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2009/05/31

クロカル超人が行く 112 Y150 ラ・マシン「 巨大クモ」

クロカル超人が行く Y150 <br />
 巨大クモ
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 巨大クモ
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 巨大クモ
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 巨大クモ
横浜開港150周年イベントの一つ、フランス・ナントの演劇プロジェクトチームによるスペクタクルアート ラ・マシン「くも」。巨大クモ(全長12m)が6人のパイロットによって操縦されて動く様は圧巻。蜘蛛の糸ならぬ水飛沫が時折吹き出すあたり、子どもたちに大いにウケていた。筆者はなぜかガリバー旅行記を思い出して、しばし野外演劇空間の不思議さを堪能したのだ。

2009/05/24

クロカル超人が行く 111 福岡市西区能古島

博多湾の能古島にある作家・壇一雄の碑(写真はネットから)。家は只今建て直しの最中だ。200905241607001_2毎年5月の第3日曜日は「花逢忌」らしい。この日は第4日曜日、残念ながら一週遅れの日曜日だった。能古島上陸時間はわずかに40分。慌ただしかったこと。行きの"海上タクシー"(運賃は通常の2倍の500円)にはこの日コンサートがあるらしく、化粧した若いギャルや子持ちギャルも乗り込んでひとっ飛び、わずか4分の“高速艇”はスリル満点だった。帰りは運良く臨時便(日曜日とあって人出が多く、乗り切れなかった人たちがでたため)市営船にありつけて、胸を撫で下ろしたのだ。この旧居までは徒歩?これが島民のマンパワーでタクシー1台しかない(その1台が出払っていた!)この島にも代わりのタクシーが存在していた。面白かったのは、市営船渡船場受付の親切なおばさんが斡旋、お巡りさんが案内(ドライバーは酒屋の人だとぉ)してくれたことだ。時間がなく観光はわずか8分でこなした。碑の近くで若いアベックが寝そべっていたのには筆者も思わず苦笑い。写真は撮ったがなぜか反射して亡霊が写ってしまった・・・。公開できないのが残念!壇一雄が愛した場所に立って納得。眺望たるや最高の立地、リッチやね、と一瞬頷いてしまったのだ。帰えりに道しるべをパチリ。200905241608000


風薫る火宅の人の能古島

200905241548000200905241557000【写真左: 道しるべ 写真中央: 海上タクシー 写真右: 能古島の渡船場から見た福岡ベイエリア 】

この博多湾に浮かぶ能古島には北側にアイランドパークと名付けられた自然公園があり、桜、菜の花、コスモスと四季折々の花々で埋めつくされるが、特に菜の花とコスモスが有名らしい。昔懐かしい商店街も再現し安近短の旅行で人気の場所だ。井上陽水の曲には「能古島の片想い」がある。

2009/05/22

超人の面白ラーメン紀行 117 『博多一幸舎 博多本店』

超人の面白ラーメン紀行 一幸舎

JR博多駅徒歩3分のところにある『博多一幸舎』。昼時遅くに入ったが、並ぶほどではなかった。黒ラーメンを注文。マー油、濃厚豚骨スープ、細麺、三拍子揃っての出番。『なんつっ亭』でお馴染みのマー油はここでは立役者だ。焦がしニンニクの妙、うまかっ。ラーメン650円、味玉ラーメン750円、ピリ辛の赤ラーメン700円、やや甘目の博多華そば650円他メニューは豊富。
1.スープ★★★2.麺★★3.トッピング★★4.接客・雰囲気★☆5.価格★★☆
 

2009/05/21

クロカル超人が行く 110 銀座界隈

クロカル超人が行く 銀座界隈
クロカル超人が行く 銀座界隈
BS-TBSの番組で見かけるほろ酔い中年の吉田類氏の酒場探訪も、大人の何とも言えない味わいを醸し出してくれるが、毎週金曜日の毎日新聞夕刊コラム、鈴木琢磨記者の「酒に唄えば」もまた、読むのが楽しみなコラムだ。筆者はこれを週末の夜遅くか翌日に読む。低音が壁にぶつかり跳ね返ってくるような一種独特な筆使い、場面的には人生の織り成す色を半ば仄暗いグラデーションに染め上げたような感じ。何のことはない、単なる酒呑みの出没記なのだ。
そんな記事を読んでいると、たまには5時から男も精を出したくなる。
というわけで、ラビット大使と宵の銀座に馳せた。有楽町駅近くの英国パブから次の「ルパン」に繰り出すも、生憎の定休日、それじゃここはどうとラビット大使の言に従い入ったのが三笠会館地下の『Bar 5517』。カウンターもいいが、ここは外界が覗ける奥のテーブルを確保。その窓際には雑誌「サントリー クォタリー」(付記。つい先日新聞が休刊を伝えていた)などのバックナンバーが樽で作った書棚にびっしり、手にとって見られる位置にあるのだ。
筆者はごくありふれたカクテルを注文したが、ラビット大使は違っていた。バー通の彼はロシア語の響きのする名前を口ずさんで、できますかとバーテンダーに頼んでいた。もちろんメニューにはない代物だ。それが写真のカクテル、ニコラシカだ(写真左上。因みなに写真左下はオリジナルカクテル、ザ・ギンザ)。ブランデーをベースにレモンの輪切りで蓋をしその上にグラニュー糖を盛る。口の中でレモンとグラニュー糖をミックスさせ一気にブランデーを流し込むそうな。その時は場の雰囲気に圧倒されてともかく写真を撮るのに気をとられていて、名前すら忘れてしまった(多少アルコールは入っていたが)。後日ラビット大使に飲み方を教わったのだ。
しっとりした銀座の夜の一幕だった。

2009/05/10

クロカル超人が行く 109 第3回大江健三郎受賞 大江健三郎氏×安藤礼二氏公開対談 続

 ここで安藤礼二著『光の曼陀羅 日本文学論』を簡単に紹介しよう。620ページに及ぶ大著で値段も3,780円と安くはない。筆者は書店で何度か手に取るも買うのに躊躇してしまっているのだ。高価以外に何だろう、作者の文体、違う、多少拾い読みした、そうか、折口信夫の思想に少し抵抗があったのだろうか―。それはいみじくも大江健三郎氏が対談の冒頭で言っていた懸念と矛盾しない。
この本が去年の一番の収穫でこの本の出た前後では批評の地平が変わる画期的な出来事と書いていたブログもあった。
 さて、内容は第一章 宇宙的なるものの系譜 埴谷雄高『死霊』、稲垣足穂『弥勒』、武田泰淳『司馬遷』、江戸川乱歩『陰獣』、南方熊楠『曼陀羅書簡』、中井英夫『虚無への供物』の評論、第二章 光の曼陀羅 『死者の書』の謎を解く、「死者の書 初稿」と『死者の書 続編』、折口信夫の「同性愛」、折口信夫とアジア世界、折口信夫の戦後から構成されている。
 対談の続きに戻ろう。大江氏は多摩美大の学生に呼び掛けて言う。貴方たちは大学で文学を学ぶとはどういうことかと問い、独学をすすめている。但し師匠というモデルは必要と。なぜならこの本に取り上げられた作家はほとんど独学で名を馳せた人物で、大江氏は作者自身にも独学者の面影を見ているのだ。作者安藤礼二氏は、折口信夫の『死者の書』を読んだのは17、8才の頃で内容がわからなくとも、何となくイメージや言葉がひっかかっていたとこの本を読むことになったきっかけを語り、そのイメージ群を20年位執拗に追い、分解してみたら何を言いたかったか解るようになった由。続けて安藤氏は語る。折口信夫は昭和14年に初稿を書き、18年に書き直し、19年に読み直す。また、自分の謎を解くため四国へ旅し、天、海、地が一体になる室戸岬を訪ねて大阪に戻っていると。大江氏はまた、今度の雑誌「新潮」に完結編が掲載されているが(筆者は立ち読みで最後を読んだが)、そこに折口が書きたかったことについての安藤氏の大胆な読みがあると語り、それは暗闇にいる青年・空海を読み取ることだと解説。安藤氏によれば、私たちは二つの時間を生きているという。日常的な時間とそれに重層的な時間、後者の時間を文学の原型としたいと言うのだ。大江氏が折口は1917年に最初の小説を書いたが、それは伝説や伝承を小説という手段で伝えたかったと語った後、マンダラとは縦の時間と横の場所の移動があっても同じことを考えている、超越した世界→世界のモデル、それが曼陀羅だと言って、1930年代のヨーロッパのベルグソン、フロイト、フッサール、シュールリアリズムに言及。そして、安藤氏は良い翻訳でこれらの思想を読み込んでいると語る。イスラム学者で語学の天才の井筒俊彦にも話は及ぶ。

 折口のアジアにおける神秘的な思想は右翼の思想家・大川周明と結び付けられ、大東亜共栄圏として戦前の政治思想に都合よく利用されたと大江氏はその思想の危険なところを指摘している。それは今も新しい教科書を作る会によって歴史が歪められている事実をよく知るべきだと警告を発している。それに対して安藤氏は、折口の二面性―極右的ものと極左的なもの―があって人間的には複雑であるが、その複雑さ故に魅力的で解明したい気に駆られるとし、複雑性が産まれる根本を解決してみたいと語る。細菌学などの分野で新しい分類の創造をした偉大な独学の在野の学者・南方熊楠のイギリスでの大英博物館浸りの勉強振りと帰国後の類稀な独創的研究、熊楠は森で図書館を感じ、図書館で森を感じた人だと安藤氏。そう、日本で最初のエコ運動家でもあった人なのだ。最後に、大江氏が安藤氏が試みようとしている青年・空海の妄想に関連して、去年暮れに亡くなった評論家・加藤周一もその著『日本文学史序説』で空海を重要視しているとし、本居宣長、荻生徂徠、森鴎外と書いてはいるが、加藤周一は空海を大知識人としていた節があると指摘した。大江氏は自分自身を超えたものの表現として小説を上げているが(最新の小説『水死』は父親が中心人物で、森に消えてゆくのではなく、洪水の川に去った父のあはれを書くのがテーマとか)、明解なことばを創る人こそが知識人たる所以だいう。年とると今までバラバラだったものがつながってくる。そのつないでくれる人を大事にすることだと締め括った。この後2,3の質疑応答があって、約2時間強の対談は拍手喝采のうちに終了。印象に残ったのは、質疑応答の最後の質問に応えて、安藤氏が自分の体験として文字を覚えるのが遅かった子どもだったと告白、それは却って時間のズレを敏感に感受する良い面を備えさせてくれたという言葉だ。優れた書き手は、同時に、優れた読み手でもあるのだ。そういうことを実感した2時間だった。筆者は歴代の社長の肖像画が並ぶ由緒ある社内ホールからこれまた、歴史を刻んだであろう階段を下りて外に出た。夕方5時を回っても暑かった。もちろん帰宅途中の駅内で軽くジョッキーを傾けたのだった。余韻を味わいつつ―。

クロカル超人が行く 109 第3回大江健三郎賞受賞 大江健三郎氏×安藤礼二氏公開対談

クロカル超人が行く
 ここ何日かは天気が悪かったからか、快晴で夏日の昨日は特に、太陽が眩しかった。そんな暑い日に講談社社内ホールで開催された「第3回大江健三郎賞 大江健三郎氏と受賞者・安藤礼二氏との公開対談」を聴きに音羽まで出かけた。実は雑誌「群像」5月号にこの対談の開催日が載っていて応募して当選したのだ。
 受賞者安藤礼二氏は40才前半の多摩美大の先生で文芸評論家。筆者的には営業パーソン風の、どこかで見たことがあるような、健康的で庶民的な少壮学者の風貌かつ飾らない性格の様子(イメージ的には青白い弱々しい男性と思っていたが)。他方、大御所大江健三郎氏は今年73才、白髪の真面目な知識人といった感じ。最近自分の父親を題材にした『水死』を上梓し、その宣伝も忘れないノーベル賞作家だ。対談は講談社社内ホールで午後3時から始まったが、聴衆は優に500人は越えていて満員、この作家の人気のほどが伺える。その中には多摩美大の学生100人も聴きに来ていたのだ。安藤礼二氏が教えている学生なのだろう。100人も来るなんて、何か魂胆がある?授業の一環、あるいは必修?とちょっと邪推してしまった。
冒頭大江氏は対談前に自分の苦い体験をユーモアを交えて披露した。同じ時期に文壇にデビューした評論家江藤淳と講談社の雑誌「群像」の対談(今日みたいな対談)で意見が対立、それ以後50年間没交渉だった由。
安藤礼二氏の『光の曼陀羅 日本文学論』は、折口信夫の死者の書を扱った評論だが、右翼思想に傾き兼ない危ないものもあるので注意して読んでほしいことと作者にも以前のような不幸な事態に陥らないよう祈りたいとユーモアを交えて話された。
 対談の様子を簡単にメモから書き出してみよう。
 まずは大江氏が自分の幼少期の体験からずっと引きずってきた問題を解決に導いてくれた本がこの『光の曼陀羅』だと語り、その体験を語り始めた。四国の山奥で育った大江少年は、製紙の材料である植物栽培をしそれを大阪の造幣局に納入して生計を立てていた父親に漢字の間違いを指摘、怒られると思い母親の助言で家の裏から逃げ出したエピソードを語る。余程厳格な父親だったらしく、10回位しかまともに話したことがなかったと大江氏は半ば笑いながら言う。ある収穫期を終えて一段落したときの家での場面。漢字の木を三つ書く「森」という字を二つ続けると森森、読みはシンシンだが意味は海のひろがりの様子と学者の方が書いていたと父。わしらのような森のなかの人間には、森のひろがりは海のようであるから云々と父親が言っていたのを聞いて、それは水を三つ書いて、ビョウと読み、同じ漢字を重ねてビョウビョウと読むんですと大江少年が言ったら、父親は不機嫌になったらしい。それ以来父親がどんな本(雑誌論文)を読んでいたのかずっと気になっていたと大江氏は語る。しかもその出来事は、後に母親から面白い子どもだと聞かされたことと対をなして記憶に長く残っていたという。最近それが安藤礼二氏が書かれた「舞台芸術」14(自宅で刊行物の郵送便整理のなかで)の折口の文章「山越しの阿弥陀蔵の画因」の引用とされているものを見出だして心がおののいたと話す。長年の疑問が氷解したのだ。「中略 熊野では、これと同じ事を、普陀落渡海と言うた。観音の浄土に往生する意味であって、淼たる海波を漕ぎゝつて至り著しく、信じてゐたのがあはれである」(雑誌「群像」5月号P.295〜P.256から引用)の"”淼淼たる海波を漕ぎのところだ。
 ところで、折口は正しくはオリグチではなく、オリクチと発音すると半ばジョークも交えて語るのを忘れない大江氏、座談の名手なのだ。


2009/05/09

超人の面白読書 56 非漢字文化圏で初の文学賞受賞作品 イラン人女性のシリン・ネザマフィ氏の「白い紙」を読む

 5月6日発売の雑誌「文學界」6月号は第108回文學界新人賞受賞作品を掲載している。イラン人女性のシリン・ネザマフィ氏の「白い紙」だ。去年の芥川賞受賞者の楊逸「時の滲む朝」に続き、外国人しかも非漢字文化圏で初の文学賞受賞である。作者は来日10年足らずのシステムエンジニア、夢の続きを書いて行きたいと抱負を述べている。写真を見るかぎりでは美形だ。このところイラン人の若い女性監督の作品がテレビで取り上げられたり、雑誌「すばる」は先頃現代イラン女性文学を特集していたりとイランものが盛んだが。しかし、今回の文学賞選考である審査員は次のように書いている。低調である。わたしたちを動揺させ、憤激させ、哄笑させ、茫然自失させ、猛然と嫉妬させる作品を読みたい。それだけ書き手の水準が下がっていることなのか。久しぶりに手にした文芸雑誌(ときどきは特集を見て買うが)、筆者は最近の書き手の動向を追っていないから判断保留だ。
シリン・ネザマフィの「白い紙」は比較的短い小説ですぐ読めた。この小説は、イラン・イラク戦争下、国境近くのイランの田舎町を舞台に少女が少年に抱く淡い恋を繊細に描く青春小説だ。審査員の一人が言っていたように、最後のところはよくある映画のラストシーンを想起させるが、それでも感動的でほろりとさせられた。少し本文から引用してみよう。

ハサンの乗せていたトラックが、大量の黒いガスを排出しながらゆっくり動き出した。ハサンの顔がトラックの動きに合わせて、ゆっくり揺れる。私を見ている気がする。無表情な顔が少し歪む。 ハサンの母親が路上の反対側で、顔をチャドルで隠して、肩が激しく揺れている。ハサンの表情が黒い排気ガスで曇った。 ゆっくり遠くなるトラックを追うように足が動き出した。
「ハサン、ハサン!」後ろから男性の声がする。
「ハサン!」後ろを振り向く。足を引き摺りながら、走る先生だ。
「ハサン、ハサン!」先生が大きな声で叫ぶ。
「受かったんだ!大学、医学部、受かったよ」先生が叫びながら、紙のような何かを宙で回す。 横に着いた先生が泣いている。一緒に走り出した。トラックが速度を増す。
「ハサン、頼む、下りて!お願い、下りて!」先生の叫び声が悲鳴にしか聞えない。
「医者になろう、ハサン、そっちの方が国が助かるから、ほんとだから信じて!」
 遠くなるハサンの顔が黒い排気ガスに包まれ、もう表情が見えない。
 立ち止まった。
「ハーサン!」先生が全力で叫んだ。
膝が体重を支えきれない。地面に座り込んだ。先生が横で顔を両手で掴んで大声で「どうして、どうして!」と叫ぶ。
 一つの点になって行くトラックの列を見つめる視界が曇る。
ハサンと一言も交わさなかった。

21台もの大きなトラックが消え去った。
 土埃に包まれている黒チャドル姿の女性たちがお互いを強く抱きしめ、泣いている。チャドルが頭の半分までずり落ちているハサンのお母さんが、真っ赤に腫れ上がっている顔に小さくなった目を細め、去っていく息子の最後の姿を目に焼きつけようとしている。

 濃い緑のトラックの列が視界から消えた。何百人もの白い紙を乗せたまま、黒い排気ガスとともに、走り去った。

 ラストの32行を書き写してみた。何十台ものトラックが立ち去るときの埃が、自分にもかぶってくるような妙な感覚に襲われた。別れのシーンがドラマティックだ。動のなかに静がある。 この比較的短い小説には極力主語が省かれている。日本語の特性を活かした文章表現を念頭においた作者自身の戦略かも知れない。短いセンテンスはストリー展開に一定の効果を発揮することに成功しているが、文章のうねりみたいのもあったほうがさらに効果的だと筆者は思うのだ。日本語はまだ粗削りだが、対象を捉えて描く力や繊細な感情を表現する力には見るべきものがあるようだ。ここには一見平凡な青春小説だが(戦争という舞台設定はあるものの)、現代日本の若者が忘れかけたちょっとすました恋愛の形がある。日本語に磨きをかけた次に期待したい。同時に、外国人の受賞に刺激され相乗効果で書き手の水準がさらに上がることも期待したい。

2009/05/07

超人のジャーナリスト・アイ 106 ゴッホの耳はゴーギャンが切断とドイツの美術史家らが新説発表

スウェーデンのDN紙の電子版を覗いていたら、こんな衝撃的な記事が出ていた。下記はその全文。

ゴッホの耳はゴーギャンが切断とドイツの美術史家らが著書で新説を発表

Vännen Gaugin skar av van Goghs öraPublicerat 2009-05-05 15:21

Foto: AP Photo/Christie's 3105003131_2

Det var vännen och kollegan Paul Gaugin som stympade Vincent van Goghs öra, inte van Gogh själv. Åtminstone om man får tro de två tyska konsthistorikerna Hans Kaufmann och Rita Wildegans som i sin bok "Van Goghs öra" försöker skriva om historien.

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De två författarna har gått tillbaka till polisprotokoll och nedtecknade vittnesmål om vad som hände på julafton i Arles 1888. De två vännerna festade och grälade om en prostituerad, Rachel, samt om konstens natur.

Gaugin var inte bara konstnär utan också en duktig amatörfäktare. Till slut hamnade de ute på gatan. Enligt boken försökte Gaugin, med bagage och svärd intill sig, hålla van Gogh i från sig när han av misstag skar av hans öra.

Van Gogh tog på sig skulden för att skydda sin vän, enligt författarna, som medger att de inte har vattentäta bevis. De två konstnärerna återsåg aldrig varandra. Gaugin reste till Tahiti. Van Gogh hamnade på mentalsjukhus. Året därpå sköt han sig
(2009年5月5日付のスウェーデンの有力紙ダーゲンス・ニーヘーテル紙電子版より)

■Van Gogh's ear 'was cut off by friend Gauguin with a sword'
 from The Telegraph.com on the 5th of May

Van Gogh's ear 'was cut off by friend Gauguin with a sword'
He is known as the tortured genius who cut off his own ear as he struggled with mental illness after the breakdown of his friendship with a fellow artist.

By Henry Samuel in Paris
Last Updated: 10:43AM BST 05 May 2009

Self Portrait with Bandaged Ear, 1889 by Vincent van Gogh (1853-90) Photo: Samuel Courtauld Trust, Courtauld Institute of Art Gallery But a new study claims Vincent Van Gogh may have made up the story to protect painter Paul Gauguin who actually lopped it off with a sword during an argument.

German art historians say the true version of events never surfaced as the two men both kept a "pact of silence" – Gauguin to avoid prosecution and Van Gogh in a vain attempt to keep a friend with whom he was hopelessly infatuated.


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Van Gogh painting to fetch £17m
The £22m smile of friend who betrayed Van Gogh
Undeniably strange
Archer's very own Van GoghIn Van Gogh's Ear: Paul Gauguin and the Pact of Silence, Hans Kaufmann and Rita Wildegans claim it was the sword attack, not Van Gogh's madness, that led him to commit suicide two years later.

The prevailing theory is that the Dutchman, who painted Sunflowers and the Potato Eaters, almost bled to death after slashing his own ear with a razor in a fit of lunacy on the night of December 23, 1888.

He is said to have wrapped it in cloth and handed it to a prostitute in a nearby brothel.

However, the new work from experts in Hamburg offers a very different version.

Gauguin, an excellent fencer, was planning to leave Van Gogh's "Yellow House" in Arles, southwestern France, after an unhappy stay.

He had walked out of the house with his baggage and his trusty épée in hand, but was followed by the troubled Van Gogh, who had earlier thrown a glass at him.

As the pair approached a bordello, their row intensified, and Gauguin cut off Van Gogh's left earlobe with his sword – either in anger or self-defence.

He then threw the weapon in the Rhône. Van Gogh delivered the ear to the prostitute and staggered home, where police discovered him the following day, the new account claims.

Gauguin had undoubtedly been staying with Van Gogh, but most experts think he had disappeared before the ear incident.

Although the historians provide no "smoking gun" to back up their claims, they argue theirs is the most logical interpretation, and explains why in his final recorded words to Gauguin, Van Gogh writes: "You are quiet, I will be, too".

They cite correspondence between Vincent and his brother, Theo, in which the painter hints at what happened without directly breaking the "pact of silence" made with his estranged friend.

He mentions Gauguin's request to recover his fencing mask and gloves from Arles, but not the épée.

Mr Kaufmann told the Daily Telegraph: "He writes that it's lucky Gauguin doesn't have a machine gun or other firearms, that he's stronger than him and that his 'passions' are stronger."

He makes reference to a French novel in which the narrator thinks he has killed his friend by cutting the climbing rope linking them.

"Afterwards, he says to himself: 'nobody has seen me commit my crime, and nothing can prevent me from inventing a story which would hide the truth'," said Mr Kaufmann. "This was a message to his brother."

He also pointed to one of Van Gogh's sketches of an ear, with the word "ictus" – the Latin term used in fencing to mean a hit. The authors believe that curious zigzags above the ear represent Gauguin's Zoro-like sword-stroke.

The historians also contend that, while Van Gogh clearly suffered from seizures, he had not gone mad at this stage.

"That was propaganda and all part of Gauguin's self-defence strategy," said Mr Kaufmann. "But it was a shock from which Vincent never recovered, led to the aggravation of his disease and paved the way to his suicide," he said.

Other Van Gogh experts, including those at the Van Gogh Museum in Amsterdam, disagree with the authors' claims. However, Nina Zimmer, the curator of a major Van Gogh exhibition in Basel, was less sure: "Perhaps they're right, but all the hypotheses are valid given the lack of material," she told Le Figaro.

■上の記事のキーワード「SWORD」関連でこんな記事もネットから。

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Poem for the Day

WANTED: JAPANESE SWORD
It's one of those lighted signs
you tow behind a truck. For years,
the man down the street has kept it in his yard––
as if a retired samurai might wander by
on his way to Lund's Hardware
or the Whippi Dip. Tonight, I sit out
in the moonlight. The neighbor is drunk,
his stereo loud, You done me wrong,
sung in a man's voice. The music
seems familair, but it's not.

Moonlight has a strange effect.
In 1856, under a full moon,
James Jesse Strang,
the self-styled Mormon prophet,
ran a sword through his chief rival
on Beaver Island, declared himself King
of Michigan, and began a bloody rebellion
that didn't end until a frigate was sent
to put it down. And did you know
the Japanese saber combines
a European hilt with a Japanese blade?
It's forty inches long and weighs three pounds.
Of course, my neighbor may want
a katana, long-sword of the samurai.
"The human heart is unknowable," the poet
Tsurayuki wrote, "but in my birthplace,
the flowers smell the same as always."
The wind moves through the roses
that tangle in the fence, rose that are
a delicate pink in any light.

Did you ever want a different life?
When I did, I went into the fish business
and sold salmon roe to the Japanese.
Ikura, it was called, tiny eggs
that gushed from the razored salmon
like translucent orange moons.
I was going to be rich.
You lost your ass! my father laughed,
meaning I would never be the King of Michigan.

The music stops. My neighbor
comes into his yard and starts
banging a stick against the ground.
He begins a drunken dance, a dark figure
backed by a glowing sign––whirling,
jumping on one leg––he falls, rises, and
falls again, twirling the stick around
his head, groaning and shouting out.
Finally, he stumbles and does not rise, his body
lost in the cedared dark.
What does it mean to want so badly
you dance in the glow of your own desire?
Sending a stick hissing through the sky,
pounding the earth until you disappear,
amazing no one but yourself?

-Greg Rappleye

from sonnets at 4 a.m


2009/05/06

ラ・フォル・ジュルネ 「熱狂の日」音楽祭 2009 バッハとヨーロッパ

200905041716000ラ・フォル・ジュルネ 「熱狂の日」音楽祭2009のテーマはバッハとヨーロッパ。ラ・フォル・ジュルネは 1995年、フランスの港町ナントで始まり、2005年には日本に上陸したクラシック音楽祭。今年で4回目、去年から金沢でも開催している(金沢 2009は「モーツァルトと仲間たち」)。東京の丸の内、東京フォーラムの各会場で200905041804000300以上のコサートが5月3日から5月5日まで聴けるのだ。パンフレットによれば、一流の演奏が破格の料金で楽しめ、ご家族でまるまる一日楽しめる。今年は「バッハとヨーロッパ」Bach is Back ! バッハの書架に遺された膨大な楽譜を手がかりに、ヨーロッパ・バロックの広大な世界を一望する構成に、バッハの2つの側面、「世俗音楽」と「宗教音楽」の傑作のほとんどを紹介。マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、マニフィカト、ロ短調ミサ、カンタータの「宗教音楽」、一方、ピアノ協奏曲(1台、2台、3台、4台のピアノのための)、ヴァイオリン協奏曲、管弦楽組曲、ブランデンブルグ協奏曲、無伴奏チェロ組曲、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、平均律クラヴィーア曲集全曲、ゴルトベルク変奏曲、フーガの技法の「世俗音楽」。バッハ以外ではヴィヴァルディの「四季」、ヘンデルの「メシア」などや18世紀から20世紀の作曲家によるバッハの編曲も紹介される。
バッハの魅力は、ハーモニーの豊かさ、メロディの美しさ、形式の完璧さ、インスピレーションの深さによって時間を超越している。ショパン、シューマンなどの作曲家やカザルスやケンプなどの演奏家が一日の始まりにバッハのプレリュードを弾いたり、ベルイマンやタルコフスキーが自分の映画にバッハの作品をしばしば使用したことなど音楽の力を知っている。パンフレットは最後にバッハの音楽は「癒し」につながり、私たちになぜアートが必要なのか、その答えがバッハにあると結んでいる。宗教音楽の世界的大家ミシェル・コルボ、名ヴァイオリニスト兼指揮者ジャン=ジャック・カントロフ、ヴァイオリニストのファニー・クラマジラン、パヴェル・シュポルツル、ネマニャ・ラドゥロヴィチや南紫音、ピアニストのアンヌ・ケフェレック、クレール・デゼール、リデイア&サンヤ・ビジャーク姉妹などの注目の演奏家たちが登場する(「ラ・フォル・ジュルネ 「熱狂の日」音楽祭2009」のパンフレットから引用)。

 筆者は5月4日の午後7時15分からAホールでJ.S.バッハの2台のピアノための協奏曲第一番ハ短調他を聴いた。ジャン=ジャック・カントロフの切れのある指揮のシンフォニア・ヴァルソヴィアの演奏、カラヤンに才能を認められた才媛ブリジット・エングラーの力強い演奏それにボリス・ベレゾフスキーの華麗な演奏は、クラシックに素人の筆者にも(Rachel Podgerのヴァイオリン演奏によるJOHANN SEBASTIAN BACH 「COMPLETE SONATAS & PARTITAS FOR VIOLIN SOLO」 はよく聴いているが)十二分に楽しませてくれた。力強さと華麗さそして軽やかさ、ナントもいい気分になったのだ。これが音楽の真髄―。
 ところで、この会場で日曜日に視たばかりのNHKの番組「COOL」に出演していたスペイン人の男性を見かけた。全く偶然に筆者の席を通り過ぎていった。また、演奏終了後、茂木健一郎と鈴木雅明対談が200905041852000地下の特設会場で行われていて、それを少し眺めて腹ごしらえにとレストランに向かっている最中にこれまた、偶然に先ほど演奏終えたばかりのボリス・ベレゾフスキー氏に200905042019000出合ったのだ(慌てて撮ったのでピンボケ ! )。
今年はOTTAVAだけでなく、NHKFMも200905041753000特設スタジオを設けていた。そのOTTAVAによれば、来年2010年はショパン生誕200年に因んで「ショパンと仲間たち」がテーマらしい。

2009/05/05

クロカル超人が行く 108 台東区竜泉・千束界隈 続

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200905041545000_3200905041545001_3200905041609000_4200905041631000_3200905041634000_3200905041635000_3

千束界隈。吉原大門跡には新しい現代風の柱が最近建ったと近くのKOBANのお巡りさんが教えてくれた。吉原神社にお詣り、しばしこの界隈の地図と年表を一瞥。
試しに自動案内のボタンを押したら、江戸では朝の魚河岸に千両、昼の歌舞伎に千両、夜の吉原に千両が落ちたと語る、また、樋口一葉の『たけくらべ』の舞台はこの神社の東300メートル行った所と語って途切れ、案内は終了。さて、土手通りへと戻ろう。途中この辺で働いている男性に現在のソープ事情を少し聞いたら、100分、35000円が相場だと。120分、100000円もあるそうな。遊び帰り客が後ろ髪引かれる思いで振り返ったという見返り柳は200905041607000_4
千束3丁目ガソリンスタンドの脇、明治38年創業の天麩羅屋『伊勢屋』は土手通りの向こう側に見えた。5時開店だがすでに5人ほど並んでいた。最後に浄閑寺へ。土手通りを歩くこと15分、明治通りを横切り振り出しの地下鉄日比谷線三ノ輪駅も素通りしたが、見当たらず。そのまま右折したら南千住の番地にぶつかり引き返し、今度は都電三ノ輪駅方向へ進んだ。ちょっと行き過ぎたかなとJRの電車が通っているガードした付近を横断したが、今度は東日暮里の番地だ。思わず浄閑寺はどの辺ですかと近くの店で訊ねてしまった。そこですよと男性が見える位置まで出てきてくれた。すると今横断した後方に寺が見えた。浄閑寺は投込寺と呼ばれ、そこには新吉原遊廓で死んだ遊女25000人の霊を慰める「新吉原総霊塔」が建てられている。また、永井荷風の文学碑もあった。この吉原界隈(今の千束界隈)に江戸幕末期シューリマンがお抱えを連れて尋ねたことはその著『シュリーマン旅行記清国・日本』に詳しい。

大阪ミナミの飛田新地には夕暮時の風情があるが、東の台東区千束界隈には絶えず進化し続けるエンターテイメントのダイナミズムがある。


クロカル超人が行く 108 台東区竜泉・千束界隈

 筆者は以前に大阪ミナミの飛田新地を訪ねてリポートしたが、その時に次は東京の吉原付近を行ってみたいと書いた。あれから4年近くが過ぎてやっと実現した。地下鉄日比谷線三ノ輪駅下車→一葉記念館→吉原大門跡→吉原神社→見返り柳→天麩羅『伊勢屋』→浄関寺のコース、約2時間半だ。ゴールデンウイークの後半のこの日は天候にも恵まれ散策には絶好の日、まずは樋口一葉の新資料も特別公開の記念館を覗いた。その前に樋口一葉旧居跡でパチリ。200905041354000_3最近はボランティアのガイドがいて、申し出れば館内案内をしてくれるのだ。一応断って新資料のある2階へ。明治10年代に樋口一葉の家族も住んだ長屋がミニチャー版で再現されすごくリアリスティックだ。自筆原稿、書簡類それに遺品が展示されている。原稿や書簡の流麗な字はその形の鮮やかなこと、感銘するほどだ。壁には一葉の軌跡がレイアウトよろしく飾られている。観て歩いているうちに、明治時代の木製の肘掛椅子に座っていた老夫婦の会話が漏れ聞こえた。一葉は随分苦労したんだね。でも周りの良い人に助けられたとぉ。苦労しないと作家にはなれんとな。その訛りから察して九州から来た人のようだ。「萩の舎」での書道の勉強と平安朝文学の素養が滲み出ているのだ。見事だ。若くしてこのような才能に秀でていたのは後天的だけではないはずだと思っていたら、やはり祖父に漢詩と狂歌の才があったことがこの館で初めて知った。それにしても某陰流の書は読みにくい。特別展示公開の新資料は、明治25年発行の『改進新聞』Img072_2
で一葉の「別れ霜」(このときの筆名は浅香のぬま子)が15回にわたって掲載され、そのすべてが一同に展示されている。長らくその所在が不明だったらしい。今年個人蔵のものが寄贈されたのだ。当時の雰囲気がよく反映されていて大変興味深い。森鴎外、半井桃水、斉藤緑雨、泉鏡花などの書簡、書籍や人物解説もていねいに読めば、短時間ではやわかり近代文学史になるのだ。3階には父、母、兄弟などの生い立ちに言及したコーナー、中嶋歌子の歌塾「萩の舎」(当時流行っていてピーク時は塾生が1000人にものぼったという)の文学仲間とその周辺の写真、短冊、書簡、遺品そして当時の吉原の賑わいを描いた絵や一葉習作時の原稿、鏑木清方作の『一葉』の絵、その上に、ペリー来航時の図まであった。今度は向かいの方から鑑賞中の実年の一人の声が聞こえた。字は生きているね。隣にいた同伴者が透かさず応えて曰く、上手いこと言うわね、だって。一葉は「萩の舎」での姉弟子・三宅花圃に刺激されプロを目指したといわれている。生計が大分苦しかったためだ。それにしても驚嘆するのは、24年の短い生涯だったが、ほとんどの作品は死の直前の一年あまりに書かれていることだろう。創作力と集中力が並はずれていたからこそ可能だった―。そうか、天才か。筆者もこの年令のときは文学修業中だったが・・・。最後に1階に降りて写真をパチリ(館内員に許可をもらって)。200905041505000_3外に出て『一葉記念館』の玄関をカメラに収めたのだ。
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竜泉界隈から千束界隈へ歩を進めた。陽射しは再び強くなりかけていた。新緑の葉が風に揺れたのを見てすぐに、道路を横切ったが、気のせいか新緑が見えない、そこは別世界、夕方にはまだ間がある時間だった。ガチャンとコーヒー自販機の音。知らないうちに自分が押していたのだ。

【参考資料】台東区一葉記念館のパンフレット 名作「たけくらべ」ゆかりの地 竜泉町まちあるきマップ 企画展「新寄贈・寄託品展」展示資料一覧 『改進新聞』に掲載された「別れ霜」 (解説:野口硯)

2009/05/03

超人のスポーツ観戦 卓球世界選手権 2009 横浜

 今卓球世界選手権が5月5日まで横浜アリーナで開催中だ。卓球と言えば、荻村伊知朗選手や長谷川選手の活躍を思い出すが、最近では福原愛選手が活躍中だ。ハンガリー、オーストリア、チェコ、スウェーデン、ドイツ、アメリカなどヨーロッパやアメリカ勢が強豪だったが、1980年以降はアジア勢特に中国、香港、韓国、シンガポールが台頭、その中でも中国の強さは圧倒的だ。それは去年の北京オリンピックのゲームで証明済だろう。
ところが、2009年のゴールデンウィークに日本で開催中のこの世界卓球選手権では、驚くべき試合が若手、特に日本の男女に起きている。久し振りのテレビ観戦だが、興奮冷め止まない試合展開があったのだ。筆者的には卓球に対してそれなりの思い入れが強いスポーツ(何せ小学時代から馴染んで来たスポーツ、最も最近はラケットもどこかに仕舞い込んでしていないが)、それにしても思わず雄叫びを上げてしまうほど興奮の渦の中にあったのだ。

 昨日女子シングルス3回戦で福岡春菜200905022053000に勝った16歳の石川佳純が、4回戦で世界ランキング33位のシンガポールのユ・モンユを4-2で降し、ベスト8入りの準々決勝進出したのだ。これは03年のパリ大会の福原愛以来らしい。王子サーブの変幻自在、そのトス加減、タイミングは対戦相手の格上選手を惑わし、回転のかかったドライブに速攻で攻める新しいスタイル、その清々しい試合運びはあっぱれそのもの、しかも左利き。革命天使といわれる所以の大型新人の登場だ。男子シングルスでは、雄叫び男、吉田海偉が韓国の金延勲を4-2で圧勝し、24年ぶりにベスト8入り。彼のフォアドライブの威力は凄かった。また、このあとのテレビ中継はまさに激突、興奮、歓喜の渦そして拍手喝采劇だった。
 若干18歳の松平健太200905022200000が北京オリンピックの金メダリスト・中国の馬琳と対戦(世界ランキング101位と2位 !)、大健闘。フルセットの末、惜しくも3-4で敗れたが、アナンウンサーも雄叫びを上げ、歴史に残る名試合だ、天才マツケン、きっと近いうちに世界チャンピオンになるなど絶賛の羅列だった。彼の縦横に切れるサーブは見事、相手が戸惑うサービスエースが結構あった。確かに試合では負けたが、勝負では勝っていたのだ。バックハンドからの速攻、ラリーに打ち勝つパワー、それに手首を使った返球の速さ、しなやかなのだ。2位の中国の馬琳は、松平健太よりひどく汗をかいていて、その表情には確実に焦りの色が見て取れた。手に汗を握る試合とはこういう試合のことだ。惜しかった、大逆転劇を演じてほしかったが叶わなかった。次回に期待しよう。試合直後のインタビューも爽やか、もっと攻められると思った―。イケメンである。(付記。試合後対戦相手の中国の馬琳選手が近いうちに中国の強敵になると語り、彼の将来性を評価と5月3日付毎日新聞は伝えていた)200905022159000

その他スーパー中学生・丹羽孝希の活躍も目立ち、福原愛・平野早矢香組、水谷隼・岸川聖也組は準々決勝へ進出した。日本卓球界には明るいニュースが続いている。
【写真はいずれもカメラ付携帯電話でテレビ中継の試合を撮影したもの。プロテクター付のテレビを撮ったため写真に歪みが見られる】

2009/05/01

クロカル超人が行く 107 横浜ベイエリア再訪

200905011526000200905011620000200905011542000今年のゴールデンウイークは晴れマークが続くと気象予報士の話。だが、メキシコから不安なスペイン風邪の再来の兆しを見せる「豚インフルエンザ」で海外、国内とも大騒ぎ。その尺度は史上初の「フェーズ5」とWHOが発表したのだ。最悪のパンデミックの段階になると大変だ。海外旅行の絶好のチャンスに“豚だ”とは喰わせものである。そんな不安な社会現象をテレビで視たあと、今度は新聞で永井荷風没後50年の命日が4月30日だと知り、関連記事を読んだ。数時間経った明け方、筆者は永井荷風の『墨東綺潭』を取り出し枕元で数ページ捲った。昭和11年頃の玉の井の芸妓の件や隅田川の土手風景を見に山の手の麻布から市電や地下鉄を乗り継いで下町の下谷へと散策する荷風だ。全財産をボストンバックに入れて。『断腸亭日乗』は観察の賜物ような日記だが、この『東綺潭』の下町風景を補完する貴重な書きものだと解説者は言及して何度も引用していた。今は昭和の回帰がブームで、その昔懐かしさに癒されるのだとか。

さて、そんな情景から筆者はひとっ飛びして薫風の横浜ベイエリアに遊んだ。この先の赤レンガでは横浜開港150周年イベントが開催したばかりだ。
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薫風や缶麦酒が揺れ大回転

写真解説を少し。日本丸のマストが見られるのは今度は5月10日。大人500円の遊覧船はこの近くの船着場から中華街まで往来。新発売のエール風のアイリッシュビール、キルケニーの缶ビールを被写体に―。

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