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2013/09/01

超人のドキッとする絵画 23 水村喜一郎の絵画

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いやはや驚きの記事を新聞で読んだ。画家水村喜一郎氏が個人美術館を長野県東御市に今年の5月に開館していたのだ。知らなんだ!19年前に刊行された彼の画集『風景の匂い 水村喜一郎画集』を持っている。サイン本だ。また、越前和紙の上に書かれた個性的な彼の自筆の文字が額縁に飾られて筆者の家にある。何時だったかその額を見て、そう言えば、喜一郎はんは今頃どないしているのかなと想っていたことも…。その後の絵も観たいので近いうちに水村喜一郎美術館を訪ねてみたい。

かつて美術評論家窪島誠一郎氏は『風景の匂い 水村喜一郎画集』のはしがき(タイトルが「悠々たる遊牧」-水村喜一郎の絵と人について) の中で彼の絵と人柄について書いていた。慈しみの眼とは、いいかえれば画家水村が対象をみすえる視点の低さとでもいっていいものだ。そこには鐘ヶ淵の鳶職の子として生まれた幼少期の体験や、そこではぐくまれた職人的気質、市井の無名人や弱い者貧しい者にたいする深い愛着の眼差しがあるように思われる。けっして高みからものごとをみおろすことのない、自ら人の匂いに身体をすりよわせてゆく心のやさしさ。頑迷一徹でしられる先輩画家寺田政明や大野五郎がとりわけ水村をかわいがったのも、そういう人間臭さにみちた篤実な人柄があってのことだったろう。異国の丘陵にならぶ白い壁の家並み、古都の路地裏、さびれた漁港、岬の灯台、古びた水門、そして道ばたに咲く名もない草花一つ一つの描写には、水村が夢みるそうした人間の絆へのつよいあこがれがひそんでいるといっていいのではなかろうか。
『風景の匂い 水村喜一郎画集』からピックアップした作品は下記の通り。写真左から右へ。
1.引き込みの線の風景(北千住・東京) 1978
2.黄昏れる海ー落日の海辺(酒田・山形) 1983
3.冬近い古本屋街(神保町・東京) 1988
4.教会(小樽・北海道) 1985
5.海辺の集落(銚子長崎鼻・千葉) 1986
6.柿 1980
7.モンマルトル 1982
8.ホテルの窓より(シエナ・イタリア) 1992

追記 3の水村喜一郎作『冬近い古本屋街』(神保町・東京 1988)を改めて眺めてみると、不思議な磁場を感じるのだ。今や神保町の古本屋街も寂れていく一方で、代わりに食物の店が軒を並べている。これがまた出入りが激しいことこの上ない。水村喜一郎のノスタルジアを感じさせる絵は、この『冬近い古本屋街』にも醸し出されていて、“風景の匂い”に一歩近づいた感じがするのだ。筆者は青春時代に神保町にいて、壮年になってまた戻ってきた。だから尚更街の風景の変化を、匂いの違いを嗅ぎ取ったのかも知れない。水村喜一郎のこの絵には沈黙のストーリーがある。(2016.11.16 記)


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