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2010/12/30

超人の面白読書 79 永井荷風作『夢の女』

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 評論家川本三郎が「図書」2010年11月号に荷風家のお手伝い福田とよについて書いていた。荷風は昭和34年(1959年)4月30日亡くなったが、彼女はその荷風遺体の発見者だ。

 『夢の女』(1903年)を読んだ。荷風23才の作品。人情話や写実的な描写も良いけれども、それに加えて文体も良い。そして会話の妙も。彼は生涯にたくさんの作品を書いたが、この小説は『地獄の花』(1902年)に続く作品で、荷風の初期小説の傑作、花柳小説のジャンルに入る。フランスの小説家エミール・ゾラの影響(明治20年代はエミール・ゾラなどの自然主義文学が流行った)を強く受けた写実性に富んだ作品と言われている。
 貧しい武士の娘が家族のために妾奉公、そして売られて娼妓に、その娼妓に煩悶しながらも成長、やがて待合の商売で繁盛する。両親と妹、それに商人の間に出来た子どもを引き寄せ、一家5人で暮らすが、妹の出奔、父親の死に遭遇、心の空洞を感じて冷たい夢のなかを彷徨う。
 かつて吉永小百合主演で映画にもなった『夢の女』、女主人公お浪を通じて見えてくるのは、人間の悲惨や、哀れさ、破滅、遊廓の世界の欲望蠢く愛憎劇を伴う遊泳術、ろうかいさ、商売力などであるが、何と言っても悲哀の情感が主旋律だ。荷風は歩く人でもあったので、特に東京の下町深川あたりの活写は、彼の写実のフレームの陰影を際立たせている。情感が漂っているのだ。また、明治中期の社会反映も読み取れる。
 解説で菅野昭正は次のように書いている。『夢の女』は、哀傷、悲哀の情調にいろどられた小説にもかかわらず、暗色の印象は意外なほど強くない。それはひとつには、濁りのない抒情性をたたえた文体の効果によるところが大きいだろう。
 最後の10数行を書き写しておこう。葬式の場面あたりから。

 母親お慶の泣声が聞こえた。お祖父さんと呼ぶ娘お種の声も聞こえた。お浪は此に父親の身躰とは全く明暗の世界を異にしたのである。けれどもお浪は最早この場合に至っては、今更らしき特別の悲しみを感じ得るだけの明かな心は持っていなかったらしい。悲しい事、痛ましい事、凡てそれらの感情は、既に既にその極度を通り越してしまって、いわばその身は茫然と、何か分からぬ冷い夢の中を彷徨っているような心持であったが、しかしいよいよ空しき我家へ帰るべく、幌深き車に乗って、寺の門を後にすると、突然何とも付かず、例えられぬ落胆を覚えた。それは自分の身中の魂までが、己に父親と一緒に、この生きた身躰を離れて、行辺知れず逃げて行ったような念がしたのである―生活と戦うべき意気と精力は最早全く衰滅してしまったのだ。
 死たる心、空洞になった身体は、これから幾年と自分の前に進んで来る長い月日を如何に送り過して行くものだろうか。ああ ! 自分の車の先に進んで行く、同じ車の中にはなお重い責任のある年老った母親、幼い私生児 ! お浪は力なきドンヨリした眼を以って、幌の隙から行手を眺めると、粉々たる雪は暫く吹添う風に連れて、縦横に飛び散りつつ、林、道、人家、電柱、諸有る物を埋め尽くそうとする。
 今日の夜は、無数の人の生活がその集合を為したこの一都会も、淋しき墓場のそれと同じように、やはりこの白き衣の下に声なく眠って行くのであろう。お浪は母娘の車が行悩みつつ暫く築地の待合近く来た頃には、何処も彼処も真白な雪と雪との間から、血のような燈火の光が流れた。(本文P.177〜P.178)

 前後するが、待合営業の繁盛を祈るために深川の不動尊を参詣する途中の場面、これも良い風景描写。

 長い鉄橋の欄干には既に電気燈が輝いている。淡き夕べの星光も三ツ四ツと、憂鬱なる蒼白い空から燦き初めると、広漠たる河口の空を遮る佃島や石川島の建物、さては両岸に立連人家の屋根は、等しく暗い夜の影の中に沈もうとして、新しい燈火の光が殆ど数限りなく水の上を流れた。林の如く帆柱を連ねて停泊している帆前船からも、同時に青い色や赤い色の灯が、あるいは高くあるいは低く、あたかも美しい花火をょ見る如く散乱したので、お浪は今、丁度橋の半ばほどまでに行き掛けながら、立ち止まるともなく、自然と欄干の傍へ引き止められたのである。
 全く何心なしに唯だ美しい光景を見取れたのであるが、偶然にも忽ち思起した―というのは早や幾年かの昔、遠い故郷の地を離れて、深川の遊郭へ身を沈めるため、始めてこの大い鉄橋を渡り初めた時の事である。その場合の心持は如何様であっただろう。(本文P.150)

 さて、昔の洲崎あたりをぶらぶら散歩しながらあさり丼でも食べに行こう。荷風の文学風景を訪ねて・・・。

2010/12/25

超人の面白ラーメン紀行 142 羽田空港国際線ターミナル内 ラーメン店『せたが屋』

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 つい先日新横浜にある『横浜ラーメン博物館』が日本人ならいざ知らず、タイ人や中国人に大変人気でごった返すほどとテレビで報道されていた。ここではラーメンのノウハウを無料で披露するという新趣向が始まったばかり。何かと話題提供し続けるラーメン博物館ではある。勿論筆者も大分前に尋ねた。ラーメン博物館に入るだけでも300円取られたのだった。
 筆者はクリスマスの日、羽田空港国内便ターミナルで九大のM先生を到着口で待っていた。ワシントンやサンフランシスコへ調査研究に出かける先生とは羽田空港で食事することになっていた。だが、悪天候のためなかなか到着しない、やっとのこと33分遅れてやって来た。30分ほど食事兼雑談後M先生は赤いスーツケースと小荷物を持って足早にリムジンで成田空港へ出かけた。実は福岡発ANA248便が11時40分に羽田着だったので、筆者は遅れまいと20分前には来ていた。多少時間が空いた。そこで新しく出来たばかりの国際線内の店巡りでもと考えパンフレットをゲットし、このラーメン店、『せたが屋』を見つけたのだった。

 店の前で23番目に並び、50分ほど待ってようやくラーメンにありつけた。

 ラーメン(800円)は鰹出汁の濃厚な醤油ラーメン、西永福にある『大勝軒』のラーメンを彷彿させた。麺はストレート系でもちもち感があり、スープとよく絡んで相性はピッタリ。トッピングは海苔、支那竹、鳴門、刻んだ葱それに焼豚の5品。あっさり過ぎていたか。否、コンパクトと言った方が妥当のようだ。完食。カウンター9席、テーブル席12席は常に満杯状態だ。従業員は女性4名(2名は外国人)と男性5名の9名。大分並んで食べているところを見ると回転は大分いい。何でこんなにならんでいるの? まわりでこのフレーズがよく聞こえた。中高年もいれば家族連れそれに若いカップルと多彩、さすがインド人はいなかった―。急いで電光掲示板をHaneda4nec_0286覗いたがエアインディアは就航していないようだ。(笑)
 最初外国人が訪れると想定して作った『江戸小路』は、むしろ日本人に受けてしまったようだ。それでも筆者の前に並んでいた外国人のファミリーは香港から来た人たちかしら?日本人に似た顔の親父さんはiPADで本を読んでいた。だって英文だったもの。
ラーメン店『せたが屋』1 .スープ★★★2.麺★★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★☆5.価格★★
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Haneda6nec_0290Haneda5nec_0298                       【羽田国際空港国際線ターミナル】

2010/12/22

超人の面白読書 78 ペール・ラーゲルクヴィスト著 尾崎義訳『バラバ』 3

 この小説の概要は訳者解説から引用した方が良さそうだ。

 この小説《バラバ》は、新約聖書によると―四福音書によって多少記述は違っているが―極悪人で、民衆の要求によってキリストの代わりに赦免された人物、バラバの運命を主題としている。われわれが聖書で知っているできごとなどもでてくるが、あくまで小説である。中略。
全編を通じての悲劇的運命の主人公バラバの内面的変化の経路は、大きく三部に分かれている。第一部はゴルゴダの丘から山賊に戻るまで、第二部はローマ人の鉱山奴隷として生き地獄にあえぎながら、キリスト信者である奴隷サハクとの交渉をもつにいたるところ、第三部は三度死を免れきたバラバがローマにおけるキリスト教徒迫害の犠牲になるまで、である。
 次に篤信なカトリック信者である訳者尾崎義氏(田中三千夫の解説補遺を参照)の見解が続く。
 そのころの素朴な、あるいは無知であったかもしれない使徒や信者の信仰が、どんな内容をもっていたか、その人たちの集団がどんな形をとりながら発展していったか、をラーゲルクヴィストは描きながら、その人たちの信仰がいかに強いものであったかを認めずにはおれないのである。信じることのできない、愛することのできない―それがバラバの悲劇の性格であると思われる―彼バラバとは対蹠的な一団の信徒たち、ときには外圧的な力によってただ引きずられていくにすぎないような彼らが、愛の教えを、よしんば盲目的にもせよ信ずることによって、そしてその信仰の力によって、結局は初代キリスト教の土台が築きあげられた、というラーゲルクヴィストの見かたは肯定されうるのではあるまいか。

 残念ながら筆者はキリスト教の知識をほとんど持ち合わせていない。他の一般の日本人同様に、宗教には寛容だといえば聞こえは良いが、有体にいえば、いい加減なのである。無関心、世俗的に習慣に従っているだけだ。そのような人間にはこの本は読み解きにくい。だから訳者解説を長々と引用したのだ。
全体的に灰色的な色彩の中、ある人間が彷徨い歩く姿に、時に宗教的なテーマを映画化したシーンが浮かんだ。闇の中に一条の光そして群衆の声……。内面を汲み取っていく会話体。
 以前にも書いたが、ノルウェーの作家ビョルンソン、ベルイマン、そしてペール・ラーゲルクヴィストいずれも牧師の家の生まれ。従順さと反抗がモチーフになって葛藤の道程を創造的に描いたと思うのだ。人間の根源的な問いをわれわれに突きつけながら。東洋的な感受力の違いも感じたが。しかし常日頃から思っていることだが、西洋的な文化の背景にはキリスト教の知識が欠かせないことをまざまざと見せつけられた。

 クリスマスはもうすぐ―。

 さて、次はデンマークに目を向けたい。最近刊行された原作アンデルセン、文語訳森鷗外、安野光男口語訳『即興詩人』だ。

付記。国立国会図書館の新聞閲覧室に行ってペール・ラーゲルクヴィストの死亡(1974年7月11日)とそのコメントを確認したが、朝日新聞の死亡欄の記事は脳卒中と数行(写真入)のみ。日本ではその程度だ。そう言えば、ベルイマンも2年前の同じ7月に亡くなっている。(2010年12月22日 記)

2010/12/21

超人の面白読書 78 ペール・ラーゲルクヴィスト著 尾崎義訳『バラバ』 2

 筆者はスウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンの作品をよく観た。と言っても、後期作品が中心だったかもしれない。『叫びと囁き』『ファニーとアレクサンデル』などは2、3回は観たか。『危機』、『不良少女モニカ』、『第七の封印』『野いちご』、『処女の泉』、『鏡の中にある如く』『冬の光』、『沈黙』などの初期・中期作品がテレビなどでも時々特集を組んだりしているので意外と観ることができる。ビデオも多少持っている。ベルイマンの映画では著名なイヴ・ウルマンなど贔屓にしている女優や男優が必ず登場する。ベルイマンファミリーだ。テーマは北欧独特の倫理性が張り巡らされた重いテーマが多い。しかも形而上学的で難解。神と人間の問題、愛と憎悪、結婚や男女関係の問題等々。心理劇さながらの展開は、19世紀の劇作家アウグスト・ストリンドベリイの影響を多大に受けていると言われている。
 ペール・ラーゲルクヴィストもまた、アウグスト・ストリンドベリイの影響を受けている詩人・作家・劇作家・文芸評論家なのだ。ただ彼は若くしてフランスに遊んで、当時のフランスのキュービズムなどの芸術運動や文学運動に直接触れて感化されたと解説に書かれている(前掲『ノーベル賞文学全集 19』の解説参照)。

超人の面白読書 78 ノーベル文学賞作家 ペール・ラーゲルクヴィスト著 尾崎義訳『バラバ』

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 Alla vet hur de hängde där på korsen och vilka som stod samlade omkring honom, Maria hans moder och Maria fråm Magdala, Veronika, och Simon från Cyrene, som bar korset, och Josef från Arimatea, han som svepte honom.

 彼がどんなふうにあの十字架の上に垂れさがっていたか、また彼のまわりに誰々が集まっていたか、それが彼の母マリアとマグダラのマリア、ヴェロニカ、十字架をかついだクレネのシモン、それに彼を布で巻き包んだあのアリマテアのヨセフであったことなどは、だれでも知っている。(尾崎義訳『バラバ』冒頭より 岩波文庫 1989年第9刷)

 これが新約聖書を題材にして書かれたペール・ラーゲルクヴィスト作『バラバ』(Barabbas)の有名な冒頭部分。因みに最後の二行はこう書かれている。

―おまえさんに委せるよ、おれの魂を。
そしてかれは息たえた。

 はて、この"おまえさんに委せるよ、おれの魂を゛のフレーズ、バラバを現代人と捉えれば、このおまえさんとは誰か ? 作者は問いかけている。答えはなかなか見つけにくい……

 冒頭のスウェーデン語は、長らく仕舞い込んであった『バラバ』の原本『Barabbas』のコピー。日付は1972年1月12日と書き記されている。ある研究所内での講習会でのテキストだった。
そして今頃になって尾崎義訳岩波文庫でこの本を読んだ。ずっと埋もれたままだったが、筆者のわずかな蔵書整理中に出てきたのでこの機会に一挙に読んだのだ。
不条理―。なつかしい用語だが、ある本にはこの著作のことについて簡潔に書かれていた。

 Barabass(1950), the work which has now given Pär Lagerkvist an international reputation, deals with the eternal dilemma of those who try to believe but incapable of un questioning belief.

 ―from A Swedish Reader With Introductions and Notes by P. Brandberg and R.J.McClean , University of London, The Athlone Press, 1963.

 この本はイエス・キリストの身代りに釈放された盗賊バラバの数奇な運命を描いた秀作。ゴルゴタの丘での出来事が―。
【写真左上: ノーベル賞文学全集 19(主婦の友社昭和47刊)より】

2010/12/11

超人の面白読書 77 ノーベル賞作家ビョルンソン著『アルネ』続

 アルネの父親、仕立屋ニルスはバイオリン弾きをしながら村の舞踏会をかけまわり酔って帰宅、母親ビルギットはそんな夫を病気と諦め、野良仕事に精を出す。アルネは母親から読み書きを習う。彼は物覚えが大変良く、父親もそれが自慢で舞踏会ではみんなの前で唄わせた。アルネ15才、家畜の世話などを手伝うようになる。船長の息子と知り合い、地理書や地図の正しい見方を教えてもらい、かなり読書好きになる。ある日父親ニルスが倒れて死んだ。
 アルネ20才、彼は無口な、人おじする青年になった。家畜の世話をしたり、唄を作ったりした。村の牧師はそんなアルネに学校教師の職をすすめる。野良仕事をなにくれと手伝う、上地の中年男クヌート、彼も暇さえあれば歌をうたった。

「シッレヨールのイングリッド・スレッテン
こがねしろがね持たないけれど
色の毛糸の小頭巾ばかりはおふくろからのお下がりものよ」
(P.46)

 アルネが納屋で初めて酔っ払う。自分のやることは、なにもかも臆病だと独り言を言う。そんなアルネを母親が優しく慰める。アルネの人々に対する態度も変わり、優しい眼でみんなを眺めるようになった。

このうるわしい夏の日に
うちの中には居づらくて
ざんぶと滝に飛び込んで
これは極楽と言ってたら
日照りにやられ土左衞門
だからこの詩はだれのやら(P.67)

 恋と女とが彼の心を占めるようになる。村の娘が集まる名親さん主催のクルミの会にも顔を出し、恋の話などを聴いた。そこでエリと知り合う。上地のクヌートをカンペンの作男に雇い、アルネ自身ものこぎりの使い方など心得ていたので大工職人になる。村の牧師館に行って指物をすることになった。そこには娘が時々いた。エリとマチルデ。
 ベエンから使いが来て、アルネは指物の依頼をされた。その比較的裕福な農家はかつての父親のライバルボールの家だった。彼の娘のエリが病気から快方に向かう中、アルネは母親の頼みで彼女に歌をプレゼントする。アルネとエリの親密さの増すシーンだ。

 山国では、春がおそい。冬のまは、週に三度、国道をはしる郵便馬車も、四月になると、もう、一度しか来ない。すると山の人たちは、よそでは雪が消え、氷がとけて、蒸気船がかよい、すきが大地に入れられるころだと思うのだ。このあたりでは、まだ雪が六尺余も積もっていて、家畜は小屋の中で鳴きたて、鳥はもどってきても、身をひそめて凍えている。ひょっこりやってくる旅人は、馬車を下の谷間に乗りすててかたなどと語り、路ばたで摘んだといって、手に持ってきた花を見せたりする。すると、人びとは浮き浮きしてきて、歩き回ったり、おしゃべりをしたり、太陽をながめては、毎日どれだけ高くなるかを見ようとする。雪の上には灰をまいて、いまじぶん花を摘んでいる人たちのことを想うのだ。(P.129)

 カンペンのマルギットが牧師館を訪ね、アルネのことで相談をする。マルギットはある時牧師館でエリ・ベエンを見つけ話しかけ、いつの間に自分の家に連れて行き、アルネの部屋まで案内するばかりかアルネの宝物まで彼女に見せてまう。アルネがいかにエリを想っているか母親の出しゃばりだ。やがてアルネとエリが結ばれる。婚礼が執り行われた。

 婚礼の行列が船着場へと下っていって、アルネがエリに手をかして、先頭に立ったとき、ボールはそれを見ると、いっさいの風俗習慣にそむいて妻の手をとり、うれしそうにしてあとについていった。が、そのあとからは、マルギット・カンペンが、いつものように一人しょんぼりと歩いていった。その日、ボールはすっかり我れ忘れていた。彼は座って船頭たちとしゃべっていた。そのうちの一人が、うしろの山を見上げて、あんなにけわしい岩山が、一面に緑でおおわれているのは、ふしぎなことだと言った。「なるようになるものさ、人がなんと思うとね。」とボールは言って、行列を端から端まで見渡して、とうとう花嫁花婿と自分の妻との上に眼をとめた。(P.177〜P.178)

 これが粗筋。農民小説、山岳小説、成長小説、歌物語と多岐にわたって読める小説だ。作者ビョルンソンは牧師の子でノルウェー北部の農民たちを見て育った。それはこの小説にも山岳地方の自然描写としてまた、農民の生活描写として表れている。この『アルネ』は1850年代に書かれた小説で、主人公アルネの純情と詩作がこの物語の主流。高い山を越えて彼方に行きたかったが、裕福な農家の娘と相思相愛で結ばれて地元に留まる。ここに作者のテーマの一つ、社会階層の上昇志向が読み取れる。プロットは今の小説からすれば単純だが、情報過多の今の時代、忘れかけている純朴さがここにはある。
 ビョルンソンには他に『快活な少年』(En glad gut.,1860)、『漁夫の娘』(Fiskerjenten,1868)、『婚礼の行列』(Brudeslaatten,1873)、戯曲『破産』(En fallit,1875)、『スヴェルレ王』(kong Sverre,1866)、『王』、『レオナルダ』、『編集者』など多数の作品がある。詩集は『詩と歌』(Digte og sange,1870)。ライバルのイプセンが、反省型の、孤高寡黙の懐疑家に対し、ビョルンソンは思い立ったらその場で口に出し、実行に移さずにはおかない闘志型だ。ノルウェーの国歌「しかり、われらはこの国土を愛す」(Ja,vi elsker dette landet)もこの作家の作。1903年ノーベル賞受賞、パリで客死するが、遺体は軍艦で本国に運ばれ、この国民的作家の葬式は国葬もって執り行われた。(訳者あとがきなどより)彼は作家だけに留まらず、当時のノルウェーのために尽力した。長らく50クローネ紙幣に描かれていた。
 ビョルンソンの人と作品については昭和47年刊『ノーベル文学賞全集 19』(主婦の友社 絶版)に詳しい。批評家としても卓越していた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、ビョルンソンの文体について暗示的かつ印象的で、簡潔を極めていると激賞。(新潮社 昭和3年刊『世界文学全集 27 北欧8人集』解説より)。訳はこなれているが古い。改訳が必要だろう。原文は1850年代に書かれていて、日本では幕末の頃だ。

追記。ビョルンソン受賞から107年後の今年(2010年)のノーベル文学賞受賞者は、ペルー出身のマリオ・バルガス・リョサ氏。代表作は『緑の家』。

2010/12/09

超人の面白読書 77 ノルウェーのノーベル賞作家 ビョルンソン著『アルネ』

 20101209115301_00001ノルウェーのノーベル賞作家ビョルンスチュルネ・ビョルンソンBjørnstjerne Bjørnson(1882-1910)【写真左: ノーベル賞文学全集 19(主婦の友社昭和47刊)より】の代表作の一つ、『アルネ』を小林英夫訳の岩波文庫で読んだ。それこそ気になっていたノルウェーの作家だが、ずっと読まないままだった。あまり気乗りしなかったのが正直なところ。双璧の『日向の少女』は山室静(これを機に『山室静自選集』をペラペラ捲っている)訳で角川文庫から出ている。それよりも掘り出し物は昭和3年刊の世界文学全集(27)『北欧3人集』(新潮社)だ。ある女子大の図書館にあったリサイクルコーナーで見つけて手に入れた。山室静の師匠こと宮原晃一郎と生田春月訳。ここにはビョルンソンの上記2作品が訳され簡潔な解説もあった。
 『アルネ』はノルウェー西部最北端山岳地帯の自然美豊かなところを舞台に繰り広げられる純愛物語だ。昔は親同士が敵対関係の間柄でそれを乗り越えてお互いの息子と娘が結ばれるというハッピーエンドの小説仕立て。しかしこの小説には唄や民謡、それに讃美歌が大分挿入されていて、むしろ始めに唄があって後から筋書きを施したと、訳者が言うのも合点がいく感じだ。例えば次のような唄だ。

「わたしの小やぎよ小羊よ
山みち坂みち切り断って
どんなにけわしく高くも
おまえの鈴の音追っていけ

わたしの小やぎよ小羊よ
おまえの毛皮をよごすなよ夜なべの仕事に母さんが
外套に仕立ててくれるもの

わたしの小やぎよ小羊よ
おまえのししむら肥らせよごぞんじないかえ母さんがスープにこさえて下さるの?」
( 本文P.43-P.44)

 主人公アルネは父親ニルス譲りの唄う詩人、母親は敬虔なクリスチャン、父親はバイオリン弾き語りを得意とするが、今でいうちょい悪親父の典型的な男性だ。
 物語は突如サ―ガ(北欧叙事詩)を思わせる書き出しが4ページ半続くが、それは山々の困難をみんなで助けて山をまた緑に覆うという咄だ。ムンクの『生命のダンス』の絵を連想させた。森の仲間に語らせる。それはネズやカシやシラカバや匕ースやモミだったりした……。そしてこの散文詩は、この物語の最後のところで呼応しているようだ。
 アルネの誕生は山岳地帯、上のカンペン、母親の名はマルギット、水呑百姓の一人娘だ。〈続く〉

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Aulestad, Karoline og Bjørnstjerne Bjørnsons hjem
Dikteren Bjørnstjerne Bjørnsons gård Aulestad i
Gausdal. Foto: Axel Lindahl, 1890-Ǻrene.
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【写真左上:1890年代のビョルンソンの家(ネットより) 写真左下: 筆者が10代の時にノルウェー人から頂いた写真集『NORGE』 より】

追記。ノルウェー、ノーベル賞関連で至急付け加えて置かなければならことは、すでにマスコミ報道で周知の事実だが、やはり今日オスロで行われるノーベル賞平和賞受賞式での中国の民主活動家・劉暁波氏(服役中)の代理人への賞の授与すら行われないことだ。毎日新聞「余禄子」は、中国の教典「中庸」の「隠れたるより見(あらわ)るるは莫(な)く 、微かなるより顕らかなるは莫し」を引用しながら、昨今にわかに国際社会との価値観のズレをみせつける調子外れな対外行動が目立つ中国を批判している(2010年12月10日付毎日新聞朝刊「余禄」)。中国は他の国々に働きかけてノーベル賞平和賞受賞式に出席しないよう圧力をかけたらしい。結果、ロシア、サウジアラビア、イラン、キューバなど20ヵ国ちかくが欠席するようだ。また、賞授与がない式は、ナチスに弾圧された平和活動家オシエツキー以来という(同紙「余禄」)。
 また、同紙2010年12月9日付夕刊では「たった一人を恐れる中国」との見出しでノーベル賞平和賞受賞式に参加する米国在住の中国人活動家、楊建利氏の記事を載せている。「民衆が既に受け入れていないことを知っている。だから余計に劉氏を恐れる」と中国の指導者の考え方を説明している。中国も困ったものである(2010年12月10日 記)。


2010/12/07

超人の面白、街の話題 9 ダウンシフターなど

 NHK朝のニュースで30代の若者に焦点をあてたコーナー「ミドルエイジクライシス」を視た。新たに生まれたダウンシフターと呼ばれる人たちだ。見慣れない言葉だが、元々はアメリカから伝わった言葉らしい。収入が以前より少なくとも自分らしく生きてゆくことの方を選択したのだ。他人を蹴飛ばしても売上に固執して勝ち抜こうとすることやパイの食い争いなどの過酷で無意味な仕事を止めて、たとえ収入がダウンしても自分のしたいことをすることがより良い人生を送れると考えた若者たち。ダウンシフターという本を書いた男性は、百貨店から居酒屋店主へ、その店に出入りしているビジネスパーソンは農業、それぞれに充実していて楽しいという。少し前には勝ち組と負け組や負け犬とすぐ線引きをして自分の帰属意識を確認しては冷たい目線を露骨にする我々日本人。生存競争には勝たなければという意識が結果的には戦後のある時期までの日本を支えてきた。ところが、自分たちのコードでばかり交わした結果、外界のコードを読み取れず孤立化、いわばいつの間にかガラパカコス状態に陥ってしまったのが日本の現状だろう。日本の政治経済それに社会システムそれ自体が制度疲労や没価値を生み出し、若者に希望や夢を持たせ得ない有様が露呈している。価値観の多様化や環境問題もある。行き過ぎた資本主義の矛盾の塊が今の世の中だ。
 あるインターネットラジオのパーソナリティーが、本の紹介のコーナーで、この本の著者とは多少意見を異にするとしながらも、彼もこの著者と同じ高校で倫社担当の先生に習ったらしい。好きなことは人間誰にでもあるのだからそれを徹底的に極めろ、中途半端はいけないと語った言葉が印象的で影響を受けたという。しかし、大抵の人間は中途半端で自分の人生を終えてしまうというのが筆者の最近の観想だ。ニヒリズムの大家ニーチェの言葉をピックアップした本が売れていることも今の世相を反映しているような気がする。羅針盤のない時代はややもすると方向を失い漂流しがち、そこを想像・創造してこそ何か手応えを感じるのではあるまいか。保身が充満している。私利私欲に走りすぎて他人が見えない。格差社会の到来で、ぎすぎすしたストレスの大きな世の中だ。本当に根底からの世直しが必要なのかもしれない。30代の危機は団塊ジュニア世代だ。人口が多いだけ目立つが、親たちもある意味では自由と平等それに改革を推進した世代だった―。

2010/12/05

クロカル超人が行く 143 東京駅エキナカショップ グランスタ

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 今や駅ナカショップが食のコンセプト・バリューを積んで先端を走る時代ー。
今日青森まで延伸した東北新幹線がオープンしたが、生憎強風などで遅れや運休が相次ぎ、ダイヤが大幅に乱れた様子。そんな中東京駅エキナカショップ、グランスタが新たに開店、賑わいを見せている。今回はNourth Courtの14軒。丸の内側から入って左側から、築地寿司清、Yudero 191フロム アル・ケッチャーノ、東京炒飯Produced By赤坂離宮、江戸せいろう蕎麦―かんだやぶそば五代目堀田康太郎監修、日本食堂、仙台たんや利休、ニッポンの駅弁、東京ドッグ、米米米、銀座のジンジャー、百果百菜、キハチ、KINOKUNIYA、julass、旅めぐり 彩、旅めぐり雅。
 仕事帰りにそのストリートを歩いた。牛タン屋は行列、都内の有名シェフのコラボ弁当は色鮮やかだが値段は高め、店先でジンジャーをどうぞと振る舞う女性、洋菓子屋、小綺麗にコンパクト化されて陳列されたおかき類はやはり値段は高め、有名な雑貨店もあった。みんなコンパクトでデザインが斬新、人集りはあったがむしろショップの関係者の呼び声の方が大きかったみたい。商魂たくましいとはこのことか。新生ストリートは忙しい。はて、値段、味は?
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2010/12/04

超人のジャーナリスト・アイ 132 森鷗外の小説「舞姫」のモデルについて

 大分前に森鷗外の「舞姫」のモデルついてこのコラムで書いた。それなりにアクセスが多いコラムで時々読み返す。そんな折り森鷗外のモデルに関する記事が朝日新聞夕刊(2010年11月11日付)に載った。NHK-BSハイビジョンで放送と。文化欄ではなく社会欄での記事だった。そのタイトルは「舞姫は15歳」新証拠、刺繍の型金にイニシャル、鷗外、子の名前も彼女から?と題した記事。知人から森鷗外の小説のモデルについてNHKで放送されることを聞いてはいたが、いつなのか分からなかった。気がついたら放送は終了していた。半ば諦めかけていたら、体調が今一の日曜の午後、暇つぶしにテレビのチャンネルを捻った。するとタレントの女性が、ドイツ留学が一緒だった森鷗外の上司が書いた手紙を朗読していた。そこには鷗外の心情吐露が綴られていた。鷗外が本気だったことが分かる。途中からのテレビ参戦である。

 番組は森鷗外の生れ故郷、山口県津和野から始めていたが(朝日新聞夕刊の記事で判明)、残念ながら始めのシーンは視れなかった。番組の今野勉ディレクターが、鷗外記念館のモノグラムに注目、このモノグラムに隠されたイニシャルを解読することでモデルの名前を特定できると考えた。また、鷗外がドイツから持ち帰った緑色のハンカチ入れにはWBの文字が刺繍されている。番組は型金の真ん中上の×××と記号化された箇所の謎解きをするためドイツに飛び、専門家を訪ねて文字を浮かび上がらせる。また、モデルの女性エリーゼ・ヴィーゲルトを追って住所録や不動産登記簿からヴィーゲルト家の探索、教会での出生記録の調査、関係者へのインタビュー、出港した場所、乗船名簿への名前の記述の仕方(パスポートはなく、必ずしも本名を書く必要がなかったらしい)など言わば調査能力の度合いが番組を引き立てていた。ナレーションは石坂浩二。
 植木哲著『新説 鷗外の恋人エリス』(新潮選書 2000年刊)を踏襲した形のテレビ番組「鷗外の恋人」には新発見が二つあった。一つ目は、エリスがなぜ高額な船賃を払えたかその出所だ。これは祖父から譲り受けたアパート収入からがその理由。現地調査で確証を掴んだ。二つ目は、当時出入国の際のパスポートは必要なく、乗船名簿には本名を必ずしも書く必要がなかったと専門家の意見を引き出していたことだ。その他上述した教会の洗礼記録(アンナ・ベルタ・ルィーズ・ヴィーゲルト)から当時としては珍しい宗派の違う者同士の結婚(カトリックとプロテスタント)が判明したこと、父の職業が仕立て職人でアンナ・ベルタ・ルィーズ・ヴィーゲルトもガラス職人と結婚して七十何歳で亡くなった。
 さて、森鷗外の『舞姫』のモデルエリーゼには、エリーゼ・ヴァイケルト説、路頭の花説、結婚相手説など諸説が鷗外研究者たちに熱い論争を闘わせてきた。テレビ番組の取材班は、モノグラムに隠された文字が専門家の間でもアンナ・ベルタ・ルィーズ・ヴィーゲルトの頭文字と読めなくはない、とまで突き止めた。娘に杏奴(→アンナ)や息子に類(→ルィーズ)と名前を付けたことでもアンナ・ベルタ・ルィーズ・ヴィーゲルトが有力の説のようだ。最後に横浜に上陸した入国名簿に記したエリーゼ・ヴィーゲルトElise Wiegertは、鷗外と彼女の間にしか通じなかった二人だけが持つ愛称だったのでは?と番組をしめた。
 近代文学研究者の山崎一穎氏は地道な調査は評価できるが、決め手となる証拠とは言い切れないのではないかと前述の朝日新聞夕刊の記事でコメントをしていた。異論も待たれるところ。筆者的には娼婦説を採りたいが?!

2010/12/03

超人の面白ラーメン紀行 141 渋谷区道玄坂『真武咲弥』

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 何時だったか井の頭線神泉駅から道玄坂辺りまでのニューウェーブ系のラーメン店をテレビで特集していた。その中の一つ、札幌味噌ラーメンが売りの店に偶然に入った。実はこの先の『うさぎ』に行く予定だった。こういうことはよくあることなのだ。
 定番の味噌ラーメン(850円)を頼んだ。カウンター右端に座って待つこと7分、出て来た。見た目はどこにでもある味噌ラーメンだ。ひょっとしたら新宿の虎龍系と思い店の名前を探した。店内の暖簾には小林製麺の文字はあったが、イマイチ判らず理解するのに多少時間がかかった。『真武咲弥』。このところのラーメン店には麺武だとか何々武と冠する店名が多い。ここもその一つ。
 スープの味噌はブレンドされた味噌でコクがイマイチ。麺は黄色い縮れ麺、もちもちとしていて舌触りはいい。トッピングにはごく普通の大きさと硬さのチャーシューが一枚、それに細切れのチャーシューも。味はまあまあ。メンマ、もやしにネギ、これも普通。完食。食べたあとなぜか尾を引いた。店内はカウンター10席とテーブル4席。
これが味噌ラーメンという究極のラーメンにまだ出会えていない。醤油系は見つけた。今しばらくインスタントの味噌ラーメンをアレンジして食べるしかないか―。
『真武咲弥』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★☆5.価格★★

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