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2020/06/30

超人の面白読書 雑誌『ニューヨーカー』を読む アイスランドの新型コロナ感染拡大克服策 3

Letter From Reykjavik June 8 & 15, 2020 Issue 

 HOW ICELAND BEAT THE CORNA VIRUS 

The country didn't just manage to flatten the curve: it virtually eliminated it.By Elizabeth Kolbert, June1, 2020


 これが雑誌『ニューヨーカー』に掲載されたタイトル。ニューヨーカー専属ライターのエリザベス・コルバート氏は、21年ものライターを務めているベテランスタッフで、2015年に『The Six Extinction: An Unnatural History』でピュリッツァー賞(ノンフィクション部門)を受賞している。

2020/06/29

超人の面白読書 雑誌『ニューヨーカー』を読む アイスランドの新型コロナ感染拡大克服策 2

今朝のメディア報道によると、世界の新型コロナ感染者は1000万人を超えて10063319人、死者数は500108人(2020年6月29日午前6時現在、アメリカジョン・ホピキンズ大学の集計による)。アメリカ(感染者251万人、死者12万人)、ブラジル(131万人、死者5万人)、ロシア(感染者63万人,死者9千人)、インド(感染者52万人、死者1.6万人)、イギリス(感染者31万人、死者4万人)、ペルー(感染者27万人、死者9千人)、チリ(感染者26万人、死者5千人)、スペイン(感染者24万人、死者2.8万人)、イタリア(感染者24万人、死者3.4万人)。毎日新聞朝刊(2020年6月29日)に掲載されたウィルス感染者が多い国・地域―アメリカジョン・ホピキンズ大学28日午後7時現在の集計より。日本は感染者18390人、死者874人。昨日あたりの東京都や北海道それに栃木県などで感染者が増えている。特に若者組の夜の訪問先に感染拡大の兆候がみられる。やはり今少し3密を避けることだ。

さて、アイスランドの新型コロナ感染拡大克服策の報告の話。昨夜一応試訳を終えたので、早朝久し振りにアイスランドの新聞の電子版を覗いたら、新型コロナ感染拡大克服策はまだ道半ばのようだ。アイスランドの新聞『Iceland Review』の記事を読むはこちら⇒ https://www.icelandreview.com/society/first-community-transmitted-covid-19-infection-in-two-months/


 


 

2020/06/22

超人の面白読書 雑誌『ニューヨーカー』を読む アイスランドの新型コロナ感染拡大克服策

アイスランドÍsland。氷河と火山の小国。氷島。地熱や間欠泉の国。地球の割目で有名な国。もちろんオーロラも見える国。古ノルド語を残すアイスランド語を母語とする国。アルシングの国。誰々の息子、誰々の娘を語尾につける独特の名前を持つ国。アイスランドといえば、筆者的には山室静の紀伊国屋書店新書が懐かしい。それはそれは大昔。エッダやサーガの話それにノーベル賞作家のラックスネスのことも書いてあった・・・。時々北欧文学の先駆者山室静自選集を引っ張り出しては読んでいる。
そのアイスランドは、12年前のリーマンショックで金融破綻、10年前に火山爆発など21世紀に入って自然災害や経済危機に襲われたがその度に克服してきた。最近ではエコツアーが人気で観光客が大分増えているらしい。筆者も近い将来この国を訪ねて島一周を試みたいのだ。事前情報を仕入れたいと考えているが、書籍などは世界一高いらしい。約10年前にアメリカの雑誌に掲載されたアイスランドの環境問題について取材した記事を読んで試訳をしたことがあるが(全23回。下記は参考までにはじめとおわりを再録した)、今回は雑誌『ニューヨーカー』に連載された新型コロナウィルス克服策の現状報告を読んだ。

【参照】レベッカ・ソルニット氏の「ユートピアだより。超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 アイスランドの恭しい反理想郷」試訳。
https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2008/10/post-eed5.html レベッカ・ソルニット氏の「ユートピアだより。超人のジャーナリスト・アイ 96 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 最終回 アイスランドの恭しい反理想郷」試訳


https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2008/11/23-02e0-1.html
このレベッカ・ソルニット氏の記事にはイギリスの詩人、デザイナー、マルクス主義者のウィリアム・モリスに言及した記事(彼の著作にはアイスランドへ旅行したことを書いた旅行記もある)もあって興味深い。そのコラムを読みはこちら→


https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2008/10/16-9b84.html
https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2008/11/17-6280.html (続く)

2020/06/19

ポストコロナに想うこと 3

昨日用事があって眼科医院に行ったら、体温計を計るマシーンが受付脇に設置されていた。待たされている間さりげなくマシーンの方を見ていたら、右上に36.5℃の数字が表示された。少しドキドキ感が。不安と安心が複雑に交差する瞬間だった。スマホの拡大版みたいのに体温を瞬時に測定されてしまう、考えてみれば便利だが怖いマシーンだ。ネット情報だと顔認証で体温測定する体温測定器の一つ、わかる君は100,000円で購入できるらしい。

昨日も都内では40人以上のコロナ感染者が出て、再アラート一歩手前。これはPCRを検査する人たちが増えたためらしい。若い人たち特に夜の接客業に多く東京だけではなく、名古屋や福岡でも感染者が増えているのだ。

2020/06/18

クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪 7 最終回 続

13年振りに尋ねたニューヨークは最初にワールド トレード センター跡地のグランド ゼロDscf0560_2からだった。地下鉄から出るとちょうど帰宅の時間帯だった。ぞろぞろとそれこそいろんな人が家路を急ぐ光景に出くわした。かつて見た富の象徴の二つの高層ビルは跡形もなく、今は工事中の大きな幕に取り巻かれているだけだった。9.11直後、犠牲者のモニュメントを見たかったが入れないという。仕方なく写真を記念にパチリ。赤い夕陽が隣のビルの窓にさしかかる瞬間、その光に幾分頼りなさを感じたのは果たして気のせいだろうか。
人々の表情を追おうとその時思い浮かんだ。それからチャイナタウンにあるレストランで最初の夕食となった。野菜炒めものと海鮮お粥に青島ビール。身内がよく通う店だそうな。味は日本人にあっていた。客がいつもより少ない、不景気の影響とか。それから5日間いろいろな街の表情を切り取った。そして旅の収穫は、ウォール街そのものには行ってはいないけれども、観劇の強弱や(「ブルーノート」でのジャズ鑑賞とオフブロードウェイでのミュージカル「STOMP」の鑑賞、Dscf0754_2街歩きのコツ、地下鉄やバス利用(以前はバス乗車は危険で利用をむしろ止めたほど、複雑な市営地下鉄は東京のそれより複雑だが、これも以前より落書やノイズがほとんどない。一度コロンビア大学に行くときの車中でマリアッチ演奏の旅芸人3人組に出くわした。演奏が終わるや否や、若い女が帽子を反対にしてカンパを乞うていた。ある程度もらえば次の車両に移動するのだ。現金なものだ)、大学図書館見学と学部訪問、低料金(30ドル)のバスで行くフィラデルフィア1日観光旅行等々だった。Dscf0789Dscf0786Dscf0790Dscf0766

これもニューヨーク在住の身内のアドバイスがあって実現できた。それにヤンキースタジアムで松井選手やジーター選手も観た。しかも松井選手のヒットまで、それはいつでも引き出せる旅の良い思い出だ。失敗談はどの旅にもつきもの。筆者もご多分にもれなかった。アメリカ・スカンジナビア協会では最新号の雑誌入手に失敗、雑誌「ア パブリック スペース」発行元訪問は近くまで来たものの、別な用事で終わってしまった(それは創作料理がまずくなりそうな身内との夕食だった。旅の目的には身内との話し合いも入っていたのだ)。そしてフィラデルフィアでの午後の出来事。Dscf0821Dscf0816
ペンシルべニア大学行きまでは良かった。明治期にペンシルべニア大で講演した日本人リベラリスト馬場辰猪の墓を探すのに2時間以上もかかってしまい、結局見つからず、判明したのは帰りのタクシーの中だった!一巻の終わり、後の祭りだった(実は馬場辰猪に関してコピーを取っていたが、出発直前他の資料ともに忘れて行ってしまったのだ)。教訓はインターネットなどで下調べを充分にせよということだが(墓地なのか記念碑なのか、場所の特定、少なくともメモくらいは持参。初めてのところに行くのだから。うっかりである)、また、土曜日が悪かったのだ。スタッフは大概デイオフだ。フィラデルフィアはもう行かない!とかんかんの身内、それもそう、行くまでいろいろと手配した挙げ句、2時間以上近く待たされたのだから―。今はないトークン(それがフィラデルフィアの地下鉄ブルーラインで見つけて変に懐かしんだ)の代わりに磁気でできた地下鉄カードの通し方に戸惑い(いっそのこと日本のようにタッチにしてしまえば)、歩きに疲れては足首やふくらはぎを揉んだ。300枚弱のデジカメ写真も見物だろうか。そう、ブルックリン橋渡り歩きは身内に、コロンビア大学の図書館書庫の貴重書見学と資料あたりもO先生に感謝だ。全てはある先生が語っていた<互恵性reciprocity>だが、今回ばかりは相手に助けをいただいたことだけかも。give & take の精神は大事である。旅とはある距離を心の物差しで測る道具かもしれない。伸びたり縮んだりする。旅は心象風景にほんの少し彩りを与える。旅の目的が何だろうと。だから最近考えていた事柄の一部に―大きなファクターだが―あるヒントを与えた、無駄ではない、無駄もまた、健全なる精神を形成する、大袈裟に言えば文化を形成するとね。最後に筆者の英語のヒアリングも上達したみたい。ニューヨークスタイル イングリッシュに大分慣れたか。ところで、新型インフルエンザは滞米中は全く支障なしだ。そう書いてニューヨーク再訪記を終わろう。

【追記】鳩山由紀夫新首相が明日からニューヨークの国連本部での演説、オバマ大統領との会談、G20などの出席のためアメリカへ出発することを帰国して知った。大リーグの始球式もするらしい。
そして最後に小さなエピソードを披露しよう。フィラデルフィアのペンシルべニア大学の博物館の研究員(日本人のモニュメント探しに一役買ってくれたプログラマー)にお世話になったので、ニューヨークに帰るバスの中でお礼のメールを書いたのだ。その返事が帰国後すぐに来た。下記はその文面。

Mr.Chojin,

You're very welcome. I'm sorry I couldn’t find the garden and monument for you. Now that you found the grave site, you and your son will have to return to Philadelphia to see it. And when you return, be sure to visit our Museum again, as we always have new and exciting exhibits!

Enjoy your day.

Kind regards,
Jay

【追記2】2020年春のニューヨークはコロナ禍で大変だった。大分落ち着いてきてビジネスも徐々に戻りつつある。ミュージカルなどニューヨークらしいところは、まだまだ半開き状態だ。劇場関係者が言っていたことだが、今までは金持ちの年配者が客の大半だったが、これからは若者も観賞できるようにチケットをより安く提供出きるようにして新しく生まれ変わりたい。コロナ禍は人々の意識を変えつつあるようだ。(2020.6,17 記)

2020/06/17

クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪 7 最終回

下記は2009年9月21日付コラム。約11年前の記事だが、当時の様子が分かって興味深い。最後に新型インフルエンザの話にもほんの少し触れている。また、annus mirabilis のラテン語にも注目したい。ここに再掲することにした。

すでに帰りの飛行機の中にいる。出発して約7時間が経過、アラスカ上空あたり。早朝6時にブルックリンのアパートを出た時は23℃快晴、4時間前の客室乗務員のアナウンスによると、日本の成田国際空港は15℃(そう聞こえたが21℃位だと思う。この客室乗務員は日本時間も間違って訂正していた)晴。涼しいか。
何の気なしに差し出されるままに「ウォール ストリート ジャーナル」9月19日・20日号を手に取った。その新聞にジョン・スティール・ゴードン氏が(確かシカゴで出している雑誌に寄稿しているコラムニストだと思うが)、“Don't bet against New York ニューヨークに賭けないで”というタイトルでニューヨーク ウォール街の金融破綻の再生を過去の歴史から繙いている。興味をそそられる記事だ。このコラムニストの記事を要約してみよう。

ニューヨーク ウォール街の金融破綻が2008年に起きて40000人の人が失職、市も国も一つの産業の税収入に頼ってきた。再生の方法がたくさん語られてきたが、ニューヨークの歴史を眺めれば楽観的な理由がそこにはあることに気付く。その理由は初期の時期に説明できる。金融危機は崩壊したが、市は過去に何度も再創造してきたと書く。ニューイングランドのピューリタン、ペンシルべニアのクェーカー、メリーランドのカトリック教徒が自由を求めてアメリカにやってきた。そして近代資本主義を発明した金持ちのオランダ人が金儲けにマンハッタンへやってきた。彼らは貿易に忙しく、17年もの間教会の建物を造らなかった。オランダ人が入植してから20年後の人口は一千人、すでに通りでは18カ国語が話され国際的だったという。その後イギリス人がハドソン川経由で北米の内部へアクセスする水路をもって世界的な中心に港を据えた。オランダ人の知事が北からの攻撃を守るため壁を構築するが、1664年イギリス人が南から海軍の力で帆走、オランダ人の商人が調停して町は拡大し続けた。ハドソン川沿いの土地は小麦を育てるのに適し、イギリス人は小麦生産を独占化、主貿易として13のコロニーが育ち、特にボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、カールストンのような最も重要な都市が出現した。だが、南北戦争でニューヨークも大打撃を受け、イギリス支配の時に大きな火事と逃げてきた愛国者の人口で町の大半が崩壊、その後イギリスが撤退、町は驚くほどの速さで回復した。1800年にはフィラデルフィアの人口を抜き、アメリカ一の人口となった。1817年、ニューヨークにとってannus mirabilis(驚異の年。元々は1667年に発表されたジョン・ドライデンの長編詩。1665年~1666年の出来事を記念したもの。ロンドンの大火やペストの大流行(ロンドンの大疫病)など災厄があった年。ウィキペディアより。2020年6月18日付毎日新聞朝刊の「余録」参照✳)、驚異の年のような3つの出来事があった。第一は世界で最初のヨーロッパとの定期航路が形成されたことでニューヨークは直ちに海洋乗船輸送の中継点になった。それは1970年代に飛行機旅行の近代長距離輸送が始まるまで残っただろうか。第二はニューヨーク証券取引所が正式に組織されたことだ。当時フィラデルフィアが最も重要な金融センターだったが、債務不履行を起こし銀行が倒産した1830年代にニューヨークが引き継いだのだ。1840年代「ウォール ストリート」はアメリカの金融世界の代名詞になった。1850年代モーリスの電報の発明のおかげで世界中の取引者と取引可能になり、アメリカで唯一の重要な金融市場になった。当時のフリップ・ホーン市長が「4月の太陽が来ないうちに富が雪のように解けてしまった」と言った19世紀は、ほぼ20年ごとにパニックが起こり崩壊、しかし、ニューヨーク市はその度に大きく伸びて蘇った。1817年には最も特筆すべき出来事があった。ニューヨークとアパラチヤ山脈の西部の伸び盛りの地域とつながるエリー運河が計画され1825年に開通した。生産物がミシシッピー川を経由し、ニューオーリンズの港に搬送されて東部地区やヨーロッパの市場へ到達、現在はニューヨーク経由で流れている。詩人のオリバー・ウェンデル・ホームズ(最高裁の父)に、商業と金融のクリームをぺろりとなめる舌と書かれたニューヨーク市。1800年にアメリカの輸出の9%がニューヨーク経由だったのに対し、1860年には62%達した。1820年にはフィラデルフィアの人口の10%が1860年にはその2倍になった。かつて遭遇したことがないほどニューヨークは大きなブームに沸き、1年に2ブロックの割合でマンハッタン島は北の方に鳴り響いた。マンハッタンが横幅約2マイルあるなら、それは毎年毎年新しい通りを約10マイルずつ拡張していることを意味していた。ジョン・ジャコブ・アスターが臨終のときにマンハッタン全てを購入しなかったことが大変残念だったと言ったことも確かに頷けるのだ。
南北戦争はニューヨークを麻痺させたはずだ。というのは市が南部の綿貿易をほとんど仲介したからで、最も重要なことは1861年にファーナンド・ウッド市長が南部同盟11州の先導に従い、ユニオンから脱退する提案を実施したからだ。しかし、南北戦争でニューヨーク市は大当たりした。国の負債は6500万ドルから270億ドルまで膨れ上がり、戦争が引き起こした産業は急激に拡大、戦争終了時にはロンドンにつぐ世界第二位の金融センターなった。20世紀に変わってニューヨークは金融や港湾両方ともロンドンと同等になり、また、製造業の主要なセンターにもなった。毎年100万人の移民が市に溢れ、安い労働力を供給、衣服製造や軽産業が発達した。かつてのイギリスのように世界の工場になったのだ。1929年の大恐慌、ニューヨーク ダウはその価値の90%を失い、失職。パークアベニューの共同アパートは維持支払いする人たちに提供された。セントラルパークやイーストリバー沿いには失業者向けの住宅(Hooverville)が急に建てられた。わずか15年後の第二次大戦後にニューヨークは世界の中心になった。最も金持ちが集まる大都市は、あまり統治されていなかった。福祉のコストが嵩み、偽の簿記担当者と組んだ事実を隠していながら増税につぐ増税しても経営費を賄うために今尚借金をしなければならなかった。
ニューヨークに本社を持つ以外に選択肢の全くない事業は、コストの安い郊外か他の都市に移って行った。より安い輸送は生産する仕事を可能にし、より安い労働コストの場所へ出て行くのだ。ウォーターフロントの堕落振りに呆れて船主たちが他の港に逃げた。ニューヨークは大都市としての機能を失った。
しかしながら、新しいチャンスが出版、広告、ファッション、通信の分野で旧いものに取って代わって到来した。市は移民たちにとってひとつの磁石のまま残った。戦後の郊外化における人口の減少もない北東地区の唯一の大都市だ。事実人口は以前より増加している。1970年始め阿漕な人たちが現れて税収は減少、ウォール街の銀行は更なる借り入れを拒否、市は崩壊した。通りは汚く地下鉄は移り気で落書きに悩まされる始末、ニューヨーク証券取引所の座席はタクシーの免許権の2倍以下の価格で購入された。しかし、市はまたもやどん底から這い上がった。幾人かの有能な市長と金融管理委員会によるしっかりした監視によって財政立て直しができた。落書きやポイ捨てのような犯罪を駆逐することは街の概観を非常に良くしたのだ。驚くべきほどの通りの犯罪の減少で国の最も安全な都市に変わった。同じく重要なことは、「メーデー」(1975年5月1日に仲介人の固定コミッションを廃止したこと)だ。1970年代のインフレの終焉、1982年に始まる世界経済の超拡大が歴史上最も大きく長引いたブームだった。25年以上ダウ平均株価は780から14000まで膨れ上がった。それから一年後リーマン・ブラザーズの破綻がやって来たのだ。大きなブームは去り、ニューヨークの最も重要な産業がまたもや崩壊した。
これが大体のあらましだ。
が行われ
最後に著者は書く。ニューヨークが何年もかけてしてきたことをまたやるならば、時間だけが教えてくれるはず。以前より大きく、より良くそしてより金持ちになって回復せよと。しかしながら、私はそれに賭けたくないのだ。大人の中にある子供のように広大な巨大都市の中心深くでは、商売に浮かれ、もちつもたれながら金融街で働こうということがほとんどみられない。ここでは富の創造は今尚切なる願いなのだ。

この記事は短いがいろんなことを示唆している。ニューヨークの歴史が概略できてためになることも然り、筆者が短時間で読めるくらい、文章も平易、しかも繁栄と崩壊のポイントをおさえている。ここには歴史は繰り返されるという単純な命題がある、ダイナミズムが、強欲がある。しかしだ、ニューヨーク魂があるからこそここまで来たのだと思うのだ。それはマンハッタンの強固な建築物である摩天楼の高さと歴史を刻んだ色合い、建築の内部にはしばしばラテン語と装飾が施され、当時の繁栄振りが解るのだ(最もマンハッタン島は一枚岩でできていて地震がない)。筆者は何度も何度も見上げたものだ。そして最も驚いたことは、地下鉄の中で本を読んでいる人たちが以前よりずっと多くなったことだ。第一、スマートになった。このジョン・スティール・ゴードン氏の記事はニューヨークのの整備過去を知れば、未来は怪我をしないよう歩けるはずだと言っているのだろう。過去の教訓を読み取ろうということだ。

✳今朝(2020年6月18日)の毎日新聞「余録」前半にこう書かれている。
「ロンドンが近代世界を代表する大都市となった大きな節目とされるのが、1666年のロンドン大火という。4日間にわたり燃え続けた火災は、主に木造だった市内の家屋の9割近くを灰にしたという。この大火前年のロンドンはペストの大流行により、8万人近い死者を出している。まさに踏んだり蹴ったり、とんでもない災厄の連続だった。だが、惨禍からの復興で木造の建築が禁止され、広い道路や下水道の整備が行われる。再生したのは火災に強く、衛生的な近代年ロンドンだった。市民は疫病と大火という歴史的な大災害から新たな時代の文明の拠点を作り出したのである」

筆者がちょうど昨日このロンドンの大火やペスト流行について知人に話していたばかりで、このように翌日の新聞のコラムに載るとは驚きだ。

2020/06/15

ポストコロナに想うこと 2

2020年6月11日付毎日新聞夕刊に「コロナ断想 下 民主主義の限界 露呈」と題した加藤尚武(京大名誉教授・倫理学)氏の寄稿を読んだ。この執筆者の名前はよく見かけているが、はて、どこだろうと頭を巡らせていたら、『図書』の出版広告のなかにその名前を見つけた。加藤尚武著作集だ。ヘーゲルについての著作があるようだ。その毎日新聞の記事に興味深いところがあったので少し長いが引用してみたい。

官僚や政治家に関して、男女平等がもっと進んだ方がいいという考え方が認められているが、それ以上に、文理平等が推し進められるべきではないだろうか。知識をもつ専門家を官僚組織の中に隠しておいて、国会では隠れた筆者の紙きれを大臣が読み上げるという「民主主義ごっこ」ではなくて、どうして人の接触を8割減らさなくてはならないのか、その理由を直接に理系の専門家が提案し、審議して、そこに国民の声を反映させるようにしてもらいたい。どうしたら「民主主義ごっこ」をやめることができるのか。コロナ問題が残した課題のなかの一つだと思う。

寄稿の前編「『コロナ断想 上 情報の直接性』の喪失」の中で、国会審議について加藤尚武氏はこう書く。

国会の審議は、紙きれを読み上げる大臣の姿で埋め尽くされている。大臣のためにその紙きれに答弁の文字を書いた人は、別の文字を見て書いた。情報の直接性、「ざらざらした大地」(ヴィトゲンシュタイン)がどこにもなくなった。情報として与えられた数字が、作為的にゆがめられたものではないという保証がないと、人類は生き延びる機会を失いかねない。
国会の審議の不思議な光景に一矢を放った格好だ。レベル、ラベルの問題で、反知性主義では国民を束ねていけない。やはり政治家には高い次元の知性が求められて然るべきだが。森友、加計、桜見会、黒川問題と疑惑のオンパレードで、コロナでも転んだ。政権末期のレイムダック状態か。

2020/06/14

ポストコロナに想うこと

久し振りにコラムの執筆だ。ここ3週間ばかりある書評執筆に夢中でそちらにエネルギーを取られてしまったのだ。やっと書き終えたが、その間世間はコロナ禍収束に向けてギアをチェンジした。東京都は解除にステップ1~5までのステージを設けた。レインボーブリッジを緑や赤色に染めて現在の様子を示した(追記。昨夜湾岸線を車で通ったら左手に虹色に染まったレインボーブリッジを発見。ということは、アラートの赤もあったが一応新たな日常に戻ったということだ。6月13日記)。浪花の通天閣を真似て。解除が進んで再び巷に活気が戻った感じだ。東京駅地下からエスカレーターに乗ると、コロナ禍前、最中、コロナ禍後で人の流れが直に分かるのだが、これは朝の出勤の様子で、夜はまだ半開き状態だ。感染者が出ているからだが、経済を回わさないといけないからある許容範囲で行政の首長が判断して発信するのだ。やっかいと言えばやっかいだが、命と経済どちらが大事かは自明のことなのだから仕方あるまい。

2020/06/01

超人の面白読書 149 パウロ・ジョルダーノ著『コロナの時代の僕ら』2

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日本国は5月14日に非常事態宣言解除を東京など一部の都市を除いて実施した。しかし、油断は禁物で現に愛媛県では一旦解除されたものの集団感染が発生している。第二波の到来だ。それは韓国のソウル、中国の武漢そして吉林省でも同じで、新型ウイルス感染の怖さを露呈した形だ。さて、前回のジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』の続き。その前にイタリアの現状をネットで一瞥してみよう。3万人以上の死者を出したイタリアでは、外出や営業が解除されて日常生活が戻りつつあるようだ。何せ一時はどうなるかと世界中が固唾を飲んで見守っていた国だからその後の状況も心配だ。コロナ禍只中で書かれたジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』は、いわば ある時点(2月下旬~3月上旬・下旬)でのイタリアコロナ報告書だ。現状報告だから書かれている新型コロナ感染者の数字は刻々変わる。それは訳者が括弧で追記していることでわかる。この若い作家は、物理学者で数学が得意しかも文学賞受賞歴もある文才の持ち主でもある。

【目次】地に足をつけたままで おたくの午後 感染症の数学 アールノート このまともじゃない非線形の世界で 流行を止める 最善を望む 流行を本当に止める 慎重さの数学 手足口病 隔離生活のジレンマ 運命論への反論 もう一度、運命論への反論 誰もひとつの島ではない 飛 ぶ カオス 市場にて スーパーマーケットにて 引っ越し あまりにたやすい予言 パラドックス 寄生細菌 専門家 外国のグローバル企業 万里の長城 パン神 日々数える 著者あとがき 「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」 訳者あとがき

著者あとがきを加えると101頁の短いエッセイ27編を集めて編んだものだが、散りばめられている言葉を繋ぐと宝石のごとく輝くと、訳者はあとがきで書いている。それは少し大袈裟だと思うが、確かにこの本には科学者の眼を持ったメッセージが込められている。それでは散りばめられている言葉を本文から拾ってみよう。

今回の新型ウイルス流行を背景に生まれるある種の考察は、そのころになっていても(新型コロナウイルスが終息した後)まだ有効だろうから、なぜなら今起こっていることは偶発事故でもなければ、単なる災いでもないからだ。それにこれは少しも新しいことじゃない。過去にもあったし、これからも起きるだろうことなのだ(地に足をつけたままで)。

SARS-CoV・2は今回の新型ウイルスの名前で、COVID-19は病名、つまり感染症の名前だ。〈中略〉感受性人口、ウイルスが感染させることができる人々、感染人口、すでに感染した感染者たち、隔離人口、ウイルスに感染させることができない人々の3つに分類でき、感受性人口(Susceptibles)、感染人口(Infectious)、隔離人口(Removed)の頭文字を並べたのが、SIRだ(感染症の数学)。(一部書き換えて引用―筆者)

仮に僕たちが75億個のビリヤードの球だったとしよう。僕らは感受性保持者で、今は静止している。ところがそこへいきなり、感染した球がひとつ猛スピードで突っこんでくる。この感染した球こそ、いわゆるゼロ号患者だ(訳注/未感染の集団に病気を最初に持ち込む患者)。ゼロ記号患者はふたつの球にぶつかってから動きを止める。弾かれた球は、それぞれがまたふたつの球にぶつかる。次に弾かれた球のどちらもふたつの球にぶつかり……あとはこのパターンが延々と繰り返される。感染症の流行はこうして始まる。一種の連鎖反応だ。その初期段階には、数学者が指数関数と呼ぶかたちで感染者数の増加が起きる。あらゆる感染症の秘められた核心とも呼ぶべきこの数字は基本再生産数と呼ばれ、R0という記号で示される。記号の読み方は「アールノート」で、どんな病気にも必ずR0がある。ビリヤードの球の例だと、R0は2にぴったりで、各感染者が平均ふたりの感受性保持者を感染させる、ということを示している。今回のCOVID-19の場合、R0は、2.5ぐらいではないかと言われている(WHOは2020年3月の時点でCOVID-19のR0を2.0~2.5のあいだと見込んでいる)。〈中略〉ひとりの感染者から伝染する人数が1未満でなければ状況はけっして楽観できないという事実のほうだ。R0が1未満であれば、伝播は自ら止まり、病気は一時の騒ぎで終息する。逆にR0がほんの少しでも1より大きければ、それは流行の始まりを意味している(アールノート)。

「市場にて」では新型コロナウイル発生源について中国の武漢のことに言及している。そして、「スーパーマーケットにて」で次のように書く。

ミラノ在住の著者の友人の日本人の母と娘が買い物に行くと、何もかもお前らのせいだ、さっさと国に帰れと怒鳴られたという。しかも、中国に帰れ、と言われたようだ。医師である著者の父が、イタリア最初のエイズ患者の対応に戸惑った話を持ち出した後著者は、普段よりも少しひとに優しくしよう、慎重になろうとすることができるはずだ、スーパーの通路で他人にぶしつけな文句で罵ってはいけないということも覚えておこうと書く。いずれにせよ――どうしてもアジア人の顔を見分けることができぬ僕らイタリア人の困難さはさておき――今度の新型ウイルスの流行は、何もかも「お前らの」せいではない、どうしても犯人の名を挙げろと言うのならば、すべて僕たちのせいだ、と「みんなの責任」として受け止めようと優しく語る。
南イタリアのキシレラのオリーブの木が寄生細菌でやられた話、その後も「専門家」、「外国のグローバル企業」、「万里の長城」、「パン神」それに「日々を数える」と独自の考えを展開していく。そして、著者あとがきの〈僕は忘れたくない〉のレフレーンが効果的な「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」で終わる。フランスの作家マルグリット・デュラスの言葉を引用しながら、新型コロナウイルスを戦争に例えられることへの違和感を示し、患者を助けよう、死者を悼み、弔おう、そして、まさかの事態に備えようと結ぶ。感染の拡大を数学的にわかりやすく解説しながら、今考えていることを素直に書き記している。

毎日新聞夕刊(2020年4月13日)特集ワイド欄「いま考えることを忘れまい 「コロナの時代の僕ら」出版へ イタリア人作家ジョルダーノさん 国ではなく全人類の問題 」を再読。その新聞記事はこちら↓

ジョルダーノのインタビュー記事 - 20200601152401.pdf

緊急出版の理由は、「感染が広がり混乱した人々を鎮めたかったのが一つ。もう一つは、疫病と地球環境の関係など、僕が考えたことを多くの人に伝え、今後も議論を続けてほしいと思ったからです」と。本書は読みやすい分すらすらと読み進んでしまいがちだが、ふと立ち止まって考える、そういう一冊である。ポストコロナ時代のヒントがここにはあるような気がする。著者は1982年生まれの38歳。イタリア北部トリノ出身。訳者の飯田涼介氏はイタリア在住。イタリアの地理を改めてチェック、そうこうしているうちに少し嬉しいニュースが入った。水の都ベネチアでコロナの感染拡大防止策で人々がホームステイしていたおかげで運河の水がきれいになり、魚が戻ってきた。コロナは良いことももたらすのだ。
急いで書き記そう。帯の写真で拝見した限りでの著者の風貌は、ガリレオ・ガリレイに似ていないか。もっとも著者は大分若いが。イタリア人は我々日本人には、いな、筆者には皆同じく見えてしまうのだ。(笑)

ああ、それにしてもだ、新型ウイルス感染で死亡した全世界の人々よ、安らかにお眠りください。数を数える酷さと国が数の大小を問題にしているこの現実、矛盾するなあ。人の死を決して無駄にしてはならないのだ。人の命の尊さと儚さを思う今日この頃である。

【追記】上記のコラムを書いて1週間くらい経過してからアメリカのニューヨークタイムズに異例の記事が出た。新型コロナウイルスで亡くなられた人たちを同紙が一面に文字のみで掲載したのだ(2020年5月24日付)。タイトルは、数え切れないほどの損失、およそ10万人のアメリカの死。氏名、年齢、出身地、一言添えてリスト化。墓碑銘。本当に胸が痛む。日本の新聞はこんなことができるだろうか。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.tampabay.com/news/nation-world/2020/05/23/the-new-york-times-dedicates-sunday-front-page-to-names-of-1000-coronavirus-victims/%3FoutputType%3Damp%26usqp%3Dmq331AQQKAGYAdHYqqDt4JTvG7ABIA%253D%253D


【PDF版】

The New York Times, May 24, 2020 - 20200601152435.pdf


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