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2007/12/31

最近買い込んだ書籍など拾い読み 4 

最近買い込んだ書籍など拾い読み。
078_5①大谷泰照著『日本人にとって英語とは何か』異文化理解のあり方を問う(大修館 本体:1800円 2007年8月刊)
言語教育政策専門の著者が英語の学習、指導の観点から異文化理解を問い直そうとした本。日本の教育を点検する、揺れる日本人の言語・文化意識、日本人の異文化理解の考え方、日本の英語を糺す、英語教師に問われるもの、新しい時代の異言語教育を考えるの6章からなり、かなり具体的で示唆に富んでいる。明治6年、初代文部大臣・森有礼「英語国語化論」を提唱、明治35年、森鴎外「洋学の盛衰を論ず」、大正11年、ハロルド・E・パーマー、文部省英語教授研究所長に就任、昭和15年、菊池寛「外国語を徐々に取り除くべきであると思ふ」、昭和21年、志賀直哉「日本の国語程、不完全で不便なものはない」、昭和30年、加藤周一「日本語でまにあわないことは、一つもない」、平成12年、英語「第2公用語化」論と帯に書かれている「親英語」と「反英語」の歴史が面白い。幕末以来の日本人の対外意識の「ゆれ」を読み解いている。289頁。

079_4②斉藤兆史著『翻訳の作法』(東大出版会 本体:2200円 2007年11月刊)
東京大学教養学部のテキスト、著者の前著『英語の作法』の言わば続編
カズオ・イシグロ、V・S・ナイポール、R・キプリングなどの英文学の名作を翻訳・実践トレーニングした本。184頁。

081_2③佐伯一麦著『ノルゲ』(講談社 本体価格:2100円 2007年6月刊)
著者のノルウェー体験を生かした「おれ」をめぐる傑作長編小説。

080_3④Edmund Austigard著『KRINSEREGLANE』(Det Norske Samlaget Oslo 2005)
Edumund Austigard氏は1964年生まれで2005年、この『KRINSEREGLANE』の小説でデビューしたノルウェーの新進作家。2007年には『Taxi forB.A.Beckstr¢m-eller kunsten å danse på furu』を上梓。2008年の若手批評家賞にノミネートされている作家。たまたま手に入れた本。原本はノルウェー語なので多少葛藤しながら読んでみようと考えて・・・。

■今年もあと何時間かで終わりだが、歳を重ねるごとに月日の経つのが早く感じて、一体今年は何冊読んだか分らないまま過ぎた。このパソコンの周辺にも読みかけの本があちこち雑多に積んであるのだ。また、来年も読書と書評それにプログ書きで始まりそうだ。何せ目標の1000本まであと545本あるのだから―。それなりに頑張らないと目標クリアが怪しくなる。来年もどうぞよろしく。


超人の北欧音楽鑑賞 エドウ゛ァルド・グリーグ

  今年はノルウェーの作曲家・エドヴァルド・グリーグの没後100年だった。筆者は2月にさいたま芸術劇場音楽ホールでノルウェーの俊英レイフ・オヴェ・アンスネスのピアノリサイタルで純情小曲集を聴いたり、自由学園での日本・ノルウェー音楽家協会によるグリーグ作曲の組曲・歌曲などを聴いた。しかし有名で昔よく聴いていた「ピアノ協奏曲イ短調作品16」が聴き逃したのだ。この11月の下旬になってレイフ・オヴェ・アンスネスが10月にリリーフした新曲077_3に入っていることをネットで知り買い求めた。マリス・ヤンソンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演だ。この曲にはピアノ協奏曲イ短調作品16とバラードト短調作品24(ノルウェー民謡による変奏曲形式の)純情小曲集が入っている。透明感のあるそれでいて力強いピアノ演奏が魅力だ。
その第1楽章:アレグロ・モルト・モデラートはこちら→「01.wma」をダウンロード

追記。2008年5月14日付日経新聞朝刊の文化欄コラム「文化往来」にノルウェーのピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスがドビッシーのピアノ曲で新境地との記事。4月24日、アンスネスはニューヨークのカーネギーホール主催の「鍵盤の名手シリーズ」のリサイタルに起用され、ほぼ満席(約2800席)の聴衆を集めた。前半はバッハ、ベートーベン、シベリウス、グリーグの小品、後半は全部、ドビュッシーを弾いた。きらめきに彩られた最弱音からホールを満たす最強音に至るまで一貫して温かく、木肌の感触を思わせるアンスネスの音色を得て、ドビュッシーの音楽はユーモアさえ漂わせ、思いのほかヒューマンに響く、と感想が書かれていた。今秋日本公演でもドビュッシーの前奏曲集を弾くらしい(2008年5月14日 記)。


2007/12/28

超人の面白翻訳 35 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

30年前に数学から言語学に切り換える決心をしたスロヴェニア人とスロヴェニアの首都、リュブリャナからやってきた日本人の学者と会うのは楽しいことだった。私たちの話題は専らリュブリャナ大学哲学部の日本学の長をめぐる話だったが、それは過去の経験、研究業績、将来計画についての意見交換だったのだ。言語学の普遍的理論をずっと持ち続ける必要性と同じく自国でのスロヴェニア語研究の立場のことなどであった。また、その分野は海外の教育とも密接に結び付いている。私たちの議論もまた、ヨーロッパのスラヴ語学の出来事、もちろん日本のその分野の研究の現状にも及んだ。

2007/12/27

超人の面白翻訳 34 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』 

  研究の結果や発見ものの研究発表の場である会合、その大変有効的で気楽な会合が最後の部会にあった。それは新鮮だった。「なんとスラヴ的か」と私は静かに独り言を言った。スラヴ語のひとつを研究する学生たちの関心は平均以上だった。会合の使用言語は日本語だったことを付け加えておかなければならない。だから私には問題だった。
札幌でも同じだった。一番大きなスラヴ語研究会の関心ははっきりしていた。私は審査員と聴講生の数を35人まで数えたが、あとは数え違えてしまっただろう。研究はロシアの文化的社会的特殊性と同様に過去の歴史と文学の分野が目立っていた。言語を扱うだけの言語学は、他の言語現象の部分として発表されただけだった。

2007/12/26

超人の面白翻訳 33 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

 私は札幌のロシア語研究会と同様に東京のスラヴ語研究会にも顔を出した。会の名称は違っているが(会の存在の議論は全く明らか)この二つの研究会には本当に垣根がないのだ。多くの一般人と同様に私もまた、多くのスラヴ語研究者に会って驚いたが、発展する研究分野の必要性からくる理由はさておき、無知なる精神に対し「エキゾチック」さやある種の文化的な環境とは無関係なことを思ったのだ。私はロシア語、ポーランド語、チェコ語などの国の研究者とは会ったがスロヴェニア語やマケドニア語の研究者には会っていない・・・。すごく親しくなるほど研究者各々の言語修得は大変上手なのには驚いた。

2007/12/23

超人の面白発見 クリスマスツリー

B0007805_14535158_3ニューヨークはミッドタウンにあるロックフェラーセンターのクリスマスツリー。この写真は「ニューヨークの遊び方」のブログの一シーン。よく何度もここに寄ってはツリーとスケートリンクを眺めていたね。それも月日は早いもので最後に訪ねたのは11年前だ。

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 こちらは今年から始まった日本一の高さを誇る日比谷公園のクリスマスツリー。12月21日から1月1日まで点灯。写真はエンジョイ東京のWEB SITEより。

クリスマス電飾ツリーは東西戦Img168

超人の面白翻訳 32 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

どんな研究者でも斬新なものや発見ものが出版物の中では、いかに冷酷に扱われているかを知っている。実を言うと、ここに本館と別館の二つの図書館があることには本当に驚いた。全ての洋書や和書の学術書が置いてあることは普通以上なのだが、ほとんど1世紀もの時間の隔たりをカバーしながら、世界中の言語学の論文に出くわすことは私に空気を掴ませるようなものだ。誰もが言うように「全て手に入れた」のだ。
 学術書は年齢、研究方法や成果説明などでは国際化してきた。その大部分は統一されて機能的に図式化されてきた(もちろん基本のところでだ)。それは幅広く採用され国際的に統一化されたシステムになって本当にほっとしているが、自分を虜にするような目を見張るような斬新なものもまた必要だ。例えば、学部が刊行する言語学に関する出版物―最新の専門的かつ普遍的で学術的な発見物を搭載―の情報が研究熱心な学生の目に留まることだ。それらは「斬新で大変魅力的だ」と私は思うのだ(訳者註=ここの人間・環境学研究科文化環境学系比較文明論/共生文明学/地域文明論講座で年1回出している論集が「Dynamis ことばと文化」、Dynamis_3
◆バックナンバーを読みたい人はこちら→「dynamisconts.htm2.htm」をダウンロード)雑誌の形式と内容の充実さは褒めたいと思う。
 私は著者自身が編集したりデザインしたりしていることに慣れている。どんな研究者生活でも一流な考え方があるものだ。それ自身では何にもできない―。国際交流基金学術研究プログラムの職員の活躍がまさにそれだ。彼らは時間を割いてくれ、卓越した成果をもたらすような個性、成功や影響などに気に掛けないほど協力的で献身的な職業人だ。日本で働くこに対する全体的な考え方は以前に持っていた通りだった。

2007/12/22

超人の面白翻訳 31 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

 流されるのを防ぐには自分の考えを呼び起こさせ、自分が最初に日本に来た理由に焦点をあてることだ。日本に来た主な目的は言語学の調査と研究だ。私の国は大変狭いし人口も少ないので、世界中の研究者の大変重要な概念である、いわゆる結果を得るための必要な量=“クリティカル・マス”を提供できない。私の研究の中心分野ではまだ学者や研究者が十分に育っていないのだ。だから私は至るところで“クリティカル・マス”を見つけなければならなかった。特に私は生きた母国語を研究するような特別な分野に縛られているからだ。
 スロヴェニア語について深く考えることはごく普通のことだが、私が赴任地として日本を選んだことは会う人みんなを驚かせている。なぜそうなのかという議論を妨げるのは時間的に無駄だろう。だからただ二点だけその理由を述べよう。まず第一点は、どの言語も一般的に言ってただ単なる現象に過ぎないということだ。それは基本言語学、言語学的普遍性などを包含し結合されている。全ては世界のあらゆる言語と共通しているのだ。第二点は、ある距離から観察する事物は、同時にまた、関係づけられたものないし正反対に似つかないものと比較できる事物なのだが、研究の中心概念と見なされた時には違って見えるのだ。例えば、様々な英語研究があるが、それらは非ネイティブスピーカーが作成したものや外国人が作成した日本の歴史についてのものだ。スラヴ語を専門とする日本人研究者はごく普通だそうだ。その一人が学位取得後研究での指導教官の三谷女史である。
 私は京都大学の規則と機構にはともかく驚かされたと言わざるを得ないのだ。私は大学、学部そして渡航より前に私が尊敬している指導教官の三谷女史などの基本的な情報を収集していた。研究教育にあてがわれた学部は他と比べて大変小さい。教育関係の職員とアルバイトのアシスタント数名だ。しかし研究環境は抜群に良い。特に世界中の最新の学術専門分野の電子出版物へは自由に際限無くアクセスできるのだ。


2007/12/20

超人の面白翻訳 30 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

 長く続かない人たちや何も長く続かないことに比べれば、私は今日本へ来て現在3ヶ月も経った。今尚日本人の行動が同じように見える。私はどうか。そう、はじめに言ったように、日常の基本的なところで何が立ち現われて来るか知覚できることと同様に、ある程度まで類推することで多少の変化を経験できた。
 ひとつは日本の伝統的な食事作法である箸の使い方を極めて早くマスターしたことだ。しかしそれだけでは終わらない。いくつか日本語の単語も覚えて薬局へ行って薬も買ったし、郵便局でなんとかすることも覚えたのだ。これら単純なことだけでも実際の現在の自分の居場所がさらに洞察できるようになったのだ。

2007/12/18

超人の面白サイト発見

澁澤龍彦もお気に入りだった武井武雄の「お化けアパート」を調べていたら面白いサイトを発見。勝手に紹介しちゃおう。クロックもここまで来れば見事だね−。あっぱれっ ! そのサイトはこちら→「quu.mht」をダウンロード


2007/12/15

超人のドキッとする絵画 9 国立西洋美術館『ムンク展』 3

069
「人間の魂の叫び」のテーマというよりはむしろ、今回の『ムンク展』は、<生命のフリーズ>・装飾性に注目した意欲の企画展だ。カタログを参考に作品を見てみよう。

第1章<生命のフリーズ>:装飾への道
1  吸血鬼          1893-94
2  灰             1925-29
3  メランコリー、ラウラ   1899
4  橋の上の女たち     1935
5  ある男           1925
6  不安            1894074

7  絶望            1893
8  豊饒            1902
9  サクラメント        1915
10 赤と白           1894
11 女性、スウィンクス    1893-94
12 メタボリズム        1899-1903
13 生命のダンス       1925-29065_2
14 声/夏の夜         1893
15 吸血鬼            1916-18
16 別離             1896
17 赤い蔦           1898-1900
18 死の苦しみ        1915
19 裸の男女         1913
20 ゴルゴダ          1900
21 宙空での出会い     1925
22 装飾のための下絵    1925
23 装飾のための下絵    1925
24 屍臭            1898-1902
25 泉              1915-16
26 海辺の裸の男女     1907
27 諷刺画           1906-08
28 嫉妬、庭園にて      1916-20
29 オースゴールストランのポー   1905
30 星月夜           1922-24
31 病める子供        1925
32 海辺の接吻/月明かりの接吻  1914
33 <生命のフリーズ>による装飾のある部屋のためのスケッチ  1902-07
34 <生命のフリーズ>の展示のためのスケッチ           1910-16
35 <生命のフリーズ>ためのスケッチ:「抱擁」「生命のダンス」「目の中の目」   1910-16
36 <生命のフリーズ>ためのスケッチ:「二人の女性」「声/夏の夜」         1910-16
37 <生命のフリーズ>のためのスケッチ:「灰」「メタボリズム」「吸血鬼」      1910-16
38 <生命のフリーズ>のためのスケッチ:「メランコリー」「嫉妬」 1910-16
39 <生命のフリーズ>のためのスケッチ:「叫び」「女性」「森の法話」 1910-16
40 <生命のフリーズ>のためのスケッチ:「死んだ母親と子供」「病室での死」「サクラメント」   1910-16
41 象徴的な習作           1893-94
42 死と乙女              1894
43 樹木によりかかる女性 1895-97
44 女性/スフィンクス 1895
45 スフィンクス 1896
46 アウグスト・ストリンドベルイ   1896064_3
47 マドンナ          1894063_3


48 マドンナ          1895
49 陽気な死者(シャルル・ボードレールの『悪の華』 の挿絵下絵) 1896
50 腐屍(シャルル・ボードレール『悪の華』 の挿絵下絵)  1896
51 腐屍(シャルル・ボードレール『悪の華』 の挿絵下絵)  1896
52 生と死(「腐屍」のためのスケッチ) 1896
53 時間、世界、結婚 1893
54 病める子供 1894
55 乙女と心臓、別離、サロメ 1895-96
56 灰                                 1896
57 諷刺画                               1916
58 「カンカン」「乙女と心臓」のための下絵            1893-95
59 庭の彫刻                              1896
60 装飾的スケッチ                          1897-98
61 三つの装飾的スケッチ                      1899
62 家屋装飾のためのデザイン                 1920-25

第2章 人魚:アクセル・ハイベルク邸の装飾

63 海辺の人魚                           1893
64 人魚                                 1896
65 月の前の人魚                        1892

第3章 <リンデ・フリーズ>:マックス・リンデ邸の装飾

66 公園で愛を交わす男女(リンデ・フリーズ) 1904
67 公園の夏(リンデ・フリーズ)                     1904075

68 海辺の木々(リンデ・フリーズ)                   1904
69 果物を収穫する少女たち(リンデ・フリーズ)          1904
70 海辺の若者たち(リンデ・フリーズ)                 1904
71 海辺のダンス(リンデ・フリーズ)                   1904
72 花に水をやる少女たち(リンデ・フリーズ)    1904

第4章 <ラインハルト・フリーズ>:ベルリン小劇場の装飾     
73 浜辺の出会い(<ラインハルト・フリーズ>のための習作   1906-07
74-76 省略

第5章 オーラ:オスロ大学講堂の壁画066_2
 
77 太陽(習作) 1912
78-83 省略 

第6章 <フレイア・フリーズ>:フレイア・チョコレート工場の装飾068

84 工場からあふれ出す労働者たち               1921
85-93 省略
  
第7章 <労働者フリーズ>:オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト
94 雪の中の労働者たち                        1909-10067_3

95-108 省略   

金曜日の夜8時閉館を利用して作品鑑賞したものの、前述した有名な作品が観られなかったのが残念である。"フリーズ"・Friege・装飾性というこれまであまり注目されてこなかった側面に光りをあて、大袈裟に言えば、21世紀的にややドライで均整のとれたしかも知的装飾が施されたかのような構成の今回の『ムンク展』 は、チョコレート工場の壁画、雪の中の労働者それに比較的明るいムンク後期作品に鑑賞の価値を見出したに過ぎない。『マドンナ』、『不安』それに『生命のダンス』の作品がやはり印象に残ったのだ。有名な作品出展の欠如は致命的だった。
この『ムンク展』も1月6日までなので週末の混雑をさけてこの金曜日に出かけたのだが、思ったほどの混雑さはなく、意外に少ないなとは筆者の率直な感想。年配の女性や男性、親子連れ、女学生にカップルと比率としては女性が多かったか。入ってすぐに11分間の簡単な音と映像によるムンク絵画のガイダンスサービス、1回500円各作品解説付きのイヤフォンも貸し出されていた。午後6時からは40分間ムンク絵画を上映するサービスもあってマルチメディアチックだ。

■ムンク絵画常設館

出光興産は盗まれたムンクの絵(『叫び』と『マドンナ』)の修復に400万ユーロ(日本円で8200万円)を寄付したとあるサイトに書かれていた。2004年8月に盗まれ、ロンドン警視庁などの懸命な捜査の結果、オスロ警察の手によって発見されたが、なぜか犯人の窃盗団の詳細を明らかにしていないらしい。謎の残る事件だ。10年に1回位ムンクの絵は盗まれているとも。しかしムンクは同じ絵を何枚も描いていたのでビクともしないとそのサイトはコメントしている。

出光美術館では、1993年に「ムンク展」を開催したことから、ノルウェーのオスロ市立ムンク美術館のご協力により、ムンクの作品を毎年3点ずつ紹介する展示室を設けています(出光美術館のサイトより)。

現在の展示作品
今回は1900~20年代に描かれたムンクの自画像を展示しています。
Rouault_ph001_2

自画像、結婚式の席でII 1925年
寄り添って 1905年
ポケットに手を入れた自画像 1923年

展示期間 2007年9月より2008年8月まで


自画像、結婚式の席でII
エドヴァルト・ムンク
1925年
オスロ市立ムンク美術館蔵

©Munch Museum / Munch-Ellingsen Group / BONO, 2007

追記。BSジャパンの番組『ムンクを奪還せよ! "叫び"回収までの84日間 囮捜査官の挑戦』を今観終わった。
86億円もするムンクの絵画「叫び」が盗まれてそれを奪還するまでのドキュメンタリータッチの番組だが、ちょうどリレハンメル冬季オリンピックの開会式にオスロ国立美術館クヌート・ベルグ館長他当事者の思惑とは裏腹に特別に開催したムンク展で事件は起きた。その84日間をイギリスの元ロンドン警視庁の美術窃盗関係に詳しい囮捜査官・チャーリー・ヒルの回想を追った番組。推理劇さながらの展開はハラハラドキドキかつ白熱してあっという間の1時間46分。面白かった。思っていたより古い話だったかと今にして思うね。1994年2月の事件だった。
この番組の中で筆者がずっと忘れていたことも知れないが、ひとつ解ったことがある。"叫び"はムンク自身の強烈な夕日体験があってそれを2年後に絵として完成させた事実だ。これはこの赤い線を観れば一目瞭然だ。
『ムンク』展は1月6日に国立美術館では終了するが、この後兵庫県立美術館で2008年1月16日~2008年3月31日開催(2007年1月3日 記)。

追記 トルコのイスタンブールで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は17日、国立西洋美術館本館(東京都台東区)を含む7カ国17遺産で構成される「ル・コルビュジエの建築作品」の世界文化遺産登録を決めた。2016年7月17日(日)のネットニュースより。(2016.7.19 記)


クロカル超人が行く 74 上野 国立西洋美術館

クロカル超人が行く
久し振りの上野公園。金曜日の夕暮れとあってあちこちに人だかりができている。入口の東京文化会館の中もそうだ。外から見てて誰かの演奏会が始まる雰囲気だった。この人だかり気になるね、誰だか後でこっそり調べてみたいな。
さて、国立西洋美術館の入口左側の庭では「ガーデン・イルミネーション」が開催中。電飾はクリスマス用だけではないのだ。

上野の庭電飾白の冬支度    超人

ある地方紙で文芸関係の賞などの審査員をしているF大学のM先生の評(ちょっと恥ずかしいが)。
「上野の庭電飾白の冬支度」はいい句ですよ。
単なる飾りではなく、寒い冬に向う支度としての「電飾」というとらえ方がいいです
ね。また、「庭」(人工的自然)と「電飾」(人工的飾り)との対照を踏まえて、
「白」い「電飾」が「上野」という東北への玄関としての地名を借り、雪国
(「冬」)への玄関飾りとしても読めるところがいいです。

そしてその英訳。

The garden of Ueno
Illuminated with white
Prepares for winter


超人のドキッとする絵画 9 国立西洋美術館『ムンク展』 2

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日本でも何回か開催された『ムンク展』。大分時間的な隔たりはあるが、筆者はこれで2回目、いつ観てもある感慨が残る。かつて作家・五木寛之がよくムンクの絵について言及していたが、その絵は後期に明るさはみえるものの、全般的に暗い。44歳にて精神に病をきたした人の絵に明るい絵を描けるはずもないのは当然で、期待する方が所詮無理からぬこと。しかし傑作はこの時代に描かれているから不思議だ。今回100余点を見て回って感じたことは、「生命のフリーズ」でまとめた絵画展コンセプト、それは建築用語で帯状の装飾を意味するようだが、残念ながらその再現以外何も目新しいもの、奥行きのあるものがなかったことだ。ひょっとすると表現形式に斬新さが見られず平板化に墜した感を歪めないか。この企画には若い人が参画していることはカタログの奥付から読み取れる。時代にあったムンク絵画の現在性を意識して作品展示を考えたと思うが、果たしてその真価やいかに―。筆者的に言えば、やはり「叫び」や「思春期」が観たかったのだ ! ムンク絵画の真骨頂とは何か。長年考えてきたこととも関連するが、それは輪郭と色調それに心理表出の絶妙である。ドイツ表現主義の代表、19世紀、20世紀初頭の時代の申し子とは言え、北欧・ノルウェーが育んだ土壌は、ムンク絵画に独特のタッチで愛、嫉妬、不安、死などの人間存在の根源的な表現を許した。それは同時にキルケゴールやニーチェの同時代の哲学者の存在やイプセン、ストリンドベリーなどの劇作家の影響もあったのだ。
【写真左上:この美術館1階のアートショップで購入したコースター 200円】

今回観れなかった有名なムンクの作品。確かこれらの作品は当時観た記憶がある。遠い記憶を辿れば・・・。
070061072_2071【写真左から:「カール・ヨハン通りの夕べ 1892年」、「叫び」 1893年」、「思春期 1894/1895年」、「嫉妬 1895年」、「メランコリー 1894-1895」】

2007/12/14

超人のドキッとする絵画 9 国立西洋美術館『ムンク展』        

今年のノルウェー年は、劇作家・Ibsen Year後のノルウェーの作曲家・エドヴァルド・グリーグから始まったが、最後は画家・エドヴァルド・ムンク(1863ー1944)の装飾画家に焦点をあてた世界初の「ムンク展」で終わった。
ここ何年かノルウェーの文化事業を見てきて、ノルウェーも頑張っているなとは筆者の率直な感想。その前のデンマークのアンデルセンのイベント成功も見過ごすことはできないが。
ということで、久し振りに上野の西洋美術館に足を運んだ。『ムンク展』040
は20歳のときに初めて観たが、今回はあの有名な『叫び』などは来ていない。その時は、観に来ていた女性が『思春期』の絵の前で立ち止まり泣いていたことが話題になった。ムンクの絵は何年か前にオスロの美術館から盗まれて話題になり、しばらくいろんな憶測が飛んでその事件の解明に謎解きが続いた。筆者は確か英国のBBC放送が放映していたのを興味深く見たのだ。
実はこの『ムンク展』会場を順路逆方向へ歩いて2回観たと言いたいが、メモ取るのに夢中で絵画鑑賞の途中で左のチケットを失くしてしまったのだ。証拠のチケットだから多少慌てた。入口近くのインフォメーションコーナーで預かってくれていたので助かった。こういう人もいるのだ。

2007/12/13

超人の面白翻訳 29 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

喫茶店に入ったときなど若い子ども連れの家族は、私の存在に気付くと私から遠く離れて座った。しかし一日後これとはまったく違った経験をした。喫茶店の窓越しに手を振って合図をしていた子どもに、不思議にも英語で挨拶の仕方を教えられた。他の場合だが、年配のカップルととても楽しい会話をしていることに気づいた。年配のカップルは知らないと思うが、私はまさにいい日を作ってもらったのだ。普段日本人とつきあうのはとても難しい。一方で彼らは手伝うときや仕事をするときなどは大変優しいが、他方では、一般的に外国人に対しては遠慮深いのだ。
 日本で寝込むことは他のところで病気になることとまったく違わない。頭痛や鼻風邪は日本でもスロヴェニアでも退屈だ。医者を尋ねたことも興味深かった。寒い上に感冒の季節は私を容赦しなかった。医院、インテリア、従業員そして患者の関係では社会主義下の古い時代を思い出した。でもその構造はすべてここではずっと有効なのだ。医者は英語を話した。できるかぎりそうしてくれた。自分のアパートが寒いことを私が説明するのが難しかったからだろう。また、その後その医者は暖かくして過ごすようにと言ってくれたのだ。
この独特で興味深い国を日々少しずつよく理解するようになってきているが、私は小さな子どもと同じように好奇心を今尚持ち続けている。

2007/12/11

俳句 初冬

今朝の毎日新聞朝刊一面で坪内稔典選『季節のたより』が始まった。大岡信の『折々のうた』を向こうに回しての登場である。
そしてまず小生の記念の一句。

黒鞄身を軽くして師走風   超人

東京新聞のコラム「筆洗」に載っていた句。

二日酔飲んだ所を覚えている

さらに初冬の句をひとつ。

みあげてもみあげてもなお銀杏の葉

さらに追加の句。

冬至の日虎猫走る寒さかな

2007/12/10

超人の面白翻訳 28 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

  日本の社会はどのような階層になっているのか考察するのはこれまた全く容易い。外国人としてそのことを実際に知るには多くの店を見て回らなければならなかった。外国人に受けるのは古い町にあるたくさんの小さな店だが、そこでは才能のきらめく秀作の手作り品を眺めたり褒めたりして午後のほとんどを過ごせるのだ。値段、そう高いが妥当な値段だと言っておこう。この辺はあまり観光客はいないので、店の客はほとんど地元の人たちだ。結論を言えば、日本人は伝統を維持しようとしているが過去から動いているようだ。店は日曜祭日も開いている。ケーキ屋はいつも一杯、女性は着物で歩き回る。これらを眺めたり褒めたりすることは我々ヨーロッパ人には確かに受けるのだ。

2007/12/09

最近買い込んだ書籍・雑誌など拾い読み 3

最近買い込んだ書籍・雑誌類。
yom yom 12月号(新潮社)
作家・南條竹則 イッキ読み「ドストエフスキー」十篇15冊をイッキ読み
爺さん臭い文章は鼻についたが、まだ読んでいない新訳の「カラマーゾフの兄弟」に着手するきっかけを作ってくれそうだ。この年末年始に挑戦してみるか。本当は夏休みだったが−。

森まゆみ 文さんと茉莉さん−山本夏彦「最後のひと」を読む
幸田露伴の娘、幸田文はどっちかと言えば男性的できちっとしていた女性、それに比べて森鴎外の娘、森茉莉はお嬢さんっぽい、両方とも父を書いて作家になった女性。その山の手、下町またその堺に育った背景が息吹く硬軟の文章と妙。筆者はこの二人の女性作家の作品を新刊時に書店で立ち読みをしたものだ。森まゆみは文体(昨日読んでいた本に文体について書いてあったが、文体とは"文章の形式"。福澤諭吉の文章は伝えることを眼目においているので美辞麗句の少ない平明な文章で書かれているとその本には書いてあったね。)に言及して今年のベストセラー、坂東眞理子著『女性の品格』には文体がないとバッサリ。その点山本夏彦には文体があり、その彼の『最後のひと』は日本文化のすじみちを見きわめようと思えば、必読書だという。茉莉と言えば、筆者などは詩人・金子光晴の妻−奔放極まる生き方はそのものが芸術みたいな女性−をすぐ思い出してしまうが。女性作家にはそういう女性が結構いる。

石田依良 ダンディにはなれないけれど −田村隆一に学ぶ、荒地の詩人のダンディズム
詩人・田村隆一の詩を読んでいた話。52歳の時4番目の妻が友人の詩人・北村太郎に取られた話など艶っぽいがダンディ。これも大塚の料亭の家に生まれ早くから花柳界に親しみ「粋」を知った人のサガか。荒地派はもはやいない。

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山室信一著『憲法9条の思想水脈』(朝日選書 2007年6月刊 1300+税)
「足下をおろそかにするな、己の立てるところを深く掘れ、そこに必ず泉あらん」と先人の言葉を前書きで著者は引用しながら、日本国憲法第9条の平和主義の思想水脈を掘り起こしている。今こそ持続可能な平和憲法が必要なはずだが、嫌な風が吹いていることも事実だ。一読に値する本。
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ドリス・レッシング著 山崎勉・酒井格訳『草は歌っている』(原題:The Grass is Singing 昌文社 1970年6月初版
2007年11月新装版一刷 2100円)
今年のノーベル文学賞作品。代表作『黄金のノート』を探したが絶版のまま。これは図書館で借りて読むしかないか。このところアフリカはローデシア(現ジンバブエ)での出来事が目に付く。この本も著者が育ったローデシアでの物語。訳者あとがきにはこう書かれている。一つの文明の欠落をその落伍者を通じて暴き出すこと。植民地支配が他人の犠牲において己れを肥やすという本質的な悪ゆえに必然的に滅亡しなければならない過程をターナー一家の破滅を通じて描くこうとしたとある。
                  
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學鐙 冬号
チェコの鯉料理 明治大学教授・薩摩秀登
海のない内陸部のチェコ。強いて言えば日本国は長野県、しかしそんなに高い山はないはずだ。勿論ボヘミア平原はあるのだから盆地くらいはある。淡水魚に関する本格的な概説書『チェコ淡水魚史概説』もあるが、ここでは雑誌『歴史と現在』の2007年8月号に載った近世史家・P・ヴォレルの簡潔な紹介文を参考にしながら、チェコの淡水魚の話を書いている。淡水魚業は結構古く16世紀まで遡り、担い手は貴族だったらしい。それから5世紀後の今は観光パンフレットにも川魚料理がしばしば載るようになって来たという。鯉のフライやグリルは他のヨーロッパでは珍しい料理で、チェコ自慢の郷土料理だと書く。同じヨーロッパでも北のデンマークでは鰻料理があリ、日本でも有名な『スカンディア』に行けば食べられる。否、ここはチェコの鯉料理でした。

紅野敏郎「學鐙」を読む (192)−富士川英郎(下)も面白く読んだ。ドイツ文学者でリルケの翻訳者の富士川英郎は医者で総合的医学史研究者の父・游のことについて書いたことなど晩年の富士川英郎の学問と詩に言及している。

一冊の本 2007年12月
最近のPR雑誌では読み応えのある雑誌だ。108ページもある。編集後記曰く、今年いったい何冊の本を読めたか。筆者も考えていたことだが。

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『萩原延壽集 1 馬場辰猪』(朝日新聞社 2007年11月)
筆者はある先生に名著だよと言われて古本屋を二三軒歩いたが、当時その文庫を見つけらず諦めていた。そして忘れてもいたのだ。今回その名前を聞いて早速購入。市井の歴史学者・萩原延壽については、その昔朝日新聞の夕刊でアーネスト・サトウ抄を読んでいたので彼の歴史を見る目、その調査能力と洞察それに文章に魅せられたものだ。再会は特異の自由民権運動家・馬場辰猪だ。面白い。

学術先端情報-学術mini情報誌「PS Journal」最新号の紹介 7

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2007年第11号 特集:研究者の現在Ⅹ 人文・社会科学の、パースペクティブ 3

■中国経済はなぜ成長したか
桃山学院大学教授 厳善平
■戦後の郊外住宅都市における小売商業の展開と「お買い物バス」の運行
神戸学院大学教授 廣田誠
■「地域に根ざす」経営史研究者としての一あり方
長岡大学准教授 松本和明
■史料の保存や公開、あるいは戦争の労苦継承や慰籍事業に関する雑感
東京女子大学教授 黒沢文貴
■移民関係書誌から考えること
国立国会図書館新聞課長 神繁司
■ドイツの逆襲-データに基づく教育計画
玉川大学准教授 坂野慎二
■「オカルト」の現在
横浜国立大学教授 一柳廣孝

中国経済はなぜ成長したか
桃山学院大学 厳 善平

  ここ30年近くの中国では、年平均9%以上の経済成長が遂げられた。1人当たり総生産で見るなら、中国は日本の約20分の1と依然発展途上国のままである。しかし、国を基本単位として国際比較すれば、中国の国内総生産は米国、日本、ドイツに次ぐ世界第4位(05年)、輸出入総額は日本を抜いて世界第3位(04年)、そして、外貨準備高は世界1位(06年)と、多くの経済指標が世界のトップクラスに躍り出ている。世界一の人口を抱える途上国でありながら、比較的短い期間でこれだけの実績を挙げたのは経済史上前例のないことである。その意味で、中国の経済発展は概ね成功したといことができよう。
  中国の経済成長をどのように見るべきか。ここでは、日本などの経済発展の経験を参考に、または経済学の考え方を援用しながら、中国経済の成長要因を検討してみる。
  成長会計法は要素還元論の考えに基づいた経済分析の手法として広く知られる。この分析法では、経済成長をもたらす基本要素として資本、労働と土地があり、この三要素の投入増大に還元できない残差を総要素生産性(Total Factor Productivity、TFP)と呼ぶ。このTFPの中身は資本に体化された技術や労働者が学校教育で習得した知識(人的資本)等を含むものであり、定量的にそれを分解することは難しいが、非常に有用な分析概念である。
成長会計法に即して中国経済の成長要因を説明するなら、三つの側面からアプローチすることができる。①物的投資の拡大、②労働投入の増加、③総要素生産性の向上。
物的投資は企業の固定資本投資、社会インフラ整備などと多岐にわたるが、投資の原資は国内の貯蓄と外国から調達される。改革開放以降の中国ではきわめて高い国内貯蓄率、中でも家計貯蓄率(05年に3割近く)が見られた。主要な理由として、①高成長に伴う収入増、②1人っ子政策で出生率が低下し14歳未満人口の割合が低く養育費や教育費が少ないこと、③65歳以上の高齢者比率が低く介護、医療にかかる費用が少ないこと、社会保障制度の未確立で老後のための貯蓄が多いことが挙げられる。他方、外資とくに外国の民間企業による直接投資(FDI)が急増し、設備投資等の資金調達が潤沢にできた。投資増→雇用増→収入増→貯蓄増→投資増という循環構造が形成されている。
  労働投入の増大も経済成長に寄与した。新中国成立後のベビーブーム、1970年代以降の人口抑制政策の施行によって、中国は改革開放とほぼ同じ時期に莫大な人口ボーナス(出生率の低下に伴う生産年齢人口割合の上昇が経済成長を促進すること)を享受してきた。15歳~64歳の生産年齢人口が急増したため、豊富で安い労働力が供給され続けただけでなく、社会全体としても所得が消費を上回り、蓄積の多い状況が形成されている。
  総要素生産性の向上も高度成長に大きく貢献した。ここでは、それを技術進歩と人的資本の蓄積に分けて考えよう。①対中投資の外資企業が急増し、多くの優れた技術が資本と共に導入されている。②中国科学院、大学を中心に政府主導下の研究開発が進められた。産学連携も早い段階から実施されている。後発国がゆえに、中国は先進国で開発された多くの技術を短い時間、少ない費用で吸収、消化している。③人的資本の形成でも驚嘆に値するものがある。小中高学校の普及促進、大学教育とりわけ理系重視の学科設置、カリキュラム編成によって多くの産業労働者、技術者が養成されている。④国費留学生を計画的に派遣したことで中国と世界との距離が縮められた。生産年齢人口の増加と共に彼らのもつ人的資本の蓄積があってこそ、世界工場としての中国が成り立ったのであろう。
  諸要素が結合し経済の成長に結びついたのは、経済発展の初期条件、政府の能力、そしてより大きな国際環境とも深く関係する。①毛沢東時代の重工業化戦略が改革開放時代の市場化改革の土台を築き上げたことは否定できない事実である。②社会秩序を維持し、教育・研究開発等を推進するために政府の統治能力が問われる。共産党による専制の政治体制ではあるが、任期制の導入、集団指導体制の確立、意思決定プロセスの科学化など絶えずに進化し続ける共産党政権の中身を見逃しては本質が把握できなくなる。安定―改革―発展という三角形の関係を最も熟知しているのは中国の為政者である。③ここ30年間、中国の周辺で大きな紛争はなかった。中国は世界平和の最大の受益者である。
  中国経済はどこまで成長できるか。長期的に経済成長を制約する要素として、人口、食糧、環境、資源が考えられるが、中国では人口増加およびそれに伴う食糧の需要拡大は大きな問題にならない見通しだ。環境問題についても技術進歩や経済的手段でもってある程度解決できるとされている。石油などの需要増については、利用効率の改善で対応できる部分は多く、技術進歩による代用エネルギーの開発も不可能ではないと言われている。
  以上は経済発展の光ばかりだが、陰がないわけではない。深刻化しつつある環境破壊、都市と農村の巨大な格差、腐敗の蔓延、等など。これらすべては中国の中でも認識され議論されている。ただし、発展なくして解決の望めないものも多く含まれている。
  強大な中国の出現は日本にとってもチャンスだと近年認識されつつあるが、気持ちはより複雑だろう。置いて行かれるのではないかと。ところが、国民1人当たりの所得水準は両国間に巨大な格差が存在する。日本はもっと自信をもって成長する中国と付き合ってよい。これからは「戦略的互恵関係」の構築に向かって共に努力していくべき時代である。
この他の小論はこちら→「img005.pdf」をダウンロード

2007/12/07

超人の面白翻訳 27 携帯翻訳 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

  期待しつつ私はコートの袖をのばしに洋服屋に持っていかなければならなかった。極端な状態で試したくなかった。なぜならクリスマス前の寒い日を今尚思い出すからだ。
比較的若い世代はバザーでたくさんものを買うようだ(それを何と呼ぶのか)。市の中心部にある通り二つ幅の場所にはブーツ、ソックス、高い帽子や安いイアリングなどが売られている。ここは多くの歩行者で溢れていることがしばしばでヨーロッパの“corso”とよく似ている。道を散策することやウィンドーショッピングをすることもあれば、知人と出会うことを期待する場所でもあるのだ。
日本でも同じだ。若者は仲良く交際することを好む。ショッピングすることが重要なのではなく、今尚贈答品が全てなのだ。洋服の量を見て驚いたが、それはセール用に仕上げられていてしわはのばされていた。どんな流行だろうと質がなんだろうとも、ショッピングセンターでは同じだと気付いた。直に見てみよう。あるものは判らないままだ。

2007/12/02

超人の面白ラーメン紀行 78 五反田『らーめん極』

200711201222000JR五反田駅ガード下にある『らーめん極』。味噌ラーメン専門店に引かれて入った筆者は、マグロラーメン(800円)なるものもあって多少揺れ動いたが、結局濃いらーめん(750円)を頼んだ。スープは合わせ味噌のドロドロ系で重い。もちろんこの間食した和歌山ラーメンとは味は豚骨醤油系で違うが、ドロドロした汁は瓜二つ。麺はストレート系中細麺、トッピングのもやし、ワカメ、ゴマ、メンマ、半熟玉子にチャーシュー、特にもやしはしゃきしゃき感もあって食感もいい。雑然とした店は昼時次々と客が入ってきてカウンター席13席は満杯。叔父さんとお兄さんの3人、男性ばかりの味噌にこだわったラーメン店だ。
『らーめん極』①スープ★★②麺★★③トッピング★★④接客・雰囲気★☆⑤価格★★

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