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2011/05/27

超人の面白読書 85 読みかけの本や雑誌 寸評 5

■保苅瑞穂著『ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡』(岩波書店 2009年刊)は図書館から借り出して読んでいた本。リスボン地震に関するヴォルテールの詩が一部掲載されている。実はこの詩を読むためだったが。この本の冒頭にはポール・エリュアールのこんな言葉が掲げられている。

わたしが生まれてきたのは、あなたと知り合って、あなたに名前をつけるためなのだ、自由という名前を。
16世紀に始まるフランス・ユマニスムの根底にあるのは、精神の自由である。ヴォルテールが根っこからの自由な精神の持ち主だったことは、この本のなかで再三話したことであるが、その自由ゆえに、偏見のない眼で、絶対王政下の社会に根ついた制度や慣習の歪みを見きわめて、それを悪弊として糾弾することができた、あの批判的、攻撃的な姿勢が生まれたのである。しかし、かれが素晴らしいのは、その姿勢が、攻撃的とはいっても、怒りで硬直するのとは反対に、批判の対象を笑い飛ばす精神のゆとりを保っていることである(著者あとがきP.465〜P.466)。中略。
人類が愚行をくりかえしているかぎり、読み返すべき文章、それがポール・ヴァレリーの「ヴォルテール」と題した一篇だと著者は言うのだ。
それで、2010年6月刊のポール・ヴァレリー著/恒川邦夫訳『精神の危機 他15篇』(岩波文庫)を買い求めて、ヴォルテールの章を読んでみた。1944年12月10日、ヴォルテール生誕250年を記念してソルボンヌで行われた講演。2回読んだ。1944年当時―第二次世界大戦末期なのだが―のヨーロッパの状況が予備知識として要るようだ。ポール・ヴァレリーはこの講演を次のように締めくくっている。
かれらは自分のしていることが分かっていない。

どこかの国の電力会社、政府関係者、役人に通じる金言だろう。
それにしてもヴォルテールは掴みどころのない傑物、型破りのユマニストだろう。

あなたは“ボルテージ”が上がりましたか?

追記。“ボルテージ”が上がったのは筆者の方かも知れない。今日ついに古書店の店頭で『世界の名著 ヴォルテール デイドロ ダランベール』を300円で買いました!もう一つの古書店では600円でしたが。2011.6.7

2011/05/25

超人の野球観戦 巨人対オリックス戦

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超人の野球観戦巨人対オリックス戦

超人の野球観戦巨人対オリックス戦
M先生と野球観戦。東京ドームに行くのは確か20年振り、仕事で多忙のなかの一休息。たまにはいい。ドームの雰囲気を味わうのも。
セパ交流戦、巨人対オリックス戦。最初観客の入りは疎らだったが、試合開始の6時にはほぼ満員の状態。ビールやコーラそれに弁当を売る若い売り子が忙しく歩き回る中、試合は7回まで1対1の好試合だった。ここで退散したが、帰宅してテレビをつけスポーツニュースを視たら、9回にオリックスの山崎選手に3ランを打たれ、結局オリックスの勝利。巨人、クリーンナップが不振。
タオルをゲットしてと家人に懇願され、ついでに弁当を添えて持ち帰った。家人が翌朝食べたらしく美味だったと。チケットを頂いたM先生に感謝!

2011/05/22

5月の詩 遠い記憶 近い叫び

遠い記憶 近い叫び

夢から覚めて
歩行し始めた
5月

青葉繁れる季節に
会釈しながら
独り歩き

かつての浜街道から
宮城野そして三陸
陸奥へ

夢を売りに
行商よろしく
本屋を訪ねた旅は
今や一本のかぼそい
記憶となって漂う

水戸では
日立では
湯本や平では
どうだった

浪江
原ノ町
相馬

そして仙台
それから石巻
釜石、気仙沼
大船渡に陸前高田

それから八戸
いや盛岡に行った―

夢を売る商売も楽じゃない
夢が埃をかぶっていたか

遠い記憶を辿った

奥の細道は
細く長いそして深い

今3.11以後
天空は何処

地の底に黒い雨
這いずり回る地霊

ぼくらは
おれだちは
あだしらは

一体何をしたと言うのだ

2011/05/21

超人の面白読書 85 読みかけの本や雑誌 寸評 4

■吉村昭著『三陸海岸大津波』(文春文庫)。明治29年、昭和8年、昭和35年の三陸陸海岸を襲った大津波を描いた記録文学。田老町は明治以来3度も津波に襲われている。
 今日某図書館で3.11直後の地方紙の新聞を読んでいて2点目についた。1点目はいわき市平二丁目の書店『K』の家屋崩壊写真。20110225122009_00001
 2点目は薄磯海岸に来た大津波を目撃した豊間のカントリークラブの関係者の証言だ(つい5日前に訪ねた薄磯海岸)。

「黒い塊に見えた」

 これは吉村昭の小説にも描かれているが、今回大津波は午後3時過ぎ。昼なのだ。
因みに、この文庫は特別に宣伝もしていないが10刷、15万部売れているそうだ。
 解説で作家の高山文彦が面白い例えをしていた。映画でよく観た「ゴジラ」あるいは「八岐大蛇」が大津波と。作者あとがきで吉村昭は、今も三陸海岸を旅すると、所々に見える防波堤とともに、多くの死者の声がきこえるような気がすると書いている。そして今回の三陸海岸地震・大津波だ。想像を絶することがまた起きた。今度は防波堤をはるかに越えて…。

2011/05/20

超人の面白読書 85 読みかけの本や雑誌 寸評 3

■2年前に編集・翻訳出版された本。アメリカの雑誌「Harper's」で環境ジャーナリストがアイスランドをリポートしたもの中にこの本を紹介していた。(詳細は次を参照。超人のジャーナリスト・アイ 22 アメリカの雑誌を読む 小国アイスランド報告 レベッカ・ソルニット「ユートピアだより。アイスランドの恭しい反理想郷」)アンドリ・マグナソン著森内薫訳『よみがえれ!夢の国アイスランド 世界を救うアイデアがここから生まれる』(NHK出版 2009年刊)
20110520203745_00001_2
という環境問題やエネルギー問題を扱った本だ。全訳ではなく日本人向きでないところは省いて翻訳している。アイスランド語(古語の形態を残しためずらしい言語)は残念ながら読めないから英語版を探して洋書通販で購入。在庫はその時点で1冊だった。その英文版: Andri Snaer Magnason : Dreamland A Self-Help Manual for a frightened Nation, Citizen-Press, London.20110520203745_00002_2
アメリカの軍事力と引き換えに安価な水力発電を利用してアメリカ資本のアルミ工場がいくつも建設され、また建設計画されているが、それにより自然環境がどんどん破壊されている。人口30万、金融のデフォルトでも話題になった小国アイスランド。この本は歌手のビョークも最初に一文を寄せているが、アイスランドのエネルギー開発と環境破壊に対する警告と解決の書だ。

■北村行孝・三島勇著『日本の原子力施設データ どこに何があり、何をしているのか』(講談社ブルーバックス 2001年9月第1刷、2011年4月第4刷)なるまさしく原子力に関する本。緊急増刷したようだ。読売新聞科学部担当の記者が書いた本だが、3.11の東日本大震災にも4行言及している(はじめにのP.7)。基本的にデータは10年前の2001年現在のもの。ここでも「風評被害」が問題だった。望まれる透明性や安全目標のことも書かれているが、原発を止めてもらいたいとは書いていない。原子力についての基本データはおさえられる本。

追記。5月21日アイスランド南東部のグリムスボトンが噴火した。去年春には南部のエイヤヤトラヨークトル氷河の火山が爆発、噴煙でヨーロッパの空港などに被害を及ぼした。2011.5.24

2011/05/19

超人の面白読書 85 読みかけの本や雑誌の寸評 2

■丸善刊「學鐙」春号の続き。
やはりここは紅野敏郎の労作『「學鐙」を読む』(連載198回)に各著名人が思いの丈を語っていることが面白い。筆者もこの連載を読むのが楽しみだった一人だ。そのなかで紅野敏郎さんと北川和男というタイトルの近藤信行のエッセイは、『「學鐙」を読む』の連載の企画など内輪話が聞けて興味深い。
『この「學鐙」を読む』の後の連載企画が欲しいが。一読者として。偉大すぎるか…。

■「ちくま」5月号
毎回読んでいるなだいなだの“老論“が面白い。医者の立場や市民の目線からの発言。今回は東電が病院をもっいるから始まって、原発に関してチェルノブイリから学んでもよかった、そして電力を生産することから電力に頼らない生活へと考えた方が良い、そのためには技術力だが、人類の技術力という考え方が必要だと結んでいる。前号かな、フランスの禁煙事情なども面白かった。この作家が毎日新聞書評欄の「好きなもの」に、私の好きなものは羊乳製のチーズ“トム”だと書いていた。これは誰にも教えたくない絶品と絶賛。産地はピレネー山脈らしい。あるチーズソムリエもどきに訊いたら、「チーズの大様」にあるかもと。まだ見つけだしていない。

佐野愼一は「テレビ玄魔館」で大災害を特集した「朝まで生テレビ」をあまりにも空虚でうすっぺらだったとバッサリ。筆者も視たが。

日本のフランス文学界の大御所、鈴木信太郎を父にもつ鈴木道彦の日本のフランス文学受容史の連載(フランス文学者の誕生―鈴木家の人びと)も興味深い。この連載はまだ始まったばかり。これに先んじて去年から連載されている鹿島茂の「神田神保町書し街考」も、同じフランス文学者なのでその歴史を語ると何かと交差する。そこが面白い。

2011/05/18

超人の面白読書 85 読みかけの本や雑誌 寸評

昨日読書家で知られた俳優・司会者の児玉清が胃癌のため亡くなった。享年80歳。BSで週末放送の「週刊ブックレビュー」の司会でもお馴染みだ。優しい口調の中にも鋭い批評が光っていた。合掌。

1、「図書」5月号
こぼればなしが珍しく1ページを割いての今回の大地震の話。「帰宅難民」の群れで溢れかえっていたことやヴォルテールの長編詩「リスボンの災厄に関する詩」に言及、そして哲学小説『カンディード』(岩波文庫)に及び、最後の場面を引用している。「ぼくたちの庭を耕さなければなりません」
巻末の新刊・重版案内で気になった本。
プルースト/吉川一義訳『失われた時を求めて』、スフィフト/平井正穂訳『ガリヴァー旅行記』(映画もみたい)、チャペック/千野栄一訳『ロボット』(まだ完読していず)、寺田寅彦『柿の種』(ヒントが一杯みたい)、菅野昭正編『知の巨匠 加藤周一』、中村明『語感のトレーニング』(岩波新書)、水谷静夫『曲がり角の日本語』(岩波新書)、杉山伸也『日本経済史』、金水敏『文法史』、吉見俊哉『大学とは何か』。

2、「學鐙」春号
紅野敏郎先生追悼 特集 読書
村上陽一郎の「本・読書・読者」(若いときの読書体験が面白かった)、池内了、亀山郁夫、三浦雅士、三田誠広の読書に関するエッセイ、特になし。紅野敏郎先生追悼はまだ途中まで。高井有一からだが。亡くなった谷沢永一も書いている。谷沢といえば、作家で毎日新聞の書評委員の丸谷才一の追悼文が印象的。関西の一大批評家だったことは認めるが、過激な右翼的言動にはついていけないと書いていた。その谷沢が紅野敏郎は、近代文学研究の開拓者であり、鼻祖であったと小文を結んでいる。

2011/05/16

クロカル超人が行く 147 いわき市平薄磯海岸 現地報告

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 福島県いわき市平薄磯の海岸に立つ美空ひばりの石像。毎日新聞3月の夕刊雑記帳の一コマ。映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台で、ひばりさんの歌でも知られる塩屋崎灯台やその石像も被害から逃れたと書いていた。若い時分に灯台巡りをしていた知人もいたが(もちろん塩屋崎灯台は知っていた)、この灯台には結婚直前に登ったことがあった。それ以来の再会だ。しかも大津波後の薄磯海岸は様相が一変、信じられない光景が広がっていた。
 2011年5月15日午後6時手前、ちょうど夕日が沈む頃友人の車で被災地に入った。友人の細君も知り合いのアトリエのあった場所を探したいと同乗した。その知り合いは大津波に流されて死亡したという。当初美空ひばりの碑はどこかと考えていたが、被災地の悲惨な現状を見るにつれ、深い悲しみに襲われそれどころではなかった。何という不条理、にわかにこの現実は受け入れられるか―。
 薄暗くなりかけた時刻にある家族が全壊した家を探しに来たのだろうか、まだ二十歳前の若い人、小中学生の男女が立ちすくんでいた。その光景はやがて筆者の目に焼き付いてしばらく離れなかった。また、全壊した家々を海から山の方へ目をやると半壊した一軒の家が見えた。その家の白いカーテンが風になびいて何度も戸を覆っていた。かすかに風の音が聞こえたが、次の瞬間潮騒に消された。

誰かいるの?
Someone in

と思わず声をかけたくなった。今度は壊れた中学校の校舎の前まで出向いた。時計は動いていたが、校舎の中が丸見えで、その向こう側の瓦礫の山―すでに重機で撤去され整理されていた―が見えた。
夕日はすでに今は穏やかな海に沈んでいた。

帰ろうか…。

一瞬祈った。

ああ無情
ああ無常と
海眺め

2011/05/15

超人の地震の話 続々 ヴォルテールの詩「リスボンの災厄に寄せる詩」

「すべては善なり」と叫ぶ、謝れる哲学者たちよ、
駆けつけて、眺めるがいい、この恐るべき廃墟を、
この残骸を、この瓦礫を、この痛ましい燃え殻を、
互いに重なり合ったこの女たち、この子供たちを、
あの避けた大理石の下に散らばるあの手足を。
不幸に見舞われた10万人の人間が大地に飲み込まれ、血にまみれ、引き裂かれ、まだ動いているものは
屋根の下にも埋もれて、救いもなく、苦しみの恐怖のなかで、
惨めだったかれらの日々を終えようとしている!
〔…〕
あなたがたは、この累々たる犠牲者たちを見て、こういう気なのか、
「神が天罰を下したのだ、かれらの死は罪の報いなのだ」と。
いかなる罪を、いかなる過ちをこの子たちは犯したというのか、
押しつぶされ、血まみれになった母の乳房にすがるこの子たちは。
姿を消したリスボンは、歓楽に浸るロンドンやパリよりも
多くの悪徳に耽っただろうか。
リスボンは壊滅した、そしてパリでは人はダンスを踊っている。

 この詩について著者は次のような感想を書く。
 この惨状が美しい予定調和の世界だといえるだろうか。これが「善なり」といわれる世界の現実だといえるだろうか。そうした憤りの声が詩のなかから聞こえてくるようだ。ヴォルテールは、なぜ人間が自然の不条理な暴力にここまで翻弄されなければならないのか、それについて、詩のなかで、いっさい説明を行っていない。行えるわけがないからで、事実を直視して、ただ自然の力の前では人間の生活が「悲しい偶然の戯れ」にすぎないことを認めるほかはなかったのである。
(『ヴォルテールの世界』P.118〜P.119)

2011/05/14

超人の地震の話 続 ヴォルテールの詩「リスボンの災厄に寄せる詩」掲載の前に

 友人が突然田舎から出てきた。近くの大学で講演を頼まれ、県を代表して来たらしい。その友人が今回の災害の件でこぼしていた。救援物資が届くのはありがたいが、タイムラグがあって結局は使用せず倉庫行きになるものもあるという。水などがそうだったと。大地震で水道が使えなかったときには水がなく、水道が使える頃に救援の水が届く有様だった。倉庫に物資が貯まっているところをマスコミに撮られて困った由。久し振りに友人の口癖を聴いた。

「いゃー、まいった !」

 もう一つは、吉村昭の小説『三陸海岸大津波』を読んだ知人が、感銘してある本のはしがきの原稿を大地震の話から起こしていたことだ。怖い、怖いと連発していた。
 さて、ヴォルテールの長編詩だが、今筆者の手元には図書館から借り出した保苅瑞穂(プルーストの翻訳家として名高い)著『ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡』がある。ヴォルテールの著作には『哲学書簡』、『カンディード』、『ルイ14世の世紀』などがあるが、圧巻は膨大な書簡らしい。本書はその書簡を丁寧に読み込んだ好著。この中に1775年11月1日に起きたリスボン地震についての詩が少し載っているので引用してみよう。

2011/05/13

超人の地震に関する話

また地震の話。今日CNNの携帯ニュースを見ていたら、イタリアのローマ、スペインの地震に関する記事が味深い。

5.11には余震が起こる?

今噂されていたこと、実際に3.11以後4.11に比較的大きな余震が起きた。そして5.11はスペイン南東部に地震が起きたのだ。ローマではインターネットで1970年代にある地震学者が2011.5.11に大地震が起きると予言した話が流れ、また、夜明け前に惑星が一直線上に並ぶと不吉な出来事が起こることもあって、商店街が閉まったり住民が避難したり、学校を休んだりとパニックが起きた。実際には予言がハズレて地震は起きなかった。一方、スペインではマドリッドから350キロ離れた南南西の地中海沿岸地域のロルカで起こった地震はマグニチュード5以上、家屋が崩壊した模様。死者も出た。

日本では今朝も余震があったが、テレビでは東大の地震研の研究者が三重県尾鷲の古文書から1705年に大地震が起きたことを伝えていた。今後東海を始め、三重、和歌山、高知にまたがる太平洋沿岸に連動して起きる可能性があることを示唆していた。
どうなっている日本列島!
ところで、「図書」5月号のこぼればなしに刺激されて、1775年に起きたポルトガルのリスボン大地震についてフランスの哲学者ヴォルテールが234行に及ぶ長編詩(「リスボンの災厄に関する詩」)を書いたその内容を調べたくなった。この詩の全訳は見当たらないようだ。九州大学の先生が論文で言及している程度。洋書店で調査した。結果英文では下記の本が判明。

①Poème sur le désastre de Lisbonne

②オンデマンド版
The Works of Voltaire(volume 36): The Lisbon Earthquake, and Other Poems
General Books


2011/05/09

文化講演会の案内

クロスカルチャー出版主催の文化講演会が開催されます。関心のある方は聴講してみてはいかがですか。

◇第4回文化講演会のご案内◇
■演題:『移動・文化的接触:雑誌「平和」をつくる人びと―日本・アメリカ・イギリスとの交流―」
■講師: 坂口満宏 京都女子大学教授
■司会: 神繁司 元国立国会図書館職員
■日時: 2011年5月28日(土)午後1時半〜4時
■場所: 江戸東京博物館 1階学習室
JR総武線両国駅西口下車徒歩3分/地下鉄大江戸線両国駅下車徒歩1分
■入場料: 500円

講師は日本近代史、日本人移民がご専門の歴史家。主な著者・論文は、『日本人アメリカ移民史』(単著)、同志社大学人文科学研究所編『北米日本人キリスト教運動史』(共著)、米山裕/河原典史編『日系人の経験と国際移動―在外日本人・移民の近現代史』(共著)などがあります。日本移民学会の中心メンバーでもあります。

◆聴講者H氏の報告。生憎の雨模様。聴講者の入りもイマイチでしたが、懇親会は手頃な人数で盛り上がったみたい。写真下は講師坂口満宏先生の熱演。

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◆第5回文化講演会は来る11月12日(土)午後(1時半~午後4時半)に開催されます。講師はシカゴ大学図書館日本研究担当上席司書奥泉栄三郎氏、演題は「日米の架け橋―シカゴ流よもやま話」。入場料500円。定員50名。予約受付開始。この文化講演会の申し込みや問い合わせ先→クロスカルチャー出版文化講演会係 電話03-5577-6707 ファクス03-5577-5708 e-mail:crocul99@sound.ocn.ne.jp]

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追記。第5回文化講演会は満員御礼のうちに終了。シカゴ大学新図書館の話など最新情報が聴けた。
第6回文化講演会は2012年6月16日(土)に開催予定みたい。テーマは「福島原発」。


2011/05/03

クロカル超人が行く 146 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2011

クロカル超人が行くラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」2011
今年もやってきたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2011。東京、金沢、新潟それに琵琶湖でも開催。しかしここにも異変が。東日本大震災の影響により規模縮小しての開催になった。チケットは1月から発売しているはず。欧米の演奏家の中には3月の11日を境に大地震・原発大事故を理由に来日を控えた演奏家もいて主催者側はプログラム変更を余儀なくされたことは容易に想像がつく。そのためチケット予約やキャンセルが相次いだはずだが、実際はチケットはほぼ完売状態だ。手頃感とこの催しが日本に定着した証拠かも知れない。
ところで、クラシック音楽専門インターネットラジオ「OTTAVA」が、会場の東京国際フォーラム地下1階の特設スタジオで生放送をしていた。今日はフランスから来たゲスト(女流演奏家)にインタビューをしている。筆者は仕事だったのでラジオを聴きながら作業をしていたのだが、このインターネットラジオに刺激されたのかいつの間にか会場に足を運んでいた。小雨が降る肌寒い夜、ライトアップされたエントランス広場には新緑が一段と映えてみえた。

「まだチケットは買えるの」

「ピアノと声楽の二つなら」

「……」

「無料演奏なら今から始まりますが。6時50分から、階下の会場で」

「演奏家の名前は?」

「アトラクションなので会場へ行ってからのお楽しみです!」

「エスカレーターを降りて少し前に、それから左側を行けば会場です」

「演奏家は?」

「外のボードに書いてありますよ」

「えっ、どういうこと、先ほどの男性は演奏するまで分からないと言っていたのに」

「このボードには午後から記してありますけど」

「上のスタッフと下のスタッフとの何という食い違い!」

「今人気のヴィオラのファイト・ヘルテンシュタインさんです」

「……」

透き通った音が流れていた。ブラームスの曲かしら?
あなたはブラームスがお好き?

そんな後期ロマン派の作曲家が今年のテーマらしい。すでに残すところあと2日。帰り際今や馴染みの光景になった出店でフランクフルトソーセージと生ビールを買い込み、しばし休んだ。いつもの年より暗い感じ―。

宵闇が都会の静寂に音符となって忍び始めていた。

追記。来年はロシア音楽特集らしい。2011.5.5


超人のジャーナリスト・アイ 140 ビンラディン殺害報道

Cag055tt_2国際テロ組織アルカイダの最高指導者、オサマ・ビンラディン容疑者(54)が米軍によって殺害されたと報道。一億円もするイスラマバード郊外の建物で米軍が遺体を収容した模様。すでに水葬に付され、海に埋められたらしい。10年ものの間、多額な戦費を費やしての結果だが、報復もあるので予断が許さない状況だ。日本の新聞は号外を出し、夕方からのテレビ各局は、このニュースをトップで報道していた。オバマ大統領の緊急声明、前大統領のブッシュ大統領のコメント、グランドゼロやタイムズスケアからの歓喜の声など。
 新聞報道によれば、米軍の特殊部隊がオサマ・ビンラディン容疑者が住んでいる建物をヘリコプターで急襲したと。果たしてテロはなくなるのか―。

2011/05/02

超人の面白読書 84 鴨長明著『方丈記』の「大地震」の項を読む

行く河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどむに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例なし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

これが有名な『方丈記』の書き出しの部分。

鴨長明が生きていた鎌倉幕府開府直前の平安末期に、大地震が元暦二年(1185)7月9日に発生している。その大地震の様子が『方丈記』の六段に書かれている。講談社文庫より引用。

六 大地震(おほなゐ)

また、同じころかとよ。おびただしく大地震の振ることはべりき。そのさま尋常ならず。山は崩れて、河を埋み、海は傾ぶきて、陸地をひたせり。土裂けて、水涌きいで、巌割れて、谷に転びいる。渚漕ぐ船は、波にただよひ、道行き馬は、脚の立処をまどはす。都のほとりには、在在所所、堂舎塔廟、一つとして完からず。或いは崩れ、或いは倒れぬ。塵灰たちのぼりて、盛りなる、煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷にことならず。家のうちにをれば、たちまちに拉げなんとす。走りいづれば、地割れ裂く。羽無ければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らん。恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ、おぼえはべりしか。
かくおびただしく振ることは、しばしにて、止みにしかども、そのなごりしばしは絶えず。世の常、驚くほどの地震、二・三十度振らぬ日はなし。十日・二十日過ぎしかば、やうやう間遠になりて、或いは、四・五度、二・三度、もしは、一日交ぜ、二・三日に一度など、大方、そのなごり、三月ばかりやはべりけん。
四大種の中に、水、火、風は、つねに害をなせど、大地にいたりては、ことなる変をなさず。昔、斉衡のころとか。大地震振りて、東大寺の仏の御首落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこのたびにはしかずとぞ。
すなわちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか、心の濁りも、うすらぐとみえしかど、月日重なり、年経にしか後は、言葉にかけて言ひいづる人だになし。

 鴨長明の生きた平安末期は大地震や飢饉などいろんなことが起きた時期だったことがこの『方丈記』の簡潔な描写でも如実に窺い知れる。羽無ければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らん。恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ、おぼえはべりしか。今でも十分に過ぎるほどの気持ちが伝わってくる。改めて地震の怖さが歳月を超えて私たちに迫ってくるのだ。また、余震も何回かあった様子が書かれているが、月日が経つと地震があったことなどを忘れてしまうとも書いている。常日頃からの備えが必要だろう。筆者はやっと単一電池をゲットして懐中電灯に装着した。これで大中小サイズの懐中電灯は揃った。非常用の乾パンや水それに防災用のヘルメット(5000円位で畳めるヘルメットもあるらしい)は何処?マグニチュード8位の地震がまた起こると言うのに―。

追記。昨日の毎日新聞夕刊のコラムで日本文学研究家のドナルド・キーンさん(最近地震国日本に帰化すると話題になった)が、松島は、中尊寺は地震の被害に合いましたかと遠くニューヨークのアッパーウエストのアパートメントで語っていた記事を読んだ。松尾芭蕉の『奥の細道』の翻訳者は今回の大震災を大いに気に掛けていたのだ。また、鴨長明『方丈記』にも言及していた。自身は大病して東京で入院、一時は寝たきりか車椅子かと考えたという。今は正岡子規の伝記執筆に取り掛かっているそうだ。ドナルド・キーン氏は87才?(2011.5.19)

追記2。有名な冒頭のところを英訳で拾ってみた。下記はネット情報。

行く河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどむに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例なし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

Though the river's current never fails, the water passing, moment by moment, is never the same. Where the current pools, bubbles form on the surface, bursting and disappearing as others rise to replace them, none lasting long. In this world, people and their dwelling places are like that, always changing.
【web訳】

The current of the flowing river does not cease, and yet the water is not the same water as before. The foam that floats on stagnant pools, now vanishing, now forming, never stays the same for long. So, too, it is with the people and dwellings of the world.
【Chambers 訳】

Ceaselessly the river flows, and yet the water is never the same, while in the still pools the shifting foam gathers and is gone, never staying for a moment. Even so is man and his habitation.
【Sadler訳】

The flow of the river is ceaseless and its water is never the same. The bubbles that float in the pools, now vanishing, now forming, are not of long duration: so in the world are man and his dwellings.
【Keene訳】

The current of a running stream flows on unceasingly, but the water is not the same: the foam floating on the pool where it lingers, now vanishes and now forms again; but is never lasting. Such are mankind and their habitations.
【Aston,訳 1899,年】

The flowing river never stops
and yet the water never stays the same.
Foam floats upon the pools,scattering, re-forming,
never lingering long.
So it is with man
and all his dwelling places
here on earth.
【Moriguchi (訳)、David Jenkins (訳)】

Incessant is the change of water where the stream glides on calmly:
the spray appears over a cataract,
yet vanishes without a moment's delay.
Such is the fate of men in the world and of the houses
in which they live. . ....
【漱石訳】

Of the flowing river the flood ever changeth,
on the still pool the foam gathering,
vanishing, stayeth not.
Such too is the lot of men and
of the dwellings of men in this world of ours. . ...
【熊楠訳】

人によって訳し方がいろいろ。その違いに注目。翻訳本は明治から最近の平成まである。漱石の訳は大学時代に読んでいたが。それにしてもAstonは日本語の本も何冊か書いているが、方丈記も訳していた。知らなんだ。

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