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2015/08/04

辛島泉さん追悼「豊後のくにのサイエンス リテラシー伝道師」続

その辛島泉さんが7月16日に逝去された。享年76歳。訃報をメールで知らせてくれたのはJ氏だった。最後にお会いしたのは2年前で神田の小さなレストランでの食事会だった。病院を抜け出して上京してきたらしい。そんなことをも知らず男どもはやんちゃ過ぎた。辛島泉さんはいつも上品で理知的、心やさしく接してくれた。スカーフがお似合いでたまにけらけらと笑われるのが印象的だった。お付き合いさせて頂いて日は浅いほうだったが。
小さな雑誌に寄稿された文章のなかで辛島泉さんはこう書いている。

私達の会の会員の多くも、入会してはじめて科学の世界の面白さを知り、今では科学読物や科学あそびをみずから楽しみながら、その喜びを伝えることに情熱を注いでいる。毎月の読書会や子ども達との科学あそびの会は、自らの科学リテラシーを鍛える場でもある。
「科学」は本来面白く、驚きに充ちたロマンの世界である。私達がひらいている科学あそびの会は、どの会場もどの年令の子にも大好評。付き添う大人も興味津々。夢中になって子どもといっしょに楽しむ姿は、感動的ですらある。人間は、本来知的好奇心をもった存在なのだ。中略。
誰もが文学や芸術を文化として楽しむように、科学もまた文化として楽しめる社会になれば、どんなに人生が知的で豊かなものになるだろう。図書館がそんな社会をサポートする拠点のひとつであってほしい、と切に願っている。

(学術先端情報―学術情報誌「CPC Journal」2009年第1号 特集 : ライブラリアンは今 知の交流発信地のめざすもの “文化としての科学を求めて”より)

辛島泉さん、さようなら。安らかにお眠りください。生前のご厚情に深く感謝いたします。

追記 今日になってひょんなところから辛島泉さんの手紙が出て来た。1通は、2009年3月でドイツ旅行のことが書かれていた。ハンブルグやベルリンなどを訪れた印象記。ドイツ人は親切だがお節介と。また、ベルリンの壁崩壊後に真っ先に手を挙げたのは、ベンツとソニーの巨大資本だと冷ややかな見方もしている。もう1通は、2ヶ月後の5月、詩集『釣り上げては』で鮮烈なデビューを果たしたシカゴ生まれのアメリカ人を講師として呼びたいという筆者の依頼に応えてくれた文面、連絡先も記されていた。女性らしい可愛らしい文字が懐かしい。可笑しかったのは、2通とも“小浜傳次郎”のことを気遣かっていたことだ。小浜傳次郎、who ?もしかしたら 辛島さんはこのペンネームを気に入っていたのかも知れない。今となっては本人に訊けないのが残念だ。(2015年8月4日 記)

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