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2019/09/13

超人の面白読書 142 第1回中央公論新人賞 深沢七郎著『楢山節考』(新潮文庫) & 次席 鈴木一郎『神童』(『中央公論』昭和32年3月号掲載複製版)を読む 2

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深沢七郎の『楢山節考』は、映画化され狂言の演目にもなった超有名な作品だ。恥ずかしながら“姥捨物語”としては知っていたものの、きちんと読んでいなかった。古本屋の棚で見つけてふと読んでみたくなったのだ。大分黄ばんでいて破けてしまいそうな新潮社の文庫本だ。奥付を見ると昭和39年7月30日発行、昭和57年5月30日 31刷とある。先々週の日曜日だか何気なくETVの番組を観ていたら野村万作の狂言をやっていた。で、しばらくその〈古典芸能・狂言〉の出し物、「楢山節考」を観ていたのだ。ラストシーンの一部だった。その狂言にも刺激を受け、翌日から通勤の電車の中でこの文庫本を読みはじめ、4日くらいかけて読み終えた。
民間信仰の棄老伝説を題材にした『楢山節考』は、異界の表情を余すことなく伝えていて、時として一種不気味で恐怖心を抱かせるシーンも。描写力に優れそら恐ろしいほど。それは単なる小説というフィクションを超えて、大袈裟にいえば、私たちが出逢う“人生の秋”のリアリズムを感得するものだろう。姥捨て、口減らし、非人情、ニヒリズム、虚無、不要な人間の物質化等々この短編小説は、多くを暗示している。構成も方言を巧みに挟み、唄を挟み、山あいの日常を描くが、不気味なトリックも潜んでいる。特に楢山まいりを早めるため石で前歯を折るシーンが何度か出てくるが主人公おりんの強い性格を感じると同時に、かなりショッキングなシーンだ。辰吉がおりんを背板に乗せて楢山へ山道を歩く描写もまた、寒々とした空恐ろしい光景だ。卓越した言葉の喚起力もあり見事に小説に昇華した傑作だ。辛口文芸評論家正宗白鳥が、“人生永遠の書”と絶賛したことも頷ける。選考委員の一人、三島由紀夫は「特異な題材の特異な扱い方」と評した。


20年前に夫を亡くした女主人公のおりんは69歳。とある山あいで息子辰吉とその孫けさ吉をはじめ4人と暮らしている。息子の嫁は若くして谷底に転落して亡くなり、まもなく向かい山から後妻玉やんをもらう。村のしきたりとして楢山まいりがあり、おりんもその事を積極的に受け入れ、後妻にも日常的になすべきことを教え、来るべく楢山まいりに備える。貧しく食物が乏しいから楢山に捨てられる日を早めるため石で前歯を折ることも。孫が近所の女に手を出し子を孕んでやがて生まれることにはおりんも覚悟を決める。また、芋を盗む不届き者など小さな共同体は少しざわめく。そんなある日裏山で宴が催される。それは村の習わしに従って楢山まいりの送迎会を開く。おりんが作った料理や亀に入った酒が長老から村の衆一人ひとりに振る舞われる。そこで楢山まいりの掟を聞かされ、それが村の習わしと悟り、やがておりんは倅の辰吉の背板に乗せられ楢山まいりに出る。途中村人が作った道を行くも山越えの谷には死骸が散乱、楢山はすぐそこにあるも深い谷には行く道を阻める何かが―。不届き者が供走していてその親を背板から谷底めがけて突き落とす。そこはカラスの巣があるらしく餌食にされるのは目に見えている。それを見たおりんの息子辰吉は、自分にはそういうことはできないと自問する優しい心はあるが・・・。すでにおりんは自ら背板から離れ一人旅立っていた。粉雪が舞っていた。辰吉は家に帰ると玉やんに「粉雪が舞って運がいい」としきりに言うのだった。

これが大雑把なあらすじだ。とある山あいは信州か甲府か、それはフィクション仕立てで、その雰囲気を醸し出せば足りる。しかし、筆者はまた違った意味でこの小説の舞台に親近感を抱く。原風景が似ているのか心がざわつくのだ。幼少期、母の里に連れられてそれこそ春はワラビ取り、秋は松茸取りと山歩きを余儀なくされた。山を知る母親はすぐ嗅ぎつけて目的を果たすが、連れ出された子はやたらに山道をさ迷ってばかりで得るものが皆目ない。また、開墾地なので何かと不自由さはあるものの、“裏山”の小川のせせらぎには、この小説にも登場するヤマメもとれ、水は見事に澄んでいて手を組んで飲んだほど。山から山へ、それこそ母の青春期には背板に生活の足しになる物を背負って、また、時には幼子を背負って歩いただろうことは想像がつく。また、700メートルの山の頂上から眺める山暮らしの過酷さは想像を絶する思いもするのだ。そう、母の青春期は昭和初期。親戚宅への使いなのか若い頃の母は、隣の山、向こうの山の集落へ何里も歩いたと言っていた。それこそこの小説にある岩肌のみえるところや竹藪などが生い茂ったところ、あるいは人が入り込めない原生林のところもあったはず。夜道にそういうところを通ることは肝試しではないが、明かり一つぶら下げて通ることがいかに大変だったか想像がつきそうなものだ。山あいの開墾地には口減らし、ひょっとしたらあったかもしれない、なかったかもしれない・・・。遠い昔、昔。死者をやさしく弔うためにも唄は必要だった――。この地方には有名な念仏踊りもあるし。今はゲンパツ被害、大きな大きなゲンコツを腹いせに喰わしたいくらいだ。筆者は幼少期にバスの終着点から山あいにあった母の実家へとぼとぼと歩いた光景が、今もって時折夢に現れる。夢の中では遠く感じられたが、大人になって同じ道をバスで通過するとバス停が3、4つほど縮まった不思議な現実に遭遇するのだ。


〈楢山節〉の唄

かやの木ぎんさん
ひきずり女
姉さんかぶりで
ネズミっ子抱いた
夏はいやだよ
道は悪い
むかでながむし
山かがし
塩屋のおとりさん
運がいい
山へ行く日にゃ
雪が降る
楢山まつりが三度来りゃよ
栗の種から花が咲く
おらんの母ャやん
納戸の隅で
鬼の歯ァ33ぼん
揃えた

歌詞はこの短編小説のメインストリームを奏でていて哀しい。

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