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2012/03/30

超人の面白、街の話題 16 孤独死

最近埼玉、東京、神奈川などの首都圏の孤独死が話題になっている。詩人の茨木のり子さんや、つい最近ではタレントの山口美江さんが目についたが、この他にも大分いると考えられる。埼玉ではヤクルトレディが郵便受けの新聞のたまり具合を見ておかしいと通報してくれたことで助かった人もいた。現代社会を無縁社会と捉えた某テレビ局の番組が話題になったが、こういった人々、他人に手を差しのべる人もいるのだ。
しかし気になるのは弱者切り捨ての胸の痛むような事件だ。横浜市旭区の親子の孤独死は他人事ではないと感じて少し、いや大分凍てついた。恐ろしいむごい現実を突きつけられた。高齢の父親が病死、母親は重度の障がい者の息子(といっても40代の男性)を面倒みていたが、解離性大動脈瘤で死亡、重度の障がい者の息子も肺気腫による呼吸不全で死亡。発見者は障害者支援施設の職員で母親は死後一週間、息子は発見の前日頃死亡したという。いやはや過酷すぎる。昨秋あたりから通所を断っていたらしいが、経済面や体力などのご苦労があったり、他人に面倒をかけたくないとの母親の配慮が働いたとは容易に想像がつく。それでもだ、何かの前触れとかシグナルがあったはずだが、隣人はそれに気づかなかったか。様子がおかしいと薄々感じていても、自分たちには無関係とあくまで装うのか。生前当の本人が通所などを断っていたというが…。誰かが言っていたがいい意味でのお節介者がいなくなっていると。民生委員やマンションの管理組合それに町内会の役員などコミュニティでのセーフティーネットがいかに脆いか露呈した感じ。今地域社会のセーフティーネット、特に高齢者の一人暮らしや障がい者など弱者に配慮した、心の通ったセーフティーネットワーク構築が急務だろう。どうも3.11以後絆、きずな、kizunaと言葉が一人歩きをしているよう…。

追記。また、孤独死のニュースだ。今度は横浜市戸塚区原宿の県営団地、57歳の妻が病死のあと61歳の夫が餓死。あまり干渉されたくないことで起こったのかも知れないが、事前に何とかならなかったのかー。こういうことがこれから度々起こるとコミュニティーのあり方が問われ、今までの常識や価値観では手に負えないような気がする。助け合う家族の風景が消えたことが大きな原因だと考えられるが、さて、どうだろう。まだまだ生きられる年齢なのに。ある著名人か誰かかは忘れたが、干渉されたくない選択をしたのだからやがて自分も孤独死になると書いていたが。考えさせられるニュースである。(2012.6.22 記)

2012/03/28

超人のドキッとする絵画 19 レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想』東京展

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渋谷のBUNKAMURAざ・ミュージアムで31日から開催される『レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想』東京展。開幕前に日本初公開の「ほつれ髪の女」の展示作業があったと今朝の毎日新聞朝刊が報道。ダ・ヴィンチ円熟期の傑作でパルマ国立美術館が所蔵している作品。6月10日まで開催。開催中に一度出かけてみたい。【写真左上: 3月28日付毎日新聞朝刊より一部加工した写真】
パルマといえば、サッカーチームの本拠地あるいは、こちらの方が筆者的には興味津々なのだが、パルメジャーノ・レッジャーノのチーズの王様の産地。一昨年や去年辺りはこの24ヶ月熟成に拘っていた…。

追記。4月7日(土)放送のテレビ東京の人気番組『美の巨人たち』でこの展覧会の目玉「ほつれ髪の女」を取り上げていた。縦241.7㎝、横21㎝の小さなポプラ板に描かれた女性像。小林薫のナレーションがその特徴を語ってゆく。

わずかに首を傾け佇む伏し目がちの女性。その慈しみに満ちたまなざしは、細部の陰影にいたるまでに完璧に描かれています。きめ細かな肌。柔らかな唇。スッと通った鼻筋。まさに神
業のような筆さばきです。
ところが、細密に描かれた顔に比べ、髪は即興的に描かれあまりにも無造作です。そう、この絵未完成なのです。…その謎に迫ります。
お馴染みのナレーションだが、ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチはなぜ髪をきちんと描かなかったのか、そしてそのモデルは誰か、と私たち想像を掻き立てて止まない。
「モナリザ」ももちろんすばらしいが、この「ほつれ髪の女」もそれに劣らずすばらしい。小さいのが気になるが早くシブヤのBunkamuraに観に行かなくちゃ。(2012年4月9日 記)

追記2。静岡、福岡展は好評のうちに閉幕したと今朝の毎日新聞人欄。その記事はこの展覧会の監修者アレッサンドロ・ベッツォージ氏の紹介記事だ。20歳からレオナルド・ダ・ヴィンチを研究し、作品をモチーフにした雑貨や関連資料を収集、それらを公開するためレオナルドと同郷のイタリア・トスカーナ州ビンチ村に私財を投じて「レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館」を創設したすごい人だ。
「天才ではなく人間味にあふれ、自然科学と芸術と哲学によって、世界をよりよくしようと尽力した」と語っている。
約80展のうち、9割は日本初公開。(上記4月10日付「毎日新聞」朝刊人欄より)
周辺資料もいいが、レオナルド・ダ・ヴィンチの全作品を時系列、テーマ別のどちらでもいいから観たいものだ。(4月10日 記)

追記3。毎日新聞はこの展覧会の共催者だから、これでもかと執拗にキャンペーンを張っている。もういいやと思いつつも読んでしまう筆者がいるが、昨日の夕刊にもこんな記事が―。

開催前にイタリアで取材した記事。その中にローマ大学のベッチェ教授の話が興味深い。
レオナルドが描いた原画「レダと白鳥」は現存していないが、同時代の画家らが模写した作品が残っていて、『ほつれ髪』は女神レダの下絵である可能性が高いと。筆者もこの絵にはエロスを感じてゾクゾクするほど。

追記。2012年6月2日、ついに「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」を観に渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムへ出かけた。寿司詰め状態では観た気がしないと考えて、今まで行くのを躊躇していたのだ。チケット(1500円)を購入して展示会場へ。やはり人集りが出来ていた。ぶつからないように人ごみの中を少しずつ進んだ。レオナルド・ダ・ヴインチ作「衣紋の習作」、ベルナルディーノ・リチニオ作「鏡を持つ高級娼婦の肖像」、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「絵画論」、「人間観相学」、サライ作「ほつれ髪の女(模写)」、ベルナルディーノ・デ・コンティ作「授乳の聖母」、ジャンピエトリーノ作「マグダラのマリア」、アンブロワーズ・デュポア作「モナ・リザ」、レオナルド・ダ・ヴィンチ構想/サライ作「裸のモナ・リザ」、フォンテーヌブロー派作「浴室のふたりの女性」、レオナルド周辺の画家作「レダと白鳥」など75点、もちろんレオナルド・ダ・ヴィンチ作「ほつれ髪の女」の前には一目観ようと多くの人たち。幼稚園児から若い女性、中・高年の女性と年齢層が幅広い、団塊世代、そう、オジサンやオバサンも。
肖像画と遠近法を駆使した背景、ふくよかさとつややかさ、色使い、宗教画等々中世の世界が現前した格好だ。
(2012.6.3 記)

2012/03/27

超人の面白読書 91 羽田 正著『新しい世界史へ―地球市民のための構想』 6

現行世界史の通奏低音は、ヨーロッパ中心史観と国ごとの異なった歴史の重視であることと書いたあと、著者は新しい世界史構築の考え方を提示する。「世界はひとつ」だがそこに住む人の個性、境遇、考え方は様々なのだから、多様な世界史の理解と叙述がある方が自然なのではないか。同じ地平に立ってさえいるなら、全員が同じ方向を向く必要はない。世界史の書き方は複数あるべきだ。そして具体的な方法を述べる。
2 三つの方法 目指す方向、この項で著者は外交官兼原信克著『戦略外交論』の中から引用して次のような五つのキーワードを参考にしながら三つの方法を提示する。
①法の支配(いかなる権力も広義の法の下にある)
②人間の尊厳(人間を大切にする)
③民主主義の諸制度
④国家間暴力の否定(平和の追及)
⑤勤労と自由市場(正当な報酬と自由な交換)

(1)世界の見取り図を描く
(2)時系列史にこだわらない
(3)横につなぐ歴史を意識する

以下この3点を詳述する。そして、本書の主張の小見出しではこの本の言いたかったことが綴られる。
地球社会の歴史は、「世界はひとつ」と捉えるとともに、世界中の様々な人々への目配りを劣らず、彼らの過去を描くものでなければならない。新たにそのような世界史を構想するべきだ。最後に近い未来の実現化に期待しつつ、著者はこう締めくくる。
最近、人文学の領域で、新しい世界史の構想と同じような動きが軌を一にして起こっている。新しい世界史と似た考え方に基づく世界文学の構想や国民文学という枠組みの相対化、中国哲学やフランス思想など国民国家別に分類された哲学思想研究の見直し、宗教や美といった概念の再検討など、いくつもの新しい傾向を指摘することができる。これら新しい学問がまとまってやがて大きな知の潮流となり、目に見える成果を次々と出しはじめてやっと、人々の世界の見方は変わってゆくだろう。

本書は構想力の本だ。決して難しいことを述べているわけではないが、イスラーム世界の歴史研究者として今までの欧米中心史観から脱却すべきと説いているのだ。だが、実現にはそれなりの労力が伴うのも事実だろう。かつて筆者は当時の橘女子大学(現在の京都橘大学)の著者の研究室でお会いしたことがある。当時から歴史研究者の間では若いが優秀な学者だと聞いていたのだ。

2012/03/26

超人の面白読書 91 羽田 正著『新しい世界史へ―地球市民のための構想』 5

閑話休題。筆者はもう4年近く前にある構想をある研究者(1960年代に刊行された岩波書店の『世界歴史』をあげると言ってくれた研究者で、この本は古本で高値がついているよとも。結局遠慮申し上げたが)に持ちかけた。それはスケールの大きい構想だったので、その研究者も学内外に基本構想の賛同の呼びかけをしてくれた。ある研究者からは構想趣旨の軌道修正を促され、構想自体の存続すら危ぶまれた。構想を持ちかけた研究者曰く、しばらく沈思、曝すことにしたよ、と。それから約3年後件の研究者から構想再開の知らせ、テーマは地球規模、執筆者は25名位に膨らんで目下執筆者への最終調整中だ。ここで重要なことは、構想力と時間軸に曝して熟成度を高めて行く協働作業だ。早まって生硬し過ぎたり、遅すぎて機会を逸したりと“よむ”力が試されるが、何より自らの問題意識の深さを再認識することだった。まだ進行中なのでこれ以上は言えないのが残念。ネタばれで大失敗したら大笑いになるからだ。多少違いはあるものの、このことはこの本の著者が推薦していた『二宮宏之著作集 Ⅰ』を借りてパラパラ巡ってみて感得。フランス社会史の専門家は先駆的なオーガナイザーでもあったことが、月報やあとがきの福井憲彦氏の文章を読めば理解できた。で、ついでにこの著名な著作集を全部ある書店の軒先で巡ってみた結果、古い論文を編んではいるが『著作集 Ⅰ』が良いかもと素人なりに判断してある箇所をじっくり読み込んでみたいと考えている。それはとりもなおさず筆者が構想中のものに刺激的なアドバイスを与えるに違いないことを確信したからに他ならない。

さて、最後の章第四章 新しい世界史の構想に移ろう。1 新しい世界史のために 共同研究「ユーラシアの近代と新しい世界史叙述」(http://haneda.ioc.u-tokyo.ac.jp/eurasia)の成果、ここでは著者は自分たちの共同作業の中間報告の形で具体的な世界史構想を述べる。世界史を記述する言語、英語を鍛える、非対称のパラドックス、複数の新しい世界史と続くが、この項でも著者の主張にしばし耳を傾けてみよう。〈つづく〉

2012/03/25

超人の面白読書 91 羽田 正著『新しい世界史へ―地球市民のための構想』 4

第二章 いまの世界史のどこが問題か?ここでも小見出しを追いながら、興味深いところは書き写したりして読み進んでみよう。
1 それぞれの世界史 古びたデザイン、自国史と世界史、ここではフランスの歴史教科書を取り上げて具体的な記述を試みているが、もちろん著者も書いているように、フランスとその周辺に限られていることは当然かもしれない。そこでは日本についての記述が明治維新になって初めてたった一行されているだけで、あとは日本の占領地域が図示されているのが目立つ程度だと著者は書く。
筆者はかつてアメリカの中学の歴史の教科書は読んだことがある。購入したのか借りてきたのか分からないが。アメリカの歴史教科書は自国についての歴史―歴史が浅いせいか―を詳細に描いていて、さらに理解を深めるため質問事項も組み込まれていた。英語読解にはいい材料と聞いて読んだのだった。
そして当然といえば当然だが、次のような見解を著者は述べる。

日本の高校で世界史を学んだ日本人と、フランスの高校で歴史を学んだフランス人が、世界史や双方の国の歴史に関する知識を共有したうえで、ビジネスや国際会議などの場で商談や討議を行うのは相当に難しいはずである。

次に中国の世界史教科書を目次を差し挟んで見ているが、世界史は中国のことを除いていて、自国史は別に学ぶようになっていると。要は二本立てで学ぶようだ。著者はここでは言及していないが、日本についての記述が時々問題になる。つい最近も名古屋や東京の首長たちの歴史認識発言で物議を醸し出したことは記憶に新しい。
それぞれの世界史、2 現状を追認する世界史、自と他を区別する歴史、では歴史学の現状を憂いてこう書く。

現在の歴史学は、時代を先導する松明であったかつてとは異なり、時代の後ろからその速い歩みを呆然と見送っているという状態に陥っている。歴史研究を職業とする人々は、歴史学の社会的な存在意義について、もう一度真剣に考えてみるべきだろう。

「イスラーム世界」の実体化、中国とイスラーム世界、3 ヨーロッパ中心史観 現行世界史最大の欠点、ヨーロッパ史の不思議、日本人のヨーロッパ史と小見出しは続く。〈つづく〉

2012/03/24

超人の面白建築 東京駅丸の内側駅舎

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東京駅丸の内北口側の駅舎。1914年に辰野金吾(仏文学者辰野隆の父)と葛西萬司が設計したレンガ造り3階建て建築が完成。どこかに書いてあったが、オランダのアムステルダム中央駅をモデルにしたという俗説は面白い。今そのドーム型の駅舎等の復元工事が急ピッチで進められている。
この写真は東京駅1番線ホームから撮影した工事中の駅舎。にょきっと姿を現した復元中の建造物、全体像を早くみたいものだ。今年の暮れには完成するらしい。

ここはどこおらんだあたりにみえかくれ

2012/03/23

超人の面白読書 91 羽田 正著『新しい世界史へ―地球市民のための構想』 3

さて、この辺で少しうさぎ飛びで先を急ごう。
戦後の1951年に「東洋史」や「西洋史」に変わって「世界史」が登場、しかし著者は高校で世界史があるのに、大学では西洋史や東洋史しかない、微妙なずれが生じていると指摘し、詳細記述は避けているものの、大学で世界史を系統的に講じられていないことに警鐘を鳴らしている。史学科卒業生は大概高校の社会科の教師(筆者のことで言えば、高校時の世界史の教師は、ユーモアはあったが果たして世界史をきちっと教えてくれたか疑問が残る。それも遠い昔の話)になるが、著者は彼らはどのように世界史を教えるのか、試行錯誤で教えるしかないと言い切っている。この後を小見出しで追うと、西洋を軸とする世界史、その後の学習指導要領、世界史観のうつりかわり、日本国民の世界史、日本の立つ位置への関心、日本国民の世界史の内容、現代の世界史の出発点となっている。『日本国民の世界史』は教科書として受け入れられず、一般書として刊行し評判を呼んだらしい。それは東洋と西洋の二項対立とその間の微妙な位置に日本を置いた戦前以来の世界認識を踏まえ修正したもので、「文明圏」という歴史の理解の単位は、トインビーが著した『歴史の研究』ですでに用いられていて、参考にしたに違いないと著者は書く。〈つづく〉

2012/03/22

超人の面白読書 91 羽田 正著『新しい世界史へ―地球市民のための構想』 2

1887年 帝国大学(現在の東京大学)の文科大学(現在の文学部)に「史学」創設。史学先進国のドイツから教師招聘。「過去をあるがままに見る」実証主義歴史学研究の方法を提唱したランケの弟子のリースが教えた。その後イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国の歴史が講じられた。ここで著者は2点注意を喚起する。当初の科目名は西洋史ではなく「史学」、明治日本が手本とした当時の西北ヨーロッパの歴史認識が投影されているという。もう一つは、ヨーロッパ諸国の政治史。
1889年 国史(日本史)の授業開始。この本に依ると、歴史学の導入から2年後の開始は“画期的な事件”だったと。しかし明治以前に「大日本史」のような歴史書は記されていて、近代歴史学の実証的な手法を用いて天皇制国家日本の歴史を描こうすることは、国家史という枠組みを使う点では接合した。これ以後は帝国大学で国史学の研究と教育が連綿と進められてゆくと著者は書く。
1904年 支那史学講座開設。
1910年 東洋史学講座設立。著者は東洋史学の泰斗宮崎市定の言葉、先頭に立って西洋の侵略を防衛するという理想を実現すべき任務を負うて誕生したもの、を引用して一種の実学として成立したと書く。かくして日本独特の「日本史」「東洋史」「西洋史」の3区分が完成したという。これが今日まで続いているらしい。

筆者はかつて日本の学問史を近世後期・近代まで遡及しながら人脈史をチャート化しようと試みたことがあり、その道の専門家に尋ねたことがあった。この分野は教育社会学の分野らしく、一部の研究者たちはその成果を本に纏めたが、この一見易しいそうな人脈形成史はやってみると相当難しいらしい。広島大学や名古屋大学にはこの分野のエキスパートがいるが、個別的な分野、例えば京大人文研などは学者やジャーナリストが書いているので分かり易いが。それと東大をはじめ大学が節目節目に出している大学史、これは参考になる。幕末・明治期の海外渡航者を追跡するのも初期学問形成期には有益だ。仏文学者の鹿島茂が雑誌「ちくま」に連載している「神田神保町書肆街考」(2010.12~2011.2)にも東京大学の成立史を闊歩していて面白い。いや、最初に「お雇い外国人」を持ち出すべきだった…。
話は多少横道に逸れた。歴史学と歴史教育の歴史だった。〈つづく〉

2012/03/21

超人の面白読書 91 羽田 正著『新しい世界史へ―地球市民のための構想』

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中東情勢が依然として不安定な現在、「イスラ―ム世界」の歴史が専門の研究者の手による『新しい世界史へ―地球市民のための構想』(岩波新書 2011.9)が刊行され、ようやく昨日読み終えた。蛍光ペンで線を引きながら。筆者が目下構想中の企画に確かな手応えを与えそうな好著だ。ある先生に、先生、この本面白いですよと勧めたら、即座に君のそれ、頂きと取り上げられてしまった本でもある。しかしそのあと買い直した本を読みかけたまま鞄の中に入れ20日間以上も放っておいた。その間小雑誌他数冊を読んでいた。
最近では珍しいことだが、大型書店の店頭には世界史の本やら日本史の本が何冊も平積みされていて、中でもカナダ人が40年も前に書いた『世界史』(著者はカナダ生まれの元シカゴ大学歴史学教授ウィリアム・H・マクニール、文化人類学者増田義郎・比較文学者佐々木昭夫共訳。世界情勢の変化に伴い、内容が一新された改訂第4版の翻訳本。中公文庫上下 各1400円)という本が目下30万部以上売れているという。客層は30代〜50代のサラリーマン、その魅力は世界史を流れで把握できることらしいことと暗記しなければならない読みづらいカタカナが少ないから…。

さて、本書は今までの西洋史から脱却して、世界史へ―地球市民のための構想を打ち出し、新しい世界歴史叙述のあり方を提案した画期的な一冊である。世界歴史を今までのように一元的(権力者側)に捉えるのではなく、見方を変えて多面的に捉え直そうとする枠組み作りだ。
著者も現在の世界史の語り方、理解の仕方に疑問を抱き、新しい世界史をどのように記せば良いのかについて、ここ数年試行錯誤してきた私の思索の中間報告である(はしがき)、と書いている。

序章 歴史の力

第一章 世界史の歴史をたどる
1 現代日本の世界史
2 戦前日本の歴史認識
3 世界史の誕生
4 日本国民の世界史

第二章 今の世界史のどこが問題か?
1 それぞれの世界史
2 現状を追認する世界史
3 ヨーロッパ中心史観

第三章 新しい世界史への道
1 新しい世界史の魅力
2 ヨーロッパ中心史観を超える
3 他の中心史観も超える
4 中心と周縁
5 関係性と相関性の発見

第四章 新しい世界史の構想
1 新しい世界史のために
2 三つの方法
3 世界の見取り図を描く
4 時系列史にこだわらない
5 横につなぐ歴史を意識する
6 新しい解釈へ

終章 近代知の刷新

あとがき

以上が220ページの新書版の目次。言うまでもないが、これで大方の内容は予想つく。序章で著者は次のように書く。

現代日本において、歴史理解を生み出す源であるはずの歴史学と歴史研究者に元気がない。中略。最も大きな原因は、一般の人々が求める歴史像と歴史研究者が生み出す研究成果の間に、無視できないずれが生じているということではないだろうか。歴史研究者は着実に仕事をしているのだが、それが一般の人々の心に響かなくなっているのだ。中略。人々が自らの問題としてそれを真剣に議論し、新しい歴史認識を生み出そうとしたときに、それが力となって、時代の歯車が一つ回る。いま歴史学者に必要なのは、学界の「常識」に忠実に従うことではなく、時代にふさわしい過去の見方を思い切って提案することだ。

第一章 世界史の歴史をたどる では、現在使われている高校の世界史の教科書二冊の“学習指導要領”を具体的かつ丹念に読み込みんで行き、次の2点を導き出す。

①世界は異なった複数の部分から形成されており、それぞれ異なった歴史を持っていること。②複数の部分のうちで、ヨーロッパ文明世界とそこから生まれた諸国家が他より優位にあり、実質的に世界史を動かしてきたこと。
世界史とは、異なったいくつかの文明世界、ないし国家の時系列に沿った歴史を束にして、全体を紐で縛ったようなものとして理解される。

このような世界史の見方がどのように形成されたか。明治の日本までさかのぼって、その歴史学と歴史教育の歴史を探る。〈つづく〉


2012/03/19

市井の思想家吉本隆明の死

詩人・評論家で思想家の吉本隆明氏が3月16日に死去。全共闘世代にはカリスマ的存在で彼の著作は難解にも拘らずよく読まれた。今思えば、一種の知的ファッションだったと筆者は考えている。右手に朝日ジャーナル、左手にコミック雑誌というスタイルは、当時の学生の様子を象徴していた。こう書く筆者もその知的雰囲気に触れた一人だったが心酔するほどのめり込まなかった。当時筆者たちも講義の合間に大学近くの仲間の下宿でよく議論したものだ。

もう15年以上前に団子坂周辺をうろちょろしていた頃、夕方近くに手拭いを腰にぶら下げ自転車を押して坂を上る吉本隆明氏を何度か見かけた。白髪混じりで白いシャツとごく普通の人が履く茶色ズボンそれに下駄の出立ちは、庶民的なオジサンそのものだった。やや眼光が鋭い以外は。恐らく豆腐屋や八百屋などに寄って西片の自宅に帰る途中だったか。夫人が病弱だったため、代わりに吉本隆明氏が買い物をしていたと昨日の毎日新聞の夕刊に書いてあった。長女は漫画家、次女は著名な小説家吉本ばななさん。
今彼の詩集の一節を思い出そうとしている。それは詩論家鮎川信夫と吉本隆明の詩『固有時との対話』を対比させて論じたエッセイだったか、思い出せないでいる。『言語にとって美とは何か』、雑誌『試行』をはじめ、『マチウ書試論』、『転向論』、『共同幻想論』、『書物の解体学』『戦後詩史論』、『マス・イメージ論』となどそれに目についた新聞、雑誌の対談などは読んでいた。しかし彼の熱心な読者ではなかった。前述した通り難解なのである。その言葉の独特な定義づけとねちっこい言説には一つ一つ詳しい解説が必要だったくらい…。それはやわらかな詩的直感と硬質な論理的思考が織り成す水晶体のようなものだった。昨日の朝日新聞夕刊に中沢新一が“病を治してくれる”お医者さんだった、と気が利いたコメント発していたが、筆者には到底真似できないコメントだ。

そうそう、思い出した、2年前には文芸記者との対談・構成本『詩の力』を読んでいた ! さらに 絓秀美著『吉本隆明の時代』も書棚にあった。それにしても勁草書房刊『吉本隆明著作集 言語にとって美とは何か』が手元にないのだ、確かどこかにあるはずなのだが。

追記。この記事を書いたあと、まだある記事を見つけられないままあちこちの書店や古本屋を捜していたら、流石吉本先生、初期の詩集が見当たらない、売れているらしい。そうこうしているうちに毎日新聞は加藤典洋氏や中島岳志氏、それに北川透氏に寄稿してもらっいる。その内容のコメントはあとで。それはさておき、NHKのETV特集「吉本隆明は語る」を視た(2012.3 .25. 22:00-23.30)。2008年、糸井重里司会の昭和女子大学での講演会の録画を中心に構成した番組。面白かった。吉本隆明氏、83歳。車椅子での熱弁、恐れ入りました。自前の芸術言語論を熱く語って止まなかった。Yoshimoto
いわゆる自己表出と指示表出の話、目線は絶えず天井までは行かないまでも大分上(照れ隠しか)、アダム・スミス(ちょうど夕方必要あってスミスに関する本を買ったばかり!)の古典経済学からマルクス、鴎外、漱石と言語論を展開、言語は沈黙のところが意味深い、コミュニケーションだけではないと。横光利一を評価、ドストエフスキーや太宰治、桑原武夫の第二芸術論まで出てきた。小説の本質を見抜く直観力と推察は鋭い、語り口は大分年老いて聞き取りにくいところや繰り返しが多かったが、その中で多用された“つまり”の言葉が何とも良い響きだったか。(笑)。やはりフンボルトではないが(つい最近言語学者のフンボルトに関する論文を大分前に書いた元関西大学の福本喜之助教授の本を少しばかり読んでいたのだ。その本はこの春大学を退職するご子息から頂いたもの)エネルギアを感じた次第。4年前の講演だったようだが筆者はこの講演会を知らなんだ。糸井重里氏は吉本ワールドをネットで公開するらしい。戦後最大の思想家の一人を世界中に紹介してくれることは大変有益だと思う。それにしても吉本隆明は外国語は知らず全部翻訳書で読み込んでいたとは、これまた凄い。どこかに書いてあったエピソードだが、誤訳された翻訳書を読んで理解できるかと外国語の研究者から非難されたらしい。吉本隆明はそんな翻訳しかできない外国語研究はレベルが低くいかがなものかと反論したらしい。沖縄、アフリカの問題についても先見の明ありだ。そして恥じている筆者がいるのだ、若いときに読んだはずだか゛忘れてしまっていることがいかに多いか……。
加藤周一、井上ひさし、今回吉本隆明が鬼籍入り、知を背負って全仕事をした人たちがいなくなることは淋しい限りだ。
ところで、京都の大御所鶴見俊輔氏は元気だろうか?(2012.3.26 記)
追記2。ブレない吉本隆明だった、とは毎日新聞の文芸批評を担当している田中和生氏の3月文芸批評の冒頭文言(2012.3.29)。

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ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらった反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は熱ひをもりかへす

ちひさな群への挨拶 「転位のための十篇」から
『吉本隆明初期詩集』(講談社文芸文庫 2010年11月10日第2刷)

追記3。吉本隆明は数学者の遠山啓を尊敬していた…。

2012/03/12

クロカル超人が行く 157 豊島区民センターでの講演会「東日本大災害・TPP問題と国土環境問題」を聴講

クロカル超人が行く池袋・豊島区民センターでの「東日本大災害・TPP<br />
 問題と国土環境問題」の講演会
JR池袋駅から徒歩5分のところにある豊島区民センター、そこの5階の一室で講演会があって出かけた。
『東日本大災害とTPP問題』―二つの国難―。講師は元滋賀大学学長で公害問題、環境問題が専門の宮本憲一氏。東日本大震災と復旧・復興、戦場のような惨状、自然災害が深刻となった理由、人災―原子力災害、電発交付金などの実態、原発基地の集積、史上最大の事故、人間と地域社会の復興、身の丈に会った内発的復興、復興基本方針と財源、エネルギー政策の転換、脱原発への確信を、再生エネルギーの開発を、Trans-Pacific Partnership Agreement(略TPP)問題、東アジア同盟か日米同盟強化か、開国か亡国か、農林水産業・農村への影響、TPPの農産物生産の影響、農林漁業の大規模化・近代化は可能か、TPP参加は中止を、食糧とエネルギーの自給先進国の資格、農村の主体形成と都市の連帯、維持可能な内発的発展を、が講演の内容(当日配布された資料から抜粋)。
更に内容を急いでメモ風にピックアップすると次の通り。死者・行方不明1万9千人以上を出した東日本大震災ではほとんどが津波の被害で65歳以上が死者の55%以上、建造物の全壊12万戸・半壊18万戸、一部損壊60万戸、冠水農地24000ha、被害5200億円、漁船2万隻喪失、被害3500億円、直接経済被害額16.9兆円(3県所得15兆円)、原発被害地域12市町村約21万人、県外避難3.6万人、放射能による農業・畜産被害額増大、5兆円以上、2253万トンの瓦礫と石綿などの環境災害。孤独死などの2次災害が増えている。電発交付金は約70%は原発基地の自治体に交付、その額は福島県と原発基地4町村へ1974〜2009年で2400億円、福井県と町村3245億円。この交付金と固定資産税が財政を一時的に潤沢にし、寄付金とで多くの施設がつかられた。原発基地の減価償却は16年間、初期には立地交付金は5年間で終わり、減価償却資産税は激減、急速に外来資金はなくなる。地元は財政収入の水準を落とさないためには、原発基地拡張・新設続け過密な集積立地を招いた。福島12基、福井県15基、柏崎7基と集中。
集中復興期間は5年間で19兆円、東電は原発被害緊急救済措置、3兆6000億円、被害者の生活、農畜産の保障、二重債務の解消などの生業の再建で8兆円不足、原発再開や料金値上げを要求している。
瓦礫の安全処理や除染が最優先。新規の建設は中止、30年を超える19基廃止、54基停止でも電力維持可能。早急に自然エネルギーが普及できるように補助制度、固定価格制度を導入し、9電力体制の再検討を。原発はプルトニウムの再処理は困難で、廃棄物処理を考えると未完の技術、半永久的に負の遺産を残す。連帯して再生エネルギーの開発を。原発の廃止の時期を10年あるいは15年と明示して、省エネルギーの経済への転換と代替エネルギーの開発を急ぐべき。
TPP(環太平洋連携協定)問題。サービス、投資、政府調達(公共事業)、知的財産、労働力移動を提携国並みに規制緩和。農作物の自由化とともに、公共事業、郵政民営化、通信・情報技術の規制緩和、医薬品、流通、医療保険制度の改革など249項目の改革要求。農水省は19品目を対象とした試算結果。食糧自給率40%は14%へ減少、米90%、豚肉70%、牛肉は高級肉以外全滅、林産物500億円、水産業4200億円減、全農林水産4兆5000億円減、関連産業7兆9000億円減(GDP1.6%)、雇用340万人喪失。個別の自由貿易協定(FTA)を進めて行った方が良い。日本の農業の問題は、環境の問題とも関連、農業力、わずか20年で4分の1に。これまでの国土、農業政策が失敗、市民がもっと農業に関心を。補助金依存や企業誘致の外来型開発をやめて、足元の資源と環境と文化に根ざして、住民自治による維持可能な内発的発展の道を。以上が講師宮本憲一先生のレジュメ。
午後2時〜4時までだったが、質疑応答の時間(予め質問事項を書いてもらって、それを司会者が読みあげる格好)も長くなり、予定時間を約1時間弱オーバーして閉会。勉強会の体裁。参加費500円。

2012/03/05

『ベルイマン アイランド』観に再びスウェーデン大使館へ

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曇天で気温8度と寒空の今日(2012年3月4日)、ベルイマンの“難題を投げかけた男”の展示関連映画『ベルイマン アイランド』を観に再び六本木のスウェーデン大使館へ。
スウェーデン文化交流協会Swedish Institute 制作の英字字幕付日本語訳なしの映画。上映時間84分。ベルイマンが晩年住んでいたフォーレ島の自宅でのインタビューや話題に上った作品を随時挿入しながら回想するドキュメンタリー。2004年制作。手法、恐怖、時間、女性、包み、策略、カメオ浮き彫り、苦悩、、リハーサル、疑惑、スウェーデン、オスカー、悪魔、仲間、色彩、音楽、沈黙、死、回想、恥、母、窃盗、顔、父などを語り、映画のシーンが挿入される構成だが、ここには言わばベルイマン映画の謎を解く鍵が豊富にちりばめられていた。難解で知られる作品のモチーフは彼の幼少、少年時代の体験にあった。この時ベルイマン86才、亡くなる3年前の映像だ。
筆者が印象に残ったことと言えば、やはり8才の時に映写機Img016_3
を買ってもらったこととそこに映し出されていたのがチャップリン映画だったことだ。初期に見られる社会派的な映画から徐々に人間の内面にへばりつく諸問題を扱う映画に。それは難題を投げかけた男が自ら映画の“神様”になっていく過程でもあったか(あるいは伝説的になっていく)、それとも“紙一重”に賭けた男の生き様だったか。ベルイマン映画を更に魅力的にしているのは、女優や男優(つい最近亡くなったエールランド・ヨーセフソンなど)の名演技だった。完璧を求めたベルイマン監督によく応えたからこそベルイマン映画には観客を虜にして離さない魅力があるのだろう。更にもう二つ、時計や人形など小道具の効果それに象徴的な風景描写もいい。それらが実存的、心理的な映画で難解なテーマを私たちに投げかけた映画であっても…。
この日午前の部の観客は3名だった。帰りがけに偶然映写担当の男性に感謝の印か笑顔で見送られた。

外は今にも雨になりそうな気配。地下鉄六本木一丁目駅に戻る高層ビルの階段で結婚式の場面か晴れ着姿の集団に出くわした。

【写真左上:スウェーデン大使館入口の開催案内=筆者撮影 写真右上:自分の映写機を手にするベルイマン=スウェーデン文化交流協会制作の「イングマール・ベルイマン」P.41から】
参照:スウェーデン文化交流協会作成の英文小冊子 Ingmar Bergman: The man who asked hard question. Ingmar Bergman by Maaret Koskinen.


2012/03/03

超人の面白雛祭り

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今日はひな祭り 。

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日は楽しい ひな祭り

さて、こんなところに雛壇が―。JR東京駅丸の内地下の動輪が置かれているスペースに突然雛壇が出現、あちこちでパチリパチリとシャッター音が響いていた。筆者は大昔新しく張り替えた障子戸の中で、家族の人たちと雛壇飾りをしたことを懐かしく思い出す。しかし、新聞をさりげなく読んでいたら、こんな文章に出くわして苦笑。

雛まつりは美しいが、少し恐ろしくもある。その昔、人間が寝静まった後、お雛さまがどこかへ出掛けて、そっと帰ってくるという、ちょっと怖い話を聞いたことがある。だからむやみに触っていけないらしい。(2012年3月3日付毎日新聞朝刊 野坂昭如の「七転び八起き」から)

筆者も同じような話を母か叔母に聞いた記憶がある。
筆者の家ではサリーを迎えてケーキとちらし寿司が供された。
そして定番の桜餅。

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2012/03/01

スウェーデンの映画監督ベルイマン“一家”の一人、俳優エールランド・ヨーセフソンの死

少し前にスウェーデン大使館でイングマール・ベルイマンのマルチメディアによる展示会についてリポートしたが、その円形状のマルチメディア空間の中心から5本のスクリーンに流された映像の中の一つに登場していた俳優が、今夜亡くなった(2月26日)エールランド・ヨーセフソン、享年88歳。彼はベルイマン映画“一家”の一人で俳優、作家そして舞台監督として活躍した。

スウェーデンの有力夕刊紙「アフトンブラデット」の電子版は俳優仲間のインタビューを交えて報じていた。下記はその大意。

舞台仲間の一人、ビョイエ・アールステット氏は彼は人間としても舞台監督としても知性があり寛大だったと語った。
エールランド・ヨーセフソンは女優のリブ・ウルマンと共演したイングマール・ベルイマンの映画『ある結婚の風景』(2008年3月8日付コラム「超人の北欧演劇鑑賞」参照)で有名だ。また、『ファニーとアレキサンドル』や『秋のソナタ』にも出演。さらにヘルシンキの国立劇場やヨーティボリの国立劇場、そしてドラマでも活躍した。
1960年から70年代半ばまで国立劇場の主催者を務め、スヴエンスカ ダーグブラデット文学賞や2003年にはスウェーデンアカデミー王立賞など生涯に数々の賞を受賞。彼は詩集から小説、短編小説それに自伝まで書いた。
ヨーセフソンの親友の一人、作家で演出家だったイェン・ドンネル氏が語る。
彼はエールランド・ヨーセフソンの温くて時折皮肉的なユーモアを指摘。
「彼と付き合うのが楽しみだった。寛大でオープンしかも偏見のない人だった」ビョイエ・アールステット氏とエールランド・ヨーセフソンはイングマール・ベルイマンの映画「ファニーとアレキサンドル」で共演した。彼は先見の明があって寛大な人と振り返る。
「博識で謙遜しかも温かった。劇場の主催者として壮大、私たちには最良の時期だった」
巨人だったとビョイエ・アールステット氏。何度もヨーセフソンと仕事をしたレーナ・エンド女史は彼の温かさを思い出す。
「素晴らしい仲間だったわ。良い雰囲気をつくってくれて安全だったわ。信じられないほど聞き上手で自慢をしない人だったの」と記者に。続けて、「彼は飛びっきり親切だった。私たちはこのあとの人生もあるので、またお互いに会えることを期待したい」

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