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2008/05/24

超人の面白文学発見 ある文学研究会見聞記 4

  シンポジウム「モダニズムと中原中也」の最初のパネリストは澤正宏氏。タイトルは「中原中也とダダイズム」。澤正宏氏は中也の理論面でのダダイズム理解においては、高橋新吉の『ダダ』を読んだ中也の新吉宛ての手紙そして中也の1927年9月6日―7日の日記の文章、ダダは一番肯定した、私に於いては概念とはアプリオリが空間に一個形として在ることを意味する(正しい活動だけが概念ではない)などの文章に注目する。中也のダダイズム的な詩の検討ではわざわざ“ダダイスト中也”と書いている「退屈の中の肉親的恐怖」、「地極の天使」、「タバコとマントの恋」、「ダダ音楽の歌詞」そして「活動小屋」の詩に現れるダダ的なもの(言葉を破壊するダダイズムではなくて、新しい言葉を創造するダダイズム)を具体的に検討する。晩年期のダダイズムの現れ―ダダの成熟と詩―では「一つのメルヘン」(ソネット形式) を題材として取り上げる澤正宏氏。中也が哲学者西田幾太郎の著作『自覚に於ける直感と反省』」を読んでいたことが日記に書かれていることに注目、西田哲学の中心概念「純粋経験」を追う。現象学のフッサールやメルロ・ポンティそしてカントまで及ぶ。そして最後にこの「一つのメルヘン」を一つの「純粋経験」(の体系)としてとらえているからではないのか、詩の語り手が、もはや同時代のリアルな現実と対峙できない詩の創造空間だと認識しているので「メルヘン」としたのだろうかと仮説を打ち立てている。筆者は中也詩の読みの深さを思う一方、理解の深さももう少し哲学論の中でl欲しいと思ったのだ。

一つのメルヘン           (ソネット形式)

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な固体の粉末のやうで、さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりしていた
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・・・・

続いて二番目のパネリストは中原豊氏。中原中也における「近代(モダン)」・資料のタイトルで A  「近代(モダン)」へのスタンス B チェーホフの微笑 C ドーミエの「近代」性/日常語と文語を発表。「正と歌」(昭和3年8月の「スルヤ」、「詩的履歴書」(「我が詩観」昭和11年8月)、「詩に関する話」(昭和5年1〜2月、「白痴群」第6号 昭和5年4月)、「文壇に与ふる心願の書-「不安の文学」をめぐりて」(「日記」(雑記帖昭和9年7月20日)、「詩人座談会」(昭和9年11月27日(推定)、「詩精神」 昭和10年新年号 昭和10年1月) などの当時の雑誌を材料に中也における「モダン」を読み解く。筆者的には C ドーミエの「近代」性/日常語と文語の中での中也・心平対アナーキズム・プロレタリア系の人達との噛み合わない「詩人座談会」が大変面白かった。


         正午

                     丸ビル風景

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取りの午休み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても・・・・・・
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出て来るわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
そら吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

             初出「文学界」昭和12年10月


そして最後のパネリストは米村みゆき氏。タイトルはモダニズムと中原中也。昭和13年1月14日付「山口日報」に中也の死亡記事、「詩園」昭和14年4月、大岡昇平「中原中也の読まれかた」(「波」昭和50年2月)、中原稔「中原中也像のまなざし」(『中原中也全集 別巻』昭和46年)などの初期受容、宮澤賢治の研究者でもある米村みゆき氏は賢治の「月夜のでんしんばしら」や中也詩の「秋」、「春と赤ン坊」や「雲雀」などの詩にみられるでんしんばしら、電線、電報などにモダンな記号を読み解き、中也詩の感覚の変容、視点の変化を指摘する。電信柱がモダニズム ? 無理がないか、筆者はこの若い研究者の分析に多少違和感を感じた。

このあとパネルディスカッション、質疑応答と続いて夕方6時に閉会。2,3の質問があったが、その中で中也詩に見られる西田哲学の影響はむしろ現象学のフッサールやメルロ・ポンティじゃないかとみる鋭い質問もあって多少盛り上がりながらの閉会だった。6時30分には場所をかえて懇親会へ。著名な詩人、評論家や研究者がいるなかでS先生はもてもてだった。帰りの電車では詩人・評論家の北川透氏の教え子で女性研究者のAさん(筆者のブログを読んでいるとはオ・ド・ロ・キでした!!! )たちと会い、会の話など楽しい会話を楽しんだのだった。

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