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2015/03/03

クロカル超人が行く 171  国立 鰻店『うなぎ 押田』その前に

「裂き3年、串8年、焼き一生」といわれている鰻店、昨今は鰻不足で値段が高騰していて庶民には高嶺の花だが、今回知り合いのY君の計らいで弟さんが営む鰻店『うなぎ 押田』でご相伴にあずかった。
その日は生憎雨模様でしとしと冷たい雨が降る中、店のあるJR国立駅まで出かけた。3月初めの日曜日にしては電車は思っていたより混んでいた。立派になったJR国立駅には11時10分前に着いた。改札口前のほうに相変わらず元気そうなY君がいた。去年の11月半ばに会って銀ブラして以来3ヵヶ月振りである。彼とはどういう訳か偶然のなせる技でことが動く。最初は去年、筆者が図書館で調べものをしていて司書が資料を探している間、突然彼の名前が浮かんでどうしているのかと気になり、調べものしたあとに試しにパソコンで検索してみた。すると名前と住所が出てきたのだ。ビックリである。で、さりげなくその住所に手紙を出して近況を訊ねた。すると、今度はメールで「まさしく、Yです。まだ生きています」との何やら尋常ではない言葉が認められていたのだ。それで本当に久し振りに会うことになったのだ。筆者の熱中時代の産物も聞きたかったらしいが、そんなものは青春初期の置き土産にすぎないのだが。彼にとっては強烈だったらしい。彼が上京時の去年の4月は東京駅の新名所や新宿ゴールデン街など夜の東京を筆者がガイド、そこには“青春25時の夢舞台”があった。そして11月に彼が仕事で再上京したときには銀座のランドマーク『サッポロビアホール』や太宰治が通った店『ルパン』にも顔を出した。その間に彼の大病の話と克服の過程を聞いて胸が熱くなったこと、それに実家が東日本大震災・東電福島原発大事故で被災し、帰宅困難地域になっていて帰宅出来ないこと(筆者は高校時代に彼の実家を一度訪ねている)など。人生の一大事を乗り越えた彼は再び青春時代へ、気が合う仲間と青春プレイバックしたのだ。
そう、これから山口瞳が贔屓にしていた鰻店『うなぎ 押田』に行くのだった。その山口瞳といえば、サントリー時代(当時の有名な雑誌は山口瞳も参画していた『洋酒天国』)のヒットコマーシャル、「トリスを飲んで、ハワイに行こう」が有名だ。筆者はその昔池袋駅西口から出て15分位にあった左角の飲み屋?屋根に取り付けられたトリスの看板を思い出す。もう大昔、まだ池袋が暗く少し恐い街だった頃ー。
そんなことお構い無しのY君、失礼。
『うなぎ 押田』はタクシーで7分の住宅街にあった。もちろんY君が案内してくれた。〈続く〉

【写真下:店主から頂いた店の献立】

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