑧シラス料理店『とびっちょ』 ⑨江ノ電江ノ島駅 ⑩湘南モノレール江ノ島駅】

特別な日を祝うため江ノ島のレストランへ。コロナ感染拡大防止のため外出自粛のなか、観光地江ノ島は流石に人は疎ら、天気も曇り。展望台近くのイタリアンと思って登ったが、そこはコロナ感染拡大防止のため休店中。予約したはずだが・・・。もう一軒水族館の隣にあると店の人に言われてそちらへ。予約した店はビーチ店だった! 毎年この日は江ノ島で特別な日を祝うのだ。


タベルナでシラススパ食べコロナ雨

人いない江ノ島の初夏コロナ雨

相模湾眺めて悲しコロナ雨


【追記】何故かメキシコでは生産中止が伝えられたコロナビール、どっこいここにはコロナビールを飲んでいたカップルがいた。店の従業員に訊くとたまたま在庫があったと答えていた。

2020/04/29

クロカル超人が行く 250 東京駅珍風景

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新コロナ感染拡大防止のおかげで
東京駅は殺風景、否珍風景そのもの。
人影のない駅構内には照明が冴え、
静かな美の饗宴が出現した。


消し尽くせ
真っ赤なコロナ
春灯り


Wipe out
Red covid-19
Spring's light

2020/03/21

クロカル超人が行く 248 今年(令和2年)の花見 千代田区靖国神社周辺

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【①靖国神社境内正面左側のヤマザクラ ②同じく靖国境内のヤマザクラ ③④かつて露店があったコーナーに咲く3分咲きのソメイヨシノ ⑤桜のモニュメント ⑥今年の異様な光景を物語る“立て看板 ”⑦専修大学 神田10号館(140年記念館) 法学部・商学部・国際コミュニケーション学部の新学舎 2020年4月から新学部を含めて約3000人が学ぶ 専修大学の都心回帰の新たな拠点になるか】


サクラ見る人の数しれコロナ走る

咲く花も急ぎすぎて一休み


【番外】
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きれいだね写真に親子花の下(笑)

2020/02/05

超人のジャーナリスト・アイ 178 毎日新聞2020年1月27日(月)夕刊特集ワイド 吉原――大衆の裏面史眠る街

毎日新聞2020年1月27日(月)夕刊特集ワイド 吉原――大衆の裏面史眠る街を読んだ。遊郭専門の書店主渡辺豪さんとのインタビュー記事。この記事で興味深い記事を発見。記事によると、18年に始めた有料の「遊郭ツアー」には毎月100人弱が参加、意外なことに女性が9割占めるという。「水商売や風俗に対する偏見は薄まっており、女性のほうが純粋にサブカルチャー的な興味をそそられているのだと思います」渡辺さんが焦燥感に駆られるように、近年の人気ぶりの一方で色街に関する学術的な研究は進んでいない。「売春をポジティブに捉えることになりかねず、タブー視されてきた面がある。特に近現代の記録は少ない。でも歴史は歴史として切り分けてもいいのでは」。こう話すのは郷土史に詳しい地元関係者である。売春防止法施行直後の1960年、台東区が主に江戸時代の吉原をまとめた「新吉原史考」の序説にはこう記されている。〈この遊里の特殊性を冷静に分析することは、たとえ公娼制度が全面的に否認された現在においてすら、あながち無意味な企てではあるまい〉と。その記事を読むはこちら→毎日新聞2020年1月27日 - 20200203190143.pdf

筆者の千束界隈散策の記事を読む①はこちら➡

https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2009/05/post-d2af.html

筆者の千束界隈散策の記事を読む②(続)を読むはこちら➡ https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2009/05/post-52f2.html

 

2019/12/23

クロカル超人が行く 244 本郷 根津 谷中 千駄木 日本橋 秋葉原

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アメリカはアトランタに住んでいる友人一家(奥さんと息子)が一時帰国。一日筆者の案内で下町散策をした。総歩数、25000歩。下記は所々で撮影した写真。


【写真説明】

❶東大赤門前で記念撮影。このあと構内のショップへ。東大が独自に開発したアミノ酸もの。日本酒、ボールペンなど文具類、ネクタイまで揃えた東大グッズが所狭しと置いてある。❷金魚坂。創業350年、カフェも兼ねた錦鯉の卸問屋。開店前、いけすの金魚見て終わりに。❸金魚坂の幟。❹金魚坂外観。名物黒カレーは案内板で。❺『たけくらべ』や『にごりえ』などで有名な明治時代の作家・歌人樋口一葉が貧乏時代に通った旧伊勢屋質店。今は跡見学園の持ち物。❻菊坂下道沿いに住んでいた樋口一葉も使ったという井戸ポンプ。❼梨の木坂にある明治30年代に建てられた旅館鳳明館。アトランタ一家は興味津々。次はここに泊まるのかしら。❽弥生美術館・竹久夢二美術館。この日は雑誌『なかよし』の原画展開催で女性陣多数来館。夢二のメランコリックな世界に魅了される。“かわいい”の先駆者。着物姿の女性の顔の形、目、口の描き方が独特。その色使い、造形美。アトランタの主がこれ何と読むんだっけと説明文の“寡黙”を指した。カモク、silenceと思わず言い換えみたいに応えた筆者だったが、すかさず、not talk very muchだと主が呟いた。流石、アメリカ生活が長いだけある。❾高級魚や松本で北海道のもことこ産の蜆(150g、900円)を購入(夜、試食したが大きくてやわらか、美味)。狭い店内に高級食材がコンパクトに並ぶ。このマグロは美味しいよと店主。小さなマグロが2000円!❿SWEDEN GRACE店内。スウェーデン製の鍋敷きを購入。⓫猫好きの女優の川上麻衣子さん(本人に許可をいただいて撮影)は猫町にお店を。⓬川上麻衣子さんの北欧グッズの店外観。⓭千駄木の中華料理店『天外天』でランチ。ここは地下鉄千駄木駅すぐ近くにあった時から何回か訪ねている。特に麻婆豆腐とザーサイが美味。遅いランチ後日本橋へ。コレド室町テラス2階『誠品生活』のカフェコーナーのタピオカミルクティー。ウーム、これがタピオカ?? 雑貨を見たあと書店(有隣堂)を一巡。ジャンルで区切られた本や雑誌が並んでいて見やすいが客入りがイマイチ。⓮鉄板200℃秋葉原店のコースメニュー。


トウキョウに
師走姿の
エトランジェ


はにかみ屋
日本語届かず
冬明かり


老夫婦
冬空あおぎ
一安堵


【追記】本郷界隈の樋口一葉旧居跡、谷中コジャレ界隈で浴用束子を購入し、となりの『Bangobooks』で草野心平の本をゲット。


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2019/07/29

クロカル超人が行く 237 2019年盛夏 江ノ島海岸

小さな台風、お騒がせを残し立ち去ったはいいが、平日の江ノ島海岸は静かそのもの。sampo方々ふらりと出かけた割には拍子抜けした。ただ暑さだけが堪えて――。今の若者はあまり海水浴に行きたがらないと聞くが・・・。そんな中、中国語はここでも健在だった。これって珍風景?

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暑中お海舞申し上げます

砂の暑さ半端ないねと海の方

静けさや夏置き去りのスベる海


ああ 江ノ島
真夜中の
おでんセンター


火照る

       白昼夢


2019/07/01

クロカル超人が行く 219 【北欧最新情報】北欧フィンランド・ヘルシンキ&スウェーデン・ストックホルムとウプサラの旅 14 憧れのスウェーデン・ストックホルムバス遊覧

スウェーデンは他の北欧諸国、特にアイスランドやノルウェーとともにいつかは行ってみたい国だった。約30年前にニューヨークのケネディ空港で見た鷲の翼をもつコンコルドの飛び立つ勇姿を近くで見たとき、これでニューヨークから北欧に一気に飛び立てると真剣に考えた。しかし、今はそのコンコルドはない。それ以来北欧特にスウェーデン行き決行は延びに延びてやっと今回実現の運びに。
それは空路ではなく航路の終着点ストックホルムから始まった。シリアライン ターミナル内で現地ガイドと合流してバスに乗り込んだ。北欧図書館視察団のスウェーデン最初の図書館研修は、ストックホルム市立図書館だ。約束の見学時間にはまだ早いこともあって、少しの間バスでの市内遊覧となった。ストックホルムの東端Värthamnenバットハムン港シリアターミナルからバスはゆっくりと窓外を眺められるようにスピードを落として走行。まず現地ガイドさんが案内したのは、ヤーデットの芝で覆われた小高い丘、元は軍の練習場だったところ、次にスウェーデンテレビやラジオ放送局。実は筆者が常に現地語の生きた言語を身につけたいと考えてスウェーデン語放送をネットで聴いているのだ。その放送局を案内されたのだ。感激!ここで放送しているんだ、最新のニュースや天気報それに身近な話題を英米ほかのポップミュージックを挟んでネット配信している。1、2カ月前だったか、Kポップって、なにと質問していたアナウンサーがいたが)。最近のネットだと音声だけではなく、写真付きの記事がリアルに見れるから今は便利な時代である。ドュールゴーデン地区に入ると人気のスウェーデンが生んだ4人組ポップグループ、アバ(1970年代、「ダンシング クィーン」が代表ヒット曲)の博物館、ヴァーサ博物館、途中世界最古の野外博物館スカンセン(古き良き時代のスウェーデンが見学できる。本ではよく知っていた)の一角では、日本人たちによる撮影が行われている現場に遭遇した。来年のNHK大河ドラマ「いだてん―東京オリンピック噺 オリンピックに初参加 金栗四三」のストックホルムロケと判明。主役の中村勘九郎も来ていた。来年5月頃放送予定とか。
バスはトラムなどとすれ違いながら王立劇場などのある高級住宅街(住宅は今は供給不足、分譲と賃貸の割合は6対4だそうだ)や湖岸通りを抜け、王宮や大聖堂があるガムラスタン(12、3世紀~17世紀の建物で国の重要文化財に指定されている旧市街)からセーデルマルム地区のスルッセン方面へ。メーラレン湖とバルト海の水面を調節する水門(スルッセン)は、今150年に一度の改修工事中で大型の重機が何台も動いていた。2020年に完成予定らしい。先ほど通った湖岸通りに『ユニクロ』が明日北欧初の出店で開店準備中。店の前には大きな赤いユニクロの文字が踊っていたばかりでなく、トラムやバスにも派手な宣伝を繰り広げていた。スウェーデンのファストファッション『H&M』に向かい撃つビジネス展開になりそうだ。日本のアパレル企業がデザインの優れた北欧の地で認知されるか。
バスはさらにメーラレン湖河畔の橋を渡ってしばらく走り小高い丘で少しの間停止した。そこはストックホルムの王宮など有名な歴史的な建造物が一望できるまさしく絶景で撮影スポットになっている。なるほど北の水の都ベニスという意味がここに来て初めてわかる。14の島々からなるストックホルムは水の都で島を繋ぐフェリーが頻繁に出ている。ニューヨークのブルックリン橋の撮影スポットから眺めるマンハッタン島とはまた違った趣である。筆者流の新たな絵葉書が出来た格好だ。(2018.9.9 記)

【追記 】たまたまかは知らないが(そんなことばのニュアンスだったか)、シリア ラインの船着き場から次の訪問館のストックホルム市立図書館へ行くにはまだ時間がたっぷりあったので、バスガイド付きのバスでの市内観光となった。改めて旅行会社が作成した大まかなスケジュールを確認したがそこには市内観光とは書いてなかった。

バスの中から撮影したストックホルム市内をビデオで観るはこちら→
【ストックホルム市内観光①】https://youtu.be/dzR6xuEITHw
【ストックホルム市内観光②】https://youtu.be/rux7CFzUsQE
【ストックホルム市内観光③】https://youtu.be/vYzV31a5cZc
【ストックホルム市内観光④】https://youtu.be/mNP4NfQPaDw

2019/05/03

クロカル超人が行く 234 江ノ島 2019年(令和元年)春

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江ノ島は令和にはしゃぐ親子連れ

急坂の道急ぐも数珠続き

つねるダンナ若妻の尻見え隠れ

テラス脇若き女の白き尻

相模湾北斎の浪浴びる昼

 

 

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