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2015/07/29

超人の面白読書 113  西脇順三郎に関する新聞・雑誌掲載記事など

西脇順三郎氏を訪ねて

西脇順三郎研究家の澤 正宏先生が37年前に書いた小文のコピーを読んだ。西脇順三郎の詩に出てくる言葉の意味が解らなくて実際に西脇宅を訪ねた話である。『第3の神話』所収の「デッサン」の〈また生きて二度死ぬことだ/あのハリツケのスベンダーのように〉の中のハリツケとスベンダーがどうしても結びつかないことで西脇本人に確かめに行ったところ、本人の口からスベンダーはスペンディユウスの誤植と言わしめたのだ。若き研究者の読み込みと勘が鋭かったことのエピソードである。いつだったか澤先生が間違いを指摘したことがありますと柔らかい口調でなかば自慢げに筆者に語ってくれたことがあった。西脇順三郎84歳、まだ小千谷市立図書館西脇順三郎記念室ができる前である。この小文を筆者が読んでなるほどと感じた箇所があるので本文から引用してみたい。ここには澤先生の一貫した見方が横たわっているからだ。それは西脇順三郎の「無」の思想についてなのだが。

帰途には、氏の持続する想像力について考えていた。持続する秘密、それは究極的には一貫した「無」の追究にあるのではないか。このことは、現実意識を無化して快感を得るために意味の「無」を表現する(戦前)、「無」とは絶対的な存在の「無」であり、この「無」へ屈服する(戦中から戦後)、実存意識を存在の「無」へ近づけるために言語によって現実的な時間意識を超越していく(戦後)、というように、「無」に対する実存的な態度や考え方を瞥見してみるとき、それらが、その時期その時期における西脇詩の核心であり、また、それらが深まりをみせている、ということから立証できるのではあるまいか。しかし、それだけでは西脇詩の全体は語り尽くせないな、というように。

ここには1970年代の時代状況が感じられて懐かしい印象を受ける。実存、この言葉の響きー。
昨年11月になるが、青少年向けに共著(太田昌孝先生と)で書き下ろした最近の本、『西脇順三郎物語― 小千谷が生んだ世界の詩人―』でも解りやすくこの西脇詩の根底にある「無」の思想について解説している。いくら青少年向けにといっても、大人も厄介な難問を理解するのはやはり難しいはずだ。因みに、最新刊は今年2月末日刊行の『21世紀の西脇順三郎 今語り継ぐ詩的冒険』である。勿論この本でも「無」は〈生きている〉。実はなぜこの小文に注目したか。それは西脇順三郎が戦中沈黙をしていたこと(敵国である英国の言語・文学研究ですから)で何が醸成されて、それが戦後変化していく詩的営意に興味があったからに他ならない(西脇順三郎はその時50歳を過ぎていた)。詩人、歌人それに小説家、画家や音楽家まで戦争を美化した作品や記事を積極的に書いた、あるいは、書かされたか…。今思うのは、悲惨な歴史は決して繰り返してはならないということのメッセージを共有することなのだ。
いつも澤先生にお会いする度に、これはぜひ聞き出したいと思っていてもつい忘れてしまっていることがある。それは西脇順三郎を研究するきっかけはいつで動機は何だったか、ということそれに西脇詩に魅了され続けている理由は何かということである。長くおつきあいさせてもらっているが、その話はすでに聞いたのかも知れないが未だに思い出せないでいる。革命性、永遠性、普遍性、斬新さ、カイギャク、イロニー、ウィット、ユーモア、言葉遊び、独特な言葉の使い方、ネキサスまたはリエゾン、シュールリアリズム、モダニズム、ダダイズム、存在の淋しさ、孤独、カンシャク、西洋絵画芸術や英語学・英文学の造詣の深さ、植物、民俗学、郷土愛等々。

追記 ついに澤先生から西脇順三郎研究のきっかけを聞くことができた。その本は真鍋 博装丁で、1964年思潮社から刊行された『西脇順三郎詩論集』だった。(2015.10.7 記)

2015/07/28

超人の面白読書 112 中村忠夫著『西脇順三郎の風土 小千谷を詠んだ詩の数々』 5

そして著者は西脇順三郎85歳での全詩集最後の詩「望郷」を取り上げる。その13行目からの引用だ。

夏の日は晴れわたる
近江の人森先生の博物の時間
この田園の憂鬱は学名が衰えて
郷音が栄えることである
ゲンゴロウはゴウガメになる
でも先生は子供のカイギャクとみなして
女の子のようにホホホホホと笑った。
正午は愁人も割れたイチジクになる
アルミの弁当には
タラコかまたは
大豆を醤油で辛く煮て
杉の皮をかむ
塀の外へ出て桐の生えた土手に
足をなげだして、
クイナを思いながら。
また時には特有のにおいがする
小便室でアンパンか
食パンの切りみを買つて
砂糖をふりかけて食う。
ボタモチはアルミに入れるのも
あじけないと思うのか
見たことがなかった。
なにしろ
絶大なる孤独感におそわれるのが
人間の故里の宿命でどうしょうもない。
ああ遠くで犬がほえているようだ。
またよそ人が近づいたのであろう。

旧制小千谷中学校は、西脇先生の生家から2キロメートル程離れた上ノ山のはずれにあり、その頃の様子が面白おかしく詠まれている詩だと著者が解説している。さらに、小千谷市立中学校、新潟県立小千谷高等学校や小千谷市立東小学校などの校歌作品を紹介して終わる。この校歌作詞にはエピソードがあって、関係者をどぎまぎさせたと著者。
「校歌作詞は引き受けましたが、一つ条件があります。それは校歌の作詞の完成は明日かも知れないし、1年後かも知れませんのでご承知おきください」しかし、完成は意外と早くしかも立派な作品だった。
西脇詩の優れた読解力の持ち主で小千谷の風土をこよなく愛してきた著者だからこそものにできた好著である。本書で筆者も西脇詩に出てくる植物については大分教えられ(そう言えば、北欧文学者・児童文学者・詩人の山室静も植物には造詣が深かった)、おかげで筆者の西脇詩の見方がより身近になった。西脇順三郎詩入門書にもなっているので一人でも多くの人に読んでもらいたい本だ。特に若い人たちに。自費出版なので、興味のある方は直接中村内科消化器科医院に問い合わせたい。

筆者はいま戦後文学の傑作、梅崎春生の『幻化』と西脇順三郎の「幻影の人」について、この二つの「まぼろし」のあとに続く哲学的否ラディカル(根源的な)な言葉、"人生観たり"と言いたげな謎かけの解を楽しんでいる。
評論家の篠田一士が、1982年6月7日付朝日新聞文化欄の西脇順三郎追悼文に寄せて次のように書いていた。いまその意図することを思い起こしてもいい時期かも知れない。その最後の方を引用して終わりたい。

「幻影の人」のイメージが、たえず立ち現れ、それを巡って、詩的、あるいは、学問的考証が行われる。そして、また、このイメージは、西脇順三郎の全詩集を一環する、もっとも独創的な詩的遺産として、いまや、手渡されたのである。

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考えよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考える水も永劫に流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る

2015/07/24

超人の面白読書 112 中村忠夫著『西脇順三郎の風土 小千谷を詠んだ詩の数々』 4

こうして著者は、西脇順三郎の詩を小千谷の風土と重ね合わせてその詩の背景を読み解いていく。「Ambarvalia」の天気の戦前初期作品から始まり、旅人、皿、内面的に深き日記、「旅人かへらず」の戦後直後の中期の作品から、10、34~38、79、82、86、87、102、103、104、105、106、107、122、123、124、156、161の比較的短い詩を取り上げ、小千谷の舞台を一つひとつ解説、いわば足で稼いだ成果である。その中の中学生の同級生を詠んだ詩がある。

161

昔株屋をやってゐたが
此頃は百姓にもどった男
橋のたもとで大根の種を買つて
つり銭を待ちながら
ヘツヘッと笑つて云った
『女は男の種を宿すといふ
それは神話だ
女の中に種があんべ
男なんざ光線とかいふもんだ
蜂か風みたいなもんだ』

なかなかエロチックでユーモアのある作品である。筆者も好きな詩だ。草野心平の詩にも郷土の有名人を並べた詩句があるが、西脇詩のほうがユーモアやペーソスがある。著者は大根の種を買った店は旭橋を渡って千谷川のほうに下る坂の途中にあった丸信種屋で、現在は更に下った旧大川蕎麦屋に移転したと詳細に解説を施している。
さらに、「第三の神話」から自伝、プレリュード、人間の没落について、ジューピテル、「失われた時」から第Ⅰ編 九十九行目から、第Ⅱ編 五十八行目から、「宝石の眠り」からローマの休日、写真、くるみの木、椀、きこり、茄子、坂、まさかり、記憶のために、すもも、エピック、宝石の眠りと続く。〈続く〉

2015/07/22

超人の面白読書 112 中村忠夫著『西脇順三郎の風土 小千谷を詠んだ詩の数々』 3

序文で太田昌孝名古屋短大教授は、本書を出すそもそものきっかけは著者が院長を努める中村内科消化器科医院の「院内報」に書いた順三郎と小千谷だったこと、出版を勧めたことなどが「慧眼と実感」のタイトルで手短にまとめている。そのなかで太田昌孝先生(西脇順三郎と民俗学が研究テーマ)が、本書の「ジューピテル」の項で、順三郎が田中満太郎氏(元木津小学校長)に一般に馴染みのない植物について教えられて、それが「あんばるわりあ」や「旅人かえらず」に見事に結実していると指摘、著者の「実感」の大切さを再認識させられたと書いている。
さて、本書の第一は西脇順三郎の難解な詩についての言及だ。カイギャク、イロニー、ウイット、パロディー、遠いものの連結だと書き、西脇詩の特徴を挙げ、その中によく使われる「脳髄」を医学的な見地でカイボウしている。かくいう筆者も若いときからこの「ひとつの脳髄」にとりつかれている一人だ。そして今もってあるイメージが筆者の脳裏から離れないでいる。それは俳優伊丹十三がバラエティー番組「11PM」で脳ミソから長いながーい管を取り出しているシーンで、なかなか途切れない、そのうち途切れて脳ミソが空っぽになる。すると、耳元あたりを叩いて跳ねるとカランコロンと音がする。このナンセンスユーモアが「ひとつの脳髄」と結びついているのだ。
本書で著者が書いている。

精神科領域の言葉で「観念奔逸」という医学用語がある。私たちの脳の中では、あるものを考えるとき、過去の経験やそれまでに得た知識を総動員して概念的な知識と言語を元に思考がなされている。西脇詩の特徴は頭の中に飛来する概念が、次から次へと形成され、豊富な知識に裏付けされた言葉が次々に繰り出され、詩に表現するという極めて難しい作業の表出である。思考が脇道にそれると概念の統一性がなくなり、躁病の人や酔っぱらいに見られるような支離滅裂な現象が起こり、それを精神医学用語で「観念奔逸」と呼んでいる。西脇詩には一見このような現象に見間違えることがあるが、敢えてそのように見せることで詩をさらに面白くしているのかもしれない。現代詩ではこの「意識の流れ」を背景に詩が成り立っていることを西脇先生は詩論のなかで述べているのである(本文P.33)。

長々と引用したが、著者のいう“遠いものの連結”は、西脇詩には顕著かもしれないが、多少なりとも詩人には見られる現象のように筆者には思われる。閃きの所産は個人差があり、俗にいう直感力が働かないと良い詩が成立しにくい。ミューズ(詩神)が降りてこないと詩作ができないのだ。詩人谷川俊太郎もよくそんなことを言っている。〈続く〉

2015/07/21

クロカル超人が行く 177 足立区の花火大会

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梅雨明けがそろそろの7月18日、午後九段下で小さな研究会に出席後友人に誘われて町屋の彼の友人のマンションに出かけた。足立区の花火大会を観るためである。友人によれば、この足立区の花火大会を荒川区のマンションから観賞するのが毎年恒例行事だそうだ。Mさんのホスピタリティーに感じ入り、食、飲、談、観の揃った夏の夜の宴に相応しく、洒脱なテレビ番組「ヨルタモリ」ではないが異次元の、非日常の世界にしばし遊んだ。天候が心配されたが、花火大会開催直前に見事な虹が二つ出たのだ。これは願い事が叶う兆しー。納涼感たっぷりで楽しかった。パワーをもらった感じだ。
町屋駅すぐそばの赤提灯での二次会では一匹狼風の釣師H氏との出会いがこれまた粋で鰻獲りなど釣り談義をしばし。だが、筆者の酔いにまかせて変幻、夢遊したことは店主も埒外だったはず。一緒にいた友人も呆れ顔隠せず。おまけの“楽しさ”がついたのである。

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夏雲や静かに流れ隅田川

梅雨明けも何知るぞ虹の架け橋

花は華満天に咲く夏夜空

ワイングラスみえる灯りは夏ゆらり

虹二つ尾竹橋と不穀隣橋

乙まみに味が染み込む甲の夏

1 rainbow
2 rainbows,
And 3 rainbows
Seen as VENUS arch
On the Sumida River


追記 それにつけても下町の絵師水村喜一郎は今何処?

2015/07/18

超人の面白読書 112 中村忠夫著『西脇順三郎の風土 小千谷を詠んだ詩の数々』 2

2014年11月に西脇順三郎生誕120周年を記念して、小千谷の深地ヶ岨に西脇順三郎の詩碑が建立された。詩「旅人」から採られた詩句だ。

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汝は汝の村へ帰れ
郷里の崖を祝福せよ
その裸の土は汝の夜明だ
あけびの實は汝の霊魂の如く
夏中ぶらさがってゐる

命令調の響きが心地よく(自分に向かって命令している)、より郷愁をさそる詩だ。万年筆で書くスタイルがよくお似合いな、特徴のある西脇順三郎自筆も刻まれている。晩年の詩だが言葉使いが独特だ。崖を祝福せよと謳った詩人を西脇順三郎以外に筆者は知らない。これも何かの縁かも知れないが、その現場に今年の5月末に訪れるができた。そして、「ああ、なるほど崖(cliff)ねぇ」と呟いたのだ。

小千谷生まれで医師また西脇順三郎偲ぶ会の副会長でもある著者は、今までの研究者等の書いた本とは違って、趣味的に一市民が親しんできた西脇順三郎の詩と故郷小千谷の風土を重ね合わせて編んだ、いわば小千谷を知り尽くした人ならではの本である。しかし、西脇順三郎を偲ぶ会の副会長の要職者でも分かるように西脇順三郎に関する知識量は相当なもので、さらに行間には所々優しいお人柄が滲み出ている、西脇順三郎を愛して止まない本なのだ。

目次

序文―太田昌孝
はじめに
1 西脇詩を理解するために
2 西脇順三郎の詩の特徴
3 Ambarvalia
4 旅人かえらず
5 第三の神話
6 失われた時
7 宝石の眠り
8 禮記
9 壌歌
10 鹿門
11 人類
12 小千谷に残された校歌や詩など
参考文献
あとがき

70枚以上のカラーと白黒の写真が挿入されている。さらに本書には5頁にわたってイラストで解りやすく西脇関係図まであるのが最大の特長で、本文と合わせて見られるように数字入りなのがいい。折り込み図としたほうがなお見やすかったが。【写真 : 旭橋からみた深地ヶ岨 本文P.31より】

2015/07/17

超人の面白読書 112 中村忠夫著『西脇順三郎の風土 小千谷を詠んだ詩の数々』

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昨日芥川賞にお笑い芸人の又吉直樹氏の『火花』が受賞。お笑い芸人としては史上初めて、話題を集めている。すでに版元の文藝春秋社は増刷し100万部を越えたらしい。審査委員の一人、作家の山田詠美は(この作家のデビューも鮮烈だった!)、「次の作品が鍵」と言ったとか。また、昨夜の「ニュースステーション」でキャスターの古館伊知郎氏が「今や芥川賞も本屋大賞と大差なく大衆化したような感じを受けますね」と発言したことにネットが反応、騒ぎが起こっているようだ。元々芥川賞は作家で文藝春秋社の社長でもあった菊池寛の今でいう出版ビジネスのセールスプロモーションツールだった。
前置きはこのくらいにして、中村忠夫氏の著書の話だ。〈続く〉

2015/07/15

超人の面白ラーメン紀行 201 京都市右京区『桃花春』

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京都市右京区の仁和寺近くにあるラーメン店『桃花春』。京都右京区は仁和寺某通り在住のI氏を誘ってラーメンで昼食。仁和寺といえば吉田兼好の『徒然草』の「仁和寺にある法師」で有名だが、元々天皇家と縁の深い真言宗御室派の総本山で今では世界遺産になっている。大昔大阪万博で上洛したときに仁和寺に寄ったことを思い出した。なぜ仁和寺だっかは今となっては知る由もないけれども、多分雰囲気や家のただずまいだったかー。ネットで確認したが土屏が見当たらない。実はその当時とても暑くて、今でいう熱中症になる寸前だったが京都駅から仁和寺まで歩いてみたものの、土壁を囲んだ境内が広くてまた歩くのかと往生したのだった。そのシーンは今もって覚えているから不思議だ。よっぽど強烈だったのかも。それもこれも今となったら楽しい思い出のひとつ。
そう、ラーメンの話に戻そう。メニューはいたってシンプル。ラーメンしかないのだ。あとはチャーシュー麺、ラーメンに焼き飯のセット、ラーメンに餃子のセットなどとバリエーションが少ししかも値段がリーズナブル。待つこと7分、20人入れば一杯の狭い店の中央の丸テーブルに。修学旅行生のグループが食べたあとの席だった。ラーメン好きの地元のおばさん2人と同席でI氏と一緒にしばしラーメン談義(このおばさんたちはラーメンと餃子を頼んで出てきた餃子を一口どうぞと勧められて一個ごちそうになった ! また、I氏もラーメンと焼き飯セットを注文。焼き飯を一口頂いたのだ)。ラーメン(600円)を注文。醤油豚骨の独特なスープは、京都系醤油豚骨で背脂たっぷりしかもニンニク入りだ。一啜りさらにもう一啜りすると中国香りのするやや甘ったるい感じのスープ。見た目と違って意外と美味である。麺はやや縮れの中細麺だがスープと相性がいい。トッピングのチャーシューは薄いのが4枚、味はいいしかも柔らか。美味。九条ネギもそれなりに。昼時だから満席。応対に大変な様子が伺えたが店の男性と店主がやさしく黙々と捌いていた。
京都市右京区『桃花春』 1.スープ★★☆2.麺★★3.トッピング★★☆4.接客・雰囲気★★5.価格★★★


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追記 同伴したI氏のことばが奮っていた。「この店の貼り紙に明日から三連休とあったから、偶然に今日来れてラッキーだよ」また、京都の郊外にあるこの地区周辺(最近JRがこの近辺の「宇多野」のPRをさかんしている。見よ、JRの京都駅内のポスターを!宇多野、があるある)に観光客を呼び込むキャンペーンも。ついでに書けば、I氏が夢中でメモ書きしていたのが店内に貼られたラーメン店『おもてなし』(姉妹店?)で、西京極辺りにあるらしい。ついでのついでにもうひとつ、I氏がそっと教えてくれたラーメン店がある。うろ覚えだが確か北白川の『東龍』、と言ったかな。

2015/07/05

超人の面白翻訳鑑賞 西脇順三郎作「雨」のドナルド・キーンの英訳

南風は柔らかい女神をもたらした
青銅をぬらした 噴水をぬらした
燕の羽と黄金の毛をぬらした
潮を濡らし 砂をぬらし 魚をぬらした
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした
この静かな柔らかい女神の行列が
私の舌をぬらした

rain

The south wind has brought soft godnesses.
They have wet the bronze, wet the fountain.
Wet the swallow's wings, wet the golden feathers
wet the tidewater , wet the sand, wet the fishes.
Gently, wet the temples, baths and theaters
The procession of gentle, soft godnesses
Has wet my tongue.

『日本文学史 近代・現代篇 8』(中公文庫)P.273-P.274より

何ともエロチックな詩だが、キーンの英訳のwetの響きがこれまたいい。

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