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2007/11/30

クロカル超人が行く 73 広島再訪



Hiroshima in late autumn

Many many Hiroshimajin,
then,
jumped
into
the
river.
but
―.
 
No
more
HIROSHIMA.
 

"Enola Gay"の
パイロットが
最近
自説を曲げることなく
長寿を
全うして
死んだ

秋の日の夕暮れ近く
原爆ドームは
金色に
輝いていた

そして今
カントの
『恒久平和のために』
の新訳のなかに
原爆ドームは
光彩を放っている

Peace
Forever
  


2007/11/29

超人の面白翻訳 携帯翻訳26 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

 日本に来る前に警告していたが、日本でのモノの値段には今尚驚いている。私が知っているヨーロッパのブランド品は、現在の日本のものよりずっと高価だが、自国のよりはまだ安価だ。日本は物価が高い国と言われている。私の持ってきたコートはこの気候に合わなかったので新しいものを買う必要があった。店の店員は日本のブランド品は特別だから価格はちょっと高いのだと私を説得しようとした。私が見せられたものは本当に特別にみえたことは認めてもいい。しかしそれで暖かさが保てるだろうか。
 ところで、店員は流暢な英語を話したが、以前に二度ほど店内で見かけたと言った。品揃えは価格通りの値打ちがあり、セール中には恐るべき量を売ると説明しながら店内を案内してくれた。彼女は私の望む洋服をいくつか見せてくれた。値段の範囲内で買えたし、結局丁寧に出口まで付き添ってくれた。彼女は流暢な英語を私に示そうとしたが正しくは私の優柔不断さを解らなかったと思うのだ。そうだ、ともかくコート一着を買ったのだ(もちろん日本製のをね)。

2007/11/25

超人の面白読書 32  ミシュランガイド東京『MICHELIN GUIDE 東京2008』

Photo_2またひとつ世界的に評判の高い本が日本で刊行された。三ツ星レストランの格付けで有名なフランスのミシュランがレストラン・ホテルガイド日本語版『MICHELIN GUIDE 東京2008』(定価:2,310円)を発売したのだ。タイヤメーカーのミシュラン社が車を使って食べられる店を紹介したのがそもそもの始まり。すでに108年の歴史がある。奥付は12月22日だが、なぜか1ヵ月前の11月22日に発売。マスコミの報道は過熱気味、それにつられて書店に足を運んだ読者はさぞ多いはず。ミーハーの筆者もその一人。しかし筆者は売り切れが出ると考え、人の手を借りて買い込んだのだった。今回の東京は★★★三ツ星が8店舗。パリやニューヨークよりも数が多い。サプライズである。それだけ美食の街だということか。因みに★の数ではパリが39、ニューヨークが64、東京が150あってダントツ。日本料理の『神田』や『濱田家』(事件の渦中の防衛省の幹部が食事した処でも有名)、銀座の寿司屋にフレンチと全て20,000円〜40,000円の高級店揃いだ。庶民にはとてもとても、せめて本でも眺めてカミシメヨウっと。面白いことに料理の鉄人といわれた人の経営する店は全て★★★に入らなかった。店の紹介は自前だそうな。審査員は匿名で日本人を含む複数で構成。そして毎年更新されるという。"日本料理は本当に理解できるの"、"ラーメン店も入っても良いのでは"と巷では多種多彩な意見が続出。日本人のランキング好きはここまで来たか、依頼心のかたまりだ。権威のある他人の意見にすぐ同調して動いてしまう習性が日本人には備わっているのか−。それにしても本は売れるね。日販アイ・ピー・エスさん、よ。
内容はたかが知れた文面のようだ。多少洒落っ気も欲しかったか。これを持って★のついた有名店巡りが当分続きそうだ。すでにそのいくつかは年内まで予約で一杯だそうな。★のついた店が急に有名店に、タイヤは回る、人が押し寄せる、店の主人は嬉しい悲鳴、景気が悪いっちゅうのにこの騒ぎ、やはり平和ボケニッポンか、行けない筆者はジャポンと風呂に入りタイヤ。ランキングや格付けに左右されず自分で確かめた方が確実かもしれない。

★印の判断基準を本書から引用してみよう。
素材の鮮度と品質 調理技術の高さ オリジナリティー ポストパフォーマンス クオリティーを保つ料理全体の一貫性 味付けの完成度の6点が基準だ。★印は料理そのものに与えられる評価で、店の雰囲気、サービス、快適さは★印の基準外だそうだ。

★★★三ツ星−そのために旅行する価値がある卓越した料理その店は下記の通り。
和食『神田』(港区元麻布3-6-34 TEL:03-5786-0150)
現代風フランス料理『カンテサンス』Quintessence(港区白金台5-4-7 ハルビソン25 TEL:03-5791-3715)
和食『小十』(中央区銀座8-5-25 TEL:03-6215-9544)
現代風フランス料理『ジョエル・ロブション』Jol Robuchon(目黒区三田1-13-1 恵比寿ガーデン内 TEL:03-5424-1347)
寿司『すきや橋 次郎』(中央区銀座4-2-15 塚本総業ビルB1F TEL:03-3535-3600)
寿司『鮨 水谷』(中央区銀座8-2-10 銀座誠和シルバービルB1F TEL:03-3573-5258)
和食『濱田家』(中央区日本橋人形町3-13-5 TEL:03-3661-5940)
フランス料理『ロオジエ』L'Osier(中央区銀座7-5-5 TEL:03-3571-6050)

秋深し格付け迷走タイヤ漬け

超人の面白読書 31 戦後文学の傑作・梅崎春生著 『幻化』

031 筆者は10月のある日東京駅近くの書店で何気なく『三田文学』(秋季号)を捲っていた。その雑誌は「昭和文学ベストテン」の特集を組んでいて、作家や編集者がアンケートに答えている。そのベスト4は大岡昇平『野火』、遠藤周作『沈黙』、島尾敏男『死の刺』それに梅崎春生『幻化』だった。意外にも若手作家のものがないのに驚いていたら、毎日新聞の文芸批評(2007年10月29日夕刊)で川村湊が同じような感想を書いていた。それで筆者はまだ読んでいなかったその中の一つ、梅崎春生『幻化』を図書館から借りて読んだ。途中からはネットで入手した新潮文庫に替えたが(定価200円だが絶版。古本で900円)。
 梅崎春生著『幻化』は不思議な中編小説である。現実と虚構が見境つかないほど入り組んでいる。ぼうっとしながら現実世界を彷徨っている。しかも死を意識した主人公が、過去の出来事と向き合っては避ける、というふうにジグザグに歩いている。死の予感と生への不安そして虚無感―。
あらすじはこうだ。主人公の五郎は東京の精神病院を抜け出し飛行機で鹿児島に降り立つ。途中飛行機で隣り合わせた映画関係の自殺願望の強いセールスマンと知り合う。20年前の戦争時に通信兵だった五郎は、それから坊津、熊本、阿蘇と戦争当時仲間の死に直面したことなどを回想しながら一人思い出の地を尋ね歩く。ときに行きずりの女、子どもや大人たちとも会話を交して。そうして現実と虚構の世界を織り交ぜた物語は後半部分、阿蘇山行きの電車の中で主人公、五郎が映画関係者のセールスマンと再会する。彼は五郎と阿蘇山火口を一周後に飛び込むかどうかについて賭けをする。話が成立するやセールスマンは歩き始めるが、その足取りはふらふら、それを備え付けの有料望遠鏡で覗き込んで確かめている五郎。「しっかり歩け、元気だして歩け」と叫ぶ。ここでこの物語は終わる。筆者はこの短い作品を2週間ばかりかけて所々休んでは再開しながら読み終えたのだ。しかし途切れ途切れだったが、情景は鮮やかに覚えていてすぐ次の行から入れる不思議さがこの小説にはあった。
愚問ではあるが、はて、このあとを続けるとしたらどんな言葉が入るか・・・。ここは読者の想像に任せてやはり余韻で終わろう。
この小説は現実と非現実が入子構造的に構成されている。現在形で書かれた短い文章、会話そして絵画的な描写と閑かな南国の場所と風景、やや生きるのに欠いた、飲んだくれの中年の呟きや独白(これが妙)―それらはこの戦後派作家が書かなければならなかった戦争体験とその愚劣さ、それに虚無感を浮き彫りにさせるに充分な表現手段だ。作家・梅崎春生はその奥に生の根源的な問いをこの短篇で書き上げ、しばらくして肝硬変で逝った。享年50歳。若過ぎた死だ。すでに40歳頃から体調に不調を兆していたらしい。『幻化』は通常げんけと読み、万物は皆幻のごとく変化するとの意味でこの小説の題はそこから取られている。坊津(現南さつま市)には氏の文学営為を讃えた碑が建てられていて、それには「人生 幻化に似たり 梅崎春生」と書かれているという。(新潮文庫『幻化』解説より)文庫版で153ページの短編。やはり戦後文学の名作の一つである。他に『桜島』、『日の果て』、『庭の眺め』、『空の下』、『凡人凡語』、『ボロ家の春秋』、『砂時計』、『狂い凧』、『仮象』等々。
椎名麟三、武田泰淳、埴谷雄高、野間宏などと戦後派作家に属する。年譜を読んで気付いたことだが、昭和22年から昭和32年まで梅崎春生は東京新聞を中心に文芸時評を断続的に担当していたとある。これは興味深い。一度読んでみたい。

『幻化』の出だしの数行を書き写しておこう。

  五郎は背を伸ばして、下界を見た。やはり灰白色の雲海だけである。雲の層に厚薄があるらしく、時々それがちぎれて、納豆の糸を引いたような切れ目から、丘や雑木林や畠や人家などが見える。しかしすぐ雲が来て、見えなくなる。機の高度は、五百メートルくらいだろう。見下ろした農家の大きさから推定出来る。
  五郎は視線を右のエンジンに移した。
<まだ這っているな>
と思う。

(新潮文庫『幻化』昭和49年4月30日2刷より)

2007/11/18

超人のジャーナリスト・アイ 73 オシム日本サッカー代表監督、脳梗塞で倒れる

独特のサッカー哲学で知られるイビチャ・オシム日本サッカー代表監督が16日金曜日午前2時頃自宅でテレビ観戦後倒れた。オシム流日本サッカーがここまでは"イイセン"で来ているので病のため倒れたのは惜しい。第一報は初めて乗車した新大阪発東京行き最終の最新型N700系新幹線電子掲示板のテロップだった。えっ、と筆者は一瞬息を詰まらせた。昨日あの川渕会長が涙ながらに息を詰まらせて記者会見、今は小康状態を保っていると語った。マスコミによると、オシム監督が倒れてから1時間ぐらい経って救急車で運ばれたという。日本では真夜中のため息子さんが関係者に電話をかけたが出なかったため、フランスの知人に国際電話をし、そこから日本の知人に国際電話をしてもらい、電話に出た人から救急車を呼んでもらったらしい。190センチと長身のため搬送にも時間がかかったという。外国の関係者並びに選手からも千羽鶴他次々とお見舞いが入って来ているとインターネットのニュースでも報じられている。リスク対応の教訓が残るか゛。今はいち早い回復を祈るばかりだ。
ボスニア・へルツェゴビナの首都でオシム監督の出身地・サラエボではどう報道されているかとネットで探しても判らなかった。その代わり未読の週刊文春の興味深い記事を見つけた。下記はそこからの引用だ。

恵まれた日本人へ「観衆もメディアも負けたチームに優しすぎる」

インタビュアー:田村修一

週刊文春2007年1月4日・11日新年特大号より

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シニカル、天邪鬼、皮肉屋。サッカーの世界では、彼の言葉を集めた「オシム語録」なるものも生まれている。こういうと本人は怒るが、偉大な人物である。弱小チームであったジェフ千葉を、Jリーグで優勝争いを演じるまでに育てあげ、ナビスコカップ優勝に導いた手腕は疑いない。ユーゴスラビア内戦を経た人生には、普通の人間にはない深みが感じられる。そしてシニカルなもの言いの裏には、人間に対する限りない愛情がのぞく。約束の時間に訪れたわれわれを、オシムは一杯のコーヒーで歓迎してくれた。


――コーヒーが好きなんですか?
毎朝飲んでいるよ。私の国では、朝7~8時から働きはじめ10時に小休止をとる。そのときにコーヒーを飲むんだ。

――その習慣は変わらないわけですね。日本で4年を過ごし、サッカー観は変わりましたか?
サッカーは、テレビや新聞、メディアで取り上げるスターだけで成り立っているわけではない。こういうインタビューを受ける機会のない人々がたくさんいて、彼らはそれぞれ具体的な仕事を持っている。マッサーや用具係、選手でも、スター選手のために水を運ぶ(汗かき役の)選手たち。そういう人々こそ重要なんだ。それは日本もヨーロッパも関係ない。

――しかし環境の違いはあるでしょう。
ヨーロッパでは、すべての人間がサッカーをよくわかっている。サポーターも選手同様にプロ化している。もちろん彼らはそこから収入を得てはいないが、行動はプロそのものだ。クラブ、メディア、観衆。選手をとりまく環境は成熟し、選手に圧力をかけてくる。クラブ会長の発言や影響力も日本とは違う。日本の選手は、そこまでの重圧にさらされてはいない。観衆もまだ本当の意味でサッカーを理解してはいない。彼らはスペクタクルを求めスタジアムにやってくるが、サッカーとともに生活しているわけではない

――日本でも試合の持つ重みは、次第に大きくなっているのでは?
試合に負けてピッチを去るとき、ヨーロッパでは選手や監督はすでに多くのものを失っている。勝てばその後の一週間は安泰だが、負けると何が起こるかわからない。決していいとはいえないが、彼らはそういう生活を送っている。そこが日本とは違う。日本はサッカーが駄目でも、他の仕事がたくさんある。

――とはいえ環境は簡単には変えられませんが?
すべてを正常に働かせるために、われわれは努力している。しかしどれだけやれば正常になるのか、誰にもわからないし、正常な状態というのは、ファンやメディアにとってあまり面白いものでもない。特にメディアは、何か異常なことが起こらないと、記事にはならないだろう。

――新しい選手を発掘し、新チームを構築するあなたのやり方は正常ですが、スター選手を選ばないので日本代表の人気が下降しています。
では聞くが、スターとは誰だ?

――ヨーロピアン(ヨーロッパにいる選手たち)です。
まず彼らは日本人だ(笑)。それにスターとはいいプレーをする選手であって、ヨーロッパでプレーする選手のことではない。

――言葉の定義の問題ですね。

日本では、スターになるためにはヨーロッパに行かねばならないという認識がある。それは第一に日本に対する過小評価であり、第二にはヨーロッパでも、活躍しなければ本当の意味で認められない。日本のメディアにとっては、選手がヨーロッパに行くのはそれだけでいいことだろうが、サッカー的にはそうではない。そこで得るものがなければ、メディアがいくら騒ぎ立てても選手は満足しない。本物のサッカー選手になるにはちゃんとプレーすることが必要だなのにリザーブに甘んじてプレーの機会が得られず、毎年クラブを変えねばならない。中田英寿もそうだが、最後にはもういい、これで十分ということになってしまう。中田はあの若さにもかかわらず引退した。逆に中村俊輔は、セルティックでチャンスを掴んだ。常に最高のプレーをしているわけではないが、常時出場しているのはひとつの成果だ。高原直泰も、しばしば出場し得点をあげている。松井大輔は、レギュラーでそれなりにやっている。彼らはまあいい。しかしそうでない選手もいる。誰もがすべてを尽くしてヨーロッパに行こうとするが、私は承服しかねる。

――たとえ成功しなくとも、ヨーロッパで経験を積むのはいいことではありませんか?
それは否定しないが、どういう経験かと考えてしまうよ。大久保嘉人はスペインで1年過ごしたが、あまりプレーしなかった。彼は何を得て日本に戻ったのか。日本の監督もそれは分かっていて、彼はセレッソでも常時出場はしていない。つまり日本でもスペインでも、監督は選手に同じ評価を下しているわけだ。ヨーロッパでプレーできなければ、日本でもプレーできない。平山相太の場合も同じ。日本は捨てたものではないし、日本のレベルはそれなりに高いということだ。

――必ずしもヨーロッパばかりが優れているのではないと。
行ってもプレーできないのであれば、あまり意味がないと言っているだけだ。日本とヨーロッパの比較は難しい。日本人はすぐに比較したがるが、テクノロジーや政治・経済の分野ではそれは簡単だ。日本のほうが大概の面で優れている。しかしすべてにおいて優れているわけではなく、特にサッカーは別だ。政治力・経済力の大きさは、その他の面で国の大きさを保障しない。日本人がそれを理解するのはなかなか難しいだろうが。

――たしかにそう思います。
南米の国々を見ればわかるだろう。彼らは大国ではないが、サッカーをよく知っている。そして決して高望みはしない

――そうした現実を日本人に伝えたいというのも、代表監督を引き受けた理由のひとつでしょうか。
私が考えたのは、こういう状況(ワールドカップで1分2敗。若い世代は十分に育っていない)で、誰がこの仕事を引き受けるべきか、ということだった。そしてすべてを正常な状態に戻すために、自分にできることをするべきだと思った


――それまでは正常ではなかったということですね。
そうだ。そして君の質問に戻れば、日本人は他者に対して、もっと敬意を払うべきだと思った。たしかに日本人は礼儀正しく、他人を尊重している。だがちょっと違うと感じた。必要なのは、他人と面と向かったときの繊細さだ

――具体的にどういうことでしょう。
君たちはとても礼儀正しいし、きちんとしている。しかし礼儀正しくあることと、他人に敬意を払うのは別だ。サッカーの世界でも、たとえば10月に親善試合で対戦したガーナに対し、本当に敬意を払っていたのか。ガーナは地理的に遠いし、経済的に豊かとはいえない。一般的な日本人にとって、そういう国にもサッカーが存在すること、しかも日本よりも優れたサッカーがあることを、認めるのは簡単ではない。私は選手たちに、そういう国々にも関心を持つように言っている

――実際に彼らと接したときに、敬意を払えるかどうかですね。
(日本人は)過剰な敬意を払うか、まったく何もしないかのどちらかだ。無視もよくないが、敬意を払いすぎてもいけない。日本では観衆もメディアも、試合に負けたとき選手やチームに優しすぎる。政治・経済大国だから、ひとつのスポーツの勝敗ぐらいどちらでもいいという意識が、そこには現れている


――そうでしょうか。
政治や経済、演劇や映画は、比較はできても相手との直接対決があるわけではない。だがサッカーは、いつの日か誰かと対戦しなくてはならない。そこで露になるのは、11人対11人の、人間同士が向かい合ったとき明らかになる真実だ

――そのとき相手に払うべき敬意が欠けていると。
誤解しないでほしい。別に批判しているわけではない。私は単に日本人の礼儀正しさを語っているだけで、それは君たちの生活様式であり素晴らしさだと思っている。ただ私の印象はたぶん間違っているのだろうが、そうした礼儀正しさの背後に、何かが隠されているようにしばしば見える。それを見極めない限り、ほんとうの会話は成り立たない。言葉の後ろで、実は別のことを考えている。隠すのではなく、率直にすべてを語るほうが、生きやすいし理解もされやすいのに…

――日本的な慎み深さでしょうか。
日本人の生活はアメリカナイズされている。キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うし、欧米の習慣が生活に入り込んでいる。戦後の日本がアメリカ一辺倒であったように、クラブワールドカップでバルセロナが来日すると、こぞってバルセロナを歓迎し、他のチームはまったく無視した。そしてバルセロナの勝利に向け準備をしたが、インテルナシオナルに負けてしまい誰もが落ち込んでいる。クリスマスを祝えなくなってしまったからな(笑)。だが望まないことであっても、想定して準備しておくべきだろう

――それがスポーツであって……。
うまくいかなくなると、それがスポーツだという。確かにスポーツではすべてが可能だ。しかし試合前に、君たちはそう考えてはいない。それはスポーツではない(笑)

――日本サッカーはまだ若く、そう考えられるほど成熟してはいない。
それもまた言い訳だ。日本もずっと以前からサッカーをしているだろう。私は川淵三郎キャプテンと、東京オリンピックで対戦したことがある。その頃からサッカーはあったではないか(笑)。たしかにプロ化は遅かった。だがプロがはじまって13年というのは、現代では十分な時間だ。経験を積むには、5年もあればいい。今日では20歳の選手でも、それなりの経験が求められる。 35歳になってようやく私は経験を積んだと言うようでは、サッカー選手としては遅すぎる

――とはいえ日本は地理的に隔離されているから、交流も簡単ではなく生の情報も伝わりにくいです。
それも言い訳のひとつだ。離れていることの恩恵も十分に受けているだろう。孤立しているのは、ものごとを深く考える場所と時間があることを意味する。そうした孤立は利点だ

――しかし決して完全に孤立しているわけではなく……。

望むときに孤立できるのはたしかだろう。孤立にはメリットとデメリットの両面がある。そのときどきに応じて、どちらを選ぶかはあなたがたが決めることだ。そういう選択肢を持てる国はそう多くはない

――ではサッカーの場合も……。
サッカーが面白いのは、完全に孤立できないことだ。われわれのサッカーは世界最高だということはできる。ブラジル人はよくそういうが、ときに彼らは負ける。イングランドはずっと長い間、自分たちこそ最高のサッカーをすると信じてきた。しかしある日、彼らはそうでないことに気づいた。 私は相撲が好きでときどき見に行くが、最初は日本人だけだったが、その後、曙はじめ外国人がやって来た。その結果、今は朝青龍が頂点にたち、モンゴルやグルジア、ブルガリア、ロシア出身の力士たちが上位を占めている。それはあなた方が、彼らにもチャンスを与えたからだ。 日本人が上に行けないからと言って、昔に戻ることは出来ない。相撲でも、日本人が進歩しなければならない。それは他でも同じだ

――スポーツ以外でも、ということですか?
経済では中国がいる。韓国もいる。台湾、香港、タイ……。いろいろな国・地域が、早いスピードで学び急激に進歩している

――日本人は自信を失いつつあります。伝統が壊れ社会が変容し、拠り所となる確固とした価値観がなくなってしまいました。
社会を開きたいのか閉じたいのかを自問すべきだ。導くのはあなたがた自身であって他人ではない。閉じた社会に留まり、伝統を遵守しようとすれば完全に孤立する。他人とともに生きる気があるならば、それではうまくいかない。サッカーや野球で世界に出て行くならば、他人との交流なしには不可能だ

――そうでしょうね。
先日、アジアカップの抽選がおこなわれたが、日本の3連覇は簡単ではない。オーストラリアは大半の選手が世界最高峰のプレミアリーグでプレーしている。日本はひとりもいない。イランは7人がブンデスリーガに所属している。サウジアラビアもカタールも、3~4人をブラジルやアフリカから帰化させている。あのエメルソン(前浦和レッズ)も、カタール代表に入るかもしれない。日本にも闘莉王はじめ人材はいる。進歩はしている。しかし誰もがサッカーから享受するだけでなく、サッカーに与えなければだめだ。もっとサッカーに献身すべきだ

――あなたの役割も大きい?
何年続けられるかわからないが、私は自分のやるべきことをしている。だがひとりですべてが出来るわけではない。むしろ選手が相手を知り、自分たちで準備をしないと駄目だ。幸いアジアカップ初戦までまだ半年ある。それまで志をもってJリーグを戦って欲しい。オシムが監督かどうかは問題ではない。彼ら自身が、特にボーダーライン上の選手こそ何かをすべきだ。それが彼らを代表へと押し出すのだから


――話は面白いですが、これだけあけすけに語って大丈夫ですか?
デリケートな話題だが、別に語ることを恐れてはいない。ときに思うことを語らねばならないし、耳の痛いことも聞かずに進歩はありえない。少なくとも私は、真実は話すべきだと思っている。たとえ他人が認めなくとも、まず自分自身と向き合って正しいことをする。そうすれば他人に対しても正しくなれる。夢を見るのは常に楽しいが、ずっと見続けていられるわけではないからね

――まず現実を理解することからはじめるわけですね。
サッカーには相手がいて、敵の存在が君は何者であるかを明らかにする。だが残念なことに、現実はわれわれが思う以上に厳しいことが多い。それは認めるべきだ

――では最後の質問を。
最後というのはありえない

――さし当たっての最後です(笑)。
どうしてあなたはサッカーが好きなのでしょうか?
選手であった頃は練習や試合、議論に明け暮れた。いいことばかりではなかったが、多くの満足をえることができた。仕事があるときもないときも、結果を得たことも駄目だったときもあった。それらが混じりあった人生だが、サッカーは私の人生のすべてだった。子供のころ私にはサッカーしかなかった。学校が終わると友人たちとプレーし、サッカーをしている間は他のことを忘れられた。それは私にとって救いだった。おかげで妻とも知り合えたし

「サッカーに人生を捧げ、今ここにいる。これからもどこかに居続けるだろう」と彼はいう。「監督室にいるよりピッチに立つほうが好きだ。でも私の言葉に耳を傾けてくれるときは、こうして話をしたい。監督の椅子が(ゲストの椅子より)高いのは気に入らないが」 言い訳するように語る彼の表情はちょっと恥ずかしげで、子供のような印象すら受ける。「この机でインターネットを見ているよ。サッカーだけではない。ボスニアに関しては政治も大事で、状況がよくなることを望んでいる」 そして静かにこうつけ加えた。「日本人は、自分たちがいかに恵まれた生活をしているか、ときに他と比較して知る必要がある。他が自分たちよりもいいと思い込むのは幻想だ」と。日本サッカーが彼のいう「正常な姿」になるまで、オシムは語り続けるのだろう。

――では最後の質問を。
最後というのはありえない

――さし当たっての最後です(笑)。
どうしてあなたはサッカーが好きなのでしょうか?
選手であった頃は練習や試合、議論に明け暮れた。いいことばかりではなかったが、多くの満足をえることができた。仕事があるときもないときも、結果を得たことも駄目だったときもあった。それらが混じりあった人生だが、サッカーは私の人生のすべてだった。子供のころ私にはサッカーしかなかった。学校が終わると友人たちとプレーし、サッカーをしている間は他のことを忘れられた。それは私にとって救いだった。おかげで妻とも知り合えたし。

インタビュアー:山本昌邦

構成:田村修一

週刊文春2007年7月12日号より

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山本「オシムさんのチーム作りは、ずっと注目していました。練習も凄く刺激があって、出来る限り見に行くようにしているのですが、オシムさんは『記者席じゃなくてこっちで見ろ』と言ってくれる」

オシム「山本さんは味方ですから(笑)。少なくとも敵ではない」

山本「そこで今日は、いろいろと伺いたいのですが」

オシム「サッカーの話をしても、普通の人は頭が痛くはならないけれども、監督は頭が痛くなる(笑)」

山本「まず新しい選手たちとチームのベースをしっかりと作り、そのうえで海外組を合流させた。着実に一段ずつ階段を上がっている感じがします。面白いのは、指導の際に選手に答えを言わないことです。練習でもいろいろな状況を作って、その中で選手が必死に考えている。チームも選手も、こうやって伸びていくのだろうなと思います」

オシム「大切なのは、トレーニングのやり方云々ではなくて、日本のサッカーがどういう方向に進んでいるのかということです」

山本「そうですね。例えばオシムさんは、スピードを重視してワンタッチプレーを強調している。実は2006年ワールドカップに出場した32カ国中、日本はかなりワンタッチ比率が低かった。それが今は凄くあがって、大会上位国のレベルにまで近づいている」

オシム「ワンタッチパスの利点は、第一に相手の脚の重心を違う方向に向けさせる。そのうえでポジションミスを誘い、こちらはスピードアップを図れる。第二にアグレッシブなプレーをするチームは、選手ひとりひとりがボールを持てる時間が短い。必然的にワンタッチプレーの機会が増えます。そして第三に、これが最も重要ですが、技術のある選手は、相手と同数でプレーしているときに、ワンタッチプレーを交えれば味方がひとりフリーになることを理解している。だからいい選手は、メッシもロナウジーニョもジダンも、相手ディフェンダーが近くにいるときはワンタッチです」


山本「Jリーグでも最近ワンタッチが増えてきたけれども、そうする必要がない場合にもやっていることも多い。相手に読まれていても、ワンタッチでそこに出してしまう」

オシム「ワンタッチをジャーナリストが必要以上に褒めるから(笑)。大切なのはタイミングを計る感覚です。いい選手はその判断が速い。逆に「ああ、しまった」と思ったときはもう遅い」

山本「動きながらの技術をどう教えるかですね」

オシム「日本のサッカーで感じるのは、日本人選手が本来持っているクオリティが、十分活用されていないことです。他国のスタイルを真似て、イミテーションを作ろうとするのは時間のムダではないか。たとえ出来上がってもそれはイミテーションに過ぎないうえに、サッカーにも流行りすたりはありますから、時代遅れになっているかもしれない。
 もうひとつはスター選手を過度に崇拝する傾向があることです。スターが大事にされすぎると、集団としてのプレーに支障をきたす。チームのために死ぬ(献身する)選手が生まれないからです。スターとは他の選手の手本になるべき存在であって、技術はもちろん鍛錬などさまざまな分野で優れている選手のことをいう。ところが日本では、スターのために他の選手が献身し犠牲となる。そういう風に捉えられている」

山本「それは選手自身よりも、彼らをちやほやするメディアの問題ですね」

オシム「メディアを言い負かそうというつもりはありません。メディアに勝てるとは思っていませんから。でも理解はして欲しい」


山本「サッカーという競技そのものをですか?」

オシム「そう。サポーターをはじめ、見る側のレベルをいかに上げるか。それがないと、裾野が広がっていかない。そして観客が理解を深めれば、サッカーそのものも良くなっていく。先日、あるドクターに「いいドクターとは?」と訊かれて、「サッカーの経験があるドクターだ」と答えました。高いレベルの選手経験があればさらにいい。レフェリーも通訳もすべてそうです。今はサッカーに深く係わっていない人がサッカーを職業にしている」

山本「育成にしても、スピードアップした中での技術をどうやって教えていくか」

オシム「ヨーロッパからもコーチがきていますが、若い年代を教えているのはすべて日本人コーチですね。ヨーロッパ人ではない」

山本「そこにひとつの鍵がある」

オシム「子供のときにやっていいことと、やらないほうがいいことの両方がある。重要なのはサッカーというゲームを、子供が肌で理解することです。それにはただ漫然とプレーするだけでは駄目で、何故ここでこういうプレーをしなければいけないかを分からせる。それぞれのプレーにはタイミングと目的があります。また若いうちに、速いプレーとは何か、どうして速いプレーがいいのかを、感覚で覚えさせる。そういう訓練や教育が必要で、去年の同じ年代よりも、今年のほうがうまくなるように努力していけばいいんです」

山本「なるほど」

オシム「次に難しいのは選手の選抜です。子供はそれぞれ能力が違う。才能が豊かな子もいれば、そうでない子もいる。それを一緒にして同じ事を教えても……」

山本「日本の文化ですね。みんな平等みたいな」

オシム「そのときに才能豊かな子供から、そうでない子供へ影響が及ぶかというと、多くの場合はその逆です。すると才能豊かな子供も、大人になる手前の17歳ぐらいの段階で、そうでない子供と同じレベルに落ちてしまい、伸び悩んでプロにはなれない。子供の教育は、その子が将来どうなるか、明日、あるいは来年どういう子供になるかを、予測できる目を持つ人間がおこなうべきです」

山本「それには相当の経験が要ります。簡単ではない」

オシム「たしかに難しい。一概にこうと決め付けられるものではないですから」

山本「しかも子供のうちに将来の判断をする危険性もある」

オシム「そう。プロになれるかどうかを決めてしまうには危険すぎる年齢です。子供はあくまで子供であって、サッカーだけで生きているわけではない。社会常識を身につけることがまず第一で、サッカーはそれから先です。社会教育とサッカーの両方を教えられるコーチが最高です」

山本「フィジカル、つまり成長の問題も大きいですね」

オシム「たしかにヨーロッパでは、祖父や曽祖父の代にまで遡って体格を調査したり、骨密度を測定して成長を医学的に判断したりしています」

山本「日本もやがてそうなると思います」

オシム「ただし今は背の高いフォワードが流行ですが、数年後には別のタイプ、例えば速いフォワードのほうが価値が高くなっているかもしれない。それは誰にもわからない」

山本「今の子供たちが大人になったときに、サッカーがどうなっているかをある程度予測する必要がある」

オシム「少なくとも今言えることは、ユニバーサルな能力を持った選手が必要になる。つまりひとつの能力に秀でているよりも、身体や状況の違いに関係なく高い技術を発揮してさまざまな役割をこなすことができる選手です」


山本「ポジションでいえばストライカーとセンターバック、それにゴールキーパー。この三つが、日本の弱い部分だと思っています」

オシム「弱さは他のもので補えばいい。日本では失点をすると、すべてはゴールキーパーの責任のように言われる。ならば日本にはいいキーパーはいないのか。そうではないでしょう。責任がどこにあるのかを、もっと厳密に分析しなければいけない。他に本当の原因があることを理解すれば、背が低いキーパーも自信を持ってプレーができる。
ヨーロッパには日本人と体格はさほど違わなくとも優れたキーパーがいます。彼らは大きくはないが速い。前に出るスピードと判断が速いんです。高さだけがすべてではない。
 逆にいえば日本人は、背が低いからサッカーはダメだということにはならない。体格の話をすることをまず止めましょう。それからいい面を見ましょう。つまり運動能力とスピードです。日本人の持つスピード、敏捷性をどうやって生かすか。予測の力と結びつけて、どうやって素早いプレーを高めていくか。そう考えて自分たちの特長を伸ばしていくべきです」

山本「話を聞いていると、日本の目指す方向が見えてきます」

オシム「日本人はもっと自分自身を理解すべきです。ファビオ・カンナバーロ(2006年欧州最優秀選手)は、センターバックでも決して背が高くない。でも彼は世界最高のディフェンダーでしょう」

山本「スピードと技術の大切さはよくわかりました」

オシム「日本サッカー最大の問題はテクニックだと思います。日本人はテクニックがあるといわれていますが、それは見世物としてのテクニックでしかない」


山本「曲芸と同じで、実践では役に立たない」

オシム「ボールを奪ったディフェンダーが、速く正確にパスできなければ、何も始まらないんです。そのとき大事なのは予測能力で、次にポジションを判断する能力です。相手のポジションと自分のポジション。それがうまく合ったときに、いい体勢でボールが奪える。そして味方のポジションを予め見ておけば、インターセプトした瞬間には、どこにパスを出せばいいかの判断が出来ているわけです。しかし日本のストッパーは、取った、さてと言って前を見る、味方を探す……」

山本「守備をしながら攻撃のことを考えている、そういう選手でなければ」

オシム「その通りです。そういうテクニックが日本は不足している。その意味でのサッカー理解が、選手はもちろんメディアも観客も出来ていない。スペクタクルの意味をはき違えていて、観客に受けるプレーとチームにとって有効なプレーが違っている」

山本「ではこれからは、インターセプトを一番している選手や、セカンドボールをよく拾う選手を評価するようにしないと」

オシム「それもまた日本的な発想で、それらは何も表彰されるようなことではなく、ディフェンダーとして当然のプレーなんです。表彰しなければできないようでは、まだまだ進歩が足りないわけです」

山本「なるほど」

オシム「進歩に終わりはありません。改善の可能性は常にあって理想が実現することなどあり得ない。サッカーの場合は特にそうです」
山本「世界の頂点は高く、しかも凄く遠いところにあるから、僕らはずっと追いかけていられる。幸せなことだと思います」

オシム「でも初めにも言ったように、世界チャンピオンの真似は、時間のムダなんです」

山本「日本は今までずっとそれをやってきた。でもそれでは絶対に世界には追いつけない。ワールドカップを単位にすると常に4年遅れになってしまう。4年先をイメージしてチームを作らないと、手遅れということですよね。しかも日本のよさを出しながら」

オシム「すべてを予測はできませんが、予測しようとトライし続けることが大事です」

山本「オシムさんが作る2010年のチームが、何となくイメージできそうです。
 ところでベトナムで始まるアジアカップが、もう目前に迫っています。日程にもう少し余裕があれば……」

オシム「それはイエスといってもノーといっても危険なことです。そういう言い訳をすることで、相手のモチベーションを高めてしまう。つまり日本は準備期間がなくとも勝てるのだと、相手を見下す態度をとることになる。
ただし日本の選手は、他国の選手に比べてフレッシュではないでしょう。オートマティズム(連動性)も思うようには機能しないかもしれない。となるとメンタルな部分がより重要で、メンタルがフィジカルのマイナスを補う可能性がある」

山本「アジアカップのように、長い期間を一緒に過ごす機会はなかなかない。チーム作りのうえでどんな効果がありますか?」

オシム「それはチームや人によります。チームがすでに出来上がっている場合は、短い時間に集中したほうがいいパフォーマンスを発揮しやすい。長い時間いるとかえって退屈で、ストレスが溜まることになる。逆に比較的新しいチームならば、長い時間一緒にいるほうがいい。今の日本代表はどちらがいいでしょうか・・・・・。
いずれにしてもまずグループリーグを通過しなくてはいけない今回重要なのは、内容よりも結果なのです」

山本「キリンカップで4人召集した海外組は、中村と高原のふたりだけになりました」

オシム「海外組の問題は、いずれ解決しなければいけない時期がくる。アジアカップでひとつの方向性が出るかもしれませんが、その後のワールドカップ予選でどうすべきなのか。そのとき日本のサッカーカレンダーを、ヨーロッパのそれに合わせるべきという議論はしてもいい。それから海外組の、クラブでの責任をもっと理解するべきかもしれない。代表の試合もすべて同じではない。呼ぶからには、彼らが高いモチベーションでプレーできる試合にするべきです」

山本「かえってチームにマイナスになりますからね」

オシム「誰もが代表の試合でモチベーションがあるわけではない。テストマッチだからやる気をだすべきだと、選手に命令する時代ではもはやないんです。特にヨーロッパの強豪クラブでプレーする選手にとっては、自分のチームが第一でしょうから」


山本「とはいえワールドカップ予選になれば、彼らの力はまた必要になる」

オシム「もちろんそうですが、具体的にどうコンディションを整えて合流できるのか。フィジカル面とメンタル面でリフレッシュができているかどうか。たとえ戻っても、ピッチの上で意識が朦朧としているのであれば、呼ぶ意味はありません」

山本「その通りですね。しかしアジアカップは、どういうドラマが待っているのか、本当に楽しみです。優勝したら、ぜひ東京の街をパレードして欲しいです」

オシム「今、考えているのは、第一戦に負けた後、二戦目をどう戦おうかということです。パレードなどとてもとても。監督の仕事は、常に最悪の場合を想定して、準備しておくことですから」

山本「悩みは尽きませんね」

オシム「選手にしても、すでに2度優勝しているから3度目はいらないと思ったり、暑さやピッチコンディションを理由に、日本のサッカーができないから不利だと思っているかもしれない」

山本「そういうことを克服して、逞しくなっていくのでしょう」

オシム「そうなのですが、気持ちは欲していても身体が動かないとか、逆の場合もあります。それに相手も全部違うタイプのサッカーをする。そこで集中力をどう維持するか。特にアラブのチームには、攪乱されやすい。こちらが規律を守ってプレーし続ければ、彼らが困ることになるでしょうが」

山本「環境的なことがあるから、完璧なサッカー、見て楽しいサッカーは望めない。そんななかでいかに結果を得て、勝ちあがっていくか。最後は人間力ということですね」

オシム「彼らがさまざまな条件を克服して、適応能力を見せられるかどうか。初戦に負ける前にそれが出来ればいいのですが。
そして選手には、監督の言っていないことにチャレンジしてほしい。「お前が思っているよりも俺はいい選手なんだ」ということを私に知らせなくてはいけない。そのような姿勢が彼らになければ、私はチェスでもしていたほうがいい(笑)」

山本「期待しています。私も現地に行きますので、ハノイでたまにはコーヒーを付き合います。そうそう暇などないかとも思いますが」

オシム「どうぞ、どうぞ。ホテルもお近くですから」

追記。その後オシム監督の容態は徐々に回復に向かっているらしい。時期日本代表監督には前監督だった岡田監督を迎える方向で進んでいるという。近々正式に監督就任の記者会見があるはずだ。オシム監督は道半ばで病に倒れた恰好だ。オシムさんには一刻も早い回復を祈るばかりである(2007年12月2日)。

2007/11/15

超人の面白ラーメン紀行 77 和歌山『山為商店』

南海和歌山市駅近くにある『山為食堂』。只今和歌山ラーメンスタンプラリーなるイベントが開催中だが、18店のラーメン店の一番目の店。豚骨たっぷりかつ深みのあるスープが売り。筆者は自家製のチャーシューの入ったラーメンを注文(900円)。15分位待った甲斐があったか本当にとろけるような軟らかさだ。麺は和歌山ラーメンではめずらしく太麺である。このこってりした独特のスープに絡んで旨さを引き出している。 家族ぐるみで商売をしているらしく、年老いたおばあさんが一生懸命にどんぶりに入った麺をほぐしていた。頑張ってはるんだなと一瞬厨房を覗かせてもらって微笑んだ。注文捌きなどを任されている姉さんのてきぱきさには圧倒された感じ。「食堂」なので他にもうどん系もあった。かけうどんは300円。隣に座って食べていたおっちゃんは、来る客がほとんどラーメンを注文していたので大分待たされていたにもかかわらず、常連なのか筆者に気を使ってレンゲを頼んでくれた。ここは通常ではレンゲは出さないみたい。写真で見ての通り海苔、玉子やもやしなど新興勢力のラーメンにありがちなトッピングがないのだ。店内はテーブルのみ、入って24人。営業時間は午前11時~午後5時。 中華そば700円。最近人気のからみそメンは850円。11月から諸事情でチャーシューは50円値上げしたらしい。厨房や洗い場は至って素朴、衛生上問題なければそこが良いか-。

『山為食堂』①スープ★★☆②麺★★③トッピング★★★④接客・雰囲気★★☆⑤価格★★☆

和歌山のラーメン地図。それではここで残り17店のラーメン店を紹介しよう。
2.京橋 幸太郎 三年坂 幸太郎 3.まる京 4.伊左味 5.まるイ 6.本家アロチ 丸高 7.井出商店 8.グリーンコーナー紀伊三井寺店 9.まるやま小松原店 10.じゃんじゃこ屋 11.元車庫前まる宮 12.まるしげ 13.らぐまん1993 14.まる豊 15.正善 16.四天王(園部) 17.こくまろ 18.やぐらラーメン西ノ庄店 

クロカル超人が行く 72  河内

ラーメン缶可笑しく並ぶ河内の秋

2007/11/14

超人のドキッとする絵画 8 横須賀美術館『澁澤龍彦 幻想美術館』続々

携帯サイトで加筆訂正など校正をしていたら規定字数オーバーになり、直せたのはよいが最後の10行かが削除されてしまった。うっかりである。再現は可能か試みたい。

澁澤龍彦の偏愛して止まない絵の数々。貝殻、オブジェ、パイプ、眼鏡、万年筆、手紙それに写真などの身の回りの愛用の品々。私たちにエロスの内奥を少しだけ覗かせ、そこには自己韜晦よろしく一人の絵画的人間の審美眼とエロスへの愛があった。雑誌「血と薔薇」を見よ。「異端文学」の旗手と言えば、英文学の由良君美、ドイツ文学の種村季弘そして仏文学の澁澤龍彦だ。1960年代にそれまで未紹介の文学作品を次々と翻訳しては日本に紹介、時代の寵児になった。異端、暗黒、魔術、エロティシズムそして幻想芸術・・・。筆者などはその時代の雰囲気とは少しズレているのでほんの少しこの恩恵に授かったぐらい。周りには影響を受けた人たちがたくさんいたが。現代思潮社、河出書房、青土社の雑誌「ユリイカ」、雑誌「みずゑ」、牧神社、国書刊行会、弱小出版社などが活躍の場所だった。そのいくつかはここにも展示されていた。しかしそれから時代は回り40年以上が経った今日、エロス的世界は表層は進化したように華やかに見えるがその実態はお寒い状態だ。筆者にはカタルシスが足りないようにみえる。そんな時代に澁澤龍彦は自然と自由に戯れる人として迎えられたのだろう。最近澁澤龍彦の本が河出文庫で様相を新たに刊行されている。その何冊かを手に取ってみて原本の形や色それに手触り感が蘇った。特に『ホモ・エロティックス』は今回の文庫版では『幸福は永遠に女だけのものだ』というふうにタイトルも変わった。ピンク色の文字と変形版が強烈な印象として焼き付いている。「イマージナリア」の言葉にヒントを得、文化人類学の方法論も導入しながら筆者は「マージナリア」(周縁)をずっと追っている。書物を通じてだけではない澁澤龍彦の美術批評は、今でも時代を射つ術を忘れがちな現代人を十分に刺激して止まない。
さて、最後にもう一度NHKETVの番組「私のこだわり人物伝」(2006年2月の再放送)の第2回目(2007年11月13日放送)を見た話。画家・金子國義氏が澁澤龍彦を語っている。大枚を叩いて買って頂いた50号の絵「花咲く乙女たち1」1965

を兄と二人で鎌倉の石段のある澁澤宅まで運んだ思い出、その絵を甚く気に入り居間に飾って鑑賞していたこと、フランスのジャン=ジャック・ポーヴェール書店から新しい画家の画集を取り寄せてくれたこと、エロスは格ということ、澁澤さんには極端にエロティックな話をしようが、落ちることがなかった、みんな高級な話になる、そういう品位と力があったこと等々興味深い話に聞き惚れた。澁澤龍彦―美の回廊を巡る話は美術館の企画展の若干の感想を添えてこれで終わりである。加納光於の絵、瀧口修造、池田満寿夫の絵などの感想もと考えたが紙数が尽きたようだ。さあ、『澁澤龍彦 幻想美術館』(平凡社刊)の読み返しと買い込んだ4冊の澁澤ものを読もう。最新刊(2007年10月刊)の文庫はこの横須賀美術館の絵画鑑賞をさらに深くするはずである。【写真はNHKテキスト「私のこだわり人物伝」より】
追記 横須賀美術館『渋沢龍彦 幻想美術館』展で印象に残ったメッセージが二つあった。一つは猥褻か云々のサド裁判の判決で7万円の罰金を科せられたときのこと。あまりにも少ない金額で馬鹿にするんじゃない、それなら懲役刑を受けた方がましだと言ったとか。もう一つは本名は龍雄たが龍の字を略字の竜と書くのは別の字になってしまうと言っていたことだ。

横須賀美術館には週刊新潮の表紙を飾った谷内六郎の絵が常設してある。別館の谷内六郎館だ。横須賀の鴨居にアトリエを構え、戦後の日本の風景をノスタルジックなほのぼのとしたタッチで描いた。ここは時間がなく覗かなかった筆者だが、つい先日あるテレビ番組で夕焼け・夕暮れをテーマに小特集を組んでいたときに、この美術館から借り出した数点が紹介されていた。それでパチリと撮ったのがこれだ。200711112327000_2
他に地下1階には所蔵品展があり、ここは企画展を見た後鑑賞できるようになっている。
中村彝 少女 油彩 1913(大正2) 萬鐵五郎 水辺風景 1911(明治44)頃 藤島武二 夢想 油彩 1904(明治37)頃
原撫松 男二人 1907-08(明治40-41)頃 赤松麟作 水辺裸婦 油彩 不詳 木村荘八 畑(雑司が谷) 油彩 1913(大正13) 中川一政 風景(下板橋火薬庫附近) 油彩 1919(大正8) 岸田劉生 木村荘八像 油彩 1913(大正2) 有島生馬 西洋婦人像 油彩 1909(明治42)頃梅原龍三郎 モレー 油彩 1911(明治44)など。
1階がレストラン「アクアマーレ」(筆者は観にいった帰りに寄ったが満杯だった)、手や身体を動かして創造活動ができるワークショップ、カタログ、美術関連書と美術グッズが買えるミュージアムショップ、2階が自由に美術書などが閲覧できる図書室、企画展などが開催される展示室それに屋上広場で構成されている横須賀美術館。目の前が東京湾という恵まれた環境の中にあるが、実際に筆者はこの美術館の前に立って行き交う大小の貨物船やフェリーなどを眺めたのだ。海も賑やかである。 

追記 新着の2008年1月26日付「ジャパンタイムズウィークリー」によると、フランス国立図書館が、1830年代以来猥褻図書としていた書物などを一般公開したとAFP-Jijiの記事で伝えている。マルキ・ド・サドやジャン・ジュネなどを含めた書籍、彫刻写真など約350点が閲覧可能となった。そしてこの記事はこう結んでいる。
(2008年1月27日 記)
 As the 18th centuary encyclopedist Denis Diderot said, in a quotation that opened the exhibition:
"The tougher the ban on a book, the higher its price and the more eager the curiosity. So the more copies are sold, and the more book is read."

    

2007/11/13

超人のジャーナリスト・アイ 73 The Japan Times Weekly 最新号のコラムを読む

  The Japan Times Weekly (2007年11月10日号)の最新号のコラム(今回のタイトルは"Both my homes lack true 24/7 convenience")に日独の異文化体験最新情報が載っていて大変興味深く読んだ。この女性コラムニストはドイツのベルリンに住んでいて一年振りに日本に里帰りした。外から見た直近の日本“進化論”事情を書いている。例えば、電車内での携帯電話のルール、女性専用車両など。いずれもドイツにはない。また、ドイツではコンビニみたいな24時間開いている店もない。そもそも空港や駅の売店を除けば、日曜日はどこも開いていないのだという。このコラムニストは日本に来て親しい人と温泉で羽根を伸ばした。ところが、勘定をクレジットカードで支払おうとしたらその旅館では現金のみの扱いで困ってしまった。仕方なくバスで近所の銀行のATMのある場所まで15分かけて行ったが取扱時間外だった。誰かに隣の駅まで行けばあるはずと聞いてでかけた。やっと見つけて旅館に戻ったが、15kmもあったとこのコラムニストは嘆いている(まさかの場合の現金の用意はしておくべきだが。特に田舎に行くときなどは)。ドイツのATMは曜日に関係なく24時間使える。日本ではコンビニが24時間なのに銀行のATMはなぜ24時間ではないの。本当の便利なサービスとは何か、ちょっと考えさせられたと結んでいる。

 I always thought Japanese services were advanced, but Japanese banks often do not offer 24-hours services, even through convenience stores.
When I went back to Germany and I drew out cash at midnight on a Sunday without any additional charge, I had to think what real "convenience"is - because I could not use the money until Monday morning.
(原文引用。最後の8行)

ランニングコストそれとも安全性かな、否両方かも―。そう言えばアメリカのニューヨークあたりでもATMは街角のビルの一角に設置されていたね。筆者などはそこを通るたびに危なくないのかなと思ったものだ。筆者もこれとは多少趣は違うが、どの銀行でもATMの引き出しを自由にしてもらいたい。特に地方に行ったときなど不自由やるかたないのだ。それとドイツでは無料とこのコラムに書いてあったが、銀行の手数料は日本ではサービスにすべきだ。つい最近新聞報道されているが、一部の銀行では実施するみたい。

英字新聞のコラムニストではアメリカのマイク・ロイコー、ボブ・グリーンなど有名なコラムニストがいる。このThe Japan Times Weekly でもなかなか面白い書き手がいて愛読していた。何年か前の世田谷住民のイギリス人と山梨県のアメリカン人のリレー形式のコラムが印象的だ。内向派と外向派の対照が文章にも反映していて面白かった。このコラムは今外国にいる日本人の女性が書き手になっている。マイク・ロイコーまでいかなくとも洒脱でユーモアのあるコラムを読者の一人として長く読みたいね。それがJOY OF LIFEと言えるくらいに・・・。

2007/11/11

超人のドキッとする絵画 8 横須賀美術館『澁澤龍彦 幻想美術館』続

『澁澤龍彦 幻想美術館』の入口で佇んでしばらくが経った。その間筆者は出張先のホテルでたまたまNHKETVの番組「私のこだわり人物伝」を見る機会を得た。四谷シモンが今も当時のままに残された書斎で澁澤龍彦の人なり作品なりを語っていた。余程影響を受けた人らしく、想いは相当、その仕草は最後には泪となって眼鏡の奥を覆ったのだ。彼の手による彫刻、"天使"は澁澤龍彦へのオマージュとして今その部屋に飾られている。次回は澁澤龍彦のエロスと予告して番組は終わった。

 さて、この横須賀美術館の「澁澤ワールド」で約2時間弱を過ごした。著作、翻訳、絵画蒐集、貝殻などのオブジェ、サド伯爵の書簡複製、エロス裁判関係、最晩年の手紙と眼鏡、万年筆などの身の回り品、小説の生原稿と本等々盛りだくさん。充分に堪能してくださいと言いたげな企画展だった。
このところ筆者はカタログ化に凝っているので、ここでもそれを試みて印象に残った箇所を書き留めてみたい。最初に美術館鑑賞のコツは、はじめにゆっくり立ち止まってくいるように観るのではなく、さっと見て歩き全体像と印象に残った作品をチェックしておいて、さらに再訪して美術鑑賞を深めることだとある美術雑誌の編集長がある美術番組で言っていた。しかし筆者も含めて大方はその時間と金銭的余裕がないはずなのだ。それではその折衷案でといつも心掛けてはいるが・・・。

第Ⅰ室 澁澤龍彦の出発
澁澤龍彦 デッサン 鉛筆画 1972年020_3
 高梨豊 川越 タイプCプリント 1986年 武井武雄 お化けのアパート 1969年 水彩002

初山滋 無題 インク 1924年 桑原甲子雄 新聞売りと女 プリント 1935年 マン・レイ ジャン・コクトーの肖像 プリント 1923年 マン・レイ サド伯爵の架空の肖像 リトグラフ 1940/70年 ダリ 牢獄 リトグラフ 1967年 サド伯爵 獄中からの手紙 手紙 1792年8月25日 堀江英公 由比ガ浜で矢川澄子とコイコイをする 澁澤龍彦(「知人の肖像」よ プリント 1965年

第Ⅱ室 1960年代の活動
加納光於  金色のラベルをつけた葡萄の葉 1966年004_2
 滝口修造 飛沫 インク 1961年頃 野中ユリ 白い目測 マルキ・ド・サドの肖像 エッチング  1958年 横尾忠則  暗黒舞踏派提携記念公演「バラ色ダンス」 シルクスクリーン 1965年 中西夏之 バラ色ダンス招待状 招待状 堀江英公 バラ色ダンス(土方巽と大野一雄のデュエット) パネル 1965年029
 1965年 谷川晃一  枯草の夜 水彩 1965年006_2
 池田満寿夫 聖澁澤龍彦の誘惑 コラージュ  1973年005
 中村宏 聖少女・赤 亜鉛凸版(?)  1974年 宇野亜喜良  プチロマネスク 油彩 1970年代 合田佐和子 仮面  1968年

第Ⅲ室 もうひとつの西洋美術史 
デューラー 七つの燭台を見るヨハネ 木版 1498年 ボス 五旬節の火曜日、焼き菓子を作っているオランダの台所 エングレーヴィング 1567年 ゴーティエ-ダゴティ 骨格図・側面 メゾチント(多色・四版) 1759年刊008_2
 ピラネージ アッピア街道
エッチング 1756年 ゴヤ 結末はこれだ エッチング 1810-20年頃 ルドン 花 油彩 1905-10年頃 モロー ダヴィデ エッチング 1884年 ビアズレー ダンサーへの報酬(「サロメ」より) 1907年 021_2

第Ⅳ室 シュルレアリスム再発見
エルンスト 『百頭女』 コラージュ印刷 1929年刊  ダリ シュルレアリスティックな花少女 カラーエッチング 1971年 デュシャン 9つの雄の鋳型 コロタイプ 1937年 ピカソ 眠れる女を愛撫するミノタウロス リトグラフ 1933年011_3
クレー 綱渡り リトグラフ 1923年 タンギー 棒占い 1947年 マグリット ボンバルドンが炎の花束を放ち・・・・・(「魅せられた領域」より) 1968年 013
マグリット 若いまなざしノ明るい道は、古木の祝祭を香気で満たして・・・・・ リトグラフ 1968年 デルヴォー
ヴィーナスの誕生 油彩 1937年014
ベルメール 『人形の遊び』 書籍 1949年刊 バルテュス 座る女 制作年不詳 リトグラフ スワーンベリ 夢の女の口づけ リトグラフ 1956年 スワンベリー アルチュール・ランボー『イリュミナシオン』より シルクスクリーン 1957年015
モリニエ 楽園の花 リトグラフ 1967年 ボナ・ド゙・マンディアルグ 芸術家の手 色鉛筆 1973年

第Ⅴ室 日本のエロスと幻想
奈良原一高 サルダナパルスの死 プリント 1968/94年 伊藤晴雨 『美人乱舞』 書籍 1932年刊 藤野一友 夜 油彩 1954年016
 金子國義 若き王 油彩 1965年 高松潤一郎 森の精 油彩1968年 四谷シモン 未来と過去のイヴ8 紙、木、ガラス、毛、布 山本六三 ノスタルジィ エッチング 1979/92年 加山又造 裸婦 鉛筆 1985年頃

第Ⅵ室 旅・博物誌・ノスタルジア
川田喜久治 松毬とドングリ プリント 1966年 川田喜久治 理想の宮殿、玄関 プリント 1976年 ヴァトー シナの神仙エッチング 制作年不詳 エドワーズ ヒヤシンス エッチング 1801年 ダリ 犀 ブロンズ 1956/90年代 葛飾北斎 鯨、鮫ほか 版本 1815年刊 マン・レイ カトリーヌ・ドゥヌーヴ プリント 1967年 フォーコン 天体望遠鏡 小林健二 PSYRADIOX
(悲しきラヂオ) 木、蛍石、電気、他 1987年028
  

第Ⅶ室 高丘親王の航海
篠山紀信 澁澤龍彦邸の時間と空間(居間) パネル 1987年024_2篠山紀信 澁澤龍彦邸の時間と空間(書斎)001_2
 パネル 1987年 キルヒャー 『シナ図説』 エッチング 1667年刊(初版) 澁澤龍彦 『高丘親王航海記』自筆原稿 鉛筆 1987年019_2
 加納光於 Homage to T.S 油彩 1987年

 

四谷シモン 天使-澁澤龍彦に捧ぐ 紙、金属、ガラス 1988年
017_2野中ユリ 新月輪の澁澤龍彦 その1(「愛する芸術家たちの肖像」)より)等々310点展示。【写真は巖谷國士監修・文『澁澤龍彦 幻想美術館』より】018
 


2007/11/10

超人のジャーナリスト・アイ 72 パキスタンの政情不安報道

200711101128001_3東南アジアのミャンマーでの政情不安が続いている中、西南アジアのパキスタンでも元ブット首相の帰国に際し自爆テロが先月あったばかりだが、今度は軟禁からアメリカの圧力で軟禁解除のニュースが飛び込んで来た。与野党との緊張関係が続いているらしい。

追記。ブット元首相は1月の選挙に向けて遊説中に銃弾で撃たれ死亡したとのニュースが飛び込んできた。自爆テロらしい。イスラム過激派か軍関係者かなど犯人像に憶測を呼んでいる。(2007年12月28日 記)

超人の面白テレビ鑑賞 中国障害者芸術団パフォーマンス『千手観音』

Sk_003_2日テレの番組で中国障害者芸術団のパフォーマンス『千手観音』を観た。この芸術団は1987年に結成、2005年の中国のテレビ局が放映して74%の視聴率を獲得、約10億人が見たとされる19歳以上の聴覚障害者のパフォーマンス『千手観音』。その一糸乱れずかつ不思議な輝きを放つ究極の美に感動。聴こえないのに音楽を"聴いて"踊る、バランスの妙技は最高。それに表情の豊かさが多彩な輝きを放つのだ。人間万華鏡 ! テレビはその秘密に迫った。太鼓を叩くときのくリズムと呼吸を身体で覚え、手で触れることや息を吹きつけることで信号を送り、パフォーマンスを成し遂げていく踊り手の微妙な動き-これが秘密の証らしい。名監督や名コーチのもと、一つ屋根の下で成し遂げられていく厳しい練習の成果、賜物だ。今はこのパフォーマンスも層が厚くなり2代目、3代目と続いているらしい。病気で不幸にも聴覚障害を余儀なくされた人たちは、その悲しみを乗り越え一つの夢を実現するが、それは私たちにもうひとつの勇気と感動を与えてくれるのだ。コーチ曰く、目が私に訴えてくる者、語りかけてくる者がいい、と。もちろん、安っぽい感動ものには視聴者を馬鹿にしたテレビ関係者の過剰な演出もたくさんある。ここでは前宣伝という意味合いは合間合間のコマーシャルで分るが、世界公演から遅れて今日本への波が押し寄せているらしく、チケット販売などのサイトを覗いた限りでは公演日程は2007年(40回も公演 !)、8年と続いている。アテネのパラリンピック、愛知万博、日テレの番組「愛は地球を救う」(欽ちゃんのマラソンは見てた)でも出演したらしいが知らなんだ。来年の北京オリンピックにも出演することが決定している。千手観音の慈悲のなせる業か-。
この中国障害者芸術団のパフォーマンス『千手観音』の公演模様はこちら→「you_have_received_a_youtube_video.eml」をダウンロード


トップ・ダンサーのプロフィール

タイ・リーファPhoto_2

1976年中国湖北宜昌市生まれ。
2歳の時、高熱を出し、その際に病院でうけた注射が原因で耳が聞こえなくなる。
7歳で視聴障害者小学校に入学。授業中に感じた床の振動をきっかけに、音楽のリズムを覚え、踊りに興味を持ち始める。
15歳で北京にある中国障害者芸術団に入団。
1994年中国障害者芸術団の高校を卒業後、湖北美術学院内装学科に入学し、優秀な成績で卒業。文学学位を取得する。
卒業後、湖北省にある視聴障害者学校の教師を経て、2002年8月、中国障害者芸術団の団長となる。
現在、中国特殊芸術協会副主席、中国障害者芸術団団長・総合プロデューサー。
“全国障害者自強模範”、“感動中国人物”といった、名誉賞も獲得している。エンターメント情報サイトより。

【写真左上: 「My夢Dream」サイトから 写真右下: 「シアターガイド マガジン」から】

2007/11/08

超人の創作: ナンセンス詩 「京都の秋」

京都の秋はアカン、コカン、ポカン。紅葉には早い嵐山、亀岡。ヤマアラシもカメもいないが保津川下りはオモロイデ。駆り出されたオッサンがずらり亀岡駅にオッタ、オッタ。この混み具合はと疑った嵯峨嵐山駅。若い女性曰く、阪急で来れば約半分の電車賃ダッテ、ダッテ、アサッテ。そんなにケチんなくても。紅葉はどこ、どこと狭い駅はオバサン、ハハサン、ネエサンでごった返し。駅は駅でも京都駅烏丸口、今度はチョウワカ集団、しかも日本のあちこちから。ユニフォームは何故にとその昔ノルウェー人女性に聞かれて。扁桃腺、イカンセン。セン、セン、センとチヒロ。いるはいるはいるるる。いるはいるはいるるる。いるはいるはいるるる。いるはいるはいるるる。京都の秋は紅葉の秋。尾崎紅葉もビックリ、アマグリ、ヒャックリダァァァァァァァァァ。

超人の面白ラーメン紀行 76 京都駅拉麺小路『銀座 匠力』

超人の面白ラーメン紀行 京都

京都駅拉麺小路。出来たばかりのこのコーナーで最初に食べたのがあっさり味の醤油豚骨系スープの『京都 宝屋』。二番目は以前にこのコラムで書いた『札幌 すみれ』。今度のは驚くなかれ、京都で銀座の中華そばが食べられるのである。しかも今流行のレトロ調の店内でだ。その店の名は『銀座 匠力』。味噌中華そば(630円)を注文。ごく普通のラーメン(と書いたが、パンフレットにはじっくりと網焼きした鮪のかぶとのだしと鶏ガラ・ゲンコツのだしを合わせた、極上スープに、中太ちぢれ中華そばと書かれている)だが、期待していた「中華そば」ではない(典型的なのは醤油味、麺細、支那竹にナルトそして赤線が入ったどんぶり)。少しガックリである。体調がイマイチの筆者はその濃厚なスープを啜って快復を願ったのだった。
7店舗のうちこれで3店舗は食べたことになる。残りは大阪 上方ざんまい屋(あっさり系のニュートレンド)、博多 一幸舎(クリーミーな豚骨スープ)、信濃 烈士洵名(動物系や魚系、昆布だしのトリプルスープと白醤油、それに熟成多加水麺)、それに尾道 柿岡や(煮干し醤油系)だ。時間帯、曜日、季節にもよるが、人の入りがイマイチか。

『銀座 匠力』 1.スープ★★2.麺★★3.トッピング★☆4.接客・雰囲気★☆5.価格★★★

2007/11/06

超人の文化施設探訪 愛知県図書館の芥川賞作品展示

200711061137000_2200711061142000_3200711061139000_2愛知県図書館の二階の芥川賞作品展示コーナー。
第50回群像新人文学賞・第137回芥川賞作品、諏訪哲史著『アサッテの人』を読んでいる。ポンパってアサって-? 持ち歩いては少し読み、笑ってしまう。しかし、そこで止まってしまうのだ。この作家は種村季弘を尊敬しているらしい。さては恩師かな。この人は名古屋出身。彼の母校、國學院大学には大きな横断幕が掛かっていた。あと少しで読み終える・・・。何せ平行して読んでいる本が数冊あるのだ。
さて、ここでクエスチョンです。芥川賞と直木賞の違いは ? 名前が違うだけ ××。菊池寛は商売がお上手。では・・・。
追記。最近の図書館に関して二つの出来事が印象的。一つはテレビ番組である青年が全国の図書館を自転車行脚で巡回。自分が自費出版した環境問題に関する絵本を無料でおいてもらう運動をしている。テレビを見た時点であと7,800館は回りたいという。公共図書館、学校図書館でそれなりの手応えを感じたようだ。エライ人もいたもんだ。もう一つはWEB上で公開している著作権対象外の文学作品をDVD化、それを図書館に無料配布したニュースだ。6000点位あるらしい。これも新形式の文化遺産かも知れない。二つとも媒体は違っていても普及運動していることでは共通しているのだ。

クロカル超人が行く 73 名古屋『山本屋本店 味噌煮込うどん』

クロカル超人が行く 73 <br />
 名古屋
名古屋名物と言えば、きしめん、エビフライ、ひつまぶし、名古屋コーチン、ういろう―。忘れてないか、大事な食べ物を。そう、味噌煮込うどんだ。しかも“山本屋本店の味噌煮込うどん”と言うところが「味噌」。
 ということで今回は7、8年振りで名古屋駅下車。いつもは通過駅にすぎない名古屋駅だが、降りてみてビックリ、模様替えである。最近JR駅で頻繁に行っている空間利用っていうやつだ。
目的地の山本屋本店中日ビル店には一仕事して入った。ここではお客様、どこにお座り頂いても結構ですとの女子店員の丁寧な接客(実は多少手間取ったのは事実!しかし、その後の対応がすばらしかった)で二人掛けのテーブルへ。。定番の味噌煮込うどん(1050円)とライス(150円)を注文する。先におしぼりと布製のエプロンそれに大根、白菜ときゅうりの漬物が出た。この漬物はコンパクトだが、漬かり具合と塩加減が抜群で舌を唸らした。思わず“まいう”と小さな声で叫んでしまった。 15分は過ぎた頃、昼食のメインデッシュの味噌煮込うどんが運ばれてきた。熱々である。多少柔らかくしてもらったため時間がかかったのだ。シコシコとした張りのある生めんを蓋が取り皿代わりのその上に乗せようとすると、めんが長くてなかなか乗りにくい。丸めながらするっと口の奥の方へ流し込む。汁が多少撥ねた。硬いがう、まい。今度は出汁の味噌汁をレンゲで啜る。アチチッ、アチチッ。なんでも地元特産の赤味噌・白味噌にザラメを独自の技術でブレンドしてできたあじ味噌は、コクと旨みがあるそうな。また、これが葱、蒲鉾、油揚げのトッピングとうまく合うのだ。忘れていた玉子はこの際脇役だ。いい仕事している。うどんが更に進む。また、味噌汁を啜る。あれっ、お漬物、うまい、ウマイ、まいゆ―。結局完食した。この味の感動はお土産となり、二人の知人宅に近日中に届くはずだ。
 ところで、食べてる最中に右側の比較的若い女性二人の会話が漏れ聞こえた。
「大阪でも味噌煮込うどん店ができたやね。でもな、何ヶ月ももたなんかったわ」
「味があわへんのや」
「この八丁味噌は関西人にはな、合わへんのや」
「ここのはほんまにうまいわ」

元気の良い会話はうどん談義で弾んでいた。
ここで面白い話をもうひとつ。実は山本屋は煮込うどんにあやかってたんさんあるらしい。味も千差万別とか。

追記。夕方寄った名駅の『ライオン』。忘れていた名古屋名物がまた、出て来た。味噌かつと手羽先だ。久し振りの名古屋の味だ。カンペイ!


2007/11/04

クロカル超人が行く 72 鎌倉文学館企画展『中原中也 詩に生きて』

クロカル超人が行く鎌倉文学館

鎌倉文学館。旧前田侯爵別邸で一時期元首相の佐藤栄作も別荘として借りていたこの建物は、洋風建築と和風建築との融合した建築美を備えた貴重な建造物だ。
 晩秋の晴れ渡った午後、筆者は鎌倉散策の途中、この鎌倉文学館で開催中の「中原中也 詩に生きて」(今年は生誕100年とあって、山口、福島、金沢他各地で詩人・中原中也の催しが開催された)Img198
の企画展を観た。最初の常設コーナーでは里見淳、川端康成、久保田万太郎、獅子文六、小林秀雄、吉屋信子、岡本かの子、横山隆一、田村隆一、吉田秀和等鎌倉文士が住んだ(住んでいる)地図が展示されている。その数100人余、いろんな方がこの地に住んだのが一目瞭然。特に三島由紀夫はこの洋館をモデルにした『春の雪』を書いていて、その生原稿が展示されている。律儀な筆跡は彼の性格を物語っていて見事。その他太宰治の『人間失格』の生原稿もあった。
 今回の中原中也企画展では自筆原稿を見れれば良いと考えて来たのだ。なるほど、超コンパクトに纏められた部屋の一室では中原中也の“モノトーン+セピア色+インク色の青さ”が合奏していた。原稿用紙に書かれた慣れた文字群が跳ねていた(展示中の小三時の習字は抜群の出来。でも不思議、90年前のまま、複製?それとも墨の偉大さ、紙は変色するはずだが)。何枚もの家族の写真が落ち着きを放っていた。息吹はこの詩人の京都時代、富永次郎やダダイスト新吉を知るあたりだろうか。中也の幼少時代、学生時代、小林秀雄や大岡昇平などの交遊関係、手紙、同人雑誌などの展示はすでに大方が知っていること、別に新発見の資料もなくごく平凡だ。その中でも印象に残ったのは、富永次郎の臨終の写真と文、黒く染めたマントと帽子だ(中也は背が低かった)。やはり富永次郎から受けたフランスの象徴派の詩人たち、ランボーやヴェルレーヌ風を気取っていたのだろう。もうひとつはこの臨終時の写真でも判るが長髪である。中也も長髪だった。その格好での冠婚葬祭の出席は母フクからも拒まれていた。芸術は“形”から入るが世間にはなかなか受け入れらない・・・。
それにしても詩人・中原中也は幾時代も超えて受け入れられている。この哀しみは普遍、不思議である。穿った見方をすれば中也幻想、中毒がいかに多いかだ。筆者もその一人かも知れない。

2007年10月22日が没日で生誕100年を記念して刊行された角川文庫版『中原中也全集』をここのミュージアムショップで購入。この中から一、二編を引用してみよう。
 
含羞
 
―在りし日の歌―
 
なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ
秋 風白き日の山かげなりき
椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳ちゐたり
 
中略
 
その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
あゝ! 過ぎし日の 仄燃えあざやぐをりをりは
わが心 なにゆゑに なにゆゑにかく羞ぢらふ
 
 

汚れつちまつた悲しみに・・・・・

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・・・・

外に出て薔薇園(刺がない品種の薔薇で有名みたい)を覗いた。

晩秋の薔薇

晩秋の薔薇は
海からの風に揺れ
少し嗤った

茶色い戦争はもうイヤ
棘のないあなたがいい

年増女がそう言ったか
分らず フラッシュバック

晩秋の薔薇は
丸い帽子を被って黙った

・・・・・・・・・
            超人
               


そして薔薇園から戻って門を出たら山道の句碑が目に留まった。
それは芭蕉が鎌倉を詠んだ句だ。

 
鎌倉は生きて出にけん初松魚
                           芭蕉
 
帰路鎌倉駅西口で見つけた手作りの店の棚がこれ。

東口に回ると人込みが特に小町通りでひどかった。

それにしても小耳に挟んだニュースには驚いた。またか、だ。
小沢民主党代表が辞意表明。福田首相との二回目のトップ会談でその内容が党内で受け入れられず政治的混乱を招いたのが理由。
この国の政治は本当に密室で決まるのか。さて、今後の行方が注目されるところだ。

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