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2007/10/31

超人の面白ラーメン紀行 75 川崎駅前『らぁめん大山』

超人の面白ラーメン紀行
 JR川崎駅駅前BE地下ラーメンシンフォニーの一角にある静岡からのエントリー店『らぁめん大山』。以前にこのコーナーの『なんつっ亭』では食べた。あの焦がしたニンニクの入った黒いラーメンである。こう書いている途中で偶然にも“アホラーメン”なる中華料理店を発見。アホとはスペイン語でニンニクの意味だそうな。
 さて、ニンニク繋がりはさておいてこのラーメン店で評判の“塩えびラーメン”(750円。麺は細麺と平打ち麺かが選べる。筆者は細麺を選択)を券売機で購入して座ろうとあちこち見渡していた。するとはい、こちらのカウンターの中央(7人掛け)にと指定されてしまった。。手荷物があったので違う場所へ、右側奥の二人掛けのテーブルに移動すると、そこはダメ、こちらにして下さいとやや強制的に手前のテーブルに座らさせられた。アクセントですぐに中国人のアルバイトと判る若い女性店員にだ。むっとしたので、筆者は思わずその女性にあなたに命令されて座るのではないと告げた。言動に問題がある。謝罪を要求。直ちに気付いて誤ったが、気分が晴れるのに多少時間がかかった。
“塩えび”ラーメンは桜えび、鶏ガラそして利尻昆布などでミックスされた、塩ベースのスープにやや細麺、トッピングはチャーシュー、海苔と刻みネギといったシンプルラーメンである。塩系スープはごまかしができないほどスープの味加減が難しいが、一啜りで桜えびという魚介系の味が舌を唸らせた。それは今までにない体験、強烈だった。えびのエキスが充満しているのだ。甲殻類が苦手の筆者だが、多少はいけた。麺はストレート系やや細麺、まあまあの出来だ。しかしこのあと、チャーシューに取り掛かると、よく煮込んだとみえてちょう柔らか、その味は素材が何であるか一瞬忘れるほど格別で美味。
スープの量が多少不足気味で最後に塩辛さが残ったのが残念。他に醤油ラーメン、味噌ラーメン、つけ麺、チャーシュー麺等々。
『らぁめん大山』1.スープ★★☆2.麺★★☆3.トッピング★★4.接客・雰囲気−★5,価格★★

2007/10/28

超人のドキッとする絵画 8 横須賀美術館『澁澤龍彦 幻想美術館』

 今年4月に開館した横須賀美術館。東京湾が一望できる観音崎公園近くに立つこの透明感のある明るいモダンな美術館で、今『澁澤龍彦 幻想美術館』(開催期間 10月6日〜11月11日 休館日 第一月曜日 開館時間 10時〜18時)が開催中だ。澁澤龍彦といえば、「異端」文学、サド裁判、仏文学者・翻訳家、美術評論家それに小説家と多彩な顔を持つ評論家である。異端文学の旗手として英文学者の由良君美、独文学者の種村季弘と並び称されている。1960年代、70年代に特に前衛芸術の分野で一世を風靡した人でもある。当時主な活躍の場所は、現代思潮社、河出書房新社、平凡社、文春、青土社の雑誌「ユリイカ」などだった。書店の棚にはこの手の本がよく並んでいたし周りに賛同者がたくさんいた。筆者などは徹底的にのめり込んだわけではなかったが、懐かしい作家の一人だ。
 台風一過の今日、出来たばかりの美術館へ行く途中、観音崎の日本初の洋式灯台の下で多少立ち止まり、東京湾を往来する貨物船やフェリーなどを眺めてふと過った唄は、歌人の北原白秋のそれ、フォークソングの定番、三崎巡りそれになぜか山口百恵の“ここは横須賀”、だった。と同時に、潮のかおりが漂い、たまには海も心地良いなと感じたのだった。
 祝10万人の垂れ幕の下のチケット売場で800円を払ってチケットを購入。

この美術館はライトグリーンのガラスを基調に壁や天井が白、床が木の素材のライトブランウンを配し、透明感のある色調が特徴だ。それに階段付近は黒と白のモノトーン、ところどころに外界へ繋ぐ、工夫された円形の窓が配置されていて、さながらパリの美術館(テレビや書物からの知識だけで実際行っていない)や金沢県立美術館の建造物を連想させる。昨日最後の県立美術館が沖縄は那覇の郊外にできたニュースも入って来ている。ハコモノ行政が困難を極めている現在、美術館再生の起爆剤になればと祈るばかりだ。

 さて、企画展『渋沢龍彦 幻想美術館』の中へ入ろう。<続く>

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2007/10/27

最近買い込んだ書籍・雑誌など拾い読み 2

最近買い込んだ書籍・雑誌を拾い読み。
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①辰濃和男著『文章のみがき方』(岩波新書 2007.10)
新聞記者上がりの著者が文章のみがき方を平易に38章にまとめて指南。読みやすいなかに、極意が散りばめられている好著。

②雑誌『小説新潮 11月号』
特集は星新一 いつか見た未来の題で93ページ。ショートショート再録、座談会等々。最相葉月の特別エッセイ『星新一1001話をつくった人』余滴 「ユリカとマリナ」を読む。Um。

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③雑誌『大航海 2007 NO.64』の特集は近代日本の学者101。哲学者・木田元の連載余滴、近松門左衛門の9代目の洋男氏(スペイン語をはじめロマンス語の専門家)が門左衛門は語学の達人という話が京都の青山社の雑誌『流域』に載っていたことなど語っている。ジャンルを分けて近現代の学者特集。学者の時代は終わった。新たな知の魅力を伝えて行くにはこれまでとは違った取り組みが必要と。村上陽一郎、樺山紘一と編集主幹の三浦雅士の座談会「学者の時代は終わったか」がおもしろい。一考に値するか。

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④小林輝治/秋山稔監修 徳田秋聲著『金沢シリーズ挿話・町の踊り場』(能登印刷出版部刊 2005)
参考のために先生から頂いた本。パラパラ捲る。

⑤サムエルソン著都留重人訳『経済学 上』(岩波書店 1974) 公共図書館の廃棄処分の棚にあった本。今読んでもおもしろい。

⑥G・ガルシア=マルケス著高見英一訳『短編集 落葉』(新潮・現代世界の文学 1980) 昔買ったと思うが読んだかどうか忘れた本。⑤と同じく公共図書館の廃棄処分本。あー、MOTTAINAI。

2007/10/26

クロカル超人が行く 71 東京駅エキナカショップ

200710262048000 昨日オープンしたJR東京駅エキナカショップ「Grand Staグランスタ」(東京駅中央地下通路)。コンセプトは“駅が都市を変える・駅が都市になる”、“上質な日常”や“こだわりの食”とか。47店舗が狭い空間を最大限利用して今までにない商品を販売している。新幹線、在来線、地下鉄と日本一の乗客数を誇る立地を活用、その売上目標は年間23億円。筆者は開店2日目の今日、大丸デパート東京店に用事があってこのコンコースを歩いてみてサプライズ、“よくもこの空間に作ったな”と半ば呆れた。国鉄が民営化されてから駅中空間はMOTTAINAIの象徴化の産物だったかも知れないが、ここまで来ると、お主、やりすぎじゃおまへんか、と疑いたくなる。ともかく空間がなく、狭い、せまいのだ。朝の通勤ラッシュ並みで通る人たちの肩がぶつかるぐらい。これじゃ、閉じ込めたに過ぎない。それにしても東京駅構内は土産物屋、弁当屋や食べ物屋で溢れている。こんなに作ってどこへ行く?空間利用の金儲けだろう。品川駅が変身して成功したとは言え、筆者はその後の明太子の博多駅、きしめんの名古屋駅、若者向けに大変身した札幌駅、牛タンの商売では日本一の仙台駅、遅れて大阪駅がエキナカ対策に乗り出したと思うが、果たしてどうか。そう思った筆者だが、分からずつい買ってしまったのが、今問題の比内鶏が売りの「鳥麻」の焼き鳥。もも肉ねぎ2本と野菜唐揚げ104グラム、630円。値段は少々高いが味はまあまあ。この周辺の店には新鮮、面白味もあってか旅行客や通勤帰りの客でごった返している。その昔この辺には居酒屋の「アメリカンポテト」があってよく行ったね。それにしてもこの変わりよう、やはり狭いっつうの。

 因みに47店舗は次の通り。ほんのり屋。beOrganic。毬毬。新宿アカシア。とんかつまい泉。浅草今半。鳥麻。京・料亭 わらびの里 霞中庵。自然のおかず 餉餉。築地 竹若。mango tre deli。おこわ米八。てとて。easion。過門香。Bagel & Bagel。Dexee Deli。沖縄 龍潭。串揚げ 門左衛門。駅弁屋 極。豆狸。はせがわ酒店。飲む酢 エキスプレ・ス・東京。BURDIGALA EXPRESS。Aoyama Flower Market。Fairycake Fair 。まめぐい。Dripmania。PATTICCERIA AL PORTO。果山。FORMA。東京ステーションホテル。Terra Saison。富士見堂。日本橋錦豊琳。元町 香炉庵。菊乃井。五代庵。坂角総本舗。京はやしや。銀座 甘楽。BUZZSEARCH。ピエール マルコリーニ。DEAN & DELUKA。RISO CANOVIETTA。SEASON SELECT。PRECIOUS SWEETS。

 何と言ってもここは待ち合わせの場所で有名な「銀の鈴」Ginnosuzu
があるところ。四代目製作者は金属工芸家で東京藝術大学学長の宮田亮平氏。重厚感と親しみやすさを表現したとは「GRANSTA」のパンフレット製作者の言葉だ。銀製ではなくアルミ製で零時には鈴の音が聴こえるらしい。
そしてこの商業施設には新たに「ステーションコンシェルジェ東京」が移転してサービスを開始。これにより(1)USドル、ユーロや中国元をはじめ31ヶ国の通貨を取り扱っている外貨両替(2)コピー&ファックス(3)クローク(荷物の預かりだけではなく、冷凍・冷蔵品の宅配もあり)のサービスが受けられる。
【写真上: エキナカショップ 写真下: 入口のアートフラワー】
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追記。47店の一つの店に入り、ビールとつまみを買ってしばし往来見物。初めて食べたドライ明太子はこの量で400円は高いが、美味。開店当初に比べて人通りは(開店から一週間、すでに入口にあった開店用のアートフラワーは取り除かれていて、やや殺風景な空間になっていた)減ってきたみたい。じっくり落ち着いて食べられる店はないの、という声が聞えた。これが臨界点か。一品の値段も以前より高い。さて、コンセプトは受け入れられるだろうか―(2007年11月1日 記)。

2007/10/22

超人のジャーナリスト・アイ 71 新しい乗り物・DMVに事故のニュース

朝刊の記事をピックアップ。以前にこのコラムで取り上げた新しい乗り物が事故ったニュース。今朝の日経新聞によると、線路と道路の両走行車両、デュアル・モード・ビークル(DMV)が、21日午後零時20分頃、北海道小清水町のJR釧網線浜小清水駅構内で発車直後に脱線した模様。運転手や乗客ら15人には怪我はなかった。夢の乗り物の運行開始から1年、技術的に改良の余地がでてきたということか。安全、安心の乗り物には関係者は細心の注意を払ってもらいたいものだ。
付記。東京メトロ丸ノ内線、都営大江戸線などの最近の故障を見ると更にその思いを強くするのだ。

2007/10/19

クロカル超人が行く 71 金沢駅周辺

クロカル超人が行く 金沢駅周辺
昨日は天気も晴れて写真撮影も順調。このJR金沢駅東口の大堤の建物は2年前には悪天候もあって上手く写真撮影が出来なかった代物。今回は天候にも恵まれてまずまずの出来だ。匠の技が光る逸品である。しかし、今日は生憎の悪天候、雨の兼六園、香林坊そして近江市場をバスからちらりと覗いただけ。
蛇足だが、らーめんナビで得た情報から昼飯と思って行った県道208号沿い三口新町3丁目にある熊本ラーメン系の店『昭和らーめん』は引っ越したらしくすでになかった!筆者の北陸ラーメン紀行3部作は、結局幻に終わった。ジャン・ジャン

超人の面白ラーメン紀行 74 福井『岩本屋福井本店』

超人の面白ラーメン紀行 73 <br />
 福井

2年振りの越前福井、さすが東尋坊(哲学者ウィトゲンシュタインも好んだ英国北部の絶壁海岸に似て筆者もいつかは行ってみたいと考えているスポット)までは足を伸ばせず、さりとて永平寺にも行けず、せめてここは緊張感を解してくれる福井市内のラーメン(越前そばではない!)探索に一時の秋の夜中を満喫。若者組の爽やかな商売力を見せてくれた『岩本屋福井本店』。
入口の暖簾を潜って左手の券売機でチケットを購入。ここはやはりごく普通のラーメン(650円)である。思ったより広い店内を見渡した後、右側のカウンターに座した。硬め、濃いめなどのバリエーションのチェックを受けてしばし待機。すると海苔、チャーシュー、オプションの玉子(100円)などものって出てきた。背脂がたっぷりだがやや上品な感じ。一振りのスープの触感は美味。それからチャーシューに手を伸ばす、すると舌が弾けた、口のなかで何かが変わった、ちょう軟らかなのだ。とんこつ醤油のスープと縮れ中細麺の相性もバッチリだ。筆者的には多少の量と薄めが―。そうこうしているうちに全てを飲み干し完食。試しにカウンターから厨房を覗くと、清潔感のある藍色の仕事着、白の文字そして今風に頭に巻いたタオルとが目に入った。きびきびした振る舞いもさることながら何か爽やかなのだ。若者組の仕事中の顔つきもいい。こういうラーメン専門店は東京でも滅多にお目にかかれない。
福井の秋の一時は得した気分だった。場所は福大前西福井駅近く。
『岩本屋福井本店』①スープ★★☆②麺★★☆③トッピング★★☆④接客・雰囲気★★★⑤価格★★☆

 

麺食らう福井の秋の寒さかな

2007/10/18

超人の面白ラーメン紀行 73 富山『まるたかや』

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 富山
JR富山駅北口から徒歩5、6分の北日本放送近くにある『まるたかや』。タクシーの運転手が教えてくれた醤油ラーメンの典型的なラーメン専門店だ。富山はチャーシューの製造過程でできる出汁を使ったブラックラーメンが主らしい。地元の人たちは好むが、黒っぽくしつこいので、むしろあっさり系のここの醤油ラーメンの方が大方の人に好まれているとか。脂カスを入れ(背脂)無臭のニンニク、胡椒を少々加えて食べて下さいとは店のメニューの表紙の文言。玉子(別売で70円)、もやし、海苔などの言わばラーメントッピングの常連は入ってないが、チャーシューが店のオバサンが言ってたより軟らかくて美味しかった。刻みネギが気持ち以上あって中央に鎮座することでその存在感をアピールしていた。醤油ラーメン590円、チャーシュー麺、お土産ラーメン530円、餃子250円他おでんなどもある。只今5店舗展開中。
『まるたかや』①スープ★★☆②麺★★③トッピング★ ④接客・雰囲気★☆⑤価格★★★

2007/10/14

超人のジャーナリスト・アイ 70 最新新聞雑誌拾い読み 4

11日のスウェーデン・アカデミーは2007年度のノーベル平和賞に英国の女性作家ドリス・レッシング氏(87)に授与すると発表
■今年のノーベル文学賞は候補者にスウェーデンのトランストロンメル氏が一番人気、アメリカのフィリップ・ロス氏、ドン・デリーロ、トマス・ピンチョン、ジョン・アシュベリー、ジョイス・キャロル・オーツの各氏、カナダのマーガレット・アトウッド、イスラエルのアモス・オズ、チェコのミラン・クンデラ、ベルギーのヒューゴ・クラウス、フランスのル・クレジオ、ペルーのマリオ・バルガス・リョサノ各氏。今年新たに脚光を浴びているのは、アメリカのチャールズ・バーンスタイン氏とオーストラリアのレス・マレイ氏の二人の詩人。村上春樹氏も注目を集めているので、いずれは取るのではないかと2007年10月9日の毎日新聞夕刊のノーベル文学賞受賞予想だったが、11日のスウェーデン・アカデミーはその予想を裏切って、英国の女性作家ドリス・レッシング氏(87)に授与すると発表した(毎日新聞10月12日朝刊電子版)。「植民地支配で傷ついた文明を、懐疑主義と燃えるような情熱、大胆な想像力で叙事詩のように鮮やかに描いた」ことが受賞理由。1919年、イラン生まれ。5歳で英植民地だった南ローデシア(現ジンバブエ)に入植。15歳から看護婦や速記者、電話交換手をした後、2度の結婚、離婚を得る中で左翼運動に入った。戦後の49年に英国へ渡り、翌50年にアフリカの体験を基にした第一作「草は歌っている」を発表。植民地の支配者と被支配民族との対立を描き、反響を呼んだ。反核運動でも知られる。英国人としては、05年の劇作家・ハロルド・ピンター氏以来、10人目。作品には『草は歌っている』、『暴力の子供たち』、フェミニズムの先駆的な作品『黄金のノート』(62)、女性の老いの問題を扱った『よき隣人の日記』、ホラー小説とも言える『破壊者ベンの誕生』など。英文学者の小野寺健氏は代表作『黄金のノート』でフェミニスト作家と見られがちだか、本当は政治的ではない。今まで受賞しなかったのが不思議だったと語っている(同新聞2007年10月12日朝刊より抜粋)。
二年前に受賞した英国からはノーベル受賞者は出ないと大方の人は思っていたはず。筆者もその一人だったが・・・。

■力不足の版元、学界 今後占う新シリーズ
講談社の編集者だった評論家の鷲尾賢也氏のコラム「本のウチソト表裏」(毎日新聞2007年10月10日夕刊)がおもしろい。月一回連載だが、先月のコラムでは書店の売れ行き不振の現状を嘆いていて何とかならないものかと書いていたのが印象的。今月は秋には大型企画が発売になり出版社も書店も活気づく季節なのだが、書店のエネルギー枯渇の背景もあるが、持続的な出版社の企画・実行・発売するパワーもなくなってきたと指摘。そんな中、『日本の歴史』(全16巻・小学館)、池澤夏樹個人編集の『世界文学全集』(全24巻・河出書房新社)の大型企画を取り上げていた。特に後者はピンチョン、クンデラ、デュラスなど新しい作家たちで新訳、初訳も多く革新的な企画、と。『大航海』(新書館)64号特集の「近代日本の学者101」で今の大学に進行している貧寒たる学問状況は想像を絶することばかりとこの執筆者は嘆く。筆者はこの特集を丸の内にあるM書店で立ち読みした。買っておくべきか少し考えたが、買わずずまい。学界も様変わり、スケールが小さく、ゆとりがなくなってきていると指摘。同感である。『網野善彦著作集』(全18巻+別巻1・岩波書店)と『フロイト全集』(全22巻+別巻1・岩波書店)は予想を超えて好調とか。『萩原延壽集』(全7巻・朝日新聞社)、『伊谷純一郎著作集』(全6巻・平凡社)刊行を意義ある出版と執筆者の鷲尾氏は讃えている。

■ゴア前米副大統領と国連気候パネル(IPCC)にノーベル平和賞
ゴア前大統領はこの賞金は地球温暖化防止のために寄付すると声明、また、アメリカでは次期大統領候補として急浮上してきた。ヒラリー・クリントン大統領候補が有利な今、一体どうなるか今後の動きに注目だね(毎日新聞2007年13日朝刊を読んで)。

■聖地あす開業 鉄道博物館
JR東日本発足20周年記念事業の目玉として120億円をかけて新設した世界最大級の鉄道博物館が、鉄道記念日の10月14日に埼玉県さいたま市にオープンするの記事。歴史や教育の博物館として見学型から体験型へシフトしたのが最大の特徴とか。東京ドームとほぼ同じ大きさで「Suica」や「PASMO」でも入場できる(入場料は大人1000円、中高校生500円)。35両の実物を年代別に揃え、SLの揺れを再現して運転手気分になれることや58万点の鉄道関係資料、特に明治時代の鉄道古文書が見られるのがお宝とか(2007年10月13日の毎日夕刊のトップ記事)。

■雑誌「論座」11月号
"ゼロかイチ」を超えろ ! 井上陽水/岡田利規×鈴木謙介の鼎談が面白い。特集は現代の連帯。小熊英二の戦後日本の社会運動−歴史と現在 プレカリアート(不安定な労働者)運動はどう位置づけられるか(インタヴュー記事) も注目。
■「A Public Space」第4号 特集はANTARCTICA(南極大陸)
今日の毎日新聞朝刊の「時代の風」のコラムで浜距子氏が郵政民営化の話で、アムンゼンのスコット隊との極点制覇争いを思い浮かんだと書いてあったが、この特集がおもしろい。しかし2,3日前に入ったこの出版社の電子メールには雑誌刊行維持がなかなかむつかしいらしい。季刊「A Public Space」刊行は大幅に遅れるとの通知。今から予約すれば25%お安くなるとか。文芸出版はアメリカも事情は同じか。


2007/10/13

超人の面白読書 29 大山恵佐著『努力と信念の世界人−星一評伝』最終章

  この後星一は日本一の星製薬会社を設立して広告の斬新さと出稿料日本一、模範工場、組織と効率、販売網の確立、子弟教育のための学校設立(現在の星薬科大学)、モルヒネ製造成功、ドイツ化学界への寄付・貢献と隆盛を極めていくが、その盛業の中後藤新平失脚の政界陰謀に巻き込まれて阿片事件を引き起こされ、会社は解体寸前まで追い込まれるほど大打撃を受けることになる。そこは星流頑張りと任務断行期成団なる全国組織を打ち建てて役員、社員、販売店が一丸となった協力・支援体制を強化していくのだが。何分にも役人、官憲、検察官それに高利貸しの星潰しの騙しの構図は巧妙で、終には言わば経営者としてやってはいけないことをやってしまった、脇の甘さが露呈した形だ。勿論同業他社の新興勢力妨害も想定内だ。結局阿片事件の裁判では無罪になるのだが、会社の再建がこれまた大変だったらしい。戦時中は満州で事業するも依然ほどの勢いはない。戦後すぐに参議院議員に当選しているが。本書は星一がペルーのツルマーヨに30万ヘクタールを購入した土地(大正7年に購入、主にコカ栽培)にアメリカ人の協力者を伴って近々現地に出かけることになっているところで終わる。そのツルマーヨの土地は日本の四国ほどある土地。だが、星一はアメリカのロサンゼルスで客死。この後長男の星親一は会社を継ぐが売却してしまうのだが(大谷栄太郎に乗っ取られた)、それは本書の領分ではないのでここでは言及しない。

  著者は1.失敗の人、得意の人の冒頭で言っている。「星に阿片事件という出来事が、起こらなかったならば、おそらく彼は東洋第一は勿論のこと、世界有数の化学製品の製造会社になっていたに違いない。中略。事業家としての星の人生は明らかに失敗であったといえよう。星の手腕、識見、人格、さらにその非凡の努力からすれば、星の事業の結論は余りにもさびしすぎる。しかし、一個の教育者としての星、組織者としての星、海外投資者としての星を見るときは全く別の見地に立たなければならない。星の精神、星の理想は、個人星を超越して立派に成功をおさめているといえよう。星の科学的な工場管理は他のあらゆる工場の追従する虜となり、星の社会主義的会社経営は、今日の新しい時代の事業運営の最も高度の標本となることであろう。星はこれを半世紀前から実施していた。経営者は、自己の利益や個人的享楽を全く求めない。ひたすら社会と大衆に奉仕することを念願としている。これは次の時代の経営者の当然の心構えとなる日も遠くないであろう」
現在の私たちは本書によって失敗から何を学ぶかが問われているのだ。解説者・横田順彌氏によると、星一の生涯は大変魅力的だが、自伝、評伝の類は過去に数冊しかない。星新一著『明治・父・アメリカ』や『人民は弱し官吏』、元雑誌「ダイヤモンド」記者の京谷大助著『星とフォード』そして作家・夢野久作の父・杉山茂丸著『百魔』くらい。作家の小島直記はその杉山茂丸著『百魔』を読んで作品化を考えていたらしい。筆者はこのスケールの大きい星一の生涯を映画化したら面白いと考えている。また、基本的文献を踏まえて明治・大正・昭和を通した本格的な評伝も期待したいね。それは薬学部が新たな隆盛を極めている今日、新たに近現代製薬史を紐解くきっかけにもなるはずだからだ。
  そして、最後に星一にもSF小説があった話。星のアイデア、尾崎紅葉と硯友社創設の一人で冒険・科学小説家、江見水蔭が原稿にした『30年後』(大正7年 新報知社刊)だ。これは長編ユーモア風刺SF作品で、30年前、日本を離れ南海の孤島で生活していた老人が帰国してみると、日本をはじめ世界は科学の力で、おどろくべきユートピア社会にかわっていたという内容だ(横田順彌氏の解説より)。

2007/10/10

超人の面白読書 29 大山恵佐著 『努力と信念の世界人−星一評伝』続々

  さて、大山恵佐著『努力と信念の世界人 星一評伝』はちょうど真ん中の40までたどり着いた。前述の通りこの評伝は今まであまり知られていない星一のシュトルムウントドランク、青春時代を描いていて貴重だが、特にアメリカ行きの前とアメリカ時代がおもしろい。1892年(明治25年)から1904年(明治37年)までの12年間をアメリカで過ごした星一だったが、最後新聞発行など試みたがうまくいかなかった。ある本によれば、発行部数はせいぜい4、5000部?その3分の1は日本に送っていたらしい。生来の起業家精神がそのアメリカで培った人脈と相まって芽生えたのか或いは背水の陣で大博打を打ちたかったのか―。そして帰国後から星製薬会社誕生まではすでに書いた。この後の話は以前に書いたものとかぶるので特に触れないが、若干の素描と感想を記して本書の書評を終わりたい。

超人のジャーナリスト・アイ 69 朝日新聞電子版『チェ・ゲバラ没後40周年』

朝日新聞電子版ニュースから。

キューバやボリビアで式典 チェ・ゲバラ没後40周年
2007年10月09日

Tky200710090061_2キューバ革命の英雄チェ・ゲバラの没後40周年を記念するキューバ政府主催の式典が8日朝、遺骨が埋葬されているサンタクララの革命広場で開かれ、約1万人の市民が参加した。病気療養中のカストロ国家評議会議長(81)は欠席したが、「あまりに早く手折られた花だった。彼がやろうとしてくれたことに感謝したい」とのメッセージが会場で読み上げられた。

ゲバラ没後40周年を記念し、開かれた追悼行事=キューバ中部サンタクララで

 式典はゲバラの巨大な記念碑の前で開かれ、カストロ氏の弟のラウル暫定議長や遺族らが出席。碑の下にある霊廟(れいびょう)にはゲバラや共に戦ったゲリラらの遺骨が埋葬されており、式典の終了後、関係者らは次々に献花した。サンタクララは58年、ゲバラが率いる部隊が攻略し、独裁政権崩壊につながる重要な舞台になった。

  ゲバラが銃殺されたボリビアでも、遺体が秘密裏に埋められたバジェグランデなどで追悼式典が開かれた。ロイター通信などによると、同国の大統領として初めて参加した左派のモラレス氏は「チェは生き続けている。彼の英雄的な闘いは、残酷な資本主義を終わらせるまで続くだろう」などと称賛した。

 ゲバラは67年10月8日に拘束され、翌9日にボリビア軍によって銃殺された。

ゲバラについては何ヶ月前にNHKBSの海外ドキュメンタリー番組で放映していた。この番組はボリビアで小学校の先生をしている女性や他の関係者の証言などから構成されていたと思うが、特に筆者は長く隠れていた場所で銃撃される最後のシーンが衝撃的だった。

2007/10/08

超人の面白読書 29 大山恵佐著『努力と信念の世界人 星一評伝』続

  ヒアリングをもとにしてまとめた本書は、星一の記憶をたどって書かれた自伝である。著者の大山恵佐氏については日本教育新聞社社長以外に詳しい素性は分らない。「知り合って2年未満の間柄だが経験や抱負に非常に感銘を覚え、啓発されるところも多かった。それを伝えることができ共感が得られれば」と著者はその序で述べている。本書は81の短い章で構成されていて、一章はせいぜい3、4ページ、読みやすい。昭和24年刊行なので漢字や言葉使いにやや違和感はあるが、当時の雰囲気も感得できそれもいい。

  目次を追ってみよう。序、1.失敗の人、得意の人 2.山紫水明の境 3.小学校教員 4.東京遊学 5.成田山徒歩詣で 6.渡米準備 7.全国無銭旅行 8.新聞売り子の縄張り 9.鹿児島の東北人会 10.高橋夫人 11.渡米 12.サンフランシスコの遭難13.追出され星 14.22歳の小学生 15.斡旋料の払い戻し 16.アッペンジャー家 17.米婦人を殴って懲役6ヵ月 18.「お前の母は立派な人だ」 19.自助論 20.ニューヨーク行商 21.就職 22.コロンビア大学へ入る 23.ステキニー夫人の感泣 24.新聞と英文雑誌の発刊 25.安楽と安田 26.パリ大博覧会 27.日露同盟秘話 28.杉山茂丸 29.伊藤博文との出会い 30.卒業と帰国 31.1万円の生命保険 32.運命の対面 33.帰郷と婚約 34.野口英世 35.セントルイス大博覧会 36.宮尾瞬治 37.帰国の決意 38.朝鮮行 39.事業の選択 40.製薬の創業 41.代議士当選 42.シルクハットに大風呂敷 43.星製薬の誕生 44.岩下清周 45.成人教育 46.裸の資本 47.1万人に1人 48.日本一の広告 49.親切第一 50.星の盛業 51.大衆と共に 52.「景気は支配すべきものなり」 53.模範工場 54.組織と教育 55.ドイツへの学術寄付金 56.国賓待遇 57.原子力研究に一役 58.エーベルト大統領の親書 59.「ドイツ国民は星を東洋一の化学王とする」 60.モルヒネ製造に成功 61.阿片事件の陰謀 62.阿片事件と後藤新平 63.晴天白日 64.悲壮な陳述 65.張作霖への献策 66.破産 67.官憲の迫害 68.警察国家 69.検事を一喝 70.労働争議と官憲の策動 71.「抵抗は熱を生ず」 72.任務断行運動の心得 73.キナの栽培 74.更正の希望 75.米国人との協力 76.星の心境 77.星薬科大学とセルフ・サポーティング・カレッジ 78.信念禍 79.77翁の情熱 80.ペルーの土地 81.百万ヘクタールの裏書 (註。現代仮名遣いに直して表記)

吹く風を勿来の関と思えども
         道をせに散る山桜かな

  八幡太郎義家が奥州征伐の途次詠んだ有名な歌碑のある勿来の関。その勿来の関近くの福島県磐城郡錦村江栗で星一は後年村長、郡会議長、県会議員などを歴任した父喜三太と非常にアンビションを持った、他人には極めて親切な母留の長男として生まれた。小学校では国会開設の勅語を父親から暗記させられたりなど早熟の気配は見せたけれども、いわゆる秀才ではなかった。四年生の小学校卒業後、教員養成所に入り小学校の先生になったが、東京遊学、更に洋行の夢を抱いて東京神田の東京商業学校に入学する。送金が儘ならない苦学生でありながら在学中に先進国・アメリカ行きを決意。英語、柔道、生花の習得、体力づくりにと成田山詣でも試みる。更に渡米準備にと(体力づくりも含めて)古本屋から古本を買い入れてそれを自転車に積んで行商しながら国内見聞の無銭旅行をする。その半月目に大阪に入るが金がない。東京商業学校の校長をやめ大阪朝日新聞社主筆になっている高橋健三氏を尋ね、新聞売り子を申し出て梅田界隈で始めたがはじめは売れず徐々に売れてくると今度は縄張りがあって追い出しをくらい、終には私鉄沿線の川口に行くも売れず、高橋宅に居候する。自分がお金を出してやるから早くアメリカへ行けと高橋主筆に言われるもその申し出は断り、代わりに星一の不用本の譲り受けに賛同した高橋主筆は不用本300冊を集めてくれた。しかもこの貧乏旅行を記事にまでしてくれたことで、奈良ではそれを読んだ福島出身の署長に厚遇されたり、また、高橋主筆の斡旋もあって大阪商船で働きながら無料で四国、九州の旅が続けられた。
鹿児島に渡ってはたまたま福島県出身者が比較的多かった東北人会などに忍び込んで本を買ってもらったりしている。鹿児島に福島出身者(特に会津出身者)が多いのは明治新政府の政策だったらしい。琉球にも渡り新聞記事に載せてもらったり、また、上海にも渡ろうとしたがちょうど日清戦争が勃発していた矢先で行けなかった。帰りは金ができたので、汽車で大阪の高橋主筆を尋ねて旅の報告をし、3ヶ月余りの無銭国内行商旅行は成功し最後に5圓も残ったという。計画と実行しかも行商で、強靭な意志がないとできない至難の業だ。普通は挫折も余儀なくされるところだが、星一青年は違っていた。人の恩恵も受けての人情に触れた旅でもあったが。

  本書に沿って更に進もう。渡米。恩師高橋氏から後に外務大臣になるサンフランシスコ総領事の珍田捨巳氏宛の紹介状を携え、横浜からチャイナ号に乗ってサンフランシスコへ。50圓。懐中には150ドル、日本圓で約300圓だ。日本の苦学生が大抵宿泊している日本人経営の福音協会に身を寄せる。ベッドでの宿泊が10セント、食事が3食で30セント、1ヵ月9ドルでの生活である。まずは語学の勉強と思った矢先に福岡出身の人間にお金を貸したばかりに騙し取られるというハプニングに遭遇、仕方なくスクール・ボーイ(アメリカの中流以下の家庭では朝晩の家庭的な労働に日本人や中国人を雇って、日中は学校に通う便宜を与えている習慣があった)をして学校に通った。福音会の牧師は我孫子太郎氏、日本語新聞の社長である。この安孫子氏は後に星一の許婚者だった津田梅子の妹と結婚するのだが。星一は初めは石鹸一杯つけて窓を拭き、水撒き時には婦人に間違ってホースの水をかけてしまったり、また、鉢を割ったり化粧鏡を壊したりと散々で文化の違いを見せつけられた。Oidasare Hoshi、名づけてO.D.Hoshiと揶揄されたらしい。日本人の苦学生の間で有名なケチなユダヤ人での仕事、アッペンジャー家ではドイツ人女中に濡れ衣を着せられるも晴れて懸命に働き、主人や子ども、もちろん婦人にも気に入れられて「お前の母は立派な人だ」とまで言わしめるほど信頼は篤かったと著者は書く。このとき星一の顔には涙が流れていたという。この当時もそうだっかと筆者は一瞬思ったのだが、サンフランシスコあたりの西海岸にいる学生は学問の志がいつの間にか薄れてメリケンジャップといって漂流するらしい。
リバプールと小麦の取引で大きな商売をしていたアッペンジャー家のスクール・ボーイの仕事で貯めたお金で星一は、東部の商都・ニューヨークを目指す。ニューヨークでもドローイング・ワーク(食事時にするテーブルクロス敷きセット)の行商しながらコロンビア大学入学の計画を練る。新聞に広告を出して働き口を見つけては金を貯め、とうとう早稲田、慶応と同じく東京商業学校も専門学校と認めさせ、経済学部へ無試験で入学することになる(当時コロンビア大学は専門学校卒であれば無試験で入れたらしい)。しかも一年間の半分の講義を聴くという条件で授業料を値切って半分の75ドルしてもらった。人より2倍長く年数かけて卒業する計画だった。経済学部で統計学専攻それに社会学、歴史学と政治学。フェアチャイルド家での仕事、そのステキニー夫人の支援・協力、それは日本の新聞社や雑誌社に翻訳して記事を売り込む仕事だった。夫人には自分の英文を添削してもらうことだった。
向上心とアイディアそれにそれをやり遂げる固い意志と自由闊達なアメリカ社会に溶け込む勇気−。ここに星独特の人脈を広げていく"開拓魂"がある。それは星一に感銘と勇気を与えた、中村正直訳のスマイルの自助論「汝は常に死を用意せよ。然らば何事も恐れることはない」の言葉の実践であったか。
やがて、この日本の新聞社や雑誌社への記事売り込みからヒントを得て、石判刷りの日本語新聞「日米週報」と「ジャパン・アンド・アメリカ」を発行することになる(1898年、明治31年創刊)。経営は大変だったらしいが、一躍在留邦人間で名士になった。早稲田大学の田中穂積、商科大学の佐野善作、帝国生命の名取和作、三越重役の桜井信広、銚子の醤油屋浜口玄之助、古河の息子古河虎之助などの知己を得る。友人安楽栄治と安田作也。安楽は新聞発行の経営担当、後には星製薬の重役として星の片腕になって活躍するが、安田は星の後釜で入ったアペンジャー家で中毒死する。
1899年(明治32年)、星のニューヨーク滞在も4年目。中央新聞社の社長で衆議院議長の大岡育造氏が世界視察の途次、ニューヨークに立ち寄り、米国のトラスト事情や通信交通機関の調査の新知識を得るための情報収集を星に依頼してきた。大岡は逓信大臣に擬せられていたので、大岡が逓信省に送る約束になっていた調査報告書を星が全部書いて送った。その才覚を大岡に認められ欧州に遊ぶことになった。英国、フランスに渡り、フランスでは大岡の厚意で1900年のパリ大博覧会に、中央新聞の特派員として滞在する機会を得たのである。米国で知り合い、ちょうどパリ滞在中の新渡戸稲造とも相談して星は、パリで開催の万国新聞記者大会の日本代表として「日本の新聞の過去と現在」という題で講演、これが好評でパリの新聞に写真入で紹介された。ここではパリ博にきた壮士俳優・川上音次郎、女優の貞奴にも案内を買って出ている。
杉山茂丸のニューヨーク滞在で星が面倒を見たことで伊藤博文に星を推薦、これで星は伊藤博文と親しくなるのであるが、この右翼の黒幕は日露戦争は避けられないものとし、桂首相の内命を受けその軍費調達用6000萬圓の公債を起こす計画のためニューヨークにやってきたのだった。この話については日露同盟推進派の伊藤博文と意見を異にしていた杉山が日英派だったため意見を聞き流して各方面に折衝したが、公債の話はものにならなかった。しかしながら、星の調査と助言により日本の産業振興するための特殊機関として興業銀行を設立する案を土産に帰国し設立する。これが産業界に大いに貢献してきた興業銀行、今の投資政策銀行である。このときニューヨーク滞在中の伊藤博文に杉山茂丸に連れられて星一は会っている。背広新着代としてもらうが、200ドルは経営が苦しい日米週報の紙代に消えたらしい。
1901年(明治34年)、星は28歳でコロンビア大学を卒業。日米週報は4年ばかり続いたが、星の3度目の帰国で廃刊になった。この日米週報に関係した人には釜山日報の社長になった篠原實、三井の調査課長なった玉木椿園、鹿児島から代議士になった中村嘉寿、安楽栄治そしてアメリカ人のサムスがいたという。この日米週報はその後日本から活字を持って行って活版刷りにし、今尚続いているという。筆者はこの二つの新聞の現存資料をずっと追っている。

所持金のほとんどないまま帰国した星一は、ジャパン・アンド・アメリカの経営資金調達のため杉山茂丸ところに相談に行く。そこで杉山から入院中の後藤新平を紹介される。後の星製薬会社の隆盛期には後藤の援助の大きな力が働いていたとみられているが、星は後藤新平失脚の陰謀の犠牲となって阿片事件を引き起こされ、その事件で隆盛途上の星製薬会社の事業は根本的な打撃を受けることになる。誠に皮肉な運命のめぐり合わせであったと著者は書いている。
1904年(明治37年)、最初の外国雑誌「ジャパン・アンド・アメリカ」を廃刊、日米週報は人に任せて、12年間の青春を苦闘で埋めて帰国することになる。帰国後星は伊藤博文に懇願して視察目的で朝鮮に行くが、その時一緒なったのが廣田弘毅、後の首相だ。
星は大衆性のある商売をやってみようと考え、統計的な調査を思い立ち新橋から上野本通りまで一軒一軒商店や商品を調べて歩いた。昼も夜もだ。今度は自転車を月賦で購入して東京の工場や商店を見て回ったという。その結果星は3つの商売を選び出した。履物屋、金物屋そして薬屋だ。商売の選択を考えているうちに、星は研究資金が行きづまっていた友人からイヽチオールの研究とその製品を400圓で譲ってくれると言われ、杉山の知人から400圓を借り受け引き受ける。早速日本橋の薬問屋「いわし屋」にその製品を持ち込むと、1600圓で売れた。400圓を返し残り1200圓を杉山と後藤と星で山分けしたらしい。

2007/10/06

超人の面白翻訳 携帯翻訳 25 『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』

古い町の通りを散歩しているときに、私は自然科学者と人文学者の間に日常生活で反芻する仕方がいかに違うかを考えた。また、動詞的思考と非動詞的思考がいかに重要か、教育を受け絵文字あるいは図像的な書き言葉を通じて形成された人をどのように考えたらよいか、考えてみて下さい。日本語が読めたなら、私の考え方が違っていただろうか。
 店と買物。日本では休日後の時間もセール時間だ。外国人としてはショッピングセンターを認めるには多少問題があるようだ。私は文字が読めない。他の違った店への案内標識がある1階には宝石店が並んでいる。特別な階には何を見つけるべきか、そうそう、、日本語だ。
主なショッピングセンターは市の中心部にある。京都は大都会だが、故郷で慣れていたような混雑はないのだ。人々がショッピングセンターの周りに広がり、私たち外国人にウィンドウショッピングをしてくれるようかなりのスペースを残しているように見えた。まさにセールが始まろうとするとき瞬時にものを奪い合うため、開くドアの前で何時間も長い列を成して並ぶ、そんな光景を見たことがなかった。

超人の面白オブジェ『赤い郵便ポストの貯金箱』

超人の面白オブジェ
この何とも言えない愛嬌すら感じられる、赤い郵便ポストの貯金箱。これを制作した旧日本郵政公社(現日本郵政)に関して日経の今朝の朝刊を一瞥。2007年10月1日、日本郵政公社は完全民営化され24,000の郵便局、従業員230,000人、187兆円のゆうちょ銀行の巨大な日本郵政となったが、ひょんなことで郵便局から頂いた郵便ポスト貯金箱。これが欲しかった筆者は半ば諦めかけていた矢先の出来事にニンマリである。
1871年前島密が郵便制度を創設、この創設時にも手紙などの配送を巡って江戸時代以来の飛脚業者たちとの反発があったという。飛脚業者たちは前島密の説得を受け入れ、手紙以外の荷物や郵便業務の一部を受け持つ「陸運元会社」として1872年に再出発。これが日通の源流らしい。日本郵政がその日通と宅配統合し新会社設立、元国営コンビの経営力が試されるとの見出し。やはり利用客の利便性を大いに考えてもらいたい。そうでなければこの赤いポストも役に立たないのである。

2007/10/03

超人のジャーナリスト・アイ 68 埴谷雄高の「死霊」創作メモ発見

今日の新聞各紙(毎日、日経、朝日)は戦後日本文学を代表する作家・評論家、埴谷雄高の代表作「死霊」創作メモ発見のニュースを伝えている。新聞によれば、今年6月に遺族が神奈川近代文学館に寄贈したものの中から30年代後半に書かれたとみられるB5判程度のメモ30枚を発見。このメモにはカントの影響や主人公三輪与志の人物造形などが記述されているという。これまで構想段階のメモはほとんど確認されていないらしい。主人公三輪与志の“ぷふぃ”の叫びが聴えてきそうだ―。
構想メモは、10月6日から11月25日まで同文学館で「無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展」で展示され、6日発売の「群像」11月号にメモ全文と解題が掲載されると朝日の記事は伝えている。 


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