« 2013年12月 | トップページ | 2014年2月 »

2014/01/31

超人の面白写真 ニューヨークからの最新フォト

昨日届いたNew York最新フォト。このところの異常な寒波は海の向うでも同じらしい。下記はニョーヨークの公園雪景色。

Image_4 Image_5

 
Image_6   Image_7

追記 寒波襲来でスーパーボールの2月2日ニューヨークメットライフスタジアムの初開催が危ぶまれたが、どうやら天気も和らぎ開催できそうだ。さて、シアトルシーホークス対デンバーブロンコスの優勝争い、勝者はどちら?

 

2014/01/30

超人の面白ラーメン紀行 176 京都 『新福菜館本店』再

Image

それなりに寒い日にはそれなりのラーメン屋で。見た目はメチャ濃そうの、何とも言えない醤油味のラーメン並(650円)を食べた。筆者的には肉が多少重たかったが。メニューには肉なしラーメン(500円)もあったー。
新福菜館本店①スープ★★★②麺★★☆③トッピング★★④接客・雰囲気★☆⑤価格★★★


2014/01/29

超人の面白ラーメン紀行 175 大阪北区『弥七』

今大阪で一番人気のラーメン店『弥七』、大阪出張ついでに寄ったがすでに営業終了後。朝10時から夕方4時までで筆者が探しに探して辿りついたのが6時半。残念無念、アハハ、間抜けである。営業時間を確認しなかったのが悪いのだ。ランチ時間帯で1時間くらい並ぶらしい。
ということで、美味いと評判の白湯系醤油ラーメン(700円)それにチャーシューが食べられなかった。 一応は店主に確認したけど‥‥。で、今度食べに来るまで記念に店の写真を撮影して辞去。
 
Image_2

気になる貼り紙も。2月から4月中旬まで休業の由。

2014/01/25

クロカル超人の面白テレビ鑑賞 にほん風景物語~詩人草野心平が詠んだ日本の原風景〜 2

BS朝日テレビ「にほん風景物語~詩人草野心平が詠んだ日本の原風景〜」と関連した詩を拾ってみよう。筆者的には心平さんの詩を大分読んできたつもりだが、それでもフレーズは覚えていても暗唱した詩編が出てこないのだ。忘れたころまた、詩集を捲る。すると同じところを捲るから不思議である。


故郷の入口


たうとう磐城平に着いた。
いままで見なかつたガソリンカーが待つてゐる。
四年前にまではなかつたガソリンカーだ。
小川郷行ガソリンカーに乗り換へる。
知つている顏が一つもない。
だんだん車内は混んでくる。
中学生や女学生たちもはひつてくる。
知つている顔は一つもない。
四年前まではそんなことはなかつたのに驚いたことになつたものだと時間の恐し
さを考へていると。
「お蚕様(かえこさま)んときなんして来なかつたんだ。」
「んだつて。んげながつたんだもの。待つてだつぺ。」
「おら。てづだつてもらふべと思つてえよ。」
「さうげえ。こんだからね。」
ああ。
この方言だけは見知り越し。この言葉だけはおれのものだ。
紫の袴をはいてるところを見ると裁縫学校あたりの女教師らしい。
片つ方はもんぺをはいた小さな子。
おれは眼をつぶり。
眼をひらく。
喘息をふつきるやうな音をたててガソリンカーは出発する。
トンネルを出て右に曲がつていよいよカーはふるさとのなかにはひつてきた。
昔はここを平まで。
可愛いいマツチ箱にのつてかよつたのだが。
あれよりはまだこの方が幾分早い。
好間上野の一本松。
遥か向うの松の丘のぬきんじて高い一本のその下約一米あたりのところに三野混
沌の梨畑の小舎がある。
堅坑。
煙。
黄色い田ん圃。
この道だ。
この道を猪狩と二人でとほつていつた。
北海道釧路弟子屈の開墾地での苦闘の果ての失敗から女房の骨壺をルツクに背負
ひかへつてきた猪狩満直とこの道をとほり登つていつた。
その時三野の小舎のなかには蜜柑箱の上に死んだ子供の位牌があり香炉の茶碗の
灰には折れた線香がささつてゐた。
別な部屋には別な子がおふくろのメリンスの晴衣の袖を濡布にしてまつ赤な顏し
て眠つていた。
さんざん待たした揚句の果。
酒をくらつた藪医者がランプの小舎に現れたが…。
もう夏井川だ。
閼伽井岳だ。
カーはきしんで赤井にとまる。
猪狩はその後長野県の土工になり。
苦しい立派な生涯をそこで死んだが。
十年以上も会つていない混沌はいつたいどうしているだらう。
さういへば最後に会つたのは雪の日だつた。
赤ゲットを頭からかぶつて小川の家にやつてきたとき。
あの時二人は小川郷駅前の居酒屋で囲炉裡に足を踏んごんで僅かな地酒をのんだ
のだが。ケツトについたあの雪がなぜかはつきり残てゐる。
もう切り割だ。
いつもと同じだ。
長い竹藪。
いつもとおなじだ。
佐藤甚右衛門。
さうすると御園はあの辺。
下小川広畑のおれの母系の代々の墓地は。
とんがつて向うの小山のてつぺんの恰度あの辺。
おれは眼をつぶり。
眼をひらく。
人々はもうたちかける。
にはかにおれもどきどきする。
鉄橋だ。
昔とおなじく水はきれいだ。
見なくつたつて水音だけではつきりする。
もう構内にはひつてゐる。
カーは止つた。
おれは直ぐには立ち上らずに改札口の方を見る。
天平が。
滅茶苦茶な顔をして手をふつてゐる。
鳥打をかぶつた晴夫もゐる。
いよいよ。
むしろしづかに腰をあげる。
小川郷。
これが昔もいまもふるさとの駅だ。
これがあの何度も何度も何度もの砂利だ。
ああ見える。
眼前に仰ぐ二箭(ふたつや)山。
阿武隈山脈南端の。
美しい山。
美しい天。
おれは泪にあふれながらおもちやのやうな地下道をくぐる。                                  昭和17年10月

Image_3

  【写真 : 現在の小川郷駅】

上小川村


大字上小川


ひるまげんげと藤のむらさき。
夜は梟のほろすけほう。
ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは小作人。小作人のとなりは畳屋。
畳屋のとなりは鍛冶屋。鍛冶屋のとなりはおしんちやん。おしんちやんのとなりは
馬車屋。馬車屋のとなりは蹄鉄(かなぐつ)の彦……。
昔はこれらはみんななかつた。
昔は167軒の百姓部落。
静脈のやうに部落を流れる小川にはぎぎよや山魚もたくさんゐた。
戸渡あたりから鹿が丸太でかつがれてきた。
その頃ここで。
白井遠平が生まれ育つた。
櫛田民蔵が生まれ育つた。
いまも変なのがすこしはゐる。
人のいい海坊主みたいにのろんとした草野千之助も生きてゐる。

ひるまはげんげと藤のむらさき。
夜は梟のほろすけほう。

背戸は赤松の山。前はすすきや草のなだらか
な丘に屏風岩。そのまんなかのにぶい蛍色の
出で湯をまもる家一軒。ここを湯の沢といふ。


昭和30年代に母方の実家へ用事がある度に母親と行った光景と似て(もちろん書かれた昭和10年代とは20年以上の後のことでバスが走っていた、遠い記憶では一時期トロリーバスも走っていたか)筆者の心象風景として今も残る。

2014/01/24

超人のニューヨーク訪問記 2013年初夏 51 ブルックリン橋再び

急いで取り寄せた朝日文芸文庫の司馬遼太郎著『ニューヨーク散歩 街道をゆく39』。朝6時半にネットで注文したら夕方7時過ぎには届きました!便利になりました。この街道ゆくシリーズは週刊誌連載時に読んだはずでしたが、悲しいものです、大半がすでに忘却の彼方でした。しかし、コロンビア大学日本研究の先駆者でドナルド・キーン氏の恩師の角田柳作の話や作家リーベ・英雄の妹の話などは覚えていました。本書は著者がコロンビア大学講演後にニューヨーク市内を散歩したことを綴ったものです。司馬遼太郎独特の視点が散りばめられていて面白く読めました。マンハッタン考古学、平川英二氏の二十二年、ブルックリン橋、橋を渡りつつ、ウィリアムズバーグの街角、ハリスの墓、コロンビア大学、ドナルド・キーン教授、角田柳作先生、御伽草子、ハドソン川のほとり、学風、日本語、奈良絵本、ホテルと漱石山房、さまざまな人達が目次で登場しますが、筆者はブルックリン橋から読み始め、最後はマンハッタン考古学で読み終えました。実は今年5月130周年を迎えたブルックリン橋でしたが、この橋の建設には一人の日本人測量技師がいました。そのことを確かめるためこの本にあたろうと考えたのです(ブルックリン橋については書かれていましたが・・・)。その人の名は松平忠厚、長野県上田出身でブルックリン橋建設終了後もアメリカに住んで37歳の若さで亡くなりました。松平忠厚についてはノンフィクション作家飯沼信子著『黄金のくさび』に詳しく書かれています(灯台下暗しでした、筆者の2008年6月1日のコラムで言及していました)。

さびれた雰囲気の「ピア11」で昼食に中華ファーストフード店の鶏肉入り野菜炒めを食べたのですが、これがあまり口に合いませんでした。甘いのです。代わりに紙コップのビールで口直しをして終了。家人たちはというとサブウェイの大きめな野菜サンドイッチを食べていました。ここでの収穫はハットショップで洒落た帽子を“買ってもらった“ことでしょうか。

20130602144727_1_3

再びのブルックリン橋は怪しい雲行きのもとマンハッタン側からブルックリン側への渡橋でした。
自動車向けの通路と自転車や歩行者向けの通路の二層式の吊り橋で全長約2km。徒歩20分余りのアバンチュールは観光客とサイクリスト、それに橋上のショップでごった返しの有り様でしたが、それもまた楽しい橋上散歩の醍醐味。このときブルックリン橋はメンテナンス中で、塔の近くなど所々に白いシートが張られていました。何しろ炎天下、すれ違う観光客も汗を拭くのに忙しそうでした。左側を眺めればスターテン島、貨物船、自由の女神、右側にはマンハッタン橋やウィリアムズバーグ橋が見え、行き交う船やフェリーそれにヘリコプターが摩天楼前を飛び交っていました。まるで絵葉書の中にいるようでした。
ブルックリン側のふもとの水上タクシー乗り場付近で一休みしました。ここが有名なニューヨーク絶景撮影ポイントです。ニューヨークの絵葉書はこの辺りで撮影されているようです。夜景は幻想的です。ブルックリン橋もブルー色にライトアップしますしー。橋を徒歩で引き返すのを止めて、筆者たちも水上タクシーに挑戦することにしました。このリバーサイドエリアで結婚式を終えたばかりのカップルとご一行様に出くわしました。これでニューヨークに来て2回目、縁起が良いかも。20分くらい待って水上タクシーが到着しました。イーストリバー越えは行きが徒歩20分、帰りが水上タクシーでものの5、6分、しかし料金がかかりました。
夜は家族と別行動をとりブロンクスのヤンキーススタジアムでヤンキースとメッツの試合を観戦しました。雨で遅れての試合でしたが、先発黒田投手の投球姿やイチロー選手の姿も観ることができました。
1時間くらい観戦してホテルに帰りました。今治安が悪いのはニューヨークではブロンクス地区だそうです。

Ncm_0808 201306021949141                                                             

 


追記 1 『ニューヨーク散歩 街道をゆく<39>』のもう1人の主役は、コロンビア大学のバーバラ・ルーシュ教授やポール・アンドラ教授かも。ポール・アンドラ教授の件で評論家小林秀雄は神田「猿楽町」生まれと知りました。神田生まれまでは知っていたのですが。筆者にも大いに関係がある「猿楽町」とは―。さらにもう一つ。日米修好条約締結の立役者アメリカ総領事タウンゼント・ハリスはニューヨーク市教育長時代に経済的に恵まれない人のためにフリーアカデミーを私費で創設、その大学こそが現在のニューヨーク市立大学の前身だと教わりました。
おまけにもう一つ。この本の104頁の次の個所に少なからず興味を抱きました。ドナルド・キーンについて言及しているところです。                     
「キーンさんのものごとをとらえる基本的な感覚は、“悲しみ”というものだと私は理解している。
 むろん、ここでいう悲しみは悲劇性というものではなく、人間はなぜ生まれてきて、なぜけなげに(原文には傍点があります)、あるいは儚く生きるのかという人間存在の根源そのものについての感応のことである。その感応は、芸術家のみがあつかう。
 もっともキーンさんは『本多利明の研究』にみられるように、すぐれた社会科学的資質を示す研究もあり、一筋縄で語れる学者ではないにせよ、その芸術的資質は学者にはめずらしいほどにすぐれている」

追記 2 このコラムに加筆していましたら元の位置に戻らなくなりました。何か操作方法があるはずですが・・・。解決次第元の位置に戻したいと思います。しばらくこのままでお付き合いください。

追記 3 ドナルド•キーン氏(91)の業績などを紹介する記念資料館「ドナルド•キーン•センター柏崎」Top_img
【写真 : 「ドナルド・キーン・センター・柏崎」のホームページから】

が新潟県柏崎市にオープンしました。2007年の中越沖地震で被災した柏崎市民を励まそうと、江戸時代初期の古浄瑠璃「越後国柏崎 弘知印御伝記」の300年ぶりの復活上演を2007年に企画。その縁で、地元菓子会社ブルボンが敷地を提供し、日本に永住を決めたキーン氏がニューヨークの自宅にあった蔵書約1700冊などを寄贈。ハドソン川を望む書斎や居間などを窓枠まで忠実に再現しました。業績の常設展示は珍しいとのことです。
入館料は大人500円、中高生200円、小学生100円。休館日は月曜日。問い合わせは同館(0257-28-5755)へ。(10月8日付「毎日新聞」夕刊より)

追記4 楽天の無敗投手でエースの田中将大選手のニューヨーク・ヤンキースへの移籍が昨日決まりました。移籍獲得料金がなんと7年契約で161億円、破格の高額で大リーグでも5番目らしいです。本人もビックリ、しかし期待とプレッシャーは相当なものでしょう。淡々と期待に応えてほしいです。始めから20勝とかスターターとしての器用とか尋常ではありませんが、アメリカの大リーグのチームも獲得に躍起でマー君の実力と若さを買ってのこと。神の子不思議な子と元楽天野村克也監督が言いましたが、無理せず怪我なしで頑張ってほしいです。今年は日本からのニューヨークのヤンキースタジアム行きが増えるかもしれません(2014.1.24 記)。

2014/01/22

超人の面白テレビ鑑賞 にほん風景物語~詩人草野心平が詠んだ日本の原風景

BSテレビ朝日1月22日火曜日(夜9時~9時54分)放送の「にほん風景物語 ふるさと福島、川内村、小川郷 ~詩人草野心平が詠んだ日本の原風景〜」を観た。


Image_3

Image_6

【写真上: 背戸峨廊(セドガロ )写真下 : 草野心平記念館に復元されている心平の店『火の車』、そのメニューは心平の言語感覚を反映してユニーク。常連客には高村光太郎、坂口安吾や檀一雄がいた】
今年は草野心平生誕110周年、没後25年の節目の年。芥川賞作家の島田雅彦が草野心平ゆかりの地を訪ね歩いた。いわき駅(旧平駅)から磐越東線のローカル線で小川郷駅に着き、地下道を潜って改札口に出る。上小川の鄙びた町並を歩き、草野心平の生家を訪ねる。今その生家は復元されて残されている。福島の里山とはものは言いようだが、都会育ちの物書き王子の島田雅彦がいかに阿武隈の山里の風景に感応したか。
上小川にある生家(質素だが当時の生活空間が。確かこの近くのお寺常慶寺に分骨された墓がある。筆者の母方の菩提寺でもある。ー筆者註)、草野心平記念館、二ッ箭山ふもと、上小川小学校(校歌は心平が作詞)、夏井川上流の滝が流れる背戸峨廊(草野心平が漢字命名)へ。天然記念物のモリアオガエルの生息地、平伏沼、天山文庫を訪ねて心平と親しかった村人と文庫内の囲炉裏で関わり具合を聞く。天山文庫でのお祭りは毎年7月に開催、郷土芸能のじゃんがら念仏踊りとドブログが振る舞われて賑やか。それからは島田自身も3・11以後東日本大震災・福島原発被害の支援者でもあるが、被災地で今も風評被害や魚の水揚げで困っている小名浜漁港を訪ね、この地方独特のウニの一夜漬けを試食、今は少しずつ回復に向かいつつある小名浜漁港を後にするー。
3・11以後に蛙の詩人草野心平はどういう詩を書いたか想像してみたくなる。『優しいサヨクための嬉遊曲』で鮮烈なデビューを果たした芥川賞作家島田雅彦も作家生活が四半期過ぎた?福島の里山の旅は新たな心の旅の確認でもあったのかも。オノマトペ、句点、蛙語、独特の感性と詩句、ユーモア、スケールの大きさと土着性(天の声、地の声)、庶民性と人間愛、生活欲とアナーキー、存在のかなしさ、汎神論、万物照応‥‥‥その詩篇1400あまり。また、モリアガルか。

追記 やはりここでテレビでは触れていないが、草野心平の代表作を一つ。

秋の夜の会話

さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
もうすぐ土の中だよね
痩せたね
どこがこんなに切ないだろうね
腹だろうかね
腹をとったら死ぬだろうね
さむいね
ああ虫がないているね

初期作品『第百階級』より

賢明な読者諸氏はどう感じただろうか。当時の社会の投影ともとれるがー。それともカエルの独白?五感を駆使してよく読み込めば、今の時代状況をも映し出しているようにも読める。それにしても切ない詩だ。

Image_2 Image_4
【写真左 : 草野心平の生家 写真右 : 頂上手前の岩登りが大仕事で頂上からの眺めはその分格別、“阿武隈の雲”と謳った郷土の詩人三野混沌だが絶景ポイントの二ツ箭山】※写真はいずれもBSテレビ朝日から携帯カメラで撮ったもの。

懐かしやナオミの秋の二ツ箭山

2014/01/20

超人の面白鉄道物語  T駅の開かずの大踏切が今風の陸橋に変身

開かずの大踏切で有名な東海道線T駅、特に箱根駅伝では権田坂の次に選手が戸惑うことで名を馳せた。その大踏切がいろんなエピソードを残して念願の陸橋に生まれ変わった。しかも今風の屋根付きで。つい二三日前のことだ。一つは解消したが、地下化する車道はまだ工事中。

Image


2014/01/14

クロカル超人が行く 181 横浜市中区『太田なわのれん』

横浜市中区末吉町の牛鍋•日本料理『太田なわのれん』、創業明治元年の牛鍋元祖の老舗である。東京中野産の甘い味噌で山形牛の角煮を食べる、それこそ坂本龍馬のおりょうさんはいなかったけれども(おりょうさんが働いていたのは神奈川区台町「田中家」)文明開化の味。肉は美味。店の仲居さんの話では味はほとんど当時と変わらないとか。筆者を含めて3人、日本庭園を身近に眺められる温泉旅館風の趣深い和室で牛鍋•日本料理に舌鼓、しばれる冬の夜の小時間を楽しんだ。
ゲスト氏曰わく、外国人を食事に誘う場所には最適だと。もう一人はビールを舐めるように呑んでいた。聞けば体調がイマイチとか。

OHTA-NAWANOREN(Established 1868)
Instead of thin sliced beef, we use bite-size pieces with our secret miso-dare soup stocks.
The Sukiyaki you enjoy in a Japanese style room gives off a beautiful aroma of days gone bye,
cooked over a charcoal fire burning in a shichirin clay stoves. 店のしおりより

Ncm_1007 Ncm_1010 Ncm_1011_2

写真 : ①この店のオリジナルぶつ切り牛肉鍋と日本料理。デザートのイチゴプラスアルファは誰かが書いていたが吉兆の弁当のデザートみたいと。②店の壁に飾られていた横山隆一の漫画。ふくちゃん風。戦後店が依頼したらしい。横山隆一は鎌倉在住の文化人だった。③店のしおりにある店内紹介。

追記 徳光アナと女優田中律子さんそれにゲストの乙葉さん(吉本所属のお笑い芸人藤井の奥さん)の3人が新横浜~保土ヶ谷→伊勢佐木町を巡るテレビ朝日の番組、『路線バスの旅』の終わりに予約していたこの店で牛鍋を食べた。筆者は『路線バスの旅』をよく観ているが、近場巡りで穴場的なところや徳光アナの嗅覚や独断で入るところなどあって意外と面白い。もちろん、昼食時に一杯やった後バス乗車中に居眠りすることは視聴者の知るところだが、それはそれ、徳光アナの人柄が反映していて今や名物シーンだ。特記すべきは、筆者も知らなかった西区藤棚商店街にある日本一小さな映画館(28名収容)、『シネマノヴェチェント』の訪問だった。いやはや、こういう超個性的で小ぢんまりした映画館があるとは。今度出掛けてみよう、と。(2017.3.19 記)


2014/01/13

超人の面白読書 103 サヘル・ローズ著『戦場から女優へ』

20140113183156_00001

昨日BS朝日テレビであの「お・も・て・な・し」の一言で一躍超有名になった滝川クリステルがレオナルド・ダ・ヴンチのもう一枚のモナリザの謎を探る『滝川クリステルのフィレンツェ紀行 もう一枚のモナリザ 天才ダ・ヴィンチの謎を追う』を観て面白かったが、その前に滝川クリステルのものまねで有名になったタレント・女優のサヘル・ローズ(別名滝川クリサヘル、さっちゃん)が故郷のイランを訪ねる旅番組「旅のチカラ」失われた故郷の記憶を求めて~サヘル・ローズ イラン~(NHK BSプレミアム)の再放送を去年の暮れに観ていたのだ。これがなかなか感動的ですぐに彼女が書いた『戦場から女優へ』の本をネットで注文、今日届いて一気に読んだ。自称ミーハーの筆者だが、この手のタレント本を読むのは山口百恵の『蒼い時』以来云十年ぶり。まだ28歳のタレント・女優のサヘル・ローズ、しかし人生の数奇な運命から立ち上がって、育ての親―なんと素敵な母親だろうか―の愛情を一杯受けながらともに突き進む様は感動的。涙なくしては読めない本である。現在の彼女の夢は女優の勲章であるオスカー像を獲得することとでかいが孤児たちの支援もしたいと自分の生い立ちを忘れない。思わず応援したくなってしまう。すらすら読めてしまったが、ここには人生の辛酸を舐めた親子のドラマがあるがまた、手を差し伸べてくれた人たちとの邂逅もあって、そのことが彼女の持ち前のポジティブさ、夢の実現に向かうエネルギーとなっていることも確かだろう。これからも前を向いて頑張ってほしいと願うばかりだ。原爆、原発、戦争、人間の醜い争いがいかに人間を路頭に迷わせ、未だに犠牲者を増やしている―。この本でもそのことを大いに考えさせられた。イラン人女性映画監督モハマド・シルワーニさん、芥川賞候補にもなったイラン人女性シリン・ネザマフィさんそして今回登場のサヘル・ローズ(祖母が名付け親で静かなバラの意)さん、これで日本で活躍するイラン人女性は少なくとも3人知り得た。

追記 サヘル・ローズさんはNHKのテレビ番組「探検 バクモン」に出演していた!(2014.1.15 記)

2014/01/10

超人の面白読書 102 キャサリン・サンソム著 大久保美春訳『東京に暮す』 9

そして著者は本書の最後にこう記す。
西洋と東洋とはお互いに相手が必要とするものを理解し、相手の考え方に注意を払うようになってきました。また分別のある人たちのおかげで、各民族が持っているつまらない虚栄心が徐々に消えつつあります。20世紀の人類は、東洋人も西洋人も、一緒に笑い、語り、学ぶことで、先輩たち、半世紀前に出会って親しくなった進取の気性に富んだ先輩たちの努力の仕上げをしなくてはならないのです(本文P.256)。

20140108112443_00001_2

ピックアップした引用が多少長くなってしまった。ここには昭和初期の赤裸々に描いた日本の庶民生活の姿があるが、同時に、時折散見される鋭いコメントはもちろんのこと、しかしそれ以上にごく普通のイギリス人女性の暖かい眼差しがある。目線が低く日本人の中に溶け込んで印象を素直に語っているのだ。この時代はやがて悲惨な戦争へ突入していく暗い時代の予兆が見え始めている頃で、そんな時代によくも見事に日本の社会を描写したものだと感心する。それは訳者もあとがきで書いているように、日英関係が悪化し、日本が国際社会から孤立しつつある時、優れた文化の伝統を持つ日本の正しい姿をイギリス人に伝え、両国の関係改善に役立ちたいと思ったのであろう(P.264)ことは容易に想像がつくというものだ。共感の持てる日本人論になっている。訳もこなれていて読みやすかった。筆者的にはシュリーマンの『清国・日本』では幕末期の日本社会を描いていて面白かったが、それから70年あまり日本の庶民生活がどう変化したかを考察するのにも大いに役立った。そしてそれから80年あまりの現在、何か似かよった時代の雰囲気を感じてしまうのだが…。
岩波文庫のこの本は1994年が初版で2013年現在27版、やはり読まれているのだ。

筆者の手元に2013年12月21日付の毎日新聞朝刊に掲載された小さな記事がある。
英大使館の土地が日本に一部返還の見出し。この記事によると千代田区一番町にある在日英国大使館の土地の一部が約140年ぶりに日本に返還されることになったという。英国大使館の土地は、明治維新直後の1872年(明治5年)から、無期限で貸し出されていて、5000平方メートル、路面価格で約700億円らしい。日本に支払う賃料は10年ごとに改定され、現在は年間8129万万円だそうだ。現在の英国は財政が逼迫しているのかも。
アストン、サトウの時代、そして著者のキャサリン・サンソムの夫で外交官のジョージ・サンソムも住まった英国大使館、歴史の舞台をいろいろと見てきたはずだが―。
訳者あとがきに書かれてある本2冊をこの正月に取り寄せて本書と関連するところを読んだ。
その一つは平川祐弘編『叢書 比較文学比較文化 2 異文化を生きた人々』(1993年刊)の牧野陽子執筆「赤裸々の人間賛歌―キャサリン・サンソムの東京時代」、もう一つは平川祐弘著『東の橘 西のオレンジ』(1981年刊)の「サムソン卿の日本」である。大分昔の本だが大変面白かったし参考になった。特に比較的長い著者のあとがきも面白かった。今度は外交官を辞めたあと戦後極東委員会のイギリス代表として来日、その後アメリカのコロンビア大学やスタンフォード大学で教鞭をとった人で日本研究家のジョージ・サンソム卿の著作に挑戦してみたい。

追記 原書『Living in Tokyo』(Harcourt, Brace & company, 1937.184ページ)はアマゾン英古書価格では65ドルもする !

追記2 著者と外交官の夫について訳者のあとがきでの面白い記述があるので書き記しておきたい。
地味で大人しく日本人の中にいても目立たない夫とは違って、ツイードのコートを着てトカゲの革のハイヒールをはいた夫人の周りには人だかりがしたり(ジョージ・サンソム卿と日本』31ページ)、デパートで買い物をすれば人々がのぞき寄った(59ページ)ようだが、夫人は偉ぶることもなく日本人の庶民を実に暖かく見た。

追記3 雑誌「ニューヨーカー」1937年4月10日短評に載った記事。

Living in Tokyo, by Katharine Sansom. The domestic and pictureresque side of Japanese life. The forty illustrations, twenty-nine in color, by Majorie Nishiwaki are charming.

筆者註。The forty illustrationsのfortyはforty-twoの誤記か。
20140117111527_00001


2014/01/07

超人の面白読書 102 キャサリン・サンソム著 大久保美春訳『東京に暮す』 8

日本人の人生について。

日本の鎖国はヨーロッパの近代思想の誕生期にあったため、日本は科学の新しい知識を知ることなく、日本以外の国で行われていた、本や会話を通じての啓発的な意見の交換に参加することもなかったというのは学者の指摘するところです。しかし、時の流れで日本の体制もついに内側から崩れだしましたが、まさにこの時期にアメリカとヨーロッパが外から圧力をかけてきました。ついに日本が外国の評価を受けることになったのです。従って日本人は心理分析が下手です。日本人はねじやねじ回し、汽車、電話といったもの(原文はものに傍点)に夢中になるので、精密科学においては、過去何年間も世界のトップレベルにあります。けれども、基礎科学には興味はないか、あったとしても研究はあまり進んでいません。世界の国々がお互いを理解するのは難しいことです。何世紀にもわたる内部紛争、植民地化、文化交流等を経験してきたヨーロッパを日本人が正しく理解できないのは当然です。日本人の方は、持ち前の感受性の強さから、認めてもらいたいと強く望むあまり、かえって誤解されます。日本人は、様々な人種、国籍の外国人が一体どのようなタイプの人たちで、どのような反応を示すかということについては漠然とした考えしかないので、彼らに向かって自分たちのことを説明するのがあまり上手ではありません。それに繊細な心の持ち主なので、批判されるとひどく傷ついてしまいます(本文P.151-P.152)。

日本人とイギリス人について。

日本人とイギリス人の基本的な類似点は派手よりは地味を好むこと、静かで落ち着いた態度を好むということです。そうでないイギリス人もたくさんいますが、私たちが理解し尊敬する性質や行動の基準と、日本人がよいと考えるのはとてもよく似ているのです。従ってお互いに信頼し合うことも困難ではありません。控えめな方がいいということで、時にはひどく退屈なこともあります。しかし、私たちはどうも危険より退屈を好むようです(本文P.201-P.202)。


日本アルプス行について。

ここでは保養地の温泉での実際に入浴体験をしたことが綴られている。
大きな旅館には、広い男女共同風呂が一つと、少人数のグループのための小さい風呂が二つほどあります。もう少し規模が小さい休養地では、男風呂と女風呂が、一応一つずつあると言っておきましょう。というのは二つの風呂がつながっていて仕切りがないため、他の客に迷惑にならない時には、男たちが妻や子どもたちの方へ行って一緒に湯につかるからです。
浴場でも日本人特有の細やかな心遣いが観察されます。私たちが入っていくと、外国人の女性ということで、家族と一緒に女風呂にいた2、3人の男性がそっと男風呂の側へ戻って行きました。あわてふためくこともなく、ごく自然です。温泉旅館の共同風呂には気取った人などいませんから。
有名な保養地の大浴場で嬉しい思いをしたことがあります。主人と私が石けんを持ってくるのを忘れて困っていると、ほっそりとした美しい日本人の女性が浴槽の向こう側に行って石けんを取ってくれたのです。
日本人の女性というのは実に素晴らしい人たちです。正しいやり方で風呂に入れば、私たちも日本人の仲間入りが出来ます。それには、まず浴衣を脱ぎ、片手に石けんを持ち、男性用ハンカチ2,3枚の大きさの手拭で腰の部分を隠して浴室に入ります。浴室はすべて木で出来ています。壁に取り付けられた管の中を流れるお湯が、何本かの細い管に入り、しゃがんだり小さな木の椅子に腰かけたりして、石けんを一滴残さず洗い流すことができます。湯舟のお湯はとても熱いので、こうやって体を暖めておくといいのです。
いよいよお湯の中に入ります。ゆっくり体を沈めていくとなんと気持ちが良いのでしょう。私たちが外国人なので、湯舟の中にいる女性がたちが微笑んで会釈します。恐る恐る湯の中に入り、顎がお湯につかるまでゆっくりと体を沈めていく私たちの姿が、日本人には滑稽かもしれません。
鉱泉の性質や体がどの程度熱さに耐えられるかに応じて、お湯から出たり、入ったりします。絶えず湧き出ている温泉に、美しい体で動作も優雅な日本人女性と一緒に入ることは、最も素晴らしい体験の一つで、本当の贅沢といえます。日本人女性の動作はとても控え目でかつ優雅なので、入浴自体が一つの完成された技のようです。荒っぽい動きや無駄な動きは一つもありません。すべてが見事で、ゆったりしていて、優雅です(本文P.217-P.220)。

日本の女性について。

女性が男性と対等な立場に立つようになれば、日本人の生活はもっとずっと豊かになり、分別のある自己批判が出来るようになるはずですが、日本の女性が男性に従属しているからといって、他の国の場合のように必ずしも不幸であるとは限りません。事実他の多くの東洋や西洋の国々と比べても、日本は非常に住み心地がよい国ですし、日本の文明は立派で健全ですから、人間関係をもっと近代化しても大きな混乱が生じることはないでしょう(本文P.253-P.254)。


2014/01/06

超人の面白読書 102 キャサリン・サンソム著 大久保美春訳『東京に暮す』 7

百貨店にて。

風呂敷は世界で最も便利な発明品の一つです。風呂敷というのは絹か木綿の正方形の布で、日本人は物を運ぶ時にこの布を包んで持っていきます。イギリスの労働者が弁当を包む赤いハンカチのもっと素敵なものと思えばよいでしょう。素材は縮緬か絹か綿です。買物の時に重宝します。あれこれ買う度にぽんと中に入れていけばよいので、私たちのように一日中買物をした後で今にも紐が切れそうな色々な大きさの紙包みを携えてのろのろと歩かなくて済みます。風呂敷があったら、私がこれまで運んだものの中で最も恥ずかしい思いをしたものもうまく包み隠せたでしょう。その品物とは戦後の物価高の時代にどこかで安く手に入れた生の大きな鱈で、包みの新聞紙が破れてしまい魚をむき出しのままバスに乗って家に持ち帰ったのでした(本文P.94)。

靴、靴下、石けん、食料品売場を通って出口に向かう時に地下の特売場をちょっとのぞいて御覧なさい。イギリスの真似をして、上の階で売られているのと同じような商品がもっと安い値段で売られています。押し合う女性と背中におぶわれた赤ん坊で大混雑でとても入る気にはなりません。営利主義の網にかかったとも知らずに喜んでいる赤ん坊、お上りさん、観光客、慎ましい主婦、浪費家たちを後にして、私たちはそろそろ店を出ることにしましょう(本文P.100)。

礼儀作法について。

日本人のお辞儀は素敵です。私たちのように上半身をちょこっと曲げるのではなくて、腰から深々と身をかがめます。日本人は人と出会った時や別れるときに、お辞儀をしてその場にふさわしい挨拶を交わします。両社の身分が同じ場合は、彼らの身分にふさわしいお辞儀と挨拶をします。一方が目上の場合には、目上の人のお辞儀が終わっても、目下の者はまだお辞儀をしています。そして、目上の人がもう一度軽くお辞儀をすると、目下の人がもう一度深く頭を下げて挨拶は終了し、二人は普通の人間に戻ります。誰かを見送った後に、同じ身分の女性あるいは男性が顏を合わせた時の挨拶はもっと複雑で、外国人には理解不可能です。中略。
日本人の礼儀作法は、事物の体系の中で自分が取るに足らない存在であることを強調します。相手と比べて自分はつまらない人間であるから、自分の方が相手より深く長くお辞儀をしなくてはいけないのです。そうはいっても、お辞儀をしている間に考古学でいう地質時代が過ぎて、自分たちが化石になってしまっては困るというのであれば、どこかでお辞儀を止めなくてはなりません。そこでちらっと相手の眼を見るのです(本文P.108-P.109)。

日本人を理解する唯一の方法は、他の国民を理解する時と全く同じで、まず相手に同情をよせ、そうしているうちに相手が好きになることです。日本人は外国人にとでも親切ですから、私たちに誤った先入観さえなければ、多くの日本人と友達になることができます。世界のあちらで過激な国家主義が台頭している今日、日本人もその影響を受けて懐疑的で神経質になっていますが、それでも公私のつき合いを通じて日本人と親しくなる機会は無数にあります(P.119)

樹木と庭師について。

ここでは著者の音楽的素養が顔を出す。著者の新居で庭造りをした時の様子。
庭師は庭の前のテラスに立つと、足を踏みしめ、腕をわずかに曲げ、両手を拡げてしばらくじっと眺めていました。弟子たちに指示を与える時だけ体がわずかに動くのでした。庭師は、自分が木になったつもりで、配置を考えていたのでした。そのうちに彼は、オーケストラの指揮者のように、身ぶり手ぶりで弟子たちに指示を与え始めたのです。オーボエにうなずき、第二バイオリンにもう少し元気よく、トランペットに一杯吹くように合図し、チェロの音が大きすぎると怒って睨む・・・それはもう見ていてわくわくする演技でした。かの名指揮者トーマス・ビーチャム卿さながでした。この庭師は前任者ほど厳格ではなく、時には私たちをテラスに立たせ、彼が木を抱え、ほんのわずかな違いでしたが、こことそこのどちらに植えるかを私たちに決めさせてくれました。位置が決まると、彼の指令下に部下たちが木に土をかけて植えつけが終了したのです(本文P.128-P.129)。
筆者が驚いたのは著者の造園に対する好奇心と事こまめに書き記す観察眼の鋭さだ。この造園に対する著者の愛着は、イギリスの田園地帯に育ったことだけではなく、父の花より樹木が大切と教えられたことにも関係があるかも知れない。そして圧巻は庭師たちの仕事ぶりをオーケストラに例えて綴る・・・。<続く>

2014/01/05

超人の面白読書 102 キャサリン・サンソム著 大久保美春訳『東京に暮す』 6

著者キャサリン・サンソム女史は駐日外交官の夫ジョージ・サンソム氏と日本で結婚、その後8年間日本に滞在し、そこで様々な異文化体験をするとになる。本書の最初に「東京での生活はいったいどのようなものですか」という友人や親戚の問いに答えるつもりで書いたものです、とイギリス人を念頭において記したことでも解るように、本書は政治経済を論じたり社会問題を分析したりという小難しい話がないのが特徴だ。あくまでも表面的な観察と感想に徹していることが軽快に好感をもって読める証左かもしれない。時には水彩画よろしく時には音楽の素養を応用したりしてさり気なく自分の趣味を披歴、気楽に読んでくださいね、そうすれば、遠く極東に位置する日本の人々の暮らしがよく理解できますと言いたげである。この原文、『Living in Tokyo』は格調高い文章で観察に幅と広さがあると訳者があとがきで書いている。英語の教科書用バージョンもあるという。
筆者が特に印象に残った個所は日本人の食事、仕事、百貨店歩き、天才庭師との興味深いやりとり、日本アルプス行での混浴のある大衆風呂入浴体験、日本の女性の社会進出を促す率直な意見など。ここで全体的にあれこれと印象を書き記すことは避けて、本文からの引用を中心に著者の生の声に耳を傾けてみたい。多少可笑しいところや誤解ともとれるところが散見されるも、そこは昭和初期に日本初体験をした外国人だということをお忘れなく―。むしろ好奇心と観察眼の鋭さをみるべきであろう。

日本上陸について。

東京湾のかなたに、きらきらと輝く朝日を浴びて富士山が立っていました。私は富士山を「空高く聳え立つ巨人」などと呼ぶ気になりません。富士山は不思議なくらい軽やかで、まるで天から垂れ下がっているかのようです。それでいて見すごしてしまうのです。あるはずの方向に眼をやっても見つからないのです。探しながら眼を上げていくと、ほら、ありました。あの有名な頂きは私たちが考えているよりずっと高い、層雲の上の方にあるのです。富士山には水で覆われた他の高い連峰が持つ男性的な雄大さはありません。富士山はむしろ夢であり、詩であり、インスピレーションです。久しぶりに見た瞬間、心臓が止まってしまいました。それほど美しいのです。富士山が日本人の想像力と美的感受性に強い影響力を与えている理由がよくわかります。 
富士山は去年(2013年)世界遺産に指定されたが、すでに昭和初期イギリス人がその美しさに心を奪われていたのだ。

日本人の食事について。

和食と洋食の最大の違いは和食の基が酢で洋食の基が脂だという点です。日本人は大根というディッシュをずっと大きくしたような野菜が大好きです。大根にはビタミン類が豊富ですし、少量をご飯と一緒に食べると美味しいのですが、たくあんは大根特有の臭いとぬかみその臭いがあいまって、ひどく臭く気分が悪くなるほどです。混み合った市電やバスの中でその臭いをかぐとたまらなくなって降りてしまいます。ところが、面白いことに洋食を口にしない多くの日本人は油やバターの臭いを嫌います。臭いが強い外国人のことを「バタ臭い」という表現が昔からあります(本文P.32)。

お百姓さんがご飯をかき込む姿は、戸を一杯開いた納屋に三叉で穀物を押し込む時のようで、大きく開けた口もとに御飯茶碗を添えて、箸をせわしく動かしながら音を立ててご飯をかき込みます。これがご飯をおいしく食べる唯一の方法なのです。ご飯というのは体中の隙間を埋めつくす位たくさん食べておかないとまたすぐにお腹がすいてしまいます。労働者とそれ以外の日本人との間に食べ方の違いはありません。誰でも同じように食べます。その時には、イギリスのポートワイン鑑定人のような非常な集中力が必要とされます。話に気を取られてはいけません。私は今までマカロニを上手に食べる人が一番見事な食べ手と思っていましたが、迅速にきれいに食べるという点ではとても日本人や中国人にはかないません(本文P.36-P.37)。

日本人の労働について。

農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。彼らは、むしろ、成長して滅びることを繰り返して永遠に再生し続ける自然界の一員であり、そしてまたこの循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる優れた感受性を持っている人たちなのです。例えば、窓越しに雪が溶けているさまを目にすると、私たちだったら外に出るのは厭だと思うのですが、日本人は嬉しそうな顔をして「まあ、きれいなこと」と感嘆します(P.43)。

日本の商人たちのもっとも奇妙な特徴は商売が下手なことです。宣伝ばかり派手で中身がたいしたことがない商品があふれるなか、日本のように無垢な社会に来ると嬉しくなります。例えば、私の薬剤師は日本で古くから定評のある製薬会社に勤めていますが、私が外国製の薬を好むと思い込んでいて、彼の会社の製品を薦めません。私がどうしても日本のものがいいというと喜んで出してくれます。クリスマスツリーの下の方にかかっている人形やキャンディーやおもちゃや癇癪玉では駄目で、どうしてもてっぺんにあるサンタクロースを欲しがる変わった子どもの相手をしているような顔をして(本文P.54)。

今東京で一番話題の店は世界でも有数の大書店でいろんな言語で書かれた新刊書まで取り揃えていると著者が一応褒めたたえている一方で、絶対に棚にあるはずの本を探してもらったのに、「まだ入荷しておりません」という返事が返ってくることがありますと書き、それは東京での憎めない冗談の一つですと著者は皮肉たっぷりに語る。また、バーナード・ショー夫妻が来日した時に、H・G・ウェルズの新刊書が欲しいとのことでその大書店を著者が尋ねたがその本を店員が知らないばかりか店長も知らなかったらしく(バーナード・ショー夫妻は一週間前に北京の書店で見かけていたという)、有名な方のご依頼ということで地下にある荷解きのしていない中から30分もかかってその新刊書を何とか探し出してきて著者に渡したという。著者はこのあと続けてこう書く。
私は暇人なのでこんな遅いサービスでも構わないのですが、もっと迅速にサービスが行われるようになっても、以前からの礼儀正しさと、本が売れようが売れまいがそんなことはどうでもよいという大らかさを失わないで欲しいと思います。最近は口先のうまい商売ばかりで、こういうまじめな商売は少なくなってしまいましたが、感じがいいし、売ることしか考えない商売よりも結局は人々の信頼を得ることになるでしょう、と書く。そして著者は心優しく悪口も披露するのだ。ショーウィンドーに山と積んである新刊ベストセラーなのに、店員たちはその本はうちにはありませんと言い張ったという本当にあった話を紹介している。これと似かよった話は今でもよくあるし、現に筆者も時々出くわすのだ。大分前JR札幌駅ビルの書店(この書店は今はない)での出来事はこの種では最たるもの。小学生、中学生、高校生それに赤ん坊をおぶった娘などの立ち読みの光景も目にして、小さな本屋の経営がどうして成り立っているのか不思議だと書く(本文P.54-P.57)。本文58頁のマージョリー西脇女史の挿絵が面白い、皆が群がって立ち読みしているシーンのタイトルが「無料図書館」とは言い得て妙である。<続く>

Img076

2014/01/04

超人の面白読書 102 キャサリン・サンソム著 大久保美春訳『東京に暮す』 5

本書は日本の食事、労働、伝統、百貨店、礼儀作法、樹木と庭師、日本人の人生、社交と娯楽、旅、日本人とイギリス人、日本アルプス、日本の女性について肩肘の張らない、やわらかい感性を思う存分に発揮した好エッセーだが、ここには一イギリス人女性―と言っても外交官夫人―の見た昭和初期の飾らない庶民生活があって興味が尽きない。しかも教養に裏打ちされた眼差しと軽妙洒脱なユーモアとが織り交ぜあっている。人間観察にはこのユーモアの精神も大切なのだ。と同時に、マージョリー西脇女史のユーモアに溢れたタッチの挿絵は、恐らく当時としては斬新的ではなかったかと想像できる。これはキャサリン・サンソム女史の文章をより視覚的に解りやすいものとしていることは確かだが、中には誇張されたものもあって思わず苦笑してしまったことも事実である。それはさておきこの手の見聞録は幕末明治から大正までシュリーマン、イザベラ・バード、チェンバレン、ハーンを持ち出すまでもなく、多くの日本に来た外国人が描いている。筆者としてはこの種の異文化体験記には大分関心があって興味の赴くまま読んではきているがまだまだ読み切れていないのも事実。<続く>

2014/01/01

超人の新年の詩 2014

新年の朝 2014

去年今年 貫く棒の 如きもの
と虚子の句で新聞の社説は始まった
2014年元旦

快晴 暖

いつか来た道を繰り返したくない
いつか辿った暗い道に戻りたくない

なしくずしに起きている
決められてゆく政治の不気味さ
日本国の有様が大きく化け始めている

なぜに急ぐ
そんなに急いでどこへゆく

舵取りをする日本国の偉い人は
少数者の声にこそ耳を傾けなければいけない
民主主義の基本原理を
あっという間に忘れてしまっている

原発や格差の問題も野ざらしにしながら
先を急いで
とてつもない荒野を走り始めている

鳥の眼が必要なのに
あまりにも近視眼的に決められてゆく
この国の政治

普通の人々の暮らし向きは
どこへ行った
普通の人々の意見は
どこへ行った

お隣さんは視界不透明
お隣さんが怒っている

貫く棒の尊さを
私たちは忘れたのか

いつか来た道を辿ってはいけない
茶色い戦争はもう懲り懲りなのに
懲りない面々の
凍てついた言葉ばかりが
一人歩きしている

Sally's voice ;
crying and laughing
on her bed in hospital
on New Year's morning

« 2013年12月 | トップページ | 2014年2月 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31