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2015/02/23

クロカル超人が行く 170  横須賀市・観音崎「西脇順三郎文学碑」

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燈台へ行く道

まだ夏が終わらない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や
小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのつて
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた『麻たたき』の話など
いろいろな人間がいつたことを
考えながら歩いた


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休日出社して一仕事後に、急いで横須賀の観音崎にある「西脇順三郎文学碑」を見にでかけた。午後3時半前に出て着いたのが5時過ぎ。これでも電車の乗り継ぎがスムーズにいったので、要した時間が思ったより少なかった。もっとも京急横須賀中央駅前で観音崎行きのバス停に戸惑い多少ロスしたが。観音崎訪問は横須賀市立美術館オープン記念の「澁澤龍彦展」を観にきて以来だから、7年3ヶ月振りだ。春の海にはまだ早く人影はまばらだったが、見上げた先の観音崎燈台は威風堂々。「西脇順三郎文学碑」はここから徒歩7分と書いてあったけれど、観音崎バス停の周辺案内図を見ても見当たらなかった 。暗くなりかけてきて少し不安が過った。ここは誰かに訊ねるのが得策と考え、トイレの前にいた地元住民らしきおじさんに思い切って訊いてみた。
「この辺に西脇順三郎の文学碑がありませんか」と筆者が少し早口で訊ねると、
「確かこの森の上にあるものかな。いや、違うな・・・」とおじさんが必死に思い出そうとしていた。
筆者が透かさず携帯で「西脇順三郎文学碑」の写真を見せると、
「そうだ、あそこかも知れない。ここから海岸沿いに歩いて行くとトイレがあるから。その先にあるよ」
と今度は自信ありげにおじさんが答えてくれた。
筆者は礼を言って早速海岸沿いに歩き出した。東京湾の入口らしく、大小の貨物船が何隻も行き来している。波は穏やかだ。一時足を止めて打ち寄せては返す波を見ていると、ふと東日本大震災の大津波のことを思い出した。穏やかな波だが大きな地震があると一転して牙をむくので恐い。そんなことを考えながらまた、歩き出すこと5分、上のほうに観音崎燈台が見え、トイレもあった。「確かこの先に西脇順三郎文学碑がある?」と呟く筆者。すぐに赤っぽい屋根の休憩所を見つけまた、手前に「西脇順三郎文学碑」を見つけた。その詩碑は『近代の寓話』からの一篇「燈台へ行く道」だ。横須賀市が西脇順三郎生誕100周年記念で21年前に建立したもの。西脇順三郎が息子さんの順一さんと遠足にここを訪ねたのがきっかけで、その後度々訪ねたらしい。詩碑に一礼し一読後写真撮影したが、反射して自分の姿も出てしまうので少し工夫して撮ったのが上の写真。
詩の内容は西脇順三郎が観音崎燈台への道をあれこれ考えながら歩いている姿だ。とても素直で分かりやすい詩だが、中には西脇順三郎独特の詩句が散りばめられている。「『海の老人』が人の肩車に乗つて/木の実の酒を飲んでいる話」は、情景は浮かぶが、はて、どこからの話だろうと考え込んでしまうのだ。
筆者的には西脇順三郎の詩には、松岡正剛のネットでの書き込みを待つまでもなく、一つの脳髄から絵解き遊びやトボケやカイギャクなどが溢れ出ている感じだ。西脇流不思議な無関係な関係の言語構築を行ってあまりある。そこには乾いた知的ユーモアがある。初期、中期、それに後期作品には詩的営為に変化がみられるが、根っこのところでは繋がっている。澤正宏先生が指摘しているように〈寂寥感〉や〈虚無感〉が漂っている。特に戦後の詩には顕著だ。


ところで、行きのバスで馬堀海岸から走水辺りで窓外の海原を眺めながら思わず浮かんだ歌詞は、山本コータローの唄。

岬めぐりのバスは走る
僕はどうして生きてゆこう
悲しみ深く胸に沈めたら
この旅終えて街に帰ろう


追記 下記は昨秋西脇順三郎生誕120周年で小千谷市が建立した詩碑。亡くなる3ヶ月前に書かれた詩が刻まれている。「汝は汝の村へ帰れ !郷里の崖を祝福せよ・・・」【小千谷市立図書館のホームページより】

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