« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010/03/31

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 58

 飛び込み台などはないから、ちょっとした勢いをつけて飛び込んだ。ザブーン、しかしその後飛び込んだ川が深かったのと流れが多少あったので、アップアップ状態、5分ぐらい水を飲んで浮いたり沈んだりしていた。丘の上の年長者たちはナオミの下手くそな泳ぎ方にそれ、みろ、と言いたげな笑い声が聞こえた。これも肝試しなのだった。川は浅いところと深いところがあって、岸より近くが水面の色具合でも分かるのだが、水深3メートルくらいはあったはずなのだ。溺れかかっている本人としてみれば、まさに藁をも掴みたい心境だった。年長者たちの中には泳ぎ方が上手い者もいて、すいすいと川を横切って遠くの向こう岸まで辿り着いていた。ナオミたち年少者は小さな中洲に辿り着くのがやっとで川の流れに逆らえなかった。下手すると身体ごと流されてしまうことだってあったのだ。今でこそこんな光景は見られないけれども、その原因はというと水質汚染や川の蛇行で遊泳禁止になってしまっていることだ。それよりも川が全体的に浅瀬になっていて昔の面影がなく、景観が一変したことだろう。やはり川は生きているのだ。今は違った現象が多い。夏にはゲリラ豪雨、秋には台風の変質した集中豪雨など異常気象が地球を覆って自然災害が多発しているのだ。
 N川のほろ苦い想い出に少しばかりわさびの効いた話も添えておこう。今でも時々ニュースになることもあるお騒がせ人間たちの話だ。
 遊泳のポイントは限られていたが、ワルガキ隊はつい冒険心に駆られて未知なるところまで行ってしまったのだ。何の目的かは忘れたが、ただ単にその川中にあるK島―竹が生い茂っていて畑もあった―に泳いで辿り着くだけの単純な発想だった思うが、これがいけなかった。台風が接近していたため、島に辿り着いてしばらくして天候が急変、雨が振り出して川の水かさが増し、流れが急に速くなったのだ。ワルガキ隊がK島に取り残されてしまったのだ。家族が救出願いを出したのか消防隊員や警察官が駆けつけた。雨の中のゴムボードでの救出作業は大掛かりだった。全員救出にほっとしたが、後味の悪い出来事だったようだ。ナオミも野次馬よろしく事件現場にいたのだ。翌日の新聞に写真入りで救出模様が載った。
 川中のK島を少し下ると、この辺の集落では有名なI堰がある。その堰の真下はよく鮎などが獲れた場所だった。

2010/03/30

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 57

 公民館周辺にはワルガキ隊がいて、何人か集まっては年少者がその洗礼を受けるのが常だった。ナオミの兄たちの仲間だ。年下のナオミもよくその仲間の隅に入れさせてもらった。なぜかこのワルガキ隊は5、6人の編成隊を構成していて誰が隊長というわけでもなかった。緩い関係で保っていた。ナオミは金魚の糞みたいについていたのだ。
 夏のあるときなどは近くのN川に水浴びに行くのだが、途中きゅうりやトマト栽培している畑を通って堤防に続く道で、突然トマトやきゅうりをもぎ取って来いとの命令が年長者から下るのだ。ナオミたち年少者は、仕方なく道から外れて畑に入り、やや青っぽいトマトや曲がったきゅうりを周りに誰もいないのを確認しながら失敬してくるのだ。そして年長者に上げた後堤防を越えたN川のほとりで噛りつくのだった。このトマトの味の触感は何とも言えなかった。瑞々しくて美味しかったのだ。トマトもそうだったがきゅうりもまずは手に持って一拭きした後に噛りつくのだった。そうして堤防を越えた水浴びのポイントに着くと、早速海パンに履き替えて簡単な体操を始める。脱いだ衣類は近くのくさむらに置きっぱなし、言わば、青空の脱衣場だった。ここからが面白い。さて、誰が一番先に飛び込むか、年少者は戦々恐々、川の流れはところによっては急なところもあり下手すると溺れてしまう危険を孕んでいた。
 ナオミ、お前飛び込め!年長者Sの声だった。

2010/03/29

超人の面白読書 68 NHK テキスト『知る楽 こだわり人物伝』など 続

 筆者の書棚には森有正関係の本が何冊かあったが、今はどこかにしまい込んでいて出て来ない。このテキストは森有正の思索の展開を「孤独」、「絶望」、「時間」、「出発」の4つの言葉を軸に作家片山恭一氏が自由に語る形式を取っている。暗く寂しい感じのエッセーだが、根源的な問いがここにはある。39才からパリで客死する65才までの26年間、デカルトやパスカルの専門家はまた、留学・研究先では異邦人、孤独の中から独自の森有正ワールドが生まれた。抽象的な言葉の根源を尋ねることによってより内面的な有り様がみえてくる、それを紡ぎ出す、思索後の新たな論理展開と彼独自の倫理観がみえてくるのだ。片山恭一氏の解説も解り易い。だが、哲学は言葉の定義が問題だ。そこが難しい。キルケゴール、ハイデガー、レヴィ=ストロース、ミシェル・フーコー、サルトルなどの哲学者や文化人類学者の名前も出てくる。結局は西洋人、東洋人を超えて自分は一体何者なのかをこの「孤独」、「絶望」、「時間」、「出発」の4つの言葉を通じて答えを引き出していく己に課した旅だと思うのだ。これは語り手の片山恭一氏がうまく引き出している。あとは各々がこの時代を生きていくために(全うな人生を生き抜くために)含蓄のある言葉を充分に噛みしめてよく考えよと言っているような気がするのだ。森有正は蘇ったか―。今の先が見えない時代に示唆を与えてくれる哲学者の一人だろう。

 毎日新聞書評欄(2010年3月28日)のこの人・この3冊は川口喬一筑波大学名誉教授の選でジョージ・スタイナーの著作、『言語と沈黙』、『文学と人間の言語 日本におけるG・スタイナー』、『バベルのあとに』を取り上げていた。この選者はコメントの最後にこう締めくくった。脱領域の漂泊者を標榜する彼にして、自分の出自にこだわるこの西洋文化中心主義には疑問が残ると。ジョージ・スタイナーを上回る評論家が日本で生まれないだろうか?

超人の面白読書 68 NHKテキスト「知る楽 こだわり人物伝」など

 郵便局めぐりや切手の熱中人は102歳、しかも戦前からだから年季が入っている。この熱中人を最後に6年間の「熱中時間」の番組が終了した。大袈裟に言えば、ここには自分を夢中にさせるこだわりの人生があった。ベルグソンのエラン・ビタール(=生の躍動、懐かしい言葉だ)だとあるコメンテーターの一言が印象的。司会はタレントの薬丸氏。
 「知る楽 こだわり人物伝」もそんなこだわり人生を追った番組だ。たまたまチャンネルを回して視た番組だが、これは以前にこれから始まる番組に出演するから視てほしいと京都のある大学の先生からメールが届いた番組。あの時は確か県境の歴史的な話、知る楽シリーズの一つ。今回は去年9月に放送した分の再放送(最近NHKの番組、特に語学番組などは半年で終了して後半は再放送にあてる番組が多くなったようだ)でフランス文学者・森有正を1959年生まれの作家・片山恭一氏(1986年「気配」で文学界新人賞受賞、2001年『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラー)が語っている。筆者は片山氏の作品は残念ながら読んでいない。彼がデビューした時期は仕事に追われていた時期、かも―。題して森有正 還っていく場所。再放送の最終回のほんの15分を視ただけだが、早速翌々日にはテキストを手に入れた。そして70ページのテキストを昨日読了。昨年の9月に放送していたとは知らなんだ。
 森有正。伝説の哲学者・仏文学者そして知る人ぞ知る著名なフランス語による日本語教本の著者なのだ。確か加藤周一の本だったか、辻邦生の本だったかにそのことが書かれていてずっと筆者の脳裏から離れなかった。要はそのフランス語による日本語教本がほしかったのだ。それがひょんなことから氷解した。昨年の10月頃、ある先生の研究室を訪ねたところ、偶然にも森有正直系の教え子のフランス人がいたのだ。先生にその話をしたら興味を持ったらしくその院生に聞いてくれたのだ。そして3週間後、日本語教本の存在が判明した。パリ大学所属国立東洋言語文化研究所にてっきりあるのかと思いきや、訪ねた先生の研究室から5,6分のところにあるフランス語専門の語学学校にあったのだ。灯台下暗しとはこのことである。で、その森有正著フランス語による日本語教本は、以前に某出版社から刊行済だったが、その先生はわざわざコピーをして送ってくれた。表紙を簡単に作成して今筆者の書棚にある。まだぺらぺら捲った程度、これは英語のテキストで長沼日本語教本、あるいは在日米軍関係者が習う日本語教本(優れていると誰かに聞いた)と比較してみても面白いかも知れないと筆者は勝手に思っている。
 さて、森有正である。1970年代に筑摩書房から出ていた総合雑誌「展望」があった。惜しくも休刊を余儀なくされ、当時の新聞の社会面を賑わしたことを覚えているが、その「展望」に哲学的エッセー風の文章が載っていた。遥かなノートル・ダム他、あまり難しい哲学的な専門用語を使わず、むしろひらがなの多用で解かり易く綴られていたが、中心概念のキーワード把握がどっこい解かりにくかった。そう、<経験>というキーワードである。筆者は今もって体験と経験を使い分けする体験は積んだが、思索する<経験>が足りないでいる。しかし、この森有正の本を読んで以来<体験>と<経験>の違いを意識して来たことは事実だ。<続く>

2010/03/24

超人のジャーナリスト・アイ 116 最近の新聞記事から

 毎日新聞朝刊で大学大競争 国立大法人化の功罪と題した全5回にわたる連載記事を読んだ。
1.寄付集め 東大も本気 財源確保へ基金増強 主な大学の世界ランキング 衣装ケースで水槽 メス手作り
広がる研究費格差 旧帝大以外 医学論文8%減
2.非常勤「パート以下」
3..産学官連携、両刃の剣
4.生き残りへ「改革」模索
201003241829000
5.描ききれない将来像
 ざっと見出しやリードを拾った。この連載の最後の方に副文科相のインタビュー記事が載っていた。「国立大は、文化や価値観を生む拠点として重要だ。前政権の(運営費交付金の)削減方針は撤回し、これからどう増やすか考えたい」と答えていた。
 正直言って尻切れトンボ。このような連載は6年前の独法化の時にも朝日、毎日、日経の記事まで集めて読んでいた。2期目の中期計画が来月から始まる節目な時期なのは分かるが。もっとレンジを広げて突っ込んだ記事を読みたかった。恐らく明治期まで遡って建学の精神のゆらぎ、社会変化に対する対応と貢献の実際、緊縮財政下の現状打破、外国の大学の実例などあるいは学問の変化、学者や学生のレベルの問題、研究者か教育者かの問題、私立大学との比較等やはり現象面だけではなく本質論もほしかった。少子化と叫ばれて四苦八苦しているのにこんなに大学は必要か、アメリカみたいなコミュニティ カレッジがなぜないのか、経済負担を軽減した学費は可能か、大学院問題、社会が望む優秀な人間を社会に送り出しているか、大学は財政ばかりではなくその存在理由も問われている。その辺も読みたい情報だろう。疲弊仕切っている大学、特に地方の大学は生き残りに必死なのだ。現場の声の感嘆と悲鳴、もっと息吹がほしかった。【写真左上: 2010年3月18日の毎日新聞朝刊】

2010/03/23

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 56

 もう一つの映画―『風の又三郎』とは別の日に上映したと書いたが、同時上映だったかナオミには記憶が曖昧だった―は、竹山道雄原作、市川崑監督の『ビルマの竪琴』だった。原作は児童読物だがこれもまた、ナオミにとっては『風の又三郎』以上に怖くて、それこそ最初から最後まで観賞できなかった。戦争映画で舞台はビルマ、日本兵が僧侶になり竪琴を引くというごくありふれたストーリー展開は描けるも、メッセージが解らなかった。怖くて何度も前の人の背中に隠れていたから、仕舞いには怖さが先に出て前後関係が繋がらなくなっていたのだ。今でも目に焼き付いているシーンは、水島一等兵が剃髪して僧侶になり、戦友を弔うため、寺院の中で祈りながら一巡するシーンだ。 だが、ナオミには肝心の竪琴を引いていたシーンが思い出せなかった。
 こうしてナオミの公民館での映画鑑賞は、怖さが先行し全体のストーリーが途切れたままで終った。モノトーンの映画は子どもの恐怖感を煽るのに大いに役立ったかも知れない。

2010/03/19

クロカル超人が行く 132 谷中霊園にある馬場辰猪の墓

クロカル超人が行く谷中霊園にある馬場辰猪の墓

 谷中霊園にある馬場辰猪の墓。裏面には明治21年11月1日没行年39、と書かれている。墓地の位置はZ10号左5側。辰猪の弟で英文学者・評論家の馬場胡蝶の墓もこの左側にある。昨年9月19日にフィラデルフィア市街、ペン大学を訪問したが、記憶違いでウッドランド共同墓地にある方尖形(オベリスク)の墓には辿り着けなかった。今回やっと日本の谷中霊園の墓を訪ねることができた。彼岸の日が近いせいか墓地の手入れに余念がない人たちと早めの墓参りの家族にも遭遇した。管理事務所で多少の寄付をして谷中霊園案内図を入手。この地図を手がかりに馬場辰猪の墓を捜し当てたのである。この案内図の裏面には著名人墓碑の一覧があったのでついでに何人か訪ねてみた。その中で特に目を引いたのが、古着屋吉蔵殺しで有名な高橋お傳の墓である。今もって花を添える人が絶えないらしい。その境遇には貧困と差別があったと新しい見方もモニュメントのメモで紹介していた。幸田露伴の小説『五重塔』で有名な谷中天王寺の五重塔跡、『海潮音』の上田敏、政治家・小野梓(土佐の人で馬場辰猪とも親交があった)、社会事業家・渋沢栄一(大きな敷地)、法学者・民法学者の穂積陳重、重遠親子の墓、国文学者・上田萬年、作家・圓地文子、新聞記者・実業家の岸田吟香の墓など。東京都公園協会(09.8)作成のこの著名人一覧には76名が記載されているが、これを見ただけでも日本の近現代史が覗ける。もちろん最近鳩山首相の墓参で話題の鳩山一郎の墓もある。徳川慶喜の墓のある徳川家墓地は広大である。
 10年以上前に多少読んでそのままだった萩原延壽著『馬場辰猪』を読んでいる。NHKの大河ドラマ「竜馬伝」ではないが、馬場辰猪もその時代に学び頭角を表し、やがて福沢諭吉の門を叩き、英語に熟達。英国に留学して法律を学び、最初の著作は森有礼の英語採用論に反駁して国語史上重要な『日本語文典』を書く。帰国後自由民権運動の理論家として轟かすが、板垣退助と対立、外国に可能性を求めてフィラデルフィアで客死。享年39歳。この没後の一切を取り仕切ったのは同じ土佐出身の三菱の創業者岩崎弥太郎の長男岩崎久弥で、当時ペン大学に留学していた。明治初期の人たちはその才能も確かにあったが、やはり相当努力したのである。この萩原延壽の本は面白い。

2010/03/13

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 55

 まだ夢の途中―。今度は顔が強張る場面だった。ジグザグ、ジグザグ―。思わず恐怖で目が覚めた。ここはどこ―。
公民館。映画は日にちをおいて2本上映された。螺旋状の遠い記憶が蘇った。

 ど―どどどとと、ど―どどどとと、かぜのおとがひびく、どこかのどてにたたずむおとこ、ど―どどどとと、ど―どどどとと、ふきつけるかぜのおとがひびきわたる、ここはどこ、わたしはだあれ? ふうけいはのっぺらぼう、まんとをまとったおとこがたっている、とおくにはまっちばこみたいないえいえがたちならぶ、おぞおぞしい、ものとーんの、こうりょうとした、むごんのにちじょう、しょうがくこうのきょうしつのぽつんとしたじょうけい、ここはどこ、わたしはてんこうせい、ど―どどどとと、ど―どどどとと。

 ナオミは思わず目を伏せた。怖い。このモノトーンの映画は風の音が異常に強く、風景はのっぺらぼう、効果音は更に増幅する。

ど―どどどとと、ど―どどどとと、ど―どどどとと、ど―どどどとと、
青いくるみも吹き飛ばせ
すっぱいかりんも吹き飛ばせ

谷川で異様な声が轟く。

 ナオミは怖くて前の人の背中に顔を隠した。後ろの方からは映写機の音もしていた。
 家から歩いて3分の公民館は郷土芸能の練習の場所や大木がある庭はかくれんぼなど子どもの遊び場を提供していたばかりではなく、夜には映画観賞などの娯楽も提供していた。この夜は宮澤賢治原作の『風又三郎』を上映していたのだ。
 ナオミも近所の人たちに混じって映画観賞したのだった。これ以来ナオミはなぜか宮澤賢治作品にはあまり触れていない。


2010/03/12

超人の面白読書 67 PR雑誌『學鐙』最新号を読む 4

 今や売れっ子の亀山郁夫東京外国語大学長の記事は今風である。ちょっと前の話題の本、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』は全冊購入しているがまだ読みかけだ。小論は村上春樹の『1Q84』(これも読みかけ)の冒頭部分のヤナーチェックの『シンフォルニエッタ』の引用から始め、自分を語り、そして『1Q84』は教養教育に打ってつけのサブテキストだと書く。そして「教養知」の力を提案。次に教養の基準を考察。どのような相手を「教養人」とイメージするか、「教養人」と「常識人」の違いは何かの判断基準を置き、40代の中高年世代を想定、文学や芸術作品の中から具体的にアイテムを上げて語る。教養の定義は動機付けに裏づけられた経験の深さと幅広さが欠かせないと。また、最近はやりのツイッターやウインドウズ7などを話題にさらされたらお手上げと言っている。こういう点では「教養人」失格だろうと。
 亀山氏も関わっている日本学術会議。「日本の展望委員会」が作成した「日本の展望―21世紀の教養と教養教育」の格調高い草案に些か疑問を呈し、亀山氏は文科会で文系理系に関わりなく、大学の教養カリキュラムのコアの部分には、音楽と美術の教育をしっかり位置づけないといけないと言ったらしい。教養とは、世代間戦争であり、それぞれの世代が、自分が過去に積み上げたアイテムを絶対化しては、何ひとつクリエーテイティブな成果は生まれない、と。『教養知』とは、感動する心、無意識へと「下降」する勇気だと書き、結局は、他者への寛容が教養人の前提となるかもしれないとこの小論を締めくくる。最後に村上春樹に戻り、あなたを求めている、という告白の上手さにかけて村上春樹に叶う作家はいないと書く。なるほど、この後の小論、リベラルアーツこそ大学の原点の西尾隆氏も国際基督教大学の「平和・安全・共生」の共同研究の過程で村上陽一郎氏から教わったと断りながら、リベラルアーツの価値の核心に「寛容」があると非寛容さの目立つ日本社会にこの精神を根づかしたいと書いている。キーワードは「寛容」のようだ。なかなか易しいようで難しい。他者の痛みが分かる人間が今求められているのだろう。高等教育史が専門の潮木守一氏の小論も欧米の教養教育をひもとき(アラン・ブルーム著『アメリカン・マインドの終焉』にも言及)、現実社会でおきている正規社員と非正規社員の格差問題などを取り上げ、高校・大学の新卒者も大分非正規労働に流れていると書いている。ただ知識だけではなく、その知識を基とする人間観、社会観、価値観を学生に与える必要があると説く。今問題の法科大学院、そのことにも触れた法科大学院とリベラルアーツ、自然科学、現代経済とリベラルアーツと読ませる小論が続く。

 紅野敏郎氏の連載「學鐙」を読むは渡辺一夫(上)。これもなかなか面白い。青山南氏の長い長いしっぽは、インターネットやウィキペディアの話だ。

2010/03/10

超人の面白読書 67 PR 雑誌「學鐙」最新号を読む 3

 「教養」の定義を一応広辞苑の電子版で確認すると以下の通りになる。
1.教え育てること
2.(cultureイギリス、フランス、Bildungドイツ)学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。その基礎となる文化的内容・知識・振る舞い方などは時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。

 教養教育の将来と題する村上陽一郎氏の小論は、大学の教養教育は、1991年の「大綱化」以来衰退を辿ったとし、その真意は一種の自由化だったが崩壊したと「大綱化」の弱点を鋭く突く。次に大学の「学部・学科」には必ず学生定員がつき、そのための予算処置も講じられるが、教養部には学生定員がつかない、教員どうしが造った幽霊団体だと指摘。もともと国立大学では、文部省の元帳には形式上は存在しない構成だという。個別学部・学科にはもともと「法学」や「物理学」を講じる教員がいるし、一般科目として教える教員は、「二級市民」的な扱いになるが、それは教員だけではなく学生も同様に感じていても不思議ではないと書く。村上陽一郎氏は長らく東大で科学史を講じてきた学者である。それは師範学校や旧制高校が「昇格」した大学に引き継がれ、一般教養科目を担当したことと関係すると指摘。旧国立大学で「教養部」を堅持しているのは東京医科歯科大学ただ1校だけだという。教養教育は「基礎専門」という形で学部・学科の教員が基礎的なところを学生に提供するようになったが、一般教養(=全学共通科目)は混迷のなかに置かれているという。また、昨今の大学院事情にも及んで、インフレ現象気味で受験生の間で、東大や京大に入りたければ、学部受験よりも大学院受験の方がはるかに容易だいうのも頷けるという。筆者も大学の内と外から最近の傾向を見ててそう思うのだ。現に東大など学部学生数より大学院生の数の方が多い。大学院自体の価値が薄まってしまったことと今や必ずしも研究者の道とは限らなくなり(あまり魅力がなくなった?)、むしろ一般社会への門戸開放だろうか。そして大学院における「一般教養」の必要性が真面目に議論され始めているらしい。このあと欧米の教養教育の話、アメリカの「グレート・ブックス」やドイツ語のBildungの本来の意味(自分を作り上げること)を確認して村上陽一郎氏は次のように書いて締めくくる。

 如何なる「他者」に対しても、平等にコミュニケーションができる能力を持ち、かつ他者の枠組みに理解と共感を得ることができる能力、そして、自分のなかに作り上げた規距への信頼とともに、それを他者との共感のなかで修正する可能性に開かれているような自分を確保する能力を備えることこそ、教養教育の目的とすべきではないか。形造るは過程であり、動的である。その過程に油を差し、燃料を与えることに将来の意義を見いだしたいと。

2010/03/09

超人の面白読書 67 PR 雑誌「學鐙」最新号を読む 2

 リベラルアーツ、この響きはアメリカの大学の「教養教育」を想起させる。この20年位日本の大学における教養課程の問題がずっと話題になっていて関連書も出ている。大分前に筆者は“教養”問題でテレビ討論していた東大の小林康夫先生や京大の筒井清忠先生を思い出すが。今はそれどころか学生の学力低下が問題になり、教養課程以前の補習を行っている大学が多い。少子化でどこの大学でも学生を確保したいがために副作用も出ているのが現状らしい。教養部や教養学部はほんの一部の大学に残っているにすぎない。
 今回の「學鐙」第107巻 第1号は読み応えがあった。順を追って並べてみよう。村上陽一郎、教養教育の将来、亀山郁夫、世代間の戦いとしての教養、淡路剛久、法科大学院とリベラルアーツ、西尾隆、リベラルアーツこそ大学の原点、山影進、戦争を知らない子供たちから質問のできない子供たちへ、潮木守一、教養教育と価値教育、渡辺正、自然科学とリベラルアーツ、小池田冨男、現代経済とリベラルアーツが特集記事。こればかりではない紅野敏郎の連載「學鐙を読む(197)」―渡辺一夫や青山南の読書案内「長い長いしっぼの先」も読ませる。これで44ページ、通勤電車の中からはみ出して歩行中まで読み耽ってしまった。危ない、アブナイ―。それだけ面白かった。たまたま筆者と関心事が一致したと言うことか。〈続く〉

超人の面白読書 67 PR雑誌「學鐙」最新号を読む 1

Img102_4
 今年のH氏賞は谷川俊太郎氏の中国語の翻訳者田原氏(小冊子「PS Journal」第9号にも寄稿)が受賞(もちろん日本語で書いた詩集で中国人初)と最近読んだばかりの今日、今度は谷川俊太郎氏が第1回鮎川信夫賞を受賞したとの記事(2010年3月8日「毎日新聞」夕刊)。受賞作は6編からなる長編詩『トルムソコラージュ』。特に臨死体験を描いた「臨死船」の評価が高いとの評。筆者はいつだったか誰かの詩か短歌の一部を確認するため、丸の内の書店の棚を眺めているうちに偶然この谷川俊太郎氏の詩集『トルムソコラージュ』を見つけて立ち読みをした。ノルウェーのトルムソを訪ねた時の詩他で成り立つ、挿し絵もきれいな詩集だ。しかし多少驚いたのはこの詩人にしては長い詩で綴られていたことだった。ペーソスとアイロニーが漂っているとは審査員の一人、岡井隆氏の弁。去年だったか、ねじめ正一氏と谷川俊太郎氏の講演を聴く機会があったが、その時にも死を覚悟した詩の朗読を聴いた。
 さて、話は丸善のPR誌「學鐙」最新号を読むだ。丸善も台所事情が余程苦しいのかこの小誌は今回否、前回からか年2回発行で定価500円に跳ね上がり、筆者は些かがっかりしていた。しかも3月下旬には本社を日本橋から東品川に移転するという。書店も生き残りをかけた厳しい環境にあることはこの老舗のPR誌の定価からも窺い知れよう。
特集は「リベラルアーツ」。内容は濃い。<続く>

2010/03/06

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 54

 ナオミは何時間転寝をしていたのだろう。ボイラー室の室温は上昇していた。蒸気も出ていて缶は熱い。配る燃料のおがくずが減少し黒い燃えかすを残していた。ここは居心地の良い小宇宙だ。時間が緩やかに行ったり来たりしている。フロイトやフロムはいない。謎解きもない、あるのは螺旋状の夢の空間だ。行ったり来たり―。

2010/03/03

超人のジャーナリスト・アイ 115 TSUNAMI 情報

 チリ地震の余波は地球の裏側にある日本の太平洋沿岸地域まで辿り着いた。TSUNAMIだ。1960年のチリ地震のときは3メートルもの津波が押し寄せて犠牲者まで出たから、今回の津波情報は某テレビ局など昼前から他の番組をスキップして一日中流していた。確かにマグニチュード8.8はメガ級だが、日本気象庁も津波情報ではデータの間違いもあって精度の問題が問われた。大災害には避難して備えた方が安全だが、より速く正確な予知情報が必要だろう。狼少年の例え話ではないが信頼できる生きた情報が求められる。太平洋沿岸の人たちは着のみ着のまま高台に避難、不安の一夜だったと想像はつくが、誇張された情報のたれ流しに肩透かしを食った格好だ。幸いに大事に至らず収束。被害は床下浸水や海苔や牡蠣の養殖に及んだ程度だ。それでも当事者は大変だ。
  2月27日に起きたチリ地震の震源地に近いところでは揺れよりはそのあとに起きた津波による被害が意外と多かったらしい。メディアは現地から生々しいその被害の現場をリポートしている。今回の地震で死者700人以上、被災者200万人以上と報じられている。ハイチで大地震があったばかり。海底の大きなプレートが動いたらしいが自然災害は恐ろしい。それにしても略奪行為が心配である。今朝のBBC放送もその様子を伝えていた。

2010/03/01

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 53

 友達の松葉杖の話ではこんなこともあった。学校の文化祭で英語スピーチ(15、6人が属していた英語クラブ主催)をすることになっていたナオミだが、スピーチ原稿の英文を書いたが微妙な言い回しなどG先生に添削してもらうことになった。ナオミはノルウェー人の小さな小学校で、自作の英文を読みながら文法的におかしな箇所を一つ一つ直してもらった。その時に例のブラックのタイプライターが活躍した。G先生がそのタイプライターで清書してくれたのだ。そして10月の文化祭に臨んだのだった。その日はG先生も校内にみえて(この当時外国人が学校に来ること自体が珍しかった)、まだ松葉杖姿の友達が(それと他の友達2、3人)各クラブのアトラクションの案内役を引き受けてくれた。渡り廊下から次の教室への移動時に2段くらいのコンクリートの階段があったり、もちろん2階の教室にもアトラクションがあったのでそこへも移動しなければならなかった。ハンドバッグを腕の中に入れ案内図のチラシを左手に持ちながら、外国人のG先生が気を遣って彼の歩行を手助けしていた。どちらがガイド役だったか―。この光景は絵になっていた。
 ナオミの英語スピーチのタイトルは高校野球、約15分の持ち時間をフルに活用して無事終えた。初めての試みで緊張は最高潮に達し、こんな時、例の瞬発運動障害が出ないか不安だった。過度の緊張時に出やすかったのだ。講堂の後ろの座席にはG先生の顔が見えた。やはりthとl、rの発音それにイントネーションには気をつけた。これは小学高学年の時の創立90周年記念日でのスピーチ(この時も原稿は自作、字は達筆な担任のN先生、巻紙だった)、学芸会での野口英世の幼少期役(ほとんど一人芝居)やでっち上げで書いた(本は夏目漱石の『坊っちゃん』を選んだ。時間がなく否、読むのが苦痛だったので、授業中に赤シャツがどうのとただあらすじを追っての殴り書きで仕上げた)読書感想文大会など過去何度かの大舞台以上の緊張感だった。大人になってからは小さな缶ビールを引っ掛ければスムーズに事が運んだが・・・。

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31