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2010/04/30

超人の詩歌鑑賞 西脇順三郎

ギリシア的抒情詩

 天気

(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。

 カプリの牧人

春の朝でも
我がシゝリヤのパイプは秋の音がする。
幾千年の思ひをたどり。

 雨

南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。

―「Ambarvalia」より

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れる生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の陰に水草ののびる頃

―「旅人かへらず」より

近代の寓話

四月の末の寓話は線的なものだ
半島には青銅色の麦とキャラ色の油菜
たおやめの衣のようにさびれていた
考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間ではなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない
ただ罌粟の人々と
形而上学的神話をやっている人々と
ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ
アンドロメダのことを私はひそかに思う
向こうの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうつている
われわれ哲学者はこわれた水車の前で
ツツジとアヤメをもつて記念の
写真をうつして又お湯にはいり
それから河骨ような酒をついで
夜中幾何的な思考にひたつたのだ
ベドウズの自殺論の話をしながら
道玄坂をのぼつた頃の彼のことを考え
たり白髪のアインシュタインがアメリカの村を
歩いていることなど思つてねむれない
ひとりでネッコ川のほとりを走る
白い道を朝早くセコの宿へ歩くのだ
一本のスモゝの木が白い花をつけて
道ばたに曲がつている、ウグイスの鳴く方を
みれば深山の桜はもう散つていた
岩にしがみつく青ざめた蕾、シャガの花
はむらがつて霞の中にたれていた
私の頭髪はムジナの灰色になつた
忽然としてオフィーリア的思考
野イチゴ、レンゲ草キンポウゲ野バラ
スミレを摘んだ鉛筆と一緒に手に一杯
にぎるこの花束
あのたおやめのためにあの果てしない恋心
のためにパスカルとリルケの女とともに
この水精の呪いのために

―「近代の寓話」より
いずれも那珂太郎編『西脇順三郎詩集』(岩波文庫)から引用。

 この巨人がなくなって28年、そろそろ新たな息吹がほしいところだ。
初期作品から後期の作品まで大きな振幅があって読み込んでいくことが大変な詩人だが、北原白秋―萩原朔太郎―西脇順三郎―瀧口修造といった近代詩から現代詩へのひとつのつながり方のなかにも、変貌していった日本の詩における表現史上の重要な特色があること(澤 正宏著『西脇順三郎のモダニズム―「ギリシア的抒情詩」全編を読む―』のあとがき 双文社出版 2002年)の指摘を待つまでもなく、筆者が新たな息吹をほしがる水脈もこの辺にありそうだ。モダニスト、幻影の人、存在自身の淋しさの人、諧謔の人西脇順三郎―この詩人はもっと読み継がれても良い。

 ところで、上記の西脇順三郎に関して講演会が開催されるようです。
CPC 第2回文化講演会 2010年5月8日(土)午後1時~3時 江戸東京博物館1階会議室 講師: 澤 正宏福島大学教授 演題: 「詩人西脇順三郎を語る」 入場料500円。興味のある方は当日直接会場に出掛けてはいかがでしょうか。

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