« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007/08/26

超人の面白読書 27 最相葉月著 『星新一 1001話をつくったひと』 9 最終章  

本書の書評もいよいよ最後だ。『セキストラ』や『ボッコちゃん』は文庫を買って読み直した。シンイチの作品には科学の眼がある。奇抜な発想、奇想天外、ブラックユーモアなどが盛り込まれたショートショート。今もって通じる都会的現代的なセンス。決してドロドロとしていないのだ。敢えて言えば普通の小説が描く情念的なものはない。言ってみれば軽いのかも知れない。頭で考えて捻り出し、簡潔で乾いた文体でこれを覆う。装置とも言ってもよい。
こうして「エヌ氏の会」の会の励ましもあって1001話は完成する。しかし、これを産み出す過程は並大抵ではなく、枯渇しないよう泉の源泉を汲み取る作業を悪戦苦闘しながら続けた。薬を飲みながら書く姿は痛々しい。恐らく何故ここまでして書かなければいけないんだと自問したはずだ。遅筆作家はいくらでもいるがシンイチは締め切り日はきちっと守ったという。

1.知識の断片を、できるだけ多く、広く、バラエティに富んでそなえておくこと
2.その断片を手ぎわよく組合せ、検討してみること
3.その組合せの結果がどうなるかを、すぐに見透かしてみること
(本文P.284)

これはアイザック・アシモフの『空想天文学入門』をシンイチが圧縮して要約したものという。科学的発見の方法について論じたものだが、シンイチが無意識にやっていた創作方法だと著者はみる。

本書は前半はシンイチの父・星一、星製薬とその周辺、後半はSF作家・星新一と周辺、それらは一大SF史となっている。星新一に憑かれた人が書かせた執拗なまでの人間ドキュメント、それがノンフィクション作家・最相葉月の真骨頂だ。そのトーンはエレジー、悲歌。秀作である。
雑誌『文学』2007年7−8月号(岩波書店刊)はSFを特集していてこの本にも言及している。そして今、本書『星新一−1001話をつくった人』は新潮文学賞など受賞の対象になっている。

最後にシンイチの娘・サリナはプロのサーファーとしてハワイに住みそしてサーファー日記なるものを書いている。DNAは受け継がれているのだ。また、星製薬の方は人手でに渡って小さくなったものの、いろいろと変転しながら現在まで続いているようだ。


超人の面白読書 27 最相葉月著 『星新一 1001話をつくったひと』 8

SF作家、SF雑誌同人、作家、画家、イラストレーター、漫画家、編集者などシンイチ関係者を本文から拾ってみよう。
江戸川乱歩、矢野徹、海野十三、橘外男、香山滋、西田政治、鮎川哲也、木々高太郎、太田千鶴夫、原田三夫、木村生死、原誠、牧野光雄、柴野拓実、森田たま、三岸節子、渡辺啓助、中島河太郎、都筑道夫、大坪砂男、夢座海二、今日泊亜蘭、荒井欣一、北村小松、中村富士男、徳川無声、荒正人、新田次郎、畑中武雄、黒沼健、黛敏郎、石原慎太郎、三島由紀夫、大下宇陀児、斎藤守弘、隠伸太郎、瀬川昌男、水晶哉、高見順、桜内雄次郎、光波耀子、矢崎泰久、城昌幸、横溝正史、角田喜久雄、草下英明、望月始、宮崎惇、九里洋二、山村正夫、福島正実、安部工房、大久保房男、丹羽文雄、花田清輝、井上靖、早川清、常盤新平、大坪直行、渡辺温、横尾忠則、真鍋博、小松左京、松本清張、佐野洋、高木高、鹿島孝二、山田風太郎、林富士馬、岩田まき、各務秀雄、野間宏、黒井千次、野田邦夫、日夏光彦、小林信彦、多岐川恭、樹下太郎、竹村直伸、斉藤哲夫、浦松左美太郎、中島健蔵、河盛好蔵、中野好夫、臼井吉見、白石凡、石川光男、山本有三、中島靖侃、倉橋由美子、北杜夫、高木彬光、眉村卓、筒井康隆、加藤和代、大佛次郎、海音寺潮五郎、川口松太郎、源氏鶏太、小島正二郎、中山義秀、村上元三、吉川英治、木戸織男、黒岩重吾、小堺昭三、笹沢佐保、津田信、寺内大吉、夏目千代、畷文平、中村真一郎、福永武彦、宗左近、荒俣宏、植草甚一、福田一郎、湯川れい子、扇谷正造、大藪春彦、石川喬司、吉田健一、山本健吉、前田武彦、新章文子、水上勉、河野典生、仁賀克雄、永六輔、村松剛、草森紳一、桐島洋子、村松友視、斉藤伯好、山田好夫、豊田有恒、野町祥太郎、平井和正、小野耕世、加納一朗、光瀬龍、朝九郎、紀田順一郎、伊藤典夫、斎藤正、手塚治虫、石森章太郎、長谷邦夫、半村良、森優、江藤淳、大伴昌司、野田昌宏、有馬頼義、船橋聖一、槌田満文、獅子文六、今江祥智、飯沢匡、三浦哲郎、谷川俊太郎、岡本喜八、横山隆一、田島征二、和田誠、杉村友一、弓削麗子、城山三郎、宮田新平、西村京太郎、高松繁子、菅原国隆、遠藤周作、戸川昌子、タモリ、池畑慎之介、関根弘、富士真奈美、安岡章太郎、木原武一、宇山秀雄、中井英夫、綾辻行人、法月綸太郎、歌野晶午、我孫子武丸、稲葉明雄、袋一平、深見弾、梶山李之、五木寛之、石川達三、向井敏、栗田明子、池波正太郎、山本周五郎、龍円正憲、菅原善雄、名倉潔、田中光二、富沢多、林敏夫、森輝美、横田順彌、梶尾真治、亀和田武、井口健二、川又千秋、清水義範、夢枕獏、高千穂遥、山田正紀、巽孝之、野田昌宏、新井素子、大和真也、藤原金象、美作知男、山本弘、塙嘉彦、藤井青銅、佐々木清隆、宍戸芳夫、阿刀田高、かんべむさし、岸田今日子、吉行淳之介、村上龍、赤塚不二夫、吉村昭、橋本治、高橋源一郎、村上春樹、松谷みよ子、矢野顕子、糸井重里、古井由吉、片岡義男、赤川次郎、小池真理子、笠井潔、太田司、井上雅彦、斎藤肇、奥田哲也、矢崎有美、江坂遊。
江戸川乱歩に始まり江坂遊までを書き留めただけでも総勢250余名、作家群像の一大パノラマだ。よくもいろいろと調べ上げたものだ。<続く>


2007/08/25

超人の面白読書 27 最相葉月著 『星新一―1001話をつくった人』 7

戦後シンイチは父一がロサンゼルスで急逝後に会社の後始末を任され苦労したが、シンイチ自身は相当堪えたのかこのことについてはほとんど語らず封印してしまう。そのことは妻の香代子も聞かされていないと著者は書く。著者はシンイチが残した段ボール箱を整理した成果を世に問い、生き証言を取りに高齢者を尋ね歩くことでこの時期の闇の部分が次第に明らかになっていく。特に星製薬会社の借金の詳細、会社再建、社長・シンイチと側近、従業員解雇と組合問題、乗っ取り屋の大谷氏(ホテルオータニの所有者で不動産屋)に明け渡し清算して会社から一切手を引いてしまうあたりなど読者を引き込ませる筆力は増してノンフィクションの醍醐味すら感じた。この頃からシンイチの銀座通いが始まるのだがー。
会社が傾く予兆はすでに戦中の満州である製薬の開発に着手しなかったことが大きかったと福島の実家の人間に取材して語らせている。それはペニシリンの開発だったという。その必要性を知っていたかは知る由もないが、シンイチは東大農学部の農芸化学でペニシリンの開発を専攻する。だが、戦後衆議院選挙に当選して代議士になる父の秘書を大学時代にやったり、先述したが父の死後星製薬の後始末に嫌気がさしていた頃に、五反田にあった書店の二階で開催していた空飛ぶ円盤研究会なる会に入会する。この辺からシンイチは人生のカーブを大きく切ることになる。この会や同人誌で頭角を表し、SF界の大御所・江戸川乱歩に認められSF作家デビューを果たす。
本書で印象深いことのひとつが、シンイチがSF作家、ショートショートの書き手になることに背水の陣を敷いていたという事実だ。そもそも母方の祖母・小金井喜美子(森鴎外の妹で翻訳家・歌人)の文才の血筋を引いていることも当然あると思うのだ。シンイチのSF作家の過程とその周辺を著者は何章かを割いて丹念に追っている。その人間模様は日本SF史のパノラマ。実は筆者はこの書評でシンイチが出会った人間のカタロギングを試みようと思っていたのだ。それだけでもSF界のみならず日本の作家群像が浮かび上がって来るのだ。<続く>

2007/08/23

超人の面白読書 27 最相葉月著 『星新一 1001話をつくった人』 6

この書評も6回目。前回は星一が中心で書き進めてきた。今回からはシンイチの中学、高校そして大学、時代は戦中、戦後へ移っていく。ここではシンイチが祖父母すなわち小金井良精、喜美子(森鴎外の妹で翻訳家、歌人)の駒込曙町の特に祖母との暮らし振りと学校生活を友人関係を織り交ぜながら活写していく。本書の特徴の一つでもあるシンイチの先生、級友、友達のエピソードがインタビューを交えて書かれていることだ。作文は苦手、冷ややかな態度、奇抜なアイディア、映画鑑賞に江戸川乱歩耽読、親友の自殺などなどだ。高師中時代の友人は醍醐忠和、副島有年、越智昭二、北代禮一郎、辻康文、同級生には後の映画監督・今村昌平や児玉進がいた。ところで、麻布中学、水戸高等学校(俳人金子兜汰は友人)、東大経済学部を卒業して最後には俳人になるシンイチの異母兄・出沢三太、俳号珊太郎の出世の秘密を説き明かすあたりは執拗な取材の成果かも知れない。

夏のビル昏し征く子に父と宣り    珊太郎

<続く>

2007/08/18

クロカル超人が行く 68 銀座界隈

クロカル超人が行く 66 <br />
 銀座界隈
ノルウェー人のベント・ハーメル監督・脚本、ジム・スター久プロデュース、マット・ディロン、リリ・ティラー、マリサ・トメイ出演、ノルウェー+アメリカ合作映画『酔いどれ詩人になるまえに』(原題:FACTOTUM)Img176

を先週新聞で紹介されていたので、早速上映初日の今日、銀座テアトルシネマに出向いた。アメリカの現代作家・チャールズ・ブコウスキー(1920―1994)の修行時代を描いた無頼派作家の典型的な映画。上映時間1時間34分、観賞後の印象を率直に言えば、やや中途半端で煮え切れていない感じだった。boring and monotonous. ま、作家の修行時代だから暗く打ち拉がれているのは致し方ないことでもだ。切り口が弱いのか、ちょっと残念である。救いは最後かな、何事も徹底してやること、そうすれば最後に笑えるとのセリフ。何度書いても出版社の担当編集者から突き返された後の、一通の採用の通知で映画は終わる。それにしても酒と女と博打の常套手段、人生の荒波体験劇である。
さて、実は昼の上映時間に間に合わなかったので、ここは時間を有効に使おうと考えて伊東屋で買い物をして5丁目へ、8丁目へと銀ブラと洒落込んだ。
日本の無頼派作家の代表格、太宰治も通った『ルパン』もあった(写真上: この日は生憎開店休業)、近代建築の秀作をみる思いの『銀座ライオン』は中高年の男女で満員しかも外にも並んでいたではないか、大阪梅田のアサヒホールも凄いが、ここには中高年の憩いの場があったのだ。芥川龍之介をはじめ有名な作家がダベった『カフェー パウリスタ』も天井、椅子そしてドアにその歩んだ歴史を見ることができる。アイスコーヒーは498円だった。
そんな銀座が有楽町駅周辺など今変貌を遂げようとしている。工事は最終段階に入ったようだ。


2007/08/17

超人の創作・川柳 残酷暑

川柳   2007年・残酷暑
  
 
洗っても洗ってもしみ粉つけて

騒ぐなと怒鳴る上さん肌出して

何だかんだ噛んだ言葉は暑さ負け

酷暑とはお盆に来るぞ予報官

ごろごろと寝転ぶ亭主臍隠す

ドライブで母娘の絆フル回転
              
  超人Img168
    


    

2007/08/16

超人の面白読書 27 最相葉月著 『星新一 1001話をつくったひと』 5

少し前後するが、著者は取材しているうちに星一には結婚前に内縁の妻がいたことが判明したと書く。しかも子どもいたらしい(連れ子)。星家の親族の最長老、星一の二歳年下の妹アキの娘、すなわち新一の従姉にあたる下山田菊子によれば、星製薬の営業所のあった大正のはじめから同居していたという。福島の親戚では名前は佐代子、みんなは青山のおばさんと言っていたらしい。星一の妻の精は、この複雑な関係を知ってか福島の実家を訪ねることはなかった。後年星新一が友人に語ったところによれば、女性がいたが手は打ったらしい。星一の支援者が死後なんらかの経済的な手当てをしたかも知れないと著者は推測する。

1933年(昭和8年)    4月 星新一、東京女子高等師範附属小学校入学
              9月 星製薬に強制和議が成立 
               12月 営業再開

1934年(昭和9年)   9月 国産キニーネの生産に成功

1935年(昭和10年)  台湾にキナ、コカ、除虫菊、薄荷の薬草栽培を主事業とする台湾星製薬会社を設立                    

人生は面白いネ。今度は借金王から規那王になるネ。星は3650万円の借金があるがネ。その借金を5年皆済するネ。東京に戻って直ぐにアメリカに行くネ。星を救済するシンジケート団をつくるネ。少し忙しくなるネ。人間は常に永遠のことを考えておかねばいかんネ(『磐城百年史』)。語尾に「ネ」をつけて話すことや「諸君 !」と呼びかけ手をあげながら演説することが星一の得意の仕草。「味噌類似濃縮食品製造方法」、「日本酒濃縮法」、「蚕蛹ヨリ栄養剤ヲ製造スル方法」など数多くの特許も取得している。弟の星三郎を代表者に茨城県牛久に星食料品株式会社を設立、「ホシあじこ」なる天ぷら粉やケチャップ、ソース、芋アメなどを生産した。星一のアイデアぶりはこんなところにもあると著者が紹介している。社屋前にスロープがあり、タイヤの付着した汚れが洗い流せるように、車が来ると坂道にある二つの蛇口から水が流れるようになっていたらしい。
台湾、アメリカなどの出張もあったが、この時代は落ち着きも取り戻し箱根の強羅にある「星山荘」の別荘も家族とよく訪れている。また、新一もそんな父親を「お父様の洋行」なる作文に書いている。
1938年(昭和13年) 国家総動員法施行
<続く>


  


超人の面白読書 27 最相葉月著 『星新一 1001話をつくったひと』 4

1925年(大正14年) 5月阿片事件起こる 星一失墜の疑獄事件

ここは本文から引用してみよう。

発端は大正6年に阿片法が改正され、星製薬会社以外の製薬会社が原材阿片の輸入とモルヒネの製造に加わったこと、大正13年に憲政会系の伊沢多喜男が台湾総督に就任したことである。星製薬が台湾専売局と相談の上で大量に買い付け、横浜の保税倉庫に保管していた原料阿片に対して、税関から即時処分を命じられたのをやむなくロシアの商社に販売することにした。しかし、その売却行為が台湾阿片令に反するとして起訴されたのである。憲政会系の官僚、警察、裁判官といった国家権力を総動員し、星製薬に圧力を加えた。当時は、武田薬品、田辺製薬、星製薬が御三家と呼ばれ、新興会社の進出が困難な状況にあったが、背後には星製薬の躍進を妨害したい同業他社の画策もあった。<続く>

東京青山にあった星一の自宅は家宅捜索を受け、金融機関は星製薬と星一個人への融資を凍結した。融資が受けられないとは、すなわち事業が継続できなくなることを意味する。食品冷凍技術を事業化するため新しく立ち上げようとしていた低温工業株式会社という画期的な計画も、あえなく頓挫した。福島県で星の本家を継ぐ星照光によれば、郷里の家や土地は、遠い親族のものを含めてすべて抵当に入れられたという(本文P.33)。

著者は評論家で後藤新平の孫の鶴見俊輔の回想を引用している。
「星は財閥ではなかったでしょう。三井や三菱の政商でもない。第一次世界大戦後に急成長した鈴木商店とよく似ていますが、政府と太いつながりをもたないと企業は大きくなれなかった時代です。だから、悪いときには一気にだめになる。財閥が結託してつぶしにかかるのです」(本文P.33)

1925年(大正14年) 森鴎外の孫で文化人類学者で解剖学の草分け的存在の東大教授、小金井良精と森鴎外の妹、喜久子の娘・精と婚約・結婚 二人とも晩婚

この人生最大のピンチのときに星一は何故結婚できたか。筆者はその謎を星新一著『明治・父・アメリカ』や『人民は弱し、官民は強し』などを参考にしなから追っている。星一はニューヨーク時代に新渡戸稲造の紹介で津田梅子の妹と婚約、破棄されているが、このときは仕事優先とされている。一方、精は―ここで著者はアメリカ在住の新一の妹、鳩子に取材しその記憶をたどらせている。伯父の森鴎外の日記に陸軍大将に嫁がせるべく精子(当時は女性の名前に子をつける習慣があった)同伴の記述があったという。その日記は精の兄、小金井良一海軍軍医の家にしばらく保管していたらしい―その精はこの結婚に失敗して(この陸軍大将には結婚相手がいたのだ)実家にもどってきていた。結婚相手の候補にはあの東急のドン、五島慶太の名前も上がっていたらしい。森鴎外と同様、医学界の大御所、陸軍軍医総監だった石黒忠悳(この人物が留学中の森鴎外に送った手紙が最近発見され、その解釈を巡って論争が起きている。雑誌PS Journal 第7号所収)が良精に星一の人物を保障したという。

1926年(大正15年) 5月 台湾高等法院第二審で無罪判決を受ける 同月入籍 9月6日長男、新一誕生
二年後弟、協一、三年後妹、鳩子誕生

1932年(昭和7年) 4月 高利貸の芝商事から提出された破産申請が受理され、星製薬は破産 星一は税金滞納で二ヶ月間市ヶ谷刑務所に収監される

事業の失敗は地獄だね。なかなか大変な経験をしている。ノンフィクションの威力もある―。
このとき星新一は6歳、京北附属幼稚園に通っている。
<続く>


超人の面白読書 27 最相葉月著『星新一 1001話をつくった人』 3

作家・星新一の父親・星一の話は本書に沿って年表仕立てで追ってみよう。

1873年(明治6年) 福島県石城郡錦村江栗(錦町江栗)星喜三太の長男として誕生
この幼少期に剣術遊びで片目を失明

1884年(明治17年) 4年制の小学校卒業

1890年(明治23年)東京神田の夜間制東京商業学校入学(一橋の前身とは別)
このあと新聞の売り子をしながら関西から九州、沖縄など国内旅行 後に渡米後新聞発行に支援を得ることになる東京商業学校元校長、高橋健三夫妻の世話になる

1891年(明治24年) 18歳 渡米

1893年(明治26年)20歳 アルバイトをしながらニューヨークのコロンビア大学で経済学と統計学を学ぶ この頃ペンシルベニア大学で助手をしていた野口英雄と出会い生涯の友となる

1898年(明治31年)25歳 ニューヨークで『日米週報』Img171_2
を発行 日本から著名人が来ると取材をし記事にすることで知り合いを増やし人脈を広げる 新渡戸稲造、中央新聞社社長、大岡育造、政界の黒幕、杉山茂丸(作家・夢野久作の父)、杉山の推薦で臨時秘書をした伊藤博文、後藤新平、珍田捨巳、新井領一郎、村井保固、川上音次郎、金子喜一、田中穂積、桜井信広、高峰譲吉、家永豊吉など

1904年(明治37年)31歳 帰国
伊藤博文の朝鮮行きに随行 黒龍会の内田良平や後に総理大臣になる廣田弘毅を知る

1905年(明治38年)32歳 星製薬所設立

1908年(明治41年)35歳 無所属で衆議院選挙第4位で当選

1911年(明治44年)37歳 出資金400万円で大崎に星製薬株式会社設立
大正に入り台湾総督府専売局から粗製モルヒネの払い下げを受け、モルヒネ国産化に初めて成功し独占的に製造
「星印モルヒネ」は革命動乱の中国で(ポンド600円)飛ぶように売れる 当時の天津、奉天総領事は吉田茂 
続いてコカイン、キニーネと国産アルカロイドの生産に着手 アメリカに代理店ペルーには3000平方メートルの薬草園を購入  ドイツ化学界への支援、寄付を続ける
ホシ胃腸薬などの家庭用医薬品、ホシ美化製品(化粧水、ヘアローション、石鹸など)、食料品(ホシポートワイン、ホシ緑茶、ホシ粉ミルクなど)を国内で製造、販売網は一町村一店舗で全国に約30000店(これがホシチェーン)展開 興味を引くのは一町村二店舗の場合は貧しい方を採用 その理由は豊かな方は労せず要求が多いからという
Img177_2

1922年(大正11年)48歳 新渡戸稲造、後藤新平の協力で子弟育成のために星商業学校を設立
「親切第一 協力第二」(長男の新一、次男の協一の名前はここから取った)をモットーに特約店との関係を強化していく 直販システム、無月謝、寄宿舎代無料の薬局の画期的な子弟教育システム、会社に託児所や幼稚園を設けるなど女性が働き安い福利厚生システムなど当時としては画期的なシステムを導入していく
当時の読売新聞にも記事として取り上げられるほど星製薬は大企業に成長し躍進する

ざっと本書に従って見ていくと、星一の半生はそのバイタリティーとアイデアそれに人を取り込むことに長けた人間力、もちろん商才もあったようだ。著者の調査が活きている。さて、この後大正末期に星一の身の上に一大事件が起こる。そして大正15年に星新一が誕生するのだが、まだいくつかその前段がありそうだ。新たに表紙の若い自分の星新一の写真と口絵の星一の家族の写真を眺めている。【写真左上: 星一がニューヨークで創刊した「日米週報」(1902年10月18日号) 写真右下: 星製薬の新聞広告(東京朝日新聞大正7年6月4日付)】<続く>

2007/08/12

クロカル超人が行く 67 パシフィコ横浜『第92回世界エスペラント大会』会場

Img16311日午後1時6分過ぎ横浜相生町の道路を一台のルージュの車が通り抜けて行った。外国産のオープンカーだ。見事なハンドル捌きの主は、何を隠そう、あの詩人の谷川俊太郎だ。ミーハー的な筆者が携帯カメラで撮る余裕のないほど一瞬の出来事だった。筆者の目に狂いがなければの話だが。若いねぇー、谷川さん、颯爽としていたね。多分今この近くの横浜パシフィコで開催中の世界エスペラント大会の閉会式に出席した帰りだったかもしれない。びっくりである。
雑誌「論座」(朝日新聞社)9月号に“誕生120年エスペラントが拓く世界”のタイトルで言語学者の田中克彦と谷川俊太郎が対談していた記事をつい3日ほど前に読んだばかりなのだ。特に印象的だったのは、田中克彦氏の発言だ。エスペラント語もギリシャ・ラテン語のように話し言葉というより書き言葉としての教養言語になっていけたら理想的だいう内容だったと思うが筆者も同感である。
それで、もう遅そうだが会場に行ってみようとしていた矢先の偶然の出来事だった。詩の朗読はすでに別な会場で終了していたが、ともかく一仕事終えて会場の横浜パシフィコに駆けつけた。すでに全日程は終了していた。谷川俊太郎氏が推奨していた『ウィリアム・オールド詩集』と今回のプログラム一式が纏められているエスペラント語の本を手に入れられたことは幸いだ。確か日本エスペラント協会の会長は作家の井上ひさしだ。
眼科医のポーランド人・ザメンホフのおかれた環境が偉大な人工言語のエスペラントを創らしめた。筆者のコラムにもザメンホフに言及した松岡正剛の千夜千冊が引用されている。最近では日本の誇るエスペランティスト・宮澤賢治について書いた小論「宮澤賢治の造語『イーハトヴ』」(「PS Journal 2006 第9号」所収)が新しい。それにしても残念である。最後に会場に来ただけだとはー。世界各国から来ているらしく会場のロビーではエスペラント語はもちろんのこと、英語やフランス語なども飛びかっていた。ヨーロッパの方々とその家族が多かったみたい。複雑な言語事情が今もって反映しているか、バベルの塔の話ではないが。女性の参加者も多かったようだ。

ウィリアム・オールド詩集より。

エスペラントを学ぼうとしない恋人に

きみはエスペラントをやろうとしない
それでもいいさ 理由は分かっている
エスペラントがぼくの口から突いて出ると
きみはご機嫌斜め

そうさ そんなとき君が一瞬 息を呑むのを
ぼくが知らないとでも思っていたのか
きみはエスペラントに嫉妬しているのさ ぼくの愛を
半分ずつ 分け合わないといけないのだから

でも考えてごらん 些細なことに
執着してもしょうがない ザメンホフ先生の
模範例文集にでも 取り組む方がましさ


そうすれば きみは今よりいっそう人間らしくなる
ぼくに対立するのではなく 共感するようになる そして
何より ぼくの書いた詩を読めるようになる

 Al mia amatino neesperantista

2007/08/11

クロカル超人が行く 66 野毛の寄席『横浜にぎわい座』

クロカル超人が聴く 落語

最近作詞家の阿久悠が亡くなったが、一世を風靡したロッテ歌のアルバム、その司会で“一週間のご無沙汰でした”の名文句でも有名な玉置宏が館長の横浜・野毛にある『横浜にぎわい座』。出来たときから一度は行ってみたいと思っていたが、今回やっと実現した。大衆演芸のエキスを聴かせてもらった2時間半、笑いで暑さが吹っ飛んだ。落語の笑福亭和光、津軽三味線の太田家元九郎、落語の三遊亭歌司、橘家文左衛門、漫才のWモアモアそれに笑福亭鶴光の7名。駄洒落が冴えたのは意外にも津軽三味線の元九郎の弦を巧みに扱って発したビートルズの“上下で”、漫才のWモアモアの健在、建材の話もおもろかった。鶴光は浪花の歴史もの、かんすけの話。時折現代までタイムスリップしてまで駄洒落が飛びかったが、落語の呼吸がバッチリで気合いが入っていた。それなりの貫禄をみせてくれた。しかし観客は高齢者ばかりで筆者などはひよっこの感じ。鶴光も高座に上がるなり開口一番、今日のお客さんは高齢者が多いですなと一言。

笑門涼来

クロカル超人が行く 65 みなとみらい『万葉倶楽部』

超人が行く 万葉倶楽部

足柄の土肥の
河内に出づる湯の
よにもたよらに
ころが言はなくに

遠く「万葉集」にも詠まれた湯河原温泉。それがこの近未来のベイエリア、みなとみらいにできた温泉劇場「万葉倶楽部」の由来とか。もちろん徳川家康も重宝した熱海温泉の源泉もある、ちょっとこだわった新しいスタイルのスーパー温泉である。今夏最高の気温のそのハイヌーン、そこは一風呂、それも粋である。屋外にある湯河原温泉源泉(この源泉は毎日タンクローリーで湯河原温泉から運んでいる)たっぷりの檜風呂に浸かりながら、眺めるヨコハマ ベイエリア、右手にベイブリッジ、その下を船が走っている。ミラボー橋セーヌが流れる・・・か。何度眺めても飽きることを知らない。この至福、フフフである。しかも肌が温泉に浸かったも同然、艶々なのだ。
さて、次は何処へ。

ベイエリア
湯けむりに霞む
ヌードカット

超人の創作・小説 『風に魅せられて』 3

 
                    風に魅せられて 
                       
                          3

 ナオミは縦に鋭いセント・パトリック教会を見上げてから、ベネトン、カルティエ、ゴティバ、グッチなどの高級ブティックが並ぶショ―ウィンド―をよそ目にセントラルパークの方へ歩いていた。
歩いて7、8分、右手に金ぴかのタワーが見えた。
あのアトランティックシティ―で豪華絢爛のカジノ・ホテルをオープンして物議をかました、不動産王のドナルド・トランプ氏の大型ビルだ。
ナオミはここぞとばかりその不動産王のビルを覗いてみた。
「ううん、変にマブシイ」
煌びやかなショッピングモールを見て歩いていると、ナオミはアメリカのおのぼりさん、メキシカンそれに日本人らしい人たちとすれ違う度に、何だか気恥ずかしくなってさっと避けてしまうのだった。

「この金は魔法の杖で買ったの」
「このエレベーターの上はコンドミニアム、えっ、どんな人が住んでいるんだろ?」

ナオミは冬のファッションを身につけた女の歩く姿に多少見惚れていた

2007/08/10

超人の創作・小説 『風に魅せられて』 2

                   風に魅せられて
              
                        2
           

 そこはフィフスアベニューの48丁目付近にあった。スコット・フッジェラルドやヘミングウェイの本を何冊も出版した版元でもある老舗のS書店。ルネッサンス様式の建物は1913年に造られ、ガラス張りのファザ―ドを持ち、アーチ型の天井に支えられている。ストックは十万冊以上、特にアートとフィクションが充実している。入口にはその記念のプレートが貼られている。ナオミはそこの中二階に上がり、天井まで届きそうな本棚とそこに置かれた装丁が眩しいデザインの本を取り出しては椅子に腰掛けて時間を潰していた。
何を思ったのかナオミは階下に降りてレジに行った。
「あの―、アメリカの現代詩の本はありませんか」
ナオミは思いきって髪の長い女の店員に尋ねてみた。
「少しお待ちください」
その店員はコンピューターの端末を動かし始めた。
「この辺にあるわ」
差し出された端末用の用紙に書かれていた文字群を眺め、
ナオミは低い声で言った。
「はい、これを下さい」
するとその店員は棚からその本を取り出してきた。
350ページ足らずのペーパーバックだ。まだ新しい。
「いくらですか」
「8ドル25セントです」
レジの音がけたたましく鳴った。
茶色い表紙にアメリカ現代詩アンソロジー・1986年と書かれていた。
持つ手の感触がよかった。ナオミは自分の手が自然にその本のページを捲っているのを感じていた。まあたらしい紙のにおいを呼び込みながらー。

この19世紀半ば創業のS書店はいろんな作家を輩出した質の高い出版社兼書店だが、伝え聞くところによると、このあと起こるメディア コングリマットや書店再編劇の渦に巻き込まれバーンズ&ノーブル社の手に渡ったらしい。アーチ型で天井の高いところ、一階の書棚のユニークな配置、中二階の空間そして梯子でよじ登って目的の本を手にする、ちょっと知的探検の味わいもある高い棚、ここには空間がうまく演出された古き良き時代の優雅なにおいがある。

ナオミはペーパーバック購入後もしばらく店内をあちこち徘徊していた。

「日本にもこんな書店があったらなあ」
いつの間にかナオミは独り言を言っていた。

クリスマスシーズンが終わったニューヨークは一時の華やいだ雰囲気はないが、セントラルパークあたりの上から射す光りが歩く人の影をつくっていた。
ナオミは外に出た。

2007/08/01

クロカル超人が行く 64 横浜・野毛 イタリア料理店『La casa di Marco 』

200708011213000_38月に入った今日、やっと梅雨明け宣言。午後から気温が上がってきた。本格的な遅い夏の到来だ。みなとみらい周辺、特にJR桜木町駅界隈は若い女性の浴衣姿の和ものファッションが目につく。そうか、夕方から新港埠頭で花火大会があるらしい。
さて、野毛にある「横浜にぎわい座」で落語のチケットを予約購入した後、筆者は少し探してイタリア料理店「ラ・カーサ・ディ・マルコ」で一足早い昼食を取った。テレビの「途中下車の旅」か何かの番組でやっていたのをメモしておいたのだ。全部で24席、ラーメン屋の規模ほどの狭い店に歯切れがいいパスタみたいな女性を含めて4名のシェフで切り盛り。ランチはレストランによくあるパターンで3択、1のカボチャのスープ、カジキマグロとインゲン豆をトマトソースで和えたパスタにズッキーニ、それにデザートの1600円コース。普通の昼食の約2倍の値段だ。味は特別に“bono”、“まいうー”というわけではないが、まあまあか。ボリューム感を期待していたが見事にはずれ上品そのもの。隣の席のマダム風の女性2人は3年前にここにあった前の別なレストランのカウンターの場所探しに夢中、迷惑だよな、パスタが美味いので評判の店だというのに・・・。しかしだ、慣れないホワイトソースのズッキーニには参った、合わなかったのかも知れない。30分後には体調を少し崩した。カンツォーネが似合う陽気なシェフには申し訳なかったが。
イタリア料理店「ラ・カーサ・ディ・マルコ」の住所は横浜市中区野毛1-22-1。営業時間はランチ12:00-14:00、ディナー18:00-23:00。2号店も近くに出来ていて、そちらの店は夜のみでイタリアン懐石料理だ。北イタリア出身のオーナーは代々続いたレストランテだったことから店の名前もその出身地の店名から取ったらしい。手広くビジネスをしているとは先ほどマダムに顔に見惚れてメニューを頼むのを忘れさせてしまった(多分ジョーク?)シェフのチョイ自慢気の話。【写真左上: ランチのメインデッシュ 写真下:カボチャの冷たいスープ、デザート、 店内と入口】200708011204000_3Desert_2200708011200000_5
200708011233000_2                    


ところで、夕方からの花火大会には行けないが、代わりに一句。

浴衣色港夜空にアーチ描く


■グルナビサイトで店紹介。
ラ・カーサ・ディ・マルコ業態 イタリアン
TEL 045-232-8872
※お問い合わせの際はぐるなびを見たとお伝えになるとスムーズです。

お料理お飲物
本日のコース
当たり前の事ですが、「ラ カーサ ディ マルコ」では前菜からドルチェまで全て自家製、マルコシェフとスタッフが一生懸命調理致しております。
自分の家に招くつもりで、大切な家族や友人を迎え入れるような…
1本の生パスタや1粒のチョコレートにはそんな想いが込められております。
イタリアンサラダ
800円
牛肉のカルパッチョ 黒トリュフソース
1,200円
トリッパ (牛の胃、トマト煮込)
1,300円
イタリア直輸入、ハム・サラミ盛り合せ
1,500円
帆立貝のイタリアン焼き
800円
タコのローズマリー煮
1,000円
海の幸盛合わせ
1,500円
◆◇◆ピッツァ◆◇◆
1,200円〜
自家製の生地を使用しております。
マルコシェフ独自のレシピにより、
生地の美味しさと最新型のピザオーブンで焼き上げた香ばしさを
熱々のままお召し上がり頂けます。
マルゲリータ
1,200円
シチリアーナ
1,300円
プロシュート
1,500円
◆◇◆パスタ◆◇◆
1,000円〜
自家製生パスタのみを使用しております。
通常の乾燥パスタとは異なるモチモチした食感や小麦粉本来の香り。
世界チャンピオンのパスタをお楽しみ頂けます。
デッラ カーサ〜自家製という事のこだわり〜
<チーズクリーム>
ゴルゴンゾーラチーズ
ニョッキのパスタ
1,000円
新鮮な黒トリュフ
ルオーテ(タイヤの形をしたショートパスタ)
1,500円
<野菜類>
ペンネアラビアータ
ピリカラのトマトソース
1,000円
新鮮なトマトのソース
パッパルデッレ(幅広のパスタ)
1,200円
イタリア産キノコのポルチーニクリーム
クレスタ ディ ガッロ(鶏冠形のショートパスタ)
1,300円
<魚介類>
カラスミのペペロンチーノ
スパゲッティー
1,200円
渡り蟹のトマトソース
スパゲッティー
1,200円
しらすと生トマトの塩味
イカ墨のタリオリーニ
1,200円
うにのクリームソース
スパゲッティー
1,200円
エビのクリームソース
フェットチーネ
1,300円
海の幸、ペスカトーレ
赤カブのスパゲッティー
1,500円
<肉類>
鴨肉のミートソース 
パッパルデッレ(幅広のパスタ)
1,200円
<リゾット>
エビのリゾット
甘エビのだしでソースを作ってます
1,500円
ポルチーニのリゾット
イタリア産ポルチーニキノコを使用
1,500円
チーズのリゾット
イタリア、パルマ産パルメジャーノチーズを使用
1,500円
◆◇◆魚・肉料理◆◇◆
1,800円〜
故郷のイタリアや修行したフランスのレストランを彷彿とさせる、
魚介やジビエ料理等をお楽しみ頂けます。
鮪(マグロ)のタリアータ
1,800円
イトヨリ又はカサゴ、のロースト
1,800円
イトヨリ又はカサゴ、のアクアパッツァ
1,800円
カルトッチョ(紙包み焼き)
2,300円
仔羊のココット焼き
1,800円
うずらのオーブン焼き
1,800円
ホロホロ鳥のコンフィー
2,000円
フランス産 カモ肉のロース
2,300円
◆◇◆ドルチェ◆◇◆
オリンピック、ワールドカップでの金メダル受賞経験を持つ、
マルコシェフのドルチェワールドは夢いっぱいのお菓子の世界が広がっています。
本日のマルコシェフ、スペシャルデザート
1,200円
※季節に依り(本日の仕入に依り)メニューが多少変わる場合がございます。※

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31