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2009/02/20

学術先端情報―学術情報誌「CPC Journal」の最新号紹介     

2009年第1号 特集 : ライブラリアンは今 知の交流発信地のめざすもの

目次Img059_cpc1
■インターネット環境下における原資料―憲政資料を例に― 国立国会図書館政治史料課長 堀内 寛雄Img048_horiuchi
■地方図書館をめぐる現状 いわき市立いわき総合図書館長 小宅幸一Img052_oyake
■「民間」公共図書館の可能性 国立国会図書館電子資料課長/前東京都千代田区立千代田図書館長 柳与志夫Img053_yanagi
■「日米韓」の図書館を訪問して 滋賀県愛荘町教育長/前愛知川図書館長 渡部幹雄Img056_watanabe
■私説「いちばん病」 シカゴ大学図書館日本研究上席司書 奥泉栄三郎Img058_okuizumi
■文化としての科学を求めて 大分「児童文学と科学読物の会」代表 辛島泉
■特集寸想 小浜傳次郎Img057_obama


  文化としての科学を求めて
大分「児童文学と科学読物の会」代表 辛島 泉

最初の科学読物『訓蒙究理図解』
 我が国最初の科学読物(子どもの科学の本)は、『訓蒙究理図解』と云われている。著したのは、啓蒙的洋学者として知られる・・・というより、あの一万円札の福澤諭吉翁ときいて驚く人も多い。諭吉の数ある著作の中でも、自然科学に関するものはこの一冊だけ。ほとんど世に知られていない小編である。訓蒙とは、子どもや初心者に教え諭すこと。究理とは、科学全般、特に物理学のことを指す。諭吉は、我が大分県ゆかりの人でもある。
 『訓蒙究理図解』は、1868年(明治元年)に出版された。彼は何故「科学」の必要性を説いたのか。幕末から明治初期の激動の時代にあって、日本が国際社会の中で生き残っていくのに、「科学」に基づいた論理的思考が不可欠であると考えたからである。彼は欧米から持ち帰った数冊の物理学の原書を参考に、身の回りで起こっている自然現象の成り立ちについて、初心者に分かるようにやさしく解説した。物理学を重視する理由として、真に大切なことは単に知ることではなく、理解することである。この理解するという思考の仕方を、物理学を学ぶことで体得せよとすすめている。
 当時から140年を経た今日、果たして諭吉が描いたような科学の基本的原理原則を理解するような教育が我が国でなされているだろうか。私たち大人の中に、論理的思考や科学的素養(科学リテラシー)は根付いているだろうか。
科学リテラシー調査が問いかけるもの
 2007年12月OECD(経済協力開発機構)が発表した15歳児を対象とした国際学習到達度調査によると、日本は57か国・地域中、理科の知識に対する得点は5位前後だったが、「科学への関心」に関しては最下位というショッキングな結果だった。例えば、「科学の本を読むことが好き」は36%、「科学に関するテレビ番組を見たり、新聞や雑誌の記事を読む」は8%、理科の授業について「クラス全体で討議する」は4%で、いずれも最下位というお寒い状況。つまり、理科の得点はそこそことれても、科学が自分や人間社会の中でどのように大事な役割を持っているのか、なぜそれを学ぶ必要があるかが分かっていないと云えよう。勿論、その理由を子どものせいにはできない。なにしろ、18歳以上の大人の科学技術基礎概念の理解度調査(2001年)の結果は、日本は17か国中13位という結果だったのだから。諭吉の慨嘆の声が聞こえて来そうである。
大人の文化の中で科学が心を捕えるものでないなら、子どもに面白さが伝わる筈がない。
大人が子どもの科学の本を読む
 科学が苦手という人に、私は子どもの科学の本(科学読物)をすすめることにしている。
科学読物は、大人にとっては格好の科学入門書であり、科学啓蒙書にもなる。科学読物は、概して段階を追って簡潔に事実や本質が述べられているので読み易く、理解しやすい。薄いし、ビジュアルなので楽に読める。同じテーマの本を何冊か読めば、基本的な知識を手に入れることができ、知らないことを知る喜びを与えてくれる。
 この程、待望久しかった2冊の科学絵本が再版された(何でもノーベル賞効果だとか)。『小さな小さな世界―ヒトから原子・クォーク・量子宇宙まで』『大きな大きな世界―ヒトから惑星・銀河・宇宙まで』(共に、かこ さとし作/偕成社)は、私達を小さな小さな量子宇宙の世界から、大きな大きな宇宙まで連れていってくれる。想像力に導かれて、10の-35乗mから10の27乗mの世界まで旅することができるのである。開く毎に新しい発見があり、何度読んでも飽きない。
 科学リテラシーを養うため、大人が子どもの科学の本を読むというのは如何だろう。
児童文学と科学読物の会の活動
 子ども達が物語絵本や児童文学を楽しむように、科学読物にも親しんでほしい。そんな願いをこめて、「児童文学と科学読物の会」は1991年に発足した。来年20周年を迎える。「子ども達と(・)科学の本の楽しさを、科学する喜びを」がモットー(子ども達にではなく、と(・)としたところがミソ)。
 子どもたちは出会う機会さえあれば、科学読物が大好き。特に文学とか科学とかの区別のない幼い頃から科学読物に出会っていれば、大きくなっても何の偏見もなく科学の世界に入っていける。科学読物に関しては、周りの大人の役割が大きい。ノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊教授は、「科学は習っているだけでは楽しくない。自分で考えて、やってみて、面白いと子どもが感じることが大事だ」と仰っている。又、「科学って面白いんだナと感じさえすれば、その子は一生科学が好きになる」とも。
 私達の会の会員の多くも、入会してはじめて科学の世界の面白さを知り、今では科学読物や科学あそびを自ら楽しみながら、その喜びを伝えることに情熱を注いでいる。毎月の読書会や子ども達との科学あそびの会は、自らの科学リテラシーを鍛える場でもある。
文化としての科学を求めて
 「科学」は本来面白く、驚きに充ちたロマンの世界である。私達がひらいている科学あそびの会は、どの会場もどの年令の子にも大好評。付き添い大人も興味津々。夢中になって子どもといっしょに楽しむ姿は、感動的ですらある。人間は、本来知的好奇心を持った存在なのだ。
 『歴史における科学』の中で、著者バナールは、科学のもつ他面的な特質を次のように分析している。
1) 多くの人に職場を与える<制度としての科学>
2) 真理を発見する方法を教える<方法としての科学>
3) 過去から累積された<知識としての科学>
4) ものを作る基礎・手段になる<生産力としての科学>
5) 宇宙や人間の見方の源泉となる<思想としての科学>
6) よろこびの多い人間的な活動、営みのひとつである<文化としての科学>
さまざまな側面を持つ科学の何が「科学への関心」や科学リテラシーの欠如を招いているのだろう。それは、<生産力としての科学>を追い求めて来た科学教育の目的論に問題がありはしないだろうか。科学の別の側面、<文化としての科学>という側面に視点をシフトさせて教育や社会のあり方を考える。そんな取り組みが今少しずつ日の目を見はじめている。私達の会の活動もそのひとつであるが、各地で草の根で行われてきた科学ひろばや、今注目されているサイエンスカフェの試み等もそのひとつであろう。
 誰もが文学や芸術を文化として楽しむように、科学もまた文化として楽しめる社会になれば、どんなに人生が知的で豊かなものになるだろう。図書館がそんな社会をサポートする拠点のひとつであってほしいと、切に願っている。

追記 辛島泉氏は2015年7月16日に逝去されました。生前のご厚情に感謝しつつ、心からのご冥福をお祈り申し上げます。安らかにお眠りください。(2015年7月30日 記)

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