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2010/07/25

超人の面白観劇 京都芸術劇場 春秋座『マラルメ・プロジェクト』

Img111_2 猛暑が続く京都で実験的なパフォーマンスを観た。京都芸術劇場 春秋座 『マラルメ・プロジェクト』―21世紀のヴァーチュアル・シアターのために と題した実験的なパフォーマンスだ。第一部 松浦寿輝『吃水都市』を中心に 朗読 : 松浦寿輝・渡邊守章・浅田彰 第二部 ステファヌ・マラルメ『エロディアード―舞台『半獣神の午後』朗読に基づく実験的パフォーマンス 渡邊守章(朗読)・坂本龍一(音楽/音響)・高谷史郎(映像)ほか 浅田彰(企画)。
マラルメ全集全5巻のⅠ詩・イジチュールが5月に刊行され、21年の歳月を要してようやく完結。筆者は最初の2巻は持っているが、まだ全巻は手に入れていない。
 昨日仕事終了後友人宅に泊まり、今朝車で京都造形芸術大学・春秋座のある白川通りまで送ってもらった。午前11時頃には大学構内にいた。待っている間に筆者は、2010年7月22日付の朝日新聞に載った松浦寿輝のマラルメ全集刊行に寄せた小文も読めた。
 そのマラルメ全集Ⅰ詩・イジチュールを訳した渡邊守章氏(元東大教授・放送大学副学長・京都造形芸術大学舞台芸術研究センター長)が、マラルメ他実験的な朗読・映像・音楽による多角的な視点でのパフォーマンスを展開。その静かな躍動は詩空間を席巻したようだ。
 午後3時、ほぼ満員の劇場の壇上左側から浅田彰氏―『構造と力』や『逃走論』のニューアカの旗手も53歳、京都造形芸術大学大学院長―が颯爽と登場、自己紹介したあと、このマラルメ・プロジェクトについて説明。歯切れの良い話し方は流石ニューアカの旗手を彷彿させた。彼は『ヘルメスの音楽』『映画の世紀末』などの著書もあり、幅広い評論活動を展開中だ。現在新潮新人賞の選考委員を務めている(「マラルメ・プロジェクトのパンフレットより」)。その彼がこのマラルメ・プロジェクトは完成された作品ではなく、現在進行形で進む実験的な試みであることを強調。早速第一部の松浦寿輝氏の著書散文詩『吃水都市』の朗読が始まった。この松浦寿輝氏は東大教養学部・大学院教授で表象文化論・フランス文学が専門だが、詩人、映画評論家、小説家と多才。『口唇論―記号と官能のトポス』『エッフェル塔試論』『折口信夫論』『花腐し』『半島』など著書多数。現在毎日新聞に詩歌の月評を書いている。
 『吃水都市』は東京を舞台に近現代詩の流れに挑むような意欲作品、都市空間を彷徨う言葉の跳ね具合が音声を通じてこちら側、即ち観客に伝わってくる感じ。著書自身、浅田彰、渡邊守章氏3人による朗読は、それぞれが咀嚼した詩(直感的に)が音声を通じて独特に響き渡る(それぞれの高低や強弱)。身体性の成果を讃えあげながら新たに詩が増幅してゆく感じ。詩の根源にある音の居場所が心地好い。1人2編ずつの朗読そしてコメント、マラルメが主題だからどうしてもそちらに引き摺られがちだが、格好からしてフランス版常盤新平(彼は詩を書かなかったが)といった風貌を彷彿させる松浦寿輝氏、堂々とした詩だった。彼は著名な2人に朗読してもらって光栄だったかも知れない。否むしろ主催者側の大いなるサービスだったか―。筆者的には3人が1篇の詩を各々パートを受け持ち、読みつないでいく朗読の形式もあってよかった。そして渡邊守章氏によるマラルメ全集、マラルメのイデ ーなどを紹介したのち、日本語によるマラルメの『エロディアード―舞台』『半獣神の午後』の朗読開始。77歳にもなるこのクローデル研究家も、ラシーヌ、フーコー、バルトなどの翻訳書を持つフランス文学の大御所でかつ演出家、日本の能にも造詣が深い。見た目は若い。語学は声に出さないと上達しないと語り、そのメリハリの効いた朗読は、何か軽やかだが年輪も感じさせて、耳には訳に苦労した日本語の心地好い響き。鼻にかかるフランス語の洒落た響きは、第二部の渡邊守章氏のマラルメ原詩朗読で頂点に。映像作家高谷史郎氏による映像力に魅せられた、宇宙を遊泳する言葉たち―そのマラルメの詩群がもう一つ、音楽家坂本龍一の手によるピアノほかを駆使した静謐な音の世界とコラボ。星座の中に自由に出入るイメージが現出した。朗読→映像→音楽の三位一体化だ。そのうっとりした、美しい光景は時の点滅を一瞬忘れさせてくれた。マラルメが探求した「絶対の作品」―。
 渡邊守章氏自身が書いた「マラルメ・プロジェクト」を前にの最後の文章で、「韻文戯曲の朗読」は、難解をもってなる詩人の「幻想の身体」へと接近する、一つの途に違いあるまいと結んでいる。
 この後坂本龍一+高谷史郎のコンビによるスーザン・ソンタグ追悼パフォーマンスが急遽決まり(以前公演したもの)、映像と音楽が流れた。映し出された女の顔が印象的だった。午後5時40分、終演。観客数700名弱。Dscf8240

 帰りの新幹線を気にしながら急いで外に出た。白川通りに驟雨、マラルメの詩群が雨になって落ちてきた、そんな京の夕暮れ、だった。

追記。再び渡邊守章氏の「マラルメ・プロジェクト」を前にしてからの引用。

 「試作の不可能性」を主題としつつも、「世界は一冊の書物に到達するために存在する」という詩作の宇宙論的理念を追求するマラルメは、1880年代以降、ソネ14行詩を残した。中略。詩人の言説生産という観点からすれば、単に詩や文学のみならず、舞台芸術をはじめとして、管弦楽演奏会の流行といった多様な文化表象の「群集的受容」に、鋭い批評的視線を投げ掛け、みずから「批評詩」と呼ぶ、独自の散文詩を雑誌に掲載したことが、近年特に注文されている。中略。マラルメは火曜会を主催、そこからポール・ヴァレリー、ポール・クローデル、アンドレ・ジッド、マルセル・プルースト、クロード・ドビッシーなどのフランスの文化変革者たちが輩出したのである。

 また、たまたま読んでいる西脇順三郎訳『マラルメ詩集』のあとがきで、彼はこうマラルメについて書いている。

 マラルメは「ポエジー」も「芸術」も霊的なものと初めから考えていた。この詩人の場合には、すべてそこから出発しそこに終わった。
 筆者は渡邊守章氏も言及していたマラルメの貼りつけ(コラージュ)の試みを行った雑誌「流行通信」を読んだことを思い出した。大分前に。渡邊守章氏は、早くからこの詩人に注目していた一人だ。
 
 ステファンヌ・マラルメ―。サンボリズム。リラダン、ボードレールそしてポー・・・。

 マラルメ全集の残りの巻を手に入れじっくり読んでみたい。

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