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2007/03/30

超人のジャーナリスト・アイ 60 元国事務総長ハマーショルドの殺害説報道 4

エッゲはその時に「頭の穴」というハマーショルドの額にある傷痕を見たと言い、その仕草をみせてくれた。 これに対してこれは弾痕では決してないと私は言った。

その傷痕は護身用弾薬筒の武器が燃え上がる飛行機の残骸からの異常な熱さで爆発し、その弾薬筒がハマーショルドに当たったことで説明がつくだろう。

身体が全然無傷のままの他の国連事務職員は、残骸からちょっと離れた木の下に横たわっていた。ビョルン・エッゲ

Img109_2

は両手に草を持っていたという報告書をもらった。それは燃え上がる残骸から解放されたことが分かる兆候のようなものであったろう。

ハマーショルドは安全ベルトをしないことで有名だった。だから乗船中に彼は事故で飛行機から投げ出されたのだろう。残りの15人全てはほとんど傷がなかったのだ。

エッゲはハマーショルドの頭の傷痕は弾痕でなかったと考えている。

頭蓋骨が相当厚いハマーショルドの額を撃たないで、口や耳に撃つことは明白だったはずだ。しかし、これは私は確かでないと思う。

殺害された国連事務総長は北ローデシアで検視解剖されたが、それは大雑把なものだったけれど、頭には傷は何もなかったといわれている。北ローデシアのイギリス人は国連軍とほとんど戦闘状態に入っていたので、国連軍に従事している人たちを全く敵視していた。<続く>

【写真右上: ビョルン・エッゲ氏 ダーゲンス・ニーヘーテル紙2007年3月24日の電子版より】

2007/03/29

超人のジャーナリスト・アイ 59  元国連事務総長ハマーショルド殺害説報道 3

マウリウスが言うには自分はジープの中にいたはずで、惨事場所ではハマーショルドが頭を撃たれまた、ボディガードの一人も殺害されたという。 90年代に他へ移ったマウリウスは大酒飲みで有名だった。しかしこのノルウェー人の傭兵は、ハマーショルドの報告書はほとんど多くを語っていないことが決定的だと主張する。 彼は自分が加わった他の戦いについて事細かく語った。私は彼は真実を喋ったと確信したのだ。

しかし、その報告書はノルウェー人のビョルン・エッゲのためでなかったなら抹殺されていたはずである。この人はハマーショルドの事故の時にコンゴの国連職員として過ごし、その後ノルウェーの赤十字社の総裁になった。彼はカタンガの指導者Moise Tshombe出会う中、ハマーショルドを助けるためエンドーラ行きの「アルベッティーナ」に搭乗したのだろう。

しかし、私はエリザベートビルで遅らせたのだ。ハマーショルドが自分を置いて飛び立ったとエッゲは、金曜日にオスロで会ったダーゲンスニーヘーテル紙(DN)の記者に語った。

事故後エッゲはハマーショルドの家から手提げカバンと秘密の暗号機を持かえるという責任を果たした。 エッゲは言う。私もまた、最初の国連職員だったんです。死体安置所でハマーショルドの殺害された死体を見たのは。<続く>

2007/03/27

超人のジャーナリスト ・アイ58  元国連事務総長ハマーショルド殺害説報道 2

ハマーショルド計画によると、着陸に入った時に何らかの方法で下降を強いられた。ここにはその時代を通じて言い伝えられた諸説があった。目撃者の報告書によると、DC6型機を近くで見たと過小に話したふしがあり、パイロットが花火のようなロケットで目が暗やみ陸地から急降下したなどいろいろと説が飛びかった。

「アルベッティーナ」と呼んでいたハマーショルドのDC6型機は、事故後16時間後の昼すぐに見つかった。しかしながら、その地域にいた木炭労働者から諸説が語られているのだ。夜惨事場所に近づくためにヘッドライトを消して2台のジープを走らせたというのだ。<続く>

閑話休題。毎日新聞3月26日付夕刊によると、今日スウェーデンのカール16世グスタフス国王が国賓で来日したと伝えている。モノの本ではハマーショルド家は由緒正しい家柄で17世紀まで王家に仕えていたらしい。 そして、翌日小江戸と呼ばれている埼玉県川越市を訪問された由。

超人のジャーナリスト・アイ 57 元国連事務総長ハマーショルド殺害説報道 1

元国連事務総長でスウェーデン出身のダーグ・ハマーショルド。1961年9月に飛行機事故で亡くなったが、その事故死説を覆す新事実が死後46年経って最近報じられた。以下はスウェーデンの有力紙・ダーゲンス・ニーヘーテル紙が3月24付電子版トップで伝えた記事。筆者試訳。 "Legosoldat sköt Hammarskjöld" Oslo.Nya uppgifter kastar nu ytterligare ljus över teorin att FN:s generalsekreterare Dag Hammarskjöld inte omkom i flygkraschen 1961 i Nordrhodesia utan blev mördad av en legosoldat efter olyckan. 傭兵がハマーショルドを殺害 Hammarskjoeld オスロ発。いま新たな報告書が話題になっている。元国連事務総長のダーグ・ハマーショルドが1961年の北ローデシアの飛行機事故で死亡したのでは全くなく、事故後傭兵によって殺害されたという説だ。 これは土曜日の夕方ノルウェーのテレビチャンネルNRKが番組でコンゴの元英国人傭兵とのインタヴューを流したもの。現在66歳のこの男は、コンゴ時代の後ノルウェー人の女と出会い、その後長い間オスロに住んでいる。

顔や名前がうろ覚えの傭兵は、駐屯地のカタンガの首都、エリザベートヴィルで軟禁中の時にハマーショルドの後ろに座っていた。そこでは私達がマウリウスと呼んでいた南アフリカ人の傭兵と部屋を分け合っていた。

彼はその夜本当に何が起こったかを喋った。ハマーショルドが殺害されたとノルウェー人は言う。

マウリウスはエンドーラの飛行場近くでカタンガから来た傭兵たちと一緒にいたはずで、英国の植民地である北ローデシアに駐屯させられていた。<続く>

2007/03/26

クロカル超人のグルメの話 カツオ 8 今年のカツオ

200703251248000_3今年のカツオはどうでしょう? 2月の中旬から注目していますが、初鰹の時期から今年もおかしい、何か物足りなさを感じていた矢先、何回か買ってその懸念が証明されたみたい。やっぱりね、いつもより小さくその割りには値段が高いのです。カツオは以前ほど近海で獲れなくなったのでしょうか。さて、昨日食べた千葉産のカツオ、一さく、115gで517円。個人まわりとしていますが、色はまあまあ、多少あっさりした味にも上品さがあります。今まで食べたうちでは美味の方でしょ。それにしても今年のカツオは、小さなくて高いなぁー。
追記。3月31日食べたカツオは皮付きでしたが高価そのもの、買うのに戸惑いました。残念ながら飛び切り美味ではありませんでした。一さく980円です !

追記2。4月下旬JR仙台駅から常磐線原ノ町駅そしていわき駅で下車しながら帰宅しましたが、途中いわき駅(旧平駅)ではカツオ半身(2,800円)、メヒカリ(1,575円)を駅近くの鮮魚店・スズキ水産(いわき市平字白銀町8-10 TEL:0246-35-3710)で買い込み、カツオはビールのつまみにと特別に店のご主人に多少切ってもらい帰りの車中で食べました。他の地域では味わえないほどやわらかで美味。残りのカツオの刺身は持ち帰りニンニクとショウガで、メヒカリは網で炙って食しました。美味しいの何の言葉では言い表せませんでした。写真に撮っておけばと今になって後悔しております。今度は珍味の鰹の肝を食べに行こっと。ジャンジャン(2007年5月2日 記)

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2007/03/25

超人のジャーナリスト・アイ 57 石川県で震度6強の地震

2007年3月25日日曜日午前9時42分頃石川県で震度6強の地震が発生。午後2時現在、一人死亡、重傷4人、軽傷40人と報道。1926年観測以来震度6強は初。近県で災害調査と対策の動き。
スウェーデンの有力紙・ダーゲンス・ニーへーテル紙の電子版もロイター電でこの日本の地震のニュースをトップで報道。

En död och 85 skadade i japanskt skalv
Japan utfärdade på söndagen en tsunamivarning för huvudön Honshus västkust. Varningen följde på ett jordskalv i havet utanför Ishikawaområdet.

Sakelvets centrum låg omkring 30 mil nordväst om Tokyo och styrkan mättes till 7,1 på richterskalan.

Enligt de första rapporterna dödades en människa och 85 skadades i den japanska jordbävningen som skakade marken i nordväst i omkring 30 sekunder. Minst nio hus rasade samman.

I Nanao, en stad med omkring 60.000 invånare, blev ambulans och räddningstjänst nedringda av människor som skadats, rapporterade den japanska nyhetsbyrån Kyodo. Flyg och tågtrafik i området ställdes in.

En cirka tio centimeter hög flodvåg träffade kusten och några minuter senare kom ännu en, uppgav japansk radio. Enligt AP avblåstes tsunamivarningen någon timme efter skalvet.

Ungefär samtidigt som den japanska jordbävningen rapporterades två kraftiga skalv, på 7,3 och 7,1, i Stilla havet utanför Vanuatu. Det fanns inga uppgifter om skador och experter bedömde risken som liten, eftersom skalvet låg under havet, mellan 20 och 30 mil från land.

Det fanns enligt geologerna inget samband mellan Japanskalvet och de två utanför Vanuatu.

Från TT-Reuters

2007/03/24

超人のジャーナリスト・アイ 56 北欧最大の映画祭「イエーテボリ国際映画祭」

  先週フランスから女優のカトリーヌ・ドヌーブをゲストに迎え、「フランス映画祭2007」が東京・横浜・大阪で開催されたが、スウェーデンの第2の都市イエーテボリGöteborgでは今年30回を迎え11日間(1月26日~2月5日)で約450作品を延べ700回以上上映し、過去最高の12万2000枚(当日鑑賞券は80クローナ、日本円で約1333円)を超えるチケット販売を記録したと2007年3月22日付毎日新聞夕刊が伝えている。以下はその記事と同じ2月23日付毎日新聞朝刊の人欄に載ったこの国際映画祭実行委員長のヤニケ・オールンドJannike Åhlundさんのインタビュー記事に言及したもの。
スカンディナビア最大の映画祭、「イエーテボリ国際映画祭」は今年ドラケンをはじめ、禁酒団体や港湾労働者らが1892年(明治24年)設立し、クラブハウス、大学ホールや図書館など市内の10会場で68カ国のドキュメンタリーや劇映画を上映。ベトナムや旧ユーゴスラビアの作品特集もあって盛況だったという。現在は映画祭開催中の期間だけ復活するこの「イエーテボリ国際映画祭」の象徴的な映画館である「ドラケンDRAKEN」(声優下條アトムの抑揚の効いた独特のナレーションではないが、この記事を書いた毎日新聞の記者はすてきに出会った映画館なのだ)だが、Dragen_1【写真右:映画館「DRAKEN」(英)Dragon(日)龍】
  56年開館の同館は、95年に閉館に追い込まれ解体の危機に直面した。この館に親しんだ地元の映画関係者や市民が立ち上がり、「ドラケン友の会」を結成して存続運動を展開したという。運動の名残りは713席の深紅の椅子の背に名前が刻まれた黄金のプレートだ。市民が1席1000クローナ(約16000円)で椅子を買い取り、オーナーになった。反響は大きく、椅子だけでは足りずに「トイレの便器を購入する」という支持者も現れた。チケット売り場前にも支援者の名前が刻まれた。椅子を購入したある年配のサラリーマンは映画祭期間中はボランティアで関連商品の販売を手伝う。「劇場が存続したおかげで、建物の空気にも世界の作品にも年一度は出会える。昔の思い出にもね」スカンディナビア最大の映画祭、「イエーテボリ国際映画祭」にも隠れた歴史があることをこの記事は"市民が守った劇場"の見出しで伝えている。ナルホド、ザ、ワールドである。そして、この映画祭の実行委員長であるヤニケ・オールンドJannike Åhlundさんが来日。あの巨匠イングマール・ベルイマンIngmar Bergmanとも親しく(思い出したね、かつて朝日新聞の日曜版で世界の有名人に会う旅かなんかの連載の一環で、朝日新聞の記者がこの巨匠に会うため扇子などの日本の手土産も持ってはるばるスウェーデン南部の島を尋ねるも人嫌いで会ってくれなかったいう記事をね)、「ユーモアあふれる人。周囲があがめることで彼は知的刺激に乏しいようで、お気の毒。最近、棺が完成しただとか、埋葬場所など、死についてもおかしく話すんですよ」と語っているのも大変興味深い。
彼女は北欧映画は商業主義に流されず埋もれた秀作に焦点を当て、観客最優先の映画祭の原点に立ち返ることだ語り、また、北欧映画の魅力は質感だと語る。カンヌなど国際映画祭の審査員などのキャリアもあるヤニケ・オールンドさんImg108_5
の言葉には映画の魅力に惚れ込んだ言葉が滲む。このインタビュー記事を読んだ筆者の感想だ。はて、夕張市の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2007」。市の財政破綻の真っ只中での市民の手による言わば手作りの映画祭だが、その温かいもてなしに出席者などが感動したとのマスコミ報道がこの2月にあったばかりだ。良い映画祭はスタッフの企画力もあるが、観客とともにが大切なのだ。
上映作品はイエーテボリ国際映画祭公式サイトのプログラムを開くと見れる。「GIFF_Program_2007_HELA.pdf」をダウンロード

下記はノルディックシネマ・インフォメーションのHPから。
上映作品はこのHPで徐々に紹介してくれるらしい。

第30回イェーテボリ国際映画祭報告(1)イェーテボリ国際映画祭とは
[2007/3/10]


 イェーテボリ国際映画祭が今年も1月26日から2月5日までの間開催された。この映画祭については、本書(「北欧映画ー完全ガイド」)でも取り上げている(58ページ)ので、ご存じの方も多いと思う。スウェーデン第2の都市、イェーテボリで毎年開催されている北欧では最大規模の映画祭のひとつだが、今回、本コラムの筆者も、本映画祭を観に行くことができたので、少し遅くなったが、その様子や各賞の受賞作品などについて何回かに分けてご報告しよう。

 なお、映画祭の詳細については、ぜひ上記の書籍の方もあわせてご覧いただきたい。今年は第30回という節目の年ということもあってか、映画祭史上最大規模での開催となった。今回は、イントロダクションのような感じで、イェーテボリ国際映画祭の概要や会場のようす、また、映画の街としてのイェーテボリをご紹介する。

映画祭の概要
 会期中に紹介された作品の数は68ヶ国からの450本にのぼり、のべ700回の上映が行われたという。そして前売りで1枚60スウェーデン・クローナ(以下SEK、日本円で約1000円)のチケットが122400枚売れたという。ちなみに、入場券の購入には35SEK(約580円)の会員証も必要だが、これが27000人分売れたというから、単純に平均すると1人あたり4~5作品は観ている計算になるわけだ。もっとも、映画祭の実行委員会が発行する映画雑誌、「Filmkonst」の定期購読者は会費を免除されるので、観客数としてはもう少し多くなるとは思うのだが、それでも、ここでしか観られない作品を観ようという、熱心なファンが多いことが伺われる。

 これだけこの映画祭が盛んになった背景にはいくつかの要因があるだろう。まず、ストックホルムに次ぐ、スウェーデン第2の都市ということで人口が多い(約50万人弱)ということはもちろんあるが、高等教育機関が多く、若者も多いので、映画人口も必然的に多いということだろう。もちろん、フィルムスクール、市民劇場や演劇学校といったスタッフや俳優の養成機関も充実している。

2つの「映画の街」
 また、映画やテレビ関係の製作会社も多い。近郊にはかつてスウェーデンの自動車産業の中心地だったトロルヘッタン(Trolhättan:いまでもサーブの本社工場がある)という街があって、その廃工場をスタジオに転用して映像作品がつくられている。ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(156ページ)や『ドッグヴィル』(183ページ)、『マンダレイ』(本コラム第13回)といった作品はまさにそういったスタジオや、周辺で撮影された作品である。さらに、フィルム・イ・ヴェースト(Film i Väst)という製作会社の本拠地となっているのがトロルヘッタンで、この会社が関わっているヨセフ・ファーレス(219ページ)の「Zozo」(2005)はこの街でロケが行われた。街をあげて、「トロリウッド(トロルヘッタン+ハリウッド)」と名付け、映画産業を次代の産業にしようと売り込んでいるのである。

 トロルヘッタンのスタジオに近いという背景もあってか、イェーテボリを舞台にした作品も近年数多い。たとえば、最近日本で紹介され、スウェーデンの父親の育児参加というテーマが大きな話題をよんだ『ダブルシフト』(本コラム第23回)や、小社刊行の「海の島」のテレビドラマ化作品も(本コラム第43回、原作の舞台がイェーテボリなので、当たり前かもしれないが)そうだし、一昨年公開された「Tjenare Kungen」(God Save the King)という1980年代にロックに青春をかけた少女たちを描いたコメディ作品も当時のイェーテボリが舞台の作品である。今回の映画祭でも、イェーテボリが舞台の作品がいくつか出品されていた。



古いたたずまいの残るハーガの街並みNordic_54_1_1


上映会場とその周辺について
 作品は今回、市の中心にある10会場、15スクリーンで上映された。市民ホールや劇場、市内にいくつかある大学のホールなど公共の施設のほか、一部のシネコンや普通の映画館も会場にあてられている。メインの会場となるのは、市の中心より少し西にある、ハーガ(Haga)というところのDraken(英語だとドラゴン、すなわち竜の意味)というホール。グッズや前売り券の販売などもここで行われているし、筆者のみた限りではゲストの舞台挨拶や、授賞式のようなメディアの取材などもこの会場で行われているようだった。

 また、このホールが入っているビルには、映画祭の事務局も入っていて、ストックホルムの映画協会(SFI)が主催するシネマテークも年間を通じ定期的に開催されている。このビルの前にはカフェやステージの入った巨大なテントが設営されていて、ここでも映画祭共催(?)のコンサートなどが催されていた。他にもこの地区にはFolkan(国民劇場)やHagabion(ハーガシネマ、みたいな意味で、通常は名画座のような上映形態の映画館らしい)、少し歩いたところにHandels(イェーテボリ大学付属の商業大学にあるホール)など、中心となるいくつかの上映会場が至近距離に集中しているので、けっこう便利である(会場の所在地がわかる地図が下記映画祭の公式サイトにあるので参照のこと)。

 ちなみにこのハーガという場所、昔は労働者の人々が住む庶民の街だったそうだ。近くには他にも小さな劇場があったり、路面電車と自動車の通る幹線道から一本入ったところの古いたたずまいを残す石畳の商店街にはおしゃれなカフェやブティックなどが並んでいたりと、通りをぶらぶらしているだけでもけっこう面白い。近くにはイェーテボリ大学や工科大学、あるいは国民高等学校など学校も多く、若者も多い場所柄で、トレンディなスポットでもあるのだろう。

 映画祭の会期中、ヨーロッパも暖冬なのか、寒さはほとんどこたえなかった。ふつうの年の東京の真冬くらいといった感じで、少し拍子抜けしたが、暖かい分次の映画までの待ち時間に街中をぶらぶらできるのは嬉しいことだった。

 今回はこのくらいにして、次回、イェーテボリ映画祭の上映のようすや、今回上映された日本映画についてご紹介する。


映画祭のメイン会場、Drakenの入り口。Nordic_54_2

2階がホールで、1階は案内所と前売り券売り場、2階のホール前にはオフィシャルグッズ売り場も

イェーテボリ国際映画祭公式サイト(スウェーデン語・英語):http://www.filmfestival.org/filmfestival/
トロールヘッタンの街の公式サイト(英語):http://www.trollhattan.se/thn_templates/StandardPage.aspx?id=3087
フィルム・イ・ヴェースト公式サイト(スウェーデン語):http://www.filmivast.se/
ハーガの街の歴史を紹介するイェーテボリ市公式観光ガイドのサイト内のページ(英語):http://www3.goteborg.com/templates/articel.asp?id=4235.com/templates/articel.asp?id=4235
メイン会場のあるビル、Folkets Husの公式サイト(英語:ホールの中の写真なども見られる):http://www.gbg.fh.se/_eng/index.asp

アイスランド映画祭も去年日本・アイスランド国交樹立50周年を記念して東京・神戸で行われた。
詳細はこちら。http://www.bio06.jp/movies/index.html



2007/03/16

超人の面白ラーメン紀行 61 大阪・天満『洛二神』

大阪は天神橋筋5丁目近くにある『洛二神』。狭い店内には“さかな君”ではありませんが、壁掛け、置物用に変身した魚グッズでいっぱいです。ラーメンよりこれらの魚グッズを眺めていた方が楽しいかも知れません。なぜって、雑誌に書かれているほど飛び抜けてスープが美味しいわけではなかったからです。魚系中華そば(700円)がこの店の売りですが、かつお出汁+煮干し出汁は、かつお、かつおとちとシツコク、目一杯過ぎますね。そうです、以前食べた平塚のラーメン店の味によく似ているようです。独特の海の味に仕上がってはいますが、何かあっさりした中に今一つインパクト足りないみたい。軟らかチャーシューと細い縮れ麺、刻みネギと昆布、この食感はまあまあでしょ。どんぶりはちょっと凝っていてゆがんだ円形、遊び心があります。比較的若い夫婦がやっているま、ユニークな店かな。9席で満席の小さな店ですが、昼過ぎの1時頃でも別に並んでもいませんでしたね。
ところで、またまた、不思議発見です。この店を出た途端、あるテレビクルーのロケ隊に出くわしたのです。なんと個性派俳優のあの中尾彬 です。【写真左】20070316_nakao_1

へぇ、赤いズボン履いて食べ物屋など物色中なんて、いろいろあるんですねぇー。中尾さんお願いします、とスタッフが声を揃えておねだりすると、この小父さん、ラーメン店の隣のたこ焼き屋を覗き始めました。【写真右下:手前の魚系中華そばの提灯が洛二神、その隣がテレビクルーが撮影中のたこ焼き屋】20070316_rakunishin                   

土曜朝の「知っとこ」の番組かな?それとも他の在阪キー局の番組のロケ ? 先ほどのラーメン店はこれで吹っ飛びました。インパクト、インパクトが違います。

ところで、筆者はまたまた撮影に失敗、恥ずかしい限りです。カメラ付携帯電話で撮影後、保存をする前に操作ミスで切ってしまったみたい。撮影後に一度は確認して見たはずなのですが、初歩的ミスです。代わりにラーメン本体の写真は超らーめんナビから拝借しました。
メニューはチャーシューそば900円 味付け玉子100円 野沢菜ちりめんと高菜ごはん400円など。営業時間は11:30~14:30 土曜日は12:00~18:00~翌1:00 休みは日曜日。住所は大阪市北区浪花町4-22 藤ビル1階西
『洛二神』(1)スープ★★(2)麺★★(3)トッピング★★(4)接客・雰囲気★★(5)価格★★

話しはかわりますが、3月16日付日刊ゲンダイによりますと、三ツ星レストランなど格付けで有名なフランスのタイヤメーカー、ミシュランが「ミシュランガイド東京」を今年の11月に発売すると発表したそうです。この東京版はアジア初の試みで日本語と英語で刊行すると言います。すでに外国人と日本人による覆面記者が取材中とか。どんな店が載るんでしょうか。但し一般消費者が予約できない店は原則的に乗せないと言います。今から楽しみです。

2007/03/11

クロカル超人が行く 57 日本橋 『丸善日本橋店』

Maruzen土曜の昼下がり、早大国際会議場3階会議室での20世紀メディア研究会を途中で抜け出して日本橋界隈へ。高島屋本店に立ち寄った後、筆者は新生丸善日本橋店へ入った。今最先端を走るベルギー発のファッション雑誌「A Magazine」を覗いてみようと真直ぐに3階の洋書売場へ急いだ。ここで携帯カメラで撮ったのがこの入口付近の棚だ。うむ、ひょっとするとこの光景は20年前に見たニューヨークの書店の入口に似てないかー。つらつら考えていると、もしもし、と声をかけてきたのは想定外の警備員。今日は良いですが、今度からご遠慮願いますと丁寧な口調だった。すみません。
新しい店内は赤レンガ柱を配したり什器の上部には西洋風のモールディングを配したりしてシックで高級感が漂う落ち着いた大人の空間を演出している。コンセプトは「The First MARUZEN」、原点に立ち返ってということだろうか。そして手元のパンフレットで新生丸善宣言を発見。曰く、明治2年(1869)横浜で創業、翌年ここ日本橋に店舗を構えた。中略。伝統と新しさの融合した店舗空間、厳選した品揃え、きめ細かなサービスを目指すと。今年で138年のこの老舗の書店は明治以来日本の知をリードしてきたことは確かだろうが、最近では業績が芳しくなくいろいろと取り沙汰されてきたことも事実。1000坪のこの店の年間目標額は30億円そうだ。業界紙によると、先に1年半前にオープンした丸の内本店は、40億円目標で目下売り上げは好調らしい(余談だが、先週の金曜の朝、筆者の隣で元財務大臣の塩爺が文庫本数冊を買っていたね)。しかし新丸の内ビルディングにあった店は12月で閉めている。東京駅周辺には南に八重洲ブックセンター、大丸に三省堂、駅中にブックガーデンと大小の書店があって書店も混戦状態、サバイバル合戦が当分続くかも知れない。それにしても、余波をまともに受けているここからさほど遠くない本屋街・神保町が地盤沈下していると言われている。丸善のPR雑誌「學鐙」には2,3年前に文芸評論家の紅野敏郎の連載「學鐙」を読むの中で、明治の頃の丸善の帳簿を開陳しながら創業者の早矢仕有的(はやしゆうてき)の苦労話が書かれていた。今その号を探してみたが見当たらない。記憶を辿るしかないのが残念である。
さて、階は下がって2階、1階と筆者は一巡しながら入口に戻った。その間1階の丸善特設コーナーの中にレトロ調でオシャレなハヤシライスの缶詰を一瞥した後、その脇にあった万年筆の専門誌や平積中の梶井基次郎の文庫本、『檸檬』の中の丸善が出てくる箇所を立ち読みしていると、へぇ、丸善も変わったんだ、以前はこんなところに無かったねなど中年、ヤングアダルト風の夫婦の会話が聞こえてきた。文庫本の収集力は目玉とか。入口付近では昼下がり、いな夕方近くか、ジャズバンドによる生演奏が響き渡っていた。入口西洋風平台を占めていたのは渡辺淳一著『鈍感力』だ。時代を象徴しているかー。丸善は現代風MA・RU・ZENとして蘇るのだろうか。押せよ押せよではないが、確かにそれなりの服装をしていた人たちで溢れていた。帰り際東京駅へ向かう途中、黄色と白のデザインから黒と白のデザインにに替った紙袋を持った人たちが目立っていた。
一昨日オープンしたばかりのこのオシャレな書店からしばし目が離せない。

追記。新生丸善のフロアーはこうだ(パンフレットによれば)。
3階。医学・薬学・看護 理学・工学 土木・建築 コンピュータ 芸術 洋書 カフェ ギャラリー インフォメーション
2階。ビジネス・経済 法律・資格 語学・辞典 福祉 文芸 人文・社会 文庫・新書 コミック 学習参考書 教育 児童 
1階。雑誌 雑誌・実用書 地図・ガイド 丸善セレクション 
B1階。一般文具 ペーパー&グッズ 萬年筆 時計 メガネ イベントスペース
【写真右下:高島屋本店前から写す】

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弥生晴れ本とレンガをハヤシたて

2007/03/10

超人の面白ラーメン紀行 60 高田馬場『ラーメン二郎高田馬場店』

Jiro_ramen_2ついにこの面白ラーメン紀行文も60回。と言うことは少なくとも60軒のラーメン店を食べ歩いたことになる。節目の60軒目はラーメン激戦区で知られる高田馬場だ。いやー、まいった、量に圧倒された感じ。学生街だから致し方ないが、それにしても無料のトッピングは嬉しい反面、次に食べられるだろうかという不安だ。券売機でラーメン650円を買って待つこと7分、奧の二人用のテーブルに通され待った。出て来た、でてきた、トッピングはどれにしますと聞かれた野菜少々も盛られて。特に豚バラ肉の多いこと、もやし、玉ねぎとキャベツなど具も入ってこの値段は安い。一掻きしてスープだ。とんこつ醤油だが味は意外とあっさり、トッピングの野菜の生っぽいところが野性的だろうか。いずれにせよ、どんぶりから溢れそうなインパクトのあるラーメンであることは間違いない。カウンター席10人と奧のテーブル席4人の狭い店内は、男性客がほとんどだが一人、女性がいたね。カウンター左端の男性のラーメンは野菜大盛に更に無料のニンニクがたっぷり、どんぶりに山を作っているから驚きである。この男性は完食したはず。JR高田馬場駅から徒歩3分のこの店の名前は、『ラーメン二郎高田馬場店』。本命の店は夜6時からだったのでこの店に切り替えたわけ。なぜか帰りがけにわが家にインスタントラーメンの箱が客間にたくさん積んであったことを想い出したのだ。確か父が何かの引き換えに持ち帰ったものだと記憶している。その時分筆者は小学生だった・・・。

『ラーメン二郎高田馬場店』①スープ★☆②麺★★③トッピング★★★④接客・雰囲気★☆⑤価格★★★

2007/03/08

超人の面白ラーメン紀行 59  横須賀『和らく』

200703081327000_3ラーメン通の間で評判だとある雑誌で読んで立ち寄った店。正直言ってどこがと指摘したいほど、ごくごく普通のラーメンだった。ガクン、である。醤油ラーメン580円、味噌ラーメン700円他。昼過ぎに入ったが、ガラガラだ。客は筆者一人。こういうこともありかー。それにしても昨日食べたラーメン専門店とは雲泥の差だ。

『和らく』①スープ★★②麺★★③トッピング★★④接客・雰囲気★☆⑤価格★★

2007/03/04

弥生・3月 短詩型の試み

弥生の空くるくる回るKAWAI KAWAI

六本木湯煙りなしやZA(N)・BOO(M)

書いててもユーモアただす゜む書評かな

浮世のルール華に変えても出るエロさ

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