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2015/04/27

超人の面白ラーメン紀行 196 淵野辺駅『大勝軒 淵野辺店』

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初夏のような陽気の昼下がり、一仕事を終えて淵野辺駅近くのラーメン店『大勝軒 淵野辺店』に入った。以前に横浜線淵野辺駅周辺にそれなりのラーメン店があったことを記憶していたからだ。
らーめん ふつう(780円)を注文。供されたラーメンは他の店なら大盛に匹敵するような、ボリュームのあるラーメンだ。煮干し出汁の醤油味スープ、麺は中細ストレート系、トッピングはチャーシュー3枚、メンマに葱を散りばめたあっさり味。少なめ、ふつう、大盛のカテゴリーで、らーめん、チャーシュー、メンマの3種類のラーメンのみとメニューはいたってシンプルだ。最初の一啜りで『永福町 大勝軒』のラーメンを彷彿させたので、支払い時にその系列かどうか店の女性に訊いてみた。
「『大勝軒』淵野辺店とありますが、『永福町 大勝軒』の支店ですか」と筆者。
「少しお待ちください」と女性がガラス張りの中の厨房にいる店主らしき男性に訊きに行った。
「違いますが。うちの店です」と答えが帰ってきた。含み笑いをしながら。
しかし、確かにここのラーメン店は、『永福町 大勝軒』のラーメンだけではなく厨房まで似ていて、『永福町 大勝軒』で修業したか、真似たかのどちらかなはずだ。『永福町 大勝軒』と違うとすれば、葱が豊富なことと煮干し出汁醤油味のスープに今一キレがないことか。それにしても看板の“大勝軒 淵野辺店”の紛らしいこと。“大勝軒”でもなく“支店”でもないという、二重の意味でややこしい。むしろ、寄らば大樹的なことに依存せず、オリジナリティ溢れる名前を看板に付けるべきじゃなかったかー。
午後2時を回った時間帯にもかかわらず、カウンター席、テーブル席併せて26席位ある客席は、初めは空いていたが少しずつ客が入ってきて、いつの間にか席はそれなりに埋まった。アットホームなやや緩い感じのするラーメン店だが、“ラーメン ふつう”で満腹感を味わった。
帰り際にラーメン店『浅沼屋』や『横浜家系大和家 淵野辺店』を見つけた。
淵野辺駅『大勝軒 淵野辺店』1.スープ★★☆2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★★5.価格★★

2015/04/20

クロカル超人が行く 173  町田市民文学館『常盤新平展』 余滴 7

余滴の余滴。
常盤新平の仇敵小林信彦氏は、前述した『週刊文春』で昔のことを話していたが、その小林信彦氏がまだテレビの構成作家の頃に手掛けたテレビ番組「巨泉・前武ゲバゲバ90分」という当時としては斬新なナンセンス ショートコント番組があった。大橋巨泉、前田武彦、愛川欽也、藤村俊二や萩本欽一などが出演。その出演者の一人愛川欽也がつい先日亡くなった。生前病名を明かさずという本人の意志を守った妻のうつみ宮土里さん、病名は肺癌だった。享年80歳。情報番組「アド街っく天国」の司会を20年間務めてこの3月に降板したばかりの悲報。仕事好きだったという。ラジオ深夜番組「パックインミュージック」は学生時代、アルバイト先で聞いていたし、「巨泉・前武ゲバゲバ90分」は、勿論実家でも観ていたが、上京したばかりの頃に東中野にいた中学校の同級生Y君の下宿していた家(新潮社の編集者で『アルベール・カミュ全集』の担当者だった兄の家)で観た記憶が鮮明だ。テンポの速い“ナンセンスなストーリー”についていけず、考え込んでいるうちに場面は次々と切り替わって、いつのまにか終わっている感じだった。

追記 そう言えば、出演者はこんなに。朝丘雪路、松岡きっこ、小川知子、吉田日出子、うつみみどり、野川由美子、宮本信子、小山ルミ、キャロライン洋子、ジュディオング、小松方正、宍戸錠、常田冨士雄、坂上二郎、大辻伺郎など女優、タレント、男優、芸人。「巨泉・前武ゲバゲバ90分」の名付け親は小林信彦氏、名前をつけただけで10万円をもらったという。その名前の「ゲバゲバ」は元々ゲバルト(暴力)の意で、当時の学生運動から採った。一部「ウィキペディア」を参照。

2015/04/18

クロカル超人が行く 173  町田市民文学館『常盤新平展』 余滴 6

直木賞選評の続き。

「ときめきと不安が混在する青春なるもの。ことに昭和30年代初期という時代の青春を見事に描き出した作品だった。」「小説のとどのつまりは文章によって成立すること、丁寧でつつしみ深い文章がどういうことを表現出来るかを示した作品でもあった。」(藤沢周平の選評)

「すぐれた青春小説であり、昭和30年代前半のムードをみごとに描いている。ただ東西のミステリーを読破した常盤新平氏が、なぜ骨組みのしっかりしたミステリーをひっさげて登場しないのか、それだけが不満である。」(陳瞬臣の選評)

「味のある文章で青春の悩みと希望を見事に描き切り当時の風俗を彷彿とさせる。」「この小説の魅力は単なる青春小説ではなくアメリカを遠い国とする「時代」が息づいているところにある。」(黒岩重吾の選評)

五木寛之は選評なし。この無言は選評に値しないということか。別な候補者、逢坂剛と落合恵子の二人を推した。

「歯ごたえを感じなかった。」(村上元三の選評)

この96回直木賞選考委員会では、結局池波正太郎、山口瞳、井上ひさしそれに黒岩重吾の4人が推して常盤新平の『遠いアメリカ』が受賞。常盤新平55歳での受賞である。

2015/04/17

クロカル超人が行く 173  町田市民文学館『常盤新平展』 余滴 5

常盤新平の『遠いアメリカ』の文体はタイトルにもなっている最初の一篇を読んだ限りで言えば、現在形で短い文章で綴られている。筆者にはそれが翻訳で培った文章スタイルなのか、あるいは文章のリズムを維持するために意識的に作り出されたスタイルなのか迷うところだが、多分両方だと考えるのが妥当かも知れない。アルベール・カミュの小説『異邦人』ではないが、短い文章の連鎖が小気味良く展開されて、ある意味では青春期特有の自分探しと恋愛物語になっている。典型的な成長小説だ。内容的には技巧的過ぎないか。作者50歳代の作品。都会の空気と知識とをふんだんに吸い込み、吐き出しながら。筆者としては文体が気になっていたのだが、下記に記すように選評にはそのことに言及した選考委員はいない。かろうじて触れていたのは藤沢周平だ。取るにに足りない事柄だったかも。

「30年前の日本の、東京の青春像を一組の男女に託して描いたわけだが、50をこえた作者が、このテーマに、みずみずしい姿勢で立ち向かったのが良かった。(池波正太郎の選評)

「昭和20年代の終わりから30年代の初めにかけて、喫茶店ブームというのがあったが、そこで無為に過ごす青年という設定は、まさに天の時、地の利を得たと言うべきか。」「桃色のストローハットの似合う丸顔の小柄な女性である恋人がいい。」「これが稀に見る美しい青春小説になっているのは、ここに常盤さんの万感の思いが籠められているからだ。」(山口瞳の選評)

「たしかにういういしさが魅力だが、それをこえる小説としての手応えとなると、いささかもの足りない。」「正直いって、この作品が受賞なら、早坂氏の作品が受賞してもおかしくなかった。」「いま一つ積極的に推す気になれなかったのは、いずれも自伝的・エッセイ的な要素が強く、しかるべき人が50年以上も生きてくれば、この種のものを一本ぐらいは書けそうに思ったからである。」(渡辺淳一の選考)

「一見、素気ない作品のように見えるが、各所に仕組まれた小説的仕掛けは特筆に値いする。」「登場人物を抽出する手際はもあざやかだ。たとえば父親。ここ10年 来の日本の小説にあらわれた父親像の、これは白眉だ。」(井上ひさしの選評) 〈続く〉

2015/04/16

クロカル超人が行く 173 町田市民文学館『常盤新平展』 余滴 4

候補作は常盤新平『遠いアメリカ』(353枚)の他に、逢坂剛『カディスの赤い星』(1289枚)、早坂暁『ダウンタウン・ヒーローズ』(592枚)、山崎光夫『ジェンナーの遺言』(277枚数)、赤羽尭『脱出のパスポート』(483枚)、小松重男『*の縁側』(69枚)、落合恵子『アローン・アゲイン』(394枚)の7作。筆者の知らない作家もいる。原稿枚数の最長は逢坂剛の『カディスの赤い星』で1289枚、最短は小松重男の『鰈の縁側』で61枚だ。常盤新平の『遠いアメリカ』は長さでは5番目。原稿枚数の長さで最長と最短の差は1228枚もある。勿論作品の良し悪しは内容だが。一行書くのに相当時間を費やす作家もいるくらいだから、それは作家の持ち味かも。〈続く〉

2015/04/15

クロカル超人が行く 173  町田市民文学館『常盤新平展』 余滴 3

さて、話を前に戻そう。常盤新平が『遠いアメリカ』(ついでにここで直近のニュースを挟めば、アメリカとキューバが“近くて遠い国”を半世紀振りに解消、オバマ大統領とカストロ首相とのトップ会談が持たれた。アメリカの議会で承認されれば45日後に国交再開となる歴史的出来事。いわば、キューバから見れば、“近くて遠い”から“身近なアメリカ”になるが、同時に「格差」も生じることも為政者は承知済みだという。些か複雑だ)で直木賞を受賞した理由を読みたくなり、図書館に行って当時の『文藝春秋』を探そうと考えていたが、その前にネットで検索してみた。すると「直木賞選評の概要」という記事が出てきた。どうやらブログでの記事のようだ。いろいろとマニアックな人がいるものだと感心するも便利な素材を提供してくれて有難い。早速その記事を引用させてもらって当時の選評を辿ってみたい。選考委員は池波正太郎、山口瞳、渡辺淳一、村上元三、井上ひさし、藤沢周平、陳瞬臣、黒岩重吾、五木寛之の9人。最年長は村上元三で76歳、最年少は井上ひさしの52歳だ。昭和61年(1986年)年下半期の作品で直木賞決定の発表日は昭和62年(1987年)1月16日、選評掲載は『オール讀物』昭和62年(1987年)4月号。〈続く〉

クロカル超人が行く 173  町田市民文学館『常盤新平展』 余滴 2

それで、大昔新潮社のPR誌『波』に小林信彦氏の連載エッセイ(「ちあふる奥の細道」辺りか)を面白く読んだことを思い出しながら、小林信彦についてウィキペディアにあたってみた。キャリアやヒストリー、ファミリーヒストリーそれにエピソードまで詳しく書かれていたが、驚いたことに、その著作の多いこと多いこと、これでは本人自身が途中まで数えて諦めたことも頷ける(『週刊文春』2015年4月16日号 「佐和子のこの人に会いたい 小林信彦 」P.127。週刊誌までフォローしきれない筆者は、出張が多かった10数年前からほとんど買っていなかった)。で、前に触れた雑誌編集委員交代劇の話は、小林信彦氏の長編『夢の砦』のなかに書かれているらしい。残念ながら筆者は未読だ。常盤新平がこれに対してPR雑誌『青春と読書』で反論したという。苦笑しながら、大人気なく狡い、と。筆者が想像するには、お互いに生活がかかっていた時期で、その上グッドジョブを死守したい、グッドジョブに就きたい、それは都会育ちの 少しひねくれた正直者と田舎育ちの生真面目だが多少の要領を心得ていた地方出身者のゲームだった。今となっては長生きした者の勝利となるか、いやいや、常盤新平の小心さ故の立ち振舞いもそれなりの生き様だったか。半世紀前の出来事で、いまや時に晒されて〈伝説〉化されたことだけは間違いなさそうだ。〈続く〉

2015/04/13

クロカル超人が行く 173  町田市民文学館「常盤新平展」 余滴

常盤新平は作家小林信彦氏とは仇敵だった。

常盤新平の直木賞受賞作品『遠いアメリカ』の一篇「遠いアメリカ」を読み終えた。ネットで取り寄せた古本だが、ところどころに中高年の女性の書き込みがあって些か閉口気味。安価だったから致し方ないと思って読み始めたのだ。六本木などの都会を舞台にした自伝的色彩の濃い青春小説なのだが、この作品の直木賞受賞を巡って作家の小林信彦氏が噛みついた。実は、『遠いアメリカ』の一篇を読み終えた時点で、その時の選考委員と選考評に興味があって調べてみた。その前に、常盤新平について一応おさえておこうとネットで検索をかけてみたら、作家の小林信彦氏についての比較的長い記述があった。雑誌「ヒッチコック・マガジン」の編集委員の交代劇ー編集長の江戸川乱歩が本人に解雇理由を告げず、後任に常盤新平が着任した話ーについて、表では褒めちぎり裏では引きずりおろしを演出したとして、小林信彦氏が“ボクトツにてロウカツ”の言辞を引用しながら執拗な攻撃を加えた。それは直木賞受賞時にも現れていて、常盤新平の選考委員に対する根回しがあったから(執拗な持ち上げ)賞にありつけたというのだ。もう28年前の出来事だ。余談だが、この年は筆者が最初にニューヨークに行った年でもある。〈続く〉

2015/04/03

池袋のラーメン店『大勝軒』創業者の死

ラーメン界のカリスマ的な存在だった、池袋のラーメン店『大勝軒』創業者の山岸一雄氏が、心不全で4月1日に亡くなった。享年80歳。つけ麺など ラーメン普及の立役者は、テレビにも度々出演、先月だったか愛弟子にケアされている自宅の山岸氏が映し出されていたが、それが最後のテレビ出演だったかも。暖簾分けされた弟子は全国に数知れず、厳しい中にも面倒見のいい人柄に若い人たちがひかれた。ラーメン道を極めた人だが、ラーメンにかける情熱も人一倍強くよく働いた。あの“骨太”のつけ麺が象徴的だ。今やラーメン界のニューウェブは彼の弟子たちで占められているといっても過言ではない。合掌。

追記 そう言えば、故山岸一雄氏に頭が上がらないと豪語していたラーメン界の鬼こと故佐野実の1周忌も近い。ところで、ウィキペディアの佐野実の項目を注意深く読むと、ラーメン界に入る前の“修行時代”の一部がカットされていることに気付く。(2015.4.4 記)

追記2 代々木上原のラーメン店『大勝軒』(写真下)は故山岸一雄と関係が深い店。

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2015/04/01

超人の生真面目半分転生人語 4 ノーベル文学賞候補エピソード

昨夜、衣替えしたばかりのNHK夜9時の「ニュースウォッチナイン」でノーベル文学賞に至る過程を小特集していた。川端康成が日本人で初めて受賞した1960年代、そこにはノーベル委員会から密かに推挙依頼を受けた日本文学研究者ドナルド・キーン氏らの葛藤があった。ノーベル賞の候補や選考過程については50年間守秘義務があったため、候補者選びにはいろいろと推測が飛んでいたが、最近50年が経ってようやく情報公開されるようになった。少しずつ当時の真相が解り始めてきたのだ。文学賞候補には、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫そして西脇順三郎の名前が挙がっていた。番組では新星キャスターが日本文学研究者のドナルド・キーン氏を訪ねインタビューを試みていた。今だからいえる真実ー。やはり若い三島由紀夫に取らせたかったが、彼はまだ若いのでチャンスはまだあるからと、文化勲章など大きな賞はキャリアの証として受けるという日本の年功序列の習慣を踏まえて、谷崎、川端あたりを考えていたと打ち明けた。我らの詩人西脇順三郎はこの限りでは4番目の候補だった。その後谷崎は亡くなり、川端が受賞(サイデンステッカー訳『Snow Country』の果たした役割は甚大)、三島は自決した(1970年11月25日。筆者は朝日新聞が夕刊トップで彼の死を伝えていたことを鮮明に覚えている)。驚いたことに、2年後、川端も逗子マリーナでガス自殺して果てた。

追記 ノーベル文学賞候補に挙がっていた谷崎潤一郎の話を一昨日書いたばかりだが、今度は谷崎潤一郎の創作ノートがネガフィルムの形で発見、とまたもやNHK「ニュースウォッチナイン」が報道。番組制作関係者には相当の文学好きがいるのかと疑いたくなるような連日の文学関連報道だ。
それはさておき、谷崎潤一郎の話の続き。戦時中、谷崎がこれらの散逸を恐れて友人に頼んでカメラに収めてもらったものらしい。出版社が新たな谷崎潤一郎全集を編集中に倉庫から出てきたという。そのネガフィルムから『細雪』、『春琴抄』や『陰翳礼讚』などの執筆メモが読み取れ、作家の頭のカオスを覗ける面白さがあると指摘しまた、今回の発見は極めて奇跡的と谷崎研究家で早稲田大学の千葉俊二教授が語っていた。新たに谷崎ブームが起こるかも。映画のリメイクやら、“谷崎源氏”の読み直しもあったりと。そんな感じもする筆者だが・・・。(2015.4.3 記)

追記 またもや谷崎潤一郎の新発見資料の話を4日付毎日新聞朝刊が伝えている。今度は筆者の会社宛にもメールで案内が来た神奈川近代文学館の「没後50年 谷崎潤一郎展」で、その新発見資料が公開される。最初の妻との間に生まれた鮎子に送った未発表の書簡225通と詩人の佐藤春夫宛の人妻との恋を打ち明けた手紙1通だ。谷崎の父親としての顔が伺い知れるものなど谷崎研究者やファンには堪らない資料かも。(2015.4.4 記)

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