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2019/03/22

クロカル超人が行く 231 山中湖文学の森 三島由紀夫文学館

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【三島由紀夫文学館の庭にあるアポロン像】

 

山中湖村の文学の森にある三島由紀夫文学館に行ってきた。自宅から東海道線熱海行の電車で国府津駅まで行き、そこで沼津行の御殿場線に乗り換え御殿場駅で下車(待ち時間約20分、所要時間約40分)、今度は山中湖行の富士急山梨バスに乗り換えて45分揺られ(バス料金1010円)バス停文学の森公園前で降り、春のめざめを感じる林の中を歩くこと8分、ついに山中湖文学の森 三島由紀夫文学館に到着。乗り継ぎの待ち合わせ時間を入れると約3時間40分の旅だ。海ありの神奈川県横浜から海なしの山梨県―湖があり富士山が身近に見ることができる―だが、やはり遠いのだ。去年の10月に山梨県立文学館を訪ねて以来二度目の山梨県の文化施設めぐりである。前回は草野心平展と隣にある県立美術館のミレーの“落穂拾い”それに購入したばかりのミレーの絵画等を鑑賞したが、今回は三島由紀夫文学館でプチプチ企画、特集展示「美と孤独――帰ってきた『金閣寺』」(宮本亜門演出のオペラなど二次創作の『金閣寺』(Le pavillion d'or)の周辺資料を展示。フランス・ストラスブール国立・大学図書館、ストラスブールライン国立オペラ座、公益財団法人東京二期会協力)を鑑賞した。平日とあって訪館者は筆者一人で貸切状態だった。三島由紀夫の文学館創設構想の話は新聞などで知っていたので少なからず興味があった。早いもので開館して20年になるらしく、筆者的にはやっと実現した格好だ。この際三島作品を少し読んでおこうと考えていたら三島解釈の本が出たり、それにつられて関連本まで読んでいるので4冊くらい持ち歩いている始末だ。
三島由紀夫文学館受付で係員の女性に入館料500円を払って館内入り。受付の女性と少し立ち話をした。三島邸は今は誰も住んでいない、館長はほとんどこちらには見えませんと受付女性。最寄りのバス停から帰りの御殿場行の時刻を訊いて、鑑賞時間は約1時間しかない。この館は村営なので受付の女性は村役場の職員かしらと余計ことを詮索しつつ、入口にあった三島由紀夫の詩集を捲り、二三篇読んだ。ヨーロッパの作家の影響を受けたような観念的な詩だ。その後そんなに大きくない館内の展示を観て歩いた。
〔初版本―初版本99冊](この館のホームページのフロアガイドを参照。以下この項に従って書き記す)  『花ざかりの森』の初版本を筆頭に『仮面の告白』、『潮騒』それに『金閣寺』など99冊がずらり、作家生活20数年でよく書いたものだと感心感心、有名なイラストレーターによる装丁もあってさながら装丁史の様相。
〔平岡から三島由紀夫へ―10代の文学]  次に左側のウィンドウには写真とともに幼少期の絵や作文など貴重な品々が陳列されていて、そこから見えてくるのは、絵心もありしっかりした鉛筆書きの文字群だ。官僚の家柄、何不自由なく育った感じは分かるがまた、幼少期から賢かった、利発だった様子もまた理解できる(極度に運動オンチだったことはよく知られたことで、『金閣寺』を書いた頃にはボディビルやボクシングなどで肉体鍛練、改造に挑戦していた)。学習院高等部時代には担任の先生(ペンネーム、三島由紀夫の名付け親)に文才を認められ同人誌に書くようになる。その掲載雑誌などが整然と並んでいた。
〔プロフェッショナルの道―20代の苦悩]  川端康成に師事。大蔵省を辞職して『仮面の告白』で作家デビュー、映画化されてベストセラーになった『潮騒』を書き一躍有名作家に。世界一周旅行の旅にも出る。その頃の資料が並ぶ。世界一周旅行の時のエッセイは読んでみたい。ギリシャに憧れていたらしい。あのアポロンの像が象徴的だ。
〔拡大する活動領域―30代の若き大家] 『金閣寺』など問題作を書いたりと創作活動が活発な時期。ボディビルなどを始めるのもこの時期。
〔文武両道―40代の挑戦]  『豊饒の海』や『サド伯爵夫人』などを執筆。ノーベル文学賞の候補に挙がる。
〔三島由紀夫の本棚] 整然と並ぶ本棚にはこだわりや雰囲気が充分に感じられた。かの明治の文豪夏目漱石の書斎も神奈川近代文学館で見たことがあるが、作家の仕事場には個性が出ていて大変興味深い。更に〔映像で知る三島由紀夫]、〔三島由紀夫ガイダンス]それに〔翻訳書紹介]などの展示品を観て回った。最近視力の衰えを感じているのでウィンドゥ越しに展示品やその解説を読むことが辛くなってきている。最後の展示品は企画もの。「美と孤独――帰ってきた『金閣寺』」。ううん、少し物足りない。館内の展示品鑑賞後に映像で三島の生涯と作品を見ていたら、鑑賞時間の1時間があっという間に過ぎてしまった。慌てて館外の庭にあるアポロン像をスマホで撮影して外に出た。4時12分の御殿場行のバスに乗らなければとバスに間に合うように最寄りのバス停まで走った。が、時間になってもバスは来ない、行ってしまったのか、果たしてバスは来るの?来ないとあと1時間半待ち、これは耐えられない、大変なことになる――。イライラが募るなか、バスは15分くらい遅れて到着した。乗車して驚愕、満員で乗客のほとんどは中国人やアメリカ人だったのだ。この観光客の何人かでも三島由紀夫文学館に立ち寄ってくれれば日本文化に触れられる絶好のチャンスだと思ったものだ。村の教育委員会も外国の観光客に向けにもっと情報発信をしたらと考えたほど。でないともったいない――。
今回の三島由紀夫文学館訪問は、過激な思想の側面はさておいて三島文学の代表作の一つ、『金閣寺』の企画展を覗くことだったが、これはプチプチ過ぎた。しかし、三島由紀夫の生涯と作品を垣間見ることができたことは筆者には収穫だった。
尚、三島由紀夫文学館のwebpageはこちらから→http://www.mishimayukio.jp

 

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【写真左から: バス停文学の森公園前   三島由紀夫文学館の看板   文学館の建物】

追記  実は『三島由紀夫文学館』の展示の一部に明らかな間違いがあったので館の関係者に伝えたら、丁寧なメールを頂戴した。訂正したものを展示し直しますと。(2019.4.3   記)

追記2 フランス・パリ中心部にある観光名所のノートルダム大聖堂で4月15日の夕方、大規模な火災が発生し、大聖堂の高さ約90メートルの尖塔が焼け落ちた。毎日新聞は17日の朝刊トップで、ノートルダム大聖堂火災、世界遺産崩壊という見出しをつけて報じた。一週間も経っていないのに1000億円の寄付の申し出があり、その波紋の大きさに驚かされた。文化財の火災としてマスコミがこのところ取り上げているのは、1950年(昭和25)に京都の金閣寺の火災(原因は放火)だ。実は筆者、事の真相を再確認知したくてつい二週間前に三島由紀夫が『金閣寺』を書くきっかけとなったこの金閣寺の火災の新聞記事を探しに近くの図書館に出向いて見つけ出したばかり。その該当の記事を読むはこちら→金閣寺全焼す(朝日新聞昭和25年7月3日)- 20190422113852.pdf

(2019年4月22日  記)

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