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2011/05/15

超人の地震の話 続々 ヴォルテールの詩「リスボンの災厄に寄せる詩」

「すべては善なり」と叫ぶ、謝れる哲学者たちよ、
駆けつけて、眺めるがいい、この恐るべき廃墟を、
この残骸を、この瓦礫を、この痛ましい燃え殻を、
互いに重なり合ったこの女たち、この子供たちを、
あの避けた大理石の下に散らばるあの手足を。
不幸に見舞われた10万人の人間が大地に飲み込まれ、血にまみれ、引き裂かれ、まだ動いているものは
屋根の下にも埋もれて、救いもなく、苦しみの恐怖のなかで、
惨めだったかれらの日々を終えようとしている!
〔…〕
あなたがたは、この累々たる犠牲者たちを見て、こういう気なのか、
「神が天罰を下したのだ、かれらの死は罪の報いなのだ」と。
いかなる罪を、いかなる過ちをこの子たちは犯したというのか、
押しつぶされ、血まみれになった母の乳房にすがるこの子たちは。
姿を消したリスボンは、歓楽に浸るロンドンやパリよりも
多くの悪徳に耽っただろうか。
リスボンは壊滅した、そしてパリでは人はダンスを踊っている。

 この詩について著者は次のような感想を書く。
 この惨状が美しい予定調和の世界だといえるだろうか。これが「善なり」といわれる世界の現実だといえるだろうか。そうした憤りの声が詩のなかから聞こえてくるようだ。ヴォルテールは、なぜ人間が自然の不条理な暴力にここまで翻弄されなければならないのか、それについて、詩のなかで、いっさい説明を行っていない。行えるわけがないからで、事実を直視して、ただ自然の力の前では人間の生活が「悲しい偶然の戯れ」にすぎないことを認めるほかはなかったのである。
(『ヴォルテールの世界』P.118〜P.119)

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