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2020/08/28

クロカル超人が行く 253 銀座アスターお茶の水賓館のアスター麺

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晩夏の空スカイツリーをズームイン 
御茶ノ水夏空は西日に染まり

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アスター麺熱さほどほど夏の夕暮れ

アベッチ逃げ出し投げ出し夏去りぬ

2020/08/26

ある死 その8 元同僚の早すぎた死

世の中尋常ではない。8月15日の終戦記念日は過ぎたが、未だに新たな目に見えない敵と戦っている。これが厄介なのだ。コロナ禍である。そんな中、亡くなった人も。一人は友人そしてもう一人は昔勤めていた会社の同僚で、二人とも60才代後半。少し早すぎた感は歪めない。急逝とはいえ何とも無情、人の死は突然やってくる。
前者はすでに別なところで書いたので後者のほうを少し書いてみたい。
H氏と最後にあったのはお互いの上司であったS氏のお別れの会のときで、奥さんと一緒だった。白髪が多かったのか茶髪に染めていた。こちらが挨拶をしたはずだが彼は気づかなかったのか無視した様子だった。それ以来だからもう16,7年が経つ。奥さんの死亡通知(6月24日逝去)の葉書には死因が書かれていなかったので推測するしかないが、以前からふくよかだったことは確か。もしかすると心臓病等生活習慣病関係かなと推測するのだが。ある会社に新卒第1号として入社、人懐っこく性格は忽ち社内でも人気者に。ただ甘え上手なところがある代わりに、それだけリアクションもあったはず。気配りのできる人でもあったが、認められないと拗ねることもあって少し子供っぽいところもあった。筆者は途中入社組なので、社歴は彼のほうが長い。筆者の入る前に第1時黄金時代があって、辞典・事典類が売れたらしく、彼はそのことを大いに自慢していた。六本木によく飲みに行ってもお金は云百万円貯まったと。その真意のほどは分からないが、大分譲歩して半分はあたっていると思いたい。お酒は好きで強かった。特に日本酒。会議が終わったあとは割勘で近くの飲み屋に繰り出したものだ。そうそう、よく飲んだ。あるときなど北海道出張前夜に飲んで店に飛行機のチケットを忘れて上司に連絡を取ると店から連絡があったと一安心も束の間、それからが大変で、翌朝上司に叱られ始末書を書くハメに。H氏に店事情を教えてもらうことだったがつい深酒になってしまったのだ。家人は身籠っていて実家に帰っていた。苦い記憶ー。また、あるときは同じ部の仲間と飲んでいて、店内の客と口論になり警察沙汰になったが、トイレに隠れて一難を逃れたことも。エピソードはいろいろと―。彼の家にお邪魔したときなど自慢げに見せてくれた“食料品の貯蔵庫“、今で言えば業務スーパーのミニチャー版だろうか。日本酒、ビールや肉類。いやはや、こういう家も存在するんだと驚いたものだ。彼に言わせれば、これは母親の趣味でしてと妙に照れ隠し。H氏は一人っ子だった。父親はアイデアも豊富で営業の達人と彼は父親を誉めることも忘れなかった。障子を背にして部屋の椅子に座っていた姿が目に浮かぶが威厳のある人だったと記憶する。
彼には人を惹きつける魅力があって得意先からモテてた。これは筆者としても羨ましかった。しかし、上司の方針の転換それに部署内に年配者が多くなり始めた頃からだんだんと社内での居場所がなくなっていったような気がする。この会社を辞めたあと新宿あたりの会社に勤めてしばらくしてそこも辞めた。2年ほど前に亡くなった彼と親しかったM氏からよく東京へ出て来てはとの誘いもあったと聞く。が、彼は地元に留まった。2,3年前いやそれ以前か、同じ市内のK氏の葬式に奥さんと一緒のところを見かけたとは元同僚M氏の話。そして、突然の訃報の葉書である。ああ、もったいない!S氏よ。天国でゆっくり休んで下さい。合掌。

2020/08/25

超人の面白ラーメン紀行 274 神田神保町『麺ダイニングととこ』

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かつて仙台駅から高速バスで寒江河→月山麓→鶴岡→酒田駅経由で東北公益文科大学に何度か仕事で行ったことがある。冬などは月山麓は凍てついて危ないが、その峠を越して日本海側に抜けるとまた、庄内平野の冬景色が旅情を誘う。鶴岡は単なる通過点だったが、ここには一度は訪ねてみたい超有名な中華そばやがある。『中華そば処 琴平荘』だ。わざわざ京都から麺を取り寄せているそうだ。まろやかな濃口系醤油とマッチングして絶品らしい。食べたことないので伝聞推定である(笑)。

さて、山形ラーメンが神保町にもある。しかもカレー店が何件か並ぶ駿河台下三角地帯の一角に。前から気になっていつかは入ってみたいと考えてもう随分経つ。入ろうかなと思いつつも、いつもカレーや行きである。今回炎天下のなか、勇気を出して入ってみた。
コロナ禍の中なので席はアクリル仕切り、カウンターはビニールで仕切られてまさに檻に入れられて食べる感じだが、所狭しとお酒などが置かれている。山形ラーメン、炙り鶏醤油ラーメンを頼んだ(980円)。しばらくして供されたラーメンは、黒っぽい。一啜りして麺の食感、スープの味が違うのだ。麺はさっぱりした中華麺でスープは多少甘ったるい濃口醤油だ。これが山形ラーメンの特徴なのか。そうそう、名物の冷やしラーメンもあった。強いて言えば、尾道ラーメンのスープに近い(こちらのほうが少し塩辛いか)。トッピングの炙り鶏の味は良い。あとは葱、海苔、メンマなどの常連が鎮座。全体的な味わいはまあまあといったところか。それにしても香辛料の臭いが鼻についた。薬膳系のメニューや麦ご飯おかわり自由と健康に気を配った店でもある。厨房は男性2名と女性1名の3名で切り盛りしている。12時半過ぎで客は5名。 

神田神保町『麺ダイニング ととこ』1.スープ★✩✩2.麺★✩✩3.トッピング★★4.接客・雰囲気★✩5 価格★✩
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2020/08/23

クロカル超人が行く 252 鎌倉文学館『井上ひさし展』

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快晴気温36℃のなか、コロナ感染を気にしながら鎌倉文学館に出向いた。プチ井上ひさし展を観るため。遠い昔、モラトリアムの時期にある書店で作家井上ひさしさんからの注文を受けて発注する係をしていたことがあった(その一つの成果が、『私家版 日本語文法』だったか)。懐かしい!井上ひさし展は、鎌倉時代の20年を中心にコンパクトにまとめている。市民運動や鎌倉の自然保護運動にも参画された記事なども各種生原稿と一緒に展示されていた。ロシア語通訳・翻訳・作家米原万里さんの妹ユリさんの企画らしい(帰り際井上ユリ編『井上ひさしベスト・エッセイ』や図録を購入した)。井上ひさし講演ビデオ『父と暮せば』(戯曲。広島原爆ストーリー)の話に聞き入ってしまった。ところどころ笑わせて、肝心なところはきちんと伝える、という話の心得も。 
下記は展示品のひとつをピックアップ。

文章講座資料「文章を書くときの心得」(仙台文学館蔵。井上ひさしはここの館長を務めた)
「一般論は絶対書くな。常に自分を語れ。だれにも書けないことを、だれにも分かるように」

文の基本形は次の3つしかない。

1、何がどうする(犬が歩く)
2、何がどんなだ(海は広い)
3、何がなんだ(彼は会社員だ)

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鎌倉文学館再訪で感じたこと。この館も年代物になってきているので建て替えたらどうか。外観はまだしも内側は歩くに忍びない。

【追記】没後10年の井上ひさし展が鎌倉文学館だけではなく、鎌倉に住む前20年間住んだ市川市でも開催中(市川市文学ミュージアム)でまた、10月には世田谷文学館でも開催される。いろいろな切り口で井上ひさしの人と作品に触れられることは井上ファンならず文学に関心のある人にとっても有益だ。筆者的には生前東京駅のホームで何回か紙袋を下げた晩年の井上ひさしさんを見かけたものだ。それと思い出した、井上ひさしさんの本の発注係をしたときに店主が六本木で井上作品を上演しているので行かないかと誘われたが遠慮したこと、これは今となっては悔いている。図々しくついていけば井上ひさしさんに会えた――。それと、もうひとつ思い出した、ある会社で紀伊國屋ホールでの対談を企画して、井上ひさしさんがゲスト出演されたのだが、このとき遅れてきて主催者側の一人として講演会が始められるかハラハラドキドキだった。しばらくして井上ひさしさんが人の中をかき分けてホールに入ってきたのを覚えている(彼は前の日遅くまで芝居の台本を書いていたとか)。確か400人くらいの聴衆が待っていたのだ。(2020.8.29 記)

2020/08/22

超人の面白ラーメン紀行 273 鎌倉由比ヶ浜 らーめん「HANABI」

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筆者は以前この辺に来たとき、クオリティーが高く、甲乙つけがたいラーメン店が2軒あって入るのに迷った。で、勘でチョイスしたラーメン店に入った。夕方一番に(実は到着したのが昼時間帯過ぎで出直したのだ!)。
今回はその時の“残念店”に炎天のなか訪ねた。この店の売りはと訊いたら、つけ麺(900円)との答え(もちろん定番のHANABI醤油ラーメンもある。現にソーシャルディスタンス中の、少し離れた隣席の女性が頼んでいた)。注文のラーメンが供されるまで冷えたビールで喉を潤した。ああ、美味い!ついでにつまみメンマも。ビールはエビスのグラスビール、ラーメンは太系か細系かチョイスでき太系を。待つこと10分、その間、一度途絶えつつあった客がボツリポツリと席を埋めて、食べ終えて帰る頃には待つ客まで出た。カップル、家族連れに混じって中年の女性もいた。神田の『勝本』よりスープは甘めだがビミョー。トッピングに一工夫が(写真参照)。チャーシューも柔らか、美味。暑いせいか厨房の二人の動きがイマイチにみえた。愛想といい、ラーメン作りといい・・・。
鎌倉由比ヶ浜らーめん『HANABI』1.スープ★★✩2.麺★★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★✩5.価格★✩
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クロカル超人が行く 箱根湯本駅『吉池旅館』再録

ある知り合いが夏休みに出かけたところ。ステーキが美味と晩夏の突然の便りに書いてあった。筆者は以前にアナウンサーの徳光和夫氏おすすめとあって日帰りコースで出かけてみた。それで知り合いに推薦したのだ。安近短のプチ旅行にはぴったりかも。その記事を読むはこちら→

https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2014/08/164-9348-2.html

2020/08/16

超人の面白読書 152 庄司俊作著『格差・貧困の社会史』4

さて、主題から少し離れてしまったので続きを急ごう。
興味をもった箇所はいくつかあるが、そのなかで挙げれば次のようなところだろうか。加太こうじの境遇、戦前の紡績工場で働く労働実態が分かる、高井としを『わたしの「女工哀史」』、山梨県、兵庫県、長野県の地主の収入規模を図から見た農村の格差、大田区の町工場と行員の話、大内力の戦時下農村ルポ、清沢洌の『暗黒日記』、大学大衆化と格差・貧困。今挙げた箇所はなかなか読ませて考えさせられる。筆者の実家も半農半商、暮らし向きは一時期良かったようだが、筆者は恩恵に授からず却って貧乏を強いられた口だ。時代は公務員やサラリーマンの時代で、都会の大資本が地方まで押し寄せ始めた時期、商売には浮き沈みがありリスクがありすぎた。兄弟が多かった分、農作業や商売では労働力として駆り出されたのだ。
それはさておき、本書の最後に著者が言う。「年齢差別、性差別、学校歴差別の雇用システムとは人びとにとって古い格差・貧困社会からの解放で、新たな「不平等と序列社会」の幕開け」だったと。 筆者も日本社会の雇用システムの有りようを懸念している一人だが、格差・貧困を生まない社会の変革を促す意識改革が一人ひとりに求められていると思うのだ。豊かになること、幸せに生きることとは、ただ単に経済性や利便性の追求だけではあるまい。平等で序列のない社会の中で、他人とのかかわりやつながりを大切に(ということは連帯意識を持つこと)生き生きと暮らせること、小さくとも社会貢献ができる自由・充実感を味わうことができる開かれた社会だ。自助、互助、共助、公助の精神をもって。
最後に印象深いところを書き記しておこう。格差・貧困問題を扱った本書は、筆者も何となく感じていた“社会の雰囲気”(序列と不平等など)を主に1920年~高度経済成長時代の50年間について歴史分析を行っているわけだが、図表や数字、当時の社会を鋭く描写した作家たちの著作、残された日記などを拾い上げて経済史家の眼で、“社会の雰囲気”を可視化し、問題を歴史的に分析してくれた。そうして浮かび上がってきた事実の具体例の一つが新潟県のある中学校卒業生の追跡調査の話だ(箕輪紀子『新潟発 団塊の世代史』越書房 1995年刊)。これは大変興味深い調査で当時の社会状況を反映している。新潟日報に連載された記事(「ひとものがたり―新潟市坂井輪中昭和37年卒」)を元に歴史家としての分析を施す。格差・貧困の具体例として。ある場所から散らばっていく様子が手に取るように分かるのだ。当時の社会状況がそうさせたのか、家の経済状況で学力があっても就職の道を選択せざるを得なかったのか、その他の選択はなかったのかと考えさせられる彼ら・彼女らのその後の歩みである。それは新潟県に止まらず、当時特に地方では同じような状況ではなかったか。身近な例として筆者の小学、中学時代には新潟の例よりはましだが、様相は大した違いはなかった。地方都市の郊外の農村地帯にある小学から町中の高台にある中学に入った時のクラスの何と都会的であったことか。親の職業が政治家、医者、上級公務員、教員、サラリーマン、自営業などそれこそバラエティに富んでいたし、その子弟たちの育ちの良さを見せつけられた思いだった。
歴史から何を学ぶか。本書で図表や日記を読み解くことの楽しさとその内容を知って考えさせられたことも多かった。と同時に、不条理なことがあることも。やはり社会変革、changeが必要なのだ。最後に気づいたことだが、本書には横文字が一つもない。珍しいことである。この一冊を読めば格差・貧困の歴史がわかる。ぜひ手に取って読んでほしい。

【追記】コロナ禍がもたらしたテレワークで働き方が変化し始めている。雇用形態も欧米型のジョブ雇用システムに替える動きが出てきたようだ。本書で著者が指摘していたことがひょんなことで現実味を帯び始めた。また、文中に引用された本2冊、堀内都喜子著『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(ポプラ新書)と高井としを著『わたしの「女工哀史」』)を買い込んで読んでいる。
庄司俊作著『格差・貧困の社会史』(〈エコーする知〉CPCリブレ No.13 A5判・179頁 定価:本体2000円+税ISBN978-4-908823-65-7 クロスカルチャー出版[http://crosscul.com ] 2020年7月20日刊 ) 興味ある方は下記のネットショップなどでで購入されたい。https://www.amazon.co.jp  https://www.kinokuniya.co.jp/


超人の面白読書 152 庄司俊作著『格差・貧困の社会史』3

第1章で戦前期企業に勤める職員(サラリーマン、社員)、職工、紡績女工の企業内の3つの階層があるのを述べ、「貧困」の今昔を語った後、戦前の格差・貧困を取り上げる。工場長、正社員、普通工、女工など11の地位を表から読み取ってその給料の格差を提示してみせる。この表でホワイトカラーとブルーカラーとの賃金格差が非常に大きいことや男女の賃金格差も非常に大きいことを解説する。この格差は、近世社会でも類似していたと歴史家磯田道史の『江戸の家計簿』から読み解く。町奉行(420万石、年収1億2,600万円)、与力(60~80万石。1,800万円~2,400万円)、同心(30俵。300万円)、町民(代表的な京都の材木商大村彦太郎、従業員200人。年商88億5,000万円。番頭約300万円、奉公人120~180万円)、職人・大工(稼働294日、794万円)農民(1町歩耕作で396万円)の年収を現在の貨幣価値に換算して当時の暮らし向きを浮き彫りにしている。因みに、将軍の年収は1兆3,890億円だという。江戸時代は身分制社会だったが、視点を替えて読み解けば改めて年収の格差が理解できるというものだ。それにしても武士の年収はすごい。その後は、昭和初年のサラリーマン、サラリーマンと学校歴社会、大企業専門経営者の学歴(図表1ー5)、サラリーマンの「費用対効果」、課長になるまでの期間と年収等(図表1ー6)、退職金の計算(図表1ー7)と分析が続く。月給100円(現在の貨幣価値で50万円)、年収1,200円(現在の600万円)がなければ普通の生活がむずかしかった時代、ごく限られた層(都市では相当の中産階級、農村ではそれなりの地主層の師弟)しか大学・高専クラスの高等教育は受けられなかった。戦前のサラリーマンの世界はまだ強固な身分社会だったといえると書く。
次に評論家加太こうじの経験、企業の身分秩序と職工差別、紡績女工はまさに「よそ者」、農民の貧困(講座派と労農派の論争、いわゆる日本資本主義論争にも触れて)、地主の収入規模(図表1ー8)、不利化する農業と続いて第1章が終わる。続いて第2章の戦争の時代、第3章の戦後民主主義と高度経済成長の時代と続いて「格差・貧困」論を展開していく。各章毎に〈はじめに〉と〈おわりに〉と論の展開の概略とまとめを分かりやすく手短に収めている。
筆者的には第3章、第2章を読んで、また、はじめから読み直して読解を深めたつもりだ。経済の専門用語もほんの少し入ってはいるものの、全体的には講演記録を元にしているので読みやすく分かりやすい。繰り返しがあったり、粘り強い文章も散見されるが、それは著者の執拗な論理的展開に伴う癖のようなものと思えばいい。
経済学は社会の変化を素材にして扱い、社会の真実を探求する学問だが、自然科学と違って一つの問いに対してこれだという答えが見いだしにくい。こういった基本的な観点から雇用システム、賃金、格差・貧困の歴史を見ていくと、社会体制がどういう状態であったかで変化、停滞があることも分かるし、俗にいう開かれた社会、今流にいえば、持続可能な社会の実現、弾力的な社会の実現には雇用、賃金、格差・貧困を解消する社会システムの抜本的な見直しや改革が必要で、変化に即した社会システムの構築がなされなければならない。著者が言うヨーロッパ型のジョブ型雇用システムの充実化は、教育制度の新たな改革が必要で資格が取得できるような職業訓練を受けられる高等教育機関が必要であろう。一部では実現しているが、制度としてまだ確立していない。これは〈1億総中流〉の崩壊した現在では慎重な制度設計が必要であろう。ややもすると平等な社会を疎外する人間をつくることにもなりかねないからだ。学力が劣るからといって区別されてはいけないのである。〈普通の生活〉ができてかつ社会に貢献できる仕事(職業)に就けることが大切なのだ。そのためには自立した人間として、自分の適正、能力(潜在的なものも含めて)、学力さらに経済力を総合して進路を決め教育を受けられることだ。また、事情があって離職せざるを得ない人たちにもきちんと職業訓練が受けられる機関の充実化が求められている。スキルアップすれば年齢を問わず再び仕事に就ける社会システムの構築である。

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本書は、序章 不平等と序列社会を越えて 第1章 サラリーマンの登場と新身分社会 第2章 戦争と格差・貧困 第3章 戦後民主主義と高度経済成長の格差・貧困の3つのパートからなる。著者は本書の冒頭で次のように書く。

「歴史の語り方はけっして一様ではありません。貧困の歴史に傾きがちだった労働史、農業史の豊穣な研究成果を踏まえ、今、新しい貧困史として格差と貧困の歴史が語られるべきです」

最初に雇用システムの定義から入り、日本の企業雇用形態の現状を述べて問題点を探る。日本の雇用システムは、欧米の仕事を割り振るジョブ型雇用と違って、会社に入ってから仕事が割り振られるメンバーシップ型雇用で、終身雇用と年功序列がその特徴である。メリットとして比較的安泰な会社人生が横たわっているが、また、長時間労働や過度の人事査定、ブラック企業、過労死などデメリットもある。さらに著者は、日本の雇用システムには年齢差別、性差別それに学校差別の3つがあると指摘する。特にバブル後の1990年代に派遣、パート、契約社員等の非正規雇用の増大が転換期と見ている。そして、日本社会は人の仕事や能力をまっとうに評価できない社会であり、その根本には企業の雇用がメンバーシップ型であることが理由としてあると指摘する。欧米型への接近は、人間の多面的な能力を発展させ、評価する社会(例えばドイツの資格社会)と教育(例えば実業教育の充実)を実現する可能性を秘めていると書く。人の能力をきちんと評価できない社会とその基礎にあるメンバーシップ型の問題を根底に添えて考えたいというのが著者の狙いだ。
以上、序章からいくつかを書き抜いて記した。

超人の面白読書 152 庄司俊作著『格差・貧困の社会史』

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本書は同志社大学人文科学研究所主催の講演記録『階級社会と格差・貧困』(人文研ブックレット No.58 2018年3月)をもとにまとめたもの。あとがき冒頭で著者は、「日本の社会のよくないところは何だと思うか」と問われると、「仕事上、人の能力やスキル・経験・知識がきちんと評価される社会のしくみになっていないところ」と答えることにしていると書いている。また、少し長いがフィンランドの社会を活写している本を紹介しながら、働き方と雇用や教育のあり方について日フィン比較を試みていて興味深い。そこには著者の観点以上に小国が生きていかなければならない社会のあり方に対する知恵のようなものがあるのかもしれない。そのことはこの国の歴史を少し繙けば分かるはずである。
2年前の夏に研修旅行に参加して短期間ヘルシンキの大学や図書館を訪ねたが、彼らの職業意識は高く(女性が生き生きと働いていて力強さを感じたほど)、教育に対する力の入れようも半端じゃないような感じを受けた。現にフィンランドの教育力は全世界に知られているが、代表的な企業であるノキアが翳ったこともあってか自分たちが生き延びる道はここぞとばかりにIT教育に情熱を燃やし、目標を掲げ達成感を世界的な視野で行っていた(フィンランド国立図書館、ヘルシンキ大学図書館関係者のプレゼンを拝聴して)。また、公共図書館が新築されて(筆者らが訪ねた時には建設中だったが、現地のガイドの計らいで工事中の現場を見学でき、カフェ設置予定のバルコニーから見えるヘルシンキの街はまさに絵葉書そのものと感動した)、そのコンセプトは、自然との共生、空間利用それにITを駆使した学びの要素を取り入れた温もりの感じられる市民ファーストの憩いの場所の提供にある。
さて、本書は「不平等と序列社会を越えて」とあるように、1920年代から高度経済成長期のおおよそ50年間の雇用システム、賃金の変動、“学校歴”を具体的に例を挙げて歴史的に分析、その実態を明らかにしている。戦前、戦中、戦後の社会を鋭いタッチで描写した、著名な文学者(例えば、永井荷風、太宰治、安岡章太郎など)や市井の作家の著作を援用しながら、それぞれの時代のありよう(数字を追ってその変化を分析)、暮らし向きを現前し、格差や貧困の成立する要因を考察している。ここには今後の日本の社会のあり方を考える上でいくつかのヒントが隠されているように筆者には思える。ましてやポストコロナの時代には尚更格差・貧困の問題が緊喫の課題になりつつある。

2020/08/15

超人の面白読書 151 田村紀雄著『自前のメディアをもとめて―移動とコミュニケーションをめぐる思想史』5

特に印象に残ったところと言えば、幼少期から大学・東大新聞研助手時代までか。なぜなら、ここのところが今まであまり聞いたことがなかったから。先生も、いろいろとご苦労なさっていらっしゃるのですね、と言われるのがお嫌いらしい。それなりの境遇を受け入れて、むしろ楽しくやってきたと。そういう先生、人間味に溢れているじゃありませんか。何が違うか。目線、ハートが違うのだ。一人ひとりに寄り添う姿勢が確かなのだと思う。それと対象に向かう姿勢が半端ない。雑誌『思想の科学』との関わりなど人間間の動きが機敏で柔軟、これは持って生まれた気質かも知れない。もちろん、それなりの理論と応用編を書き留めている。そうそう、そこには優しい眼差しがあるのだ。だから、86歳になっても中学時代の同級生100人と毎年同級会を開いているという離れ業ができる間柄なのだ。羨ましいと思う。誰彼が偉いというわけてなく、みんな、それなりに社会や家族に貢献してきた人たちとさり気なく語る著者。


「ローカル紙の生態」(『思想の科学』(1965.2月号))、「コミュニケーション・メディア体系」(『言語生活』(1968.第205号)。この雑誌は若い時代に購読していたが、惜しまれて休刊のまま。ある先生は創刊号から全部揃えているはずである)、「農民運動とコミュニケーション」(上)(『東京大学新聞研究所紀要』(1971.第20号))、『鉱毒 渡良瀬農民の苦闘』、『ひろばの思想』、『ミニコミ 地域情報の担い手』、『渡良瀬の思想史』、『米国初期の日本語新聞』、『アメリカの日本語新聞』、『カナダの日本語新聞』、『鈴木悦 日本とカナダを結んだジャーナリスト』(最近書棚を整理していたらリブロポート刊の本が出てきた)、
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『日本のリトルマガジン』、『「国境なき労働者」とメディア』、『コミュニケーション 理論・教育・社会教育』、『カナダに漂着した日本人 リトルトウキョウ風説書』、『エスニック・ジャーナリズム 日系カナダ人、その言論の勝利』、『移民労働者は定着する 「ニュー・カナディアン」文化、情報、記号が伴に国境を横切る』など論文や著書多数。多産な人でものを書くのが好きな先生である。せいぜい長生きしてください。

【追記】先生のお話で足尾銅山関係者には関東で私立学校を創設した方もいたとあるが、関東学院大学の創設者かも(詳細はこのサイトで⇒ https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2009/02/post-618c.html  足尾銅山にはずっと行きたいと考えていて、コロナ収束後に出かけたい)。また、幸徳秋水のアメリカでの新聞発行、また、上智大学の新聞学科創設の話も面白かった。さらに日本の大学に移民学科をと力説していたことも一理あると思った。それと、何と言っても東京経済大学のコミュニケーション学部創設の話が先生には印象深いらしい。先日お目にかかった時にもこの話が出た。(2020.8.18 記)

【追記2】田村先生はこんな話もしていた。東京経済大学は工学院大学と連携すると。文系単体大学と理系単体大学の融合形だ。また、何かと話題作りがうまい立命館大学が、今度は衣笠キャンパスにある映像学部と草津キャンパスにある情報理工学部をいばらぎキャンパスに移転し、NTTなどと連携して地域に密着した産学協同を実施していくという。大学もポストコロナの生き残りをかけて動き出した感じだ。名前を戻した東京都立大学(誰が名付けたか知らないが「都市大学東京」って何だったの)、大阪公立大学(財政的には分かるが、果たしてうまくいくの)(2020.8.28 記)

2020/08/13

コロナ禍のなかの朝顔開花

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咲いたよ
コロナに恐れず
朝顔が

咲いたよ
去年の種から
元気よく

咲いたよ
色鮮やかに
猛暑の夏に

一輪
また一輪
またまた一輪


【追記】今日(2020年9月7日毎日新聞朝刊)の毎日俳壇を読んでいたら、朝顔に関して句が2つと短文一つが掲載されていた。

朝顔を日ごと数へてふやしけり 久慈市の男性

もう一つは、俳人高田正子氏が「出会いの季語」で自分のうちの朝顔は、梅雨時が花盛りで、秋が立つころには花を付けなくなっていた。本来は秋の花なのだがと。すでに来年用の種を採り終えたころ、再び日を追って花数を増やしていると驚きを隠せない書きぶり。で、下記の句を引用。

学校が好き朝顔に水をやる  津田清子

2020/08/12

超人の面白読書 151 田村紀雄著『自前のメディアをもとめて―移動とコミュニケーションをめぐる思想史』4

本書の目次。

第1章 「動機」の個人史―『明治両毛の山鳴り』(1981年)に至るまで
フリーライターから東大へ 新聞研究所に採用される 大学教職員の仕事 シカゴ学派 関東地方と川の歴史 洪水のあと、大学入学まで 働きながら続ける学問 「東北評論」と高畠素之 「文明新誌」と森鴎村 田中正造と川俣事件 東アジア史への視座として 

第2章 自立したメディアの水脈―『ガリ版文化史』の周辺
カナダの先住民族の場所から 複製することの社会性 社会運動への関心 コミュニケーション学部をつくる 農民文書から、機材への興味まで 新聞研究所から社会情報研究所、そして…… 「ガリ版文化」の構想 自由民権とガリ版 日本の「移民」政策 いまこそ移民政策問題研究を 

第3章 越境と再定着の道程―『移民労働者は定着する』(2019年)の視野
コミュニケーション学への道のり 海外からの日本への照射 「海の仕事」、野坂参三と加藤勘十 戦時下カナダの二世による新聞 カナダの多元主義 「移民」が世界を再構築する 遺された資料を引き継いで この地球で、どれだけの人間が暮らせるか? 「移動」の諸相とエスニック・グループ 戦争を起点として 

ティーンズの思想史に刻んだ原風景―あとがきにかえて
田村紀雄 略年譜


2020/08/10

超人の面白読書 151 田村紀雄著『自前のメディアをもとめて―移動とコミュニケーションをめぐる思想史』3

去年の11月7日、27日、12月6日の計3回にわたって東京経済大学研究会議室で行われた講義形式による対談が本として纏められたのが本書。今夏の最大のイベント、お盆の里帰り、即ち帰省の問題で本書のテーマである「移動」の問題が立ちはだかっている。普通なら交通渋滞などマスメディアのワンパターン報道を聞かされるが、今夏はコロナ感染拡大防止で東京からの帰省を控えてステイホームするようにと政府や都知事が呼びかける、悩ましい夏になっているのだ。「移動」で新型コロナウイルス感染拡大が地方にももたらされて増加するからに他ならない。「移動」と「コミュニケーション」のルールをわきまえず行えば新型コロナウイルス感染が拡大するというのだ。

さて、本書は「移動」と「コミュニケーション」学の専門家の個人史、パーソナルヒストリーで、個人的体験が中心しかも語りが柔らか。対談相手の突っ込みや物知りも本書の魅力だ。筆者も雑学程度にいろいろな人の自伝などを読んできたが、外国と関わり合いが深い人ほど晩年は日本回帰否郷土愛が深くなると思い始めている。本書の著者もまた、アメリカやカナダ、中国などで社会学・新聞学・移民学研究の研鑽を積んだ研究者で、様々な研究会や学会を組織したコーディネイターでもあるが、生まれ育った故郷の群馬や栃木を語ることにも力を注いでいるような感じを受けた。それもそのはず、『日本のローカル新聞』(1968)や『明治両毛の山鳴り 民衆言論の社会史』(1981)から出発して、『ガリ版文化史 手づくりメディアの物語』(1995)をものにしてきた。メディアの小規模、ミニコミに注目し人間の生きざまを活写、そこにはマスコミ(マスメディア)にはない人間臭い葛藤史を追ったドキュメンタリーがあった。これが他の追随を許さない、人間田村紀雄のなせる技である。

2020/08/08

超人の面白読書 151 田村紀雄著『自前のメディアをもとめて―移動とコミュニケーションをめぐる思想史』2

面白かった。読みやすく書かれているので頭に入りやすい。聞き手の黒川創氏(『鶴見俊輔伝』の著者)の引き出し方も上手い。田村紀雄先生の生い立ちと業績が手に取るように理解できる。

「学問のエトスに対する追加メモ。学問とはもちろん、職業的か否か、を問わない。知的関心への生涯をかけた追求だろう。行き先にはレールはなく、ドグマ、イズムによらない。生活のなかから実る。仕事の倫理も、そのなかからだろう。学問を生活の手段にする気は、なかったとおもう。いきること、たたかうこと、のなかで知的関心は育つとおもう」(本文P.209)

ここに田村先生の営為が端的に表現されていて、民間学者、市井の人の生きざまがみえる。

2020/08/07

超人の面白ラーメン紀行 272 東京駅駅ナカ『雷 東京本丸店』

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北松戸のラーメン店がリニューアルした東京駅駅ナカに進出して一週間、丸の内側北口のカレー屋(それなりに美味しかったのに突然閉店。東京駅リニューアル構想の犠牲?)のあとにできた豚骨醤油が売りの店だ。ガツンと一杯のラーメンでトッピングのニンニクがさらに濃厚さを引き立てていた。因みに、筆者は「雷そば ミニ」(900円)を頼んだ。極太縮れ麺は食べ応えがあるものの、豚骨醤油ベースのスープによく絡み、チャーシューも美味。常時20人近くは並んでいて入るのに一苦労するかも。しかし、段取りが良いのか流れはそう悪くない。筆者は店の閉店時間間際に入ったが、12人の席は満席、隣には若い女性客もいた。アクリル仕切りはコロナ禍を反映して可笑しいが、それも感染対策の一環で仕方があるまい。『一蘭』の仕切りはこの時代を先取りした感じか(笑)

①スープ★★✩②麺★★③トッピング★★④接客・雰囲気★✩✩⑤価格★✩✩

2020/08/06

超人の面白読書 151 田村紀雄著『自前のメディアをもとめて―移動とコミュニケーションをめぐる思想史』

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田村紀雄先生は現在86歳、今尚バイタリティに溢れているお元気な方で頭脳も明晰。7月下旬に西八王子駅近くでお会いし、約3時間いろんなお話を聞く機会があった。それはこの本が毎日新聞の夕刊に写真入りで大きく取り上げられたことがきっかけだった。先生とお付き合いさせて頂いてもう30年くらい前になるか、相変わらず学者ぽいところがなく気さくな方である。お酒を嗜まれていた時代をよく知る者としては、パフェはどうですかと言われた時には目を丸くした。えっ、と。お酒はさんざん呑んだからもういいんです、でも、ほんの少しは嗜むとも。


2020/08/04

クロカル超人が行く 133 横浜戸塚駅西口周辺 再開発商業施設『 トツカーナほか』

下記は10年前に書いたもの。

春の詩 トツカーナ考

その昔 歌人与謝野晶子が詠んだ 花の道 向ひて長く 白きかな 水の流れは 一筋にして 柏尾川の桜並木 そのまた昔は 東海道53次の宿場町 本陣跡の碑もある

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異人さんも泊まった旅館もあった 歴史のある町 坂が多い町 そして企業城下町

花冷えのする夜
ぷらぷら過去をあるく

ここはアサヒストリ―ト
こちらはサンセットストリ―ト

まずはケーキヤとヨーフータベモノヤ パチンコヤとキッチャテン 角のカシヤ その左奥 テイショクヤ トコヤ モールはヨウフクヤ ごちゃごちゃ 角の交番の前のストリート フクヤ クスリヤ フロヤ サカナヤ スーパー ヤキトリ アゲモノヤ 戻ってアサヒストリート パーマヤの上が キッチャテン ギンコウヤ ホンヤ パンヤ オモチャヤ ニクヤ ツケモノヤ ケーキヤ カナモノヤ デンキヤ スーパー イシヤ その向かいが トケイヤ ヤオヤ ブンボウグヤ クスリヤ ちょっと手前の路地を右に シチヤ チュウカヤ ヤオヤ が見えるあたりを左折 ホンヤ ガクセイフクヤにハキモノヤ フトンヤ イトヤ ノミヤ チュウカヤ キッチャテン テイショクヤ タチグイソバヤ エイガカンにパチンコテン カイテンスシヤ

ほとんどアド街状態
メインストリートは
アサヒストリート

サブストリートは
サンセットストリート

ごちゃごちゃ
こちゃこちゃ

パチンコヤ ヤキトリヤ キッチャテン ハナヤ カメラヤ オニギリヤ キッチャテン クスリヤ ヤオヤ その先信号左にフロヤもあった

見るもの捜すもの
食べるもの遊ぶもの
みんな同居雑居状態

路地は一時期活性化した
ロジはマルかった
ヘビが昼寝していた 形

どこか垢抜けなかった
どこか置き去りにされた

鎌倉か
横浜

過去がほんのり透けて
見えた


2010年4月春 花満開に
風が舞う
苦節50年 踊る会議は
5000回以上とも

やっとこ
やっとこ
やっとこさ

サカス花はカシオリバー
ではなく
アタリヤはト―ス・カ―ナだそうな

君達 僕達
オバタリアン

ヨコがタテに
タテがテンまでノビソウ

ビルル ビルルッ
ビルル ビルルッ

ランドスケープ
カラーレイアウト
はタイジョウブ

タイシン
はダイジョウブ

食料品店のカジョウ
ブティックのハンラン

コンセプトは
ナンセンス

誰も今は言えない
誰も見たい

未来の 形

ここは誰が名付けたか
イタリア トスカーナ地方
否 TOTSUKANA SHOPLAND

あるぞ
あるぞ
そのかず80以上

さあさあ
泣き笑いの人生
まずは明るく笑顔で
はじまりだ

ここは新生地
TOTSUKANA
トツカーナ

スパゲッティヤ
が初登場
すでに人が一杯

A LA TOTSUKANA

複合施設には
TOKYU PLAZA
も入っている

メタモルフォーゼ

ジャズでもクラシックでもいい
カルチャーがほしい

2010.4.2 20:53

10年後のコロナ禍の夏、トツカーナは?

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