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2009/10/31

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 13

 ガラス戸の玄関を開けると小さな板の間があって左側に使い古された事務机、右側すぐ脇が下駄箱、その上が開閉式の物置、障子戸を開けると6畳一間の客間と続くナオミの母屋には、右側に電話台兼伝票や判子などが入った引き出し五段付の小物、中央付近に炬燵台、左奥隅にテレビ、その奥はやや大きめの障子戸で仕切られていた。昔使っていたところらしく薄暗かった。客用の食器具が置かれた戸棚だったか。その奧は戸を開けて(滅多に開けられることはなかったが)一歩外に出ると裏の第二の便所だった。家と外は竹柵で仕切られて、細い桐の木、無花果の木が母屋の裏手にあった。その脇は生活道そして用水路が流れていた。
いつだったかナオミはすぐ下の弟ヒロミとその昔使っていた薄暗い空間に立ち入ったことがあった。いつも子ども心にこの奧には何があるのか秘密めいた空間をこじ開けたいと考えていたのだった。単なるがらくたの集まりか、興味は尽きなかった。特に雨の日の夜は気持ちが悪かった。激しい雨音がトタン戸を叩くと、その混じり音とともにガタガタガタッ、ところが、途中からチュチュチュッの音に、あっ、ネズミだった。
障子に小さな穴を開けて薄暗い一角に恐る恐る手を差し伸べたナオミと弟ヒロミ―。

2009/10/30

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 12

 ナオミの家の夕食は多いときには2世帯12人くらいが飯台を囲んで食事をしていた。だから刺身が食卓に出れば何と2切れしか口にできなかった。その皿から取り出す速さの速いこと、一瞬なのである。釜は2つ、大きな鍋に入った味噌汁、その味噌もその昔は母の手作りで塩辛く白菜などが入っていた味噌汁が多かった。豆から味噌を造るのだが、豆を煮込む大きな鍋それにそれを炊く臨時の場所―薄緑色がかった四角い柔らかい石で作られていた―が母屋とミルクプラントのやや母屋よりにあった。捏ねて四角い形にして縁側に置いて黴らせるのだった。その縁側の左端近くには牛乳キャップが細長い筒に入って無造作に置かれていた。

2009/10/29

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 11

 勝手口付近はまた、自転車2台と125CCのバイクの置き場でもあった。ナオミの中学高校時代、夜内緒でこのバイクを乗り回していたものだ。ガソリンの減り具合と交番を気にしながら。
 勝手口を入ると五右衛門風呂の風呂場、籾殻や木っ端などが燃料で風呂場自体は新旧混在していたが比較的広かった。ナオミが思い出すのはこの風呂場で盥を出して兄弟姉妹が各々順番待ちで洗濯をしたことだ。ナオミの家は自分のことは自分でする不文律があって日曜日午前中など待ちの時間があったのだ。その間ラジオを聴いたり片付けをしたりしていた。風呂場の先右側に道路から小川(半分汚染されたどぶ川否溝)を渡って入れる勝手口があり、囲炉裏、その先に炊事場がある。手前が洗い場、その上が食器棚、奥にかまど(”へっつい”と言っていた)があった。飯台がかなりのスペースで鎮座していた。誰に聞いたか確か母だったと思うが、その飯台は脚が座敷用に短く切られて不自然だった。これはね、ナオミ、お祖父さんが一家団欒にと切ってくれたのだよと母が自分の父のことをほのめかした。その祖父は1000メートル近い山の麓の開墾地に家を構えて山林業を営んだ男だ。ナオミはその祖父の葬式には母と行ったが、当時としては異例の人数で途中まで数えて諦めたほどだ。一千人はいた。長い長ーい行列だった。村長までやった人と聞いた。ナオミ、酒飲め、茶碗に並々ついでくれた。小学生の低学年にだ。まだ葉煙草や梨畑が裏にあった囲炉裏で濃い睫毛が特徴の祖父が悪戯っぽく語ってくれたのが懐かしい。

2009/10/28

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 10

 勝手口の手前に多少土盛りがあって堅い、特に雨降りの日などでこぼこができて滑りやすくなっていた。よく子供ながら滑った。そこでは正月や祝い事があると納屋から出して餅つきに変わるのだ。これが重いキネなのだ。何時だったか捏ねる役の母があまりにも丸い臼がぐらぐらするのでさらに平らな方へと何回も微調整していた。また、ナオミが今も思い出しては笑ってしまう出来事があった。それが井戸。教訓めいた童話そっくりなのだ。あれは骨を咥えた犬が橋の下の川に映る自分の姿を見て欲しがり肝心な咥えた骨を失うというイソップ童話なのだが、こちらは深い井戸に映る自分の姿を見てつんのめりそうになる怖い話なのだ。しかも手元の土台が動くからなおさら怖い。底の井戸水は透明で自分の姿がよく見える。周りは茶褐色一色、このバランスが絶妙、ひんやりした井戸の空間と危険極まりない人間との関わり、それはあの童話の話ではないが、本当に起こったら笑えない。事実誰かが井戸の周りで遊んでいて後ろの子どもが擽ったりして笑わせ、その前の子どもが井戸の中の水に映る顔に見惚れて落ちそうになった。すると釣瓶が落ちて引っ掛かり助かったというのだ。命拾いした危険なエピソードだ。

2009/10/27

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 9

 ナオミの実家はT駅からバスで12、3分、Kバス停から徒歩2分のところにある。この辺は道路に沿って集落があるが一歩中に入れば田んぼだ。道路から入って左側に薄黄色の板壁の上の方に青色でミルクプラントと書かれた“工場 ”があり、右折してまっすぐ行けば玄関、右側すぐにはボイラーの燃料用のオガクズと木っ端置き場、仕切られてあるその前がくたびれがかった水槽と洗い場それに手前の部分がかけていた深い井戸と南天に囲まれた氏神さま、臼やキネの餅つき道具などがある物置小屋、大小に仕切られた便所そして勝手口、これが実家の右側の棟である。

2009/10/26

超人の面白ラーメン紀行 128 町田市『胡心房』

超人の面白ラーメン紀行町田市『胡心房』
 玉川学園で用事を済ませた後、筆者はJR町田駅から5、6分のラーメン店『69'n'roll one ロックンロール ワン』を再訪しようと思いJR町田駅から反対側に渡ろうと線路沿いに道なりを歩いていた。すると10人くらい並んでいる店を発見。こんなところに何?店を見るとKOSHINBOとある。はて、以前にも捜してなかった店、女店主の、その店だと解った。急遽『69'n'roll one ロックンロール ワン』行きを取り止めて並んだ。待つこと35分、やっと券売機でこの店の一番人気の味玉らぁーめん(800円)を購入してカウンター席に着いた。6、7分後頼んだ味玉らぁーめんが出てきた。スープの量はアレンジできなかったが、麺の硬軟は加減できた。一振り、豚骨ベースのスープはまろやか、麺は極細ストレート系、トッピングは味玉、超やわらかのチャーシュー、刻みネギ、メンマ、少々の昆布、海苔そしてヘルシーラーメンを演出するレタス、完食である。途中店のスタッフが麺の硬さはどうですかと突然訊きに来たのには驚いたが(多少茹で過ぎ)、厨房を覗いたかぎりなかなかウーマンパワーも凄いなと感心させられた。まろやかヘルシーラーメンが売りのようだ。ここでもとろけたチャーシューに出会えた。ラッキーである。
らぁーめんは700円、メニューはヘルシー系のラーメンが目立つ。カウンター席10人、小さなテーブル席5人の15人で満杯のこじんまわりした店で全員が女性という珍しいラーメン店だ。そう言えば、客の15人中7人が女性だった。少し気になったのは何某の顔を映し出したラーメンチラシの多いこと、些かうんざりである。
町田市『胡心房』①スープ★★☆②麺★★③トッピング★★★④接客・雰囲気★★☆⑤価格★★

追記 2016年3月26日のフジテレビ土曜日昼の番組「正直女子さんぽ」は町田。柳原と菜優の女子二人がランチで入ったラーメン店『胡心房』。豚骨ヘルシーラーメンは、お魚豚骨を低温処理することで脂を少なくしてあるためヘルシーと女性店長。一方、飯尾と関根の男性二人は、『胡心房』の近くにある豚骨と魚介のWスープ「ヌードルズ」に。元ホテルマンが夫婦でやっているラーメン店。男性陣も女性陣も美味しかったと満足気。(2016年3月26日 記)

2009/10/25

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 8

 ナオミの実家・生家をここで出来る限り子細に再現してみよう。すでに書いたが、この家は壊されて新築されている。だから当時を偲ばせるものはほとんどない。今でもあるのは危険だけからの理由でもなさそうな、コンクリートで頑丈に出来た蓋のある井戸だ。2階建てで多少建て増ししているから変形である。強いて言えば、L字型の格好、前がミルクプラント、その右脇に棟が続いている。何人かは確実に入れる冷凍庫と冷蔵庫、アンモニアで冷却する大きな冷菓ボックス―ここで各種のアイスキャンディーが作られたが―、アイスモナカなどを作る出し入れ可能な冷菓機械、瓶、缶、大小のビニール袋、モナカや蓋類に赤、黄、青色など各種の甘味料や香料の入った瓶類、検査器具などが置かれた部屋などがある棟、その前に手動式の研磨機、鎌、鍬、万能などの農機具が無造作に置かれた小さな納屋、その右奥にはその昔は牛小屋だったところに、手動の簡便な木製脱穀機、動力脱穀機、俵、杭、稲穂干し用の何本もある長い棒、リヤカー2台、一輪車のネコ、合羽、ムシロ、米の貯蔵庫、大量に積み上げられた藁の束、風呂炊き用の籾柄、木っ端や松の枯れ木が所狭しと積み上げられた天井が高く比較的大きな2階造りの納屋、そしていつまであったかは忘れたが、ややくたびれかかった二層式の木造家屋があった。ナオミらが家の空き地―母屋の井戸の近くがホームベース、小さな手前の納屋の近くが一塁ベース、二塁は冷凍庫や冷蔵庫、冷菓ボックスがあった戸口の近く―で三角ベースボールをして遊んでいたときなどボールがその屋根に上がれば登って取りに行かなければならなかった。ところが、そろそろと上り歩かなければ屋根敷が崩れるのだ。一度ドスーンと落ちたことがあった。ナオミの弟か近所の遊び仲間の一人だったかは記憶が薄れて分からない。かつてはその二層式家屋の手前左側に鶏小屋、多少の溝があってその後ろの方に細長い豚小屋があった。その豚が一遍に13匹産まれたときには祖父と俵に詰めるのが大変だった。黒豚もいた。また、うさぎ、犬猫もそして先ほど書いた奥の2階造りの納屋の藁に囲まれた奥隅にはアオダイショウとシマヘビもいた。そしてその豚小屋周辺が葱やじゃがいもも植えられた畑、ミルクプラントの裏側には桐の木や無花果の木があったのだ。これがナオミの現風景、実家・生家の外観だ。
 因みにナオミは実家の生業についてネット検索を試みた。すると全国牛乳年鑑・昭和37年版にKミルクプラントの記載があった―。


2009/10/24

クロカル超人が行く 120 牛乳博物館

 今書いている携帯連載小説のために、東京を越えて茨城の西端の古河市にある「牛乳博物館」 を取材した。古河市は昔N取次店のT部長の出身だと何かの会合で聞いた以外は何も知識を持ち合わていない。武家屋敷の名残、商家の町割や神社仏閣がある古い町でその象徴的なのが古河城である。そんなごく普通の田舎町に「牛乳博物館」はある。午後1時にアポ取り訪ねた。少し早かったので1階の施設を一巡。昭和20年代、30年代に使われていた乳業用機械類が展示されていた。その中に見た覚えのあるものが3、4つあった。一つは集めた牛乳を貯蔵したタンク、Dscf0838_2
大は昭和20年もの、小は昭和30年ものだ。これには覚えがあるどころか、幼くして労働の苛酷さを味わったほど。ほんとにこのタンクの掃除が大変だったのだ。周りに付着した黄色い脂肪分、これを長靴を履いてホースとタワシを使って落とすのだ。さすがにステンレス製だからホースで流し終えてきれいになった瞬間は達成感もあった。これが毎夜悪夢のようにある時間が来るとこの掃除の作業を繰り返すのだ。瓶詰めの機械も懐かしい、Dscf0841
結構戦後初期のものか。それと殺菌用のモーター。ここには今となっては貴重な品々が並んでいた。

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 7

 ナオミは小さいときから母屋とは別の場所で寝起きしていた。わずか畳二畳の狭い部屋だった。祖父と一緒で朝と夜は食事を運んでもらったり、自分でも運んだりした。時折入る鉄製の四角い入れ物が風呂代わりであった。鉄製だから手など触れると熱い。このお湯はどこから持ってきたのだろうか。沸かしていた記憶がない。確かすぐ隣のミルクプラントから窓越しにパイプで引いていたはずだ。その鉄製の“風呂”で祖父の身体を手拭いでごしごしと洗った。祖父はいつだったか植えた苗がうまく育っているか近くの田んぼを見に行った軒先の豚小屋近くの柿の木の下で倒れた。中気であった。遠い記憶はさらに祖父との死別を思い起こさせてくれる。当時は今と違ってまだ土葬でまた、葬儀所もほとんどなく隣組と菩提寺との連係で執行されるのが普通だった。駆け付けたホームドクターのM医院の院長がご臨終ですと告げると、ナオミは祖父のその特徴的な多少長い睫毛から顔全体を見入り、そして手のまだある温もりを感じて一旦祖父の身体から離れた。何年か一緒だった祖父は死んでしまった、逝ってしまったとナオミは悲しみを押さえることができず、一晩中呆然と祖父の遺体の前にいた。翌日親戚の人たちが駆け付けた。遺体はきれいにアルコールで拭かれ、来世に行くための準備が整えられた。白装束に着替える役柄はナオミがすべて担った。袖に手を入れる、すると動くものとすっかり思い込んでいたから、異常な力が多少必要だったことに気づき、あっ、死んだのだとその時やっと実感したのだった。昼実家で行われた祖父の葬式は古い家屋のせいか、室内は暗く障子窓を外しても外との明暗はくっきりしていた。今でもその光景が目に焼き付いていて離れないのだ。薄暗いなかでの葬式準備、息子娘叔父叔母など親近者でごった返し、外は近所の人たちが集まってきていた。その家の中から外へみやる視線にある画家の絵の構図をみたナオミ。この地方では詩人の草野新平もその詩に書いたことで多少知られているが、葬式のことを“じゃんぽん“と言うのだ。この響きは木魚の叩く音を連想させて可笑しい。

2009/10/23

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 6

 その事故の様子はこうだ。遊びに来た女の子や男の子4、5人が堀こたつを囲んでトランプか何かで遊んでいた。そのうち誰かが足を少し動かし何かを蹴飛ばした。すると熱いお湯が誰かにかかったのだ。あちっ、その足はたちまち水ぶくれし悲鳴を上げた。さあ、大変、早速事故の手当てだ、馬の油を塗りその上にガーゼをあてて包帯をした。しばらくは我慢との闘いだった。
 実は堀こたつは炭火で暖を取っていてその中央には鍋がかけられていたのだ。おそらく少し温めたら引き揚げるつもりだったろう。それが子どものひょんな仕草で思わぬ事態が発生してしまった。それが不幸にもナオミに降り掛かり、大火傷をしたのだった。学期は冬、足の火傷の手当てはホームドクターのM医院の院長自ら診てくれたが、やはり1週間は学校を休んだ。そのあとは父がトーハツ製のバイクで送迎してくれた。教室がちょうど校舎の後ろ側の右端の方にあって、その前には花壇があり多少高台になっていた。そこにバイクを乗り付けた。乗り降りには苦労したが、父が乗降時にバイクを斜めに倒してくれたおかげで大分足の負担が軽減したのだ。
 こうして父と二人三脚の“バイク通学”が3週間続いたのだった。

2009/10/22

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 5 

 事故といえばもうひとつ、ナオミには忘れられない体験があった。今その痕跡が自分の身体の下の方、股下からさらに下へ、限りなく下、下、下へ。結局足に辿り着くのだが、その右足の甲に微かに白いものが真中よりやや指先寄りに小さな模様を描いて残っているのが見て取れる。これがもうひとつの事故の証拠だ。小学1年も終わりの正月だったろうか。昔は隣近所がユイと言ってお互いに労働の貸借をしていたりしてまた、情報の交換の場としてなど隣近所の役割はずっと大きかった。まだ農業が盛んだった時代、みんな何がしらの互助の精神が働いていたのだった。そんな時代の田舎でのほろ苦い体験だった。ナオミちゃん、うちにいらっしゃい、美味しいものあるから。はい、とすぐ後ろの酒屋さんに出かけたのが運の尽きだった。今思えばだ―。

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 4

 ナオミはこの事故をずっと忘れかけていた。体育の時間や運動会、特に100メートル走などの短距離競走のスタート時と疾走時に悩まされた瞬発運動障害や6月の梅雨時期には何となく手を頭の後ろにあてていないと鈍痛が走るむちうち症状はいつの間にか消失していた。それはこの交通事故から完全に治癒するまでなんと20年くらい要したことになる。実家に帰るたびにそのむちうち症状などを父親や母親に話すと、ナオミ、それは栄養失調症の症状だと笑って取り合ってくれなかったのだ。
 また、ナオミの目は左右の視力の差が極端にあり過ぎて、どちらかで視ているせいかときどき疲労が募るのだ。これもこの事故のせいかと思いたくないが、その前後のデータが今はない。かつて実家に小学校の通信簿がタンスの隅に学年順に重ねて置いてあった。その通信簿―中学、高校の時分にそのタンスを開けたついでに、チラリ、ニヤリとして半開きした通信簿を見入ったものだが―には視力の数値も書き込まれていた。それが実家の新築の餌食にあってきれいさっぱり消え去ったのだ。だから残っていない。いや、正確に記せば残っていないらしい。はては、新築してから3、4年後くらいに、ミルクプラントがあったところを後に住まい用に改築された家が火事になった。そのときに全て無くしたのだろうか。

2009/10/21

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 3

 その時の記憶はナオミには完全に消えていた。フランス映画にもよく見られるような場面、一瞬の記憶喪失だった。モノが激しく衝突する時に起こるらしいのだ。ナオミも気が付いて足の膝あたりにガラスの破片が入ったのか手で擦っていた。ナオミ君、大丈夫と近所のおばさんが心配して声をかけてくれた。緑色の大型トラックと衝突した瞬間からパトカーに運ばれて家の勝手口から入り囲炉裏の脇の畳の上に腰掛けるまで記憶が途切れた。それはもちろん今もってナオミには消えた場面展開だ。あの時どうしていたのだろう。

2009/10/20

超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 2

 その事故はナオミの実家に姉と行く途中で起きた。運転手の無謀さと言うか荒っぽさが事故を招いたことは確かだった。砂利道は雨上がりは特に水溜まりができたりしてデコボコが出来がちなのだ。そこを普通の速度以上に飛ばすのだからたまったものではない。いくら実家に急げと言われていてもだ。オート三輪車はマツダ製の茶色のまだそんなに古くない乗物だった。よく響きの心地良いクラクションを鳴らしたものだ。ピッ、ピー、その響きは子どもの無邪気をさらに増幅させ悪ふざけに化けるのが常だった。こらっ、バッテリーが上がるからやめろ。父の怒鳴り声だった。
 太っちょ風のオート三輪車の荷台と助手席には菜っ葉や玉ねぎなどの野菜が積まれていた。ナオミが助手席に座っていたのか、後ろの荷台の小さな補助椅子っぽいところに座っていたのか、いや、むしろ後ろの荷台で何かに捕まりながら立っていたのか、記憶は曖昧を装ったままだ。午前11時頃だったろうか。


超人の面白創作 携帯連載小説 ミルクプラント 1

ポリフォニー―。

 事故は砂利道を走ってわずか20分後に起きた。
あっ、トラックが左方向から向かってくる、こちらは120キロは出ているオート三輪車だ。今思えばあっという間の出来事なのだが、当時はある種のモーメントと言おうか、時間の落差があった。次の瞬間大きな弧を描いて前方右の梨畑へ吹き飛ばされた。梨の木がぽきぽきと折れたか知らないが、身体は宙返りしてそのまま意識がとまった。季節は秋だったか―。遠い記憶は砕けた梨のように淡い味だ。
 今ナオミは右足の膝あたりをじっくりと見ている。当時の事故の形跡がないか、白い傷痕がないか、捜し出しているのだ。そしてあの事故は何だったのか、田舎の叔母の葬式のバスの中から覗いてふと浮かんだ言葉が、そうか、奇跡だったか。ナオミは右足の膝あたりをまた見入った。
今は舗装されて昔の埃っぽい道を見ることができないが、だんだん細くなって消えそうな道はまだ健在だった。梨畑でさえその辺りが急変しているのに、細々と梨の木々が春に備えているようだった。あれから何十年が経った?指を折るナオミの指はすでに片手では足りなくなっていた。記憶のいい加減さはさておき、記憶のエキスというものが存在するとすれば、それだなと頷いた。

2009/10/19

超人のジャーナリスト・アイ 113 オバマ大統領のプラハ演説

今年のノーベル平和賞はアメリカのオバマ大統領が受賞。その選考委員会では最初は反対が上回っていたとノルウェーの新聞が報道。選考委員会の審査過程が漏れるのは極めて異例らしい。下記はそのオバマ大統領のプラハでの平和演説。The Japan Times Weekly online 2009年10月17日号より。


Obama's Prague speech on nuclear weapons


PRESIDENT OBAMA: Thank you so much. Thank you for this wonderful welcome. Thank you to the people of Prague. Thank you to the people of the Czech Republic. (Applause.) Today, I'm proud to stand here with you in the middle of this great city, in the center of Europe. (Applause.) And, to paraphrase one of my predecessors, I am also proud to be the man who brought Michelle Obama to Prague. (Applause.)

To Mr. President, Mr. Prime Minister, to all the dignitaries who are here, thank you for your extraordinary hospitality. And to the people of the Czech Republic, thank you for your friendship to the United States. (Applause.)

I've learned over many years to appreciate the good company and the good humor of the Czech people in my hometown of Chicago. (Applause.) Behind me is a statue of a hero of the Czech people — Tomas Masaryk. (Applause.) In 1918, after America had pledged its support for Czech independence, Masaryk spoke to a crowd in Chicago that was estimated to be over 100,000. I don't think I can match his record — (laughter) — but I am honored to follow his footsteps from Chicago to Prague. (Applause.)

For over a thousand years, Prague has set itself apart from any other city in any other place. You've known war and peace. You've seen empires rise and fall. You've led revolutions in the arts and science, in politics and in poetry. Through it all, the people of Prague have insisted on pursuing their own path, and defining their own destiny. And this city — this Golden City which is both ancient and youthful — stands as a living monument to your unconquerable spirit.

When I was born, the world was divided, and our nations were faced with very different circumstances. Few people would have predicted that someone like me would one day become the President of the United States. (Applause.) Few people would have predicted that an American President would one day be permitted to speak to an audience like this in Prague. (Applause.) Few would have imagined that the Czech Republic would become a free nation, a member of NATO, a leader of a united Europe. Those ideas would have been dismissed as dreams.

We are here today because enough people ignored the voices who told them that the world could not change.

We're here today because of the courage of those who stood up and took risks to say that freedom is a right for all people, no matter what side of a wall they live on, and no matter what they look like.

We are here today because of the Prague Spring — because the simple and principled pursuit of liberty and opportunity shamed those who relied on the power of tanks and arms to put down the will of a people.

We are here today because 20 years ago, the people of this city took to the streets to claim the promise of a new day, and the fundamental human rights that had been denied them for far too long. Sametova Revoluce — (applause) — the Velvet Revolution taught us many things. It showed us that peaceful protest could shake the foundations of an empire, and expose the emptiness of an ideology. It showed us that small countries can play a pivotal role in world events, and that young people can lead the way in overcoming old conflicts. (Applause.) And it proved that moral leadership is more powerful than any weapon.

That's why I'm speaking to you in the center of a Europe that is peaceful, united and free — because ordinary people believed that divisions could be bridged, even when their leaders did not. They believed that walls could come down; that peace could prevail.

We are here today because Americans and Czechs believed against all odds that today could be possible. (Applause.)

Now, we share this common history. But now this generation — our generation — cannot stand still. We, too, have a choice to make. As the world has become less divided, it has become more interconnected. And we've seen events move faster than our ability to control them — a global economy in crisis, a changing climate, the persistent dangers of old conflicts, new threats and the spread of catastrophic weapons.

None of these challenges can be solved quickly or easily. But all of them demand that we listen to one another and work together; that we focus on our common interests, not on occasional differences; and that we reaffirm our shared values, which are stronger than any force that could drive us apart. That is the work that we must carry on. That is the work that I have come to Europe to begin. (Applause.)

To renew our prosperity, we need action coordinated across borders. That means investments to create new jobs. That means resisting the walls of protectionism that stand in the way of growth. That means a change in our financial system, with new rules to prevent abuse and future crisis. (Applause.)

And we have an obligation to our common prosperity and our common humanity to extend a hand to those emerging markets and impoverished people who are suffering the most, even though they may have had very little to do with financial crises, which is why we set aside over a trillion dollars for the International Monetary Fund earlier this week, to make sure that everybody — everybody — receives some assistance. (Applause.)

Now, to protect our planet, now is the time to change the way that we use energy. (Applause.) Together, we must confront climate change by ending the world's dependence on fossil fuels, by tapping the power of new sources of energy like the wind and sun, and calling upon all nations to do their part. And I pledge to you that in this global effort, the United States is now ready to lead. (Applause.)

To provide for our common security, we must strengthen our alliance. NATO was founded 60 years ago, after Communism took over Czechoslovakia. That was when the free world learned too late that it could not afford division. So we came together to forge the strongest alliance that the world has ever known. And we should — stood shoulder to shoulder — year after year, decade after decade — until an Iron Curtain was lifted, and freedom spread like flowing water.

This marks the 10th year of NATO membership for the Czech Republic. And I know that many times in the 20th century, decisions were made without you at the table. Great powers let you down, or determined your destiny without your voice being heard. I am here to say that the United States will never turn its back on the people of this nation. (Applause.) We are bound by shared values, shared history — (applause.) We are bound by shared values and shared history and the enduring promise of our alliance. NATO's Article V states it clearly: An attack on one is an attack on all. That is a promise for our time, and for all time.

The people of the Czech Republic kept that promise after America was attacked; thousands were killed on our soil, and NATO responded. NATO's mission in Afghanistan is fundamental to the safety of people on both sides of the Atlantic. We are targeting the same al Qaeda terrorists who have struck from New York to London, and helping the Afghan people take responsibility for their future. We are demonstrating that free nations can make common cause on behalf of our common security. And I want you to know that we honor the sacrifices of the Czech people in this endeavor, and mourn the loss of those you've lost.

But no alliance can afford to stand still. We must work together as NATO members so that we have contingency plans in place to deal with new threats, wherever they may come from. We must strengthen our cooperation with one another, and with other nations and institutions around the world, to confront dangers that recognize no borders. And we must pursue constructive relations with Russia on issues of common concern.

Now, one of those issues that I'll focus on today is fundamental to the security of our nations and to the peace of the world — that's the future of nuclear weapons in the 21st century.

The existence of thousands of nuclear weapons is the most dangerous legacy of the Cold War. No nuclear war was fought between the United States and the Soviet Union, but generations lived with the knowledge that their world could be erased in a single flash of light. Cities like Prague that existed for centuries, that embodied the beauty and the talent of so much of humanity, would have ceased to exist.

Today, the Cold War has disappeared but thousands of those weapons have not. In a strange turn of history, the threat of global nuclear war has gone down, but the risk of a nuclear attack has gone up. More nations have acquired these weapons. Testing has continued. Black market trade in nuclear secrets and nuclear materials abound. The technology to build a bomb has spread. Terrorists are determined to buy, build or steal one. Our efforts to contain these dangers are centered on a global non-proliferation regime, but as more people and nations break the rules, we could reach the point where the center cannot hold.

Now, understand, this matters to people everywhere. One nuclear weapon exploded in one city — be it New York or Moscow, Islamabad or Mumbai, Tokyo or Tel Aviv, Paris or Prague — could kill hundreds of thousands of people. And no matter where it happens, there is no end to what the consequences might be — for our global safety, our security, our society, our economy, to our ultimate survival.

Some argue that the spread of these weapons cannot be stopped, cannot be checked — that we are destined to live in a world where more nations and more people possess the ultimate tools of destruction. Such fatalism is a deadly adversary, for if we believe that the spread of nuclear weapons is inevitable, then in some way we are admitting to ourselves that the use of nuclear weapons is inevitable.

Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st century. (Applause.) And as nuclear power — as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.

So today, I state clearly and with conviction America's commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons. (Applause.) I'm not naive. This goal will not be reached quickly — perhaps not in my lifetime. It will take patience and persistence. But now we, too, must ignore the voices who tell us that the world cannot change. We have to insist, "Yes, we can." (Applause.)

Now, let me describe to you the trajectory we need to be on. First, the United States will take concrete steps towards a world without nuclear weapons. To put an end to Cold War thinking, we will reduce the role of nuclear weapons in our national security strategy, and urge others to do the same. Make no mistake: As long as these weapons exist, the United States will maintain a safe, secure and effective arsenal to deter any adversary, and guarantee that defense to our allies — including the Czech Republic. But we will begin the work of reducing our arsenal.

To reduce our warheads and stockpiles, we will negotiate a new Strategic Arms Reduction Treaty with the Russians this year. (Applause.) President Medvedev and I began this process in London, and will seek a new agreement by the end of this year that is legally binding and sufficiently bold. And this will set the stage for further cuts, and we will seek to include all nuclear weapons states in this endeavor.

To achieve a global ban on nuclear testing, my administration will immediately and aggressively pursue U.S. ratification of the Comprehensive Test Ban Treaty. (Applause.) After more than five decades of talks, it is time for the testing of nuclear weapons to finally be banned.

And to cut off the building blocks needed for a bomb, the United States will seek a new treaty that verifiably ends the production of fissile materials intended for use in state nuclear weapons. If we are serious about stopping the spread of these weapons, then we should put an end to the dedicated production of weapons-grade materials that create them. That's the first step.

Second, together we will strengthen the Nuclear Non-Proliferation Treaty as a basis for cooperation.

The basic bargain is sound: Countries with nuclear weapons will move towards disarmament, countries without nuclear weapons will not acquire them, and all countries can access peaceful nuclear energy. To strengthen the treaty, we should embrace several principles. We need more resources and authority to strengthen international inspections. We need real and immediate consequences for countries caught breaking the rules or trying to leave the treaty without cause.

And we should build a new framework for civil nuclear cooperation, including an international fuel bank, so that countries can access peaceful power without increasing the risks of proliferation. That must be the right of every nation that renounces nuclear weapons, especially developing countries embarking on peaceful programs. And no approach will succeed if it's based on the denial of rights to nations that play by the rules. We must harness the power of nuclear energy on behalf of our efforts to combat climate change, and to advance peace opportunity for all people.

But we go forward with no illusions. Some countries will break the rules. That's why we need a structure in place that ensures when any nation does, they will face consequences.

Just this morning, we were reminded again of why we need a new and more rigorous approach to address this threat. North Korea broke the rules once again by testing a rocket that could be used for long range missiles. This provocation underscores the need for action — not just this afternoon at the U.N. Security Council, but in our determination to prevent the spread of these weapons.

Rules must be binding. Violations must be punished. Words must mean something. The world must stand together to prevent the spread of these weapons. Now is the time for a strong international response — (applause) — now is the time for a strong international response, and North Korea must know that the path to security and respect will never come through threats and illegal weapons. All nations must come together to build a stronger, global regime. And that's why we must stand shoulder to shoulder to pressure the North Koreans to change course.

Iran has yet to build a nuclear weapon. My administration will seek engagement with Iran based on mutual interests and mutual respect. We believe in dialogue. (Applause.) But in that dialogue we will present a clear choice. We want Iran to take its rightful place in the community of nations, politically and economically. We will support Iran's right to peaceful nuclear energy with rigorous inspections. That's a path that the Islamic Republic can take. Or the government can choose increased isolation, international pressure, and a potential nuclear arms race in the region that will increase insecurity for all.

So let me be clear: Iran's nuclear and ballistic missile activity poses a real threat, not just to the United States, but to Iran's neighbors and our allies. The Czech Republic and Poland have been courageous in agreeing to host a defense against these missiles. As long as the threat from Iran persists, we will go forward with a missile defense system that is cost-effective and proven. (Applause.) If the Iranian threat is eliminated, we will have a stronger basis for security, and the driving force for missile defense construction in Europe will be removed. (Applause.)

So, finally, we must ensure that terrorists never acquire a nuclear weapon. This is the most immediate and extreme threat to global security. One terrorist with one nuclear weapon could unleash massive destruction. Al Qaeda has said it seeks a bomb and that it would have no problem with using it. And we know that there is unsecured nuclear material across the globe. To protect our people, we must act with a sense of purpose without delay.

So today I am announcing a new international effort to secure all vulnerable nuclear material around the world within four years. We will set new standards, expand our cooperation with Russia, pursue new partnerships to lock down these sensitive materials.

We must also build on our efforts to break up black markets, detect and intercept materials in transit, and use financial tools to disrupt this dangerous trade. Because this threat will be lasting, we should come together to turn efforts such as the Proliferation Security Initiative and the Global Initiative to Combat Nuclear Terrorism into durable international institutions. And we should start by having a Global Summit on Nuclear Security that the United States will host within the next year. (Applause.)

Now, I know that there are some who will question whether we can act on such a broad agenda. There are those who doubt whether true international cooperation is possible, given inevitable differences among nations. And there are those who hear talk of a world without nuclear weapons and doubt whether it's worth setting a goal that seems impossible to achieve.

But make no mistake: We know where that road leads. When nations and peoples allow themselves to be defined by their differences, the gulf between them widens. When we fail to pursue peace, then it stays forever beyond our grasp. We know the path when we choose fear over hope. To denounce or shrug off a call for cooperation is an easy but also a cowardly thing to do. That's how wars begin. That's where human progress ends.

There is violence and injustice in our world that must be confronted. We must confront it not by splitting apart but by standing together as free nations, as free people. (Applause.) I know that a call to arms can stir the souls of men and women more than a call to lay them down. But that is why the voices for peace and progress must be raised together. (Applause.)

Those are the voices that still echo through the streets of Prague. Those are the ghosts of 1968. Those were the joyful sounds of the Velvet Revolution. Those were the Czechs who helped bring down a nuclear-armed empire without firing a shot.

Human destiny will be what we make of it. And here in Prague, let us honor our past by reaching for a better future. Let us bridge our divisions, build upon our hopes, accept our responsibility to leave this world more prosperous and more peaceful than we found it. (Applause.) Together we can do it.

Thank you very much. Thank you, Prague. (Applause.)

2009/10/18

超人の面白読書 61 アメリカのベストセラー A Gate at the Stairs の最後のページを読む

「夕食なの ? 」と私はまた言った。
自然に振舞うことは何も大袈裟なことではなかった。難しく振舞うことではなかった。
それから彼は少し休んだ。「あまりに急な電話だろ」
彼の声は疲れていて辛らつだった。「多分出し抜け過ぎたのよ」
アマンダが私の部屋の戸口にやってきて頭を突き大声で言った。
「ピザ食べたくない ? 」
私は頷いた。いいよ。彼女は行ってしまった。
地球は完全に丸くなく梨みたいな形だった。ブラックホールの専門家によれば、宇宙の90%は不明だったらしい。
 まだどこかに常にサーカスがあった。
「夕食なの ? 」と私は繰り返し電話で言っていた。私のげん骨はオパールみたいに白く見えた。すべての歩みのなかで動じない母である神は何でも今尚先に進む説教をしない ?
 エドワードは私と同様に沈黙したままだった。何のために生きていた ? 私は必ずしも分かっているわけじゃないし迷惑もかけていないはずだった。今私はただ単に自分の息遣いする音に気づいただけだった。風のように吐く息―私が言ったのだが―は実際より電話での声の方が大きかった。窓は避けられない予測不可能なドラマだった。西風が必ずしも多いとは限らなかった。時には南からも事はやって来るし小さな渦巻きを創ったのだ。そう、やきもきさせる天気の小さな渦巻き―をね。私はゆっくりと受話器を動かして自分の顔から離した。それはゆりかごの方へ進み浮かび続けるように思えた。ぼんやりと自分の手に導かれて。空気が自分の頬をさっと冷やした。夕方外はすでに雪が降り始めていた。


読者よ、私は彼と一緒にコーヒーさえ飲まなかった。
それは私が大学で充分に学んだことだった。


 これが今夏アメリカのベストセラー小説『A Gate at the stairs』の最初と最後の部分だ。筆者はこの小説家について正直言って何も知識を持ち合わせていない。ただ何となく興味を抱いただけだ。出だしと結末を少し感受すれば多少何かが手応えとして分かるかなという安直な考えで書いた。否、自分流に日本語にする試みを敢てした。それはなぜか。現代アメリカが抱えている問題が小説という文学の一形式を通じて“みえてくる”かもしれないという微かな希望だろうか。内面のうごめき―。
筆者は冒頭の鳥たちに関して勝手に連想したのがなぜか、鳥たちが帰ってきた、という詩人・飯島耕一の有名な詩だった。具象と抽象―。最後の章は電話、小道具とつぶやきが散りばめられていて結局、情景描写と行間よろしく多少の著者注釈で終わるという構成だ。はて、冒頭と最後の章をつなぐ起承転結の内容とは ? そして、アメリカの読者を惹きつけて止まないこの小説の魅力とは―。

2009/10/17

超人の面白ラーメン紀行 127 京急日ノ出町駅『たかさごや』

超人の面白ラーメン紀行横浜市中区『たかさごや』
 なるほど、あるブロガーが言っていた通り一杯飲んだ後に食べるラーメンとしてはバッチリな店だ。前にJR関内駅から歩いて5、6分の同じ看板の店でラーメンを食した。時間帯は午後1時過ぎだったがまあまあの混みよう。店内は狭く8名で一杯、ラーメンの味はと言うと豚骨醤油系で多少しつこいがイケた。
『たかさごや』は京急日ノ出町駅からわずか3分の好立地な場所にあるが、この界隈にはラーメン店が少なくとも10軒はある激戦区だ。ただしどこもドングリの背比べっぽい。
 さて、さすらいのギャンブラーことメル友君と入った『たかさごや』はカウンターだけの店、やや野生味溢れるこの店でラーメンを頼んだ(750円?)。まずはスープ、濃くなくこれがイケた、次に麺だが太いそしてストレート系だ、が、舌触りが良かった、トッピングのチャーシューはやわらか、うーん、分かんない、歯応えがかすかにあった程度か、それよりほうれん草の感触がよか、海苔たっぷりはどんぶりからはみ出し寸前、完食だ。それにしても海苔、いつ、どこで、どんな風に食べたらいいのかいつも迷うのだ。隣のメル友君は焼酎1本空けてのご来場、美味い、美味いとしきり。でもラーメン店を出て、『次、行こうよ』と繰り返し言われたのにはお月様も苦笑いしていた。この近くは人も知る旧青線地帯なのだ。最近はすっかり様変わりしたという。

横浜京急日ノ出町駅『たかさごや』1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★☆4.接客・雰囲気★☆5.価格★★

おなごどこラーメンの味どこ夜更ける

超人の面白読書 61 アメリカのベストセラー A Gate at the Stairs の最初のページを読む 2

 私はアルバイトを捜していた。学生でベビーシッターのアルバイトが必要だった。魅力的だが冷えきった隣人たちの中で次から次へと面接しに歩きたかった。その隣人たちとは凍てついた地面で突いているたくさんの不気味なツグミたちだ。灰褐色で傷ついていた。もっとも最良の環境にいる鳥たちが少しも傷ついていないようにも見えたが。私の観察では週遅くまでにはとうとう鳥たちはいなくなっていた。最初は鳥たちがどうしてしまったかを考えたくなかった。むしろそれは心の機微を装う礼儀正しさの一種の表現だと考えた。というのは、事実ずっと不思議に思っていたのだ。鳥たちは大量に死んだのではないか、町外れのすごいとうもろこし畑で、また、イリノイ州線に沿って数マイルもちらほら空から落ちたのではないかと想像していたのだ。
 1月の学期の最初がスタートするはずの12月にアルバイトを捜していた。期末試験を終えて学生アルバイト“子どもの面倒を見ることができる人”の掲示板の広告に答えていた。子どもが好きだった。やった!それともむしろ子どもたちがOKを出すのが好きだった。興味津々だった。子どもたちの根気や公平さをほめた。そうして彼らとうまくやれば赤ん坊を見ておかしな顔もできた。年上の子どもにトランプを教え、サイケ調に芝居じみて話しをすると和んでとりこにすることもできた。しかし特別に子どもをあやすスキルがあるわけではなかった。

2009/10/16

超人の面白読書 61 アメリカのベストセラー A Gate At The Stairs の最初のページを読む

 その秋は寒さが遅くやって来て、鳴鳥たちがガードに捕まっていた。雪や風が本格的に始まる時にもまた、鳴鳥たちの多くが不意打ちされて置き去りにされたままだった。南へ飛来できないであるいはすでに飛来できなかったので鳴鳥たちは人家の塀に集まり、少し身体を暖かくするため羽をぱっとふくらませていた。

2009/10/15

超人の面白読書 61 アメリカのベストセラー A Gate at the Stairs 2

 ローリー・ムーアは『Birds of America』、『 Like Life』や『Self-Help』の本、『Who Will Run the Frog Hospital?』そして『Anagrams』の小説の作家。彼女はアイリッシュタイムズ国際小説賞、短編部門のリア賞や国際ペンクラブ・マラマッド賞と同じく、ランナン基金、アメリカ芸術アカデミーの栄誉を勝ち取った。ウィスコンシン大学メジソン校の英文学の教授である。

2009/10/14

超人の面白読書 61 アメリカのベストセラー A Gate at the Stairs

 ローリー・ムーアの新作『A Gate At The Stairs』のカバーにはちょっとした作品評と内容紹介が書かれている。また、カバーの後ろには簡単な著者紹介も写真入りで掲げている。私訳をしてみよう。

 ベストセラー本『Birds of America』ではローリー・ムーアは、男女間の断絶、崖っぷちに立つ女性の脆弱性、孤独それに損失について書いた。
さて、眩しいほどの新作―10年以上経っての新作だが―ではローリー・ムーアは、9.11以後のアメリカの懸念と断絶、人種差別の陰険さ、戦争の盲目的な置き去り、愛の名において他人に対するリスクの少ない押しつけなどに目を向ける。
 アメリカが中東戦争を速め始める頃、「ケルトジン ポテト」で評判な農夫の中西部の娘である20才のタッシー・ケルトジンは、大学生として大学町にやってきた。彼女の頭はチョーサー、シルビア・プラスやシモーヌ・ド・ボーボワールで一杯だ。
 学期の間には彼女はアルバイトをしている。
彼女が働いている家庭はミステリアスだが素敵な家庭で、タッシーは子どもたちが退屈しているのに気がついたが、自分のこととのように新しく受け入れた幼い女の子の世話をやき守るようになる。
年月が過ぎるにつれて彼女はお互いの生活に深く引かれる。彼女の家に戻った生活は以前とくらべてさらに空々しくなる。彼女の両親はますます脆くなり、無目的で高校退学の弟は軍隊に入ろうと目論んでいる。タッシーは自分自分感じている以上によそよそしくなっているのがわかる。生活と愛は劇的に解され、衝撃的と言えるほど彼女は変わった。
 20年前に最も期待された作家のこの長く待たれた新作は、リリカルで可笑しく、移ろいやすく、また、幅が広い。ローリー・ムーアの最も野心的な本だ。粗削りで再構築しているが賢い本だ。

2009/10/12

超人の面白読書 61 今夏アメリカのベストセラー小説 A Gate at the Stairs by Lorrie Moore

 「The Japan Times Weekly 」10月10日号(P.15)でアメリカの今夏ベストセラー小説を紹介。現代作家の一人、ローリー・ムーアが15年振りに新作『A Gate at the Stairs 』を発表と。筆者は早速その記事を持って都内M書店お茶の水店 に出かけて本を探したが、国内では只今在庫切れで入荷するまで3ヶ月はかかるという返事だった。試しに携帯ネットでアマゾンにアクセスしたら、最初は海外から取り寄せになるので15日はかかるとのこと、パスワードを忘れたため、再度アマゾンにアクセスしたら、今度は在庫ありのメッセージ、すぐに購入の手続きを済ませた。2日後に到着。ペーパーバックスを頼んだが、なぜかハードカバーだった。代引き扱いで合計2218円也。322ページ、新聞、雑誌の評と作者の写真の入ったカバー。

Moore, A 52-year -old, Midwestern Female academic, is frequently hailed as one of America's best modern writers, especially as a master of the short story. But the mildly reclusive writer had not written a novel for almost 15 years. The reaction to her return has been ecstatic. (from The Japan Times Weekly Oct.10, 2009)

さて、読了するのに何ヶ月かかるか―

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2009/10/11

超人のジャーナリスト・アイ 112 注目の新聞記事

 今回の超人のジャーナリスト・アイは注目の新聞記事を本日の朝刊からニ三点取り上げてみたい。まずはフロントページの記事から。バラク・オバマ大統領が今年のノーベル平和賞を受賞したというニュースには正直言って驚いた。大統領就任後に打ち出した中東和平交渉、プラハ平和宣言や国連での演説等々…。今朝の毎日新聞朝刊には21才のコロンビア大学生のときにすでに核廃絶についての論文を書いていたと恩師のバロン教授のコメントを載せていた。が、今回の受賞は実績ではなくこれからに期待だろう。
 次に注目の記事。それはトルコとアルメニアが歴史的な国交樹立という国際ニュースだ。ノーベル文学賞受賞者のオルハン・パムク氏がアルメニア人「大虐殺」について執筆したことで国家侮辱罪で起訴されたニュースは記憶に新しい。トルコでも歴史が動いたのだ。彼の青山学院大学での講演を思い出した。この講演については筆者のコラムでも言及した(2008年5月15日)。そして書評欄に目をやると、評者田中優子氏の平岡正明本、『快楽亭ブラックの毒落語』のやや長い書評だ。知らなかった、平岡正明が7月に亡くなっていたとは。親しい仲だったのか愛情深い書評になっている。筆者的にはジャズ評論家平岡正明が書いた『山口百恵は菩薩である』(文体が独特だったと記憶しているが)の著者としての方が印象深い。そう、多作のこの作家の本をあまり読んでいなかったのだ。しかし、どこかでこの落語家快楽亭ブラック氏について読んだり見たりしていたことが頭の隅に残っている。本屋に出かけてまずは表紙や帯を眺めて本文を立ち読みしたい。買うのはそれからだ。また、9月18日号の「週刊金曜日」平岡正明追悼記事も読んでみたい。


2009/10/08

クロカル超人が行く 119 古都・フィラデルフィア初秋点景

古都・フィラデルフィア初秋点景。
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■ウッドランズ墓地 Woodlands Cemetery
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Location: 4000 Woodland Avenue, Philadelphia, Pennsylvania, USA
Coordinates: 39°56′49″N 75°12′11″W / 39.94694°N 75.20306°W / 39.94694; -75.20306
Built/Founded: 1770; rebuilt 1786-92
Architectural style(s): Neoclassical; Robert Adam Style
Governing body: Woodlands Cemetery Company of Philadelphia
(from Wikipedia)
自由民権運動家の馬場辰猪(英文による立派な日本語教科書も残している)が眠るウッドランズの墓地。今回捜し当てられず残念だったが(てっきりペン大学の敷地内にあるとばかり思い込んでいた。事前準備と慌てて忘れ物をしないことだ)、次回は谷中墓地にもある彼の墓にも詣でて微妙に違うらしい墓をじっくり観察したい。その前にネットで調べたら出てきたのでご覧に入れよう。
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【写真左: ウッドランズ墓地にある墓(あるブログより) 写真右: 谷中墓地にある墓(谷中霊園のHPより)】

クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪 残像・心象風景

ニューヨーク再訪 残像・心象風景。

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クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪 余滴 5

ウィンドーから見たニューヨークの書店。
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2009/10/05

クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪 余滴 4

200909171300000_2200909171342000_313年前のニューヨーク行きと今回とで大きく違っていた点は、前にも多少書いたが、2つの大学訪問(それなりの目的はあったが)とブルックリン美術館訪問だった(ブルックリン美術館についてはそのうち訪問記を書くつもり)。しかし書店巡り(ニューヨークの書店はこの10年で老舗の店が潰れたりと様変わりしている)が思うようにできなかったことが少し悔やまれる。
 コロンビア大学は歴史も古く、また、イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学と同じようにいろいろなカレッジが集合して出来ている大学町でその総称がコロンビア大学というわけだ。今年の世界大学ランキングではコロンビア大学は10位と上位に君臨している。そのがっしりとした由緒あるレンガ造りの多い大学のメインストリートには多種多様なレストランが軒を並べている。3、40軒はあるだろうか。そんな中に韓国人が経営している日本のうどん屋さんや寿司屋さん、中華にフランス料理店、イタリアン、インド料理、メキシカン、カフェなどどこに入ったら良いか迷うほど多い。案内役のO先生がお薦めのイタリアンDscf0726_3
に入ったのだ。その食事のメニューはすでに写真付きで紹介したが、ここでは一つだけ付け加えておこう。O先生も大好きと言っていたムール貝だ。フランス料理の定番とばかり思っていたその料理は意外とスープの種類によって違った味が引き出される。塩味やトマトベース、これがなかなかイケるのだ。その上にパンをつけて食べると食欲がさらに進む。ここでは塩味だったが別なレストランで食べたときはトマトベースに挑戦した。軍配はと言えば、筆者的には塩味の方がよかった。これは自宅でも試してみたい。短いニューヨーク滞在中にムール貝を3度食した。

2009/10/02

クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪 余滴 3

 毎日新聞のコラム「優楽帳」でアメリカの無謬主義、日本の謝罪文化について触れていたが(2009年10月1日付夕刊)、そんな場面も多く見られたバスのことも書いておきたい。
 バスは「IKEA BROOKLYN」(日本やヨーロッパあたりでは呼び名は“イケヤ”だが、アメリカなどの北米他では“アイケア”)に行くときと1番街と2番街の間の「AMERICAN SCANDINAVIAN FOUNDATION」に行くときに利用した。後者のときはメインストリートを通ったので、渋滞していてノロノロ、結局途中で下車して歩いたのだが。バスのスペースは日本より幾分広い感じだが、太ちょが多いせいか混んで満席になるとむしろ狭いほどだ。そんなバスの中で人の前を通ったり、荷物が多少ぶつかったりすれば、自ずと“Excuse me” や“ I'm sorry”と言っている声をよく耳にした。もちろん筆者も使った。「優楽帳」子が言っていた通りだ。それと1番街と2番街の間に行く車中で、ドライバーが急に泊まり後ろ側のドアでなにやら操作し始めた。するとバリアフリーになっているらしく地面とほぼ平行して入口の足場が止まった。車椅子のおばあさんが乗車してきたのだ。車椅子用乗降エレベーターが常時搭載されている。こんな場面に出くわすとニューヨークの公共交通機関の高齢者や障害者向け設備それをコントロールするドライバーの訓練もできているなと感心させられた。これは以前には見たことがなかった。また、表示が違うだけかもしれないが、筆者には何となく新鮮に移ったのが、“次とまります”の電子板“STOP REQUESTED”の赤い表示だった。バスの燃料がエコ系なのかは知らないけれども、きれいになった黄色いタクシーのエコ燃料使用の車には車体の後の方に緑色のマークがついているらしい。その車が増えているというニュースを帰国してテレビで初めて知った。そして何よりの話。街がきれいになっている現場をかいま見たのだ。それはニューヨークを離れる最後の朝早くニューアークリバティ国際空港行きのバスターミナルの前だった。まだ始業時間前らしくバスターミナル前の部屋でアフリカ系アメリカ人やヒスバニック系アメリカ人数人が待機していた。そして午前8時に動き出した。近くのゴミ箱整理、路地宿泊っぽい老人に声をかけ起こす、そう赤い縦縞模様の入った清掃隊だ。こういう人たちの地道な仕事が街の美しさに繋がるのだろう。

2009/10/01

クロカル超人行く 118 ニューヨーク再訪 余滴 2

地下鉄の最新事情に特記すべきことがある。1987年当時は地下鉄の車両は落書で彩られていて、その汚さは街のシンボル的な地下鉄の存在を失墜させていたが、それが今では一部に日本製の車両も導入されてきれいになっている。関係者の並々ならぬ努力があったろうことは容易に想像がつく。また、駅構内特に駅名プレートとその壁には彩色を施した歴史的趣きのあるタイルが張られていてなかなか味わいがある。200909181049000
ある地下鉄の駅では思わずタッチしてその造形美と冷たい感触を楽しんだ。路線は複雑に入り組んでいる。東京の地下鉄もそうだが大分複雑だ。アルファベットと数字を組み合わせた路線はよく注意して乗らないととんでもない所に行き着きかねないのだ。筆者にとって懐かしくしかも今ももちろん走っている路線がある。それはブルックリン→マンハッタン→クィーンズを通る路線、コニーアイランド→アストリアを往復するNラインである。以前はこのラインを使って友人のアパートのあるクィーンズの駅からマンハッタンのミッドタウンまで通っていたのだ。〈続く〉

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