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2013/10/01

超人のニューヨーク訪問記 2013年初夏 52 最終回 遥かなるニューヨーク

哲学者森有正が、遥かなノートルダムとタイトルをつけてパリから哲学的随想を書き送り、当時の雑誌『展望』に連載されたのはいつ頃でしたでしょうか。そこにはパスカル研究家森有正のキーワード、〈経験〉と〈悲しみ〉が横たわっていて、句読点のない長い文章につけ加えて、概念の厳密性を尊重してか、わざわざ傍点で記されるなどなかなか読みづらい文章でした。それでも何か感応しあうものがあったように思えます。もう遙か昔の出来事です。
なぜニューヨークの旅日記の最終回にこのようなことを、しかも舞台はニューヨークではなくパリなのに、です。それは思いつくまま書いてきた最後に相応しい書き出しだからです。旅とは、ある時ある場所である距離をもって自分を客体化してくれるもの、偶然にもこんな言葉が浮かび上がって来ました、遙か昔高校時代に読んだ旅についての一節です。人生の節目で顔を出す言葉ですが、確か角川文庫だったと記憶しているのですが未だにその本を見つけ出せないでいます。
遥かなるーこの言葉の響きに時空を越えた広がりと深さを感じながらーニューヨーク、そこには絵葉書で見る以上に人間のドラマが隠されているような感じを受けます。リバティー島の自由の女神はそれを見続け、また、護り続けています。右手にたいまつ、左手に本を抱えて。2207

 

ニューヨークは成功を夢見て世界中から人々がやって来ます。成功者には大喝采、失敗者には素早い退場とプラグマティズムを地で行くアメリカン・スタイルが備わっていて、ニューヨークはその典型的な相貌を呈しているような大都市として筆者には思えます。〈続く〉

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