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2011/04/24

4月の詩 earthquake

その日東京は薄曇り 気温16度 弱風 とぼとぼ 浮き立ってはいない 春の予感から春本番 季節はいつもの鐘を鳴らして 季節の変わり目を告げる 3月は別れの季節 老若男女 泣き笑いが谺する 春なのに 誰も謳わない 巡る季節に会釈もしない 春なのに 経済のかったるさ 笑顔のない政治 みんなどこへ行った

その日はビジネス その日は書類 その日はとぼとぼ 桜の季節はまだ早い 寒暖の差もある 神田川を見ながら左折 信号を渡って またとぼとぼ 女の服装が歩く 春なのに 少しだけメタモルフォーゼ 青信号の先に 年代ものの建物 大地震来たら 完全崩壊 爽快 春なのに みんなどこへ行った

高速道路の下 川は流れる雲も流れる そして人も流れる 春なのに 古本屋の軒先の籠 少し埃 少し重たそ 信号また左折 とぼとぼ ラーメン二郎は閉店 うどんか とぼとぼ

その日の午後 もう少しで大通りの角っこ とぼとぼ そして 何かの気配 何気なく 上を向いた 眩暈 来るまい また見上げた 見るまい 電線が揺れてる 騒いでる 揺すってる ビルがこちらへ 向かってる 揺れてる揺れてる 今度は足に来た 動いてる るるる こんなところで 蛙泣いてる わけがない おかしい 揺れてる また大きく揺れてる
みんな外に出始めた 顔面蒼白 ビルが倒れそ 下敷き怖い 逃げろ逃げろ 足が動かず大股に 地面を踏みにじめている 固まり始めた 大きな鯰が動いた
大変 春なのに 大地震が起きた みんな外に出た

5分ほどとぼとぼ 事務所に着いた 緊急地震速報の音また揺れた また外に出た ビルの屋上のタンクから 水が流れ落ちている 九段会館の天井が落ちたという やがて 地震規模はマグニチュード9.0と判明 震源地は三陸沖 巨大地震だ 余震が続く 春なのに みんな怯えてる 震えてる


2011/04/19

超人のジャーナリスト・アイ 139 aftershocks

 最近朝のニュースはNHKに傾きつつある。民放が良いときもあったが、コマーシャルもそうだが何だか喧しすぎるように感じ始めたからかもしれない。それに公共広告機構の「がんばろう!日本」のコマーシャルが変なナショナリズムを擽っているようで気持ちが悪い。また、司会者が個性的なことは悪くないけれども、もっと清涼感がほしい。迅速かつ正確な報道は必要(今回の大震災後の原発についての政府、原子力保安院、東電の情報開示の仕方はレベルいくつか)。
 そんな中NHKの朝7時のニュースの司会の阿部氏(43)と鈴木女史(29)のコンビは、爽やかな笑顔とイキのあった会話が奏功している。朝の顔になっている。褒めるのはこの辺までで。要はニュースの構成、内容の充実度はもちろんのこと、分かりやすく報道してもらいたいことだ。そのためには司会者の表情も大切な要素だ。今は亡き作家の井上ひさし氏のモットーは、むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くことだと言っていた。つい最近てっきり見かけなくなった元NHKの海外番組の顔だった平野次郎氏(72)も井上ひさし氏の言葉をモットーにしているらしい。NHKを退職後大学教授に転職、そこも辞めての感想が新聞に載っていた。
 前置きが多少長くなってしまった。今朝のニュースで気になったニュースをピックアップすることだった。一つは、京大防災研の遠田准教授の今回の大震災の分析結果の報告と警告だ。大地震後プレートが動き、亀裂が入って地下断層の動きが活発化していると分析。マグニチュード8規模の大地震が起こる可能性は否定できない。このような地震が発生した場合には、やはり津波に警戒して早めに高台に避難することだと警告している。
 もう一つは、瓦礫の75%が木材、これを再利用して火力電力化。補助金を出して支援すれば、10万キロワットの電力創出も可能と(木材何万トンと言ったかは失念!)。資源の有効活用も必要でいろいろと知恵を絞ることだろうか。

2011/04/18

超人のジャーナリスト・アイ 138 「浜岡原発止めよ」の記事

 今朝の毎日新聞新聞朝刊の記事「浜岡原発を止めよ」を読んだ。これまた一大事になりかねない出来事。記事「風知草」によれば、御前崎にある浜岡原発は3基のうち二つは福島と同じ沸騰型で海岸低地に立つ。しかも東海地震の予想震源地の真上にある。「原発震災」の言葉の生みの親の地震学者の石橋克彦神戸大名誉教授の月刊誌最新号を引用してこう書く。「最悪の場合、(中略)放射能雲が首都圏に流れ、1000万人以上が避難しなければならない。日本は首都を喪失する」「在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生じる……」(「世界」と「中央公論」各5月号)。反原発派知識人の懸念にとどまらないことをこの記者は先週思い知ったそうだ。警告を鳴らしている。政官民の関係者は内外の専門家によく耳を傾けて実質的な安全点検を急げと言いたい。もちろん女川、東海村、柏崎、敦賀等も同様なことが言える。でないとまた、大惨事が起きかねないのだ。もう勘弁してくれとは日本人一人一人の思いだろう。そのためには多少の贅沢は慎まなければ。建設的な代替エネルギーの確保を皆で考えるより良い機会でもあるのだから。

追記。昨日(5月6日)菅直人首相は浜岡原発の完全操業中止を発表。突然の発表で中部電力、静岡県など関係者に衝撃が走った。近い将来大地震の起こる確率が高いため、新幹線や高速道路などが寸断される恐れも考慮しての判断。福島原発の悲劇を二度と繰り返してはならない。遅すぎた英断である。もちろん他の原発もすべて見直してもらいたい。(5月7日 記)

2011/04/16

クロカル超人が行く 145 葉桜の鎌倉

 葉桜の鎌倉3時間コースを楽しんだ。鶴岡八幡宮の静御殿が舞った間では結婚式に遭遇。日本古来の儀式に則った結婚式は厳かそのもの。雅楽器どらもあった。その先には去年3月に強風で倒れた銀杏の大木が。本体は西側に移されていた。一応お参りした後、小町通り界隈を食べ歩き―。
 ソーセージの店『ARUKAMAK』ではプレーンと辛口ソーセージそれにブレーメン生まれのドイツビールを、煎餅屋では焼き上げほやほやの煎餅2枚(100円)、豆屋では豆二種類を試食、そして気になっていた手打ちそば屋『段葛 こ寿々』では鴨南つけそば(1350円)を食した。そばは日頃滅多に食べない筆者だが(うどん党)、たくさんそば屋がある中で行列のできているそば屋の手打ちそばはやや細め、鴨も柔らかで美味、値段も手頃だった。おみやげに『露西亜亭』のピロシキ(350円。持ち帰って食べたがイマイチ、ここで食べるのがイチバンかも)を購入してミニツアーは終了。昼過ぎには晴れて、温度もはね上がった感じ。また地震かとハットさせられたこともあったけど、古都鎌倉はオバマ大統領も好きな大仏が見守っていた!ここで気づいたことが一つ。3.11以降激減した外国人観光客(過去最低)だが、ここでも筆者がカウントした限りでは14人(アメリカ、ヨーロッパ、アジアからの外国人)と観光シーズンとしては少なすぎたみたい。

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2011/04/14

超人の面白ラーメン紀行 145 東京ラーメンストリート『緬や七彩』

201104141929000_2新装オープンした東京ラーメンストリートに来ている。4店舗から8店舗に拡大。4月8日オープンだから今日で6日目。少し気になったので立ち寄った。味か人出かそれとも好奇心―。和風の照明が新鮮なコーナーは、新古典的な佇まい、YEDO情緒を漂わせる空間に『六厘舎』、『けいすけ』、『斑鳩』、『むつみ屋』、『ひるがお』、『七彩』、『ほん田』そして『ジャンクガレッジ』の8店舗が軒を並べた。どれもJRの担当者が食べ歩いて出店交渉した店。この担当者は何時だっか前宣伝を兼ねてテレビに出ていた。もう半年前だ。
 8店舗の一つ、『麺や七彩』に並んで入った。201104141945000_2まだ食したことがない店で味噌ラーメンに興味を引かれたからだ。20分後に真新しい店内へ。狭い厨房近くのカウンター左端に案内され、まずビール中瓶(550円)を飲んだ。供されるまで多少時間があったので“店員”にこの店の本店の場所を訊いた。中野の都立家政と答えてくれたが、筆者がピンと来なかったとみえて、鷺ノ宮駅の近くですよと教えてくれた。でも本店はこの店ですか、ここだけしか出せない味があるのでと、あくまでもオープンマインドなのだ。ついでに二言三言訊いてみた。この“店員”は実は名前が藤井吉彦さんと言って店主だった。創業5年、その前はイタリアン、もっと前は中華でしたとアッケラカン。JRさんに出店の声をかけていただいたんです、以前にもオファーがあったんですが、人数がいないしお断りしたそうだ。ここは出店したくてもできない場所とやや自慢げの店主。イタリアンと言えば、世田谷の『アーバンラーメン』(このアメリカ人店主もニューヨークのイタリア料理店のシェフ出身)には行った由。好きなラーメンと。
 さてさて、頼んだ「味噌ラーメン」(800円)だが、これがイケた。化学調味料は使わず煮干風味。東京伝統調味料「江戸甘味噌」を使用した、甘くまろやかさの漂うラーメン。緬にもこだわりがあってやや縮れ(これが味噌とうまく絡んでいる)、色は“けいすけ”系、もちもち感があった。トッピングはシンプルでもやし、刻みネギそれに脂を抑えたジューシーなチャーシュー、その中でももやしのシャキシャキ感が最後まで食をそそった。完食。
 先ほどの店主の話しの続き。昼は喜多方ラーメン、夜5時半から10時半までがうちの店なんです。二毛作なのだ。大阪梅田の阪急地下街に『奴』という定食屋(かやくご飯、熱い味噌汁とおかず一品―大抵は大根おろし付きか白子付きのダシ巻き―でワンコインの500円。もちろん魚の煮付けなど他にもある)は、夕方からつまみは全て360円の一杯立呑屋になる。お客さん、もっと斜めに並んでとすし詰め状態で呑む有名な店だが、東京駅地下街にも“二毛作”の店があるとはサプライズ。
 店内は木の匂いがぷんぷんするカウンター12席、テーブル8席の狭い店。食べ終えて店の外に出たら、先ほどより並んでいた。20数名はいたか。『斑鳩』は30数名だった!
メニューは東京味噌ラーメン ハイカラ(粉チーズがかかっているらしい)、味噌つけめん、担々麺それに東京味噌ラーメンと少ない。今度は「まぜそば」で有名な『ジャンクガレッジ』に挑戦してみようっと。
東京ラーメンストリート『麺や七彩』1.スープ★★★2.緬★★☆3.トッピング★★☆4.接客・雰囲気★★5.価格★★

2011/04/10

超人の観桜 2首

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吹く風を江戸の屋敷と思えども咲き誇る花夕映えに萌え

微風が吹く浜の畔花揺れて見える景色はビルをも染める

2011/04/09

超人のジャーナリスト・アイ 137 雑誌「ニューヨーカー」最新号の日本特集“JAPAN CRISIS ”を読む 4

 私たちを監視している死者はこの思想を尊重することを許してくれると思う。それらの記憶によって私たちは政治の現実の名のもとに有害な核兵器を最小に防げるのだ。私たちは反対している。そこには現代日本の曖昧な立場がある。それはアメリカの傘の下で守られている平和主義国家だ。希望が持てるのは、福島の事故が広島や長崎の犠牲者とふたたび手をつなぐことがるできることだろう。原子力の危険を認識し、原子力を支持した抑止力効力の幻想に終止符を打つためにも。
 円熟した年齢になった時、私は小説『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』を書いた。今人生最後の段階で私は『最後の小説』を書いている。現在の狂気を何とか生き延びられるならば、私が書こうとする本の書き出しは、ダンテの地獄篇の「それから私たちは外へ出て、もう一度星を見上げた」の最後の行で始まるはずだ。

2011/04/08

超人のジャーナリスト・アイ 137 雑誌「ニューヨーカー」日本特集“JAPAN CRISIS ”を読む 3

 昨夜遅く宮城県沖を震源とした震度6強、マグニチュード7.4の地震が起きた。関東地方も横揺れが多少続いた。被災地の人々は戦々恐々だったはず。幸いに津波は観測されなかった。福島第一原発にも影響はなかったと報道されているが、果たしてどうか。

 大江健三郎氏のエッセーの続き。
 2008年に亡くなった現代日本を代表する思想家、加藤周一は、原子爆弾や原子炉の話しをすると、1000年も前に書かれた清少納言の『枕草子』に「とても離れて見えるようなものは本当は身近にある」という一行を思い起こすと書いた。核災害は全く仮の話で起こりそうもないようにみえるが、その可能性はいつも私たちのところにあるのだ。日本人は工業製品として核ネルギーを考えるべきではない。広島の悲劇から成長の処方を引き出すべきではないのだ。地震、津波や他の自然災害のように広島の経験は人間の記憶に銘記されるべきものだ。それは自然災害より更に劇的な大惨事でさえあったのだ。何故なら人間が造ったからだ。
 原子炉の構築からみえてくる間違いを繰り返すこと、即ち人間生活の同じような無礼は、広島の犠牲者に対する最大の裏切りだ。私が10歳の時に日本が戦争に負けた。翌年新憲法が発布された。その後何年も力の行使、後の非核三原則(持たず、造らず、持ち込まず)は、戦後日本の基本的な思想の正確な象徴だった。有事の際は日本が進んで軍事力を再構成し、1960年代に作られた秘密協定で日本列島に核兵器はもたらされる。従って借り物の非核三原則は意味を持たない。しかしながら、戦後の人間性の思想はずっと忘れさられてきたのだ。<続く>

2011/04/07

超人のジャーナリスト・アイ 137 雑誌「ニューヨーカー」最新号日本特集“JAPAN CRISIS ”を読む 2

 この「ニューヨーカー」の日本の危機と題した日本特集は、阪神淡路地震での経済損失とその再興など今度の東日本大震災の経済的損失と日本経済の縮みをエコノミストが分析・予測したコラム(対岸の火事的ではないと思う筆者だが)、人々の表情をリアルに抉り出した写真も臨場感があった(カメラマンの心眼か)、被災地リポート、阪神淡路地震を題材にした村上春樹の小説などを掲載した内容。割いたページは25ページ。
 さて、大江健三郎氏のコラムの続きだ。この筆者のコラムでは私訳を試みながら読み解きたい(この小文は最初仏紙の「ルモンド」に掲載された)。何故ならこの知識人の言及は大変示唆に富んでいるからだ。しばし彼のメッセージに耳を傾けてみたい。

 ビキニ環礁水爆実験地で被災した漁師が、後に核支持者の傲慢さと核抑止力の神話を告発することに一生を捧げた。それは私が大惨事前夜の漁師を呼び起こした暗い前兆の類だったのか。彼もまた、原発と取り繕う危険と闘ってきたのだ。私は日本の同時代史についてずっと考えてきた。長崎・広島の原爆犠牲者、ビキニ環礁水爆実験の犠牲者そして原子力発電施設の犠牲者のことだ。これらを通じて日本の歴史を考えるならば、悲劇は自ずと明らかだ。今日原子炉の危険が現実的になってきたと思う。日本の歴史は新しい局面を迎えたが、私たちはもう一度原子力の犠牲者の目線でまた、苦難から勇気を勝ち取った男や女の目線で物事を見つめなければならない。最近の災害から学ぶべき教訓は、生き残ってからも同じ過ちを繰り返すことをしないかどうかということだ。この災害は劇的な仕方で二つの現象と結びついている。地震に対する日本の脆弱性と原発が示した危険性だ。第一番目は有史以来直面しなければならなかった現実で、第二番目は地震や津波より更に大惨事的でさえあることが分かってきたことだが、人間の仕事だ。広島の悲劇から日本人は何を学んだか?〈続く〉

2011/04/06

超人の観楼 3句

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花見の季節。大震災後の花見は自粛ムード。カンテラさげての夜桜見もおつなものかも。

幾年と見てきた花の格別な朝

晶子も見謳った花は今盛り

花よ花友に見せたやせめて今

2011/04/05

超人のジャーナリスト・アイ 137 雑誌「ニューヨーカー」最新号日本特集“JAPAN CRISIS ”を読む

 20110405190824_000014月に入っても肌寒い東京は、やっと地震の恐怖から解放されたような雰囲気。しかし東北地方の被災地ではまだまだ大変な日々が強いられている。避難所での生活は精神的にもきついしまた、仕事も見つけなければならない…。
 福島原発事故で首都圏での計画停電が実施されて3週間、長期戦の様相を呈してきた。夏の電力大消費時期に備えてより節電化が企業ばかりではなく、家庭にも及びそうだ。
停電の光景は、多少意味合いが違うが大昔ニューヨークが大停電を招いた1960年代を思い起こさせた(つい何年か前にもあったが)。その停電を知ったのはラジオの語学番組、ドイツ語応用編のテキストであった(確か講師は東大の岩崎英二郎先生だったか―)。
 さて、本題。雑誌「ニューヨーカー」最新号(2011年3月28日号)の日本特集“JAPAN CRISIS”を読んでいる。有名コラム欄「街の話題」(The talk of the town)には作家の大江健三郎氏の原発についてのエッセーが掲載されている。TOKYO POSTCARD : HISTORY REPEATS。歴史は繰り返す―。
大江健三郎氏はこのコラムを書く直前に3月15日付朝日新聞朝刊に原発について書いたばかり。大学入学頃にビキニ環礁水爆実験で犠牲者になった人のことが書かれた立て看板を読んで強い衝撃を受けたと書かれていた。〈続く〉

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