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2007/05/05

超人の面白読書 25 金谷武洋著『主語を抹殺した男 評伝三上章』 3

  この本の書評の続きも3回目。話を叔父の三上義夫に戻そう、と書いてからすでに3ヶ月近く経ってしまった。その間何も考えてなかったと言えば嘘だが、なかなか手付かずにいたと言ったらいいだろうか。
さて、『文化史上より見たる日本の数学』を45歳になって上梓した叔父の三上義夫。この叔父を語ることは三上章の思想を語る上で絶対的なものと著者には映る。それは三上にも共通する現場主義の土着思想だ。帰納的、具体的である言わば虫の視点だと著者は書く。和算史の事跡について全国調査を開始、それは神社仏閣の絵馬として掲げられる「算額」(数学の証明)であるが、三上義夫は算額を奉納する理由を和算が学者の研究心を刺激する競技であったからだと説明する。実用を離れて趣味性に注目、その特徴を「改善」のプロセスにあったと著者は推定する。そして彼の著作、『文化史上より見たる日本の数学』の一部を引用している。
  
和算家は一つの問題を分析してその解答を得るための手段を演段と称した。この演段もしくは解義を試みる。そうして誤りを発見したり、迂遠なところがあれば、どしどし訂正して別の書物を公刊する。他の人はまたこの書物の問題について解義を施し、さらに訂正を加える。和算は大半、解義だけで成り立ったといっても過言ではない。

西洋人の目からは、この解析方法が極めて不完全に見え、西洋数学の結果を知って試みたもののように、解せられることもありがちである。しかしながら和算家の好んで使用した論理過程が、如何なるものであったかを考え、その前後の事情等を参酌するときは、ここに極めて日本的のものがあることを認められるのである。

著者は三上義夫の西洋至上主義を批判した文も引用しているが、甥の三上章が文法研究で望んでいたのは和算の世界に見られた自由な論争と相互の啓発にあっのではないかと三上章自身の『文法小論集』からも引用している。

私の主語否定論もずいぶん長い。その間、自分自身では変説の可能性を留保していたつもりである。納得できる反論に出会ったら、いつでも肯定論へくらがえするという用意である。しかし、目にふれた範囲では、ついにそういう反論に出会わなかった。もう変説もできないと思う。

著者はここに口惜しさと命がつきるのを見つめている静けさがあるという。三上の代表作が同じ構文の「象は鼻が長い」をタイトルにしているのは、この論争が、じつは「主語」という日本語に要らない概念のために引き起こされた擬似問題であることをわかりやすく説明するためでもあったが、論争できる知的土壌はすでに失われた、時代は変わったのだという無念さが伝わってくると著者は書く。三上義夫の論文も当時の数学学界から文化史と位置づけたのが悪いなどと罪のないところで学士院からも降ろされたりして無視された。晩年は研究を陰で支えた妻にも先立たれ、終戦後の農地改革で土地さえ失ってしまいながら不遇な日々を送ったらしい。

Img123その後三上章は助詞「は」の研究、「陳述論」(著者解説:「鳥が飛ぶ時、」と「鳥は飛ぶ時、」を比べて、前者では何をつなげてもいいが、後者においては「鳥が」、たとえば「羽がこんなふうに動かす」と、言い切りの形にしないと収まらないことに注目。宣長が係り結びの法則で発見したように、「は」は終止形と呼応するからである。それを発展させたのが山田文法の「陳述論」、いっぽう三上は、山田の「言い切り」を認めた上で、さらにそこからの視点を転じ、「鳥は」が「飛ぶ時」をはるかに超えて、つぎへつぎへと係っていく事実に注目。しかもそれぞれの述語との文法関係を超越した係り方である。「鳥は」が節や文を超えること。これこそが、語幹の「tob−」までしか係れない「鳥が」との決定的な違いなのである。三上において、山田の陳述論はさらにわかりやすく射程の長い「コンマ超え」や「ピリオド超え」へと発展・改良されたのである。本文P.193からの引用)の山田孝雄と出会い大いに影響を受ける。この山田孝雄も橋本進吉の文法に学校文法採用の点ではその発想の豊かさにもかかわらず負けた。しかも山田は学歴が中学中退、一方の橋本は東大卒ということで当時の文部省の役人の思考停止が働いたのではないかともいう。その橋本進吉の弟子が大野晋(日本語の起源はインドのタミル語が起源と唱えている国語学者だ。最近では岩波新書の『日本語練習張』がベストセラーになったことは記憶に新しい)だ。彼は橋本文法批判をしていた三上章を『日本の言語学』(服部四郎編ほか共著1978年)のなかで主語廃止論について述べ、また助詞代行理論研究に賛成しかねないことを書いている。三上文法を無視していると著者は噛み付いているようだ。そして、最近の国語学界から日本語学界への改称を機会に保守的で旧態依然の体質を改める必要があろうとも言っている。筆者も賛成だ。

三上章Img122_1は、八尾での長い数学教師の生活をしながら文法研究を続けることから解放され、1965年、新設の大学である大谷女子大学の国語学の教授に就任する。著者はこの晩年の時期の三上章の言動を伝える"笑えない"エピソードを紹介している。久野によりハーバート大学へ招聘されるも精神を病み早めに切り上げるハプニングもあった。相手の心を見透かすように冷静な視線とか授業でチャイムと同時に教室に入るが同時に、講義終了時のチャイムが鳴るとたとえ話半ばであっても、ピタリと止めて教室を出てしまう離れ業とかもあったらしい。ゴールデンバットは手放さず肺と精神はますます病んで行ったというのだ。淋しい晩年と言うべきか。1961年、八尾市立病院で肺癌のため死去。享年68歳だった。この著者のいう「街の文法学者」を支えた妹茂子の功績は絶大であったと思う。ところどころ入り子構造風に挟まれて前後関係が読みづらいこともあったが、"評伝・三上章"はこのカナダの日本語学者の手で書かれたことを読者は喜ぶべきかも知れない。この著者は三上章の評伝を書くことが念願だった。作家の高田宏の協力など資料収集過程ではいろいろとあったと著者自ら書いているが、その甲斐はあったと思うのだ。これはまさに知的外圧だ。
最近の季刊雑誌「iichikoNO.92 特集 日本語の文化学」(定価:1800円 発売:新曜社 発行:2006年10月31日)での三上文法、ネット百科ウィキペディア(瞠目すべく内容もあるがそうでないものといまところ玉石混交だが)と三上文法に対する関心は益々増しているようだ。2003年の生誕100年記念の「三上章フェスタ」では一人の文法学者の業績でフォーラム開催は前代未聞の快挙と関係者は喜んだ。著者金谷氏もこのところ三上文法の知的伝道師として関連著作も多い。日本語には文法論をはじめ音韻論、形態論、類型論、統語論、意味論、語彙論、方言学そして日本語系統論他まだまだ科学的な研究の研鑽を積んでいかなければならない分野がある。三上文法はその日本語研究のパースペクティヴをこの著者の手でやっと示したのだと思う。
『主語を抹殺した男 評伝三上章』(定価:1700円 講談社 2006年12月刊)

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