スポーツ

2020/01/25

超人の面白スポーツ 春の選抜高校野球で磐城高校が46年振りに出場

去年の10月、台風19号で多大な水害にあったいわき市特に平窪・赤井地区。その平窪地区の下平窪から徒歩20分、高台にある福島県立磐城高校(文武両道の進学校。今は男女共学)が、毎日新聞主催の第92回春の選抜高校野球大会の21世紀枠で46年振りに出場を果たした。いわき地方は9年前の東日本大震災・福島第一原発事故、その後の放射能による海水汚染や風評被害が続き、また、絶えず地震も多発する地域でも有名で、今回の磐城高校の甲子園出場は地域活性化、元気づけに多大な貢献をするはず。思えば1971年夏の第53回大会、小さな大投手田村投手の力投であっという間に決勝まで勝ち進んだが、惜しくも決勝で桐蔭学園に負けて準優勝。甲子園に爽やかなコバルトブルーの旋風を巻き起こしたのだ。46年後、今度はどういうコバルトブルーが見られるか今から楽しみである。

磐城高校野球部の朝日新聞の記事を読むはこちら⇒

2018年4月24日 ありがとう 夏100回これからも ちびっ子軍団 無限大.pdf


オ一エンカ


フレー フレー バ・ン・コー
フレー フレー イ・ワ・キ

フレフレ バンコー
フレフレ イワキ

陽はまたノボレ
明るく
さわかに

フレー フレー ブルー
フレー フレー ブルー

フレフレ ブル
フレフレ ブル

【追記】昨日のニュースは多少ショック。春の選抜高校野球大会が新コロナウィルス感染拡大のため中止となった。これで21世紀枠で46年ぶりの出場予定だった磐城高校の甲子園での試合は幻に終わった。(2020.3.12 記)

【追記2】いわきで新コロナウィルス感染者が出た。クルーズ船に乗船した人みたい。『福島民報』3月6日より。(2020.3.13 記)

【追記3】サンデーモーニングの名物スポーツコーナーで、磐城高校の木村監督がグランドで最後のノックをしているシーンが流れた。監督は異動で他所の高校へ。コロナ感染拡大問題で春の甲子園口開催が中止になり、残念ながら磐城高校ナインは出場を果たせなかった。この日の放送は、アッパレ、カツのジャッジはなく、あったのは張本勲氏の「胸が痛みます」という一言。しかし、広島県のことは詳しいのに福島県となると地理すら危ぶまれるほど疎いのだ。隣席のフリーアナウンサーの唐橋さんに確かめていたが、流石に大人、彼女は穏やかに対応していた。

峰は秀つ 赤井嶽
水は清し 夏井川
磐陽の学び舎に
ああ楽し 我等ともがら

この歌は近いうちに聞けるか。

本当にノックしていたグランドをテレビで観たとき、セピア色の青春の光景が浮かんだ。マラソンとサッカーはきつかったが、放課後の卓球は楽しかった。筆者は、残念ながら野球少年ではなかった。
(2020.4,7 記)

2016/08/09

超人の面白テレビ観賞 リオオリンピック 2016 日本の体操、団体戦で見事金メダル

リオオリンピックが始まって4日目、南米初の大会で日本選手の活躍に一喜一憂しているが、競泳、重量上げで金と銅を獲得してさらにこの先の競技に弾みをつけたいところで、今朝のニュースが飛び込んできた。体操の内村航平選手率いるチームジャパンが3大会振りの金を獲得したのだ。彼らの願いだった団体で金を、が実現したのだ。テレビでみる彼らの表情には達成感がみなぎっていてその笑顔の素晴らしかったこと。内村選手は予選の鉄棒でまさかの落下、それを押しきっての難易度をこなす見事なパフォーマンス、白井選手の天才的なひねりの入った前人未到の高度で芸術的な業は神業としか言うようがないほど、その他の選手にも多少失敗はあったものの、気合充分で大舞台で達成する意気込みと内村選手の言った“神憑り的な”目に見えない力が加わり、見事なパフォーマンスを完成させた。体操のチームジャパンは新たな歴史をつくったのだ。競技終了後のインタビューで皆さん、異口同音に金メダルの重みを感じていたことが印象的。偉業を達成するのがいかに大変だったかかみしめていたのかも。優勝した内村航平、山室光史、田中祐典、加藤凌平、白井健三の選手にCongratulations !😃✌スポーツ選手の見事な心技体に拍手!

追記  リオオリンピックは日本選手の予想以上の活躍で(和・輪になった形で)21日に閉幕した。日本は金12、銀8、銅21を獲得して、前回のロンドンオリンピックより上回り、次回の東京オリンピック向け弾みをつけたようだ。
競泳、体操、柔道、テニス、卓球、バドミントン、レスリングなどの活躍が目立ったが、何といっても陸上競技の男子400メートルメドレーで3位銅メダルを獲得したことだ。これは画期的だろう。ところで、選手の報償金は金メダルが500万円、銀メダルが200万円、銅メダルが100万円とか。(2016.8.23 記)

追記2  男子卓球団体戦の決勝で破れたものの、中国のエースの選手を破ったことで一躍時の人になった水谷隼、その彼が今やノーパン男子とテレビ等で話題をさらっている。そもそもリオオリンピックの個人戦か団体戦の試合終了後にメディアのインタビューに答えて話したことだが、これが受けた。下ネタはすぐ多くの人に拡散するのだ。その余波があちこちのメディアに。確かに解放感もある・・・。(2016.9.6  記)

2016/05/12

超人の面白スポーツ 東京大学野球部投手 宮台康平

先週のこと、あるミニコミ誌に東大記録70年ぶりに更新、六大学野球で13奪三振 と書かれた見出しに目を奪われた。えっ、地元にこんな若者がいるんだと興味津々でその記事を読んだ。掲載されている写真も笑顔が似合う好青年。その記事によれば4月9日に行われた東京六大学野球春季リーグの早大戦で13奪三振を記録、1946年に山崎論選手が樹立した「1試合12奪三振」の東大記録を70年にぶりに更新したという。左腕からのストレートは最速145キロ、走り込みをするなどして足腰を鍛えてきたと。その3日後の先週日曜日、「サンデーモーニング」のスポーツコーナーで宮台投手の東大が立大に勝ったと話題になった。敗けが普通の東大にいま異変が起きているのだ。これにはかつて「ニュース9」のキャスターを努めた東大野球部出身の大越氏も喜んでいるのでは。爽やかな宮台投手、いいね。このままさわやか旋風を吹かせて勝ち進んでほしい。
ところで、この記事を書いているのは通勤電車内。それにしても2日連続で朝の通勤帯での大幅な電車の遅れにはウンザリだ!
宮台投手、快速球でこの状況を打破願います!(笑)

2014/03/05

超人のジャーナリスト•アイ 56 ソチオリンピック 2014  here and there 3

今筆者の最大の関心事は、クリミヤ、ウクライナ、北朝鮮や中国の軍事的な動きにはもちろん目を離せないが、どういうわけか地球環境問題の方へ引き寄せられていて、1910年以来の大洪水が発生すると予測されている花の都パリのことだ。大洪水といえばノアの箱舟の話は余りにも有名。但し旧約聖書の話だが、この方舟が実在したとの考古学的な報告も…。
昨日フランス2テレビはセーヌ川の橋のたもとにある歴史的な銅像も埋まりそうな水位の高さを放映したり、地下鉄への浸水を防ぐための対策に乗り出したりとかなり本気モードだった。最悪の事態は避けたいところ、遠い日本から事態を見守りたい。今朝同じフランスのテレビではフランス南西部の海岸の高波の被害を伝えていた。防波堤の高さを越えて海岸沿いの家屋を襲っている(追記 2014年3月8日の放送では悪天候は回避された由)。
さて、その話は気になるがひとまずおいておこう。ここでどうしても書いておきたいソチオリンピックのhere and thereの続き。これからパラリンピックも開催されるソチだが、隣国の政情不安につけ込んでロシアの軍事介入もありえる状況下での開催だ。パラリンピック開催中は世界中の人々がわけ隔たりなく楽しく競技を競ってほしいものだ。それこそenjoyすることだろう。
さてさて、本題だ。読者諸氏はもちろんソチオリンピックでショートトラックスピードスケート、500メートル、1000メートル、5000メートルリレーで金メダル3個をゲットし大活躍したロシアのビクトル・アン(露: Виктор Ан、 韓国名: 안현수、アン・ヒョンス)選手のことを覚えているはず。
彼は2006年冬期オリンピックで金メダル3個を獲得した圧倒的な強さの持ち主で、皇帝と呼ばれていたが、2008年腰の痛みで苦しみ、2011年には韓国の代表選手から外された。韓国には兵役を免除された者は同じところに5年間専従しなければならない規則があるようだ。2011年11月、彼はロシアに帰化、その結果の今回の快挙。韓国のパク•クネ大統領は、派閥主義、足の引っ張りあい、審判の不正など構造的問題を糾弾したらしい。韓国のスポーツ界はここから教訓を引き出して大いに学んで欲しい。日本のスポーツ界も決して他人事ではないはず。

2014/02/25

超人のジャーナリスト・アイ 156 ソチオリンピック 2014 here and there 2

すでに報道されている美談。スピードスケート1000メートル競技のカナダ選手の話である。カナダ国内代表予選で転倒し補欠になったデニー・モリソン選手が、なんと銀メダルを獲得したのだ。どうしてって?それが泣かせる話なのだ。カナダのスピードスケート代表選手ギルモア・ジュニオがデニー•モリソンの実力を知っていて、やはりカナダにメダルをもたらすのは彼だと言って自分の代わりにデニー•モリソンに出場を依頼したのだ。しかも一本のメールでである。この譲り合いの精神、ご立派と手放しで喜びたいところだが、待てよ、強豪オランダ相手には勝てないと悟ったのか、あるいはビビったのかは知らないが、国を背負った大仕事、彼がここ一番に賭けたのは自分自身にではなく、ライバルデニーモリソン選手だった。モリソン選手は見事にその大役を果たして銀メダルを獲得したのだ。〈つづく〉

2014/02/24

超人のジャーナリスト・アイ 156 ソチオリンピック 2014 here and there

今朝早く17日間に及んだソチオリンピックが閉幕。大会中に政情不安が叫びれていた隣国ウクライナの首都キエフで反政府デモ隊と政府治安部隊の大激突で80数人もの死者を出し、選手にも競技に参加せず急遽帰国した人たちも。国を二分しかねない国家存亡の危機の事態だが、今朝になって親ロシア派の前政権は崩壊、親EU派の大統領が戻り選挙を実施するらしい。いち早い政情安定化を望むばかりだ。
さて、今回のオリンピックはロシアの避暑地ソチでテロ対策の大警備の中87ヶ国、7競技、98種目で行われた。結果金メダル上位3位はロシア、ノルウェー、カナダで総数249のメダル授与とか。日本は金メダル1個を含む合計8個をゲット。長野オリンピック以来のメダル獲得数だが、筆者的には10個以上欲しかった。高梨、上村、浅田、高橋選手他もメダル有力候補者だったが、オリンピックには魔物が住んでいるといわれているらしく、彼らの実力が思う存分に発揮されずに残念な結果となった。日の丸を背負いながらの競技、オリンピック独特の雰囲気にのまれプレッシャーに押し潰された感じだ。これは場を踏めば直るということでもないらしい。オリンピック出場7回目、最年長で銀メダルをゲットした葛西選手の例もあるのだ。要は競技には実力プラスアルファがあるということの証左かも。だから数々のドラマ、悲喜劇が生まれ、それが観ている者に新たな感動をもたらしレージェントを創るのだろう。
ところで、アルペンスキー滑走のスロヴェニアの金メダリスト、ティナ・マゼー選手をご存知だろうか。モデル、歌手のマルチ美人選手として話題をさらった女性だ。尚、スロヴェニア国について知りたい方は2006年6月18日のコラムを参照されたい。〈つづく〉

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2012/12/29

松井秀喜選手の現役引退会見

12月28日朝のニュースはどのテレビ局も一斉にニューヨークからの生中継を放送していた。大リーグのプレイヤー松井秀喜の現役引退会見だった。筆者などはとうとうその時が来たかと瞬時に思った。イチローのヤンキース電撃トレードもドラマチックだったが、松井選手の現役引退発表もそれに劣らずの感じ。日本とアメリカで20年、スラッガーも体力の衰えには叶わなかった。38才の現役引退は少し早いと誰もが思ったかも知れないが、両膝の故障などで以前の力を出し切れない不甲斐なさに自ら終止符を打ったとも言える。天才がバッターはその天分に努力を重ねることを忘れなかった。記者会見で現役野球選手生活では長嶋さんに素振り練習を教えられたことが一番印象に残っていると語った。もちろん長嶋さんもコメントを出している。松井選手には一流の選手に育ってもらいたいがために褒めることをしなかったらしいが、今回は違った、一流の選手だったと褒めた。松井選手も語っているように、長島さんには技術の指導ばかりではなく、その人柄にも触れたことだったようだ。だからヤンキースでの活躍でもゴジラはニューヨーカーに愛されたのだ。ニューヨークタイムズのスポーツ記者はヤンキースのピンストライプのユニフォームフォームを着た背番号55、Matsuiを忘れないと語った。筆者にしてもあくまでもファンを大事にするプロ選手、しかもその人柄がいいと思ったほど。少し不器用だがみんなから愛されたのだ。だから巨人上層部からコーチや監督になれる人と受け入れの用意があると言ってもらえるのだろう。
また、大物プロ野球選手が去った。今朝の朝刊を読んで珍しくある感慨に浸った。思い出すのは3年前のヤンキースタジアムでヒットを打った松井選手、筆者は内野中段でその光景を目にしたのだ。良い思いである。
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【写真 : 筆者撮影】

下記は『ニューヨークタイムズ』の松井選手引退の記事から。

December 27, 2012
Matsui, Star in Two Continents, Is Retiring
By KEN BELSON
Like the United States, Japan has its own baseball royalty, and the princes are high school players drafted by the Yomiuri Giants. Being chosen by the hallowed Giants — Japan’s equivalent of the Yankees, the Lakers and the Cowboys combined — does not guarantee success. But the princes who succeed on and off the field are all but certain to be anointed kings.
Some of Japan’s most beloved players include Shigeo Nagashima, Sadaharu Oh and Tatsunori Hara, who all starred for the Giants and later managed the team. Hara just guided the Giants to their 22nd championship, easily the most in Japanese baseball.
Hideki Matsui was destined to follow them. After a stellar high school career, Matsui was chosen by the Giants and made his debut in 1993 to much fanfare. His powerful bat earned him the nickname Godzilla, and he wore No. 55, a nod to Oh’s single-season home run record. Under intense scrutiny, he lived up to the billing, hitting 332 homers in 10 seasons. He led the Giants to three titles, including in 2002, when he was won the Most Valuable Player award.
It was his swan song in Japan. Matsui, the humble country boy who gave his all, who never raised a fuss and made grandmothers across the country proud, became a free agent and joined the Yankees the next year. Japan was torn. He was at the height of his powers, yet he headed to New York to play on baseball’s biggest stage.
“I tried to tell myself I needed to stay here for the prosperity of Japanese baseball,” he said in a nationally televised news conference a decade ago. But “I will do my best there so the fans will be glad I went.”
No doubt, Japanese fans were glad he went. Matsui hit a grand slam in his first game at Yankee Stadium, in 2003, and he helped the Yankees return to the World Series that year. He played in every game his first three seasons before injuries sidelined him. He finished with a bang, hitting three homers in the 2009 World Series, which the Yankees won; he was named the most valuable player.
Matsui played with the Angels, the Athletics and the Rays in the last three seasons, but he was a far smaller presence. On Thursday, he conceded to the inevitable when he announced his retirement in a room packed with Japanese reporters at a Midtown Manhattan hotel.
“I wanted to bat cleanup again, but the results weren’t there,” Matsui said in slow, quiet Japanese, his eyes seemingly welling up. “I thought it was time to stop.”
With characteristic understatement, Matsui said he had no regrets, only that he could not play better. He paid homage to Nagashima, his manager on the Giants, who told him that Joe DiMaggio had also played center field, where Matsui played in Tokyo. Ever polite, he refused to name a favorite teammate so as not to leave anyone out.
Derek Jeter was not as shy. “I’ve had a lot of teammates over the years with the Yankees, but I will always consider Hideki one of my favorites,” Jeter said in a statement. “Despite being shadowed by a large group of reporters, having the pressures of performing for his fans both in New York and Japan and becoming acclimated to the bright lights of New York City, he always remained focused and committed to his job and to those of us he shared the clubhouse with.”
Matsui declined to say what he planned to do next. But given his even temper and reputation, managing in Japan is a natural choice.
“I guess managing, he has the ability to do that,” said George Rose, who translated for Matsui when he came to America and is an adviser to the Yankees. “Younger players would really relate well to him.”
If Matsui had stayed with the Giants, he would have been groomed to take over as manager. But his departure for America irked the Giants, who tried hard to keep him. Though Hideo Nomo, Ichiro Suzuki and many other Japanese moved to America before him, Matsui was the first star from the Giants to leave. His decision not to play for Japan in the World Baseball Classic also made waves.
The question may be irrelevant because Matsui appears comfortable living in the United States, said Robert Whiting, who has written extensively about Japanese baseball. Here, he can blend in and raise a family without being chased by ever-present reporters.
“Still, I somehow think that all would be forgiven if Matsui wanted to come back to Japan,” Whiting said. “Matsui has a lot of capital to spend in Japan.”

David Waldstein contributed reporting.

2012/08/23

超人の面白スポーツ観戦 番外編 たまたま出くわしたロンドンオリンピックのメダリストたちのパレード

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銀座の伊東屋に用事があって出かけたが、JR有楽町駅を降りて少し行くと不思議なことに気づいた。いつもより人通りが多く、大半は年配の人たちと子どもたちだ、今日は何かあるのかなといつもの光景をチラリと覗いていたら解った。20日は銀座でロンドンオリンピックのメダリストたちのパレードだ !! で、用事を済ませたあとに伊東屋の4階からガラス越しに撮った写真が上記。わずか5,6分の出来事―。すぐ隣ではばーばとちびっ子が写真を撮るのに夢中で落ち着きがなかった。また、インタビューを受けてテレビに出たとか、これで4回目だとか自慢げに二人で話していた。あまり聞きたくない会話だったが漏れ聞いてしまった。この辺はアップル、カルチェ、ダンヒルなど外国のブランドものが軒並み並んでいる。その中に挟まれたように洋服の青山があるのだ ! みなさん窓越しに“その瞬間”をこの目でみたいという人ばかり。集まった人の数は50万人だと。これにあやかって東京でのオリンピック再開催を盛り上げようとしている関係者もいるが、モッタイナイ、それよりもっとやるべきことがたくさんあるはずだ

2012/08/15

超人の面白スポーツテレビ観戦 ロンドンオリンピック雑感 ほんの少し最新情報を加えて 4

ロンドンオリンピックが終わった。そして眠れない夜も終わった。栄光をつかんだ選手、敗れて涙を飲んだ選手、歓喜と熱狂の二週間。その熱い戦いも数々の名場面を残して幕を閉じた。日本は金メダル獲得数では参加した204カ国・地域中10位タイ、メダル総数では6位だった。
大会予算が当初予定の4倍近い1.1兆円、イギリス経済が落ち込んでいる現在ではこの実際に掛かった経費の元取りの見通しも大変だろう。もちろんオリンピック施設利用もすでに考えているはず。テレビなどの放映権料がこの4年間で約3100億円の収入、入場料や関連グッズの売上等々これらはIOCの収入である(2012年8月14日付毎日新聞朝刊)。今後成熟都市での開催は経済成長と関連して考えなくてはならないことをこのロンドンオリンピックは示したと思う。
さて、オリンピックの経済効果はいくらかと、算盤を弾いている光景がすぐ目に浮かんでしまうが。
今回のロンドンオリンピックでは新しい社会現象が起きたことも特記に値する。ソーシャルメディアの出現がそれだ。ツィーターやフェスブックのつぶやきが世界を駆け巡ったのだ。人種差別的発言があってツィーターやフェイスブックを使って批判が忽ち広まったらしい。また、テレビ視聴率が上がったらしい。携帯電話やipadなどでもテレビが見られるからだが。何が災いするか分からない時代なのだー。
日本のメダルラッシュの背景には国のスボーツ政策があった。一時韓国勢などに押され気味の情けない成績を挽回すべく、それこそ世界に伍して行くための文科省の競技力向上戦略だった。過去最高の32億円をつけたナショナル競技向上プロジェクト、メダル獲得有望競技の13競技をマルチサポートしたのだ。都内には大型で科学的な国立スボーツセンター施設や合宿所があってアスリートたちはここでトレーニングを積んだのだ。体操や水泳しかり、フェンシングしかり。昨日の「報道ステーション」や今日の毎日新聞の社説が語る通りだろう。毎日新聞の社説は「女性スボーツ先進国」ならではの悩みもあると書いている。忘れがちで大事な点だ。筆者も知らなかったが「女性アスリートの三徴」がそれらしい。つまり体操や陸上長距離など体重制限がある競技で頻繁する「摂食障害、無月経、骨粗鬆症」だ。食事制限によって体重・体脂肪が減少すると排卵と女性ホルモンの分泌が止まり無月経に。栄養不足は骨密度の低下を引き起こす。メダルのため男子並みの練習に追い立てられる女子選手たちから目をそらすわけにはいかないとスポーツヘルスケアの必要性を説く社説。
戦い終えたアスリートたちの様々な声に注目だ。すでに読者諸氏はご存知のはずだろう。
イギリスの超有名な自転車競技の優勝選手は次のオリンピックには99%出ないと宣言(競輪など盛んな日本だが自転車競技は弱い?)ジャマイカのボルト選手は100mと200mで史上初の二連覇達成後、自ら伝説になったと言いつつ次のオリンピックは後輩が出現するかと微妙、オーストラリアの選手は重圧があってこそ勝利と強気な発言・・・・・・。
今日の朝日新聞「天声人語」(2012年8月14日電子版)にも書いてあったが、アーチェリーで銀メダリストの古川選手が、「肩に掛かっていたものが今、首に掛かっています」という名言やボクシング男子ミドル級金メダリストの村田選手の「金メダルが僕の価値じゃない。これからの人生が僕の価値になる」という言葉の重み、それらは成し遂げた者たちが知る金言なのだ。

ともかく熱い戦いは終わった。また、リオで会おうと誓い合いながら。日本の金メダルの目標は20(笑)。



2012/08/13

超人の面白スポーツテレビ観戦 ロンドンオリンピック雑感 ほんの少し最新情報を加えて 3

暑い日が続く日本だがイギリスでは熱い戦いも最終日。現在までの日本のメダル獲得数は金7、銀14、銅17の合計37個。柔道、重量挙げ、競泳、アーチェリー、体操、バトミントン、フェンシング、陸上、レスリング、卓球、サッカー、ボクシング、バレーボールで獲得。
金メダル獲得数は少ないものの、史上初のメダル獲得数。オリンピック前の目標は金15だった。最終日ボクシングで村田選手が48年ぶりの金、レスリングでも米満選手がこれまた24年ぶりの金獲得の快挙、あっぱれである。最後まで戦い抜いた選手たちに惜しみない拍手を送りたい。今回も数々の人間ドラマが生まれた。100mと200mを制したジャマイカのボルト選手は強かった。そして伝説に。男子サッカーはブラジルではなくメキシコが初優勝、男子マラソンはエチオピアやケニアではなく、ウガンダのキプロティク選手が優勝、日本の中本選手は6位入賞、女子バレーボールは28年ぶりの銅メダル獲得・・・・・。
日本国に限って言えば、”〜ぶり”(That's the first time in 〜)の表現がテレビや新聞記事に多く見られたが、何が何でも勝たなければという使命感と責任感が強く働いた結果、このような最良の成績をもたらしたと思うのだ。そう、気迫ー。しかし、女子バレーボールのようにipadによるデータバレーボールでの勝利も見逃せない。少し角度を変えて敗者のインタビューを試みたテレビの番組もあったが、いろんな予期しないアクシデント(体操、バトミントン、マラソン、陸上等々)、プレッシャー、驕りや油断それに何よりも本人の力不足が敗因など冷静な分析が必要だろう。それが次のオリンピックの勝者に繋がるはずと信じたい。
今回のロンドンオリンピックでは最初のところでも審判の誤審、試合会場での観客の少なさ等の問題が露呈、最後のところでは男子サッカー3位決定戦の日韓戦後の場内に「独島は韓国領土」というプラカードを掲げた問題も起きた。オリンピックには政治や宗教問題を持ち込まないというオリンピック憲章がある。それを無視した行動だ。また、ハンマー投げの室伏選手のIOC選手委員選挙での不祥事もー。
いずれにせよ、オリンピック精神を踏みにじる行為は慎まなければなるまい。

追記。ロンドンオリンピック閉会式を録画放送で観た。輝かしきブリティッシュ サウンドや演劇のパフォーマンスのオンパレード 、ビートルズのイマージンまで出てきた、これぞイギリスのプレザンス、華やかなこと。次のオリンピック開催地は4年後でブラジルのリオデジャネイロだ。南米で始めての開催国は移民とサンバの国である。どんなアスリートが出てくるのか楽しみだ。【写真はNHKBSより】

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