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2008/05/17

超人の面白文学発見 ある文学研究会見聞記 2

  会場の受付で値段が高いと買うのに少し躊躇していた中原記念館発行の雑誌「中原中也研究」(編集人福島泰樹)第12号を読んだ。特集は富永太郎と上海、小特集は詩人と絵画だ。窪島誠一郎(その昔画家の喜一郎氏の個展で会った人だが)の大岡昇平、村山槐多、富永太郎、青山二郎の話そして作家デビューの頃、村上護(山頭火の生涯を書いていたときに某出版社で会っているが、弟さんもいた)の実意の遊興・青山二郎の四谷花園アパート時代の話、小田久郎の中原中也の戦後、大江健三郎は中原中也生誕百年記念講演での話でタイトルは詩人と共に生きるだ。大江健三郎は愛媛の田舎で伊丹十三にフランス語の手解きを受け中也を知ったらしい。その後大学で渡辺一夫門下生になり院生手前で作家デビューを果たすのだが、中也が渡辺一夫宅を尋ねて署名して置いて行った中也訳『ランボオ詩集』の話は特に興味深い(季刊「iichiko」 AUTUMN 2005 NO.8でもランボー詩集訳を小林と中也のとを比較検討している。執筆者は中也の野暮ったい訳と意訳をはねのけ、小林の訳は名訳と「永遠」の訳を引用、ことばという呪縛の強さを物語る最先端の実例ではないかと指摘している)。小林秀雄は中原中也訳に一歩譲ったとか、それは文体を重んじて訳したとか、渡辺一夫先生(筆者は最近昭和47年刊筑摩書房版世界文学全集「ラブレー集」を古本屋で見つけて買った)は中也にフランス語訳について相談を受けていたとか実際に中也署名本を持参しての講演だ。最近フランスで刊行されたアリュー訳『中也詩集』の実際例にも触れて注釈を施している。また、ご子息の大江光さんが作曲した中也の詩「また来ん春」まで紹介していたのだ。なかなかてんこ盛りの記事で刺激的だった。
急いで付け加えれば、福田百合子の「中原中也生誕百年に寄せて」の話もいい。
いわき市在住で100歳になる鈴木修平氏からある日1通の手紙が中也記念館に届いた。知人からもらった中也記念館発行のパンフレットを見て中也生誕100年のお祝いにとのし袋金一封と便箋2枚が手紙の中身。実は中也とは同い年で1929年(昭和4年)22歳のとき渋谷の留置場(なぜ留置場か、興味ある方は本文を読まれたい)で会って数時間話したという。手紙の中身の紹介、お礼の電話と電話での会話、鈴木氏の履歴を活写そして改めて中也の短命さを思って有名な詩を引用している。

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました


私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生きしたいと祈りました


私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

        (「生い立ちの歌」より。詩集『山羊の歌』収録)

 今や生身の中也を知る人はほとんどいなくなった。
 これでこの受付の女性が言っていた内容は濃いですよの意味が分かった。

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