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2009/11/29

クロカル超人が行く 128 ル・クレジオ講演会「フィクションという探求」

 午後3時7分、会場の東大法文大教室第二会場(モニターで観賞)は多くの聴衆で溢れていた。満席。第二会場だけでも300人、とすると少なくとも600人以上は入ったことになる。同時通訳付きだが、レシーバーが筆者の方まで回らず。午後3時10分過ぎ開始。「フィクションという探求 」という題で2008年のノーベル文学賞受賞者のル・クレジオ氏が講演。聞き手は中地義和氏。フランス語の聞き取りは難しかった。もう大分遠ざかって久しいので、本当に所々知ってる単語を繋いでいく、謂わば、手探りの状態、質疑応答を入れれば約2時間続いた。今年69歳のル・クレジオ氏は思ったより若い、ラフな服装で淡々と喋っていた。来年刊行予定の“L'Inconnu sur la terre”Gallimard,1978,p.7 (『地上の見知らぬ少年』(仮題)鈴木雅生訳、河出書房新社、2010年3月刊行予定)と“Ballanciner”Gallimard,2007,p.56-57(『シネマ逍遥』(仮題)中地義和訳、集英社、2010年刊行予定)を朗読。“音”としてのフランス語を充分に楽しんだ。テキストを読めばある程度は解るのだが。この内容はいずれ何らかの形で発表されると思うので、それまでの楽しみとしよう。最後にル・クレジオ氏本人が第二会場まで足を運んでくれて挨拶までしてくれた。日本にフランス語やフランス文学に関心を持っている方がこんなにいることに感謝するとともに、フランスにも日本語や日本文学に関心を持っている人がもっと増えてほしいと。

1963年の『調書』から2008年の『空腹のリトルネロ』(未訳)まで45年間で小説24冊、評論・エッセイ14冊。その生い立ちからフランス中心というよりカリブ海域やメキシコなど中南米を舞台にした作品が多い。初期の言語的実験小説から神話、想像力を駆使したポエジー的小説が魅力だった。最近ではエコロジカルな視点の小説もあるようだ。若い時代にはアンリ・ミショーやロートレアモンについての論文もある。日本映画に詳しく、溝口健二や小津安二郎作品をこよなく愛しているという。
ル・クレジオ氏の帰り際、出口付近で鎌倉の鳩サブレを上げていた女性やサインを求める人たち(ル・クレジオ氏は疲れているのでサインは取り止め)がいた。そうか、美男子だし昔からのファンがいるということか―。

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 24

待てよ、「ミルクプラント」には何かきちっとした意味があるかも知れないとナオミは考え辞書にあたった。すると次のように記されていた。

ミルクプラント【milk plant】=牛乳処理場。農家や牧場から供給供される牛乳を濾過・殺菌し、消費者用に調製する施設。

調製する施設、ミルクプラントには意味があった。そして牛乳処理場。これではあまりにも生々しい。やはりここはミルクプラントは牛乳工房、特にKミルクプラントはK牛乳店、今だと牛乳工房に命名変更した方が時代に合うのかも知れない。

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 23

 ミルクプラント。この言葉の響きは何となく舶来の匂い、いやもともと英語である。日本語に訳せば“牛乳工房”だろうか。「工場」とは言い難いとナオミは言葉の定義に戸惑っていた。そしていつからこの和製英語が日本に入って来て地方に伝播したのだろうか。それにしても当時の牛乳年鑑などを眺めてみると、この手の命名が多いことに気づくのだ。当時業界では流行りの言葉だったのだろう。
 地方では「明るい農村」や「家の光」といった放送や雑誌がまだ幅を効かせていた時代、「ミルクプラント」と外来語風に洒落た名前を付けることで新しい事業をアピールする狙いがあったのかも知れない。


2009/11/26

クロカル超人が行く 127 御茶ノ水駅の聖橋

200911251355000 タモリの「ブラタモリ」にあやかったわけではないが、何気なく日常通り過ぎてしまうスポットに立ち止まって身近な風景を眺めると、小さいながらある種の発見がある。
この御茶ノ水橋からもう一つの聖橋の眺めもそうだ。最近整備されて“マンマル”になった。

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクブラント 22

 ナオミの実家の2階を覗いてみよう。
 階段を上ると上り切ったところが雨戸の出し入れ、左側に欄干、その欄干の真向かいには足踏み式のミシン、また、布で覆われた古いタンスが3棹置かれていた。ナオミにとってはみんな年季ものに映った。ところが、タンスを開けると1円札、50円札や百円札があちらこちらに、挙句には江戸後期の天保銭や小銭もじゃらじゃら音を立てて出て来た。近くには赤茶色の袋に入った何枚もの日本コロンビア社のLP盤と一緒に黒色と銀色が混じった蓄音機もあった。蓄音機はもちろん手動式だった。ナオミはその蓄音機を回したことが何度かあった。音は丸い拡声器を通して出たが、何せ遅い、そのうち回していた手の方が疲れてしまった。
 欄干の脇には着物や雛祭りの道具、冠婚葬祭用の漆のお椀など大事な物が収納されていた赤褐色の長持があったが、なかなか洒落ていて上下に上げ下げする凝った代物だった。長持の脇を通って障子戸を開ければそこは8畳ほどの居間だ。その居間の右手のガラス戸を開けると下に無花果の木、その脇に第二の便所(裏の便所)が見えた。ここは代々その時に応じて主が替わった。古くは叔母、姉、妹と主に女性陣の住みかだ。
さて、雨戸の収納のところまで戻って廊下を左奥に行けば、そこが6畳ほどのナオミの両親の寝室だった。桐のタンスや茶箱に収納されていたのは訪問着用の着物だったか―。
 ナオミの目で母屋をその部屋に纏わるエピソードを添えて描いてきたが、家にはそれぞれ固有の織り成す人間模様が展開する。確かこのナオミの実家は昭和に入って祖父が生家から土地を譲り受けて建てたらしい。ナオミはかつて叔父にそう聞いたのだが。洒落た避雷針、瓦など屋根についての話(それこそナオミたちちびっこいたずら探検隊は、2階の雨戸の出し入れのところから屋根に上がり、頂上まで上るのだが、苔が生えていたところは危険で避けながら上るのだ。そして時々瓦が割れる、そのとき父に叱られはしないかと心臓がパクパクと動くのだった)、雀や燕の巣、軒下をくねくねと面白いように徘徊した話などこの家にはナオミの幼少期の時間が凝縮していた。

おーい、雲よ、
どこへ行く

ミルクプラントの方か

2009/11/25

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 21

 奥の間あるいは奥座敷と呼ばれていた8畳の間、そこには白壁に斜めに沿ってやや急な階段があった。もちろん取り外しが安易にできた。重いが二人ですれば簡単だった。ただ取り外したときに感じる1階と2階の隔たりがナオミにとっては恐怖に近かった。ここでの遠い記憶は、ナオミの母が滑り落ちて膝に水をためたことや暑い夏に階段の下で涼を取っていたことだ。ナオミはよく壁に背中を合わせ、そのひんやり感を味わった。2階から降りてくる風が心地良かったのである。母の膝の水たまりはその晩年まで尾を引くことになる。上京した折りなど駅の階段の上り下りがしんどかったようだ。よく欄に掴まって歩いていた。足腰が弱っていたことは確かだったが。
 ナオミには残念でならなかったことがある。それは母が階段から転げ落ちた原因を訊き忘れたことだった。何回か訊いたが母はその度に惚けてはぐらかした。多分うるさかった姑との葛藤の中での出来事だったろう。嫁いで来てまもなくの時期だったのだろうか。しかし、ナオミにはこの祖母の記憶はない。ナオミが1才1か月目で肺炎で亡くなっていたからだ。この気丈夫な体格のいい百姓女が階段から落ちた、ナオミには想像しただけで可笑しかった。蚤夫婦の典型で、ナオミの父は背丈が低くせっかちであった。この客間、中の間、奥の間のあいだがたまには小さな“運動会”にもなるときもあった。

おいっ、ナオミ! かまうんじゃない!

振り向くと母が箒をもって追いかけて来る。その度に襖や障子戸の開閉の音がうるさかった。

ピシャリ、ガタリ、
ピシャ、ガタ。

S男が泣きじゃくっていた。

2009/11/24

クロカル超人が行く 126 新丸ビル パスタハウス『A W kitchen Tokyo』

 東京駅新丸ビル5階にあるパスタハウス『A W kitchen Tokyo』。パスタ料理のバラエティが楽しめる店だ。夕方5時半頃に店に入ったがすでにメニューはディナーメニュー。筆者は秋刀魚やセロリなどが入ったパスタ、家人はやや辛めのアラビアータ、ペイネ風。太目のパスタは歯応えはまあまあ、店のオリジナル製で形は四角い、セロリやトマトそれに新菊の野菜なども入って新鮮味を出していたが、意外にも焼いた秋刀魚の味が強烈、それに新菊が多過ぎ。また、ガーリックもやや利き過ぎの感じだ。パスタ料理の前に食べた黒いパン、カリカリのこれまた薄く切ったパン、ツナ味っぽいペースト状のものやヒマワリの種といったものまで手作り感に溢れたオリジナル商品が多い。値段が手頃なカリカリポテトフライは美味。全体的にメニューの名前が長すぎ、イメージがイマイチだった。
お店の11月お野菜ブュッフェの手書きチラシには、ヘルシー・ローカロリーゾーン、美肌ゾーン、疲労回復ゾーン、野菜の力!スタミナupゾーンと4つのカテゴリーに分けて20種類のパスタ他を紹介。なかなか発想がユニークだ。詳しくはチラシを!200911231758000200911231759000

2009/11/23

クロカル超人が行く 125  本郷菊坂界隈 金魚喫茶店『金魚坂』






 本郷菊坂の有名金魚喫茶店『金魚坂』。江戸時代から続いている金魚卸老舗。200911231633000喫茶店は2000年かららしい。カフェオレ(750円)やアメリカン(650円)で一休み(多少高い ? )。でも味はいい。喫茶店内は金魚や花の絵などのグッズで埋め尽くされているが、今流行のチェーン店みたいではなく、かなり個性的で一昔前の雰囲気があった。ミニコンサートも開催している。一歩外に出ると、そこは金魚の飼育状況が一目でわかる各種水槽や生けすのオンパレード。携帯カメラで撮っていたら店員の男性が親切にも水槽に電気を点してくれた。金魚も高額のものから珍しいものまで種類が豊富と驚いた。
あのアド街に出演した元気なオバサンは何処に ? 200911231701000

クロカル超人が行く 124 再び樋口一葉ゆかりの地を訪ねて

クロカル超人が行く文京区樋口一葉碑他を訪ねて
クロカル超人が行く文京区樋口一葉碑他を訪ねて
クロカル超人が行く文京区樋口一葉碑他を訪ねて
クロカル超人が行く文京区樋口一葉碑他を訪ねて
 前回訪ねた樋口一葉ゆかりの地から1年あまり、途中までで終焉の地のあるところまで辿れなかった。
ところが、意外にもその終焉の地は白山下の安売スーパー「オリンピック」の近くにあった。そこには今以て花が添えられていた。人気のほどが伺えるというものだ。そこで散策を試みた。一葉が住んでいた長屋、その近くにある井戸や彼女がよく通った伊勢屋質店にも立ち寄ったのだ。運良く閉店(閉店時間は午後4時)ちょい過ぎでも入れてくれた。無料。ボランティアの人たちがガイドしていた。頑丈な造りで筆者も質屋の中に入るのは初めてだ。中の木造などしっかりしていて保存状態がいい。一葉もこの質屋の暖簾を潜ったはずとボランティアのガイドさん。一葉は菊坂に近い本郷丸山福山町に移り住み、2年半後に極貧のうちに亡くなった。この時期に『ゆく雲』『にごりえ』『たけくらべ』などが発表された。明治の庶民の暮らしぶりがぷんぷん匂う、今は昔である。
ふとまた外に出た。坂があり、路地があり、植木があった。そして秋の夕暮れの風情があった。

クロカル超人が行く 123 秋の六義園







今年の紅葉見は京都や鎌倉ではなく、都内にある大名庭園で名高い『六義園』。五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702)年に築園。和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」。明治時代以降は三菱の創業者の岩崎彌太郎の別邸だったが、昭和13(1938)年に東京市に寄付、昭和28(1953)年に国の特別名勝に指定された。内庭大門→出汐の湊→妹山・背山→臥龍石→蓬莱島→石柱→滝観の茶屋→つつじ茶屋→藤代峠→ささかにの道→渡月橋と江戸情緒を回遊しながら楽しめる。(入場券300円の六義園のパンフレットを参照)
今年のカエデはいかがだったか。

晩秋の雲ひとつなし庭園に紅葉は映えて笑みまた放つ

紅葉。年々その色付き具合がイマイチと気になるところ、やはり天気だけが知っていた。黄色がやや足りない感じで風景に艶やかさがなかったようだ。残念である。それでも自然が織り成す紋様を今しばらく楽しみたい。
写真はいずれも筆者の携帯カメラで撮ったもの。

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 20

 家に帰ってからナオミの末弟S男の身体に異変が起きた。お腹に激痛が走って下痢が止まらず、更に発熱、しばらく様子をみるも一向に良くなる気配がなかった。終には掛り付けの医者を呼んだ。ナオミなど周りの人たちは大慌てだった。こういうときに限って両親が留守だった。滅多にないことが片方は旅行、もう片方は大病という両極端で起きたのだった。親代わりに呼び出されたのは父親のすぐ下の弟の叔父だった。このことはすでに触れた。この叔父はナオミの記憶が正しければの話だが、一度実家に強制的に返されたことがあった。株か何かの失敗で婿に行った先の家からお仕置きを受けたのだ。
 そばでそれなりの看病をしていたナオミには末弟S男が時折うわごとをいう度にこのまま逝ってしまうのではと大いに不安がった。
 危篤状態から回復に向かったのはそれから1週間位経ってからだった。

2009/11/20

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 19

 その奥の部屋にはナオミにとって忘れられない出来事があった。3才の幼子が熱に冒されて死を彷徨っている姿だ。ナオミの末弟である。もう、大分昔だが、あの夏の出来事は一大事であった。しかも両親が初めて近所の人たちと夫婦揃って山形方面に旅行に出かけていた日だった。親代わりにナオミの叔父が呼び出され終始付き添った。やや甲高い声とせっかち風な仕草が叔父の特徴だった。ただM医院の院長が駆け付けて治療にあたる以外は手の施しようがなかった。だから呼び出されて来たものの、叔父は布団に入って眠りこけているだけだった。それがナオミには可笑しかった。末弟は何が原因で病臥、いや死を彷徨っていたのか。夏の暑い日の午後―確か旧盆の送り火だったか―近くのN川にお盆の飾りものや供え物を片付けて船にして先祖を送り出す精霊流しの習慣があって、その日が近所の仲間と行く日、幼い末弟もナオミたちと行ったのだった。仏壇を飾った笹や竹で舟を形作ったところにぶどう、梨、桃、トマト、なすやきゅうり、おはぎやお菓子などの供え物を蓮の葉でくるんで入れて持参するのだ。各家庭で自ずと舟の形が違っていた。そしてひとかたまりになって、大人が子供を引率するのだ。この時期は夏の真っ最中、肝試しも行われたのだ。
N川の畔に着いた。ここでハプニングが起きた。ねえ、S男ちゃん、まだ食べられるから、飾ったぶどう食べてみてよとやや小太りでガラガラ性格のTさんが悪ふざけで言った。TさんはしばらくKミルクプラントに勤めていた。主にアイスキャンディを作っていた。オッパイに似たアイスキャンディも作っていて、時折茶目っ気たっぷりに自分が作ったアイスキャンディを胸あたりに当ててみせた。下ネタが好きな姐さんといった女性だった。

 すると幼いS男は本当にその供え物のぶどうを口に入れてしまった。


2009/11/19

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 18

おいっ、こら、父の声が畳の向こうで聞こえた。
 
ナオミは急いでその画集を元の場所に戻した。見つかったら大変な本だという。
 この客間は神棚があった6畳間それに障子戸の後ろが2畳くらいのスペースだった。隣は仏壇その下がナオミたちの持ち物を入れたタンスや着物他が入った桐のタンスが置かれた6畳、次が襖で仕切られた8畳ほどの場所に赤っぽいタンスや布団や洋服掛けが置いてあり、そのタンスの脇には2階に通じる少し急な階段があった。不思議なことに、例の客間の奥まったところから仏壇の後ろは狭い通路にもなっていて、古い仏壇があったりとあまり近付けなかったところだ。ちょっとした取っ手で開閉できたが。奥の部屋と言っていた8畳の部屋の奥の方には障子戸で仕切られた6畳ほどの納屋があった。その昔は何かに使っていたらしいが、がらくたの寄せ集めで埃や蜘蛛の巣がかかっていた。

2009/11/17

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 17

 この絵は戦争画だ。従軍画家が描いたものか、絵の上手い一兵卒が描いたものかは知りえないが、一枚一枚めくるとその臨場感が伝わって来るのだ。戦場へ駆り出された兵士の日常がここにはあった。恐らく中国大陸での戦争画だろう。ある絵には諦めたのか死を意識して帽子を被った兵士の表情が微細に描かれていて悲惨だった。めくるわくわく感どころか却って、めくることへの戦きがあった。今までなぜこんな奥まったところに封印されたまま置き去りにされていたのか、ナオミは不思議でならなかった。祖父か父の関係者がくれたものなのか、あるいは預かってほしいと置いていったものなのか、ただ想像を巡らすだけだった。それにしても自決のシーンの短刀、ナオミにはその日から脳裏に焼き付いて離れなかった。この外箱に入った長方形の画集は日露戦争を描いたものらしい。
ナオミの父は先の戦争のときには徴兵検査で落とされて戦争に行っていない。どうしてかと叔父あたりに訊ねると初期には背丈が基準を満たさない者は徴兵検査で落とされたという。代わりにすぐ下の弟が行かされたらしい。いつだったかそのナオミの父のすぐ下の弟の叔父が、実家に来た折りに先の戦争時に戦地で人を殺した記憶がありますかと質問したことがあった。自分が非常事態で必死に生き延びなければならなかったからともかく逃げ回ったという。ついに人を殺したかどうかの真相は聞き出せなかった。

2009/11/16

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 16

 次に出てきたのが新聞紙にきちっと包まれた古びた画集だった。ただ単なる画集ではない。空恐ろしい光景が次々と描かれているのだ。一瞬目を逸らしたくなる場面が方々に散りばめられている絵、そう、地獄絵?えっ、これはなんだ、この日本刀での自決、お互いに刺し合っている、日本刀が舞台、いや、ここは戦場だ。この兵士は、どうした? ナオミは感情の昂ぶりを感じていた。

2009/11/14

超人の面白創作 詩  ニューヨーク ニューヨーク ニューヨーク

Early fall in New York City
A Public Space, recentest issue, tells an suggestive phrase :
The most essencial gift for a good writer is a built-in, shockproof shift detector.―from P.178

ニューヨーク
ニューヨーク
ニューヨーク

黄金色にはまだ早い
超高層ビル
陽は輝きを放って

ブルックリン橋
ニューヨーク市庁舎
ウォール街
キャナルシティ

散歩の達人も驚く
歩き方は
ダウンタウン
チャイナタウンから
ソーホーへ

歩け歩け
さらに歩け

ウインドウショップ
が語る
小綺麗
艶やか
移ろい

あるいは空室
あるいは引っ越し

みんな慌ただしい
みんな急いでいる

グランドゼロ
西日に照らされて
大きな影が覆う
クレーン車も動きを止めて

ぞろぞろ
ぞろぞろ
帰宅時間

いろんな人達が
仲間と喋っている

ニューヨーク
ニューヨーク
ニューヨーク


セントラルパークの東端
ベンチに座って
歩いた足を休め
ストリートミュージシャンに耳を傾けて

木々は黄色いに
有名なホテルの前は
人だかり

歩け歩けも
take a break

久し振りに見る
マンハッタンミッドタウン光景はさらに
お上りさん
外国人

名物のイエロータクシーもクラクションを鳴らして

welcome
welcome

地下鉄コロンバス サーカス駅を上がると
大きな影がビルに出来て
思わず立ち止まる

ニューヨーク
ニューヨーク
ニューヨーク

ヤンキースタジアムで
冷えたグラスでビールを飲めば10ドル

秋が嗤う

ジータが
ヒット
マ・ツ・イが
ヒット
その度に応援ミュージックがけたたましい
ヤンキースタジアムは
騒々しいのだ

最寄りの地下鉄駅からブルックリンへ
ブロンクス
マンハッタン
ブルックリンと

かつての地下鉄とは
違って治安がいい

人がおだやか
人がまろやか

落書はない
車内がいい
みんな冷静だ

思わずここはどご
わたしは誰

でもDOCOMO同じ
聞こえる話は
あなたどう?

ニューヨーク
ニューヨーク
ニューヨーク

メトロポリタン美術館
グッゲンハイム美術館
ニューヨーク現代美術館
には行けなかったけど

触れたのは
ブルックリン美術館の噴水
何度も
何度も

浮世絵
未公開
否エジプトコレクション
これはナンジャ

見忘れたのか
現代アートのMURAKAMI某氏
浜田何某は
あった

それより
take a break
coffee break

Oh what good taste !

歩き目です
ユーリカ !

ニューヨーク
ニューヨーク
ニューヨーク

■■■■■■■
□□□□□□□

[短詩]
オバマのニホン

オバマのメリカ
オバマのマスク
剥がれそう

神戸ビーフ
マグロの大トロ
注文の多い料理店も

笑った

オバマのニホン
日本のオバマ

カマクラの
ダイブツ

ブツブツ
おお アジア

―――

■■■■■■■
□□□□□□□

2009/11/13

クロカル超人が行く 122 飯田橋駅 餃子の店 『おけい』

200911102045000_2 飯田橋駅から徒歩5分ほどにある餃子の店『おけい』。警察病院(工事中)のすぐ近く、ラーメン専門店『青葉』、『龍朋』、『メルシー』などが並ぶ一角にある。二週間前にJR宇都宮駅ビル内の餃子の店『民民』200910241656000_2
で食べてきたばかりのK子の頼みで訪ねたが、時計の針は8時半を回っていた。お客さん、ラストオーダーですが、よろしいですかと女性店員。店はほぼ満員で二人掛けテーブル一つだけ空いていた。3人ですがいいですかと座ろうとすると、奥のテーブルが空きましたのでこちらへどうぞ、ともう一人の女性店員の声。ラッキーだった。何せかつて神保町にあったとき以来だから、何と21年ぶり以上になるのだ。餃子3枚お願いします、それにビール、とりあえず2本とつまみに茹でもやしを注文。頼んだビールを飲んでいると、5、6分後には餃子が出てきた。速い。外はパリパリ、中はもちもち、ジューシーである。これがそのときに撮った写真。美味しいものには目が無い2人はペロリと平らげて平然としていた。もっと食べたかったが残念、閉店だった。宇都宮の餃子とどっちが美味しい?この質問は愚問か―。また、この店のタンメンも美味しいらしい。老舗の貫禄か年配者も多かった。何故かグリーンが映えた不思議な空間だった。こうして飯田橋の夜は更けたのだった。

2009/11/12

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 15

 埃を被った本が出て来た。B5版よりやや小さめの大分茶色っぽく変色した本だ。しかも何冊もだ。内容はやたらとドイツ語や賃金、階級性や社会問題、カール・マルクスといった言葉が出て来る難しい本だった。ナオミは埃を払いながらそれらの本を何ページかめくった。味気ない表紙、活字は鍵括弧や傍点が多くて読みにくかった。内容は社会問題を扱ったものらしく、小学生のナオミには難し過ぎたが大いに刺激された。恐らく父が戦後すぐに買い求めた品々だろうか。いろいろと考えるところがあって本を読んだのだろうか。ナオミは今は亡き父の青年期に想いを馳せた。この本がナオミにとって後にドイツ語を自習するきっかけを作ったのだった。

2009/11/02

クロカル超人が行く 121 神保町古本祭り 続

 雑誌「人間」の昭和21年9月号には神西清、坂口安吾、太宰治や草野天平、昭和24年3月号には丹羽文雄、川端康成(「少年」)、徳永直、北條誠、加藤周一(連載第3回「ある晴れた日に」)、西脇順三郎(「冬の會話」)、正宗白鳥や森有正などそして3冊目は昭和24年7月号、佐々木基一、伊藤整、鮎川信夫(「現代詩とは何か」)、矢内原伊作、三島由紀夫(「一青年の道徳的判断」)、中島健蔵(「平和運動の前提」)、加藤周一(連載第7回「ある晴れた日に」)などが執筆。戦後最も早い文芸雑誌の書籍広告主は実業乃日本社、前田出版社、角川書店、養徳社、小山書店や斉藤書店。発行所 鎌倉文庫、編集人 木村徳三、発行人 岡澤一夫 定価6円(送料50銭)。
この雑誌「人間」の昭和21年9月号の編集後記の冒頭の書き出しはこうだ。
日本が戦争に敗れ去った原因の最も大きい一つに、端的に云って、われわれが真に近代に生きていなかったということがあげられるであろう。
筆者は編集人の木村徳三氏が編集者生活を綴った本を大分前に読んだ。

2009/11/01

クロカル超人が行く 121 神保町古本祭り

クロカル超人が行く神田神保町古本祭り
 江戸東京博物館に用事があって、そのあと2、3買いたい古本があったので神田神保町古本祭りに行った。ちょうど午前と午後の間にメインストリートのさくら通りに到着、サルサラテンミュージックが演奏中で祭りの盛り上がりを感じさせた。この通りは老舗の書店が構える有名なストリートだが、また、古本祭りでは参画有名出版社が軒を並べることでも有名である。しかもバーゲンセールのオンパレード、食べ物飲み物まで安い。秋晴れの絶好の今日、やはり人手は多かった。家族連れ、カップル、中高年の元気な連中と様々、ただ昔いた本のマニアが少ないかなと筆者などは勝手に想像してしまった。何社か知り合いの出版社を尋ねたが、昨日の方が良かったらしい。規模は全国区、否世界区だろうか、外国人がもっともっと来てもおかしくないのだが。アピールが足りないか―。
筆者は戦後すぐ出た雑誌「人間」のバックナンバーを2、3冊と序でに3冊をストリートを歩いてゲット。

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 14

 ナオミは試しに破けた障子穴から薄暗いその奥を覗いてみた。黒光りした戸棚が上下に、その左下の一角がほんの少し開いていた。そこから蜘蛛の巣だらけと溜まった埃が見えた。何があるんだろう、埃の下に固まりのようなものが二つ三つあるのだ。しばらく覗いていたが、父が近づいてきたため一旦止めた。
数日後ナオミとヒロミが今度はその障子を開けて左下の戸棚に近づき、その前にあるちょっとした廊下に座った。さて、開けていいものか迷いに迷って、まずは父がそして母がいないか確かめた後、えぃっ、とその黒光りした戸をこじ開けた。

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