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2012/09/29

クロカル超人が行く 166 装い新たなJR東京駅丸の内側

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2012年10月1日、工事に5年を費やしたJR東京駅が復元、営業を開始をする。この日はもしかしたら台風が関東地方を襲う日になるかも(幸いにも台風一過の今朝は快晴ー2012月10月1日 追記)少し前にあちこち撮ったのがこれ。煉瓦と真鋳の色合いそして白の線、大正ロマンの再現が人々を魅了するはず。東京中央郵便局も出来ている。新丸ビル群、日本銀行協会倶楽部等々、JR東京駅丸の内側は新たな顏ぶれが加わって、その昔ロンドンのシティーに模したといわれる一角は今や一大パノラマ。夜の丸ビルから見下ろす東京駅はライトアップも手伝って素敵な夜を演出してくれるはず。あなたも素敵な女性とニュースポットへ。

東京駅の辰野さん

辰野さん よかったですね
一時はつぶされるかと ひやひや
よかったよかった

辰野さん よかったですね
まるいまるい天井も再現されて
よかったよかった

ニューヨークのグランドセントラル駅
見上げた先の星座も
まるかった

みんなみんな こんな風に
丸くなればいいのに 
地球だってまるいのに
どうしてアワ吹いているの

辰野さん 煉瓦と真鋳
そして微妙な白の線
ありがとう

できればカメラのフレームに
収めてほしかったな
辰野さん
でもよか

2012/09/28

クロカル超人が行く 165 新宿紀伊國屋書店「サザンシアター 」の谷川俊太郎の講演会 続々

谷川俊太郎氏への質問者は若い女性、男性、中年、高校教師など7、8人だった。ごくありふれた質問から解答者の谷川俊太郎氏を困らせたものまで多様。その中で特に鉄腕アトム(アニメの主題歌は谷川俊太郎作詞)が何で好きかの質問も単純で意外性があったが、興味を引きつけたのは高校教師の質問だった。

「生徒からの質問で、谷川俊太郎さんの詩の解釈で困っています。くしゃみという語が出てくる一編で、このくしゃみをどう解釈すれば良いか解りません。お教えて下さい」(確かこのような質問内容だったと記憶している)
「こういう解釈だという一定のものはありません。個人個人自由に感じたまま解釈すればそれで良いのです」
「それでは生徒に答えられないのですが」
「詩はいろんな解釈があって良いのですよ」
「ううん」

といったやり取りで、ときにドッと笑いが起きたのだ。

谷川俊太郎は1953年、詩人三好達治の推薦で「文學界」デビューを果たす。若々しく鮮烈なデビューである。そもそもは友人に誘われて詩をノートに書き留めたのが始まりだったという。デビュー後は喰うために無我夢中でいろんな仕事をしたらしい。だから当時3万円くらいは稼いでいたと。ただそういう一時期の詩には自己韜晦もあったと貴重な証言も聴けたのだ。

詩は突然やって来るとは谷川俊太郎氏の持論。ミューズがいつでもすぐに降りて来てくれる類い稀な人間なのかも?今さら詩人―。その昔ジャック
・プレヴェール(「枯葉」の作詞家)というフランスの詩人もいた。平易なコトバの魔術師、その鋭い感受性は二人に共通しているのだ。

二十億光年の孤独

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間が欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
なにをしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハラハラしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
ぼくは思わずくしゃみをした

(集英社文庫 谷川俊太郎詩選集)

Two Billion Light-Years of Solitude

Human beings on this small orb
sleep, waken and work, and sometimes
wish for friends on Mars.

I've no notion
what Martians do on their small orb
(neriring or kiruruing or haraharaing)
But sometimes they like to have friends on Earth.
No doubt about that.

Universal gravitation is the power of solitudes
pulling each other.

Because the universe is distorted,
we all seek for one another.

Because the universe goes on expanding,
we are all uneasy,

With the chill of two billion light-years of solitude,
I suddenly sneezed.

(Translated by William I. Elliot and Kazuo Kawamura, Shueisha, 2008)

2012/09/27

クロカル超人が行く 165 新宿紀伊國屋書店「サザンシアター」の谷川俊太郎講演会 続

紀伊國屋書店「サザンシアター」へ行くのに久し振りと言うこともあって多少戸惑ったが、どうにか当日券をゲットできて入れた。この劇場の収容人数は468人だそうで、その95%の445人位は入っていたか。しかも老若男女、幅広い層の人々で埋め尽くされ谷川俊太郎の根強い人気にサプライズ。

本当のことを言おうか、
実は若い人が多かった!
このフレーズはどこかで聴いた懐かしい響きー。
(確か谷川詩では、実はこのあとが私は詩人ではないと続いていたはず)

木曜日には詩人のアーサー・ビナード氏の講演も控えている。

本題の続き。映像で観る谷川俊太郎の半生終了後、このDVDを制作したプロデューサーとのトークショーが始まった。約45位だったか、ユーモアを忘れず飄々と喋って行く。コトバとは他者と自分との関係、コトバとは他人との共有物、コトバの力、沈黙に近いのが詩、意味の関節を外す→無化→ノンセンス、音の美しさ→美味しい味、詩は手触り感、意識下にあるものを掬い上げるのが詩、鉄腕アトムを唄う等々。その間自作詩の何編かが朗読される。さすがに慣れていて上手い、コトバが飛び跳ねているようで心地良い。その中から小さい子どもたちに大人気のコトバ遊び風のものを二つ。

かっぱ

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってつくった

ゆっくりゆきちゃん

ゆっくりゆきちゃん ゆっくりおきて
ゆっくりがおを ゆっくりあらい
ゆっくりぱんを ゆっくりたべて
ゆっくりぐつを ゆっくりはいた

ゆっくりみちを ゆっくりあるき
ゆっくりけしきを ゆっくりながめ
ゆっくりがっこうの もんまできたら
もうがっこうはおわってた

ゆっくりゆうやけ ゆっくりくれる
ゆっくりゆきちゃん ゆっくりあわて
ゆっくりうちへ かえってみたら
むすめさんにん うまれてた

(集英社文庫 谷川俊太郎詩選集)

さて、詩人谷川俊太郎への質問、その応答が面白かったが、次回へ。〈続く〉

2012/09/26

クロカル超人が行く 165 新宿紀伊國屋書店「サザンシアター」の谷川俊太郎講演会

詩人谷川俊太郎の講演を聴きに新宿の紀伊國屋書店「サザンシアター」に出向いた。3年以上前に関東学院大学での詩人ねじめ正一氏との共演以来。相変わらずの出立ち、多少老人ぽくなった以外は元気そのもの、恐るべき老人パワーである。今年81才、孫は4人いるそうで、2011年は40回の講演をこなして充実した人生を送っている。何とも羨ましい限りだ。多少趣きは違うが晩年の金子光晴を彷彿させる。
この講演会はそもそも紀伊國屋書店企画・発行の「谷川俊太郎の詩作と半生映像記録」(DVD)刊行に因んだもの(第113回セミナー)。言わば、販促講演会。午後7時過ぎに開演、ダイジェスト版の谷川俊太郎の半生の映像が流れる。青春の詩、現代詩の前線へ、ことばあそびうたからひらがな詩へ、えほんのふるさと、カミソリ一枚の距離感、いのちの表情から構成、ナレーターは俳優の柄本明氏。幼少時の杉並の自宅、父哲学者・評論家谷川徹三(宮澤賢治を世に送り出した人)、ノートに書きつけた自筆詩片、処女詩集『20億光年の孤独』を自転車の籠に入れて母と一緒に撮ったスナップ写真等今まであまり見なかった周辺も映像化、谷川ウオッチャーとしては興味津々だった。16年頃前にはある出版社の原稿依頼にファクスで私は詩人をやめていますと応えていた谷川俊太郎氏。母の介護で大変な時期だったらしい。それ程までに母親っ子だった、それはこの自転車のスナップ写真でも充分伺え知れるのだ。〈続く〉

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2012/09/23

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)”わが闘争”の紹介と書評を読む 18

「私たちはいろんなものを取り出した。バスルーム用のジィフ、台所用のジィフ、多目的クリーナーのアジャックス、窓掃除のアジャックス、消毒液のクローリン、予備の難しいシミ取り用のミスター・マスクル、オーブンクリーナー、ソファ、スティールウール、スポンジ、キッチンクロスや床のボロ用の特別な化学製品それに二つのバケツと一本の箒・・・」等等。時間が過ぎた頃には私たちは兄たちとその家を掃除し終えた。その体験は非日常的に生き生きとしていて直感的かつ心動かされるものだ。もちろんそれは私たちが浸っている語り部の深い悲しみの流れでもある。私たちは転移が必要なようにこの家事を体験する。私たちの本を読むという仕事はクナウスゴルドの書くという仕事と共に現れる。まさに悲痛という仕事なのだ。複雑な悲痛もまたあるのだ。恐怖、異縮、恥辱、無関心、安堵。結局、いつもの固めのクナウスゴルド風正直さだ。「しかしやがて自分にやって来ることを父は知っていた。別な方法で横になっていると言った私、彼が死んだことは良いことだった」〈続く〉

2012/09/20

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)”わが闘争”の紹介や書評をを読む 17

クナウスゴルドはランディー・ニューマンの唄「私はしたいようにあなたを傷つけたい」に触れたかった。それはこの章の展開している基本なのだ。彼と兄がこの地獄的な場所を隅々まで掃除する。読者は部屋一つ一つ体験を共有させられる。やや長い脱線やフラッシュバックの時間切れーの過程がおよそ100ページにわたって繰り広げられ、次のように続く。〈続く〉

2012/09/17

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)”わが闘争”の紹介や書評を読む 16

「これらの無動作、葉が限りなくある群葉、沐浴している生物・・・・私はこれらを見つけた時にはいつも幸せな気持ちに満たされた。クレーンにしてもそうだ。「私はクレーンより美しいものはほとんどなかった。構築の骨組み、トップと突き出たアームの底を走るスティールのワイヤー、たくさんのフック、そっと空中で運ぶ時に重い荷物がぶら下がっている通路、このメカニックな仮設への背景をつくる空」魚市場では彼は籠一杯の生きの良い蟹をみる。「頭から腐った葉のように焦げ茶色していて、その下は黄色がかった白い骨・・・・深海からやって来たのは素晴らしい冒険だった。ここにすべて生の良い魚だったように引き上げられた。」
本書の最初の半分を塞ぐディテールの豊富さには、残りの半分を不健全にも人を感動せずにはおかないものがある。これは回想の力を示す重要なところだ。というのは、この2章でクナウスゴルドとイングレは父親の死の知らせを受け、祖母の家へ出かける。そこは父親がアルコール中毒症で使い果たした時に逃げた場所で、父親はそこで死んだ。彼らは老衰や衰弱のショッキングなシーンを見つけ、クナウスゴルドが事実という透明な長話を記録する。至る所にカビが生え尿が散りばめられ、ソファには大便が散乱している。ボトルやボトルで一杯のバッグが散らばっている。「ほとんどが1.5リッター入りのペットボトルとウォッカのボトルだったが、ワインのボトルも数本あった」腐っていて悪臭のする衣服が束ねて置いてある。バスルームはすざましい。この致命的な無政府状態の弱い中心には小便臭く精神的に参っているようにみえる祖母がいる。彼女は息子の飲酒の黙認者ではなかったが、熱心な共謀者だった。ぼうっとしていて時に支離滅裂だったけれども一杯飲みたくてたまらい。居間の椅子に座っている死んだ息子を発見したのは祖母だった。しかし彼女は発見したのが朝だったのか夕方だったのか思い出せない。クナウスゴルドは「彼女と距離をとることは死体と同様に難しく不毛だった」と書き留める。〈続く〉

2012/09/13

超人のドキッとする絵画 21 イギリス19世紀の風景画家 ジョン・コンスタブル作『乾草車』

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カール・クナウスゴルド作『Min Kamp』(English tiltle: My Struggle)“わが闘争”で言及された画家、Joihn Constable(1776-1837)。代表作『乾草車 1821』(ネットから)。191年後の日本の今の天気にも似て、あら、不思議。特に雲の描写に注目だ。同時代の画家にターナーもいた。

2012/09/12

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』(English title:My Struggle)”わが闘争”の紹介や書評を読む 15

クナウスゴルドは芸術的な立場から傾倒している無尽ー絵画の特質よりむしろ殺風景なものーが疲れているが倦むことのない状態を明らかにする。それはコンスタブルが描いた独自のやり方で雲のように生き生きとしているに違いないのだ。彼は私たちを人生という日常に住まわせたい。時に視覚的(コンスタブルのスケッチ)、時に平凡(一杯の紅茶やオールドスパイス)、時に一瞬(両親の死)なのだが、すべてやむなく日常に引きずり込まれるのだ。人生の只中で起こるし違った形で誰にでも起こるからだ。彼は何でも気が付くー過剰に、はっきりとーしかしよく美しくのんべんだらりとする。北欧の冬の後の春の目覚めを体験するとはどんな様子か長く雄大に書き上げている。ストックホルムでどのように普通の日が流れて行くのか(彼は忍耐強く群衆が行き来しているのをじっと見つめる)、ノルウェーの空港で無秩序に人間的な活動をしたこと、アドルノの読書体験のこと、幼少時に祖母と市場で魚を買ったことなどが綴られる。彼は生きて行くために木に感謝する。〈続く〉

2012/09/11

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)”わが闘争”の紹介や書評を読む 14

警察が通りの遙か下の方のポルノショップを手入れしているのをじっと見つめる。妻と雑談(目覚めた)、それからコンスタブルの絵画の本を弾き飛ばす。彼が突然涙を流している。「1822年9月6日の雲の構成の油性スケッチに取り憑かれて」彼はこの行動を説明できない。彼は何を感じているのか?「無尽の感覚、美の感覚、現存在の感覚」「彼は絵画で常に落ちつかなかったが、自分の経験を描くことができないと分かったのだ。所有するためには存在の核心が無尽なのだが、私の中で働くのは熱情だ。容易く表現しにくい。無尽の内側にある熱情”ー彼がコンスタブルのスケッチを振り向いた時、「すべての推論は自分の内部で起きたエネルギーや美が湧き出る中で消えた。そう、そう、そう、私は聞いたのだ。そこが存在する場所だ。しかも行くべきところだ。しかし、私が頷いてしまったのは何だっのか?私が行かなければならなかったのは何処だったのか?〈続く〉

2012/09/09

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp 』(English title: My Struggle)"わが闘争"の紹介や書評を読む 13

私もまたギター演奏用のすべてのアクセサリーが好きだった。綿毛のボックス、コーラスペダル、リード、フラグ、ピックや弦の小さなパケット、隘路、カーポ、内張りされたギターケースとすべての小さな区切りものだ。ギブソン、フェンダー、ハーグストレム、リッケンパッカー、マーシャル、ミュージックマン、ヴォックスそれにローランドのようなブランドの名前が好きだった。

一杯の紅茶で同じ扱いを受ける。

しばらくして私はティーポットを取り上げ注いだ。木のようなこげ茶色の紅茶が白いカップの中から立ち上がった。葉が渦巻き浮いて、他のものは底の黒いマットに沈む。ミルクとシュガー3つを加え、かき混ぜ、葉が底に沈むまで待って飲んだ。
うーん。
「私たちはその夜知り合いの3人の女の子と出かけた。私はオールドスパイスという防腐剤を借りた」
全てに名前が付けられ接続され、真面目に明記記入される。数百ページの後私は呟き始めた。これは『わが闘争』と理解したが、また、”わが”闘争でなければならなかったのか?デビッド・ミッチェルの魅惑的な小説『Black Swan Green』がこの領域を交差してしまった。(大袈雑把に言えば、1980年代における北ヨーロッパの青年を忌まわしくしてしまうこと)。この小説にはクナウスゴルドが呼び求めるよりもさらに大きな活気さと喜劇がある。私たちは多くの検死の詳細についてページを共有する必要があるなら、アダム・マース-ジョーンズが小説風の微細リアリズムの手法で終わりのない計画の中に、最近二つの厖大な巻を上手く編んだように放っておけば良い。
しかしながら、クラウスコルドのオムニバス形式は事故以外のものと分かる。また、平凡さは極端なために反対になるし、極端に透明感のあるところでは目立ったり、好奇心のあるものとなるのだ。ギターを弾くこと、紅茶を飲むこと、ドク・マーティンの服を着ること、ウォークマンを聴くこと、兄のイングレがクウィーンの音楽をいかに独断と偏見で見下げていたか、後に兄(すばらしくカフカ追随者と名付けて)と一緒に作ったバンドの名前などのページによる全体的な必要性もまた、すばらしく、ダラダラした最上の通路(パッサージュ)をもたらしている。クナウスゴルドが眠れず、自分のアパートを歩き回るような通路なのだが。身ごもる妻リンダがベッドにいる時には、窓の外を眺めて、コンサートホールの外でいく人かのグループが立っているのを見ているのだ。〈続く〉


2012/09/07

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』(Englisn title: My Struggle)”わが闘争”の紹介や書評を読む 12

『わが闘争』の最初の半分はごく普通だ。テーンエージャーとしてクナウスゴルドはマルテ・ラウリッド・ブリッゲではなかった。彼は普通のノルウェー人で、クリスチャンサンドの学校に通うが、出来るだけ頻繁に酒を飲もうとするしクラスメイトと恋にも落ち(「それはまるで雷に打たれたようなものだった」)、低俗なバンドで演奏もする。ほとんどの作家はできるだけ早くこの平凡さを通過するが、クナウスゴルドは違った。ニューイヤーイブの描写は70ページに及ぶ(本当はどうでもいいことを並べたと知りながら)。テーンエージの作家が苦労してそのパーティーまでビールを運ぶ。「慎重に仕掛けられた飲酒」で始まり、「酒は先に安全に手に入れなければならなかった。貯蔵に適した場所を見つけなければならない、そこへ運び、戻っては適当に取り繕わなければならなかった。帰宅時は両親を避けた」そう、すべての基地を覆い隠しているようにみえたはずだ。
カールがギターを弾くのがどんなに好きだったか、楽器がどんなに好きだったかと語る時にはすべての名前のリストを挙げている。〈続く〉

2012/09/06

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)“わが闘争”の紹介や書評を読む 11

マルテはパリに住んでいたデンマークの詩人で、クナウスゴルドのように父親の死体を見た経験を詳細に描く。クナウスゴルドが『わが闘争』を出版した同じ年にノルウェーの作家でリルケジャンのトーマス・エスプダールが、ある作家のノートブックや日記的に書くことへの苦悩を扱った小説、『芸術に抗して』を出版した。
しかしながら、『わが闘争』はこれらの奇妙な本よりさらに奇妙だ。クナウスゴルドは全く無視できないようにみえた。インタビューで彼が言っていたのは、父親の死後ほとんど10年間は理論上人生についてすべてを獲得するために、自分の名前に対する2つの小説について自分の過去や家族の物語からあえて身軽にならざるを得なかったということ。彼は1日5ページから20ページを猛スピードで書いた。そして、ほっとしたと言い放って自伝の第6巻を書き終える。「私はもう作家ではないので幸せである」と自分を無効にしてしまうような言い草だ。ノルウェーでは50万人ほどの人がこの本を読んだ。思いの外文学的反響があった。クナウスゴルドの家族は頑なに祖母の自画像に反対しているし、出版者も作家も訴えると言っている。〈続く〉

2012/09/05

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)“わが闘争”の紹介や書評を読む 10

多くの現代の作家が反射的にイロニーに変えるところではクナウスゴルドは強烈で全く正直だ。一般的な悩み事に声を出すことを恐れず、ナイーブさやぎこちなさを出すことも恐れない。彼の文章は長くて見失うけれども、恰好いいわけでもなくやたらに脱線的でもない。真実は口説くのではなく、繰り返しながら打って返されるのだ。
結局これは多様性を伴う一種の叙述形式なのだ。語りとエッセイ、具体的と理論的、一般的と形而上(開く水門を待ちながら、繋がれたボートのような人生のイメージ)。プルースト
でのように私たちは鮮やかに変更されていることに驚かされる。回想から実例へ移動する時に(死の社会学の思考から父親の死という実際の死体へ、素早く狭くすること)。クナウスゴルドの本には絶えず強制的なものが伴う。私は退屈する時であっても興味を引いた。この際立った読みやすさは『わが闘争』の型にはまらないやり方と関係している。最初は大分親しく見える。高度で個人的なモダンあるいはポストモダンなものが働く。作者に語らせ、記憶が不正確ならばフォルムを常に維持しながら、そうして突然にどうにかプロットを書く。結果として私たちが読んでいるテキストになるが、これは叙述形式と関連しているのだ。プルーストの『失われた時を求めて』に付け加えて、リルケの『マルテ・ラウリド・ブリッゲの手記』(筆者註。この『マルテの手記』(もちろん日本語訳)はドイツ文学者の松永美穂氏による新訳が近いうち出るらしい)がクナウスゴルドの本の背後にあるのかもしれない。〈続く〉

2012/09/04

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウトゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)”わが闘争”の紹介や書評を読む 9

彼の計画はスケールが大きいために、この必要に引き延ばされた大意では却ってクナウスゴルドの本の長さや弱さを露呈してしまう。散文にはなだらかさと冗長さが必要なのだ。長い文章はアバン・ギャルトみたいだ。会話を付け足ししたり広げて畳み掛けたりして。作家は選択したり形作ったりしないし、ましてや止まって息抜きさえしない。陳腐な言葉ははねつけられていない。本の中のどこでも時間が“砂のように”クナウドゴルドの手から落ちている。作家が私たちに語りかけるのは、恋に落ちるとは稲妻に打たれること、恋愛ではまっさかさまになり、狼のように飢えていたということだ。多分彼の告白的な流暢さには不器用的なものがあるが、しかし人生と彼との関係、読者と作家との関係にも単純さ、解放さそれに無垢さが存在しているのだ。〈続く〉

2012/09/03

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クラウトゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)”わが闘争”の紹介や書評を読む 8

自分が時間と競走していること、そして砂のように自分の指を走り抜けながら過ぎ去るのを感じるのだ。間もなく40才になる。40才になると50才も近い。50才になると60才も近い。60才になると70才も近い。このように続くのだ。クナウスゴルドも皆の死する運命を理解する。今まで私が考えていたのは、下の通路で回っている人たちを観察することだった。彼らの3分の一は25年後に死ぬ、50年後には3分の二が死ぬし、100年後には全員死ぬだろう。彼らはどう立ち去るのだろうか。彼らの人生はどのような価値があったのだろうか。
430ページにわたるこの本の約半分は、死の背後についてヴァルター・ベンヤミンのように回想していることだ。 一方では、私たちに関してだ。それは図像や恐るべき知らせのようなもの。しかしこれは概念としての死、身体を伴わない死なのだ。他方では、実際の死は肉体であって具体的、身体的、物質的だ。この死は狂乱状態にあるほど注意深く隠されている。そして動く。それはちょうど致命的な事故や殺人者に対する気が乗らない機知を操る人たちがどのように自己表現するかを聴いてみればいい。彼らはいつも同じことを言うのだ。反対の意味であっても絶対に非現実的だと言うのだ。本当に現実的だった。しかし私たちはもはやその現実に住んでいない。私たちには逆さまになってしまった。私たちには現実が非現実、非現実が現実なのだ。一休息した後にクナウスゴルドが告げる、私が最初に死体を見たのは30才だったと。1998年夏、7月の午後、クリスチャンサンドの教会だった。私の父親が死んだのだ。〈続く〉

2012/09/01

超人の面白読書 95 ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』(English title : My Struggle)”わが闘争”の紹介や書評を読む 7

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ノルウェーのベストセラー作家カール・オヴェ・クナウスゴルドの最新作『Min Kamp』の米語版『My Struggle』。「わが闘争」の表紙、裏表紙と最初のページ。昨日到着した本。148mm×190mm。ペーパーバックス版。430ページ。Archipelago Books。定価1586円。

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