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2008/01/31

ある死 その1 ある女主人の死

日本列島は完全冬型配置で日本海側は吹雪、関東の東京、横浜でも雪が舞った昨日、公衆電話から携帯に電話が入ったが、誰からか不明のままだった。判明したのは今朝だった。ある人が死んだ知らせだ。しかも突然死らしい。つい10日前に訪ねた新宿某店の女主人。今年で30年の店で、筆者もとぎれとぎれだが通った店だ。儚い。人生の無常を思う。(2008年1月24日 記)

追記2 DOGの女(ひと)アガーペ求めて雪に消え、

また、三好達治の有名な「雪」の詩に倣って、

ヒトミを眠らせヒトミの屋根に雪降りつむ。
リエコを沈ませリエコの屋根に雪降りつむ。

そしてもうひとつは彼女のいつもの口上。
「何よ、まぁ、久し振りねぇ。元気だったぁ」と笑顔で。
「うん、まぁーね」
「鈴木ちゃんも、二三日前見えたわよ」
「取りあえず、ビール。それにタコス頂戴」
「わかったわよ」

山形訛りがなかなか抜けなく、更に語尾に“よ”がつく
特徴のある会話はもう聞かれない。ふくよかで表情も豊かな女性だった。享年59歳。
その死に顔は清らかそのもの。死因は脳溢血 ?
中高年男性のマドンナ的な存在だった(少なくとも筆者には)女主人よ、さようなら。合掌。
そして残されたもう一人の女主人も悲しみを乗り越えて
頑張ってほしい。(2008年1月30日 記)

追記3 それから3ヶ月が経とうとする昨日(2008年4月17日)その母親がなくなった。何とも気の毒なことだ。(2008年4月18日 記)

追記4 久し振りに読み返してみて少し文章を直した。もう亡くなって7年半以上か、月日の経つのが早いこの頃である。新宿要町の雑踏も懐かしいが、ま、よく姉(大島渚監督の映画『新宿泥棒日記』のヒロイン。ネットではマニアのコレクションの格好のマテリアルに使われているみたい。今や伝説の女優になったということか)と妹は些細なことでケンカをしていたね。店が2階にあった時代に。それもこれも想い出での1ページを捲るようー。(2015年10月14日 記)


2008/01/27

超人の面白読書 33 デニス・キーン著『忘れられた国ニッポン』

  詩人で翻訳家のデニス・キーン(Dennis Keene)、084_2
脳腫瘍のため英オックスフォードの病院で11月30日死去、73歳。

1934年ロンドン生まれ。61年来日後、約30年間日本に住み、日本女子大教授や京大講師などを務めた。日本文学の翻訳に取り組み、92年北杜夫の「幽霊」の英訳で野間文芸翻訳賞。「Surviving」(80年)と「Universe」(84年)の2冊詩集を刊行。他の著書に「モダニスト横光利一」、訳書にマクリーン「ナヴァロンの要塞」、ガードナー「奇妙な花嫁」、クラーク「火星の砂」など。妻は舞踊評論家ケイコ・キーン。

  obituary「死亡欄」プログで著者の死を知った。新聞にも載っていたかも知れないが、筆者は見過ごしたのも知れない。毎日新聞の書評欄で書評子・富山太圭夫氏が取り上げていた一冊は、著者が1ヵ月ほど前に亡くなったこともあり追悼の意味もこめて書いたのだろう。
丸谷才一著『横しぐれ』や『たった一人の反乱』の訳者であるデニス・キーンのエッセー『忘れられた国ニッポン』083
を読了。筆者はこの手の本を最近訳し終えたばかりで興味があった。しかしながら探したが絶版、図書館から借り出して読んだのだ。一読して辛辣な日本文学論だ。長らく日本で暮らし教えた経験から日本文学に対する警鐘を鳴らしているのだ。特に明治以降の近現代文学よりそれ以前の古典文学をきちっと学んで欲しい著者のメッセージは説得力がある。すでに14年前に書かれた本だが、当時と今とではバブルの崩壊時期と回復時期との差はあれ、文学それ自体の関心がさらに薄れてきているようだ。最近では特に西洋古典文学の新訳に多少回復の兆候があるようだが・・・。
 本書の目次を見てみよう。第1章 エデンの東の放浪者−「西洋化」をめざした日本の現在 海外で忘れられた日本の文学 日本の近代文学に、評価に値する作品はない 近代の日本がめざしたエデンとは 第2章 失楽園−無理な西洋化のツケ 「過去」を捨てた近代日本 伝統を忘れた日本の文学 第3章 禁じられた実−忘れられた伝統の価値 日本の近代主義は、幼稚な西洋憧憬 近代主義に壊された日本の詩歌 第4章 炎の剣−精神を砂漠化する「私小説」 「私小説は日本的」という誤解 第5章 カインの末裔−日本が選択すべき「別の道」 忘れられた日本文学の伝統、文化軽視、経済重視がもたらした弊害 忘れられた大国の現在。全5章、210頁。
 全体的に日本文学に対する思いのほどを書いているのだが、時に辛辣すぎるほどバッサバッサと切り捨てる切れ味は心地良い一方、果たして本当にそうかと首を傾げたくなる言辞も散見できる。この著者は思いっきりのいい人と思わざるを得ない。逆に考えれば、それほど日本文学に対して愛情が深いのも知れない。自分では冷淡に接することが文学批評には欠かせないと言っている割には、行間からは違った著者の感受性が感得できるのだ。文章は難しい語彙や言い回しもなく、むしろ平易すぎるくらいだ。簡単に読めてしまう外国人の日本論である。

  本書で俎上に上った作家をアトランダムに拾ってみよう。どういう評価を下しているか垣間見られるはずだ。
丸谷才一著『たった一人の反乱』を英訳して書評もでたが、1年で1600部、『横しぐれ(Rain in the Wind)』にいたってはたったの1冊(書評に載った雑誌が特別価格で希望者を募ったところ)、村上春樹著『羊をめぐる冒険』の英訳本を買った人は9割以上が日本人、しかも女性、川端康成は実際に彼の作品(『雪国』『伊豆の踊り子』他)が理解されたのではなく政治的色彩が強かったといった感じである。三島由紀夫はこの人物を通じて日本の謎を理解できるという理由で外国人は読んでいる、島崎藤村、谷崎潤一郎や永井荷風の作品は代表作はほとんど翻訳されているが、高い評価を必ずしも受けているとは限らない、夏目漱石もそうだし森鴎外は翻訳すらない、松尾芭蕉は欧米では有名だが与謝蕪村は無名といった調子だ。更に、田山花袋の『東京の30年』は西洋文学に対する劣等感を感じるし、明治の自然主義文学はゾラの影響を受けた小杉天外『蛇いちご』『はつ姿』、永井荷風『地獄の花』が記念碑的作品と記す。夏目漱石の『野分』に過去との訣別を見、樋口一葉の『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』に過去を強く感じたと書く著者は、池澤夏樹の『スティル・ライフ』を過去とまったくかけ離れた作品として評価する。また、伝統を否定した日本のモダニズムを語り、そして繰り返して読みたい近代詩はないとも断言する。上田敏、北原白秋、蒲原有明、萩原朔太郎、西脇順三郎、三好達治、紫式部、清少納言、藤原定家、島崎藤村、島崎抱月、芥川龍之介、久米正雄、太宰治、有島武郎などの作品を垣間見ていく。ブツブツ言いながら−。著者の日本に対する願望は、忘れられたニッポンから忘れられないニッポンにすることだ。それは目先の経済効率を追うばかりの集団ではなく、伝統を重んじた感受性豊かな人間の集団をつくりあげることである。一外国人の日本文化に対する警告の書だ。西洋と伝統に揺れる現在の日本は自分たちのアイディンティティをどこに探るか。千年紀を迎えた『源氏物語』の今年、考えてみる絶好の機会かも知れない。
『忘れられた国ニッポン』(定価1600円、講談社1995年刊、絶版)

 

2008/01/24

超人の面白ラーメン紀行 80 京都上京区『あかつき』

超人の面白ラーメン紀行 80
京都は銀閣寺の近く、北白川別当町にあるラーメン専門店『あかつき』。わずか15、6席の小さな店だが、チャーシュー麺(700円)は素朴だが美味。げんこつ、鶏ガラで煮込んだ醤油味のスープはまろやかそのもの、しつこくなくちょうど良い。トッピングも軟らかいチャーシュー、刻みネギそれにメンマとシンプル、麺はストレート系中細麺、とここまでは合格だが何せ多少量が少ないか。大盛りは二玉入りで100円増しである。飾りっけもなくごく普通のラーメン店だ。『高安』、『いいちょ』と並んで京都ラーメン革命の店だそうな。“おおきに”と店主の大きな声が印象的だった。
京都上京区『あかつき』スープ★★★麺★★☆トッピング★☆接客・雰囲気★★価格★★

2008/01/20

超人の新聞書評欄斜め読み 4 読売・朝日・東京・日経・毎日

  景気の鈍化が止まらない現状をマスコミが連日報道しているが、2008年は始めの月から激動の年を思わせるニュースが相次いでいる。アメリカのサブプライム問題が深刻でブッシュ大統領は景気対策として大型減税を発表したばかり。だが、それもそう効果なくウォール街の関係者のがっかりした表情が今日の朝刊の一面に載っていた。借金が増え続けるアメリカ、日本売りもここに来て起こり、ロンドンでは日本の財務省関係者が高橋是清以来101年振りで国債売り込みに懸命とか。そんな折ロシアが日本に銀行開設を望んでいるらしい。それも10数行とはサプライズだ。原油高は日本の経済を確実に減速化の速度を速めているし、原料費高騰で物価は上がり、消費落ち込みも目に見えるようだ。この国の経済対策は失われた15年から脱却すれすれでまた、ダメージの様相を呈し、鋭く世界を読み込んだ政策を打ち出せずにもたもたしている。もはや日本は経済二流国に成り下がったと今国会で経済改革担当大臣が演説、その発言に波紋が広がっているが、それよりも中長期の具体的な経済対策が政治の舞台で問われているのではないかと思うのだ。余分な贅肉を落とす改革を急げと言いたい。

  さて、久し振りの新聞書評欄渉猟である。アトランダムに面白そうな本を拾ってみよう。
玉岡かおる著『お家さん 全2巻』新潮社 各1600円
明治時代に創業し大正時代が全盛でその後消えてしまった巨大商社の鈴木商店。そのトップの鈴木よねを中心に描いた経済小説。筆者は大正期全盛だった星製薬のトップの星一ことを調べたりしていて、鈴木商店もここ何年か気になっていた企業だった・・・。

大宮勘一朗著『ベンヤミンの通行路』未来社 2800円
ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンはパリの都市を論じた『パサージュ論』が有名だが、都市と旅行を巡る回想の本書は、今ゴミ問題で揺れるナポリの特徴をベンヤミンは「多孔質」と指摘したとか。評者・田中純氏は引用する、「息、空気、風−幸福の在処」、「通行路」とはそんな風の通い路である、と。筆者は30代、40代前半時にこのベンヤミンが好きだった上司から苦しいときに思い出すとベンヤミンの言辞を散りばめた長い手紙をもらったことがある。その後も多少は拾い読みした程度で終わっている筆者だが・・・。
【読売新聞書評欄「よみうり堂」】

飯沼信子著『野口英世とメリー・ダージス』水曜社 1890円
明治大正時代に国際結婚した5組の夫婦の生涯を描いたノンフィクション。野口英世とメリー・ダージス、アドレナリン抽出で有名な高峰謙吉とキャロライン、最後の上田藩主の弟でブルックリン橋建設に貢献した測量技師松平忠厚とカリー、日本薬学の開祖長井長義とテレーゼそれに鈴木大拙とベアトリスの5組。

週間ベスト10
女性の品格 板東眞理子著 PHP新書
広辞苑 第六版 普通版 新村出編 岩波書店
親の品格 板東眞理子著 PHP新書
ホームレス中学生 田村裕著 ワニブックス
大人の見識 阿川弘之著 新潮新書
こころに響く言葉 池田大作著 主婦の友社
余命1ヵ月の花嫁 TBS「イブニング・ファイブ」編 マガジンハウス
おひとりさまの老後 上野千鶴子著 法研
日本の十大新宗教 島田裕巳著 幻冬舎新書
お金は銀行に預けるな 勝間和代著 光文社新書
(1月16日、トーハン調べ)
筆者はこのベストセラーランキングを見て半分が道徳や倫理的な本で占められているといった感じでちょっと怖いな。これらの書き手は本当に模範的なことをしてきたか訊きたくなるネ。一冊も読んでいない筆者としては・・・。
【朝日新聞書評欄】

藤村信著『歴史の地殻変動を見すえて』 岩波書店 2940円
熊田亨こと藤村信は元中日新聞の特派員、長らく雑誌「世界」に何々通信を激動のパリから書き送り、その後岩波新書になって読み継がれた現場報告のプロ。この著者はだれだと著者探しに躍起になっていた頃が懐かしい。
彼の死後大型封筒から発見されたものが本書。湾岸戦争の時に、「血が軽い」エジプト人と「血が重い」イラク人の比較で捉えた視点はすごいと評者・山内昌之氏。
【東京新聞書評欄】

星新一著『ほしのはじまり』 角川書店 2500円
新井素子選54編単行本初収録のエッセー18編も収録。これは筆者も購入したい。
【日経新聞書評欄】

書評欄にある「好きなもの」コーナーでは林真理子を取り上げている。柿ピーを新幹線で読書しながら食べることだそうだ。人それぞれだが・・・。
【毎日新聞書評欄】
ここまで書いてきて今週の書評欄はあまり芳しくないとは筆者の素朴な感想。

しかしながら、ひとつ面白い記事を書評欄でないところで見つけた。"訳書で味わう名著"新訳・旧訳・訳者・・・どう選ぶ、異なる文体や時代感覚と見出しが躍った日経新聞セカンドステージ欄。そしてこんな五箇条を掲げている。参考のため引用してみる。

名著古典の読書5ヵ条

1.まず新訳の有無をチェックする
2.訳者や校訂者の考え方を知る
3.あまり原典にこだわらない
4.人文科学や社会科学にも注目
5.ペース配分を考える

筆者はカントの「永遠平和のために」(池内紀訳 綜合社刊)は読んでみたい。そして、ぜひ新訳になったら必ず読了したい本、それは『資本論』だ。

■The New York Times Book Review 今週のベストセラー
ハードカバー部門 
Hardcover Fiction
Published: January 27, 2008

Buy These Books From:
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On List
1 PLUM LUCKY, by Janet Evanovich. (St. Martinos, $17.95.) Stephanieos mother finds a bag of cash and goes gambling in Atlantic City, pursued by the money's owner. 1
2 A THOUSAND SPLENDID SUNS, by Khaled Hosseini. (Riverhead, $25.95.) A friendship between two women in Afghanistan against the backdrop of 30 years of war. 1 34
3 PEOPLE OF THE BOOK, by Geraldine Brooks. (Viking, $25.95.) A rare-book expert unlocks the secrets of a medieval manuscript. 7 2
4 BLASPHEMY, by Douglas Preston. (Tom Doherty/Forge, $25.95.) A C.I.A. operative tracks scientists with a huge supercollider who are poised to discover the secret of creation. 1
5 WORLD WITHOUT END, by Ken Follett. (Dutton, $35.) Love and intrigue in Kingsbridge, the medieval English cathedral town at the center of Folletts Pillars of the Earth. 4 14
6 * THE SHOOTERS, by W. E. B. Griffin. (Putnam, $26.95.) An Army officer on the trail of a missing drug enforcement agent is undermined by the military and intelligence communities. 3 2
7 DOUBLE CROSS, by James Patterson. (Little, Brown, $27.99.) Alex Cross and his new girlfriend, a police detective, confront a boastful Washington killer. 2 9
8 T IS FOR TRESPASS, by Sue Grafton. (Putnam, $26.95.) Kinsey Millhone must contend with a woman who has stolen a nurse's identity in order to take advantage of Kinsey's elderly neighbor. 5 6
9 THE DARKEST EVENING OF THE YEAR, by Dean Koontz. (Bantam, $27.) A woman who rescues golden retrievers and one special dog are shadowed by an evil stranger. 6 7
10 THE SENATOR'S WIFE, by Sue Miller. (Knopf, $24.95.) A woman lives with her husband's persistent infidelity.
このニューヨークタイムズの書評紙には書評歴25年の辛辣な批評でも知られている日本人のMichiko Kakutani角谷美智子氏の書評も多く載っている。
Rankings reflect sales, for the week ending Jan. 5, at many thousands of venues where a wide range of general interest books are sold nationwide. These include hundreds of independent book retailers (statistically weighted to represent all such outlets); national, regional and local chains; online and multimedia entertainment retailers; university, gift, supermarket, discount department stores and newsstands. An asterisk (*) indicates that a book sales are barely distinguishable from those of the book above. A dagger (・ indicates that some bookstores report receiving bulk orders. Among those categories not actively tracked are: perennial sellers; required classroom reading; text, reference and test preparation guides; journals and workbooks; calorie counters; shopping guides; comics and crossword puzzles.
【The New York Times 2008年1月20日付電子版より】

2008/01/19

超人のドキッとする陶芸 宮川香山作「渡蟹水盤」

テレビ東京の美術番組「美の巨人たち」は、今回明治時代の陶芸家・宮川香山を取り上げていた。動植物を題材にした超絶技巧の作品はテレビ鑑賞でも十分味わえた。この宮川香山作真葛焼の陶芸品は明治政府の重要な輸出品だったらしい。スーパーリアリズムの傑作が140年前に作られていたなんて・・・。
代表作は高浮彫・渡蟹水盤。【写真:テレビ東京「美の巨人たち」のHPから】

P001P005                                                                              
追記 横浜黄金町にあった宮川香山の眞葛焼、今は横浜ポートサイト地区に『宮川香山 眞葛焼ミュージアム』となって宮川香山の作品を鑑賞できる。これがなんと地元菓子メーカーの三洋物産が設立、館長は社長の山本氏。立派な私設博物館なのだ。歴史好きの社長らしく勝海舟にちなんで「勝サブレ」 も売っているらしい。横浜に来たら訪ねてみてはいかが(2014.1.17 記)。

2008/01/18

クロカル超人が行く 75 福島県いわき市 新設館『いわき総合図書館』

クロカル超人が行く
  今売り出し中のJRキャンペーン、うつくしま浜街道。筆者はJR仙台駅から原ノ町で途中下車しいわき駅(旧平駅)に入ったが、車中ふとこの街道はどういう名称か考えていたのだ。それがいわき駅の改札を出て氷解した。正面に青と白を配した浜街道ののぼりがあるではないか。愚かである。

  いわき市立いわき総合図書館は新しく大きくなったJRいわき駅と横断歩道橋で結ばれたいわき駅前再開発ビル「ラトブ」の4階と5階にある。新館オープンは2007年(平成19年)10月25日、まだ3ヶ月にも満たないほやほやの図書館だ。関係者の話では開館当日の利用者は予想を大きく上回り12000人だったという。その後も利用者の数は上々らしい。広さは4階Photo_4

と5階合わせて約8602平方メートル、ゆったりとした空間が淡い木製の棚、シックな床の色調と相まって品位のある知的空間を演出している。蔵書目標は100万冊。
  この図書館で手に入れたパンフレットを覗いてみよう。インターネットを利用して情報検索ができ、CDやDVDの試聴、パソコンや携帯電話からの図書貸出予約もできる。また、短時間で図書の貸出ができるよう自動出納書庫や自動貸出機を装備している。特徴的なのは、親子で読書を親しめるようなプレイルームやお話の部屋それに授乳室も完備していることだ。閲覧席550席、学習室120席をはじめボランティア室、対面朗読室や録音室などの画期的な設備が満載されている。3_2
5市4町5村で合併したいわき市は人口約34万人で日本一面積が広い市としても有名だ。そんな広い市で(小名浜、勿来、常磐、内郷、四倉の地域図書館あり)住民サービスを市民一人一人に納得のいくように働きかけて行くには並大抵ではないことは容易に理解できるが、ここは新しい文化の受発信基地の機能を先ずは備え付けて未来志向していく姿勢が大切かも知れない。そう言った意味では今後の地方の図書館運営を占うモデルケースになるだろう。一瞥した限りではいわきに関する郷土資料棚の充実やウィンドウを使った企画展(今回は小名浜)などの斬新さもあって明るい図書館といった感じだ。もったいないのはコンピュータ関連が手薄なことだ。それにしても念願だったとは言え、あの才槌小路にあった盲学校脇の、本当に小さな図書館を知る者の一人としては隔世の感を禁じえない。

  筆者はここ4、5年で奈良県立情報館、岡山県立図書館、山口市立図書館、寒川町総合図書館、千代田区立中央図書館、豊島区立中央図書館などの新館を実際に足を運んで見てきたが、これは一言で言えば、従来の公民館→図書館→情報館と辿って来た図書館の歴史的機能転換、大袈裟に言えばパラダイム変換である。そこには文化や伝統を担うあるべき未来の縮図があるのだ。換言すれば、ここには地域活性をダイナミックにシンクロナイズしていくような異次元空間、コミュニティのあり方(スウェーデンなどに見られるコミューン)が隠されているような気がする。図書館は活用してなんぼの知的家計簿で精神生活をさらに豊かにしてくれるのだ。人生は短い、故にすべての書は読めないのだ。さて、どないしよう。それでも、知を愛する人よ、先ずは図書館へ行こう。

開館時間 平日・土曜日 午前10時〜午後9時
       日曜日・祝日 午前10時〜午後6時
休館日  特別整理期間 図書整理日(月の最終月曜日)
ホームページアドレス http://library.city.iwaki.fukushima.jp

ごほんと蛙詩人も目を細め

超人の面白ラーメン紀行 79 南相馬市『タロー食堂』

超人の面白ラーメン紀行 79
JR常磐線原ノ町駅(原ノ町は毎年夏7月に開催される戦国時代絵巻・相馬野馬追い祭で有名)から徒歩7分のところにあるラーメン専門店『タロー食堂』。去年10月開店したばかりの浪江町から新参入した味噌ラーメンが売りの店である。早速味噌ラーメン(650円)と手作り餃子(450円)を注文。出て来る間に多少の仕事をこなし、さて、先ほどまで読んでいた本を次の降りる駅まで一気に読んでしまうかと思考を巡らしていたら、はい、味噌ラーメンですとやや多めのラーメンが目の前に現れた。例によって味見をするためレンゲで一啜り。ややあっさりしたブレンド味噌の味だった。体調のせいもあったが、取り分けて言うほどの味ではない。普通プラス1と言ったところか。ストレート系中細麺、トッピングは茹でモヤシに挽き肉、若干の刻んだ昆布それにトウモロコシだ。海苔やメンマや玉子はない(味付け玉子はオプション)。食べているうちにあ、これはその昔流行った「サッポロラーメン」の味だと気づいたのだ。多少アレンジはしてあるけれど。メニューは味噌バターラーメン(700円)、四川味噌ラーメン(720円)、タロースペシャル(1100円)、とんこつラーメンしょうゆラーメン(650円)、中華そば(550円)などいろいろ。山小屋造りで木の温もりを感じさせる店内はテーブルが中心、カウンターは切り株を椅子代わりにした席4席だが30名は入るスペース。厨房も広いが却って緩慢に見えてしまうのは筆者の思い過しか。
『タロー食堂』1.スープ★★2.麺★☆3.トッピング★☆4.接客・雰囲気★☆5.価格★★☆

2008/01/16

珍しい北欧料理の店紹介 7 六本木スウェーデン料理店『リラ・ダーラナ』

Lilla_dalarna_2以前に北欧料理の店紹介で取り上げ、いつかは入ってみたいと思っていたスウェーデン料理店Lilla Dalarna リラ・ダーラナ。ちょうど昼時にこの六本木界隈に来たので思い切って入ってみたのだ。もうとっくに忘れかけていた南スウェーデンはダーラナ地方の家庭料理店だ。メニューを見てごく普通の“日替わり”(安そうだし無難だ)ランチを注文。少し待たされている間、店内を一瞥。ワインカラーとディープブルーの色調の店内は、マルメなどの南スウェーデン地方を思い出させる雰囲気(筆者は実際にまだ行ったことはなく写真などで見た限りなのだが)で、いかにも女性が好きそうな小さなレストランだ。
茸などが入った玉子スープ、ジャガイモと鶏肉それにホウレンソウなどで会えたメインデッシュそしてライス、食後のコーヒー付き、で1100円である。味が多少薄かったりと好みの別れる微妙な料理、少し前斜め前の席で食べていたスウェーデン人らしき男性はウェートレスに「ソルト、ショウユ」と調味料を身振りを交えて頼んでいたが、ボリュームはあった。その後早めのコーヒーを頼んだら、コーヒー皿にクッキー一枚が添えてあった。フランスの小説家・マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の有名な紅茶を飲んだ瞬間に記憶が・・・ではないが、そのクッキーの匂いと食感を味わった瞬間、あっ、これは北欧人(ノルウェー人の女性)の女性が作ってくれた手作りのあの味と全く同じ、云十年の時を越えて今まさに蘇ったのだ。筆者はコーヒーを飲んだ後、その味を確かめたくて即座にウェートレスに訊ねた。
「このクッキーはスウェーデンのクッキーですか?」
「はい、スウェーデンの手作りクッキーです!」
「ほんと、懐かしい!(こちらはノルウェー人のだったがほとんど味は一緒だ)」
昼時はスウェーデンの片田舎で食事していたみたい。18人が座れば満席のこの小さなレストランは、あっという間に女性たちで一杯、その数10人強。狭い厨房では二人のコックさんが大わらわだった。
God aptit !

2008/01/14

最近の出版事情

  新年早々の先週、出版界に激震が走った。自費出版大手の出版社新風舎と対位法を駆使したユニークなネーミングで新聞の書評欄でも企画編集のあり方などで取り上げられたほどの文芸一般書中堅出版社の草思社が倒産した。前者は2年前の2006年8月、売上がピーク時期に約53億円あったが、マスコミに事業内容の活動を批判されてつい最近では1億円に激変した。 後者の草思社も11年前には約39億円あった売上は2006年8月期で二分の一以下の約18億円規模に落ちていた。また、この年末年始の書店売上の落ち込みも確か書籍が二桁台、これは店頭小売りに異変が起きている数字かも知れない(「新文化」最新電子版参照)。
自費出版は自分史の書き方の本があるほど隆盛だが、一方でお金を払って労作を出版したにもかかわらず、書店の棚に並んでいないといったトラブルも発生していたらしい。今尚1100人に本が出ていない状態だとか。出版者の姿勢は言語道断だが、依頼する人も契約書を交わすなどして事前・事中・事後のチェックを怠らないことだ。また、草思社は、その昔徳大寺氏有恒の『間違いだらけのクルマ選び』などで知られ、最近では斉藤孝の『声を出して読みたい日本語』が話題になった。翻訳本の題名が原作とは違って付けられたりと読者の関心を引いたユニークなネーミングのつけ方で売上を延ばし注目されていた。テレビや新聞の取材も受けていたのだ。そもそもは社史やPR紙などを手掛けていた会社と聞いていたが定かではない。元大学の先生もここから新書を出していた。負債は22億円、再建が進んでいるそうだ。
 
  出版社は見込み生産で成り立つ多品種小部数の比較的規模が小さい会社が多いが、あのビルは何々先生のおかげで建ったものだと言われるくらい企画力の一発がものをいってきた業界でもある。だが、出版不況にも強いというジンクスはすでに陳腐のものとなり、それよりも不況の波が押し寄せていて衰退産業の異名もチラホラ聴こえてくる昨今である。明治、大正、昭和そして平成と日本の近現代140年に活字文化として出版社の果たした役割は大きいが(例えば、明治時代の博文館や戦前の改造社を見よ)栄枯盛衰もまた激しかった。今回の典型的な二つの出版社は一方でインターネットやブログなどの普及で一億総評論家と言われるくらい表現者が増えたことや自分史の書き方などの本もあるほど自費出版が容易になったことだ。その潜在人口に目をつけ広告宣伝で素人の書き手を募り事業を拡大していった。ここには企画の良し悪しと本の普及としての流通が省かれて、はじめに金儲けありきの商法に走ってしまったのではないのか。文化の担い手としての使命感が欠如していたのではないか。精神生活の豊かさへの希求を支援していく出版者の有様がここには何もない、ただモノの介在があるのみだったのか。

  他方、人文・社会科学系の中堅出版社の草思社は同業他社が羨むほどの快進撃を続けていた頃とは出版内容が違って読者離れが潜在的に起きていたのだろうか。比較的高額な書籍に寄与してきた人文・社会科学系出版社のものがともかく売れなくなってきていると嘆く書店員の声を聞くが、文庫や新書にその売上を大方依存している昨今の書店の低価格傾向に対する悲鳴も書店員から聞こえてくる。もはや書店の売り場は文庫や新書の洪水なのだ。これに反して店頭に行かないでも本がいち早く手に入る無店舗書店・e-bookが好調とも聞く(例えば、アマゾンドットコムを見よ)。格差拡大の傾向が顕著なのか。企画がたまたま2,3点以上当たって勢いづき好調さを維持しようとすれば、書店などの市場在庫を考慮し客観的で冷静な経営判断を重版の時に下すことによって予期せぬ大量返品を防げるということになるのだが、現実的には難しいのか。その年は順調でも翌年大量返品でおかしくなる出版社がよくあるからだ。今や新刊の寿命、サイクルは相当短くなっているのだ。そればかりが要因ではないかも知れないけれども、新聞も含めてマスコミ業界の10兆円産業−そのうち出版業界は2兆円くらい(ひところの3兆円産業から比べれば約1兆円ダウン)−はインターネットの普及で以前の規模を保つことはできないでいる。むしろ後退現象に歯止めがかからない状態だ。インターネットコンテンツがその利便性を拡大しているのだ。この勢いは止まらないだろう。と同時に世界がすごいスピードで繋がっていて瞬時に世界がリアルタイムで知れるのだ。情報はグローバリゼイション化だが、何せ深さがない。時間をかけて活字を追って味わう本の醍醐味を少子化、読書人口減、媒体変容などにかまけていないで更に充実させていくためには、知識産業はここに来て初めて知識の領域分離・融合を迎えたと考えオリジナリティを出していく産業に転換すべきだ。新年早々二つの出版社の倒産劇を読んで筆者が感じたことだ。

追記。この記事を書き終わって今朝の毎日新聞朝刊(2008年1月14日付)を捲っていたら、新風舎、草思社破綻 長引く「出版不況」深刻化、出口見えずの見出しのメディア欄の記事を見つけた。「流通に乗らぬ」状態に戻れと言う詩人で詩集出版・紫陽社社長の荒川洋治氏と「手法は以前から問題視」と訴える写真家・藤原新也氏のコメントが載っていた。新風舎の自費出版の場合賞などに落選した若い世代の写真家志望者が含まれていたり、不況のため自費出版関係にまで仕事を求めていた編集プロダクション、デザイン会社や印刷会社の顔も見えて、皮肉な出版界の現象が浮かび上がった恰好だ。
  
追記2。先程午後6時頃のFM放送のニュースによれば、私大連盟は経営破綻に陥っている大学・短大は98校に上ると発表した。学術専門出版社とりわけ人文・社会科学系の出版社にとってはまさしく大学市場の縮み現象に青色吐息だ。

追記3。今日新風舎は再建の道を断念し破産手続きを取ったと報道された(2007年1月19日)。

追記4。昨日の読売新聞社会面の記事によると、新風舎は流通していない書籍を倉庫に積み上げていたらしい。その数600万冊というから驚きを越えて呆れる。更に聞いて呆れるのは、前払金はもらっておいて売れそうにもない理由とかでそうしたそうだ。そしてこのような最悪の事態になって初めて著者にその倉庫にある書籍を買い取ってもらいたいとこの経営者は言っているらしい。出版人の見識が甚だ疑われるね。

2008/01/12

超人の面白翻訳 42 余滴 続々

  スロヴェニア人の著者は路上に出て京都の街を探索する。交通事情、自動車やバイクに言及し、新聞を読んでは、たまたま起こった凶悪な犯罪事件に暴力が多く描かれているアニメやコミックの影響を読み取る。また、路上であった親子連れの“ガイジン”に向けた子どもの視線の話、冬の寒い日での屋外児童演奏会出席と感動、クリスマスと正月、初詣のやや冷やかな描写と自分に起きた身辺雑記そして自分の専門分野の言語学のことや学会出席の印象や感想、日本人の英語のことを綴り、更に京都郊外に引っ越したことそしてそこが故郷マリボールに似ていることや能舞台を見学して能楽師に質問し褒められたことなどが事細かに描かれている。4月に入って第4回目の最後のエッセーでは、京都の土手に咲く桜のこと、スロヴェニアの実家から送られて来た荷物の話などが思いの丈書かれていて面白い。そして、最後は4月の日本の天候不順を嘆いている。そういう時には同じ島国生活のイギリスのことを思い出して慰めるとこのエッセイは結んでいる。

"The likeness to the weather in Britain is all too evident."


  そろそろこの訳者あとがきも終わりに近づいてきた。前に少し触れたヘレン・ミアーズ著伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』はGHQ最高司令官マッカーサーも翻訳出版を禁じた本だが、近代日本の行動原理を分析した優れた日本論だ。もうひとつ、ある新聞の書評子が取り上げていた一冊、デニス・キーン著『忘れられた国ニッポン』は、絶版で図書館から借り出したばかりの本だが、長年日本に住んで丸谷才一や北杜夫の翻訳を手掛けたイギリスの詩人で翻訳家の辛辣な日本文化論である。西洋化したニッポンは伝統を忘れていて危ない。宮沢賢治の詩は下手、太宰は大衆文学そして漱石と荷風を評価した後、「源氏物語」を持つ国、日本の精神生活を豊かにするには漢詩、和歌や俳句のアンソロジーを中学や高校でしっかり学ばせることだと提案している。批評する精神を養うことが大切と書いているのだ。辛辣かつ痛快。何れも1995年の出版、前者は2005年に角川新書に抄訳が入ったもの。その「源氏物語」は今年千年紀を迎え、京都を中心にいろいろな催しが大々的に開かれるらしい。やはりこの際通読してみたい。さて、原文か現代語訳か誰の訳で?それとも英訳―。 
  『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』は京都を舞台にした現在の日本の様子を描いて異文化接触の格好な材料を提供してくれたばかりではなく、軽い読み物としても面白かった。紹介してくれたL先生に感謝したい。

2008/01/10

超人の面白翻訳 41 余滴続

  筆者はこのスロヴェニア人の言語学者ドラゴ・ウヌク氏が書いた『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』のエッセーを一読してまず異文化交流・接触のある感慨を覚えた。それは遠い昔、12歳の小学6年生の自分にフラッシュバックさせた。小学校の2階の端にあった図書館の確かレファレンスコーナーか語学の棚にさり気なく置かれていたドイツ語の本との出会いが筆者の異文化、当時は外国語体験だった。その不思議な文字に夢中になり、舌足らずの若くて背の小さな女性司書に質問を浴びせて困らせたことを今でも昨日のように鮮やかに覚えている。それほど異文化に接触することの興味が強かったと言えるだろう。
  さて、話はスロヴェニア人の日本印象記だ。晩秋の日本に降り立った著者は(その冬は特に寒波襲来もあって日本も寒かったけれども)、大学が提供した会館に住むがその住まいの設備が悪いのを嘆いている。もともとセントラルヒーティグ等の暖房設備は日本家屋の性質上あまり普及していない。コンパクトな暖房設備が普通だ。このことに関しては筆者のニューヨーク滞在時に会ったある中年の女性の言葉が印象的だった。

「日本の冬は寒いので帰る気になれないわ」
「どうして」
「ねぇ、家の中に風が入ってスースーするでしょ」
「それで・・・」
「その点こちらは青森と緯度が同じぐらいでも家の中は暖かいもの」
「・・・」
「セントラルヒーティグのおかげよ」

(註。日本とは石造りで二重窓等の家屋構造も違うが)

  日本人の礼儀正しさや親切さに触れて(これは多くの外国人が指摘していることだが)、日本人を褒めてはいるが多少の皮肉も含まれているようだ。この点については土井健郎著『甘えの構造』やルース・ベネディクト著『菊と刀』、最近ある先生から教えられた『アメリカの鏡』(手元に本がないので著者名は失念)などを読んでみると大いに参考になるだろう。土井健郎の『甘えの構造』は英文版もある。

2008/01/06

超人の面白翻訳 40 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』余滴

  スロヴェニア人の言語学者ウヌク・ドラゴ氏(年令40歳代後半)が第二外国語の一つである英語で書いたエッセー、『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』を携帯電話の機能を使って主に通勤電車の中や空いてる時間でやっと訳了した。英文原稿は8500語くらいだが、日本語訳では400字詰原稿用紙で約55枚もある。冗長な言語・日本語の面目躍如といったところか。39回連載で延べ約95時間くらいかかった計算だ。次に若干の訳者あとがきを記そう。
 
  これは全く一個人がボランティアでした仕事である。それにしてもその原作者の"見者の精神"には目を見張るものがある。よく観察していて、亡くなった小田実の名著『何でも見てやろう』の精神に通じるものがある。また、初めての東洋の国日本の古都・京都の街の晩秋から春先にかけての日常を正直に自分の眼で確かめながら書いている。ここには小国だがヨーロッパ大陸の精神を受け継いだ知識人の醒めた言辞が心地よい言葉、何と言ったら良いか、そう、"歩き言葉"で書かれていてその好奇心の塊を訳者は想った。

 英文はその語彙そのフレーズそしてその構造にイギリス英語の匂いがぷんぷんしていて、些かアメリカ英語に慣れた訳者は多少の確認が必要だったことを素直に認めたい。と同時に、シンタックスにおいてはドイツ語の影響なども多少見られた。また、知覚動詞、助動詞、接続詞などの使い方と分詞構文、関係代名詞の使い方などにも、これは言語に敏感な言語学者の文章だから当然と言えば当然だが厳密的な反映があった。と同時に、文章や一部の単語に著者の偏愛も発見できた。また、急いでつけ加えたいが、時制の問題は厄介である。普通過去・完了形を表す日本語の助動詞「た」は必ずしもその時制だけの機能とは言い切れない品詞だ。と同時に、英語、仏語、独語、瑞語や露語などのヨーロッパ諸語の時制とは必ずしも一致しない言語体系が日本語の膠着語と言われている言語だ。だから軽いエッセーの類でも欧文の構造、すなわちシンタックスはしっかりしていて、その強固な文構造を柔らかな日本語文に移し変える時にそれなりの注意が必然的に払われなければない。そうでなければ言語感覚が鈍く躍動感のない、ぶっきらぼうな日本語文に墜してしまうのだ。原文が過去・完了形でも入子構造の日本語は末尾を過去形という言辞に拘泥しなくともいい。その時のコンテキストを考えて臨機応変に対応すれば良いだろう。もう一つは文体の問題があってその形式に一定の書き手の個性を読み取るのだ。主語の省略もそのひとつ。はじめから日本語には主語は存在しないという考え方(三上章の文法論など)も最近では受け入れられて来ているが、ここでは言及しない。更につけ加えて言えば、欧文の特に抽象名詞を具体的な日本語に変換する作業は訳者の語学力や読解力が問われるところだが、その形と意味を理解しながら言葉の加除を時どき施して微調整の作業を行うこと、そこには漢語と和語それにひらがななどの活用が必須だ。また、欧文の文章の区切りが必ずしも日本語のそれと一致しているわけでもないことも考慮に入れたい。

日本語は主体中心の言語世界を形成する言葉かも知れないが(文化のコードはよく言われることだが「察し」の文化それに「恥」の文化。最近はこの傾向もグロバリゼイションの波に飲み込まれているが)、ともかく曖昧な言葉のようだ。かつて毎日新聞の余禄欄だったと思うが、文豪・川端康成はその小説で確か「おもう」という言葉が10通り以上の意味をただひとつで書き分けていて(但しその前後関係の状況語がその語の意味を決定していることがしばしば見られる)、最近亡くなった翻訳家・サイデンステッカー氏を悩ましたと書いていたが、その逆はこのエッセーにも現れていた。

  果たして誤訳は起こりえるか。この問題の解決には「翻訳は裏切り者である」や「翻訳は腹話術に似ている」とか、直訳、意訳、創訳とこの分野で語られている夥しい本や雑誌それに論文があるが、最近では『星の王子様』の訳例が象徴的だが、厳密な訳業の上で文化の翻訳が求められて当然だろう(オリジナル文は普通は翻訳者自身は書いていないのは自明なのだから)。最後的には原著者の魂が乗り移るくらいの訳ができたら本望だ。それまでは日々葛藤の連続と勉強の日々が続き終わりはないのである。ま、言語感覚、センスというものもあるが・・・。ということで、筆者も誤りは見つけ次第訂正することでご勘弁願いたい。そう、異文化接触、体験、cross-culturalな視点などの論評は紙数が尽きたので、次回に。


超人の面白翻訳 39 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』連載最終回

  私はオランダのチューリップの写真が含まれていた実家からの荷物に感激した。世界で有名なチューリップだがもちろん日本の桜も有名だ。故郷では毎年樹木園があるが、いろんなたくさんの花が陳列されている市の公園では草花大会が開かれる。手紙の結びで家族の者たちは、桜を自分たちの一部と見なしてから、もともとの桜に興味を持ってくれているが、私たちの桜はこの時期白くて未熟だ。かたくて匂いも良い花びらは大きい。桜はいちごや黒いちごと同じくジューンフルーツと呼ばれている。
  自分たちの生活では予期せぬ楽しい経験をすることがよくある。日本の能楽堂の舞台稽古の時でもそうだった。その時は3人の外国人と一緒だった。専門的に舞台稽古を積んだ能楽師が所有している家で稽古が行われて以来、地方の個人宅を訪ねるのは初めてであった。前に言った舞台稽古は若い後継者が指導していた。私は多少能楽の知識は持っていた。もちろん私の研究からではないが、実際に見て経験することは本からだけの知識とはかけ離れて全く違っているのだ。足の動きと声の抑揚の稽古が2時間続いた後に、その能楽師は私たちをみんなで話し合う場に招いてくれた。彼は稽古舞台を楽しんだか私たち外国人には尋ねなかった。いや、彼は変な外国人の私たちに特別1時間あまり声を出して唄ったり舞台周りを実演してくれたりして私たちの質問に敢えて答えてくれたのだった。彼はシェークスピアの時代遥か前にこの古い能楽の非情な特徴を私が指摘した意味が妥当だと言ってくれたので、私はゼミの優秀な学生の気分になったような気がした。長い間経験したことがなかったことでまた、ユニークで独創的なものを知った機会だった。私たちは多少疲れた様子の能楽師に丁寧にお礼を言った。ところで、能舞台稽古についての会話を夢中で楽しんだすぐあとだった。私たちはその能楽師の最低限のことだけ語る言葉に圧倒され狂喜したのだ。
 
  どこの出身地だろうが、私たちは4月の天気が気まぐれで予測できないと考えがちだ。この地域でも同じだと思う。京都の空は大変美しく青いに違いないがまた、太陽が世界を照らす光線を遮って鉛色でどんよりとしたたくさんの雲に覆われることもあるのだ。時折日単位で降る雨の場合には、「英国の気候と似て全ては明白すぎる」とひそかに考えることにしている。島国生活だと考えて他にもたくさんの似たような現象があることには言及しないでおこう。
 しかしながら、この話は別の機会に・・・。(後編終了)

2008/01/05

超人の面白翻訳 38 携帯翻訳 『スロヴェニア人の見た不思議な国・ニッポン』 

  例えば、私は前回の記述では微笑んだ。ここの遊歩道は表面が平らなことからは程遠い。アスファルトは粗く私の靴では楽しめない。その靴は英国製だがこの辺を歩き回るには全く適さないのだ。私は緑が好きで空いた時間には堤防をよく散歩する。そうしていると故郷を思い出すのだが、マリボールと比べて川は多少小さい。4ヶ月経った今、私は街を図式化することを考えている。地図がひとつとそれにもうひとつは少しずつ経験しながら・・・。ともかく街を流れている川が全体でどう流れているのか私には理解できないのだ。少なくとも私にとって地域以上に興味あることは、散歩しながら美しい音楽を奏でる多くの若いミュージシャンがいることだ。私は彼らが演奏するヨーロッパのクラシック音楽を楽しんでいる。ヨーロッパと言えば、日本はヨーロッパ大陸からはかなり遠いが、ヨーロッパ大陸も日本からは遠いのだ。アメリカ(もちろんアメリカ合衆国だ)は地域の意味ではひとつの役割を演じているように見えるが、ライフスタイル、ファッション、ビジネスなどでははっきりとしている。私の仮説だが、外国からの訪問者が英語を話せばそれは間違いなくアメリカ人だ、ということだ。
  公共施設の看板を読むのを割り引いても他に興味あるものは、日本語でない看板は英語で書かれていてこれには驚いた。私はフランス語が話せる。このことは歴史とそれに横文字(ラテン文字で書かれていること)が注意をひきつけていることや広告用に使われていることで説明できるだろう。グローバリゼイション(国際化)とは英語や変化した日本人の認識方法と手を組むことである。街のポスター、品揃えの名前等々だが、ヨーロッパの現実はこれとは反対に英語の看板は私と同様時折古臭いのだ。
  日本人はヨーロッパでは自分たちのところから最良のものを取って来て、それを採用し改良する国民と見なされている。日本人の英語も、英語圏の文化(例えばインド)に影響を受けている国々が使用している英語とはかなり違っている。しかしながら日本での違いは音声的や音声学的だけではなく規則正しさにもあるという理由が特に際立っているのだ。多くの人たちがフランス語が分らなくても誰も困らないようだ。自分たちのルールがあるのだ。舶来もの(アメリカ人、フランス人、多分ドイツ人だが、ドイツ語は現実的ではない)は現代的でユニークでよく売れる。国際化や統合特に貿易の現代的な考えではそれらは全て現実的なものだ。そう、私は日本の製品によく見かける広告英語を見過ごすことができないにもかかわらずだ。こうしてかけ離れていることだけが残るのだ。

2008/01/04

超人の面白翻訳 37 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』 

 春だ。ついにだ! 長く寒い冬の後楽しい季節が巡ってきた。日本だけではなくヨーロッパも同様に息を吹き返すのだ。日本の春はどうだろう。ほとんど初めて見る桜の木は、川辺に沿って何キロも続いて他の木と寄り添いながら咲いている。生き物が息を飲んでいるシーンである。現代人は今尚自然と密接に関係している。それはすてきな市の公園にある視覚的にも嗅覚的にも目立っている植物でまた、数えきれない家々の前の鉢植えの植物なのだが、その匂いがガソリンの煙と混ざり合っているのだ。ここで物理学者のハイゼンブルグのことを考えた。彼はかつてこう言っていた。自然は知覚することではなく、人が自分自身のなかで知覚するイメージである。
 
 私は新しいアパートに引っ越した。今は市の郊外にある大学の国際留学会館に住んでいる。京都の丘陵地は現在私のところから近く故郷のように感じるのだ。その故郷のマリボールにも私の家の窓の外に丘陵地が広がっている。アパートは誰もが分かるように本当に狭いのだ。私たち外国人は自分たちに合わせて多少広くしたりするが、スペースを変えても全て同じだとすぐ気付いてしまう。
 新しい住まいは前に住んでいたところよりも実質狭いが、駅の近くでも全く静かだ。だからここにすぐ決めた。ベランダがあって1階でしかも開放感があるところなら助かったが。 要するに、隣人とは反対に以前住んでいた悪い環境をたやすく忘れさせてくれる新しい住まいがいい。しかし健康的にはちょっと苦痛を感じさせる。どんな状況だろうが、新しいステップを踏んだ始まりと呼びたい。最も喜ばしいことはインターネットや電話が使えることだ。なるほど誰も尋ねて来ないが、私は現代的な便利さを感じている。 アパートの周りはもちろん全く違っている。大学と同じく市の中心部に近いが、私が住んで間もない区画は、特徴的な街と雑踏から引っ越した場所との間に一種の区切りがあるように見える。

2008/01/03

超人の面白翻訳 36 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

 参加者は多くはフランス人とドイツ人がほとんどのヨーロッパ人でスラヴ系は二人だった。はっきりしていたことだが、主催者側が私たち外国人をどう理解し新しい研究環境とどう対処しているかの問題やまた一方で、日本人が私たち外国人を受け入れることをどう感じているかの問題にすごく微妙に接していたことだ。私たちは特別発表を許された。それは西洋と日本の関係史の類いだ。厳しい評価と特定な候補者選びの過程が再度大方説明されたが、それは私の日本滞在を更に上げさせた。
 夕方懇親会があった。どんな外国人でも日本の土を踏み始めた後にちょっと感じる「カルチャーショック」の意味を日本人には分からない。また、私たち全ての外国人の研究者がそれを理解することは難しいのだ。それは意志疎通では何も産み出せないことと似ているが、言語の問題ではない。なぜなら、たいていの日本人は英語を話すし、たいていの外国人は日本語で意志疎通ができるからだ。多くの不思議な点をあげても終わりがないように思える。興味が尽きなく仰天するような建築、外国人には厳格で昔ながらの方法で接触してくること、伝統的なスタイルと西洋的なライフスタイルを混ぜた、ある種の旋律的な交換、生活空間に見られる清潔さ、技術の進歩それに交通の秩序と効率等々。それらは一見現実的でないように見えるけれども、確かに現実なのだ。
不幸にもこのような洞察力に満ちた夕べは私たちの前後に横たわる長い日々と比べると短いのだ。

2008/01/01

超人のジャーナリスト・アイ 74 2008年元旦の新聞社説

  今年2008年(平成20年)はどんな年になるのかなかなか予測しにくい。北京オリンピック、アメリカ大統領選挙、日本での先進国首脳会議(洞爺湖サミット、2008)などがあるが、内外とも地球温暖化問題、格差と貧困それに年金問題と問題は山積である。自助、公助、互助など根本的な人間の倫理観、豊かな想像力そして知識・教養に裏打ちされた人間の本当の知恵などが今求められているのかも知れない。資源や地球の生態系も有限であることの事実をもっと人間個々人が考えて実行していく時代に入ったのである。環境問題に先進的な役割を果たしているデンマークの実践をテレビで観てさらにその観を強くした。完全に循環型の暮らしに変り始めたのだ。
  ということで、年のはじめにあたって日米の代表的な新聞の社説を比較することである程度の現在性を読み取れるのでないかと考えた次第。
■アメリカのThe New York Timesの2008年1月1日の社説は「環境問題」。下記はその電子版からの引用。

Editorial: In Office
The One Environmental Issue
Published: January 1, 2008
The overriding environmental issue of these times is the warming of the planet. The Democratic hopefuls in the 2008 campaign are fully engaged, calling for large — if still unquantified — national sacrifices and for a transformation in the way the country produces and uses energy. The Republicans do not go much further than conceding that climate change could be a problem and, with the notable exception of John McCain, offer no comprehensive solutions.

In 2000, when Al Gore could have made warming a signature issue in his presidential campaign, his advisers persuaded him that it was too complicated and forbidding an issue to sell to ordinary voters. For similar reasons, John Kerry’s ambitious ideas for addressing climate change and reducing the country’s dependence on foreign oil never advanced much beyond his Web site.

Times have certainly changed. It is not yet clear to what extent Americans are willing to grapple with the implications of any serious strategy to reduce greenhouse gas emissions: more specifically, whether they are ready to pay higher prices for energy and change their lifestyles to reduce their consumption of fossil fuels.

Polls suggest, however, that voters are increasingly alarmed, and for that Mr. Gore is partly responsible. His film, “An Inconvenient Truth,” raised the issue’s profile. Then came four reports from the United Nations Intergovernmental Panel on Climate Change, which shared the Nobel Peace Prize with Mr. Gore, predicting catastrophic changes in weather patterns, sea levels and food production unless greenhouses gases can be quickly stabilized and then reduced by as much as 80 percent by midcentury.

There is also a growing appetite for decisive action — everywhere, it seems, except the White House. Governors in more than two dozen states are fashioning regional agreements to lower greenhouse gases, the federal courts have ordered the executive branch to begin regulating these gases, and the Senate has begun work on a bipartisan bill that would reduce emissions by nearly 65 percent by 2050.

Still, the country is a long way from a comprehensive response equal to the challenge. That is what the Democratic candidates are proposing. Senators Joseph Biden, Hillary Clinton and Barack Obama, former Senator John Edwards, Gov. Bill Richardson and Representative Dennis Kucinich have all offered aggressive plans that would go beyond the Senate bill and reduce emissions by 80 percent by midcentury (90 percent in Mr. Richardson’s case), much as called for in the United Nations reports.

These plans would rest primarily on a cap-and-trade scheme that imposes a gradually declining ceiling on emissions and allows power plants, refineries and other emitters to figure out the cheapest way to meet their quotas — either by reducing emissions on their own or by purchasing credits from more efficient producers. The idea is to give companies a clear financial incentive to invest in the new technologies and efficiencies required to create a more carbon-free economy.

None of the Democrats trust the market to do the job by itself. All would make major investments in cleaner fuels and delivery systems, including coal-fired power plants capable of capturing carbon emissions and storing them underground. Every Democrat except Mr. Kucinich says that carbon-free nuclear power has to be part of the mix, although all are careful to say that safety issues and other concerns must first be resolved.

Internationally, the Democrats say they would seek a new global accord on reducing emissions to replace and improve upon the Kyoto Protocol, which expires in 2012. Winning agreement among more than 180 nations will be slow-going, so several candidates, including Mrs. Clinton, have suggested jump-starting the process by bringing together the big emitters like China very early in their administrations. China and the United States together produce about 40 percent of the world’s total emissions and neither has agreed to binding reductions.

The only Republican candidate who comes close to the Democrats with a plan for addressing climate change is John McCain, one of the authentic pioneers on the issue in the Senate. In 2003, along with Joseph Lieberman, Mr. McCain introduced the first Senate bill aimed at mandatory economywide reductions in emissions of 65 percent by midcentury. He also regularly addresses the subject on the campaign trail.

The other leading Republican candidates — Mitt Romney, Rudy Giuliani, Fred Thompson, Mike Huckabee — talk about energy issues almost exclusively in the context of freeing America from its dependence on foreign oil. All promote nuclear power, embrace energy efficiency and promise greener technologies. Only Mr. Huckabee has dared raise the idea of government regulation, embracing, at least theoretically, the idea of a mandatory cap on emissions. The rest prefer President Bush’s cost-free and demonstrably inadequate voluntary approach, which essentially asks industry to do what it can to reduce emissions.

So far, the Democratic candidates seem more engaged with the issue than some of their interrogators in the news media. In a recent study, the League of Conservation Voters found that as of two weeks ago, the five main political talk-show hosts had collectively asked 2,275 questions of candidates in both parties. Only 24 of the questions even touched on climate change.

One result is that even the candidates who urge comprehensive change have not been pressed on important questions of cost: How do they intend to pay for all the new efficiencies and technologies that will be necessary? And what kind of sacrifices will they be asking of people who almost certainly will have to pay more for their electric bills and their greener cars?

Addressing these questions will require more courage of the candidates than simply offering up broad new visions. The voters deserve an honest accounting and the candidates should be prepared to give it.

■日本の朝日新聞2008年(平成20年)元旦の社説は「平成20年の意味―歴史に刻む総選挙の年に」。
下記はその電子版からの引用。

平成20年の意味―歴史に刻む総選挙の年に
 不穏な年明けである。

 と、元旦の社説に書いたのは5年前のことだった。米国がイラク攻撃へひた走り、北朝鮮の拉致と核でも緊迫の度が高まるばかり。世界はどうなるのか、せっぱ詰まった重苦しさがあった。

 今年もまた、穏やかならぬ年明けだ。

 外から押し寄せる脅威よりも前に、中から崩れてはしまわないか。今度はそんな不安にかられる。

 日本防衛の重責を担っていた官僚トップに、あれほどモラルが欠如していようとは。暮らしの安心を保証する年金が、あんなにずさんに扱われていたとは。日々のニュースがこれほど「偽」の字に覆われようとは……。

 ただでさえ、年金制度の将来設計は危ういし、借金づけの財政にも、進む少子高齢化にも、これといった策が打ち出せない。経済のかげりは隠せず、生活苦のワーキングプアも増えた。日本は沈みつつある船ではないのか。

 私たちが昨秋から社説で「希望社会への提言」シリーズを展開しているのも、そんな危機感からである。

 だが最も切実なのは、深刻な課題に取り組むべき政治が混迷の中にあることではないか。「ねじれ国会」でますます迷路をさまようのか、それとも出口を見つけるか。今年は大きな分岐点にある。


蛇行の末のねじれ

 平成も、はや20年を迎えた。

 昭和から平成に元号が変わったのは89年1月8日。時の竹下登氏から福田康夫氏に至るまで、日本の首相は何と13人を数えた。小泉政権の5年半を除けばあきれるばかりの数であり、政治の非力と蛇行をうかがわせるに十分だ。

 平成元年は激動の入り口だった。

 リクルート事件が山場を迎え、政治改革が課題に。消費税がついに導入され、参院選で自民党が大敗、一時とはいえ初めて与野党が逆転した年だった。

 世界史の上では、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩れた年である。

 冷戦終幕は「55年体制」からの脱却に向けて日本政治の背中も押した。小沢一郎氏らが自民党を出て「非自民」連立の細川政権をつくったのは93年。これが政界再編の第1章であり、政治改革の目玉として衆院に小選挙区制導入の改革が行われた。政権交代を当たり前とする「二大政党」時代への条件整備だった。

 再編第2章は、いまの民主党が結成された98年。これで二大政党の準備はできたが、小選挙区制の果実は自民党が先に味わった。05年に小泉首相が郵政総選挙で大勝し、与党が議席の3分の2を獲得したのだ。だが、小泉後のしっぺ返しも強烈。昨年の参院選で民主党が圧勝し、衆参「ねじれ時代」に突入した。

 正月休みが終われば越年国会が再開され、「給油新法」の対決にけりがつく。参院で野党が、衆院では与党がそれぞれ数にものを言わせ、最後は衆院で「3分の2」ルールが使われるという。この半世紀、なかったことだ。

 しかし、与党はこの方式を毎度あてにはできないし、参院の民主党優位は6年は続きそうだ。ねじれ国会をどうするのか。それが切実に問われている。


沈没を防ぐため

 昨秋、「大連立」の話が降ってわいて大騒ぎになった。あっさり消えたのは当然として、与野党が対決を乗り越えて必要な政策を力強く進めるには、どうすればよいのか。政治が重い宿題を負わされたことは間違いない。

 どんな道があるだろうか。

 与野党が政策をすりあわせて合意を探ればよいのだが、いまは簡単ではない。参院選で勢いづいた野党は「民意はこちらに」と譲らないし、与党も最後は衆院の「3分の2」に頼るからだ。

 ここは衆参の1勝1敗を踏まえて、改めて総選挙に問うしかあるまい。政権選択の、いわば決勝戦である。

 結果をおおざっぱに考えてみよう。

 もし民主党が勝てば、いよいよ政権が交代して衆参のねじれも消える。政権交代の実現は、もともと政治改革のねらいだったはず。それが果たされる。

 一方、与党にとっては、勝ってもねじれは変わらぬうえ、「3分の2」を失うリスクも大きいが、それでも「民意」の旗を取り戻すことができる。もはや野党も「反対」だけを通せまい。

 今度の総選挙はそんな勝負だけに、あらかじめ厳しい節度を求めておきたい。まず、与野党とも受けねらいのバラ色の政策ではなく、政権担当を前提に、可能な限り現実的な公約を競うこと。

 第二に、敗者は潔く勝者に協力することだ。自民党の下野は当然として、もし民主党が負けたら参院の多数を振りかざさず、謙虚に政策調整に応じるのだ。仕組みを工夫して、ねじれ時代のルールを確立する必要がある。

 選挙の勝敗が鮮明でない場合など、政党再編や連立組み替えもありえよう。場合によっては大きなテーマを軸に「大連立」が再燃するかもしれないが、それもこれも総選挙をしてからの話だ。

 世界は待ってはくれない。冷戦後、統一ドイツはしっかり国の基盤を固め、フランスとともに欧州連合(EU)を引っ張ってきた。ソ連に代わって登場したロシアも、経済混迷の時代などいまや昔の物語。中国やインドをはじめ、アジアもダイナミックな伸び盛りだ。

 今秋には米国で大統領選があり、「ブッシュの時代」は終わりを告げる。世界の中の日本も曲がり角にあるが、まずは日本の沈没を防ぐため、政治の体勢を整えるしかあるまい。

 平成20年。政界再編第1章から15年、第2章からは10年――。今年、政治の歴史に大きな節目を刻みたい。

超人の新年の詩 2008

新年の詩 2008

今年の新年は
東京は晴
東北・北陸は雪だ

もちろん北海道は大雪
西日本の福岡も雪だ

新聞は去年と同じくらいの酷暑になれば
北極の氷はすべて融けてしまうと告げる
温暖化という人為的な行為が
地球環境を激変させて
やがては自然の逆襲がくるのか

遠に忘れていた人間の
ささやかで
愛おしい営みが
人為的に引き裂かれて
新たな妖怪が蔓延り始めている

イヤダナ
イヤダナ

モトキタミチニハ
モドリタクナイ

ポスト資本主義  糞喰らえ
新自由主義経済 糞食らえ
おまえたちはイカサマだ

愛と地球を削って
格差と貧困を膨らませ
シャーシャーとしている

妖怪は漠として見えないが
大陸の奥深く
砂漠や大海にも群れを成して
彷徨っている

ナススベハアリマスカ
ナスハタベラレマスカ

今本当の天気は量れない
量るマスは用をなさずに
壊れ始めているからだ

白い雪も
やがては
黒い雨に変わるかも知れない
赤い雲に変ってしまうかも知れない

自然はいま牙を剥き出し始めている
そして
妖怪も


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