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2008/04/19

クロカル超人が行く 88 吉野の桜

クロカル超人が行く吉野の桜

吉野山
靄に懸かりて
歩くわれ
何時来れるかと
桜じっと見ゆ

超人

奈良県吉野。山岳信仰の場の吉野山、そして吉野杉。その歴史は特に南北朝の悲歌で有名だが、また、日本一の桜の名所でもある。手元に吉野出身の歌人前登志夫(1926-2008.4.5)『存在の秋』(筑摩文庫 2006刊)を携え曇天の吉野に入った。

さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝の斧は

かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり
  前登志夫 

永らく吉野山に住んでいる人でも、吉野のさくらの本当に美しい日は、たった一日しかなく、その花の日に逢うのは、むしろ稀なのだという。四月の気温による開花の微妙な息づきと、花の季節に多い春の風雨との取りあわせによって、さくらの満開の見事さは大きく左右されてしまう。さくらの花が咲ききわまった日の、あの異様な生命力のかがよいはどういったらよいのか。この世の時間をはるかに超えたところに、しんしんともえる不思議な発光体。―ところが、さくらの花は、その満開の時がそのまま息づまるような花吹雪の姿でもあるのだ。(前登志夫著『存在の秋』修験と花より)

  途中崖崩れで30分待たされるというハプニングがあったものの、無事上千本までバスで辿り着いた。金峯神社からぬか道を歩くこと30分、西行庵に着いた。途中泥道と目印の距離に多少違和感を覚えたが、幼少期の似たような体験が蘇ってきて僅かに足下が軽くなった。
これが山桜、意外と小さく葉と一緒に咲いていた。もう散り始めなのかいくぶん花のはかなさを感じたが、そこには風雨に耐えた凛とした桜があった。平地の桜とは品種も違うのだから当然だが、その樹の色調、花の形や葉の色合いに何か生き様を感じるのだ。風があれば花吹雪、遠景は絶景化するところだった・・・。しかし霊気とやらを感じて神秘的幻想的だ。桜は普通一般的なソメイヨシノの種類とは違ってシロザクラ

でこぢんまりとした咲きようなのだ。哀感がある。鳥が運んでできた岩場に咲く桜も見たかったがこの天気では叶わなかった。

遥かなる岩の狭間にひとりゐて人目つつまで物思はばや

そしてかの有名な和歌、

願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ

吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ

ついでに前登志夫著『存在の秋』にも引用が多かった和歌、

吉野山さくらが枝に雪散りて花おそげなる年にもあるかな

いずれも西行法師の和歌だ。その西行庵
Nec_0182_2

はひっそりとしていてかつわびしい佇まいだ。曇天かつ小雨混じりも手伝って尚更その感を強くした。

西行どん桜咲くとき眼は遥か

何故に住んだっ庵ここにあり

吉野の言霊が歴史の古層をつくる。ここでは静寂が堂々と胡坐をかいているのだ。だから霊気、いや、冷気があやしい。朝早い山間に鶯の声−

ホーホケキョ ホーホケキョ ケキョケキョ

更に遠くに近くに吉野の山桜を愛でた。
Nec_0177

旅人や足止めてしばし花の下

何とかして足の泥にも道標

靄晴れてとしばし祈るも、多分これからと誰かの声がした。

凍てとけて筆に汲み干す清水かな  芭蕉

その苔清水

を見てUターンしたのだ。

苔清水汲み上げても靄のなか  超人

帰り道で筆者の靴はぺたぺたと音を立てていた。危ない、転ぶと思わず呟く度にすれ違う人たちが一段と多くなって来た。もうすでに11時。山はラッシュアワーに近づいたのだ。急げ、参道の茶屋沿いをまっしぐら。途中葛餅、胡麻豆腐いろいろ、いろはにほへと、へとへととっと、やっと山岳信仰修験道の総本山で世界遺産金峯山寺蔵王堂
にまで来た。実は自家製揚豆腐を食べたことを飛ばしてしまった。げっ!この世界遺産の寺ではギターとバイオリンのジャズコンサートが開催中で多少の人集りがあった。
急げ、ロープウェイはどこどこ、あと7分、あった。筆者は急いでゴンドラに飛び乗ったが客は2人だけ、乗車時間は3分、その眺めは眼に優しい緑一色だった。

景色料、400円也。ロープウェイ駅を降りて驚嘆した。これから行く人の列、列だ。300人位いたか。ヒェ−!
 近鉄特急「さくら号」は12時2分に吉野駅から出るがあと30分はあるのだ。土砂崩れのハプニング以外は全てスケジュール通りに運んだ。
 さて、ここでひと休み。屋台で地鶏の焼き鳥と缶ビールで乾杯したのだ。店主曰く、関東や東北からの観光客が多く、九州からは少ないと。そう言えば外国人はいなかった。この焼き鳥の美味かったこと、眠気が吹っ飛んでしまった。

下界は晴れ上がった。

追記。"吉野の桜が危ない"とNHKの番組「おはよう日本」が特集していた。このままで行くと5年後ぐらいには桜が咲かなくなってしまうと京大農学部の専門家のコメント。吉野山の北東斜面が温暖化などの気候変動で生態系の異変が生じ、ナラタケ菌が繁殖してヤドリキやウメノキゴケが桜の木に生えてしまっていると指摘。桜の木の中身は普通密度が濃いがその木に空洞化が目立ち密度が薄くなっているという。世界遺産が本当に危ない !(2008年4月30日記)

追記2。前登志夫の評論。久保隆のブログから引用。
前登志夫 著 歌集『落人の家』(雁書館刊・07.8.20)
 吉野の山に住まう歌人として知られる前登志夫の第九歌集である。一九二六年生まれの歌人にとって、九冊の歌集というのは、けっして多くはなく、どちらかといえば寡作の方に違いない。
 前登志夫は、長らく中央の歌壇とは関わりなく活動していたこともあって、わたしたちにとって、ある種、伝説化された歌人でもあった。詩人として出発、五六年に詩集『宇宙驛』を上梓。「異常噴火」して歌作を始め、「かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり」の鮮烈な一首を巻頭に配した第一歌集『子午線の繭』を出版したのは、六四年、三八歳の時である。文庫版『存在の秋』に付された自筆年譜によれば、六八年前後の十年間はほとんど都市へ出なかったとあり、七四年、四八歳の時、「大阪・金蘭短期大学に助教授として招かれ、十五年間の山籠りを解く」とある。その間の著作は、第二歌集『靈異記』、共著『現代短歌大系 8』、エッセイ集『吉野紀行』のみであった。六七年、歌と民俗の研究集団「山繭の会」発足させ、主宰し、八〇年、歌誌「ヤママユ」を創刊。本歌集を「ヤママユ叢書第七十七篇」としている。第三歌集『繩文記』(七七年刊、第一二回迢空賞受賞)上梓して十年の後に、第四歌集『樹下集』(第三回詩歌文学館賞受賞)を刊行。そして現在まで、二十年間、六冊という歌集を出している。わたしは、なにかに拘っているのだろうか。はじめの二十三年間で、三冊の歌集ということへの対比を考えれば、後の二十年間、六冊ということが、普通なら遅々としたものであっても、前登志夫の場合は、なにか加速度的な時間を意味しているようでならないのだ。
 「わが歌よ、死者の打つ木魂のように空を走れ!」(「存在の秋」)と宣した歌人は、堆積していく時間の往還のなかで、いまどのような場所に佇っているのだろうか。そのことが、わたしにとって最も関心が向かう所在である。
 『鳥獸蟲魚』、『青童子』、『流轉』『鳥總立』と続いた歌集名を瞥見すれば、最新歌集名は、これまでのどの歌集名にもなかった極めて実感的なものだといっていい。山間地を生活の場としてきた自分を〈落人〉と擬定とするのは、率直な表明であり、さらに〈家〉という空間に連関させていくこともまた、至極、自然のなりわいの表出ということになる。

 歌詠みにうつつを抜かし生きたればわがめぐりみな荒寥とせり
 やうやくにわれの煩惱も淡くなり歌詠むことは息するごとし
 わが魂はいづこさまよひゐるならむ谷間をへだてわが家を見れば
 とぎれとぎれの居眠りのまに歌詠めるわけのわからぬ頭蓋の谷間
 兩の羽ぼろぼろとなりし雄の蛾は雌に先だち息きれてをり
 紅葉の明るき村をとほりきてまたつぶやけり、みんなはどこへ

 はじめの歌詠み(む)の二首は、対称的なものとして捉えることができる。〈荒寥〉と〈息するごとし〉は、いうなれば時間の堆積が自らの身心に襞のように覆いかぶさってくる感受の在り様を示している。〈谷間〉という言葉に象徴化させた二首も、方位を変えて、同様の感慨を込めているといえよう。これらのことをさらに加速化させれば、〈雄の蛾〉の実態と〈みんなはどこへ〉という感性の拠りどころが、自らの存在の暗渠となっていることの表明であるというように、前登志夫にとっては、現在の「歌」があるということのように思える。
 かつて、村上一郎は、前登志夫の短歌世界を「倫理的な抒情の叫びを形象」しているとし、「自省に始まり、自嘲にはゆかずに、自虐・自罰にいたる前登志夫の自己に対する倫理の過剰なまでのつきつめ方は、彼の抒情の内容を翳深いものにしている。」(「前登志夫論―〈或る山びとの歌〉―」『現代短歌大系 8』収録)と述べていた。
 確かに、この最新歌集の歌篇たちも、そのような視線を敷衍させて捉えられないことはない。だが、前登志夫の〈現在〉は、「自省」を「倫理の過剰」へとつきつめることでは開示できない地平に至ってしまったと捉えるべきであるという気がする。つまり、堆積していく時間(老いや、やがて訪れるであろう死)を自然過程そのものとして受苦することを前登志夫の場合、良しとしてはいないことがわかるからだ。

 人間以前のわれにあらずや槇の葉につもれる雪を食べてゐるのは
 攫ひたるをみなは髪をなびかせて山驅くらむかわれの不在に
 守るべき山の砦も潰えしか、觀念の鳥あゆむ枯草
 はや夜明けわれを守りしは夜の皮膚、月沒りしのち竹群さわぐ
 蟾蜍そこ退けてくれ青草をそよがせてゆく形象ありき
 きつつきは木のテロリスト春の日のわれの頭上に穴穿ちをり
 若き日をきみはうたふな戰争と戰後の日々をうたふなきみは

 吉野の山々という自然に囲まれて住まう歌人にとって、〈歌詠み〉と〈生活〉は、一体のものであった。だが、どんなに隔絶された場所であっても、世俗的な社会の皮膜を忌避できるわけではない。是認する、しないに関わらず、わたしたちは、いつも反自然と自然の狭間のなかでしか生きていくことはできないからだ。「あとがき」で、「過酷な経済至上の世の中では、一市民として慎ましくおのれの生をいとなむ風景は、まるで落人のようにすら見えたりします」と述べている。自然が、人工化されることによって自然でなくなる必然を抱えもってしまった疲弊していくだけの現在社会は、誰でもがやがて、〈死〉に向かっていく必然と、それはパラレルなものだといっていい。
 だから、〈きみはうたふな〉という、倫理性から放たれて、ある意味、切実さをもった「自省」感は、この歌人にとって、〈現在社会〉や〈死〉に対する苛烈な〈抵抗〉の思いなのだと、わたしは受けとってみたいのだ。

(『図書新聞』08.1.12号)

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