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2007/11/18

超人のジャーナリスト・アイ 73 オシム日本サッカー代表監督、脳梗塞で倒れる

独特のサッカー哲学で知られるイビチャ・オシム日本サッカー代表監督が16日金曜日午前2時頃自宅でテレビ観戦後倒れた。オシム流日本サッカーがここまでは"イイセン"で来ているので病のため倒れたのは惜しい。第一報は初めて乗車した新大阪発東京行き最終の最新型N700系新幹線電子掲示板のテロップだった。えっ、と筆者は一瞬息を詰まらせた。昨日あの川渕会長が涙ながらに息を詰まらせて記者会見、今は小康状態を保っていると語った。マスコミによると、オシム監督が倒れてから1時間ぐらい経って救急車で運ばれたという。日本では真夜中のため息子さんが関係者に電話をかけたが出なかったため、フランスの知人に国際電話をし、そこから日本の知人に国際電話をしてもらい、電話に出た人から救急車を呼んでもらったらしい。190センチと長身のため搬送にも時間がかかったという。外国の関係者並びに選手からも千羽鶴他次々とお見舞いが入って来ているとインターネットのニュースでも報じられている。リスク対応の教訓が残るか゛。今はいち早い回復を祈るばかりだ。
ボスニア・へルツェゴビナの首都でオシム監督の出身地・サラエボではどう報道されているかとネットで探しても判らなかった。その代わり未読の週刊文春の興味深い記事を見つけた。下記はそこからの引用だ。

恵まれた日本人へ「観衆もメディアも負けたチームに優しすぎる」

インタビュアー:田村修一

週刊文春2007年1月4日・11日新年特大号より

«123»Page 1/3

シニカル、天邪鬼、皮肉屋。サッカーの世界では、彼の言葉を集めた「オシム語録」なるものも生まれている。こういうと本人は怒るが、偉大な人物である。弱小チームであったジェフ千葉を、Jリーグで優勝争いを演じるまでに育てあげ、ナビスコカップ優勝に導いた手腕は疑いない。ユーゴスラビア内戦を経た人生には、普通の人間にはない深みが感じられる。そしてシニカルなもの言いの裏には、人間に対する限りない愛情がのぞく。約束の時間に訪れたわれわれを、オシムは一杯のコーヒーで歓迎してくれた。


――コーヒーが好きなんですか?
毎朝飲んでいるよ。私の国では、朝7~8時から働きはじめ10時に小休止をとる。そのときにコーヒーを飲むんだ。

――その習慣は変わらないわけですね。日本で4年を過ごし、サッカー観は変わりましたか?
サッカーは、テレビや新聞、メディアで取り上げるスターだけで成り立っているわけではない。こういうインタビューを受ける機会のない人々がたくさんいて、彼らはそれぞれ具体的な仕事を持っている。マッサーや用具係、選手でも、スター選手のために水を運ぶ(汗かき役の)選手たち。そういう人々こそ重要なんだ。それは日本もヨーロッパも関係ない。

――しかし環境の違いはあるでしょう。
ヨーロッパでは、すべての人間がサッカーをよくわかっている。サポーターも選手同様にプロ化している。もちろん彼らはそこから収入を得てはいないが、行動はプロそのものだ。クラブ、メディア、観衆。選手をとりまく環境は成熟し、選手に圧力をかけてくる。クラブ会長の発言や影響力も日本とは違う。日本の選手は、そこまでの重圧にさらされてはいない。観衆もまだ本当の意味でサッカーを理解してはいない。彼らはスペクタクルを求めスタジアムにやってくるが、サッカーとともに生活しているわけではない

――日本でも試合の持つ重みは、次第に大きくなっているのでは?
試合に負けてピッチを去るとき、ヨーロッパでは選手や監督はすでに多くのものを失っている。勝てばその後の一週間は安泰だが、負けると何が起こるかわからない。決していいとはいえないが、彼らはそういう生活を送っている。そこが日本とは違う。日本はサッカーが駄目でも、他の仕事がたくさんある。

――とはいえ環境は簡単には変えられませんが?
すべてを正常に働かせるために、われわれは努力している。しかしどれだけやれば正常になるのか、誰にもわからないし、正常な状態というのは、ファンやメディアにとってあまり面白いものでもない。特にメディアは、何か異常なことが起こらないと、記事にはならないだろう。

――新しい選手を発掘し、新チームを構築するあなたのやり方は正常ですが、スター選手を選ばないので日本代表の人気が下降しています。
では聞くが、スターとは誰だ?

――ヨーロピアン(ヨーロッパにいる選手たち)です。
まず彼らは日本人だ(笑)。それにスターとはいいプレーをする選手であって、ヨーロッパでプレーする選手のことではない。

――言葉の定義の問題ですね。

日本では、スターになるためにはヨーロッパに行かねばならないという認識がある。それは第一に日本に対する過小評価であり、第二にはヨーロッパでも、活躍しなければ本当の意味で認められない。日本のメディアにとっては、選手がヨーロッパに行くのはそれだけでいいことだろうが、サッカー的にはそうではない。そこで得るものがなければ、メディアがいくら騒ぎ立てても選手は満足しない。本物のサッカー選手になるにはちゃんとプレーすることが必要だなのにリザーブに甘んじてプレーの機会が得られず、毎年クラブを変えねばならない。中田英寿もそうだが、最後にはもういい、これで十分ということになってしまう。中田はあの若さにもかかわらず引退した。逆に中村俊輔は、セルティックでチャンスを掴んだ。常に最高のプレーをしているわけではないが、常時出場しているのはひとつの成果だ。高原直泰も、しばしば出場し得点をあげている。松井大輔は、レギュラーでそれなりにやっている。彼らはまあいい。しかしそうでない選手もいる。誰もがすべてを尽くしてヨーロッパに行こうとするが、私は承服しかねる。

――たとえ成功しなくとも、ヨーロッパで経験を積むのはいいことではありませんか?
それは否定しないが、どういう経験かと考えてしまうよ。大久保嘉人はスペインで1年過ごしたが、あまりプレーしなかった。彼は何を得て日本に戻ったのか。日本の監督もそれは分かっていて、彼はセレッソでも常時出場はしていない。つまり日本でもスペインでも、監督は選手に同じ評価を下しているわけだ。ヨーロッパでプレーできなければ、日本でもプレーできない。平山相太の場合も同じ。日本は捨てたものではないし、日本のレベルはそれなりに高いということだ。

――必ずしもヨーロッパばかりが優れているのではないと。
行ってもプレーできないのであれば、あまり意味がないと言っているだけだ。日本とヨーロッパの比較は難しい。日本人はすぐに比較したがるが、テクノロジーや政治・経済の分野ではそれは簡単だ。日本のほうが大概の面で優れている。しかしすべてにおいて優れているわけではなく、特にサッカーは別だ。政治力・経済力の大きさは、その他の面で国の大きさを保障しない。日本人がそれを理解するのはなかなか難しいだろうが。

――たしかにそう思います。
南米の国々を見ればわかるだろう。彼らは大国ではないが、サッカーをよく知っている。そして決して高望みはしない

――そうした現実を日本人に伝えたいというのも、代表監督を引き受けた理由のひとつでしょうか。
私が考えたのは、こういう状況(ワールドカップで1分2敗。若い世代は十分に育っていない)で、誰がこの仕事を引き受けるべきか、ということだった。そしてすべてを正常な状態に戻すために、自分にできることをするべきだと思った


――それまでは正常ではなかったということですね。
そうだ。そして君の質問に戻れば、日本人は他者に対して、もっと敬意を払うべきだと思った。たしかに日本人は礼儀正しく、他人を尊重している。だがちょっと違うと感じた。必要なのは、他人と面と向かったときの繊細さだ

――具体的にどういうことでしょう。
君たちはとても礼儀正しいし、きちんとしている。しかし礼儀正しくあることと、他人に敬意を払うのは別だ。サッカーの世界でも、たとえば10月に親善試合で対戦したガーナに対し、本当に敬意を払っていたのか。ガーナは地理的に遠いし、経済的に豊かとはいえない。一般的な日本人にとって、そういう国にもサッカーが存在すること、しかも日本よりも優れたサッカーがあることを、認めるのは簡単ではない。私は選手たちに、そういう国々にも関心を持つように言っている

――実際に彼らと接したときに、敬意を払えるかどうかですね。
(日本人は)過剰な敬意を払うか、まったく何もしないかのどちらかだ。無視もよくないが、敬意を払いすぎてもいけない。日本では観衆もメディアも、試合に負けたとき選手やチームに優しすぎる。政治・経済大国だから、ひとつのスポーツの勝敗ぐらいどちらでもいいという意識が、そこには現れている


――そうでしょうか。
政治や経済、演劇や映画は、比較はできても相手との直接対決があるわけではない。だがサッカーは、いつの日か誰かと対戦しなくてはならない。そこで露になるのは、11人対11人の、人間同士が向かい合ったとき明らかになる真実だ

――そのとき相手に払うべき敬意が欠けていると。
誤解しないでほしい。別に批判しているわけではない。私は単に日本人の礼儀正しさを語っているだけで、それは君たちの生活様式であり素晴らしさだと思っている。ただ私の印象はたぶん間違っているのだろうが、そうした礼儀正しさの背後に、何かが隠されているようにしばしば見える。それを見極めない限り、ほんとうの会話は成り立たない。言葉の後ろで、実は別のことを考えている。隠すのではなく、率直にすべてを語るほうが、生きやすいし理解もされやすいのに…

――日本的な慎み深さでしょうか。
日本人の生活はアメリカナイズされている。キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うし、欧米の習慣が生活に入り込んでいる。戦後の日本がアメリカ一辺倒であったように、クラブワールドカップでバルセロナが来日すると、こぞってバルセロナを歓迎し、他のチームはまったく無視した。そしてバルセロナの勝利に向け準備をしたが、インテルナシオナルに負けてしまい誰もが落ち込んでいる。クリスマスを祝えなくなってしまったからな(笑)。だが望まないことであっても、想定して準備しておくべきだろう

――それがスポーツであって……。
うまくいかなくなると、それがスポーツだという。確かにスポーツではすべてが可能だ。しかし試合前に、君たちはそう考えてはいない。それはスポーツではない(笑)

――日本サッカーはまだ若く、そう考えられるほど成熟してはいない。
それもまた言い訳だ。日本もずっと以前からサッカーをしているだろう。私は川淵三郎キャプテンと、東京オリンピックで対戦したことがある。その頃からサッカーはあったではないか(笑)。たしかにプロ化は遅かった。だがプロがはじまって13年というのは、現代では十分な時間だ。経験を積むには、5年もあればいい。今日では20歳の選手でも、それなりの経験が求められる。 35歳になってようやく私は経験を積んだと言うようでは、サッカー選手としては遅すぎる

――とはいえ日本は地理的に隔離されているから、交流も簡単ではなく生の情報も伝わりにくいです。
それも言い訳のひとつだ。離れていることの恩恵も十分に受けているだろう。孤立しているのは、ものごとを深く考える場所と時間があることを意味する。そうした孤立は利点だ

――しかし決して完全に孤立しているわけではなく……。

望むときに孤立できるのはたしかだろう。孤立にはメリットとデメリットの両面がある。そのときどきに応じて、どちらを選ぶかはあなたがたが決めることだ。そういう選択肢を持てる国はそう多くはない

――ではサッカーの場合も……。
サッカーが面白いのは、完全に孤立できないことだ。われわれのサッカーは世界最高だということはできる。ブラジル人はよくそういうが、ときに彼らは負ける。イングランドはずっと長い間、自分たちこそ最高のサッカーをすると信じてきた。しかしある日、彼らはそうでないことに気づいた。 私は相撲が好きでときどき見に行くが、最初は日本人だけだったが、その後、曙はじめ外国人がやって来た。その結果、今は朝青龍が頂点にたち、モンゴルやグルジア、ブルガリア、ロシア出身の力士たちが上位を占めている。それはあなた方が、彼らにもチャンスを与えたからだ。 日本人が上に行けないからと言って、昔に戻ることは出来ない。相撲でも、日本人が進歩しなければならない。それは他でも同じだ

――スポーツ以外でも、ということですか?
経済では中国がいる。韓国もいる。台湾、香港、タイ……。いろいろな国・地域が、早いスピードで学び急激に進歩している

――日本人は自信を失いつつあります。伝統が壊れ社会が変容し、拠り所となる確固とした価値観がなくなってしまいました。
社会を開きたいのか閉じたいのかを自問すべきだ。導くのはあなたがた自身であって他人ではない。閉じた社会に留まり、伝統を遵守しようとすれば完全に孤立する。他人とともに生きる気があるならば、それではうまくいかない。サッカーや野球で世界に出て行くならば、他人との交流なしには不可能だ

――そうでしょうね。
先日、アジアカップの抽選がおこなわれたが、日本の3連覇は簡単ではない。オーストラリアは大半の選手が世界最高峰のプレミアリーグでプレーしている。日本はひとりもいない。イランは7人がブンデスリーガに所属している。サウジアラビアもカタールも、3~4人をブラジルやアフリカから帰化させている。あのエメルソン(前浦和レッズ)も、カタール代表に入るかもしれない。日本にも闘莉王はじめ人材はいる。進歩はしている。しかし誰もがサッカーから享受するだけでなく、サッカーに与えなければだめだ。もっとサッカーに献身すべきだ

――あなたの役割も大きい?
何年続けられるかわからないが、私は自分のやるべきことをしている。だがひとりですべてが出来るわけではない。むしろ選手が相手を知り、自分たちで準備をしないと駄目だ。幸いアジアカップ初戦までまだ半年ある。それまで志をもってJリーグを戦って欲しい。オシムが監督かどうかは問題ではない。彼ら自身が、特にボーダーライン上の選手こそ何かをすべきだ。それが彼らを代表へと押し出すのだから


――話は面白いですが、これだけあけすけに語って大丈夫ですか?
デリケートな話題だが、別に語ることを恐れてはいない。ときに思うことを語らねばならないし、耳の痛いことも聞かずに進歩はありえない。少なくとも私は、真実は話すべきだと思っている。たとえ他人が認めなくとも、まず自分自身と向き合って正しいことをする。そうすれば他人に対しても正しくなれる。夢を見るのは常に楽しいが、ずっと見続けていられるわけではないからね

――まず現実を理解することからはじめるわけですね。
サッカーには相手がいて、敵の存在が君は何者であるかを明らかにする。だが残念なことに、現実はわれわれが思う以上に厳しいことが多い。それは認めるべきだ

――では最後の質問を。
最後というのはありえない

――さし当たっての最後です(笑)。
どうしてあなたはサッカーが好きなのでしょうか?
選手であった頃は練習や試合、議論に明け暮れた。いいことばかりではなかったが、多くの満足をえることができた。仕事があるときもないときも、結果を得たことも駄目だったときもあった。それらが混じりあった人生だが、サッカーは私の人生のすべてだった。子供のころ私にはサッカーしかなかった。学校が終わると友人たちとプレーし、サッカーをしている間は他のことを忘れられた。それは私にとって救いだった。おかげで妻とも知り合えたし

「サッカーに人生を捧げ、今ここにいる。これからもどこかに居続けるだろう」と彼はいう。「監督室にいるよりピッチに立つほうが好きだ。でも私の言葉に耳を傾けてくれるときは、こうして話をしたい。監督の椅子が(ゲストの椅子より)高いのは気に入らないが」 言い訳するように語る彼の表情はちょっと恥ずかしげで、子供のような印象すら受ける。「この机でインターネットを見ているよ。サッカーだけではない。ボスニアに関しては政治も大事で、状況がよくなることを望んでいる」 そして静かにこうつけ加えた。「日本人は、自分たちがいかに恵まれた生活をしているか、ときに他と比較して知る必要がある。他が自分たちよりもいいと思い込むのは幻想だ」と。日本サッカーが彼のいう「正常な姿」になるまで、オシムは語り続けるのだろう。

――では最後の質問を。
最後というのはありえない

――さし当たっての最後です(笑)。
どうしてあなたはサッカーが好きなのでしょうか?
選手であった頃は練習や試合、議論に明け暮れた。いいことばかりではなかったが、多くの満足をえることができた。仕事があるときもないときも、結果を得たことも駄目だったときもあった。それらが混じりあった人生だが、サッカーは私の人生のすべてだった。子供のころ私にはサッカーしかなかった。学校が終わると友人たちとプレーし、サッカーをしている間は他のことを忘れられた。それは私にとって救いだった。おかげで妻とも知り合えたし。

インタビュアー:山本昌邦

構成:田村修一

週刊文春2007年7月12日号より

«123»Page 1/3


山本「オシムさんのチーム作りは、ずっと注目していました。練習も凄く刺激があって、出来る限り見に行くようにしているのですが、オシムさんは『記者席じゃなくてこっちで見ろ』と言ってくれる」

オシム「山本さんは味方ですから(笑)。少なくとも敵ではない」

山本「そこで今日は、いろいろと伺いたいのですが」

オシム「サッカーの話をしても、普通の人は頭が痛くはならないけれども、監督は頭が痛くなる(笑)」

山本「まず新しい選手たちとチームのベースをしっかりと作り、そのうえで海外組を合流させた。着実に一段ずつ階段を上がっている感じがします。面白いのは、指導の際に選手に答えを言わないことです。練習でもいろいろな状況を作って、その中で選手が必死に考えている。チームも選手も、こうやって伸びていくのだろうなと思います」

オシム「大切なのは、トレーニングのやり方云々ではなくて、日本のサッカーがどういう方向に進んでいるのかということです」

山本「そうですね。例えばオシムさんは、スピードを重視してワンタッチプレーを強調している。実は2006年ワールドカップに出場した32カ国中、日本はかなりワンタッチ比率が低かった。それが今は凄くあがって、大会上位国のレベルにまで近づいている」

オシム「ワンタッチパスの利点は、第一に相手の脚の重心を違う方向に向けさせる。そのうえでポジションミスを誘い、こちらはスピードアップを図れる。第二にアグレッシブなプレーをするチームは、選手ひとりひとりがボールを持てる時間が短い。必然的にワンタッチプレーの機会が増えます。そして第三に、これが最も重要ですが、技術のある選手は、相手と同数でプレーしているときに、ワンタッチプレーを交えれば味方がひとりフリーになることを理解している。だからいい選手は、メッシもロナウジーニョもジダンも、相手ディフェンダーが近くにいるときはワンタッチです」


山本「Jリーグでも最近ワンタッチが増えてきたけれども、そうする必要がない場合にもやっていることも多い。相手に読まれていても、ワンタッチでそこに出してしまう」

オシム「ワンタッチをジャーナリストが必要以上に褒めるから(笑)。大切なのはタイミングを計る感覚です。いい選手はその判断が速い。逆に「ああ、しまった」と思ったときはもう遅い」

山本「動きながらの技術をどう教えるかですね」

オシム「日本のサッカーで感じるのは、日本人選手が本来持っているクオリティが、十分活用されていないことです。他国のスタイルを真似て、イミテーションを作ろうとするのは時間のムダではないか。たとえ出来上がってもそれはイミテーションに過ぎないうえに、サッカーにも流行りすたりはありますから、時代遅れになっているかもしれない。
 もうひとつはスター選手を過度に崇拝する傾向があることです。スターが大事にされすぎると、集団としてのプレーに支障をきたす。チームのために死ぬ(献身する)選手が生まれないからです。スターとは他の選手の手本になるべき存在であって、技術はもちろん鍛錬などさまざまな分野で優れている選手のことをいう。ところが日本では、スターのために他の選手が献身し犠牲となる。そういう風に捉えられている」

山本「それは選手自身よりも、彼らをちやほやするメディアの問題ですね」

オシム「メディアを言い負かそうというつもりはありません。メディアに勝てるとは思っていませんから。でも理解はして欲しい」


山本「サッカーという競技そのものをですか?」

オシム「そう。サポーターをはじめ、見る側のレベルをいかに上げるか。それがないと、裾野が広がっていかない。そして観客が理解を深めれば、サッカーそのものも良くなっていく。先日、あるドクターに「いいドクターとは?」と訊かれて、「サッカーの経験があるドクターだ」と答えました。高いレベルの選手経験があればさらにいい。レフェリーも通訳もすべてそうです。今はサッカーに深く係わっていない人がサッカーを職業にしている」

山本「育成にしても、スピードアップした中での技術をどうやって教えていくか」

オシム「ヨーロッパからもコーチがきていますが、若い年代を教えているのはすべて日本人コーチですね。ヨーロッパ人ではない」

山本「そこにひとつの鍵がある」

オシム「子供のときにやっていいことと、やらないほうがいいことの両方がある。重要なのはサッカーというゲームを、子供が肌で理解することです。それにはただ漫然とプレーするだけでは駄目で、何故ここでこういうプレーをしなければいけないかを分からせる。それぞれのプレーにはタイミングと目的があります。また若いうちに、速いプレーとは何か、どうして速いプレーがいいのかを、感覚で覚えさせる。そういう訓練や教育が必要で、去年の同じ年代よりも、今年のほうがうまくなるように努力していけばいいんです」

山本「なるほど」

オシム「次に難しいのは選手の選抜です。子供はそれぞれ能力が違う。才能が豊かな子もいれば、そうでない子もいる。それを一緒にして同じ事を教えても……」

山本「日本の文化ですね。みんな平等みたいな」

オシム「そのときに才能豊かな子供から、そうでない子供へ影響が及ぶかというと、多くの場合はその逆です。すると才能豊かな子供も、大人になる手前の17歳ぐらいの段階で、そうでない子供と同じレベルに落ちてしまい、伸び悩んでプロにはなれない。子供の教育は、その子が将来どうなるか、明日、あるいは来年どういう子供になるかを、予測できる目を持つ人間がおこなうべきです」

山本「それには相当の経験が要ります。簡単ではない」

オシム「たしかに難しい。一概にこうと決め付けられるものではないですから」

山本「しかも子供のうちに将来の判断をする危険性もある」

オシム「そう。プロになれるかどうかを決めてしまうには危険すぎる年齢です。子供はあくまで子供であって、サッカーだけで生きているわけではない。社会常識を身につけることがまず第一で、サッカーはそれから先です。社会教育とサッカーの両方を教えられるコーチが最高です」

山本「フィジカル、つまり成長の問題も大きいですね」

オシム「たしかにヨーロッパでは、祖父や曽祖父の代にまで遡って体格を調査したり、骨密度を測定して成長を医学的に判断したりしています」

山本「日本もやがてそうなると思います」

オシム「ただし今は背の高いフォワードが流行ですが、数年後には別のタイプ、例えば速いフォワードのほうが価値が高くなっているかもしれない。それは誰にもわからない」

山本「今の子供たちが大人になったときに、サッカーがどうなっているかをある程度予測する必要がある」

オシム「少なくとも今言えることは、ユニバーサルな能力を持った選手が必要になる。つまりひとつの能力に秀でているよりも、身体や状況の違いに関係なく高い技術を発揮してさまざまな役割をこなすことができる選手です」


山本「ポジションでいえばストライカーとセンターバック、それにゴールキーパー。この三つが、日本の弱い部分だと思っています」

オシム「弱さは他のもので補えばいい。日本では失点をすると、すべてはゴールキーパーの責任のように言われる。ならば日本にはいいキーパーはいないのか。そうではないでしょう。責任がどこにあるのかを、もっと厳密に分析しなければいけない。他に本当の原因があることを理解すれば、背が低いキーパーも自信を持ってプレーができる。
ヨーロッパには日本人と体格はさほど違わなくとも優れたキーパーがいます。彼らは大きくはないが速い。前に出るスピードと判断が速いんです。高さだけがすべてではない。
 逆にいえば日本人は、背が低いからサッカーはダメだということにはならない。体格の話をすることをまず止めましょう。それからいい面を見ましょう。つまり運動能力とスピードです。日本人の持つスピード、敏捷性をどうやって生かすか。予測の力と結びつけて、どうやって素早いプレーを高めていくか。そう考えて自分たちの特長を伸ばしていくべきです」

山本「話を聞いていると、日本の目指す方向が見えてきます」

オシム「日本人はもっと自分自身を理解すべきです。ファビオ・カンナバーロ(2006年欧州最優秀選手)は、センターバックでも決して背が高くない。でも彼は世界最高のディフェンダーでしょう」

山本「スピードと技術の大切さはよくわかりました」

オシム「日本サッカー最大の問題はテクニックだと思います。日本人はテクニックがあるといわれていますが、それは見世物としてのテクニックでしかない」


山本「曲芸と同じで、実践では役に立たない」

オシム「ボールを奪ったディフェンダーが、速く正確にパスできなければ、何も始まらないんです。そのとき大事なのは予測能力で、次にポジションを判断する能力です。相手のポジションと自分のポジション。それがうまく合ったときに、いい体勢でボールが奪える。そして味方のポジションを予め見ておけば、インターセプトした瞬間には、どこにパスを出せばいいかの判断が出来ているわけです。しかし日本のストッパーは、取った、さてと言って前を見る、味方を探す……」

山本「守備をしながら攻撃のことを考えている、そういう選手でなければ」

オシム「その通りです。そういうテクニックが日本は不足している。その意味でのサッカー理解が、選手はもちろんメディアも観客も出来ていない。スペクタクルの意味をはき違えていて、観客に受けるプレーとチームにとって有効なプレーが違っている」

山本「ではこれからは、インターセプトを一番している選手や、セカンドボールをよく拾う選手を評価するようにしないと」

オシム「それもまた日本的な発想で、それらは何も表彰されるようなことではなく、ディフェンダーとして当然のプレーなんです。表彰しなければできないようでは、まだまだ進歩が足りないわけです」

山本「なるほど」

オシム「進歩に終わりはありません。改善の可能性は常にあって理想が実現することなどあり得ない。サッカーの場合は特にそうです」
山本「世界の頂点は高く、しかも凄く遠いところにあるから、僕らはずっと追いかけていられる。幸せなことだと思います」

オシム「でも初めにも言ったように、世界チャンピオンの真似は、時間のムダなんです」

山本「日本は今までずっとそれをやってきた。でもそれでは絶対に世界には追いつけない。ワールドカップを単位にすると常に4年遅れになってしまう。4年先をイメージしてチームを作らないと、手遅れということですよね。しかも日本のよさを出しながら」

オシム「すべてを予測はできませんが、予測しようとトライし続けることが大事です」

山本「オシムさんが作る2010年のチームが、何となくイメージできそうです。
 ところでベトナムで始まるアジアカップが、もう目前に迫っています。日程にもう少し余裕があれば……」

オシム「それはイエスといってもノーといっても危険なことです。そういう言い訳をすることで、相手のモチベーションを高めてしまう。つまり日本は準備期間がなくとも勝てるのだと、相手を見下す態度をとることになる。
ただし日本の選手は、他国の選手に比べてフレッシュではないでしょう。オートマティズム(連動性)も思うようには機能しないかもしれない。となるとメンタルな部分がより重要で、メンタルがフィジカルのマイナスを補う可能性がある」

山本「アジアカップのように、長い期間を一緒に過ごす機会はなかなかない。チーム作りのうえでどんな効果がありますか?」

オシム「それはチームや人によります。チームがすでに出来上がっている場合は、短い時間に集中したほうがいいパフォーマンスを発揮しやすい。長い時間いるとかえって退屈で、ストレスが溜まることになる。逆に比較的新しいチームならば、長い時間一緒にいるほうがいい。今の日本代表はどちらがいいでしょうか・・・・・。
いずれにしてもまずグループリーグを通過しなくてはいけない今回重要なのは、内容よりも結果なのです」

山本「キリンカップで4人召集した海外組は、中村と高原のふたりだけになりました」

オシム「海外組の問題は、いずれ解決しなければいけない時期がくる。アジアカップでひとつの方向性が出るかもしれませんが、その後のワールドカップ予選でどうすべきなのか。そのとき日本のサッカーカレンダーを、ヨーロッパのそれに合わせるべきという議論はしてもいい。それから海外組の、クラブでの責任をもっと理解するべきかもしれない。代表の試合もすべて同じではない。呼ぶからには、彼らが高いモチベーションでプレーできる試合にするべきです」

山本「かえってチームにマイナスになりますからね」

オシム「誰もが代表の試合でモチベーションがあるわけではない。テストマッチだからやる気をだすべきだと、選手に命令する時代ではもはやないんです。特にヨーロッパの強豪クラブでプレーする選手にとっては、自分のチームが第一でしょうから」


山本「とはいえワールドカップ予選になれば、彼らの力はまた必要になる」

オシム「もちろんそうですが、具体的にどうコンディションを整えて合流できるのか。フィジカル面とメンタル面でリフレッシュができているかどうか。たとえ戻っても、ピッチの上で意識が朦朧としているのであれば、呼ぶ意味はありません」

山本「その通りですね。しかしアジアカップは、どういうドラマが待っているのか、本当に楽しみです。優勝したら、ぜひ東京の街をパレードして欲しいです」

オシム「今、考えているのは、第一戦に負けた後、二戦目をどう戦おうかということです。パレードなどとてもとても。監督の仕事は、常に最悪の場合を想定して、準備しておくことですから」

山本「悩みは尽きませんね」

オシム「選手にしても、すでに2度優勝しているから3度目はいらないと思ったり、暑さやピッチコンディションを理由に、日本のサッカーができないから不利だと思っているかもしれない」

山本「そういうことを克服して、逞しくなっていくのでしょう」

オシム「そうなのですが、気持ちは欲していても身体が動かないとか、逆の場合もあります。それに相手も全部違うタイプのサッカーをする。そこで集中力をどう維持するか。特にアラブのチームには、攪乱されやすい。こちらが規律を守ってプレーし続ければ、彼らが困ることになるでしょうが」

山本「環境的なことがあるから、完璧なサッカー、見て楽しいサッカーは望めない。そんななかでいかに結果を得て、勝ちあがっていくか。最後は人間力ということですね」

オシム「彼らがさまざまな条件を克服して、適応能力を見せられるかどうか。初戦に負ける前にそれが出来ればいいのですが。
そして選手には、監督の言っていないことにチャレンジしてほしい。「お前が思っているよりも俺はいい選手なんだ」ということを私に知らせなくてはいけない。そのような姿勢が彼らになければ、私はチェスでもしていたほうがいい(笑)」

山本「期待しています。私も現地に行きますので、ハノイでたまにはコーヒーを付き合います。そうそう暇などないかとも思いますが」

オシム「どうぞ、どうぞ。ホテルもお近くですから」

追記。その後オシム監督の容態は徐々に回復に向かっているらしい。時期日本代表監督には前監督だった岡田監督を迎える方向で進んでいるという。近々正式に監督就任の記者会見があるはずだ。オシム監督は道半ばで病に倒れた恰好だ。オシムさんには一刻も早い回復を祈るばかりである(2007年12月2日)。

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