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2015/03/25

クロカル超人が行く 173  町田市民文学館『常盤新平展』 3

「常盤新平展」プロローグ 遠いアメリカの最初の展示写真は「六本木交差点」(昭和34年、港区立図書館蔵)。そこにクローズアップされて写し出されている書店の「誠至堂」は、100年目の2003年に閉店したが、直木賞受賞作『遠いアメリカ』にその名前が出てくるのだ。

彼女は重吉の眼の前に、クローバーから買ってきた小さな箱を持ちあげてみせる。椙枝の肩からハンドバックの紐がいまにもずりおちそうだ。重吉はババロワのはいった箱を受けとり、そんなに待たなかったという。
「今日は誠至堂にたくさんあったからね」
椙枝は、彼がこわきにかかえた紙包みにちらりと眼をやって、また微笑を浮べ、彼の腕にそっと手をおく。彼女の指が細くて白い。
「よかったわ」
重吉は咽喉が乾いていて、冷いコーヒーかコカコーラを飲みたい、それに手も洗いたい。古本屋でペイパーバックや雑誌をいじったから、指が汚れている。20150325133113_00001_4

筆者は「誠至堂」が12年前に閉店したことは知らなかったが、ここの経営関係者だった人を覚えている。筆者がまだ22、3歳の頃竹橋にあるM新聞社編集局でアルバイトをしていた時分に(余談になるが、筆者たちが属していた電信課は、本社と地方局との原稿の送受信の基地で、隣の課には原稿を印字するさん孔課があった。筆者たちは本社と地方局間の記事を電信用テープで送信、あるいは地方局の記事を漢テレで受信、言わば、電信作業の補助員。漢テレがよく故障して、その度に技術畑の比較的若い社員が懸命に修理していた。今はコンピュータ化されていて様相は一変したが、当時はやっとコンピュータによる電信技術の開発が緒についたばかりの時代だった。筆者は今はない「英文毎日」でアルバイトをしたかったが、あまりに時給が安くて喰えないため、ある人の計らいで電信課で働くごとになったのだ。こんなこともあった。K課長の娘さんが受験を控えていたので、英文雑誌を使ってある期間英語を教えていたことも。同時にアルバイトを2つやっていたわけだ)、社員でKiさんという都会育ちの優男がいて、毎月10日頃になると『文藝春秋』を何冊か小脇に抱えて入って来るのを見かけたものだ。その人こそこの写真に登場した「誠至堂」の人だった。親しくなった比較的若い社員のMさんに教えてもらったので確かなはずだ。一方、エピローグ 町田の日々では、昭和の香りがぷんぷんする「仲見世通り」の一角にあるカツカレーで有名な「アサノ」にも常盤新平は訪れた写真も。取材だったらしく、その雑誌の掲載誌が展示されていた。筆者も2、3年前にここのカツカレー(1500円)を食べに行って店主と会話している。すべてが手の届くような狭い空間で味のいいカツカレーは王子様の風情、また、店主のキャラクターも気さくでいい。〈続く〉

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