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2014/01/25

クロカル超人の面白テレビ鑑賞 にほん風景物語~詩人草野心平が詠んだ日本の原風景〜 2

BS朝日テレビ「にほん風景物語~詩人草野心平が詠んだ日本の原風景〜」と関連した詩を拾ってみよう。筆者的には心平さんの詩を大分読んできたつもりだが、それでもフレーズは覚えていても暗唱した詩編が出てこないのだ。忘れたころまた、詩集を捲る。すると同じところを捲るから不思議である。


故郷の入口


たうとう磐城平に着いた。
いままで見なかつたガソリンカーが待つてゐる。
四年前にまではなかつたガソリンカーだ。
小川郷行ガソリンカーに乗り換へる。
知つている顏が一つもない。
だんだん車内は混んでくる。
中学生や女学生たちもはひつてくる。
知つている顔は一つもない。
四年前まではそんなことはなかつたのに驚いたことになつたものだと時間の恐し
さを考へていると。
「お蚕様(かえこさま)んときなんして来なかつたんだ。」
「んだつて。んげながつたんだもの。待つてだつぺ。」
「おら。てづだつてもらふべと思つてえよ。」
「さうげえ。こんだからね。」
ああ。
この方言だけは見知り越し。この言葉だけはおれのものだ。
紫の袴をはいてるところを見ると裁縫学校あたりの女教師らしい。
片つ方はもんぺをはいた小さな子。
おれは眼をつぶり。
眼をひらく。
喘息をふつきるやうな音をたててガソリンカーは出発する。
トンネルを出て右に曲がつていよいよカーはふるさとのなかにはひつてきた。
昔はここを平まで。
可愛いいマツチ箱にのつてかよつたのだが。
あれよりはまだこの方が幾分早い。
好間上野の一本松。
遥か向うの松の丘のぬきんじて高い一本のその下約一米あたりのところに三野混
沌の梨畑の小舎がある。
堅坑。
煙。
黄色い田ん圃。
この道だ。
この道を猪狩と二人でとほつていつた。
北海道釧路弟子屈の開墾地での苦闘の果ての失敗から女房の骨壺をルツクに背負
ひかへつてきた猪狩満直とこの道をとほり登つていつた。
その時三野の小舎のなかには蜜柑箱の上に死んだ子供の位牌があり香炉の茶碗の
灰には折れた線香がささつてゐた。
別な部屋には別な子がおふくろのメリンスの晴衣の袖を濡布にしてまつ赤な顏し
て眠つていた。
さんざん待たした揚句の果。
酒をくらつた藪医者がランプの小舎に現れたが…。
もう夏井川だ。
閼伽井岳だ。
カーはきしんで赤井にとまる。
猪狩はその後長野県の土工になり。
苦しい立派な生涯をそこで死んだが。
十年以上も会つていない混沌はいつたいどうしているだらう。
さういへば最後に会つたのは雪の日だつた。
赤ゲットを頭からかぶつて小川の家にやつてきたとき。
あの時二人は小川郷駅前の居酒屋で囲炉裡に足を踏んごんで僅かな地酒をのんだ
のだが。ケツトについたあの雪がなぜかはつきり残てゐる。
もう切り割だ。
いつもと同じだ。
長い竹藪。
いつもとおなじだ。
佐藤甚右衛門。
さうすると御園はあの辺。
下小川広畑のおれの母系の代々の墓地は。
とんがつて向うの小山のてつぺんの恰度あの辺。
おれは眼をつぶり。
眼をひらく。
人々はもうたちかける。
にはかにおれもどきどきする。
鉄橋だ。
昔とおなじく水はきれいだ。
見なくつたつて水音だけではつきりする。
もう構内にはひつてゐる。
カーは止つた。
おれは直ぐには立ち上らずに改札口の方を見る。
天平が。
滅茶苦茶な顔をして手をふつてゐる。
鳥打をかぶつた晴夫もゐる。
いよいよ。
むしろしづかに腰をあげる。
小川郷。
これが昔もいまもふるさとの駅だ。
これがあの何度も何度も何度もの砂利だ。
ああ見える。
眼前に仰ぐ二箭(ふたつや)山。
阿武隈山脈南端の。
美しい山。
美しい天。
おれは泪にあふれながらおもちやのやうな地下道をくぐる。                                  昭和17年10月

Image_3

  【写真 : 現在の小川郷駅】

上小川村


大字上小川


ひるまげんげと藤のむらさき。
夜は梟のほろすけほう。
ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは小作人。小作人のとなりは畳屋。
畳屋のとなりは鍛冶屋。鍛冶屋のとなりはおしんちやん。おしんちやんのとなりは
馬車屋。馬車屋のとなりは蹄鉄(かなぐつ)の彦……。
昔はこれらはみんななかつた。
昔は167軒の百姓部落。
静脈のやうに部落を流れる小川にはぎぎよや山魚もたくさんゐた。
戸渡あたりから鹿が丸太でかつがれてきた。
その頃ここで。
白井遠平が生まれ育つた。
櫛田民蔵が生まれ育つた。
いまも変なのがすこしはゐる。
人のいい海坊主みたいにのろんとした草野千之助も生きてゐる。

ひるまはげんげと藤のむらさき。
夜は梟のほろすけほう。

背戸は赤松の山。前はすすきや草のなだらか
な丘に屏風岩。そのまんなかのにぶい蛍色の
出で湯をまもる家一軒。ここを湯の沢といふ。


昭和30年代に母方の実家へ用事がある度に母親と行った光景と似て(もちろん書かれた昭和10年代とは20年以上の後のことでバスが走っていた、遠い記憶では一時期トロリーバスも走っていたか)筆者の心象風景として今も残る。

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