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2008/05/31

クロカル超人が行く 92 ヨコハマたそがれ

クロカル超人が行く

クロカル超人が行く

         みなとみらい景色は窓に梅雨知らせ

超人のジャーナリスト・アイ 81 『デンマ-ク映画特集』

久しぶりにScandinavian Reviewの電子版を見ていたら、最新号(2007年秋冬号)でデンマーク映画特集を組んでいた。筆者的にはデンマークの映像関係で映画ではないが、テレビドラマの『キングダム』の続きをぜひ観たいと思っているが。下記の英文はScandinavian Reviewの電子版より。

The Golden Age II

Lars von Trier didn’t invent the Danish film industry,
but he’s a reminder of when Hollywood took its cue
from Copenhagen.
By Donald Dewey

Tove Maés starred
in Ditte, Child of Man
from 1946.
Finland and Norway and forget about that other country from which people
named Bergman have come. In short, we have never been in the habit of
thinking of Denmark when it comes to the world’s most fecund film nations.
And that would make us slow on the uptake twice—once vis-a-vis the
distant past, the second time within the context of the last decade or so. Even
those who might have heard of Lars von Trier and his Dogme 95 movement,
if only through the director’s off-screen antics and Breaking the Waves, are
続きはこちら→「GoldenAgeOfDanisgFilmsOPT.pdf」をダウンロード

2008/05/29

超人の面白ラーメン紀行 93 横浜『家系ラーメン総本山 吉村家』

超人の面白ラーメン紀行 93
家系ラーメンのトップを走る横浜『家系総本山 吉村家』。雨降りで肌寒い午後に思い出してここに立ち寄ったが、やはり噂通り並んだ。その間25分、店の新聞で第二次世界大戦末期に約1200人のユダヤ人を救済、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」で知られた実業家・オスカー・シンドラーが経営していたエナメル容器工場が来年、博物館に生まれ変わり新たな観光スポットとして関係者の期待を集めているという共同通信配信の記事が目に留まり時間を忘れさせてくれた。その後はキョロキョロ。カウンターで食べている人26人、外で待っている人25人、計50人以上それに厨房でラーメンを作っている人6人、ホールで接客担当で働いている4人―総勢60余人がこのビルの一階“超”の建物を占めていた。しかも客はほとんど若い男性だ。野性的で個性的、雰囲気も一昨日食べた『ちゃぶ屋 』とはまったく正反対の店である。入れ替え制で先に券売機で購入してから並び、途中接客担当者が人数、注文の品それに麺の固さ、量、濃さなどの好みを聞き厨房に知らせる、こうすることによって客を7、8人単位で捌け客が席に着いてすぐ食べらるのようにしているのだ。合理的なシステムで客を捌くあたりなかなか大したものだ。
オプションの海苔(60円)とゆで玉子(80円)を加えたラーメン(590円)に好みの麺柔らかとスープ多めを頼んだのだ。豚骨醤油濃厚のいわゆる「家系」ラーメンの本格派、熱々にどんぶりから溢れるほどのスープ、見事なのは海苔10枚、ピンク色の焼豚(筆者的には硬いがう・ま・い)だ。しかしだ、この豚骨醤油濃厚ラーメンはやはりちょっときつい。カウンターにはしょうが2種類、焦がしニンニク他3種類の薬味が瓶に揃う、その色臭いは様々だが、ふるっているのはラーメンの上手な食べ方が店の正面に貼ってあることだ。こりゃ、参った ! 人それぞれの食べ方で良いのに・・・。そんなことを考えながらどんぶりは空状態に近づいた、黄色く多少不揃いの太麺が濃厚スープに絡む食感はこの手の豚骨醤油系が苦手な筆者でも良い。その証拠にほとんど完食だ。海苔が多すぎ、味付玉子がイマイチで多少残った。
このラーメン店はトッピングが安く豊富だ、10種類以上はあるか、これはいい。全体的に価格も手頃だ。男性のワークシャツとタオル巻きそして長靴、“なんつっ亭”と瓜二つだ。
場所はJR・相鉄横浜駅西口から徒歩7分 東急ハンズ先の岡野交差点左、西区南幸2-16-6。
電話045-322-9988 営業時間11時〜24時半 月曜定休日
横浜『家系総本山 吉村家』スープ★★麺★★トッピング★★☆接客・雰囲気★★価格★★★

野性的だ寸胴の具春十色


2008/05/27

超人の面白ラーメン紀行 92 文京区音羽『ちゃぶ屋本店』

Nec_0249_3約1ヶ月振りでのラーメン紀行(この間もちろん相変わらず行列ができている永福町『大勝軒』、秦野市『なんつっ亭本店』や京都市山科『夜鳴きや』には出かけたが)は文京区音羽一丁目にある『ちゃぶ屋本店』。この日は夏日で昼下がりはさすがにきつかった。筆者は以前に来たことがあったが、その時は生憎定休日で入れず近くのうどん屋で昼食を取ったのだ。入ってすぐにあれっ、レストランかっ、一瞬間違えたが、オープンキッチンの寸胴を見て一安心したのだ。紛れもなくここはラーメン店、それが黒と赤の配合が冴えた椅子、立体感と奥行きを演出した荷物棚、ガラス張りで見える自家製麺“製造”過程などアイデアを駆使したおしゃれなラーメン店に“変身”しているのである。似たようなラーメン店が大阪ミナミの道頓堀にある洋風野菜ラーメンが売りの店だ。
さて、筆者は味噌ラーメンを頼もうと半ば決めかけていたが、一応お薦めはと店の人に尋ねてみた。すると“らぁ麺”との答え。で、すかさず正油味1996年式「らぁ麺」(650円)を頼んだ。数分後に供されたのは上の写真、なかなか上品なラーメンである。まずはレンゲで一振り、そして麺を啜る、あっさりとした滋然地鶏を使ったスープに三種類の小麦をブレンドした自家製細麺が絡んで味は絶妙、いい仕事していますと言いたくなるほどだ。美味。しっかりとした細麺とあっさり系スープそれに柔らかチャーシュー、葱とメンマなどのトッピングはシンプル、全体的に上品な一品に仕上がっている。器もすり鉢調だ。ランチメニュートッピングで半熟煮玉子(150円)、もやし(50円)、のり4つ切り5枚(100円)、メンマ(150円)、揚げニンニク(100円)などが選べる。メニューは他に味噌らぁ麺、葱味噌らぁ麺(焦がしエシャロットオイルの隠し味が華やかな風味とか)、塩らぁ麺、チャーシュー麺、ザルらぁ麺などこだわりの9種類。旧式新式と二種類のラーメンの仕様、ランチメニューとディナーメニューと時間帯によって値段も違う。この辺はレストランスタイルだ。
営業時間 11時半〜15時 18時〜21時 木金土 22時〜24時が加わる 定休日 火曜日 電話03-3945-3791
『柳麺 ちゃぶ屋』1.スープ★★★2.麺★★☆3.トッピング★★4.接客・雰囲気★★☆5.価格★★☆

2008/05/25

超人のドキッとする絵画 14 ムンク作『叫び』の謎

エドヴァルド・ムンク作『叫び』の制作年は1910年

ノルウェーの新聞「Aftenposten」の2008年5月22日付電子版より。

Munch masterpieces back on display in Oslo

Two paintings by famed Norwegian artist Edvard Munch are back where they belong, on the walls of Oslo's Munch Museum, after a nearly four-year odyssey of theft, recovery and rehabilitation. The drama unveiled some new information about the masterpieces as well.
"Scream" is back in place at Oslo's Munch Museum.
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PHOTO: SCANPIX


The paintings Scream and Madonna finally went back on permanent public display this week. They were stolen in a brazen, daylight robbery in August 2004, damaged during their rough handling and not recovered until last year.

Conservators carefully repairing Scream discovered during their work that the museum's version was painted by Munch in 1910, not 1893 as previously thought.

When the new summer exhibit opens on Friday, the museum will have a small question mark next to the new date, signifying that experts view it as probable, but not absolutely certain.

2008/05/24

超人の面白文学発見 ある文学研究会見聞記 4

  シンポジウム「モダニズムと中原中也」の最初のパネリストは澤正宏氏。タイトルは「中原中也とダダイズム」。澤正宏氏は中也の理論面でのダダイズム理解においては、高橋新吉の『ダダ』を読んだ中也の新吉宛ての手紙そして中也の1927年9月6日―7日の日記の文章、ダダは一番肯定した、私に於いては概念とはアプリオリが空間に一個形として在ることを意味する(正しい活動だけが概念ではない)などの文章に注目する。中也のダダイズム的な詩の検討ではわざわざ“ダダイスト中也”と書いている「退屈の中の肉親的恐怖」、「地極の天使」、「タバコとマントの恋」、「ダダ音楽の歌詞」そして「活動小屋」の詩に現れるダダ的なもの(言葉を破壊するダダイズムではなくて、新しい言葉を創造するダダイズム)を具体的に検討する。晩年期のダダイズムの現れ―ダダの成熟と詩―では「一つのメルヘン」(ソネット形式) を題材として取り上げる澤正宏氏。中也が哲学者西田幾太郎の著作『自覚に於ける直感と反省』」を読んでいたことが日記に書かれていることに注目、西田哲学の中心概念「純粋経験」を追う。現象学のフッサールやメルロ・ポンティそしてカントまで及ぶ。そして最後にこの「一つのメルヘン」を一つの「純粋経験」(の体系)としてとらえているからではないのか、詩の語り手が、もはや同時代のリアルな現実と対峙できない詩の創造空間だと認識しているので「メルヘン」としたのだろうかと仮説を打ち立てている。筆者は中也詩の読みの深さを思う一方、理解の深さももう少し哲学論の中でl欲しいと思ったのだ。

一つのメルヘン           (ソネット形式)

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な固体の粉末のやうで、さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりしていた
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・・・・

続いて二番目のパネリストは中原豊氏。中原中也における「近代(モダン)」・資料のタイトルで A  「近代(モダン)」へのスタンス B チェーホフの微笑 C ドーミエの「近代」性/日常語と文語を発表。「正と歌」(昭和3年8月の「スルヤ」、「詩的履歴書」(「我が詩観」昭和11年8月)、「詩に関する話」(昭和5年1〜2月、「白痴群」第6号 昭和5年4月)、「文壇に与ふる心願の書-「不安の文学」をめぐりて」(「日記」(雑記帖昭和9年7月20日)、「詩人座談会」(昭和9年11月27日(推定)、「詩精神」 昭和10年新年号 昭和10年1月) などの当時の雑誌を材料に中也における「モダン」を読み解く。筆者的には C ドーミエの「近代」性/日常語と文語の中での中也・心平対アナーキズム・プロレタリア系の人達との噛み合わない「詩人座談会」が大変面白かった。


         正午

                     丸ビル風景

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取りの午休み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても・・・・・・
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出て来るわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
そら吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

             初出「文学界」昭和12年10月


そして最後のパネリストは米村みゆき氏。タイトルはモダニズムと中原中也。昭和13年1月14日付「山口日報」に中也の死亡記事、「詩園」昭和14年4月、大岡昇平「中原中也の読まれかた」(「波」昭和50年2月)、中原稔「中原中也像のまなざし」(『中原中也全集 別巻』昭和46年)などの初期受容、宮澤賢治の研究者でもある米村みゆき氏は賢治の「月夜のでんしんばしら」や中也詩の「秋」、「春と赤ン坊」や「雲雀」などの詩にみられるでんしんばしら、電線、電報などにモダンな記号を読み解き、中也詩の感覚の変容、視点の変化を指摘する。電信柱がモダニズム ? 無理がないか、筆者はこの若い研究者の分析に多少違和感を感じた。

このあとパネルディスカッション、質疑応答と続いて夕方6時に閉会。2,3の質問があったが、その中で中也詩に見られる西田哲学の影響はむしろ現象学のフッサールやメルロ・ポンティじゃないかとみる鋭い質問もあって多少盛り上がりながらの閉会だった。6時30分には場所をかえて懇親会へ。著名な詩人、評論家や研究者がいるなかでS先生はもてもてだった。帰りの電車では詩人・評論家の北川透氏の教え子で女性研究者のAさん(筆者のブログを読んでいるとはオ・ド・ロ・キでした!!! )たちと会い、会の話など楽しい会話を楽しんだのだった。

超人のジャーナリスト・アイ 80 こぼれ話

  筆者は少し前にこのコラムで伊集院憲弘著『客室乗務員は見た!』の本の書評をしたばかりだが、2008年5月22日付毎日新聞朝刊のこぼれ話の記事を読んであきれてしまったのだ。“客室乗務員はすべった”。
 その記事によると、話はこうだ。アメリカのサンディエゴからニューヨークに向かう飛行機に乗ろうとした男性が、空港で満席と言われたが客室乗務員が席を空けてくれるということで搭乗した。ところが、途中でパイロットからトイレに行くよう命じられ目的地のニューヨークに着くまで5時間トイレに閉じ込められた。男性は多大な屈辱を受けたとして、この航空会社に200万ドル(約2億円)を求める訴訟を起こしたという。笑えないひどい話だ。妄想したくなるがトイレでの5時間、この男性は何してたのだろうか?読書タイム―。

2008/05/21

超人の面白読書 41 オルハン・パムク著和久井路子訳『父のトランク』

Img023_4たまたまだったのかも知れないが、筆者は関西出張中に3件目の書店でようやくこの本を手に入れた。本来なら著者がいたときのシンポジウムの会場で買っておくべきだったのだが。
 この本『父のトランク』はストックホルムのノーベル賞受賞講演を含む、オクラホマ、フランクフルトでの講演とノーベル受賞式直前のインタビューそれに2004年11月の来日特別対談からなる188ページの小品である。ここにはこの作家の内側が語られていて興味をそそられる。そっと何かを開けた感じ−。誰でもこういった類の話は一つや二つ持ち合わせていると思うのだが、できればトルコでの講演も収めてほしかった。やはり本国での反応も聞きたい・・・。
祖父は鉄道関係で富をなし、父や叔父もエンジニアとイスタンブールの比較的裕福な家庭で育った著者は、最初建築家・画家をめざすが22歳で断念、一念発起して作家を志す。その7年後自伝的色彩の濃い『ジェヴデット氏と息子たち』で作家デビューを果たすのである。トルストイ、ドフトエフスキー、トーマス・マン、プルースト、マルケス、フォークナー、ナボコフ、カルヴィーノ、ヘミングウェイなど西欧的教養を身につけ、年に一度はニューヨークのコロンビア大学で講義する宗教色は弱いが政治的発言を鋭く持つコスモポリタンだ。
この本の最後で色について聞かれているが、色はシンボル、象徴ではなくてテクスチャー、風合い、織りに何かを加味するものだと言って最初の『白い城』や『黒い本』は偶然つけたタイトルらしいが、あまりに色のことを言われるので三番目には意地で『わたしの名は紅』と付けたとか。そして随筆集のタイトルは『他の色』。このノーベル賞作家は絵画的志向の持主なのかもしれない。ところどころに“針で井戸を掘る”、“作家であることは、人間の中に隠された第二の人格を、その人間を作る世界を、忍耐強く、何年もかかって、発見することです”、“マラルメの「この世の全ては一冊の本の中に入るために存在する」ということばは、わたしによれば最後まで真実です”、“作家であることは他人の痛みがわかること、想像力を働かせることです”など傾聴に値する言葉が散りばめられている。小品が光るところだ。
オルハン・パムク著和久井路子訳『父のトランク』は藤原書店 2007年刊。定価1800円+税。

2008/05/18

超人の面白文学発見 ある文学研究会見聞記 3

Nec_0243シンポジウム モダニズムと中原中也(司会阿毛芳・疋田雅昭)が始まった。 1.中原中也とタダイズム 澤正宏 2.中原中也における「近代モダン」 中原豊 3.中也からのまなざし/中也へのまなざし 米村みゆきだ。そしてその後質疑応答と続く。ここでしばしその時を反芻してみたい。ここまで書いてハプニング。帰宅途中の東京駅で電車に乗り込んだところ、人身事故(これが最近多いのだ)のアナウンスだ。電車が動くまで約40分、その間昨日の続きを書いていたのだが筆者の思考も停止した。もちろん筆者の眠気も手伝って。<続く>

2008/05/17

超人の面白文学発見 ある文学研究会見聞記 2

  会場の受付で値段が高いと買うのに少し躊躇していた中原記念館発行の雑誌「中原中也研究」(編集人福島泰樹)第12号を読んだ。特集は富永太郎と上海、小特集は詩人と絵画だ。窪島誠一郎(その昔画家の喜一郎氏の個展で会った人だが)の大岡昇平、村山槐多、富永太郎、青山二郎の話そして作家デビューの頃、村上護(山頭火の生涯を書いていたときに某出版社で会っているが、弟さんもいた)の実意の遊興・青山二郎の四谷花園アパート時代の話、小田久郎の中原中也の戦後、大江健三郎は中原中也生誕百年記念講演での話でタイトルは詩人と共に生きるだ。大江健三郎は愛媛の田舎で伊丹十三にフランス語の手解きを受け中也を知ったらしい。その後大学で渡辺一夫門下生になり院生手前で作家デビューを果たすのだが、中也が渡辺一夫宅を尋ねて署名して置いて行った中也訳『ランボオ詩集』の話は特に興味深い(季刊「iichiko」 AUTUMN 2005 NO.8でもランボー詩集訳を小林と中也のとを比較検討している。執筆者は中也の野暮ったい訳と意訳をはねのけ、小林の訳は名訳と「永遠」の訳を引用、ことばという呪縛の強さを物語る最先端の実例ではないかと指摘している)。小林秀雄は中原中也訳に一歩譲ったとか、それは文体を重んじて訳したとか、渡辺一夫先生(筆者は最近昭和47年刊筑摩書房版世界文学全集「ラブレー集」を古本屋で見つけて買った)は中也にフランス語訳について相談を受けていたとか実際に中也署名本を持参しての講演だ。最近フランスで刊行されたアリュー訳『中也詩集』の実際例にも触れて注釈を施している。また、ご子息の大江光さんが作曲した中也の詩「また来ん春」まで紹介していたのだ。なかなかてんこ盛りの記事で刺激的だった。
急いで付け加えれば、福田百合子の「中原中也生誕百年に寄せて」の話もいい。
いわき市在住で100歳になる鈴木修平氏からある日1通の手紙が中也記念館に届いた。知人からもらった中也記念館発行のパンフレットを見て中也生誕100年のお祝いにとのし袋金一封と便箋2枚が手紙の中身。実は中也とは同い年で1929年(昭和4年)22歳のとき渋谷の留置場(なぜ留置場か、興味ある方は本文を読まれたい)で会って数時間話したという。手紙の中身の紹介、お礼の電話と電話での会話、鈴木氏の履歴を活写そして改めて中也の短命さを思って有名な詩を引用している。

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました


私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生きしたいと祈りました


私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

        (「生い立ちの歌」より。詩集『山羊の歌』収録)

 今や生身の中也を知る人はほとんどいなくなった。
 これでこの受付の女性が言っていた内容は濃いですよの意味が分かった。

2008/05/16

超人の面白文学発見 ある文学研究会見聞記 1

  つい一週間前の冷たい雨の降る土曜日の午後、京王稲城駅からタクシーに乗って研究集会会場の駒沢女子大学へ向かった。思ったより時間が掛かってしまい(もっと早く出てくれば良かったのだが)開始時間から15分遅れての入室。すでに満席に近い状態だった。歌人の福島泰樹氏の講演が始まっていた。この研究集会は昭和文学会と中原中也の会研究集会とのジョイントでテーマは「中原中也への新たなまなざし」だ。筆者はある先生が発表するというので顔を出したのだ。
 さて、歌人福島泰樹氏の講演は中原中也の朗読詩をひっさげてコンサートを続けている人らしく、講演慣れしているとみた。「中原中也と戦争」というタイトルの講演はえっ、“公演“と間違えてしまうほどだった。中也の家族構成それに戦争の時期を絡ませて“好演”は続く。

    サーカス


幾時代がありまして  
  茶色い戦争ありました

幾時代がありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代がありまして
  今夜此處での一と殷盛り
     今夜此處での一と殷盛り

幾時代ありまして
  サーカス小屋は高い梁
 
そこに一つのブランコだ
  見るともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋のもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉がなります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外は真ッ闇 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴のノスタルヂアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん  

 読んでいる歌人の低音もいいが、言葉遣いといい音といい情景が浮かぶのだ。このブランコとゆあーんゆよーんというオノマトぺの効果、最高!歌人も言っていたけど。また、“茶色い戦争“という語句、笑っちゃうな、さすが言葉のマジシャンだ。中也は難解な言葉は使っていないが短歌の素養があるから叙情性を出せたのかもしれない。偏に漢語使って抽象を泳ぐよりもだ。解釈はこの辺にして。歌人、福島泰樹氏はいかに中也を超えたか―。講演の終盤のパフォーマンスがそれを言い表わして見事だった。その中也詩の解釈の奥深いこと。筆者は会場受付で売っていたコンサートを収録したこの歌人のCDを購入してしまったほどだ。Img020_7
帰り際、夕方吉祥寺で寺山修司没後25周年を兼ねたコンサートをすると宣伝してさっさと帰ってしまった。<続く>

2008/05/15

超人の面白文学発見 トルコのノーベル賞作家オルハン・パムク氏来日、大学のシンポジウムで大いに語る

ノーベル賞作家オルハン・パムク
  青山学院大学総合文化政策学部・藤原書店・国際交流基金主催シンポジウム「オルハン・パムクとの対話」
を二三日前の毎日新聞夕刊の記事で知り直接申し込んだ。異文化接触・交流に関心のある人間にとっては最良の機会である。

 パムク、自作を読む、パムクと語る―東洋の西端と東端からの二部構成。総合司会梅津順一青山学院大学総合政策学部教授、詩人・小説家の辻井喬、国際交流基金理事長小倉和夫が第二部でパネラーとして出席。2時間半はあっという間に過ぎたほどこのイベントは盛り上がった。客席は定員200名だったが優に越していた。会場の青山学院大学総研ビル12階の大会議室も快適だ。
パムク、自作を読むでは自作の『カルスの雪』ノートからの文章をトルコ語と児玉朗氏の日本語訳朗読それにパムク氏自身による英語のコメント付きで構成。
トルコ語は20代の頃言語学者の服部四郎(ウラル・アルタイ語の専門家)がその著作で音韻論、統語論、語彙論、文化論を展開していたことをふと思い出した。ウムラウトのある文字、日本語に似て膠着語、フィンランド語やモンゴル語にも見られる母音調和それに何といっても“こたつ”を備えた生活様式のイスラム教国、実際にその朗読されたトルコ語の響きはドイツ語やスウェーデン語風。アクセントがやや単調で短音の連なりが心地良い響きを醸し出していた。

 2002年刊の『雪』(邦訳藤原書店)Img019_3
は、「9.11」事件後のイスラームをめぐる状況を予見した作品として高い評価を受けた。異文化の接触の只中でおきる軋みに耳を澄まし、喪失の過程に目を凝らすその作品は、複数の異質な声を響かせることで、エキゾティシズムを注意深く排しつつ、ある文化、ある時代、あるいは都市への淡いノスタルジーを湛えた独特の世界を生み出している。ヨーロッパとトルコの文学者たちによる描写とモノクロ写真を自在に織り合わせながら、“憂愁”の町イスタンプ゛ールを描いた『イスタンブール』(邦訳藤原書店)では、町と一体化した自らの来歴を見事に描いている。
 作品は世界各国語に翻訳されベストセラーとなっているが、2005年には、トルコ国内でタブーとされている「アルメニア人問題」に触れたことで、国家侮辱罪に問われ、トルコのEU加盟問題への影響が話題となった。
 2006年、トルコの作家として初のノーベル文学賞を受賞。受賞理由は「生まれ故郷の町に漂う憂いを帯びた魂を追い求めた末、文化の衝突と交錯を表現するための新たな境地を見いだした」とされている。ノーベル賞としては何十年ぶりという感動を呼んだ受賞講演は『父のトランク』(邦訳藤原書店)として刊行されている(「オルハン・パムクOrhan Pamukとの対話」、当日配られたパンフレットより抜粋)。
 
そして、この「カルスの雪」ノートの自作朗読は音としての国境の街の都市風景だが、筆者には作者の内面の鼓動がその土地の地霊(そこに生活する人々の声の叫び)と重なりうねりと化していたように感じられた。誠実な声の小説化-。
因みに、気になるキーワード「カルスKars」を検索してみた。
Map_of_turkey

カルス (都市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルスとカルス県の位置カルス(Kars)はトルコ北東部の都市。カルス県の県都。人口は約78,000人。アルメニアとの国境から45km。

[編集] 歴史
9世紀末から10世紀にかけてアルメニア王国の首都として栄えた。セルジューク朝の占領の後、13世紀にはモンゴル人に、1387年にはティムールに破壊される。16世紀末、ペルシアへの対抗のため、ムラト3世によって要塞が築かれた。1731年にはサファヴィー朝のナーディル・コリー・ベグが町を包囲、1807年にはロシア帝国の攻撃を受けたが抵抗を続ける。1828年7月23日、イヴァン・パスケーヴィチ将軍の率いたロシア軍に降伏する。
カルス城塞1853年からのクリミア戦争ではカフカス攻略の拠点としてオスマン帝国の守備隊が駐留していたが、同年11月30日のシノープの海戦で主な補給線を断たれてしまい、1855年11月に包囲戦の末ミハイル・ニコラエヴィチ・ムラヴィヨフ率いるロシア軍の前に降伏。パリの講和会議でセヴァストポリと交換に返還されるが、これによりオスマン帝国をはじめとする諸国は戦勝国としての立場を事実上失った。
1877年から1878年にかけての露土戦争で再びロシア軍が占領し、サン・ステファノ条約によってロシア帝国に併合された。露土戦争にロシアが勝利し、カルスを占領したことを記念して、ムソルグスキーが荘厳行進曲「カルスの奪還」を書いている。
1918年3月3日のブレスト・リトフスク条約で、ロシアはアルダハン、バトゥミとともにカルスを失った。1918年4月25日、カルスはトルコによって占領される。1919年1月にはアルメニア軍が反撃し、カルスを占領。アルメニア軍はカルスのムスリムの虐殺を行ったとされる。その後、1920年9月にトルコがカルスを再び併合した際に、報復として多数のアルメニア人が殺された。
1921年11月、カルスにおいて国境画定の会議が行われ、カルス条約によって現在の国境線が最終的に決定された。

第二部はオルハン・パムク氏と詩人・小説家の辻井喬氏、国際交流基金理事長の小倉和夫氏交えてのパネルディスカッション。Nec_0247
筆者のメモ書きをアトランダムに記すとこうだ。
雪のイメージ、雪の価値、雪の結晶、神秘さ、詩的イメージ、新しい文学、一人一人が主人公、「雪」が最初から最後まで降り続いている、本当は詩人、象徴でまとめる感性の持続がすごい、幻想小説、ファンタジーと現実、コンラッドを思い出す、イスタンブールに今もって住んでいる、カルス-国境の町、マルケスの『百年の孤独』を想起、社会に目を配った文学、政治的ではなく目に見えないものを見る、新しいことを発見していくことが小説家、自由と束縛、トルコの自由、登場人物を通じて問題を提示、女性、抑圧、301条、一般化はむずかしい、EUに入ってほしい、「雪」の428ページ、われわれは個人ではない→5,60年代の知識人、西洋主義と東洋主義、祖国を見捨てる勇気、「雪」102ページ→日本人には理解しがたい、西洋人になりたい、私もその一人だがとパムク氏、日本人は西洋人にはなれない、そうならなくともいい、ジェラシーやアンガーなどを含んだ堕落的快楽が理想、谷崎文学、魅力的な悪女ナオミ、三島文学、自殺、個人差、源氏物語を評価、アラビアンナイト、西洋と東洋を越えて、人間性・・・。途中で切れてしまった断片、ドフトエフスキー『悪霊』、他者の痛み(筆者、太字)、小説の神髄、ポリフォニー、調和、フィクション化、倫理的な問題→みんなで読めるものにする・・・。
充分に論理的かつ感性的なオルハン・パムク氏は書くことで社会に切りこむ。その眼は鋭い。56歳。
このあと質疑応答の時間があって年配の研究者男女4,5人が行ったが、日本語でのやりとりは良いとして(同時通訳つき)、ある若い女性がキャラクターが変わっていくことについての質問を英語で出したが、パムク氏がその英語を理解できなく、"I didn't understand."と言っていて、慌てて日本語で質問の要旨を伝えてやっと質問の意味が解った一幕もあった。パムク氏の英語は3年間ニューヨークに住んでいたこともあってか、ゆっくりとしかもはっきりとした英語で解り易い。そういっても筆者はまだまだとヒアリング不足を痛感したのだ。
 さて、じっくりと『イスタンブール』、Img016_2
『私の名は紅』、Img018_2
『雪』そして『父のトランク』を読もう。まだ触り程度しか読んでいないのだ。
【写真下: サイン中のオルハン・パムク氏と講演終了後書いて頂いたオルハン・パムク氏のサイン】
Img017_2
Nec_0248_2付記。トルコと言えばいろんなことが浮かぶ。バザール、ビザンティン建築、オスマン帝国、トプカプ宮殿、スルタンアフメット・ジャーミー・モスク、別名ブルーモスク、トルコブルー、トルコ石、タイル、ステンドグラス、トロイの遺跡、ヒッタイト遺跡、奇跡・洞窟のカッパドキア、トルコ料理、ドネルケバブ、トルココーヒー、チャイ、水タバコ、トルコアイス、サッカー、ベリーダンス、遊牧民、ケマル・アタチュルク、クルド問題、イラク戦争のアメリカ軍駐留用基地の拒否、スカーフ着用問題、日本の神田や秋葉原などで売っている移動販売車、濃い顔、人懐こい、いや、映画もあったなど筆者がすぐ浮かぶものはその程度だ。今朝の某テレビ番組の看板コーナー「世界の朝ごはん」では地中海に面した風光明媚で観光客が増えているアンタルヤの町を取り上げていた。しかし何度かテレビの旅行番組や本で見る限りでは、やはりイスタンブール(正確にはイスタンブル)の街に魅かれる。東西の架け橋、歴史遺産の旧市街、ボスフォラス海峡、マルマラ海、金角湾に囲まれた歴史的要衝の都市と佇まい、そしてオルハン・パムク氏が感じる憂愁(ヒュズン)、筆者はなぜかリスボンの、ボードレールのパリの憂愁を想った。(2008年5月17日 記)
Img022_3【NHKテレビ: アジア語楽紀行 旅するトルコ語テキスト 2006年刊より】
付記 2。オルハン・パムク氏の公式サイトで『イスタンブール 思い出とこの町』のニューヨークタイムズ紙書評を見つけた。
下記はその引用。

A Walker in the City

By Christopher De Bellaigue

ISTANBUL
Memories and the City.

By Orhan Pamuk.
Translated by Maureen Freely.
Illustrated. 384 pp. Alfred A. Knopf. $26.95.

NEAR the end of ''Istanbul,'' a dissolute and errant architecture student called Orhan Pamuk sits in the family apartment with his mother -- his father is out with his mistress and his older brother, Sevket, is studying in the United States -- while she lays out with appalling precision how his passion, which is to paint, will lead him either to the bottle or to the asylum. ''Everyone knows that van Gogh and Gauguin were cracked,'' she says, and goes on: ''You'll be plagued by complexes, anxieties and resentments till the day you die.'' Seized by guilt but revolted by the bourgeois life his well-born mother has mapped out for him, Pamuk steps out into Istanbul's ''consoling streets,'' but not before experiencing a dramatic conversion. In a parting shot to his mother -- and also to the reader, for these are the book's final words -- he says: ''I don't want to be an artist. . . . I'm going to be a writer.''

To judge by the spasms of self-abasement that Pamuk records here -- ''I belong to the living dead,'' he writes in a late chapter, ''I am a corpse that still breathes, a wretch condemned to walk streets and pavements that can only remind me of my filth and my defeat'' -- the old lady had a point. Pamuk is not a sunny memoirist, but neither is he a sunny novelist. In this memoir of his youth, as in the six novels he has set in the city, Istanbul bears only a fleeting resemblance to the smiling and vibrant place many Westerners know from vacationing there. Pamuk's hometown is rarely consoling; it is more often troubled and malicious, its voice muffled and its colors muted by snowfalls that happen more often in the author's imagination than in real life. ''From a very young age I suspected there was more to my world than I could see,'' Pamuk writes, and so it goes. Far from a conventional appreciation of the city's natural and architectural splendors, ''Istanbul'' tells of an invisible melancholy and the way it acts on an imaginative young man, aggrieving him but pricking his creativity.

As a Turk, a painter and -- eventually -- a writer, the journey Pamuk depicts in ''Istanbul'' lies between what many outsiders, in his sardonic observation, ''like to call East and West,'' but which he terms past and present. The past is represented by the Ottoman Empire, a vast many-limbed polyglot whose heart once beat in Istanbul, its dazzling capital. But the empire no longer exists, and its surviving memorials -- the imperial mansions and expanses of woodland, the marble fountains and clapboard waterside villas -- are being devoured by developers, fire and neglect. The present is the Turkish Republic, Ataturk's secular, Western-oriented, homogenizing nation state, which has its seat in a big Anatolian village. Istanbul is no longer a city of consequence, let alone a world capital. It is an insular little place sinking in its own ruins, ''so poor and confused that it can never again dream of rising to its former heights of wealth, power and culture.''

Pamuk is himself a product of the Ataturk revolution. Born in 1952 into a quarrelsome, irreligious family, surrounded by ''positivist men who loved mathematics,'' he grew up, as he tells us, in a family-owned apartment building in the upmarket Nisantasi district, free to read Freud and Sartre and Faulkner, drink alcohol and have a love affair (beautifully evoked in Maureen Freely's fine translation) with a schoolgirl. As a young painter, he saw his city through the pictorial and written accounts left by visiting Europeans, and also through four republic-era Turkish writers who have been, ''at one point in their lives, dazzled by the brilliance of Western (and particularly French) art and literature.'' Naturally, the reader pauses to reflect on Pamuk's own debt to the West -- on the architectonic precision of his novels, on their assured leaps from Proustian introspection to a narrative sorcery that recalls Borges and García Márquez. If, as Pamuk writes, ''there is no Ottoman painting that can easily accommodate our visual tastes,'' it is because ''we'' have been schooled to see things in a different, Western way. He is drawn to the 18th-century painter Antoine-Ignace Melling because Melling ''saw the city like an Istanbullu but painted it like a cleareyed Westerner.''

Ka, the protagonist of ''Snow,'' Pamuk's most recent novel (and his first to be set outside Istanbul), feels a Turkish secularist's distaste for religion, but suffers too from an aching spiritual emptiness. Pamuk's achievement in ''Istanbul'' is to show the human damage done by Ataturk's revolution without succumbing to the benighted nostalgia of many Turkish Islamists. He is appalled that many secular Turks (including, presumably, Pamuk himself) must ''grapple with the most basic questions of existence -- love, compassion, religion, the meaning of life, jealousy, hatred -- in trembling confusion and painful solitude'' but he offers no solution. Mapping his own complexities, he turns to the streets of his hometown, to the ''last traces of a great culture and a great civilization that we were unfit or unprepared to inherit, in our frenzy to turn Istanbul into a pale, poor, second-class imitation of a Western city.'' One of Pamuk's qualities is his constant striving to be worthy of that inheritance; all his novels, and particularly ''My Name Is Red,'' testify to the author's self-education in the Persian and Islamic origins of Ottoman culture -- an education that had no place in the progressive curriculum of his private high school.

For many secular Turks, that word ''imitation'' has a disagreeable resonance. Naturally, they bridle at suggestions that their pursuit of a European identity is mimicry. Pamuk is an exception, a secular Turk who has too much integrity to seek authenticity in so contrived a national mission -- which he finds exemplified in his parents' house, where the piano is untouched and the porcelain is for show and the Art Nouveau screen has nothing to hide. Again, he turns for meaning to Istanbul's decrepit outlying neighborhoods, and to the photographer Ara Guler, whose images illustrate Istanbul and who shares Pamuk's fascination with decay and snow. Above all, Pamuk identifies with his four ''lonely, melancholic'' Turkish writers, who use European tools to evoke a peculiarly Turkish sense of loss.

''Istanbul'' is full of byways that lead the reader into Pamuk's fiction -- sometimes with a jolting literalness. The quarrels between young Orhan and Sevket mirror the rivalry of two siblings, also called Orhan and Sevket, in ''My Name Is Red.'' In ''Istanbul,'' the young Pamuk recalls reading that Flaubert once imagined writing a novel about a Westerner and an Easterner who ''come to resemble each other, finally changing places''; this happens to be the plot of Pamuk's ''White Castle.'' But it is ''Black Book,'' the story of a quest that begins (and ends) in a family-owned apartment building in Nisantasi, that flickers most vividly across the pages of ''Istanbul.'' There is so much of Pamuk in the novel's solitary flâneur, Galip, and also in Galip's missing cousin, Jelal -- a collector, like Pamuk, of semihistorical trivia about Istanbul and forgotten curiosities of Turkish history.

''Istanbul'' stops when Pamuk is still a young man. A sequel would reflect subsequent changes. As Turkey puts its economic house in order and edges closer to European Union membership, parts of Istanbul are acquiring gentrified airs. Three formerly down-at-the-heels streets in Pamuk's beloved Beyoglu district were recently transformed into a sort of Disneyfied ''French Quarter,'' with security guards, chic boutiques and outside tables where rich Turks can nibble Camembert and lip-sync to the Brassens soundtrack. It would be nice to hear what Pamuk thinks of that.

(THE NEW YORK TIMES BOOK REVIEW, 12.6.2005)

2008/05/14

超人の面白読書 40 伊集院憲弘著『客室乗務員は見た!』(新潮文庫)

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JAL、3年ぶり黒字(JALは最終利益169億円、ANA、641億。売上高はJAL、22304億円、ANA、14878億円)、収益力、ANAに及ばずの記事がつい先日新聞の見出しを飾ったばかりの今日、その日本航空が従業員の給料5%をカット、近いうちに燃料費の高騰で航空運賃の値上げもあり得ると発表したと某テレビのニュース番組が報道していた。
 
 あるPR雑誌の最新号を読んでいたらジャズ評論家のコラムが目に留まった。そのタイトルが"ミルクとビールの謎は空を飛ぶ"だ。このコラムニストはジャズ喫茶で働いていたまだ若い頃、ウェイトレスのオーダーのミルクとビールをなぜかよく間違えたらしい。そんなこともあってかこの本のミルクとビールの聞き違いの話には実感がこもっていた。気圧の関係や飛行機のエンジン音などもあるが、milkとbeerの聞き間違いは単語が短い、アクセントが前にある、口を余り開けず話すなどが原因らしい。そんなことが地上を離れた飛行機の中でも起こっているとこのコラムニストは、客室乗務員の押さえようのないエリート意識が見え隠れしている話などを付け加えながら面白可笑しくこの本を紹介していた。それにしてもあの馬鹿丁寧な、慇懃無礼の物言いは何とかできないものかと筆者も飛行機を利用するたび思うのだ。心の眼がアサってに行っていて、マクドナルドのマニュアル的な物言いではないが不快感が過ぎるのだ。
 さて、元JAL社員で客室乗務員の著者が綴ったエッセイ、『JAL機の懲りない人たち』 を改題した 『客室乗務員は見た!』(新潮文庫 2007年10月 7刷)は、国際線や国内線で起きた典型的なマナー違反など大きな事故に繋がりかねないデキゴトを紹介していてその悪戦苦闘振りと滑稽さが面白い。少しはスカトロジーを味わったか―。この手のネタはよく週刊誌に出てくるけれども、軽く読めるので電車内での読書に持って来いの本なのだ。
 フライトタイム、イレギュラー、アンルーリー、キャビン、ライフベスト、チーフパーサー、コールボタン、スチュワーデス(客室乗務員。現在はキャビンアテンダント、または、フライトアテンダントと呼ぶ―本文P.21)、ボーディングブリッジ、ディスパッチルーム、ブリーフィング、キャプテン・ブリーフィング、シップ、スポット、タキシング、ジャンプシート、コーパイロット・デューティ、ミール、コックピット、ブラッディマリー、タービュランス、バードストライク、ストウエッジビン、ギャレー、FINAL WARNING、スキットル、メディスンキット、ファーストエイドキット、ホットカップ、アッパーデッキ、アームレスト、レイバック、グースネック、ダブルアサイン、アントレなどのカタカナ語は本文から拾ったものだが、機内ではいろんなフライトに関する英語、カタカナ語が使われているのだと改めて感心したのだ。一部解らない単語もあったが大概想像がつくものだ。
 驚嘆に値するデキゴトも一部散見されたが、全体的には密閉した機内の異空間のデキゴトは想像つくものだろう。飲食、娯楽、買物、トイレ、病気、対人関係、航空会社のサービスと言動、気象変化そして緊急事態時などだ。確かにこの本にも多くのページを割いているマナーの悪いルール違反者の言動(常顧客VIP、社長夫人、酔客など)には辟易するが、出産、機内事故(本文の中国人妊婦の産気づいたあとの出産シーン、そのテキパキとしたサポートや母親の不注意で赤ん坊が指を落とされた事故処理など)などの人道的な援助が緊急に必要な時のスタッフの懸命な努力には頭が下がる思いである。
 傍若無人! “特殊”なお客様、お客様、レッドカードです、お客様に緊急事態発生、お客様のために尽くします、わがクルーの恥ずかしい話の5章仕立ての283ページ。経験豊富でかつ客室乗員訓練指導にも長らく当たられた著者の文章にはその心遣いが行間に息吹いている。すらっと読める本だ。たまにはこういう文庫本もいい。シェイクスピアのハムレットの有名な台詞、To be or not to be. That is a question.に関する話もあったがそれは本文で―。


2008/05/04

超人のクラシック音楽鑑賞 東京丸の内「熱狂の日」ポーランドのヤツェク・カプシク指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア演奏のウィーンの舞曲を聴く


  5月4日は筆者的には特別な日だが、クラシック音楽を聴きに東京丸の内の東京国際フォーラムに出かけた。開演は午後5時、その前にインターネットラジオのクラシック専門局「OTTAVA」の公開生放送をしているサテライト
(ゲストはこのラ・フォル・ジュルネのコンサートに出演している、フランスではスター的存在のピアニストのアンヌ・ケフェレックさん)
へ寄った。余裕持って行けば良いものの、開演すれすれ、それでも開演30秒前だった。AホールR11入口入って2階の席。このAホールは大きく、結構壮観である。演奏者たちが入って来て着席するが何せ2階だ、彼らの姿が遠くて小さく見えにくいのだ。1階に座っている連中が羨ましい。3才の子供から入れているせいかあちこちで幼い子どもの泣き声が聞えて多少うるさかった(この「熱狂の日」のクラシック音楽祭には子ども参加できるイベントも組まれているらしい。楽器に親しむイベント、小学生だけのビックバンド演奏会や子どもだけとは限らないけれども、音楽家から直接レッスンを受けられる教室も開催されていて長い列ができたらしい。それはNHKの番組「ピアノスーパーレッスン」などの影響もあるとか)。すぐに演奏が開始された。ポーランドのヤツェク・カプシク指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア、33名〜40名の編成チームがまずはシューベルト、ウェーベルン:ドイツ舞曲、ヨハン・シュトラウス二世:「こうもり」序曲、ブラームス:ハンガリー舞曲など約45分間にわたって演奏した。透明感のあるやや優しい演奏は素人の耳に心地よく繊細な響きを充分に楽しませてくれたのだ。

  帰りはまたインターネットラジオクラシック専門局「OTTAVA」へ、しばし公開生放送を聴いた。お馴染みの宮前景さんは清楚な知的美人、語りの上手い本田聖嗣氏、クラシックならこの人と言われている村田直樹氏の面々、普段はラジオは顔が見えないのでこういう機会は有り難いのだ。あとでわかったことだが、筆者がコンサートを聴いている時間帯に衆議院の小池百合子議員もゲストに出演していたらしい。ゲッ。筆者は聴けなかったため、おみやげに今回の目玉でもあるカリブ海の国から来たRenegades Steel Orchestraのドラム缶でのシューベルト演奏のCDを購入(2000円)。楽しい一時だった。来年はもっと早めに予約してやはり1階の良い席を確保し、ピアノの演奏などをはしごして聴きたい。そして筆者は今ある光景を思い出した。2007年2月にさいたま芸術劇場でノルウェーのピアニストレイフ・オヴェ・アンスネスのピアノリサイタルでグリーグの主に抒情小曲集を聴いた帰り際、最寄のJR駅の待合席である大学の先生とおぼしき人が若い女性二人に何やら話しかけている光景に出会った。音楽を愛する人に悪い人はいないんだよという言葉が漏れ聞こえた・・・。
【写真上:会場のパネルから 写真下:「OTTAVA」サテライト筆者撮影】

追記。家で誕生日のチーズケーキNec_0235_2
を食べながらインターネットラジオクラシック専門局「OTTAVA」を聴いていたら、5月6日の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」の最終日の追加公演が先程決ったというニュースが飛び込んで来た。演目他はこれから決めるそうだ。ということは大盛況という嬉しいニュースだ。もう一つ、夜遅くだが昨日この「OTTAVA」の公開生放送に出ていた宮前景さんがレギュラーを突然お休みしたニュース。代わりに今週はミュージックデレクターなる人がピンチヒッターでプレゼンターを勤めると言っていたが―。ちょっと心配だ。(2008年5月5日 記)

追記2。インターネットラジオクラッシク専門局「OTTAVA」が最終日のラ・フォル・ジュルネ、「熱狂の日」の関係者を次々ゲストに呼んでいて臨場感溢れるインタビューが面白い。特にこの音楽祭のプロデューサー、ルネ・マルタンさん、フランス語で出演者や次のテーマを語る情熱はまさしく「熱狂」だ。で、来年はバッハ、バロックがテーマだそうだ。1月からチケットを販売するそうでこれは早く買わなくちゃ。日本にこういう音楽を定着させる戦略はなかなか見事だ。
 今年から始まったもう一つの開催地金沢での話。一回チケットを購入すればどのコンサートも聴けるチケットを発売日したところ、クラシックを聴いたことがない人がどっと押し寄せたという。インターネットの時代に好奇心をくすぐったと想像するのは容易いが、こういう現象はクラシックの裾野を広げることに大きく貢献したと思うのだ。アンサンブル金沢を持つもやはりローカル、近隣諸県からかけつけたのかな。
このフランス人仕掛けの音楽祭はブラジルでも開催されるなどテーマ、演奏家や開催地がグローバルかつクロスカルチュラル的だ。フラン人もやるね、ドイツ語圏のウィーンのシャイなシューベルトをやるのだから、天晴れ、ルネ・マルタンさんよ(5月6日 記)。

超人のジャーナリスト・アイ 79 毎日新聞書評欄「源氏物語」特集など

本日付毎日新聞の読書欄は千年紀の「源氏物語」
を特集していてスペースの割き方も大胆、それだけではなく、それぞれの分野の専門家も登場させて読ませる。仏文学者の鹿島茂(最近あるPR雑誌で「吉本隆明論」を書いている)は、与謝野晶子訳(角川文庫全5巻)、瀬戸内寂聴訳(講談社文庫全10巻)、谷崎潤一郎訳(中公文庫全5巻)、円地文子訳(新潮文庫)、玉上琢弥訳(角川ソフィァ文庫全10巻)を取り上げて内容重視派と文体尊重派に区分、、「帚木」の一節を引いて具体的に検証しているが、簡潔さは与謝野晶子訳で情感派は瀬戸内寂聴訳だと書いている。歌人の岡野弘彦は江戸時代の国学者本居宣長の「もののあはれ論」、『紫文要領』、『源氏物語玉の小櫛』そして折口信夫の「いろごのみ論」(いろは異性のこと、ごのみは選ぶということで理想の異性を選ぶこと)を取り上げていて渋い。演劇評論家の渡辺保は短大生の講義に則して大和和紀著『あさきゆめみし』(講談社漫画文庫全7巻)と大野晋・丸谷才一著『光る源氏の物語上・下』(中公文庫)を上げて様々な解釈を可能にする『源氏物語』の奥の深さを指摘している。
 こう書いてきてふと思い出したのだ。かつて筆者の高校の時分に「古文」の授業で背の低い神主の資格をもった、ちょっと紳士的なT先生の板書している後ろ姿が浮かんだ。いつも首を左に何度か曲げてチョークを持つ仕草も気取っていた。その時書いた文字は確か「帚木」だった。高校時分に『源氏物語』を教えるのはちとエロイかったかも知れない。いや、もうひとりの国語教師のH先生は服装といい声といい充分に色っぽかったのだ。また、その時分に家庭教師のアルバイトしていたが、そのときの中学生が源氏物語が好きで読破してみたいと言っていたのが懐かしい。筆者は今本棚に岩波古典文学体系の『源氏物語 全3巻』を置いていて取り出してはまた引っ込めているのだ。しかしその周辺情報はよく読んでいる。与謝野晶子訳で源氏物語に取り組むとしよっと決心がついた。しかしその前にグローバルな今の時代である。アーサー・ウェリー、サイディンスティッカーなどの英訳本をはじめ外国語訳で読むのも『源氏物語』を攻略する方法かも知れない(海外における源氏物語のコラムはこちら→「kaigaigenji.htm」をダウンロード)。
ついでに書評欄の前ページは毎日歌壇、その加藤治郎・選

要するに同じ過ち繰り返す時間は僕らにないってこだろ

の短歌がストレートかつ新鮮だ。また、この四月から文芸ジャーナリストになった酒井佐忠が自分のコラムで選んでいた谷川俊太郎の最新詩集『私』(思潮社)。そこからこんな詩句を見つけた。

私は自分が誰だか知っています
いま私はここにいますが
すぐにいなくなるかもしれません
いなくなっても私はわたしですが
ほんとは私はわたしでなくともいいのです

文芸ジャーナリスト酒井佐忠はここにこの詩人の乾いた感性を読み取っている。谷川俊太郎も実は哲学者だった。ことばを外へそとへ突き放していくマジシャンだ。その他日曜版の世界遺産紀行「巌島神社」、近代文学史を歩くの「樋口一葉」もいい。台東区立図書館にある「一葉記念館」には近々出かけるつもりでいる。
というわけで毎日新聞の特に文芸欄のヨイショ記事になってしまったのだ!しかも朝5時に目が覚めて最初は携帯メールで書いたのだった。

Hi, today is my birthday !

2008/05/03

クロカル超人が行く 91再び LA FOLLE JOURNÉE au JAPON 開催会場

クロカル超人が行く ラ・フォル

【写真上:ピアノを弾くスリランカ出身でモナコ生まれの美貌のピアニスト・シャニ・ディリュカさん。シューベルトも好きだがグリーグの「トロールの行進」も好きだそうだ】

 今日は憲法記念日。最低限の文化的生活をうたった日本国憲法施行から61年、いろいろとその綻びが出始めていて生存権の保障が揺らぐなか、一時を東京駅周辺の丸の内で過ごした。クラシックの音楽祭・ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン会場の東京国際フォーラムの屋台のある屋外でである。その風景の主役はヤングアダルトそして比較的若い男性と女性たちだ。もちろん家族連れや年配者、外国人もいたが―。雲間から太陽が顔を出し始めた夕暮れ、そこではコンサート会場に入る人出て来る人で賑わっていた。連れの人間は東京駅周辺でビール、焼酎の水割りを飲んだあと場所を替えてここで赤ワインを二三杯飲んだ。そのあと彼は椅子に寄りかかりグーグーと寝入ってしまったのだ。タイ料理、ベトナム料理、インド料理、韓国料理や中華料理などアジア系の屋台が並んでいたが、筆者的には焼鳥特につくねがボリュームもあり美味しかった。

上野からTOKIOへ♪もジュルネ(燃えて)

追記。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの公式サイトで面白い記事を読んだ。ベートーヴェン、モーツァルト、世界の音楽そして歌曲で有名なシューベルトと数えて第4回目、回を重ねる毎に盛況、まさに熱狂の日を演出しているが、その評の絶妙さを思ったのだ。モーツァルトは天国で遊び、ベートーヴェンは地上でそしてシューベルトは天国と地上の間で遊んでいる。なるほど。

シューベルトをそんなに聴いているわけではないが、シューベルトには東洋的な時間の流れがあるという指摘やら西洋の音楽はタペストリー的で一方、日本の音楽は絵巻的だとの指摘など傾聴に値するコメントも聞いた。それにしても会場の東京国際フォーラムの樹々の何と青々としていることか、快晴、曇りそして雨と天気は移り気だったが熱狂の日は燃えていた。


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