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2010/01/10

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 39

 ナオミの父は戦前何をしていたのだろうか。11月3日が結婚記念日だったことは父か母のどちらかに訊いていたから知っていたが、はて、何年に結婚したのだろうか。昭和18年、19年、それともそれ以前か、2人とも亡くなってしまったから今は分からない。恐らく答えてくれたがナオミが失念してしまったというのが正確だ。ナオミはずっと以前に晩年の父に何か書かせようと原稿用紙を差し出したことがあった。結局何も書かずに逝ってしまった。また、当時「H郷土史」を編んでいて、父にも編者が尋ねてきたがインタビューを断ったとナオミは本人から聞いたことがあった。本人としても大したことはして来なかったのだから他人に告げるほどのものを持ち合わせていないという謙遜な気持ちだったのだろうか、それとも・・・・。
 その「H郷土史」の中にナオミの父のことにも言及した文章が書かれている。

 肉役牛として先進地、鳥取県等から畜産組合、農業協同組合が仔牛を導入し、親牛を労役に用い、仔牛を生産して家畜市場に出荷した時代、これが衰えて一部肥育牛を飼うこともあったが昭和50年頃にはこれも消滅した。
 終戦後に栄養の問題がとりあげられ、畜産農家は酪農経営に熱い視線を注いだことがあったが、これより前の昭和16年(1941)、A氏・N氏が乳牛を50頭飼育し、昭和17年S氏と昭和19年田中芳一がある程度の大規模経営にあたった。戦局上その飼育には惨憺たる苦労をなめたといわれる。
 戦後、T市は昭和23年(1948)北海道にN氏外5人の視察団を派遣し、主として雪印乳業関係の牧場・酪農工場を視察せしめた。東京から帰農したばかりのN氏は、宮城県大河原町のO氏の指導を受け、郡内酪農家と連絡して拡充を図り、J酪農農業協同組合を結成して、郡内の乳業者と大手乳牛に原料乳を供給し、当時大手乳業株式会社のT工場誘致を図った。
 H地区の飼育農家数も33戸頭数110頭に達していたが、集荷、輸送及び取引きが円滑を欠き、組合は創立2ヵ年で解散し、酪農家数、飼育頭数ともに漸減して、今は(昭和62年)N氏が専業酪農家として残っているにすぎない。

 ナオミの最も早い時期の記憶では、母屋の奥の棟に牛小屋があって7、8頭の牛がいたのだ。ナオミ、4才頃の記憶だ。ナオミの父は牛飼い、馬喰をしていたのだ。終戦直後はこの商売で儲けたらしい。これは叔父から聞いた話だ。

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