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2009/09/16

クロカル超人が行く 118 ニューヨーク再訪

 その昔FM放送で城達也司会の「ジェットストリーム」なる人気の番組があった。遥かなる雲海を通り過ぎると、夜の静寂に ・・・という名文句が低音の甘い声で響くのだった。
 今その夜空の中にいる。多少アルコールは入っているものの、すこぶる元気である。何冊か抱えている本の一冊を飛行機の中で読み終えた。9月13日(15日?)が確か『加藤周一自選集』の第1回配本日だったが、まだ手元にはない。その加藤周一と森有正を論じた1981年初版海老沢武著『戦後思想の模索 森有正、加藤周一を読む』を機上で読み終えたのだ。加藤周一が亡くなってまもなく一年が経つ。この戦後の知の巨匠は晩年積極的に自ら行動を起こしていたと奥様である矢島翠氏から聞いたとある座談会で成田龍一氏か小森陽一氏が喋っていた(雑誌「現代思想」7月号〈加藤周一特集〉)。その「現代思想」 で仏文学者の海老沢武氏が短文を寄せていた中に、彼が昔書いたこの作品についての言及があった。多少興味があったので、急いで古本で手に入れたのだ。〈西洋〉と〈日本〉、特にフランスと日本についての知識人の読み解き作業、読書ノートの丁寧な開陳である。ここには比較的若い時代の著者の思想の模索がある。微妙な距離感がある。時は1950年、60年前半だ。ヒントはむしろ注釈を丁寧に読み込むことだろうか。今読んでもあまり色褪せしていない。ラデカルな問いがそうさせているかもしれない。それにしてもデカルト研究家で哲学者の森有正だが(フランス語で優れた日本語教科書も書いた)、筆者は彼の基本的な哲学的な概念、〈経験〉を知ってから迂闊に〈体験〉の違いを疎かにできなくなっている。そう、〈感覚〉も―。そして哲学者中村雄二郎の『感性の覚醒』までいってしまったのだ。今となってはおぼろげだが、岩波ホールで山本安英主催「言葉の勉強会」なる催しが定期的にあった。その回で森有正の天才ぶりと無頓着性について親しい知人が喋っていたのをつい昨日のように思い出す。講演者は木下順二か加藤周一だったろうか。研究室は散らかし放題、お金があちこちにあって本人は一向に意に介せず無頓着という全くユニークな学者がいる、と大体そんな内容だったと記憶する。伝説の持ち主なのだ。そのことを海老沢武氏のこの本の中に見つけだした。だが、著者は先輩学者をレスペクトしていた。加藤周一は若いときからやや断定調の書きぶりだったことがこの本でよく分かった。絶筆となったカイギャクに富んだ文章が、去年7月の朝日新聞の夕刊に載っているらしい(筆者は未読)。それは病魔と闘う加藤周一の“夕陽妄語”。鞄には1955年6月の「思想」に掲載された彼の論文、「日本文化の雑種性」と1968年11月の「世界」に掲載された論文、「戦車と言葉」のコピーが入っている。旅先で読むのもこれまた、楽しみだ。
 ニューヨーク・ニューアーク国際空港Dscf0829Dscf0557

【写真はニューアークリバティー国際空港内にあるボーダーズ書店、ペン駅行きの電車】

に向かって飛び立ってすでに10時間が過ぎようとしている。牛丼と野菜サラダそれにパン、軽食の2回の食事も出た。あと3時間のフライトだ。エコノミークラスは狭いし本当に疲れる。エコノミー症候群には気をつけよだ。真ん中の座席で左右にアメリカ人の男と女、その態度に些かナーバスになりそうなのだ。一人は機内食を一度も口にせず、一人は落ち着きなさそうに動くし、アメリカ人も大らかでなくなってきた? 筆者の思い過ごしかも。トイレに行くのにも容易でないのだ。それにしても日本人女性で何と一杯であることよ!

秋浅しスカイブルーに足袋が舞う


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