日記・コラム・つぶやき

2020/06/15

ポストコロナに想うこと 2

2020年6月11日付毎日新聞夕刊に「コロナ断想 下 民主主義の限界 露呈」と題した加藤尚武(京大名誉教授・倫理学)氏の寄稿を読んだ。この執筆者の名前はよく見かけているが、はて、どこだろうと頭を巡らせていたら、『図書』の出版広告のなかにその名前を見つけた。加藤尚武著作集だ。ヘーゲルについての著作があるようだ。その毎日新聞の記事に興味深いところがあったので少し長いが引用してみたい。

官僚や政治家に関して、男女平等がもっと進んだ方がいいという考え方が認められているが、それ以上に、文理平等が推し進められるべきではないだろうか。知識をもつ専門家を官僚組織の中に隠しておいて、国会では隠れた筆者の紙きれを大臣が読み上げるという「民主主義ごっこ」ではなくて、どうして人の接触を8割減らさなくてはならないのか、その理由を直接に理系の専門家が提案し、審議して、そこに国民の声を反映させるようにしてもらいたい。どうしたら「民主主義ごっこ」をやめることができるのか。コロナ問題が残した課題のなかの一つだと思う。

寄稿の前編「『コロナ断想 上 情報の直接性』の喪失」の中で、国会審議について加藤尚武氏はこう書く。

国会の審議は、紙きれを読み上げる大臣の姿で埋め尽くされている。大臣のためにその紙きれに答弁の文字を書いた人は、別の文字を見て書いた。情報の直接性、「ざらざらした大地」(ヴィトゲンシュタイン)がどこにもなくなった。情報として与えられた数字が、作為的にゆがめられたものではないという保証がないと、人類は生き延びる機会を失いかねない。
国会の審議の不思議な光景に一矢を放った格好だ。レベル、ラベルの問題で、反知性主義では国民を束ねていけない。やはり政治家には高い次元の知性が求められて然るべきだが。森友、加計、桜見会、黒川問題と疑惑のオンパレードで、コロナでも転んだ。政権末期のレイムダック状態か。

2020/06/14

ポストコロナに想うこと

久し振りにコラムの執筆だ。ここ3週間ばかりある書評執筆に夢中でそちらにエネルギーを取られてしまったのだ。やっと書き終えたが、その間世間はコロナ禍収束に向けてギアをチェンジした。東京都は解除にステップ1~5までのステージを設けた。レインボーブリッジを緑や赤色に染めて現在の様子を示した(追記。昨夜湾岸線を車で通ったら左手に虹色に染まったレインボーブリッジを発見。ということは、アラートの赤もあったが一応新たな日常に戻ったということだ。6月13日記)。浪花の通天閣を真似て。解除が進んで再び巷に活気が戻った感じだ。東京駅地下からエスカレーターに乗ると、コロナ禍前、最中、コロナ禍後で人の流れが直に分かるのだが、これは朝の出勤の様子で、夜はまだ半開き状態だ。感染者が出ているからだが、経済を回わさないといけないからある許容範囲で行政の首長が判断して発信するのだ。やっかいと言えばやっかいだが、命と経済どちらが大事かは自明のことなのだから仕方あるまい。

2020/05/14

超人の面白読書 149 パウロ・ジョルダーノ著者『コロナの時代の僕ら』

「繁文縟礼(はんぶんじょくれい)」。筆者はこの見慣れない語句を毎日新聞「余録」で見つけ、やはりだれでも同じ感想を持つのかと今回の役所かけ込み騒動を思った。コロナで給付を受けるにしても政府や役所の書類の読解や手続きが煩雑しかもオンライン(特に慣れないと高齢者には操作がむずかしい)、公平性を保つためというが、このコラム余録子が書いている通り給付を受ける側はかなり厄介な手続きと向き合わなければならない。役所側に簡略化と分かりやすさが求められてもいい。 因みに、広辞苑にあたると、繁文縟礼は「規則・礼法などが、こまごまとしていて煩わしいこと。形式を重んじて、手続きなどが面倒なこと」とある。更に、ネットでも調べてみた。

アメリカの社会学者ロバート・キング・マートンが、官僚制の逆機能の一つとして指摘したもの。レッドテープ(red tape)ともいう。マックス・ウェ―バ―の話が出ていて興味深かった。繁文縟礼とは合理的管理様式である文書主義の逆機能である。会議の議事録、業務上の各種書類、指示・命令を伝達するためのなど、もともとは業務内容等を文書によって明示し、記録・保管することによって、業務の客観性を確保するための合理的な手続きである。これらは主業務を円滑に進めていく副業務だが、主業務化し膨大な量の文書を作成し、保管することが目的化してしまう。さらに些細なことにも書類の発行を要求されるようになり、業務の遂行の障害となっていく状況。(ウィキペディア「繁文縟礼」より)。

いつも思うのだが役所の煩雑さを少しは解決して、市民に寄り添う役所をめざしてもらいたい。ここまで今朝の毎日新聞「余録」に触発されて、筆者の体験も踏まえながら書いたみた。 さて、パウロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』の読後感だ。軽妙な文章の運びでとても詠みやすかった。その昔『限りなく透明に近いブルー』や『なんとなくクリスタル』それに『水駅』などが出たときの造本の手触りを久し振りに味わった。文章がそんなに長くなくくどくどしていないから余白の効果もある。この続きは次回に。

2020/05/09

アベ脳マスク

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製造元記載なしの怪しいアベ脳マスク
密の味がしない サイズもダウンサイズ
うわべの言葉だけがひとり歩き
妊婦用のマスクなどに不良品
発覚 回収
今や貴重品(笑)

どうなってんの
Japanese government !

今回の政府のマスク調達について毎日新聞電子版の記事→
https://mainichi.jp/articles/20200502/k00/00m/040/234000ck
【追記】昨日アベノマスクが自宅に届いた。(2020.6.6)

2020/05/08

超人のコロナ感・考 5

「超人のコロナ感・考 4」の続き。
佐藤氏はそのコラム「人類と疫病の闘い」でイスラエルの諜報機関モサド幹部の話が、「ポスト新型コロナ禍」の世界を考えるヒントになると書いている。ここで注目されるのは、コロナ禍では行動が制限されるのはどこの国とも変わらない。しかし、イスラエルでは新コロナウイルス感染者のスマートフォンにハッキングして行動を把握するという独特の防止策が取られていて、感染拡大の恐れがあると判断した場合、その人のスマホに警告を送るというもの。しかも議会の承認を得ず行われているという事実。筆者的にはここまで監視と追跡がなされては自由を脅かしかねない空恐ろしいことだ思うのだ。しかし、それはあのゲットーの教訓を活かす狙いがあるからだと書いている。極めて衛生状態が悪かったため発疹チフスが流行して多くの命を落としたからで、それは強い国家の意志の表れだと。もう一つと言ってイタリアの隣スイスの例を挙げている。新コロナウイルス感染で困っていたイタリアを助けなかった理由は、小国は他国の支援どころではない事情があった。自国を守ることが精いっぱいだったというのだ。

国家による個人の生活様式(フランスではコロナと共生することを選択、それを“ニューノーマル”と呼んで日常的な生活に取り入れていくという。2020年5月7日夜ニュース。)への介入や健康状態のモニタリングはある程度やむを得ないと認めつつ、いったん身体を含めた私的領域に国家を踏み込ませてしまうと、危機的状況が収束した後でも、そこから国家を退出させることは難しくなる。

大いに考えさせられる佐藤氏の言辞だ。同じようなことが5月3日の毎日新聞社説にも書かれていた。この日は憲法記念日の祭日である。「タイトルは新型コロナと憲法 民主主義を進化させよう」。緊急事態条項は一歩間違えば、基本的人権の尊重など憲法の大事な原則を毀損する「劇薬」ともなる、と述べ、危機が続いても、利己主義や差別する心にあらがいたいと書く。そして、自発的に他者を大切にし、民主主義を進化させていく必要性を説き、日本の民主主義社会の成熟、強さが問われていると締めくくっている。その前に民主主義社会では、民意がいったん形成されれば、人々が自ら協力する姿勢が生まれる。その方が持続性があり、警察力など使って強制するより高い効果が得られると主張。
ここが最も懸念されるところで、政府や都の自粛要請にもかかわらず開けていた店(死活問題で開けざるをえない状況に追い込まれているのだ)に誹謗中傷や差別的な貼紙をしていたところもあって、メディアで報道された。民主主義社会ではあってはならない行為だ。

超人のコロナ感・考 4

アメリカのポンペオ国務長官がコロナ発生源について中国武漢のウイルス研究所とその周辺が発生源である証拠を掴んでいると発表した。しかし、詳細は明らかにしていない。これに対して中国外務省は猛反発している。WHOは近々調査チームを中国に派遣するという(今朝のメディアのニュースから)。単なる都市伝説にさせないできちんとした綿密な調査に基づいた科学的かつ客観的な証拠を出してほしい。大統領選の外交政策の成果としたい思惑もちらつかしているか。
さて、佐藤優氏の「人類と疫病との闘い」の話の続き。後退する未来予測モデル(未来予測―─いつの時代もこういうのが流行る。それだけ人は不安持ち、安心感をどこかに持ちたい、いわば、拠り所をほしがる経済動物なのか)、強化される国家の機能(コロナ禍で見せつけられているのは、政治体制の違いで迅速化が効力を発揮した国とそうでない国、また、リーダーや医療体制・医療従事者の手腕が問われかねない事態も。命と経済、その瀬戸際――。過去の教訓を活かす手だてはあるが、実際は羅針盤のない航海を強いられている。この医療従事者(エッセンシャル ワーカー)にテラスからの感謝の拍手、ヴァイオリン演奏やダンス、動画などでエールを送る人たちがいることで和む一方、医療従事者を差別する、狭い視野の持ち主の人たちもいることも事実だ。そして、待たれるウイルスの治療薬が日本をはじめ世界各国で開発中だ。そんななか、一歩抜きん出てアメリカで発売されると昨夜報じられた。日本、中国、ロシア、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ベトナム、タイ、フィリピン、シンガポール、インド、イラン、イタリア、フランス、イギリス、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、オランダ、スウェーデン、アメリカ、ベネズエラ、ブラジルなど各国の取り組みを見よ。そこには様々な景色がみえるけれどまた、同じような見慣れた景色のあるのも事実。斬新なメディアの視点が欠如しているのかないのか。伝えるメディアの姿勢も問われているような感じを受ける)、現在に通じる「ペスト」(アルベール・カミュの小説やエッセイは学生時代にいくつか読んだが、なぜかペストは最初の何頁しか読んでいなかった。全集も持っていたが今は手元にない。で、新潮文庫版『ペスト』を買って読んでいる。今の恐ろしい“コロナの季節”を予告していたかのようだ)、世界と小見出しを拾った。

筆者の説明が少し長過ぎたようだ。先を急ごう。

ここで速報が――。外交評論家の岡本行夫氏がコロナ感染で死去していたことが伝えられた。日曜日のTBS朝の番組「サンデーモーニング」に時々ゲスト出演していた外交のプロで、かつて首相補佐官を努めていた人だ。アメリカ通で温和な語り口が印象的だった。合掌。

 

【追記】2日前に武漢の女性ウイルス研究員のインタビュー記事が載っていた。もはや情報戦の様相。中国とアメリカなどと。その記事を読むはこちら→https://www.asahi.com/articles/ASN5W75Q7N5WUHBI01H.html?iref=comtop_favorite_02

 

2020/04/06

超人のコロナ感・考

「自分はすでに感染しているが発症していないだけ、という意識でみんなが行動してほしい」というアメリカCNNテレビの医療チーフキャスターを務める医師の言葉を心療内科医海原純子氏が自分のコラム、毎日新聞日曜版「新・心のサプリ」で紹介。コロナに負けるな、コロナファイターも登場し、壇蜜ならぬ、「密閉」「密集」「密接」の3密を守れと要請する小池東京都知事。スローガンが好きな政治家か。今、急拡大の恐れがある新コロナウィルス感染者だが、次々と“新外来語゛、横文字生語”も登場して、こちらも混乱気味だ。なるべくこなれた日本語にして関係者は発表してほしいのだが・・・。なんだかねぇ。

ソーシャルディススタンス(social distacing)
オーバーシュート(overshut)
パンデミック(pandemic)
ロックダウン(rockdown)
クラスター(cluster)
エッセンシャル ワーカー(essential worker)
ニューノーマル(new normal)

2019/06/04

文芸評論家加藤典洋の死

筆者は、文芸評論芸評論家加藤典洋氏が5月16日に死去したことを偶然にも朝日新聞の日曜日の記事で知った。死因は肺炎、享年71歳。まだまだ長生きできる年齢だ。加藤典洋といえば、当時勤めていた明治学院大学国際学部のキャンパスの一角で何か考えている風でうつむいていた姿が忘れられない。かつては京大の農学部付近で梅原猛が何かに取り憑かれるたような姿を目撃している。何れも偶然通りかかっただけであるが。今筆者の机の上には読みかけの『戦後的思考』(講談社学芸文庫)がある。彼の叙述は一見理解しにくい文章構造を持っているが、この朝日新聞に寄稿した歴史学者與那覇潤氏が、一度身体を潜らせて言葉を紡ぎ出す独特の思考のスタイルと書いているが、いやに説得力がある。『現代詩手帖 』だったかに山形での講演記録を掲載したものを読んで大変印象深かった。国立国会図書館の職員時代にカナダへの留学時に好きで研究していた中原中也についての原稿などを消失してしまい、それ以後中也研究は諦めた、というような内容だったように記憶しているが、今となっては定かではない(この文庫本年譜で触れている!)。この人が詩に造詣が深く研究までしていたとは知らなかった。こちらが勉強不足だった。『アメリカの影』は確か今も筆者の本棚の隅にあるはずだ。吉本隆明といい、優れた文芸評論家が少なくなってまた一段と寂しくなる。誰かが書いていたが、今一番不人気なのが文芸評論のジャンルらしい。良き水先案内人はいつの時代でも必要なのだが。


この記事を書いてしばらく経つが、講談社学芸文庫に入ったのは比較的新しく2016年で約3年前、しかも若い世代の思想家東浩紀が解説を書いている。13頁に及ぶ詳細な文庫本の年譜を読んだ。解ったことがある。鶴見俊輔にぞっこんだったことだ。それともともと仏文出だが、必要あって英語を猛勉強したことで文学論、サブカルチャーを内外に広めたこと、その後世界のあちこちに行ってはレクチャーをし、更にはいろいろな国々に旅行もしていることがわかった。著者自身による年譜の後には自著が並ぶ。単行本はこの時点で46冊もある。毎日新聞、東京新聞などの加藤典洋の訃報記事もネットで読んだ。
今『アメリカの影』を家と会社で探しているがまだ見つからない。(その後灯台もとくらしとはこのことかと思わせることが。何と会社の書棚に収まっているのを発見したのだ。愚かである)

追記 書店で雑誌『群像』最新号を覗いていたら、表紙に些か小さめの活字で「加藤典洋追悼」と書いてあった。で、ページを捲って驚いた。たった二人しかも元同僚の短文のみ掲載である。扱いが酷いとはいわないが寂しい感じだ。(2019年6月17日 記)

追記2 毎日新聞読書欄(2019年6月16日朝刊)の「この3冊」は、西谷修・選 加藤典洋 ①戦後的思考 ②9条入門 ③君と世界の戦いでは、世界に支援せよだ。(2019年6月18日 記)

追記3 前後するが、毎日新聞6月6日夕刊特集ワイドでは、藤原章生記者の記事が掲載されている。友人の文芸評論家神山睦美氏のインタビューも混ぜて、タイトルは「自分は雑魚」ベースにだ。デンマークなどの留学日記を綴った『小さな天体』、加藤典洋の本音が出ている『人類が永遠に続かないとしたら』(2014年),も読んでみたい。ご子息が交通事故で亡くしたことが大分痛手であったようだ。(2019年6月21日 記)

追記4 ジャーナリストの古田大輔氏が、加藤典洋の『敗戦後論』に言及しつつ、戦後は今も終わっていないのではないだろうか。私たちはなおあの歴史を総括できていない、と書いていた。(2019年7月14付毎日新聞読書欄「昨日読んだ文庫」) (2019.7.15 記)

追記5 雑誌『ちくま』2019年8月号に追悼加藤典洋の記事。その記事を読むはこちら→

追悼加藤典洋の記事 - 20190819190412.pdf

追記6 朝日新聞2019年7月27日(土)の読書欄 ひもとく 加藤典洋の仕事の記事。その記事を読むはこちら→

朝日読書欄 ひもとく 加藤典洋の仕事 - 20190819190501.pdf

2017/10/13

遠い記憶 ある死その7 長男Y男の少し早すぎた死

栄枯盛衰世のならわしとは含蓄に富んだ言葉だ。一地方の小企業が昭和20年代後半でピークを迎えるとそれ以降は次第に地方に進出して来た大企業に駆逐されて行く。かつてのK家もその例に漏れなかった。日本国が大きく変化し高度成長を遂げ始まるきっかけをつくった昭和39年の東京オリンピック、その時期から遡ること4、5年前だったか。半商半農のK家は当時両親と男4人女2人の6人兄弟姉妹の家族構成で、生活は決して楽ではなく子どもたちは家業の手伝いを余儀なくされていた。春夏秋冬ほとんど休みのない子どもたちの家業の手伝いは、ある意味ではかけがいのない労働力を提供して家計を助けたはずだが、それでも家計は苦しく外に働きに出ざる得ない状況もあったのだ。遠い記憶はその家族の犠牲者となった一人の人物を否応なしに引き出す。シリアス映画のワンシーンそのもの。その人物こそ3日前に急死した長男Y男である。
ある夜のこと、珍しくK家では深刻な家族会議が玄関を入ってすぐの六畳の居間で行われた。子どもたちの前で父が家業の窮状を告げ、それに対して二言三言言ってすすり泣く母がいた。奥の納戸の前に座っていた長男に父がT屋に働きに出てくれと告げた。それが長男Y男とっての出稼ぎの始まりだった。要は長男故稼ぎの糧にされたのである。
家業がうまく行っている間長男長女は大事に扱われたが、せいぜい7、8才止まりだった。長女N子ともどものんびりした性格で育ちの良さも伺えるほどだ。その頃K家の洒落た薄黄色の小さな工場の裏には何本もの無花果の木と桐木があって、小学生だった丸坊主で制服を着た長男Y男がその無花果の木に登っておどけて見せた。無花果の木の下には笊に一杯の取り立ての無花果があった。弟たちに自慢したかったのかもー。それは家族の古いアルバムの一ページにモノクロの写真で収められていたが、はて、古い家が放火で焼失(そう、K男は実家が焼失し新築した時期は、青春時代のど真ん中でアルバイト三昧の日々。正直言って経済的にも全く余裕がなかった。だから実家の放火→新築の過程は分からず。しかし、家計を支えていたのは長男Y男夫婦だったのである)してからは、今実家を継いでいる末弟M男が持っているのか定かではない。かつてK家で働いていたH女史が撮ったものか、今となってはそれこそ遠い消えかえそうな記憶だ。そういう楽しい日々もあったのだ。それから何年か経って家業が傾き、前に書いたように長男の出稼ぎが始まったのである。
Here's an eldest brother in family history.
記憶はさらに違った局面も抉り出す。こんなこともあった。一つは何かの調子で父の逆鱗に触れ、長男Y男が当時家業で使っていた大きな冷蔵庫に小一時間閉じ込められたこと、また、地元の夕刊紙にも写真入りで掲載された台風余波中洲置き去り事件は、小さな集落の大事件で今もって語り草となっている。長男Y男の母が亡くなったあとすぐ彼の家に焼香に来てくれた友人の一人に、彼の叔父がその当時のことを尋ねていたので、やはり伝説化していて関係者の脳裏に焼き付いていたのだ。夏のある日、台風が近づいているにも拘わらず近所の同級生何人かとN川で水遊びをしている最中に、台風の影響で急にN川の水かさが増して流され、中洲に漂着したものの引き返しができず置き去りにされてしまった。通報を受けた消防隊員が助けに出て一命をとりとめたという、誠に人騒がせな出来事だった。それは今たがらこそ笑える話だが一歩間違えば命を落としかねない非常事態だ。幼少期の苦い思い出だろう。
長男Y男はその後仕事を替えてサラリーマンになった。ある時期から請われて叔母夫妻の青果店の店長として働き独立、すでに結婚していて夫婦ではじめた青果店だったが、Y男はその事業をU駅近くのショッピングセンターの中でしばらく続けたが、立地が悪いのか客足が今一でうまくいかなかった。それと自分たちではじめた青果店だが以前に働いていた青果会社の叔母たちが役員に入り、まだ事業が利益を十分に出させずにいる段階でそれなりの報酬を払っていたことも経営を圧迫していたのかも知れない。これはK男が長男Y男から実際に聞いた話で、今だから書けるが、叔母にはこの役員報酬の話は内緒にと口止めされていたのだ。長男Y男にも遠慮があったのだ。そこはビジネスと割り切って事業が軌道に乗るまで凍結してもらっても良さそうに思うが、見栄というか独立するときの条件か何か柵があったのか、門外漢のK男には分からないままだ。それはどうだろう、K男が想像するにビジネスの基本で最も重要なことだが、計画的な事業遂行が見通せなければ撤退も仕方なしの大原則の決断を踏襲することなのだが、これができなくずるずるとさらなる悪化を招いてしまったのだと想像する。経営悪化の泥沼化だ。確かにどのタイミングで決断を下すかがなかなか難しいことなのだが。会社経営している人たちが攻めの営業展開するより守りを固めることがもっと難しいかよく知っていると思うのだ。長男Y男はこのビジネスの総合的判断からして見通しの甘さを露呈した形だ。時すでに遅しー。生前Y男の叔母がどういうつもりで言ったか知らないが、K男に「Y店長は計画性がないね」と言っていたことを思い出す。若い頃から一家の長として自分のやりたいことがままならないジレンマと闘ううちに(それは経済的な理由で満足に上級学校に進学できなかった無念さもあったことは容易に想像がつく)、自然と「仕方がない、今日を生きさえすればいい」という刹那的な見方や諦観や無常観が芽生えていたのだろう。さらに長男Y男が母から子どもが授からないことを咎めらたとK男に話していたこともあった。そのことも長男Y男の諦観や無常観を助長したものと思われるのだ。優しい繊細な男の心情を慮る配慮がK家には不足していたのかも知れない。今でいう家族のコミュニケーション力が足りなかったのだ。家父長制が多分に残っていて長男長女の両親にもそれなりの重荷に耐えた歴史があったからこそ、母の言葉も自然と出てきたことなのかも知れない。跡継ぎ問題はどこの家庭でも重要なテーマだ。K男が思うに、そこには母の表面的な取り繕った構えた仕草ではない、もう一つの子どもに対する深い愛情に支えられた仕草があってしかるべきだった。母にその感情があったなら長男K男のその後の生き方も柔らかな肯定的な人生を歩んだはずだ。かつて帰省したときなど送迎の車の中で、家督を譲ってもいいと言っていたのを思い出す。それは諸事情が重なって嫌になっていた時期だったかも知れない。これも遠い記憶、消えかけた記憶の一つだ。そして長男Y男は青果店つながりで運送屋に。それから細君と惣菜店を営み、その商売が上向き出した時期に病に倒れた。心身ともどもボロボロだったかも知れない。70才の生涯だった。少し早すぎた死だ。せめて人生の帳尻が合う時期まで生きて欲しかった。あと10年はー。さぞ無念さが残る一生だったとは本人が一番知っていたかも知れない。酒、タバコそして競輪のギャンブルもやった。あまりにもあまりにも人間的であった。波乱万丈ともいえる長男Y男に長年連れ添った細君T女史には大感謝だろう。苦労が絶えなかったはずだが明るく振る舞ってくれた。
K男は小さいときから長男N男とは何となく少し距離をおいていた。とことん話し合ったことは一度もなかった。多分相互に干渉されたくない関係を保ちたかったのだろう。しかし、彼の人生を他山の石としたい。そして、作家梅崎春生の言葉を贈ろう。「人生 幻化(げんけ)に似たり」。ありがとう。Y男兄さん。さようなら。安らかにお休みください。合掌。
(2017年10月9日 記 10月10日修正)

2017/03/28

超人の生真面目半分転生人語 12 公衆トイレ考

トイレ(便所)の話は古来様々なエピソードが語られ書かれているが、筆者が最近読んだ最たるものが文豪谷崎潤一郎が昭和初期に書いたエッセイ、『陰翳礼讚』のなかの厠についての考察だ。これはいちいち説明するほどでもあるまい。文庫本で読めるのでぜひ手にとって読んでほしい。ともかく彼なりの美学があり、含蓄があってオモロイ。昭和初期の、関西のトイレ事情がリアリスティックで、特に奈良に行ってトイレに入った話は秀逸である。
さて、前置きはこのくらいにして本題に入ろう。
いつもより比較的早く目が覚めたせいかー午前5時半過ぎかなー体調がイマイチで、肩が凝ったりして動きが鈍く、ひょっとしたら血圧が上がっているのかなと疑心暗鬼になりながら仕事で電車に乗ったり歩いたりしていた。そしてT駅北口で下車、小さい方の用を足すためトイレに入った。すると、 一面が水浸し状態なのだ。「何だろう、掃除したばかりなのかしら」と足元を注意して用足し状態に入った。そのとき掃除のおばさんが入ってきて、「何を、この水浸し状態は」とぶつぶつ言って不思議がっていた。筆者が「おばさんが掃除したんじゃないの」と言ったら、「いや、今から掃除するところなの」とおばさん、困った様子。「えっ、そうなの」と筆者。「それじゃ、一体どうなってるの」と筆者が呟き、辺りを見渡した。すると、左端の大きい方使用の洋式トイレの便器が異常をきたしているではないか、しかも汚物が浮かび水が満タン、すでに溢れ出した状態なのだ。少し距離があったから臭いはそれほどでもない。恐らくは何らかの原因でトイレが詰まり、便器から水が流れてトイレの床を水浸しにしたのだ。ということは、水浸しになったところには汚染されたものが混じっていたことになりはしないか。あぁ、汚い。しまった!それにしても大きい方の用を足した人は酷い、自分の始末もできず垂れ流しとはー。やりきれない気持ちだ。公衆トイレの最低限のマナーは遵守してもらいたいものだ。掃除のおばさんが可哀想。見てしまったことの強い憤り、残像が瞼に残った。次に入ったY駅東口出口を過ぎた地下街端のトイレの清潔なこと、先ほどのトイレとは段違いだった。気持ちが晴れ晴れしたことは言うまでもない。世界一清潔な都市は東京だと1週間ほど前にテレビのニュースでランキングを伝えていたが、まだまだの感を強くした。よく利用するT駅もリニューアルしたにもかかわらず、公衆トイレのマナーが悪いのか相変わらず汚い。定期的に清掃しているはずなのに。特に夕方から遅い時間が酷い。皆が利用するトイレだからマナーを守ってきれいに使いたいもの。家人曰く、駅の女子トイレも汚くて入りたくないっー。
これはスカトロジー(糞尿趣味)の話ではないのだ。


追記  今朝のネットには常磐線の電車の中で長椅子めがけて立ち小便をしている輩が映し出されていた。夜遅くのここの車両は人がいなかったようだが、とんでもない勘違いである。別に酒に酔っていたわけでもないらしく、次の駅辺りで下車していったという。全く呆れてしまう。恐らくこの車両は即取り換えものだろう。JRの方もこんな乗客がいて大迷惑に違いない(2017年4月27日 記)。

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