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2007/07/29

超人の面白読書 28 四方田犬彦著『先生とわたし』 4 最終章 

本書『先生とわたし』には二つの生々しい師弟関係の出来事が書かれている。何れも飲み屋での出来事である。新作映画の試写会後、山の上ホテルのバーで飲んだあと師・由良君美に今度は、君の得意な場所につれてってくれたまえと言われ、新宿に繰り出しゴールデン街の著者の知っている店に入る。そのあとのくだり。

「この人はぼくの文学の先生です」と、わたしはマダムに向かって由良君美を紹介した。
「馬鹿なことをいうな ! 」と言下に否定した。「文学には先生も弟子もない。ただ孤独であることだけが、文学の条件だ。ぼくが君に教えたのは、単に英語で本を読む習慣だけだ」 「面白い先生ねえ」と、マダムがグラスにサントリーホワイトを注ぎながらいった。だがその直後に由良君美が口にした言葉は、先の発言とはまったく矛盾した。というよりも全く常軌を逸したたぐいのものだった。
「マダム、あなたにひとつお願いがあります」彼はカウンターに深々と額をつけ、俯きながらいった。「この者はわたしの可愛い弟子です。この弟子がわざわざこの暴風雨の夜にわたしを誘い、ここに連れてきたということは、けっして疎かに見なしてすむことではありません。マダム、わたしの弟子はあなたに惚れているのでしょう。それを伝えるために、わざわざわたしをここまで連れてきたのです。どうかお願いですから、この弟子の文学修行のために一度寝てやってください」
「まあ、ほんとうに面白い先生ねえ」
二人の間に挟まれて、わたしはどう答えていいのやら途方に暮れていた。(本文P.158〜P.159)

ここまで師・由良君美の恥部を書ける著者も凄いが、まあ、こう言う事を酔った席で言われた方もたまらない−。
そして渋谷のバーで殴られた話。

それが正確に1985年のいつのことであったか、記憶は定かではないが季節はすでに秋に入っていたと思う。わたしが数人の仲間とカウンターで呑んでいると、マダムが「あそに由良先生がいらしてますわよ」と、わたしに教えてくれた。へえっと思って目を向けてみると、髪の長い若い女性をともなって由良君美が呑んでいる。向こうでもわたしの気配に気がついたらしい。そこでわたしは席を立ち、二人のところまで行って挨拶をした。
「きみは誰か ? 」由良君美は詰問するような調子でいった。
「きみは最近、ぼくの悪口ばかりいい回っているそうだな」
わたしが呆気にとられて返答を躊躇っていると、彼は突然に拳骨を振り上げ、わたしの腹を殴りつけた。それから連れの女性に合図をし、さっさと店を出て行ってしまった。(本文P.169〜P.170)

この事件で著者は師・由良君美と訣別するが、本書を書くにあたりこの時傍らにいた女性を調べ上げ、由良君美の「四方田が・・・・・四方田が・・・・・」と、陰鬱に呟いていたことをその女性の口から引き出している。また、この事件のことは夫人にも喋っていたらしく、それは本書のプロローグに詳しい。

そして1989年24年間勤めた東大教養学部英語科を定年退職、高橋康也教授の尽力により名誉教授の称号を得、東洋英和学院大創設に参画。1990年日本民藝館のブレイク展のカタログは実現したが、寿岳文章先生芳名張の註釈、橿原由良哲次財団による由良哲次伝執筆、大修館英米文学史の項目、英文学試論集の刊行、1991年にはエリザベス・シューエル『オルフェウスの声』翻訳、新渡戸稲造『武士道』新訳、スタイナー『バベルの後に』翻訳は叶わず食道癌で61歳で亡くなった。葬式は執り行わず、由良家先祖代々の墓には入らず、富士山の麓の文学者の墓に埋められたという。著者は間奏曲と謳った章でジョージ・スタイナーの『師の教え』(2003年ハーバード大学出版刊、未翻訳)や山折哲雄の『教えること、裏切られること』(2003年講談社現代新書)を読み込み、その師弟論を描く。内村鑑三、夏目漱石、親鸞、柳田國男、柳宗悦、ハイデッカー、フッサール、ハンナ・アーレントやシモーヌ・ヴェイユとナディア・ブーランジェなどこの東西二つの書物に実例として出されている師弟関係のあり方を洞察。ニーチェの『ツァラトゥストラ』の詩の「師とは過ちをおかしやすいものである」という一節を引用しながら、著者はこの言葉が師弟の物語を総括してあまりある含蓄をもっていると結論づけている。由良君美は本当に英語ができたか妖しいと東大教養学部の面接官の話やアメリカの大学に招聘されたときに親友・安東伸介を伴った話やジョージ・スタイナー来日時の座談会には弟子に任した話(この座談会は確か「展望」に載ったのを読んで筆者は、江藤淳などとは全然噛み合わかったことを鮮明に記憶している。最近その辺の事情を調べ直しているが)なども弟子である著者は正直に書いているが、こうも書いている。

外国語の会話能力というのは、つまるところその言語のなかでの生活時間の長さに比例する問題にすぎないということを、わたしは体験的に知っている。よく読みよく思考する者が弁論の場でしばしば消極的だというのも、使用言語の異なるいくつかの大学で教鞭を執ってきたわたしがつとに見聞してきたことである、と。読んでみればわかると実例を出しながら、由良君美の英文にはある種の独自の文体があるとその英語力を認めている。ご安心あれ。当時の英文学者には会話が苦手だった人は結構いたのだ。
 
本書『先生とわたし』は夏目漱石の『こころ』の先生とわたしを彷彿させる、師・由良君美と著者とのある時期を知的素敵に共有した師弟愛の物語であり評伝である。1982年10月号の「英語青年」、西脇順三郎氏追悼号には最初に由良君美の小文が載っている。師・西脇順三郎から「ヨーロッパ学」を受け継いだのが由良君美、その弟子の一人の著者はそこからさらにアジアも見据え、サブカルチャーを学問にしてきた。いま人文諸学が危機に晒されている。そのことは書店のこの分野の本の売れ行きが芳しくないことで分る。やはり傑物不在の時代か−。
種村季弘(筆者もあるときほんの少しお世話になった。清水の夕方前の一杯はいいと言っていたのが懐かしい)、澁澤龍彦(江戸の鬼才若冲の絵を早くから認めていた)そして由良君美。作家・大泉黒石などの異端文学にも目配りし刊行するのに尽力した、稀に見る博覧強記の人文学の巨匠だ。余談だが、髭を生やしたその独特の風貌で有名だった大泉黒石の息子・性格俳優の滉の兄の家が筆者の家の近くにあるらしい。

新潮社は快進撃か−。筆者はこれで立て続けに新潮社の本を2冊も読んだ。このあと芥川龍之介の翻訳者が編んだ『羅生門他短編集』(今年は没後80年ということで芥川龍之介の戦死した次男の文才発掘の本などの関連出版が相次いでいる)を読むつりでいる。序に購入した英文翻訳書は解説、註釈が丁寧で面白い。

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