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2014/11/13

クロカル超人が行く 166 ある文学研究大会の飯館村・南相馬方面のスタディバスツアー 3

クロカル超人が行く 166 ある研究大会の飯館村・南相馬方面のスタディバスツアー

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写真上左から右 。 ①松川事件の現場に立つ松川記念塔。忘れてはいけないスタディツアーはここから始まった。②南相馬原町地区から萱浜海岸へ向かうところの住宅地だった一帯。被災し今や荒涼とした原野。やり切れないほどの凄まじい光景。野草だけが悲しそうに風に吹かれていた。③大地震、大津波や原発事故の放射能にも耐えて立つ看板。当時のままで崩壊寸前のN食堂の文字も見える。④洒落た造りの喫茶店。かつては珈琲を啜りながら語らっていた憩いの場所だったはず。⑤地震・大津波で崩壊した家屋は更地に。行政が立てた文字が無味簡素。⑥土壁の一角。聞けばここの近くにあった由緒ある土壁の家は地震で崩壊したらしい。⑦浮舟会館。昔あった小高城は別名浮舟城と呼ばれ、その名を冠した会館。浮舟会館には埴谷島尾記念室がある。筆者は8年前にここを訪ねている。現地ツアーアテンダント、南相馬市職員のT氏の職場でもあった。彼は3.11の大津波があった日もここにいて、知人に海岸方面にあった実家が津波で流されてないと言われ、駅の近くの高台からその光景をただ呆然と眺めたという。そして次の瞬間頭を切り替えて新たに生きていく覚悟を決めたと語った。もう一人英文学者で評論家、雑誌「近代文学」の同人でこの地の出身者荒正人の資料もあるとか。⑧⑨小高駅からもう一人の現地ツアーアテンダントである詩人の若松丈太郎さんから島尾敏雄や埴谷雄高の実家や墓地のあるところを説明して頂いたあとに現れた村上海岸近くの工事現場風の建物。実は大津波災害で出た瓦礫処理の巨大な作業場だった。雨の中車窓から。周りは原野に変わってしまった。惨すぎの一言。改めて津波の怖さを思い知らされた。

賢明な読者はこの写真を見て気づいたかも。ここには誰一人いないのだ。④はスタディツアーの研究者たち。そんなゴーストタウンの地区に市会議員選挙の宣伝カーが清き一票をお願いしていた。それは虚しい叫び声にも聞こえた。


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