« 昭和ももはや遠くなりつつ―ある死その4 | トップページ | 昭和ももはや遠くなりつつ―ある死その4 続々 »

2011/03/15

昭和ももはや遠くなりつつ―ある死その4 続

 貴美子叔母は気丈夫だった。何年か前に肺癌で亡くなった叔父(叔母の夫)は、寡黙を地で行くような人だったが、夫婦は似た者同士か補完関係かのどちらかに属するようで、貴美子夫婦は後者のようだった。その叔父は、濃い顔に加えて黒縁の眼鏡の奥から投げかける視線は鋭く、滅多に笑わないが笑うと何とも言えない人懐っこさを感じたものだ。“イージーライダー”のはしりだったらしく、バイクや車に夢中だった、二世商人(あきんど)の青春があったとは叔父の葬送での話だ。筆者は今書いている最中に思い出したのだ。洒落ていたのである。
また、ある見舞いの時に死期が近かったせいか病室に叔父から筆者が呼び出された。ちょうどその時には筆者の母も同じ病院の別の棟に入院していたのだった。痩せ細った身体に強い抗がん剤のあとを見て痛々しかった。叔父は愛煙家だった。その傍らで半ば諦め、半ば一縷の望みを託して母娘の屈託のない介護の有様を見た光景が筆者には忘れられない。叔父はそれから2ヶ月足らずで他界した。

「何せ、醤油が何より好きで、よく白いご飯にかけていたから」

 健康には人一倍気を遣っていたはずの叔母だが、この行為には諦めムードだったかも知れない。それは上記の叔母の一言に表れている。醤油好きの筆者もこの時はドキッとしたものだ。
 叔母が今回の大地震で突然この世を去るとはにわかに信じがたい出来事。人はいつどこで消え去るか分からないものだ。元気の良かった叔母も然りだ。筆者は幼少期から何かにつけ面倒をみてもらった一人、口うるさかったがある筋を通した言動は筆者の支えになっている。商人魂を持ち続けた最後の人間だったような気がする。エピソードは盛りだくさんあるが、それは次回に。

« 昭和ももはや遠くなりつつ―ある死その4 | トップページ | 昭和ももはや遠くなりつつ―ある死その4 続々 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 昭和ももはや遠くなりつつ―ある死その4 続:

« 昭和ももはや遠くなりつつ―ある死その4 | トップページ | 昭和ももはや遠くなりつつ―ある死その4 続々 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31