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2008/04/13

クロカル超人が行く 84 春の東京散歩 銀座・築地・人形町・赤坂 新旧東京再発見

  このところ低気圧が来たりして天気が思わしくなかったが、今日は晴れた。ある友人がこの4月下旬に退職して関西に帰ってしまうこともあり、その記念も兼ねて「大江戸ツアー」(その彼の名称)否、新旧東京再発見の散歩と相成った。起点は銀座4丁目の三越前。歌舞伎座Nec_0103
は12時半の次の講演待ちの人が外国人を含めてすでに10人位いたか。本当は歌舞伎も観たかったが何せ5,6時間の長丁場、さわりだけでもと考え関係者に尋ねると、一幕1時間、立ち見観劇もあるとのこと(900円)、時間を有効的に使う観点から今回はとりあえずスキップ。
寿司で有名な築地の『江戸銀本店』、まだ開店して間もなかったか誰も入っていず。店の女性には「まだこの辺に来たばかり、何時までやってますか」と尋ねると、「夜の9時半まで」との返事。実はあまりお腹がすいていなかったのだ。「すみませ-ん」と呟く筆者。次に向かったところは当然築地場外市場Nec_0105
だ。もうかれこれ20年位前に来たが、その時は確か日曜日で休み、そのためほとんどの店は閉まっていたのだ。仕方なく海沿いを歩いたのを記憶している。あれから20年、築地市場も移転問題でゆれている。しかし最近外国人の観光客のスポットにもなっているし、テレビやインターネットの美味しいお店紹介やランキングも手伝ってか人が多いのだ。海鮮丼の店は行列、一巡してあのテリー伊藤のお兄さん、てるおさんが経営している卵焼きの店『丸武』Nec_0108
には多少人だかりがあった。テリー伊藤の顔も店の看板、お兄さんはいなかった。途中『スタバ』で休憩。アイスコーヒーを一杯飲んだ。
 さて、築地本願寺を見て次の東京再発見、レトロの町に出向いた。人形町だ。大分前にある人が大怪我をしてその間ピンチヒッターで手伝う羽目になった。それでその人の会社の口座があった人形町の信金に来ていたのだ。今は散歩のコースなど雑誌に書いてあって便利だ。人とすれ違うとその類に出くわすのだ。レトロを思わせる著名なところを回ってこの界隈は3,40分コースだという。

人形町駅→大観音寺→芸者新道(よし梅、芳町亭)→親子丼の玉ひで→谷崎潤一郎生誕の地(つい前の記事のPR雑誌紹介、雑誌「PS Journal」12号の藤原学著「谷崎潤一郎と日本橋」を参照」Nec_0119
→甘酒横丁(豆腐の双葉商店、Nec_0133
鯛焼きの柳屋、煎餅の草加屋など)→しゃぶしゃぶの今半→洋食の芳味亭→人形町

レトロ顔群れなす男女春を拭く

大体このコースのレトロ一杯の場所を堪能したのだが、サプライズが二つあった。一つは親子丼で有名な『玉ひで』。Nec_0113Nec_0114

何と200人以上並んでいて2時間以上待ちだと言うのだ。参ったな、これかテレビ、雑誌やインターネットの美味しい店紹介の具体的な効果だなと思ったのだ。以前から一度食べたいとは思っていたが、これでは神田駅の『伊勢』でも良かったぐらい。結局洋食の『芳味亭』の洋食ランチ(1650円)で落ち着いた。若い女性もいたがここでは中高年が主役で多かった(退職間近の関西人の彼は「メニューにナポリタンもあって頼むか迷った」と2時間位過ぎたあとに筆者にこっそり言った)。"とりあえず"食前酒はビールそして懐かしい味が一杯のランチ-。Nec_0129
ごちそうさまでした。
もう一つのサプライズは大正期創業の鯛焼の『柳屋』。Nec_0132
何代目かは知らないが若っぽい女性が足でリズムをとりながらせっせと昔ながらの方法で焼いていた。その焼き上げった鯛焼きがぴょんと網に乗るあたりの絶妙は本物の鯛の泳ぎっぷりに似て見てる方も気持ちがいい。

 鯛痛いと焼き上がる隊春のどか


鯛焼130円、なぜかアイス(小倉・バニラ)も売っていて、150円。ドライアイスはありませんの店の但し書きに筆者は何かレトロ感を感じた。30分並んでやっと買うことが出来た。歩きながらバニラ入りの最中は退職寸前の彼と淡白な昔の味を分け合った。美味。(帰宅後家人がこの冷めた鯛焼をチンして食し曰く、皮が薄くてシャキシャキ、うっ、まいと)

さて、そんな人形町から突然ギアを切り替えて赤坂に向かった。三井不動産・TBSの共同開発で3月下旬オープンした今一番ホットなスポット、赤坂サカスだ。再開発でできたエリアはTBS一色とオープンカフェアンドバーや何某プロデュースの新種のレストランそれに再生した日本料理店などが新しいビル内に並ぶ。ここは日本か、と一瞬ヨーロッパの、アジアのどこかと迷ってしまうほどだ。Nec_0140Nec_0139

TBS、シアター、アミューズメントパレス、まさに現代の顔が見える。オープンカフェで赤ワインとビールで談笑しているカップルなど熱気に溢れているのだ。今や家に閉じこもってしこしこと食事などしない比較的若い人たちだ。

AKASAKA SAKAC AKASAKA SAKU AKASAKA SAKUSAKU

 ところで、その後銀座に戻った。ライオンビアホールは夕暮れちょっと前、いたね、中年男性万歳組、しかしその中にも若い女性もチラホラ見えてビールの味は格別、例の退職寸前の彼はいいね、いいねの連発だった。その顔には歩き疲れた顔も見え隠れしていた。彼曰く、これだけ中高年が元気なら日本も大丈夫だ、と。筆者の脇の席にはスペイン系の観光客の初老夫婦がステーキを食べながらビールジョッキーを傾けていた。また、後ろの席では銀座を知り尽くしているような老姉妹らしい女性が楽しげに飲んでいた。このライオンビアホールは時代の生き証人、天井を見れば判るがレトロの建物は歴史を刻んできたに違いない。話に聞けば親、子、孫と3代続けて通っている家族もいるという。生ハム、衣付きめひかりのあげものなどそれに生ビール、もう腹一杯、胸一杯-。
夕闇が迫ってきた。最後は銀座5丁目にあるバー『ルパン』Nec_0143
で〆。『斜陽』や『走れメロス』などの代表作を持つ太宰治、『堕落論』の坂口安吾、『夫婦善哉』の、心斎橋カレー店『自由軒』(はい、昔行きました)でも有名な織田作之助らの無頼派の作家などが通ったことで有名なバーだ。今年で80年だと店主が言っていた。なるほど店の佇まいは一瞬昭和初期に戻った感じである。またまた退職間近の彼曰く、こういうところが何とも良い、また来ようっと。筆者は一番隅の太宰の定席でウィスキーとカクテルを飲んだ。時代を刻んできたカウンター、叩くと"トカトントン"と聴こえそうだ。そのグラスにはレトロの街と未来の街が入り混じっていた。
先輩、元気でまた会おう。

太宰治
坂口安吾
織田作之助

おお ! 無頼派諸君
君達は永遠だ-

時代を超えて今日同じくともに
したのだ

ありがとう
先輩
しかし
時代は回った
先輩たちの写真は
あのヒロポンの頃

時代は欝な顔をしている

追記。この老舗バー「ルパン」で半世紀もの間バーテンダーをつとめた高崎武さんが18日、82歳で死去したと朝日新聞が報道。高崎武さんは姉の故高崎雪子が1928年(昭和3年)に銀座のビルの地下に開業、武さんは1951年からここでバーテンダーとしてつとめた。1981年以降病気で出られなくなった雪子さんのあとを支えた。一時閉店で話題になったが、今はバーキーパーが後を継いでいる。かつて常連の坂口安吾が愛した卵で割ったカクテル「ゴールデンフィズ」はあまりにも有名(2008年7月20日 記)。


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