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2012/03/19

市井の思想家吉本隆明の死

詩人・評論家で思想家の吉本隆明氏が3月16日に死去。全共闘世代にはカリスマ的存在で彼の著作は難解にも拘らずよく読まれた。今思えば、一種の知的ファッションだったと筆者は考えている。右手に朝日ジャーナル、左手にコミック雑誌というスタイルは、当時の学生の様子を象徴していた。こう書く筆者もその知的雰囲気に触れた一人だったが心酔するほどのめり込まなかった。当時筆者たちも講義の合間に大学近くの仲間の下宿でよく議論したものだ。

もう15年以上前に団子坂周辺をうろちょろしていた頃、夕方近くに手拭いを腰にぶら下げ自転車を押して坂を上る吉本隆明氏を何度か見かけた。白髪混じりで白いシャツとごく普通の人が履く茶色ズボンそれに下駄の出立ちは、庶民的なオジサンそのものだった。やや眼光が鋭い以外は。恐らく豆腐屋や八百屋などに寄って西片の自宅に帰る途中だったか。夫人が病弱だったため、代わりに吉本隆明氏が買い物をしていたと昨日の毎日新聞の夕刊に書いてあった。長女は漫画家、次女は著名な小説家吉本ばななさん。
今彼の詩集の一節を思い出そうとしている。それは詩論家鮎川信夫と吉本隆明の詩『固有時との対話』を対比させて論じたエッセイだったか、思い出せないでいる。『言語にとって美とは何か』、雑誌『試行』をはじめ、『マチウ書試論』、『転向論』、『共同幻想論』、『書物の解体学』『戦後詩史論』、『マス・イメージ論』となどそれに目についた新聞、雑誌の対談などは読んでいた。しかし彼の熱心な読者ではなかった。前述した通り難解なのである。その言葉の独特な定義づけとねちっこい言説には一つ一つ詳しい解説が必要だったくらい…。それはやわらかな詩的直感と硬質な論理的思考が織り成す水晶体のようなものだった。昨日の朝日新聞夕刊に中沢新一が“病を治してくれる”お医者さんだった、と気が利いたコメント発していたが、筆者には到底真似できないコメントだ。

そうそう、思い出した、2年前には文芸記者との対談・構成本『詩の力』を読んでいた ! さらに 絓秀美著『吉本隆明の時代』も書棚にあった。それにしても勁草書房刊『吉本隆明著作集 言語にとって美とは何か』が手元にないのだ、確かどこかにあるはずなのだが。

追記。この記事を書いたあと、まだある記事を見つけられないままあちこちの書店や古本屋を捜していたら、流石吉本先生、初期の詩集が見当たらない、売れているらしい。そうこうしているうちに毎日新聞は加藤典洋氏や中島岳志氏、それに北川透氏に寄稿してもらっいる。その内容のコメントはあとで。それはさておき、NHKのETV特集「吉本隆明は語る」を視た(2012.3 .25. 22:00-23.30)。2008年、糸井重里司会の昭和女子大学での講演会の録画を中心に構成した番組。面白かった。吉本隆明氏、83歳。車椅子での熱弁、恐れ入りました。自前の芸術言語論を熱く語って止まなかった。Yoshimoto
いわゆる自己表出と指示表出の話、目線は絶えず天井までは行かないまでも大分上(照れ隠しか)、アダム・スミス(ちょうど夕方必要あってスミスに関する本を買ったばかり!)の古典経済学からマルクス、鴎外、漱石と言語論を展開、言語は沈黙のところが意味深い、コミュニケーションだけではないと。横光利一を評価、ドストエフスキーや太宰治、桑原武夫の第二芸術論まで出てきた。小説の本質を見抜く直観力と推察は鋭い、語り口は大分年老いて聞き取りにくいところや繰り返しが多かったが、その中で多用された“つまり”の言葉が何とも良い響きだったか。(笑)。やはりフンボルトではないが(つい最近言語学者のフンボルトに関する論文を大分前に書いた元関西大学の福本喜之助教授の本を少しばかり読んでいたのだ。その本はこの春大学を退職するご子息から頂いたもの)エネルギアを感じた次第。4年前の講演だったようだが筆者はこの講演会を知らなんだ。糸井重里氏は吉本ワールドをネットで公開するらしい。戦後最大の思想家の一人を世界中に紹介してくれることは大変有益だと思う。それにしても吉本隆明は外国語は知らず全部翻訳書で読み込んでいたとは、これまた凄い。どこかに書いてあったエピソードだが、誤訳された翻訳書を読んで理解できるかと外国語の研究者から非難されたらしい。吉本隆明はそんな翻訳しかできない外国語研究はレベルが低くいかがなものかと反論したらしい。沖縄、アフリカの問題についても先見の明ありだ。そして恥じている筆者がいるのだ、若いときに読んだはずだか゛忘れてしまっていることがいかに多いか……。
加藤周一、井上ひさし、今回吉本隆明が鬼籍入り、知を背負って全仕事をした人たちがいなくなることは淋しい限りだ。
ところで、京都の大御所鶴見俊輔氏は元気だろうか?(2012.3.26 記)
追記2。ブレない吉本隆明だった、とは毎日新聞の文芸批評を担当している田中和生氏の3月文芸批評の冒頭文言(2012.3.29)。

Img021_2

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらった反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は熱ひをもりかへす

ちひさな群への挨拶 「転位のための十篇」から
『吉本隆明初期詩集』(講談社文芸文庫 2010年11月10日第2刷)

追記3。吉本隆明は数学者の遠山啓を尊敬していた…。

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