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2014/08/20

超人の面白読書 103 六草いちか著『それからのエリスーいま明らかになる『舞姫』の面影』 16

小説『舞姫』に登場する「エリス」のモデルが「エリーゼ・ヴィーゲルト」であることを精緻かつ徹底的な調査によって論証、鷗外研究に転機をもたらした前著『鷗外の恋ー舞姫エリスの真実』(本書【著者紹介】)の2年後に書かれた本書だが、前著に劣らずインパクトのある内容だった。ルーツィことエリーゼ・ヴィーゲルトの写真を発見して掲載、マスコミを賑わした。そしてその記事に筆者も飛びついた。本書が発売されて1年近くが経つ。著者はあとがきで「鷗外とエリーゼ、このふたりにあったのは、まさしく純愛だった」と書く。著者の正直な感想だ。いろいろと実証の面白さを堪能してもらった。最後に叶わぬ夢を。18歳頃のエリーゼ・ヴィーゲルトの写真が見たかったー。
筆者は、長く持ち歩き過ぎたこの本から解放されたので、今度は津和野の森鷗外記念館を訪ねてみたい。ついでに筆者の好きな萩焼の里も巡ってみたい。どんな出会いが待っていることやら。その前に六草いちか氏の次なる発見の本が出たりして……。

2014/08/19

超人の面白読書 103 六草いちか著『それからのエリスーいま明らかになる『舞姫』の面影』 15

以後小見出しなどを追ってみよう。
どんな住まいだったのか、埋葬された墓地がわからない、夫マックスの死亡、次への手がかりも、3 地図を広げた石の段 90年越しの日在散策、海の音を聞いてみたい、実際に歩いてみる、森哲太郎氏、崩れながらも、第5章 あともう一歩 1  ユダヤ人墓地へ エリーゼの亡骸は誰が引き取ったのか、控えめな筆跡、思いあぐねて、「はい。ずっと。永遠に。」、歩けど歩けど、ある老女、2 「普請中」と「即興詩人」 あらためてふたりの結婚した年を確認してみる、築地の精養軒、「ポラツク」、「再会」に見せかけた「隠れ蓑」、アンヌマリイ帽とチエントラアルテアアテル、アヌンチャタ、小平克氏の論文、目に沁みる「二行四連詩」、「文通」は「独身のあいだだけ」、アプローチはちがっても、3 マックスの墓 デーメル牧師の話、エリーゼの疎開、行っておかないと後悔するような気がした、なぜここにたどりつくことになったのか、「ここに、神のもとに安息する」、それでも彼女の埋葬地はわからない、 第6章 その面影に 1 「暗号」の幻 太田は弱し、されど……、命がけの母の願いを前にして、於菟の存在、西洋婦人の話、「目の前の事」、文通は終わっても、ルツィウスはエリーゼだったのか?、鴎外は地図を広げていたのではないか、 2  ああ、ルーツィ! ルーツィだ 「3年後」がきっかけで、「彼女はこんなに綿密な調査を続けているの」、紆余曲折、まつりのあと、心のこり、明るい展開、新たな壁、そろそろけじめを、思いもかけぬ方法、「ああ、ルーツィ! ルーツィだ」、「お茶を入れてさしあげましょう」、3 エリーゼの写真 ヴィーゲルト家の血筋(?)、エリーゼとの対面、エルンスト・ジルバーナーゲル、みんな日本に行ったことを知っていた、子どもは「いない」と即答したが……、撮影時期、経済力は水準以上、間借りではなく、ティーセットを鑑定してもらう、似ている女優は……、終章 つらいことより喜びを、エリーゼの伝言、ルーツィの事情、宇佐美訳と小池訳、愛と忍耐の人。これで本書は終わる。〈続く〉

2014/08/18

クロカル超人が行く 165 箱根湯本 『吉池旅館』

今朝のテレビで作家村上春樹の作品の人気の秘密は、普遍的な物語性と平易な言葉だとみている日本在住のジャーナリストのインタビューがあったが、その対極にあるような、ノーベル賞受賞作家川端康成のノーベル賞受賞記念講演、「美しい日本と私」で語られた日本独特の美の世界は、日本人の感性を研ぎ澄ませた独特な世界だ。
京都の苔寺を散策したいとこの頃また、思い始めた矢先、フリーアナウンサーの徳光和夫氏が箱根湯本に値段も手頃でいい旅館があるとテレビ番組で語っていた。そうだ、しばし日本庭園を眺めながら昼食、露天風呂を堪能しようと。早速日帰りコースで出かけた。お盆休み明けの週末、残暑の箱根湯本は、若い人たちー子連れの若い夫婦が目立ったかーで賑わいをみせ、狭い温泉町は人で溢れていた。聞けば、今夜は大文字焼きが開催されるので夕方から混雑するらしい。知らなんだ、京都の大文字焼きは有名だか。久し振りに温泉町に来て、狭い路地にひしめく温泉まんじゅう屋、そば屋、梅屋などのお土産屋を通過。温泉場独特の情緒を味わいながら歩くこと7分、目的地の旅館『吉池旅館』に到着。
最初は日帰りコースの風呂だけのコースを選んだが、店員さんが昼食を取ればお風呂はサービスになりますと言われ、急きょ昼食→お風呂サービスコースに変更した。このほうがリーズナブルだ!
まずは日本料理店『放心亭』で昼食。回遊式庭園が眺められる窓際のカウンターでしばし松花堂弁当で舌鼓、量、味はみあまあといったところだが、ご飯が少し“いただけなかった”。堅さ加減がー。
松花堂弁当の料理の中身は次の通り(二品ほど食べてからの撮影 )。

Image


刺身(マグロ、カンパチ、キンメ)
イカの塩辛
厚焼き卵
鯖の薫製
畳鰯チーズ
茗荷酢取り
鳥の西京蒸し
梅羊羹松 楓
牛肉ステーキ
カマスの唐揚げ 
キャベツとトマト
白飯 
赤出汁

(筆者註 : 松花堂弁当の中身については店の人にお世話になった。感謝)

京都の苔寺には行けなかったが、窓越しに見る日本庭園の苔はいい具合に生えていて見る者を楽しませてくれた。

日帰りコースのメインの風呂へ。大浴場と露天風呂は、お盆休み明けとあってか空いていた。午後2時頃はほとんど貸切状態。いい湯だな、の気分を味わったのだ。

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【写真上段左から : 回遊式日本庭園 中段左から : 「放心亭」の窓からの庭園 露天風呂 下段左から : 「吉池旅館」入口付近 湯本駅近くの橋からの眺め】

お盆明け箱根の湯はいい加減

(2014.8.16 記)

2014/08/08

超人の面白読書 103 六草いちか著『それからのエリスーいま明らかになる『舞姫』の面影』 14

エリーゼの婚姻届iには次のようなことが書かれている。本文176頁から。

1905年7月15日
1. 新郎
行商、マックス・ベルンハルド・モザイーシュ
1864年10月11日 クロッセン・アン・デア・オーダーに出生
ベルリン、ハーゼンハイデ48番地在住
商人ゼーリッヒ・ベルンハルドおよび妻リーナ旧姓ユスト(両人とも故人、最後の住所クロッセン)の息子

2. 新婦
家事手伝い、エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト、プロテスタント
1866年9月15日、シュチェチンに出生
ベルリン、ハーゼンハイデ48番地在住
故人ヨハン・フリードリッヒ・ヴィーゲルトおよび妻ラウラ・アンナ・マリー旧姓キークヘーフェル(現在、行商人ベルリン在住ジルバーナーゲルと婚姻)の娘

3. 結婚立会人 略

4. 出納会計官妻、エルスベス・フェター旧姓ヴィーゲルト、29歳
ベルリン、ヘルムスドルファー通り8番地在住

鴎外と別れて17年後エリーゼは、2歳年上のマックスと結婚していた。エリーゼ38歳の時だから晩婚である。そして新たな発見も。上記の婚姻届の4で判るように妹エルスベスがいたのだ。
(続く)

2014/08/05

超人の面白読書 103 六草いちか著『それからのエリスーいま明らかになる『舞姫』の面影』 13

第4章 うしろ姿が見えてきたで、エリーゼの正体が俄然全面に現れるようになる。本書の構成が前著『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』と深く関わり合っていることは、本書が続編の位置づけ的性格が濃いことにも起因するけれども、それより何よりノンフィクションの醍醐味は、ある意味では適度な知的刺激を受け、スリリングに読めることだろうか。この点からいえば、本書の構成も鮮やかな展開を見せることに工夫を凝らし、行動力のある著者の技量を上手く引き出している。読ませる作家かも。今まで女性ノンフィクション作家の最相葉月氏の『星新一 1001の話をつくったひと』や井上理津子氏の『さいごの色街飛田』を読んできたが、本書の作家六草いちか氏も彼女らに負けず劣らず刺激的なノンフィクション作家に違いない。
さてさて、エリーゼだ。ベルリンの州立公文書館の婚姻簿で、エリーゼが38歳で結婚していたことを突き詰めたのだ。〈続く〉

2014/08/04

超人の面白読書 103  六草いちか著『それからのエリスーいま明らかになる『舞姫』の面影』 12

鷗外のベルリン留学時代の下宿考証も徹底していて写真や図面を駆使して事実を明らかにしている。史実を再考、考証していくうちに著者も訂正せざる得ないことが判明。
森鷗外記念館は、生誕の地津和野、長年暮らした東京、留学の地ベルリンの三つと著者は書き記すが、ベルリンにある森鷗外記念館の場所が言い伝えられている場所と違っていることを突き詰めた。フンボルト大学日本語学科の一施設として管理されているが。そして著者はこれは大学という学術機関の施設が、曲がった史実の情報限となっていることは非常に大きな問題であると指摘する(本書170頁)。注で著者が指摘し自分が今までの情報源を鵜呑みにして書いたことを訂正詫びている。ベルリン森鷗外記念館は森鴎外第一の下宿であるという情報、及びマリーエン通り32番地にあった鷗外の下宿がルイーゼン通り39番地から入る造りに建て替えられたという情報は、事実無根であることが明らかになったと書く。下宿の緻密な考証の結果が今までの事実を覆したのだ。
また、鷗外が大事にしていたカフスボタンの話も面白い。鷗外のベルリン留学時代のパッサージュ(アーケード付きの商店街)、鷗外は誰と一緒か皆目分からないが(一人だったかも)、ウンター•デン•リンデンのカイザーギャラリーで買物したらしく、その痕跡を追うべく著者が52軒のショプをくまなく調べ尽くし、写真、見取り図と店舗表まで掲げて買物したのはアクセサリー屋かと推理する。当時のベルリンのパッサージュを再現していて考現学的には大変興味あるところだ。 〈続く〉

2014/08/01

超人の面白読書 103 六草いちか著『それからのエリスーいま明らかになる『舞姫』の面影』 11

前後したがモノグラム型の話だ。
著者六草氏は鷗外の妹喜美子の回想を引用している。

エリスといふ人とは心安くしたでせう。大変手芸が上手で、洋行帰りの手荷物の中に、空色の繻子とリボンを巧につかつて、金糸でエムとアアルのモノグラムを刺繍した半ケチ入れがありました。(「森於菟に」)

手芸の道具を鷗外が所有しているというのは不思議だが、喜美子のこの証言から鷗外の長男於菟は、「砂に書かれた記録」に、このプレートはエリーゼの形見だったのではないかと書いている。著者は前著でモノグラム型を実際に入手して調べた結果、「砂に書かれた記録」で於菟が錫版と記したモノグラム型は銅板だったのではないかと推測する。また モノグラム型の特注品説の植木哲氏を退けて「ブリキ」のようなものだと書く。〈続く〉

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